限界集落/タブーを恐れず議論を。(河北新報社説より) 

午前6時40分起床。浅草はくもり、かと思えば雨であった。

「限界集落/タブーを恐れず議論を」(河北新報:5月4日社説)

ひしゃげた廃屋、うち捨てられた集会所、里山は荒れ果て、かつての深緑は見る影もない。東北の中山間地や離島で、そんな無残な光景が広がっている。/国土審議会が全国総合開発計画(全総)に代わって策定する国土形成計画でも、深刻化する過疎問題が地方側の主要テーマとなる見込み。厳しい現実を直視し、対策を急ぎたい。/「限界集落」。長野大の大野晃教授は、人口の50%以上が65歳以上の高齢者で占められる集落をこう呼ぶ。こうした地区では冠婚葬祭や田畑の維持管理などの担い手が細り、コミュニティー機能が不全に陥り、消滅に向かうとされる。

村山学若しくは東北学

私はこの社説を読んで『やまがた村山学 創刊号 vol.1』にあった、次のことばを思い出していた。

地勢学からすれば、山形県を含め、雪国は第二の人生の地とするには条件は厳しすぎる。ここに住む私達は、この場所を離れずに、一見かたくなに地域にしがみつき生涯を終わろうとするのは、この現実、すなわち厳しさに耐え抜いてきた自信があるからです。東北学の基礎は、そのようなものであるべきだと思うのです。東北学とは、東北という地勢に生きることはどのようなものなのか、東北という過酷な状況の中で生きるということは、どのようなことなのかを問う学問ではないでしょうか。東京に住むよりも東北に住むほうが良いという結論がでない限り、この現実を変えることは出来ませんし、その条件を生み出すことができるかというと、出来ません。(阿部宗一郎:『やまがた村山学 創刊号 vol.1:p126』

限界集落

やまがた村山学この言葉の前では、東京に住む私の言動など、本当は地域再生を語るには無力すぎることがわかるかと思う。だからといって(私は)押し黙ることをしないのは、限界集落の問題は、ほかならぬ私のパトリに直結するものだと感じているからだ。

限界集落の問題は、阿部宗一郎氏のいう、「この現実、すなわち厳しさに耐え抜いてきた自信」によって、「一見かたくなに地域にしがみつき生涯を終わろうとする」人々によって、なにもなければ表面化しないように普段は包み隠されている。

しかし、いざ大雪が降ってみたり、先日の能登半島の地震のような天災が起きると、この国はいたるところで「限界」にあることが露になってしまう。そしてその度、(私は)とてつもない罪悪感に似たような感情に襲われてしまうのである。

パトリ

私はパトリのことを考えながら生きていることを自負している。パトリは私が拠って立つ地面のことである。私が私であるための基底である。それを(私は)いま自分自身が住んでいる浅草という小さなエリアで考えているのだが、どうもそれは限界集落と呼ばれるような地域(地勢)と根底で結びついているように思えるのだ。つまり足場の足場である。

私は無力であることを自覚している。だからこそ、私のパトリのその基底にあるものに対して、いったい私はなにをしてきたのだろうか、そして何ができるのだろうか、と謙虚に考えることから、考え続け(そして行動し続け)なくてはならないなと考えていた――というか、そういう人々が増えないことには、限界集落の問題は解決の糸口さえみつからないだろう。

たぶん国土交通省は、人間工学的にこの問題を片付けようとするのだろうが、はたしてそれは可能なのだろうか。