緑資源機構、別の2事業でも大型談合…一両日中に捜索

緑資源機構、別の2事業でも大型談合…一両日中に捜索 (Yahoo!ニュース-読売新聞)(25日3時6分)

一方、熊本、島根両県で実施している別の事業でも機構主導で官製談合を繰り返していた疑惑が、新たに浮上。いずれも総事業費100億円超の大規模プロジェクトで、特捜部もこの事実を把握しており、一両日中に、事業を管轄する出先機関の九州整備局(福岡市)や宮崎、松江両地方建設部の一斉捜索に乗り出す。/この事業は、森林や田畑が混在する地域(中山間地域)の農林業振興などを目的とした「特定中山間保全整備事業」で、主に森林整備と農用地整備に分かれる。事業計画は農林水産省が採択し、各工事費の55~100%が国の補助金として支給される助成事業。個別の工事費は数千万~約2億円で、大半の工事は地元業者が受注している。

理念と目的

緑資源機構」は徹底的に責められているようで、たぶん遅かれ早かれ解体することになるだろう、とは先に書いたフレーズだ。

ここでもまた時代は、理念(哲学)と目的なき事業主体を退場させるように動くのであり、緑資源機構は、(企業でもないのに)利益(私利)の追求を目的としてしまったことで、破滅してしまう、ということだろう。

そしてあらためてドラッカーは凄いな、と思うのは、彼のいうマネジメントが、(利益を目標とする)企業だけのものではなく、全ての組織に通ずる普遍理論だった、ということだ。

贈与システムの破壊

普遍経済学閑話休題。緑資源機構ばかりではなく、一連の官製談合の摘発は、表面上は公務員制度改革(天下りシステム維持のための贈与の関係の破壊)、ということになるだろう。

しかしそれが、全ての「贈与システム」の否定につながるのであれば、この国はちょっとつらい。われわれに必要なのは、贈与の対象を交換から純粋贈与へと変えるパラダイムシフトでしかないのであって、贈与のシステムを破壊することとではない。

わが国における贈与システムは、山岸俊男流にいえば「安心」の担保装置に成り下がっているのかもしれないが、そもそも安心と信頼の区別がついていないのが日本人なのである。

それも信頼(安心)の担保システムを自分のこころの中ではなく、外部装置としての贈与共同体に置いているのであるから、贈与システムの破壊は、この国は贈与的であるが故の強さを失いかねない。→「浅草は利己的な街なのである。だからこそ戦略的に利他的なのである。

地方の疲弊

それは多くの場合、地方にしわ寄せのように舞い落ちてくる不幸に収斂する。「個別の工事費は数千万~約2億円で、大半の工事は地元業者が受注している。」という言葉がなにかとてもいやらしい。この手の事件で最後のババを引くのは、結局は地元の業者になってしまうことで、地域の贈与システム(パトリ)の破壊は加速するだろう――そのことで、我々は自らの足場(種)を失うしかないのだろうか。