鹿児島県建築協会におけるブログ化-その始動のために。

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ブログ化

6月20日は、(社)鹿児島県建築業協会にて、IT化推進のための会議。中心はブログ化について。

本音を言えば、IT化どころではない、のは皆承知している。そして今のネットの状況からいえば、ブログ化などと何を今更、だろうし、個人主義好きの皆さんからは、ブログなんて団体で書くもんじゃない、という批判もある、だろう。

しかし遅ればせながらもブログ化――自ら情報を発信すること、なのである。

これは閉じた円環のひねり、つまり円環からメビウスの帯への変化である――そしてそれは外部からひねられているのではなく、自らのひねりなのである。(「【資料】(社)岩手県建設業協会の新ホームページ運用開始セレモニーでのPPT。」)

「たずさわる」こと

協会ベースでのIT化は、多くの方々(会員)が「たずさわる」ことによる、共同体性の肩代わりを最重要課題としている。つまりブログも多くの会員が「たずさわれる」ものでなくてはならない。

携わることによる共同性の意識が、 作品を個人のレベルから、少しずつ集団のものとしてのレベルに肩代わりさせ、責任を 分かち合うようになる。(川俣正:『アートレス』:p45)

それは、協会でおこなうブログ化の最大の問題点(投稿者を確保できるのか)を際出させるのだが、逆に「たずさわれるもの」を見つけ出すフィルターでもある。

問題点

ます、問題点に対しては、そのために長い時間をかけてイントラネット(閉じた円環)の中での情報発信を繰り返してきたことを強調したい。なので (↓)なのであり、それはIT化の拠って立つ地面だということだ――地面がなければジャンプはできない。

だからキアスムなのである。 これは今だからできるのであり、1年前ならできなかったのである――このあたりが交換の原理に侵された脳みそには理解不可能らしい。変化には時間が必要なのである。そして今は、交換の原理の圧力が強いので――多くの脳みそは交換の原理に侵されてしまっているので――、多くの協会の場合、基礎(円環としての協会という、拠って立つ地面)が機能していない。だからブログ化は、今からやろうとしても、多くの協会の場合、またく出来ない可能性の方が高いだろうと(私は)思うのだ。 (「【資料】(社)岩手県建設業協会の新ホームページ運用開始セレモニーでのPPT。」)

フィルター

そしてそれは、たずさわれるものを見つけ出すフィルターとして機能することで、利点と転じる。

つまり、問題点――投稿者の確保とは、リテラシーの問題なのか、カテゴリ―の問題なのか、という2つにデコードできる。それがリテラシーの問題なら、訓練で解決がつく――時間軸で解決可能である。

問題は、皆がたずさわれる話題(カテゴリー)が無い場合であるのだが、 (社)鹿児島県建築業協会の場合は、それは既に「ある」。