赤城農相が正式就任―問題は緑資源機構じゃなく、日豪FTA/EDPだ。

緑資源機構の廃止

赤城農相が正式就任、緑資源機構の廃止を表明」(Tahoo!ニュース-読売新聞)

赤城農相は、官製談合の舞台となった独立行政法人、緑資源機構について「廃止の方向で検討するよう事務方に指示した」と述べ、機構の廃止を農林水産省として事実上、決めたことを明らかにした。

緑資源機構が遅かれ早かれ解体するだろうことは、前々から書いてはいたが、松岡前農相の自殺で、それは早まった――というか加速度がついてしまったな、と思う。

これにより、green.go.jp というドメイン名はなくなってしまうのだろうが、農水省がらみでは、今、最も大きな問題は、そんなこと(緑資源機構の解体)ではないのである。

また、経済財政諮問会議で農業の市場開放を加速化すべきだとの意見が強いことに対し、「世界貿易機関(WTO)などの交渉が難しい時期に、交渉スタンスを弱めることになってはいけない」と暗に批判した。(Yahoo!-毎日新聞

日豪FTA/EPA交渉

そう、これはほとんどマスコミが扱わない話題なので、多くの方々は理解していない、と思うのだが、今、農政における最大の課題は、FTA(自由貿易協定)を含む日豪EPA(経済連携協定)だろう。

WTOドーハ・ラウンドが難航する一方で、当事国・地域間の個別事情を調整しやすく、関心事項の実現が図りやすい、FTA/EPAの締結が近年増大している。我が国も既に3ヵ国との間でFTA/EPAを発効させているほか、十余の国・地域とFTA/EPAの交渉を行っている。 2006(平成18)年12月に、交渉開始に合意したオーストラリアとのFTA/EPA交渉は、同国が農業大国であると同時に、エネルギー・鉱物資源大国であるため、推進論と慎重論が拮抗し、大きな国政上の論点となっている。エネルギー・資源安全保障の観点からFTA/EPAの早期締結を主張する推進論に対して、慎重論は、オーストラリアとのFTA/EPA締結は、日本農業、地域経済への影響が大きいとして、農産物を関税撤廃の例外とするよう主張している。(引用:http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0580.pdf

詳しくは上記の引用元であるhttp://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0580.pdfをよく読んでほしい。

経済財政諮問会議が市場の開放を要求している推進派なのは、彼らが交換の原理に忠実だから、だけれども、慎重派もまた多いのは(赤城農相は慎重派といえるだろう)、単純に選挙がらみ、ということだろうね。

日本に農業は〈必要なのか/不要なのか〉

じつはこの問題は、日本に農業が〈必要なのか/不要なのか〉という問題であって、根底は深い。戦後の開発主義政策のおかげで、日本の第一次産業(特に農業は)は縮小し続けてきたわけだが、この縮小傾向は、日豪FTA/EDPが締結されれば、加速度をつけて高まることになるだろう。

日本の農業は壊滅するのか

例えばオーストラリアからの主要な輸入農産物は、牛肉、乳製品、小麦、大麦、砂糖、コメ等――つまり我が国の重要品目であり、オーストラリアの市場開放の関心品目と日本の重要品目が一致してしまっている。

そのため、経済財政諮問会議のいうように、農業の市場開放を加速すれば(豪州とのEPAが成立すれば)、我が国の牛肉、乳製品、小麦、砂糖は大打撃を受けるだろう、といわれている。(特に小麦と砂糖は壊滅するだろう、とも)。

例えば北海道の場合、

牛肉、乳製品、小麦、砂糖:▲1兆3716億円(関連産業を含めた影響)。農家戸数▲2万1千戸。〔内訳は農業生産額▲4456億円(▲約40%)、関連産業▲4414億円、地域経済▲4846億円〕 小麦、てん菜は生産中止に追い込まれる。→輪作作物であるジャガイモ・大豆の生産も激減。 加工乳の価格は暴落。
道内総生産:▲4.2%(北海道拓殖銀行破綻時〔▲3.1%〕を上回る水準)。 関連産業従事者4万7000人(離農する農業者を含めると8万8000人)が失業。失業者は5割増で、完全失業率は3.2ポイント悪化して8.5%になる。

といいう試算があるが、本当にそうなるのなら、日本の農業は壊滅するだろう。

グローバル化の利益は労働者にも地方にも配分されない

普遍経済学推進派は、交換の原理さえ動けば、そんなこと(日本の農業の壊滅)はどうでもよいのだろうが(足りない分は他国から買えばよいと考えるだけだからね)、パトリの護持をいう私は、慎重派であらざるをえない。

そしてグローバル化の利益は労働者にも地方にも配分されない(逆に不利益は労働者と地方に還元される)のは、現状をみてもあきらかなのであるから、ナイーブな市場原理優先の推進派(経済諮問会議)の意見は、慎重に扱われるべきだろう、と(私は)思う。

しかし現実には、交換の原理ばかりが支配的になってしまった日本において、まさに純生産をつくりだす産業である農業を擁護することは、公共事業を擁護することのように、難しいことだろうな、と考えている。

ナショナリズム

ただ可能性があるとすれば、農業の擁護は、ナショナリズム(それは安っぽいもの)と結びつきやすいことで、少しは世論の支持を受けやすいかもしれない、ということだろう。

つまり、安全保障上、他国から食料の供給を受けて、自給しなくてもよい、という議論は世界のどこにもないからである。

開発主義

ただ、戦後日本の生き方を考えてしまうと、開発主義というのは、その議論無しでの生き方であるのもたしかなのであって、今更そんな問題を提示されても、それがナショナリズムと直結するような心情なんて、今の日本人には残ってはいないようにも思える。

開発主義は、日本の産業化の足場としての農村部の変化を、最小限にするような仕組みをもっていたけれども(その中心が公共事業という産業事業である)、今の時代は、産業化(大企業の収穫逓増)の維持のために、逆に開発主義を終焉させることが優先されている――ことで、農村部の変化(縮小)は、ただ加速するしかないのだと思う。

だからこそ、「贈与の対象を交換から純粋贈与へ置き換えること」、でしかないのだと(私は)思うのだが、交換の原理ばかりが支配的な日本において、それを実現させるのも、容易なことではないだろう。

壊したものは、元には戻らないことで、この国は、ちょっとたいへんだわ。