「140B新ブログ講習会と世界の変化。」へのTB――タイトルに「。」をつける人。

午前5時起床。浅草はくもり。

ほおずき市

今日から浅草はほおずき市。でも私は岩見沢へ出張。

毎年、7月9日10日は、浅草寺の功徳日であって境内にはほおずき市がたつ。この日に御参りをすると、四万六千日毎日お参りしたのと同じご利益があるといわれている、非常にご都合音よい日なのであるからね、出掛けに浅草寺をお参りしていこう、と思う。

いや、ほんのちょっとだけ。

さて「編集集団140Bブログ」に対して「いや、ほんのちょっとだけ。」からトラックバックをいただいていた。

140B新ブログ講習会と世界の変化。

彼女はブログ講習を受講された当事者であって、先に「書くこと、に関しては140bはプロ集団であるので、コンテンツについて心配はない。」と書いたように、私なんぞ逆立ちしても書けないパロール的テクストをお書きなさる。

タイトルに「。」をつける人

しかし私が興味を持つのは、彼女のそのテクストのスタイルではなく、タイトルなのだ。

140B新ブログ講習会と世界の変化。

このタイトルをよくご覧いただきたい。タイトルに「。」がついている。

それは(彼女のブログをみると)他のエントリーのタイトルにも「。」がついていることで、(彼女は)存在することの習慣として、ブログタイトルに「。」をつけないと気が済まない人であることが窺われる。

なぜ「。」をつけるのか

じつは私も同じなのだ。

私は全てではないが、90%以上の確率でタイトルに「。」をつける。では、それは何故、と自問しても、「そうしないと気が済まないから」というどうしようもなさ。

ただ、その「どうしようもなさ」をもう少しだけデコードしてみれば、それは「船の錨のようなものだ」という比喩になる。

(私は)ディスプレイ上に浮遊するテクストとしてのタイトル(船)に、落ち着き(錨」としての「。」をつけないと、どこかに流されてしまうようでどうしようもないのだ。

そしてテクストを吐き出した〈私〉も同様に、どこかに流されてしまうようでどうしようもないのだ。

それは、理論的なものであるわけもなく、感覚的なものに過ぎないことでまた「どうしようもない」のだ。