美唄市のタクシー値下げ競争

午前6時起床。浅草は雨。

美唄でタクシー値下げ戦争 初乗り全道最安 業者「もう限界」(北海道新聞)
【美唄】人口約二万八千人の美唄市で、タクシー会社三社による激しい値下げ合戦が繰り広げられている。距離は短いながら、初乗り運賃二百円台と道内最低水準。利用者には喜ばれてはいるが、思うように客足は伸びず、各社は「もう限界。値下げを規制してほしい」と悲鳴をあげている。

記事

これは昨日ホテルで朝食をとりながら読んでいた新聞でみつけた記事だ。

タクシー業界は規制緩和により参入が容易になり(東京では)台数も増え、料金設定も自由度は増している――それは安い料金であることで「利用者には喜ばれてはいる」。 そして減り続ける公共事業に代わって、リストラ景気の犠牲者の雇用の受け皿となっているのはたしかだろう。しかし

空知地区ハイヤー協会によると、○六年度の美唄三社合計の年間売り上げは約三億七千六百万円で前年度より約千六百五十万円減。ピークの一九九○年ごろの半分ほど

なのであり、(美唄では)価格破壊が利用客の増加につながっているわけでもなく、売り上げも増えているわけでもない。(過渡期だといわれるかもしれないが)この戦略は破綻している。

美唄での問題は、規制緩和――この国では単純に市場原理の導入のことだが――が孕んでいる構造的なねじれの表出であるだろう。

市内のパート女性(50)は「少しでも安い方が助かります。でも、景気が良くないのにどうなんでしょうね」、自営業の男性(56)も「お酒を飲んだ帰りに利用して、こんなに安いの? と驚きました。続けてほしいが、採算や運転手の待遇は厳しいのでは」と心配する。/ある業者は「正常な運賃に戻さないと、運転手の生活が成り立たなくなり、サービス低下にもつながる。極端な値下げは規制してほしい」と訴えている。

これは「Web化する現実」と私が呼んでいるもの、つまりWeb2.0がもつ「無料経済化」――交換の原理が強烈に機能していまうことで、私たちを商品として定義しようとしている――の一端でしかない、と(私は)思う。

もちろん現実の世界では労働力という最終商品が無料になることはないが――タクシー料金は無料でそれに付随する贈与価値で収入を得るビジネスモデルを構築できれば話は別だが――、しかしフラット化する世界では、(日本人の値札は)必ず下方へと向かう、ということでしかない。特別な商品価値がなければ、時給850円が私の値段なのである。

それでわたしたちの生活が成り立つのなら問題はないのだろが、はたしてどうなのだろう。

しかし、低価格であることで、企業の採算や運転手の待遇や生活まで心配してもらえるタクシー業界は、まだ幸せなのである。この記事と同様のことは建設業界でも起きている。そのことを、北海道新聞は、この記事と同じ文脈で書くことができるのだろうか。