東京から考える。(東浩紀・北田暁大)

投稿日:

午前6時40分起床。浅草は雨。

東京から考える

東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム

東浩紀・北田暁大(著)
2007年1月30日
日本放送出版協会
1160円+税

東京から考える』を読む。こういう本は、細かいところで突っ込みを入れても生産的ではないので、総論的な印象を以下に書く。

デコード

東京から考える』というタイトルを見て、社会学的『アースダイバー 』か、と一瞬突っ込みを入れたくなった。けれど、この2人が、そんなことをするはずもなく――この2人に一番似合わない言葉は「詩的」だろう――、開いてみれば、まあ期待通りのごつごつした質感で安堵する。

東浩紀も北田暁弘も、ともに1971年生まれの批評家と社会学者であり、私よりもずっと若くそして優秀な人間である。(私は)彼らを多々参照しているが、それはなによりも、彼らの対象をデコードする能力の高さからであり、彼らの著作を読むことは、彼らの眼鏡を使って、(私自身が)対象をデコードできることに他ならないからだ。(まあ「語彙が追いつく限り」という制限がつくのは当然だが)。

自分語り

東京から考える』の第Ⅰ章から第Ⅳ章までは、それぞれ、「渋谷から都市」、「青葉台から郊外」、「足立区から格差」、「池袋から個性」と、(東京)「から」都市や、郊外や、格差や、個性を考える、ということになっている。それは都市論のようなものになるはずだったのだろうが、(私には)そうはならず(読めず)、なによりも、彼らの自分語りとして読めてしまった。そして意外につまらない彼らの過去に退屈した。(それは余計なお世話だろうが……)。ただ第Ⅴ章はいつもの彼らであり、私は第Ⅴ章が一番楽しく読めた。

私との差異

そう感じた大きな理由は、私の環境のせいだろう。私は一応東京の住人ではあるが、第Ⅰ章から第Ⅳ章で言及される地域の多くは、私の生活では無縁でしかなく、ほとんど行ったこともない。私の普段の行動範囲は、浅草1丁目から4丁目であり、頑張って広げてみたところで、台東区と墨田区で、ほとんどの事は用足りてしまう。

つまり『東京から考える』といわれても、その「東京」が私の知っている「東京」ではないことで、実感を持ってそれを受け止めることができなかった。(たぶんうちの近所だと、東や北田のような東京人は少なくはないだろう。まあ浅草周辺――台東区の人口を考えてみても、それはマイナーな存在でしかないのだが)。そのことで、『東京から考える』は、『東京から考える』を語る東浩紀と北田暁大の自分語りとして読めてしまったのだろう。

郊外化とかそういうもの

しかし言及されている内容、つまり郊外化(ファスト風土化やジャスコ化)や、環境管理社会、ナショナリズム、そして格差社会というようなものにはちゃんと実感はある。それは古いタイプの共同体を崩壊するものとして立ち塞がる「壁」であり、その壁の前で、私は毎日怒り、挫折し、諦め、また戦おうと奮起したりと、まあなんだか分からなく忙しい。(だからこそ東浩紀や北田暁弘を参照してきたのが)。

それは(私が)、地方都市(地域の建設業界)で仕事をすることで、地方都市に対して感じてきたことである。なのでそれを、公共事業やIT化の問題と重ねて考えてきた。

浅草的

私は、東京の〈東/西〉でいえば、ばりばりの東側の、そして(彼らの言う)テーマパーク的な街である浅草――それが共同幻想だとしても、(たぶん)郊外化から最も縁遠い街――を、あえて自分の生活社会として選択し、浅草を消費(消化)しながら、反郊外化とでもいえるような、この街のもつ構造を、自分のものにしようとしてきた。

しかし浅草は、いまだになんだかよくわからないし、浅草的がよいことなのか悪いことなのか、郊外化が良いことなのか悪いことなのか、もよくわからない。ただ浅草に浸ることで、浅草的(「街的」でもよい)を私の思考の基準軸としている。それは東浩紀や北田暁大が今回やった(彼らはそうはいわないだろうが)自分語りとしてだ――このブログはそのようなものでしかない。

評価

この本は、読む人によって評価がまちまちだろう。それはまずこの本が東と北田による自分語りであるからだと(私は)思う。この本には東と北田という〈自分〉に、読者である〈私〉が〈私の自分〉を写せるかのか、という壁がある。それはこの本で示されている地勢、時間、思考方法への共感のようなもので、それがもてないとこの本は読めないだろう――なぜなら言葉は詩的でなく、物語としては恐ろしく退屈であるからだ――、そして評価も低くなるだろう。

ただ最初に書いたとおり、私は彼らの対象をデコードする能力の高さを買っている。彼らがどのような結論(のようなもの)を示すのかは(つまり彼らのエンコードは)二の次なのである(共感できない部分も当然多い)。そのことで、この本を読むし、今後の彼らの仕事に期待してもいる。