自らの興味、好きなことを追求すること、というか私の言い訳。

yoko(tangkai-hati)の日記|「夜の静寂に」へのトラックバック。

今日も自分の仕事(商売)には一切ならない事で、日の大半を費やしてしまいました。 しかもその相手は自分の商売の事のために、こちらの時間を使ったのです。 毎度毎度、このような事をするたびに、煮えきれない思いをしてしまうたびに、 なんで自分はバカなのだろうなぁ...と思います。 イヤなら相手にせず、無視すればいいのでしょうけど。

最近の私は、他者のための無償の仕事を好んでするけれども、それは別に目的とかなんとかの難しいものはなく、ただ、そうすることが好きだから、とか、楽しいから、といった無邪気さに溢れている――ことは自覚している。

もちろん、無償であっても、だれも私を必要としないのであれば、私は存在しないも同然になってしまうのだから、私は好きなこと、興味のあることを追求する。(それはそもそも私の馬鹿の自覚から始まっている)――ことで他者とのつながりを維持しようとする。

しかしそれは、自分自身の興味ために、自分自身の能力の範疇でやっているだけなので、利益に直結するようなものでもない――ことも自覚している。

ただ時々、そんなものでも、忘れた頃に商品に転換するときはあるわけで(つまり贈与のお返し)、そのときはありがたくお金を頂戴する仕事としている――けれどもそれも利益には直結していないだろう。(笑)

そんなものだから、(私は)企業人として失格であることは自覚していて――それゆえに私は個人事業主であることを選択している。

そしてその環境は、私について起きる全ての経済活動を、私自信の責任に還元してしまうことで、ストイックさを要求してもいる。

ただそこで、経済合理的なストイックさだけが前面に出てしまえば、私はあえなく壊れてしまうだろう――つまり「サラリーマンとは気楽な稼業ときたもんだ」(by 植木等)が、個人事業主には機能しない。

だから、あえて、職人的、芸人的、悪党的であろうとしていて、そのことで、自分のこころの中に油断、隙間、遊び、というようなものをつくっている。

というようなことだけで、なぜか私はまだ存在できている――ことの不思議。