そして感じるのは、あきらかにうまくなっている(ような気がする)。
去年は退院したばかりで、あまりあてにはならないコメント付きだが、うまかったのはよく分かる。今年はさらにうまいというのだから、これはどうしようもないな(笑)。
麺はうどんと同じようなストレートな中太麺で、チャーシューは豚バラだが5枚も入っている。それに煮干し入りの黒いスープがなみなみと注がれていて、脂の気配は微塵もない。その姿は、青森煮干し中華そばだよ、さあ、くってくれと云うようにだ。
しかし「中」の量は1.5人前なんだそうで、それを全部食べようとすると、しまいにはあたしの胃袋が痛くなってしまった(泣)。あたしはすっかり小食になったのか(?)、反省に見舞われて、次は「小」を食べてみようと思ったのだ。 [浅草グルメマップ] [浅草でランチ]
中華そば つし馬
台東区浅草1丁目1-8
03-5823-3181
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30分という練習のような時間だが、やっている方は至って真面目に取り組む。構成は2部構成とし、前半は『この一年間』について、後半は『相撲協会と建設業界』についての話しとした。
http://www.momoti.com/data/BD100916.pdf (PDF)
http://www.momoti.com/data/BD100916.ppt (PPT)
前半はまだしも、後半はあたしの説明不足で、その上時間不足だった。橋邊さん曰く、「アジールの原理の説明、このビンタでは理解困難のようだ」である。
それはある意味当然、と言えば当然だし、あたしも普遍経済学を全く説明しないでアジールを説明しようとしたわけで、(心配した通り)見事にそれは失敗してしまった。
宮崎地区建設業協会なら大丈夫、と考えた処に無理があったわけだが(勿論理解できた人はできたろうが)、これと同じような講演を、今後も(出来れば何度か)続けたいなと思う。あたしは確実に戻ってきている実感がある。後は経験が必要なのだ。
]]>皆川賢太郎&村上愛子夫妻に、森理世さんがゲストとして紹介されて、28日に発売される「ドイツ メルツェンタイプ」にまつわる話しをしてくれた。それぞれ楽しい話しであったが、皆川さん何かようすが少し変だな、と思えば、もう既に一杯やっていたとのこと。うらやましいじゃないか。
そしてその後にみんなで乾杯ならぬ、「O’zapft(オーツォップフト) is(イズ )!(バイエルン方言で「酒が出たよ!」の意)と云って杯をかかげる。あたしがなんでビールのイベントが嫌いか……けして嫌いな訳じゃないが(笑)、と云うと、この瞬間のうらやましさにある。こんなことをしているのなら、あたしが飲んでしまいたい。
これはたまらん、あたしも一杯……といきたかったのだが、この日の夜は予定あったのだ(残念)。「アサヒ世界ビール紀行」~ドイツ メルツェンタイプ~は世界最大のビール祭りオクトーバーフェストで飲まれるプレミアムビールだそうで、力一杯飲みたかったぞ。
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]]>墨東病院は(脳梗塞で)あたしが入院した病院だが、今更ながら「でかいなぁ」、と思うのは、思考がまともになってきた証拠だろう。この間まではなんだかよくわからない病院のままだったのだ。
楽天地の入っているビルを2階に上がると、そこは居酒屋らしく、それも値段のあまり高くない居酒屋にみえた。
けれど従業員教育はしっかりしており、あたしが店に入ったときも、しっかりと挨拶をしてくれたし、オーダーから最後の支払いまで、きっちりとした店だな、と思えた。
水曜日のランチは2種類で、ヒレカツと刺身の定食である。どちらも780円であるから、まあまあの値段と云えるだろう。わたしはヒレカツ定食を頼んだ。
味は可もなし不可もなしというところで、750円のとんかつ 洋食 春の定食の方が数段うまい。これは間違いのないところで、味の差は如何ともしがたいのだった。
楽市 錦糸町店
東京都墨田区江東橋4-27-14
03 3634 1305
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明日は病院なので(またか、なんて思わないで欲しい。4ヶ月に1度になった目の検診なのだ)、今日が実質最後の日なのだった。
演題は『相撲協会と建設業協会』。
退院後二度程やってみた講演は、どちらもあまりうまくいかず、あたしの期待を裏切るには十分であった。
今回は、たった30分の講演であるけれど、今度こそはの祈りを込めて講演に向かう。向かうからには練習もしなくてはならない。
ただ練習しようにも、ようやく講演内容がまとまったのが昨日という案配で、これまたどうするのだと。間に合わないではないか。
]]> アジールアジール概念を使って相撲協会と建設業協会を説明しようと思った。なかなかナイスなアイディアだと思うが、アジールってなにかを説明しなくちゃならないのだろうか、と考えたら思い切り滅入る。
しかしそれ以外に相撲協会と建設業協会で起きた様々な問題を説明できる手も考えつかなかったので、そのまま使うことにした。
ただアジールという言葉は使わない。2つの原理を並べるだけだ。まずはアジールの原理としての「組合の原理」。
そしてもう一つはその対立概念 「共同体の原理」。
そしてこの二つの原理は弁証法の様に動く(「組合原理」は「共同体の原理」を下敷きにしている)。これはあたしの思想の基本であって、これをみんな忘れているのだと。まあ、これで分かってもらえてたら儲けもんなのだが。
]]>書くと云っても、ペンで紙をなぞる様なものではなく、もっぱらタイプしているのが常なのだが、去年脳梗塞で倒れたあとも、3日間ほど休んだだけで、とにかく何か書こうとしている。
8月10日(入院して4日目に)ブログを(入院後)はじめて書いた。
この日のことは、今でも記憶の片隅にある。
書いたあと、パソコンを訳も分からずいじくり回し、設定をめちゃくちゃにしてしまった(MovableTypeの設定を何カ所か消したのだが、それを復旧させたのは半年後である)。
]]> そして今読んでも哀しいくらいに率直な2行がそこに残っている。8月10日(月)。起床は6:30起床。病院に入院して4ヶ目です。
9月に予定しました12日の縁日は予定どおりにおこないます。
その頃のあたしのブログは、なせか1日のアクセス数が5000を越え(今は2500程度だ)、一体何が起きているのか訳が分からなかった。同じように分からないのが、当時の文章だ。
しかし今ではほぼ普通に(読める)文章は書けるけれど(それでも全盛期の75%程度であるが)、当時と同じ文章だけは書けないのだ。
3週間程も前に、ふとこれは私の手元にやってきて、ずっと側に有るかのように、まるで子供の頃からの物のように、私の手元に、なれていた。
そう言えば、こうしていえるのは、二度と見えないものばかりだ。 2009年8月31日「入院当初」
これも、文書を打たずにはいられなかったあたしの「かなしい」注1 ではないか、とは思うけのだけれど。
滝田ゆう(著)
1988年3月29日
筑摩書房
1208円(税込み)
先日、鉄蔵さんから借りた2冊目の本、『寺島町奇譚(全)』をようやく読み終えた。先の『猫楠―南方熊楠の生涯』を1日で読んでしまったのに比べれば、嘘みたいに時間がかかった。
面白くなかったのか、と聞かれれば、「いや、とっても面白かった」、と答えるしかなく、なせ時間がかかったのか、と言えば、毎日寝る前に読んだのでこうなてしまった、と答えるしかないだろう。
しかし何とも言えない滝田ゆう氏の自伝的作品だ。戦前の玉の井が生き生きと描かれている。
玉の井駅は今の東向島駅のことで、あたしがかよっている鐘ヶ淵駅の1つ手前である。雨でズブ濡れの玉の井駅のアップの絵なんかもあったりして、(見たこともないのに)何か懐かしく感じる。何にも知らない様なあたしでも、あのあたりに何があったかはよく知っているわけで。
今は店が壊されてしまった酒場遺産の「大衆酒場亀屋」の造りが、この漫画のスタンドバー「ドン」によく似ているという鉄蔵さんの意見も、なるほどよく分かるし、故カントク(亀屋の店主)の玉の井の話しもなつかしい。あたしたちの寺島町奇譚は、寺島町(東向島)ならぬ鐘ヶ淵を軸に回っていたんだな。
独特の滝田ゆうの吹き出しもおかしく、空襲で玉の井が燃えるラストの章は何度も読み返してしまった。
]]>先日、鐘ヶ淵の病院に行った際に先生に褒められた(あんまり褒められ慣れていないので驚いたのだが)。
それはHbA1c(ヘモグロビン・エイワンシー)の値が5.5と、この1年間、5.8~5.4の間で、きわめて安定していたところにあったからだ。
それで先月インシュリンの量を減らしてもらっていたのだが、今月ついに一日1回打ちの許可をもらったのだ。朝一回になる。一年間かかったがようやくである。
最も、まだ使用中のノボリンRとノボリン30Rがあるので、使用は、片方でも使い切ってからなのだが、今月の半ばには空になりそうなので、今から心待ちなのである。
1回打ちのインシュリンは、ランタス注ソロスターと云って、大きさも使用感もノボリンとはたいして違わない(そうである)。ただ1回打ちとは云っても、これは試験のようなものなので、こまめに血糖値は測らないといけないのだ。
体にあわなかったら、即、以前に戻すそうで、なんとか体にあうといいな、と思っている。一日3回と、一日1回じゃ、全然違うのがインシュリン注射なのである。
]]>この日は雨で、あたしもずぶ濡れ状態、なんとも気が晴れぬままに店に入る。
「何にしましょうか」、と尋ねられ、何時もと同じタレー パット ポンカリーにしようと思えば、店の奥さん曰く、「おすすめがありますよ」、とのことで小さな写真を見せてくれた。
それには「ブン ティット ヌン」というクロープクルア スタイル ベトナム 冷やしヌードルが写っていたわけで、(新しもの好きなあたしは)早速それを頼んで食べてみた。
あたしは「ベトナム 冷やしヌードル」っていうよりも「ベトナム 冷やし中華」を期待していたのだが、ちょっと違っていた。姿形は写真のママで、レモンを搾り、容赦なく、ソテーした豚肉、もやし、キャベツ、にんじん等と混ぜ合わせると、あーすっぱい!でもうまい!
クロープクルアは(本当に)何を頼んでも外れが無くて、あたしは6年間、この味にやられっぱなしなのである。 [浅草でランチ] [浅草グルメマップ]
クロープクルア
台東区浅草1-33-4 斉藤ビル2F
03-3847-3461
久しぶりの雨の日、この雨は何時依頼、と思うが、今日は鐘ヶ淵まで先月の検診の結果を聞きに行くのだ。
昨日、八木沢さんから「ぶどう」が届いた。今年はじめてのぶどうだ。
八木沢さん、その後かわりはないのだろうか、と思う。きっと元気にやっているのだろう。
ぶどうをありがとう。これがあたしが書ける精一杯の元気づけだ。
]]>一昨日は飽きもしないで山口家のたんめんを食べにいく。何時もと同じ味で全くうまいと思うのだが、あたしのインシュリンの量は確実に減っていて、以前ならたんめんだけだと低血糖になってしまったけれども、このところはたんめんだけでOKになった(これが当たり前だと思うけれど)。
ラーメン類(に限らず)は、うちの近所がいちばん旨い、というのがあたしの(勝手な)街的の法則で、余所で色々食べるけれども、結局うちの近所は格別に旨い(ような気がするのだ)。それはどう考えてもおかしいのだが、そうなんだから仕方がない。
というわけで暑いのにもかかわらず、今日も山口家へたんめんを食べにいこうか、と思っている。
山口家本店 |
水木しげる(著)
平成8年10月25日
角川書店
660円(税別)
昨日鉄蔵さんと(久しぶりで)カフェバー エープラスで会い、そこで本を2冊お借りしたのだ。その本というのが2冊とも漫画で、あたしの今の状態をよく知っているかのようである。
そのうちの1冊が水木しげる氏の『猫楠―南方熊楠の生涯』で、文庫版の大きさで428pもある。これを帰宅後読み始め昨夜のうちに読了し終えた。
南方熊楠と云えば、(思考構造に関する限り)強烈な対称性論理の人であり、「粘菌」という不思議な生物に魅了されていた生物学者である。その生物学者の英国留学から臨終までを見事に描ききっているなぁ、と思えた。
密画の(様な)背景は相変わらずで、そこの略画の人物(と猫)が居る。凄い絵だな、と思う。
再度引用するが、大森荘蔵氏曰く、略画的世界観とは、近代科学成立以前の物の見方、すなわち非科学的、呪術的、擬人的、アミニズム的と云ったマイナス・イメージをもって貶められている世界観のことであり、ずばり水木しげる氏の書く妖怪達の世界のことである。
この漫画には妖怪達はそれほど出てこないけれど、妖怪のような南方熊楠がでてくる。だからこそ水木しげる氏が書いているのだが、その妖怪達のように、自然にフィットし、ユーモア好きで、猥雑なことが大好きで、純粋で、お人好しである熊楠を書けるのは水木氏しか居ないのも確かだろう。
それとこの本の解説は中沢新一氏が書いている(他に荒俣宏氏)。今、日本で、「南方熊楠」といえば中沢新一なのだが(ほんとか)、漫画界を代表してそんな中沢の役目をしているのが水木しげる氏なのだろうか、ふとそんな気がした。
]]>講演はあまり得意ではないけれど、されど30分の持ち時間なので、リハビリの意味合いを込めてやらせてもらう事にしたのだ。
演題は『相撲協会と建設業協会』とした。
これは先日、岩手県建設業協会に行ったときにヒントをもらっていたもので、何時かやろうとしていたものだが、あまり時間が経っては意味もなくなってしまうので、ベストのタイミングだと思う。
ただ講演の内容は、普遍経済学の三位一体の「贈与」の輪の中のはなしと言えるもので、それほど広がりのあるはなしとは言えない。
結局、相撲協会も建設業協会も、他人の目からみるとよく見える(た)わけで、そのあたりをどうしたらおもしろく聞かせる事ができるか、ということだろうか。
]]>早速部屋の鍵に付けてみたが、なかなか具合がよいようだ。わたしはキーに付けっぱなしにしてポケットに入れて持ち運んでいるが、特に違和感はない。
違和感がない、てことが(あたしの場合)一番大切なことなので、これは(壊れるまでは)鍵と一緒に過ごすことになりそうである。次郎さん、ありがとう。
]]>]]> あたしは「ブリコルール」ということばの意味が何だか分からなかった。早速ウェブで調べると、それは「ブリコラージュ」と併記されていた。確かによく書いていますね。 何かを書くということは、
ジグソーパズルの完成図をあらかた措定していて、そこに言葉のピースをあてはめていくというものではないですね。 むしろその時の言葉を手当たり次第たぐり寄せて(ブリコルール)
、その言葉を足場にしてものを考える。 書かれたものは、自分が何を考えたかの足跡みたいなもんで、 それも事後的にしかわからない。 それしか残ってません。
『ブリコラージュする職人などの人物を「ブリコルール」(bricoleur)という。 』注1
あたしは思わずため息をついた。
なんでこんな簡単な言葉を覚えていないんだろう。
あたしの脳みその中では、使っていた言葉がある瞬間に消えてしまうことがある。昨日もタクシードライバーに「千束通りまで」ということがどうしても言えなくて困ったのだ。今なら言えるがその時だけは忘れてしまう。
ましてや「ブリコルール」、いったい何時使ったのかも忘れているような言葉である。江弘毅からコメントがついて本当に嬉しかった、とうか助かった。ありがとう。