「企業のコンプライアンスがますます要求される」と御手洗経団連会長は語った。

何人もその家卑の前では英雄足りえず

経営者は法令順守徹底を=企業不祥事で倫理意識強調-御手洗経団連会長」 6月13日19時1分配信 時事通信

日本経団連の御手洗冨士夫会長は13日、大阪市内で記者会見し、訪問介護最大手コムスンの不正行為や建設業界による談合事件など企業の不祥事が後を絶たないことについて、「企業経営者がコンプライアンス(法令順守)の精神を自分の会社で徹底し、自らの行動で示すことが一番大事だ」と述べ、経営者自身が企業倫理意識を強く持つことが必要だとの考えを示した。/また、「今後小さな政府を作るためには民間が大いに活躍する方向になる。そのような社会にあっては、個々の企業のコンプライアンスがますます要求される」と強調した。

毎日、日本には悪人しかいなのか、と思うばかりの日々が続いているが、今の時代に、突然人間が悪くなった、ということであるわけもなく、それは「何人もその家卑の前では英雄足りえず」という時代がつくりだした現象なのだ(たぶん)。ちょっと前までは、悪人扱いされなかったことでも、今は悪人扱いされる時代なのである。

今の日本のような、報道の自由を保証している国では、狭い世界での独裁的なもの(針千本マシーン)を排除しようとする圧力が強い。それが今という時代(Web化する現実)の特徴なのである。そのことで談合(官製談合)の摘発は止まないのだ。

小さな政府とコンプライアンス

御手洗経団連会長は、その立場どおり、企業の利益を最優先に考える新自由主義者である。この記事には何か唐突な感じで、「今後小さな政府を作るためには民間が大いに活躍する方向になる。そのような社会にあっては、個々の企業のコンプライアンスがますます要求される」という御手洗会長のことばが出てくる。それは彼の立場では矛盾なき意見であるし、今回の発言で一番強調したかったことなのだと思う。

開発主義においては、強い行政を中心とした、政治・行政・財界の鉄のトライアングルという円環(ムラ社会)にあるこそが守るべきもの(社会統合の装置)であった。(それは法令でなくともよい)。/しかし、開発主義的なものを解体し、その上で日本を再構築しようとしている新自由主義(ネオリベラリズム)は、(伝統的な)ムラ社会(共同体性)を破壊することによって失われる掟(安心のシステム)に替わる、新たな秩序の導入をはかる必要がある。(「法令順守しなければつぶれるという危機感が足りなかった」と今更言うか、ふつう。

なぜコンプライアンスなのか

しかし御手洗会長の意見は、ネオリベが神聖化しているアダム・スミスのテーゼ「個々人が私利私欲を追求するに任せておけば、社会全体の福利(ウェルフェア)は最大限に高まる」を否定していることにもなるだろう。

つまり皆さん勝手に私利私欲を追及すれば(だからこそなのだが)、社会全体のウェルフェアは最大限に高まることはないのだよ、ということだ――だからこそ、ネオリベは市場原理の導入と同時に、司法の強化という秩序統制をはかるしかないのだ、と(その流れの中では市場原理に反する「談合」は最初から違法扱いなのだ)。

そのコストは、人々のコミットメント(使命感)と他者へ思いやり(シンパシー)――ソーシャル・キャピタル――が機能する社会よりも、ずっと高いと思うのだけれど……まあ、みんなが選んだことなのだから、しょうがないのかね。