「私と民主党の小沢さんどちらを選ぶのか」と安倍さんは言ったのだけれども、選ばれたのは小沢さんでもなく、もちろん安倍さんでもない。

午前7時起床。浅草はくもり。

今朝は参議院選挙のことを書くのはよそう、と思った(一応自民党支持者なので)。しかしこんなメールをいただいたら、選挙のことに触れないわけにはいかないだろうな、と。

ものすごく久し振りにmailいたします。先生が学んだ福島市のの○○です 知事の逮捕以来、ダンピングと入札同額でのくじ引きという当たり外れのギャンブルと化しています。

我々は「わらじ祭り」や「福島花火大会」、「二本松の菊人形」などなど、各行政区単位のスポーツイベントにまで協賛金を提供しきましたが・・・限界です。

一般競争とは、一般市民のイベントにまで影響を及ぼすものです。今日は選挙dayですが、私白票を投じてきました。

今年で33歳ですが、土木での立身は不可能のようです。つまり!公共事業は流行らないってことですね。 23歳から自民党員としてやってきましたが、今年から党会費4000円すらやめました。

私の父親の党友1000円もやめさせて挑んだ選挙でしたが、父親は律儀に自民党に入れておりました。 地方の落日はゆっくりと、地方の住民の結束の解体をもって実行されつつあります。

私は今回の自民党の敗因はここ(このメール)にある、と思っている。それは先に自民党の集票力が衰退していること。で書いた地方での自民党の集票力の衰退である。

そして安倍さんのプラグマティックな共感性の無さ(庶民感覚の無さ)が、それを加速してしまったように思う。

今行われている選挙の争点は、年金問題とか、政治と金の問題とかいわれているけれど、それは開発主義の解体とともに深刻化する格差(「負け組」の拡大)が生み出す不満の吸引先でしかない。

安倍内閣に対する不支持率の増加の根源的な原因は、格差の問題に対するプラグマティックな共感の無さ(庶民感覚の無さ)にあるのだろう、と(私は)思う。(「格差社会の世渡り 努力が報われる人、報われない人:中野雅至。」)

今回の選挙を象徴するフレーズは、「私と民主党の小沢さんどちらを選ぶのか」という安倍さんの苦し紛れ的二項対立だろうけれど、選ばれたのは小沢さんでもなく、もちろん安倍さんでもない。

ただ否定されたものだけが存在する。

それは小泉純一郎が決定付けてしまった日本のネオリベ化と、それに伴う第四象限の破壊である――労働者は肉体的に搾取され、家族は崩壊、コミュニティは荒廃した。

小泉さんは、自民党を単なる二分コード(官から民へ)の政党にしたことで、内部にオルタナティブを持たない、「種の論理」からすれば、ほんとうに虚弱な政党にしてしまった。

(派閥がなくなっていることで、常に抵抗する勢力を抱える、という組織の複雑性、深みがなくなってしまっている)。

なので安倍さんが、続投する、といえば、それを否定する力さえ自民党にはもうないのである。(政党――というか組織としては末期症状だ、ということだろう)。

そして安倍さんはこういうしかない。

「改革を進めるため、これからも責任を果たしたい」。 (辞めたくとも辞められない)。

でもね、改革か逆行か、と安倍さんはいったけれども、三歩進んで二歩下がる、とみんな知っているのでございますよ。