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店主戯言0031001 2003/10/01〜2003/10/15 "There goes talkin' MOMO"


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2003/10/15 (水)  
【早く家へ帰りたい】

昨日の雨が上がって、今朝は朝焼けが綺麗で、おもわずミラーマンの歌を口ずさんでしまった神戸で朝なのである。
今日は、大垣のCALSセンターへ向かい、宮崎地区建設業協会の方々の視察研修である。

■桃論

伊藤さまからのメール。

博多の紀伊国屋書店で「桃論」を見ました。
はじめて店頭で見ました。思わず「おーっ」という声が出て、近くに居た人から、しっかりと見つめられました。
そして、ポケットに入れていたデジカメで書棚を撮影したものですから、また、同じ人から、にらまれました。
あとから、桃知利男の名前で検索しましたら、「桃論」と日経BP社のITの本(書名、忘れましたm(__)m)と二つ登録されていました。
桃知さんには、見慣れてそうでもないと思いますが、とりあえず写真を添付しておきます。
では、ご自愛ください。

それは、にらまれるわなぁ。(笑)
『桃論』が世に出てまもなく1年、書店で見ることはまったくない不思議な本なので、私的にはうれしい。
そろそろ次も考えなくてはならないなぁ、と思うのだけれども、次作待望論は聞いたこともない。


■気仙沼次郎

ミルキーさまより。
 一昨日は主人がお世話になりましたm(_ _)m岩手県のみるきい こと○○○○です
 もしかして有明大会はいらっしゃるのでしょうか?
 「ヨネ原人対ウィリーウィルキンソンJr.」戦が決定したそうです(^^)/
 それを聞いた瞬間「行きたい!」と思わず叫んでしまいました・・・気仙沼二郎の
 掲示板でも「台車はでるのか!」「やっぱり有明行く」と盛り上がってます(^^:
 今負傷したサスケのかわりに気仙沼二郎として戦っているのですが、その動きが
 往時を思わせるくらいよく、また人気も高いので決まったのかもしれません。
 と、いうことで以前メールでお知らせしましたのぼりがこのようにできました↓
 http://member.nifty.ne.jp/ARARETAN/gazou/hana.html
 今シリーズ選手が少なくて(;_;)若手がみんな第一試合からかりだされてしまうので
 手の空いたファンが呼びかけて日替わりでのぼりをふって応援してます。
 一般の人にはわからないかもしれませんが、こういうメジャーじゃないけれどみちのく
 を支えてきた選手をファンがまた応援しつづけているのが(ヨネ原人の頃からという
 人が多くて(^^:)みちプロの特徴かもしれないと思っています。

                     みるきい

有明は近所である・・・。問題はその日東京に私はいるのか、ということなのだな。


■長野県松本では

今日は、建設ITフォーラムin松本にて、桃組からは、郡上建協の平井さんと内藤建設の村田さんが敵地(笑)に出向いて講演をされる。http://www.shinkenpress.co.jp/kensonet/cals/

郡上建協も内藤建設も岐阜県代表のようなものである。
長野県の現状では、郡上建協や内藤建設のような取組みは生まれ得ないだろうが、それを発注者が理解できればよいな、と思っている。

その可能性は小さいものかもしれないが、一石を投じてきていただきたい。
波紋をおこせである。

業界にIT化を・・・といっても、IT化がインセンティブになるような環境を準備するのは第一義的に行政なのである。
長野県は、いっちゃ悪いがIT化が合理化や効率化のものだとしか考えていないようだ。(そのようなIT化は、環境によって閉塞する)

自らをLinux的と言っている知事がいる割には、お粗末極まりない。
つまり、全てが得意の自画自賛なだけであって、県民をLinux的に導けない、行動の伴わないLinux的っていったいなんなんだろう、と思う。

私は、Linux的だから優れているのであって、そうでない下々の者はひかえおろう、とでも言っているのだろうか。

この話題は腹が立つ。
ひとりで腹を立てるのもつまらない。

ということで、今日ははやく家に帰ろう。

2003/10/14 (火)  
【再読・宮本常一】

cover『庶民の発見』講談社学術文庫
宮本常一(著)
1987年11月10日
講談社



講談社は「こうだんしゃ」であるが、神田北陽が、お仕事は何を?という質問をされたとき、「こうだん」の方で・・・、と答えたら、道路公団ですか、都市住宅整備公団ですか、といわれた、という笑えない話を思い出してしまった。

桃知@新神戸オリエンタルホテルである。

最近の移動の友は宮本常一であることが多い。勿論、再読である。
今回の旅には、『庶民の発見』講談社学術文庫 を伴ってきたのだが、私にとっての宮本常一の面白さとは、再読にたえる、ということにある。

それは読み手(つまり私である)のキャパシティの具合によって、新しい発見や、ああそうだ、と合点できる、そういう新しい発見ができることなのだ、と考えている。(つまり、宮本常一は読み手によってどうにでも解釈できる、ということかもしれない。)

例えば宮本は、自身がおしゃべりであることを認めながらこういっている。

『私自身がおろかなものを多分にもっている。そして、どうしていいかわからないことがあまりにも多すぎる。だからこうしたかたちでものを言っておけば、みなさんからいろいろ教えてもらえるだろうし、仲間も増えるのではないかと思う。』(宮本,P6)

これは今の私には、とても含蓄のある言霊(ことだま)として胸に響いてくる。
この戯言の読者で、最近の私の講演に共感いただけた方々も、同感していただけると思う。

つまりこれはバルネラブルのことであり、そして、「広くて薄い紐帯」の基本となるコミュニケーション論の基本なのだと理解できるはずだ。そしてなによりも宮本は、それを実践した人なのである。

かつての私は、これをただ読み過ごしていた。その視点で宮本をみることができないでいた。
それは、己のキャパシティの狭さが、この一文に共感を持つことを許さなかったのだと思う。私の脳みその皺は、この一文をひっかける程深くはなかった、ということだ。

では、次の文である。

『・・・くふうの足らないということは、まず何よりも世間がせまいということからきていた。』(P64)

これは、キャパシティのことだ。
『バカの壁』(養老)風に言えば、「現実の重み」つまり、係数「a」のことだと私は理解したのだが、いかがであろうか。
それにしても「世間がせまい」ということばの凄みはどうだ。私が言う「失われた20年」とは、この世間のせまさではないのか。

では、以下はどうだろう。これは皆さんご自身で考えていただきたい。

『私はまずしい家に生まれたが、私の父の若いころはもっとまずしかった。・・・さんざん苦労したすえ病気になって帰ってきた。そのときしみじみ考えたことは、もう何処へも行きようのなくなった自分を迎えてくれたのは故郷である。その故郷をよくしなくて、どうして本当に自分たちの生活がよくなるだろう。まずは故郷をよくしなければならない、ということであった。そしてみんなにすすめて蚕を飼わせたり、ミカンをつくったり、信用組合をつくったり、いろいろ苦労して生涯を終わったのであるが、ここに重要な問題解決のかぎがひそんでいるように思う。』(P64)


自らを百姓と呼ぶ宮本の民俗学の旅は、常に、己の仲間としての民衆・庶民へあたたかいまなざしを持ったものであった。そのまなざしを持って、彼はバルネラブルを実践してきたのである。

このいわば、「生活者としての人間へのまなざし」こそが、宮沢常一をして、巷に溢れる権威などが及びもつかない、みんなで考えるべき多くの問題と、その解決への手がかりを提示しているのだと思う。

何度も書いたり言ったりしていることだが、経済学が生み出したふたつの問題解決方法には、この「生活者としての人間へのまなざし」が欠けているのである。私はそこに既存の経済学的問題解決方法の限界を感じているし、「公共工事という問題」の根っ子にはそれがある、と考えている。そして私は、その閉塞を打破する何かを求めて『桃論』書いたに過ぎない。

『私自身がおろかなものを多分にもっている。そして、どうしていいかわからないことがあまりにも多すぎる。だからこうしたかたちでものを言っておけば、みなさんからいろいろ教えてもらえるだろうし、仲間も増えるのではないかと思う。』


さて、熊谷さんからメールをいただいた。この戯言で熊谷さんと言えば、第一には、飯田のトライネットの熊谷さんである。最近では、北海道の二人の熊谷さん、つまり、東北建設の熊谷さんも砂子組の熊谷さんも元気ではあるが、今回の熊谷さんは岩手の熊谷さんなのである。なぜか、私の周りには、血の熱い熊谷さんが多いようだ。

先週、金曜日(10日)の岩手県建設業協会青年部でのご講演、誠にありがとうございました。
平井さんも遠い所からご苦労さまでした、です。

ホント、日本という国は、田舎から田舎へ移動するのにはとても不便なつくりになってますよね。

それにしても、このところの超ハードなスケジュールは、確実に桃知先生の体力を奪っているように感じます。
IT委員会等で1ヶ月に一度のペースで会っている我々は、いわば桃知先生のコンディションの「定点観測」を行っているような存在ですから、最初お会いした時と比べても、オーラの出方が確実にヤバイ方に向かっているように感じます。(-_-;)

それでも講演が始まれば、「いつでも、どっからでも、かかってこい!」モードに突入できるというのは凄い! 感服致します。

わずか1時間の短い講演でしたが、中身はとっても充実していたと思います。
講演のPDFは是非にアップロードして欲しいです。
よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m

で、講演を聴いていてよ〜く分かったこと。
私も「考えないおバカ」の代表の一人として存在していること。
今頃気づいたのか、とお叱りの声が飛んできてますが…、
それにしても4〜5つある選択肢の中に必ず正解が1つあるというお勉強をしてきて、なおかつ問題の意図すら理解できずに、当てずっぽうでえんぴつ転がして答えを決めていた類の私などは、常に選択肢の中に正解があると「思い込んで」おりました。

インターネットの普及で、情報収集の手段が一変した昨今、キーワードを放り込んで「検索」すれば、たちどころにたくさんの「事例」という名の「選択肢」がディスプレイされる。
そして、おバカな私はその中に必ず「正解」が存在すると思い込む。
自分にもたらされている課題に関する、最も的確な事例をもって「正解」とし、「お手軽」な問題解決にもっていこうとするこの安易さが、物事を考えない方に向かわせているように思う。
恐ろしい「習慣」の定着である。

先日、やっと『桃論』を手に入れた(書店での注文は、やはり時間がかかるの…)のですが、お手軽さから程遠いこの本を、少しでも脳みそに汗かかせながら読み込んでいきたいと思います。
それでは、来週またお会いしましょう。(^_^)/~

どうもありがとう。m(__)m
ご希望のPPTは本日「ダウンロードのページ」に掲示したので、ご活用ください。(パワーポイントのファイルだけれども大丈夫?)

ということで、私はこれから、高速バスに乗って洲本へ行って来るのである。

♪大型バスに乗ってますぅ〜♪ ・・・だなぁ。

2003/10/13 (月)  
【オープンセミナーのご案内】

溜まっていた「オープンセミナーのご案内」を一挙に更新してみた。
遅れてごめんなのである。

■2003年10月28日 北見土木技術協会 

■2003年11月5日 立川グランドホテル(東京) 

■2003年11月12日 大阪三人会

■2003年11月19日20日21日 中小企業大学校三条校 

それぞれのセミナーについての詳細は、「オープンセミナーのご案内」をご参照いただきたい( http://www.momoti.com/gyoumu/semi_annai.html)のだが、今回は、北見、東京、大阪、新潟と、なかなかバランスの良い配置じゃないか、と自画自賛していたりする。

たしかに、ここには九州、つまり南の方がないと思われる方々もいるだろう。でもご安心を。じつは私にはまだ隠し玉があって、11月10日には沖縄、そして11月29 28日には、恒例の桃熊会(熊本市)も予定されているわけで、ついでに書けば、まだまだ先の話なのだけれども、来年の2月には、四国は高知に講演にお邪魔する予定になっているので、南の方々も楽しみにお待ち頂ければ幸甚なのである。(ここで、だれが楽しみにしているのか、というツッコミはなしね)。

こんな風に、10月下旬から11月にかけては、以前からご依頼されていた講演や講座が並ぶし、コンサルテーション業務もおかげさまで順当に推移しているので、私はかなりタイトな移動を余儀なくされてしまっている。まあ、今迄もそうだけれども・・・(T_T)。だから、今は郡上にいるのだけれども、今晩は神戸にいたりしているのだ。

さて、今週の私の予定である。明日14日は、高速バスで移動し、兵庫建協淡路支部さまでシステム設定を行い、作業終了後神戸に戻り神戸泊。夜は、ジオさんは都合が付かなかったのだけれども、西原さんと、Xさま(謎)とで、大阪三人会の打合せを兼ねて懇親会の予定。

15日は、宮崎地区建設業協会さまの岐阜研修にあわせて、大垣の建設CALS/EC研修センターへお邪魔する。宮崎の皆さんは、CALSセンターさんと、向井先生の講義を受講し、私も少しだけお話をする予定。そしてこの仕事が終わり次第帰京する予定になっている。

― かつて私の講演は、4時間では足りず、追加で喋り続けることをその特長としていたし、それが良いものだとも思っていたのだが、じつは最近は短いのも結構こなせるようになったのである。最短記録は、前回の桃熊会での12分であるが、最近は、私の前に関与先さんの事例発表や講演を行うことが多く、その後、時間調整しながら私が講演する、というパターンをこなし続けていて、だいぶ勉強させていただいているのだ。(私の時間がほとんどない、というのもざらなのだ) ―

16日からは、北海道へ移動し、北海道4連戦。開幕戦は馬淵建設さまでのIT化勉強会である。17日は、不二建設さまにて打合せを行い。夜は、松浦建設さまにてIT化勉強会を行い、18日は、砂子組さまで、一日中お勉強。

19日は、午前中馬渕建設さま、午後から松浦建設さまでイントラネット(サイボウズ)の勉強会。この仕事が終了次第、帰路につく予定である。全社員向けのコンサルテーションの仕事なので、夜や土日に予定が入ってしまうのは仕方がないのだ。


こんな風に移動が続くときには、体調調維持に気を付けないといけない。いったん壊れたら、どうしようもなくなるのは目に見えているわけで、こうして綱渡りのような移動が多い時には、「危うきに近寄らず・・・」を社是として忠実に守っていかなくてはならないなぁ、と思う。つまり、お酒はほどほどに・・・ということなのだ(でも、これが難しいから困っているのだ)。

皆さんも季節の変わり目、体調にはご注意、なのである。

2003/10/12 (日)  
【こんどく(今週の読書)】

cover 『理系発想で経済通になる本』
和田秀樹(著)
日本実業出版社
2003年9月20日


9日にチラッと書いた、和田秀樹による経済学入門のようなトンデモ本である。

この本、紹介しようかどうかちょっと迷った。
経済学入門としては悪くはない、と思うが、入門書であれば、これよりよいものは沢山ある。

経済活動における人の心理的な側面からのアプローチという視座は、今の私には納得のいくものであるけれども、しかし、やっぱりというか、経済学が生み出したふたつの問題解決方法である、マーケット・ソリューションとヒエラルキー・ソリューションの対立という呪縛からは逃れられていない。

つまり、非常に中途半端な印象と、和田のどうだ俺はここまで知ってんだぞ、といういやらしさが鼻につく本なのだ。
まあ、それがなぜか、をまとめたら紹介する、と9日に書いたので、今回の「こんどく」に登場となったのではある。

さて、それ(マーケット・ソリューションとヒエラルキー・ソリューションの対立という呪縛)からは逃れられていない原因は、和田が強調する「理系発想」の限界であるようにわたしゃ思うのだ。

経済学なんていうのは、そもそも理系頭のものなのであって、全てが仮説と実践(実験)とその検証のサイクルから成り立っているだけなのだ。

いまさら、理系発想で経済通になろう、というようなものではなくて、数学ができないと、経済学なんて、ほんとうはチンプンカンプンなはずである。

そこに文系的情緒を持ち込むことに和田は批判的なのだ(そのいわんとするところはよく分かる。日経にしろ、竹中平蔵氏の主張にしろ、そりゃ人のこころを操作しているようなものだもの)。情緒的でありすぎることがまずいのは確かである。

だからといって、「理系発想」だけでいってしまえば、経済活動における人の心理的な側面は無視され(つまり、生活者としての個々の個人への視点がなくなり)、マーケット・ソリューションとヒエラルキー・ソリューションの対立という呪縛からはますます逃れられなくなってしまうのだ。

そもそも、和田が得意とする心理学っていうのは、情緒的なもをみる視座を持っている学問のはずじゃないのだろうか。それをもっと追求していけば面白いのに、心理学の先生が、ようやく理解した経済学の教科書的理論を振りかざすだけでは、和田のいう「役に立つ」経済の勉強にはならないだろう。(まあ、和田本の読者が文系的過ぎるので、わざとそうしているのかもしれないが・・・)

私は、本来理系的な経済学に、文系的情緒を持ち込むことによって、ようやく一般の方々からみえる経済理論があるのだ、と思っている。(政治経済学というときは、この部分がさらに強調される)

そして、私が講演でやる経済学のはなしも(「だれでも読める日経新聞」という漫談風のネタがあるのだが)、文系的情緒を(わざと)ふんだんに盛り込んでいる。

数式並べて博学ぶってもだれも理解できるものではないし、そもそも私の仕事はそういうものではないからなのだが、それは、私と主張を逆にする方々のやり方から学んだに過ぎない。

この前、岩手の向井田さんと子供の進学のはなしをしていて、今という先の見えない時代だからこそ、子供達には、フランス文学とか、ロシア文学とか、そういゆう社会では実践的ではない(といわれている)ものを勉強させるべきじゃないのだろうか、つまり文学部に入れようか、と考えている、というはなしをしていたのだが、わたしゃ、そういう文系的な情緒的なものを学んでから、経済を知ったほうが、新しい発想をしてくれる、キャパシティをもった人間が生まれてくるのじゃないかと思っている。

だから、「公共工事という産業」に従事している方々も、私は技術屋だから、で最初から逃げるのではなくて、積極的に経済を知ってほしいと思うのだ。

なぜなら、私たちは常に仮説の中で生きているだけに過ぎないのだから。

ところで、この本は9月20日発行であって、9日に紹介した本は、その50日前の発行なのである。
和田は多作である。物書きの端くれとしては、感心してしまうのだ。(というかうらやましい)

ということで、私は今日は郡上へお邪魔するのである。

2003/10/11 (土)  ▲
【ウレシイ大阪】

■盛岡から帰る

昨日の宮古での講演は、モバイル環境が悪いことを考慮して、主催者様が会場に無線LANを仮設してくださったのだが、生憎と私のX23は、無線LAN内臓ではなく、準備いただいたアダプタを差し込んでも、汎用のドライバが使えない、ドライバをインストールしようにもCD-ROMも内臓していないモバイル機の悲しさでそれも無理。結局は、主催者さまの配慮に答えられなかったわけだ。しかし、公演内容は、インターネットを使わないでもなんとかなったので、まあ、よしなのである。

一方、平井さんのVAIOは、無線LAN内臓で、なんの問題もなくブロードバンドが使えて、講演もめでたしめでたしで無事終了。岐阜県、郡上建協の取組みが何の気負いもなく語られた良い講演だったと思う。

講演終了後、一足先に私は帰路につき、盛楼閣で恒例の冷麺を食べ、8時39分発の新幹線で午後11時過ぎに上野駅に無事?ついた。

車中、おなかの具合が悪く、胃が痛む。本能的にちょっと一服しにデッキへ移動し、煙草を一服すると同時に放屁したら、だいぶよくなった・・・。プ・・・。阿保か。


■ウレシイ大阪

「ロケで大阪へ行く」というと、うちのかあちゃんの目がギョロリと光る。「東北へ」でも「九州へ」でも光らない。「大阪へ」でなくてはならない。ギョロリは大阪がオモシロイところであることを知っているから、警戒と牽制とを兼ねてギョロリなのである。私はその目を知らぬげに、さもオモシロクなさそうに、出かける。そしてやはり大阪はギョロリに値するオモシロサである。

これは、小沢昭一の『私は河原乞食・考』の書き出しなのだけれども、私が大阪三人会を大阪でやる理由も、これに近いものがあって、つまり、それは、「お前(私)が大阪にいきたいだけだろう」といわれるかもしれないが、そんなことはない、といってもいまさら説得力はないのである。

そして小沢昭一ならではの傑作な一文。

飛田の元遊郭付近の薬局のつきだし看板に、畳半畳くらいの大きな、大きな文字で、ひとこと。

ゴムあります。

バキューン!
ぎゃははは・・・・


■運動会

だいぶ前の某MLへの熊谷@桃人形作者さんの投稿。

日曜日に子供の幼稚園の運動会がありました。
この幼稚園には我が子2人が通っているのでお父さん大忙し。
最後にクラスの親御さん対抗の綱引きでロープに脇腹を強打、肋骨にクラックが入ってしましました。^^;
その甲斐あって(?)我がクラスは優勝! 頑張るお父さんを我が子に見せることができました。
自分としては「名誉の負傷」なんだけど、社員から「へなちょこ」扱いされてます。(笑)
笑うだけでも痛いので、結構きついです・・・・・^^;

みなさん、綱引きを甘く見てはいけません・・・・・・

私も今日は、そのようなものへ行くのだけれども、私は基本的に、「危うきに近寄らず・・・」を社是にしている個人事業主であるからして、何に引っ張り出されても一切無理はしない・・・予定である。

私はほかのおとうさんと比べると、年寄りだし、疲れきっているし、それに最近はひざが痛くて階段を昇るのがしんどかったりしているわけで、これ以上壊れると、今後の私の旅にも差し支えるので、今日は一日、かなり慎重に生きたい、と考えているのだ。

2003/10/10 (金)  
【@盛岡】

体育の日だった日だよね、たぶん。
盛岡のとある事務所に一泊させてもらって、さわやかな朝を向かえ、これから、コンビニに朝飯の買出しに出かける前に更新させようという魂胆の朝なのである。

ようやく、ということばがピッタシぐらいのていたらくで、オープンセミナーのご案内を更新してみた。
今回は、11月5日 立川グランドホテル(東京)11月12日 大阪三人会の二本を掲載してみた。

11月5日の立川は、をつけて、初めてのお知らせあることをアピールしているわけである。
これは、久しぶりの東京での講演なので、沢山の皆さんにおいでいただけると嬉しいのだ。

それから、ご存知大阪三人会
なぜか、北海道からの参加者は既に5人を数えておりますが、なぜか大阪からの参加者はまだ3人しかいないらしくて、ジオさんが、大阪でやる必要があるのかぁ、やっぱり大阪は鬼門や、とぼやいております。

まあ、私は是非大阪でやりたい理由があって大阪を開催地に選んでおりますので、せっかくですから、特に大阪のみなさんには、沢山お集まりいただけると嬉しいのでした。

ということで、今日は、岩手建協青年部連絡協議会交流会に参加し講演を1時間ほどし、その後、最終のはやてで帰るべく宮古から盛岡まで、上野さんに送ってもらうことに昨日決定した。(笑)

2003/10/09 (木)  
【依存のひと その2】

■依存のひと

浅草は、雲ひとつない晴天というか秋晴れというか、本当に空が青くどこまでも高く広がる朝を迎えている。
こういう日はなぜか心も軽いから不思議なものである。

今日はこれから岩手県におじゃまし、本日はシステム設定関係の仕事を盛岡市内で行い、明日は、宮古まで移動し、岩手建協青年部連絡協議会交流会に参加、講演を行う。

つまり、今日は盛岡泊まりなのだが、ホテルの予約を一日間違えてしまい(8日チェックインにしていた)、それに気付いたのが一昨日(新神戸から洲本へ移動する高速バスの中でだ!)で、本日のチェックインに変更してもらおうとしたが、生憎今日は満室でだめ。

急ぎ「旅窓」で空きを検索したのだけれども、盛岡はなにかイベントでもあるのか、空き部屋は見つからなかった。
それで、依存のひとである私は、急ぎ向井田さんにホテル確保のお願いをメールしたのだった。

そしたら問題は簡単に解決してしまって、具体的な話は伏せておくけれども、とにかく向田さんのおかげで、私は本日の盛岡の宿を確保することができた。依存しないとこうはいかない。★\(^^;

しかし、さらに問題はあって、それは、私は11日の朝までに浅草に戻らなくてはならない、という命題であった。
この問題を解決する最良の答えは、宮古から夜間バスで東京に戻る、なのだが、しかし、これもだいぶ前から満席状態で、現在向井田さんにお願いしてキャンセル待ち状態なのである。

若し、キャンセルがでれば良いが、キャンセルが出なかった場合、向井田さんのところの上野さんが、宮古から盛岡まで、最終のはやてに間に合うように私を送り届けてくれる段取りになっている。依存しないとこうはいかない。★\(^^;


一昨日の洲本行きの際、私はThinkPadのAC電源を忘れてしまった。
予備のバッテリーを一本持参したので、なんとかなるどろう、とたかをくくっていたのだが、案の定プロジェクタを使って説明している最中に、電源が落ちた。

早速、予備のバッテリーに交換したのだが、なんとしばらく使っていなかったためか、バッテリー容量はゼロ・・・。
うんともすんともいわない。まさにお先真っ暗とはこのことである。

そこで藁をも掴む思いでひらめいたのが、協会にあるNECのノートパソコンの電源を使う、という方法であった。
これはなんの保証もない方法なのだが、試してみたら動いてしまったわけで、こんな幸運はめったにあるものではない。

まるで私の人生のようなものだな、と思った。(笑)

その電源はそのまま私に拉致され、ホテルでThinkPadは腹いっぱいになった。そして浅草まで連れてこられてしまったのだ。(笑)

だから、昨日の更新が移動中ののぞみ車内でできたのである。依存しないとこうはいかない。★\(^^;
事務局様、お預かりのものは、本日宅急便でお返しいたしますので、お許しください。

ついでに、洲本でのホテルはエクシッブ淡路島であって、これは自力では絶対に確保できないホテルなのである(会員制リゾートホテルなのだな)。が、私は一人で3部屋もあるスイートのような部屋を使い(使い切れなかった)、ジャットバスで朝風呂とした。その上お支払いはとてもリーズナブル。依存しないとこうはいかない。★\(^^;
原田さま、いろいろとお気遣いありがとうございました。m(__)m


■甘えの力

私の生き方は、このように依存(depend)に負うところが大きくて、決して自助自立だけで生きているわけではない。
これは、土居 健郎先生のいっている「甘え」のようなものだと理解している。

私の生き方を市場原理主義者と呼ぶ方もおられるが、確かに私は市場原理主義者である。
ただ、その市場原理とは、新古典経済学派がいっているような完全に独立した個々人が、それぞれの利益だけを追求する、というような市場観を基にしてはいない。

市場は、人間(情報のといってもよい)の相互作用の場である。

私は、少なくとも、私の現在の仕事を通じて、そのことを理解し、その理解の上で、市場には、自助自立と相互依存の両方の精神が存在していることに気付いている。

cover成功する人の「甘え力」
和田秀樹(著)
集英社インターナショナル
2003年7月30日



和田秀樹の主張は、自助自立というアメリカの国是(のようなもの)が、日本という国で、はたしてそのまま通用するものだろうか、という疑問なのである。

和田は、精神分析の先生なので、「甘え」は日本の文化だ!とし、「甘え」のもつ力を、肯定的にお得意の心理学を駆使して、考察している。

和田のいう「甘え力」とは、土居 健郎先生のいっている「甘え」のことであり、いいかえれば、それはコミュニケーション能力のようなものなのだ。和田は「場をよむ」という概念でこれをかたる。

「場」とは、自分自身の経過(過去との因果関係)を含む環境のようなものであるから、これはなかなか同じようなもの(パターン)はないのだけれども、そういうなんだかよくわからないものをマネジメントする力があるとすれば、それは自助自立というようなものではなく、むしろ「甘え力」(私はそれを依存のバランス感覚のようなものと捉えている)なのかもしれない、ということだ。

つまり、これはある意味私のいう「ミーム論」のようなもので(勿論、ミームということばはどこにもでてこない)、当然、わたしゃなんとなく納得できるわけで、まあ、こんな展開はとても個人的には大好きなのだ。(それが正しいのか間違いなのかは、別問題ではある)

和田には、この考え方をベースにした経済学入門のようなトンデモ本があって、それは読みやすい『桃論』のようなものなのだけれども、なぜか『桃論』とはいくつく先が違うところがあって、その違いは何故なのか、を今考えている最中なのだ。ある程度、その辺りのはなしができるようになったら、後日紹介したいと思う。

しかし、世の中、色々な考え方があってこそ面白いのだなぁ、と感じる本なのであるし、私のようなものの生き方さえ肯定的に考えさせてくれる本なのである。鬱病向きかもしれない。★\(^^;


さて、私ときたら相変わらず宮本常一関係を読んでいる。
なにものにも頼れない自分、なにものにも依存できない自分、というものを考えてみてほしい。

それはなにも信じるものがない自分や、なにも守るものがない自分を意味するのだけれども、宮本常一のいっていることとは、そういうことなのだな、と最近理解し始めてきているのだ。

ほな、股。である。

2003/10/08 (水)  
【おにぎり大好き】

桃知@のぞみ2号で、蛸むすびに食らいついている、です。

のぞみ2号は新神戸駅を8時38分に出るわけで、洲本にいた私が、これに乗るには、5時30分に起床して6時50分発の高速バスに乗ってやってきたわけであるからして、それはもうはっきり言って眠いのである。

当然朝ごはんはまだなので、腹は減る。なので、取り急ぎおむすびを食べていた。
しかし淡路屋のおむすびはおいしい。

今は鮭を食べているところなのだが、これはいわゆる花むすびであって、まあ、お鮨の軍艦巻きのようなおにぎりを想像してもらえばよいだろう。

そして今は牛肉しぐれに食らいついているわけで、そう、私は食べながらこれを書いているのだ。
(本当は「おにぎり」と書きたいのだが、淡路屋のこれには、「おむすび」と書いてあるので、今回はこれに倣っている)

おむすび(おにぎり)は、とても利便性の高い食い物である。

昨日も、新幹線の中で自家製「おにぎり」を食し朝食とし、高速バスでは、新神戸駅で購入した「天むす」を食べ昼食とした。

移動中に食するもので、これに勝るものはない。
狭い車内で弁当箱を広げると、私のようなモバイラーは、パソコンの置き場に困るのだが、おにぎりは食べながら文章を打つなどという、非常に行儀の悪い行為が簡単にできる。

そして、ちゃんと米が食え、なによりもゴミの出る量は極端に少ない。

というところで、まもなく京都である。
飯も食べたし、今ほど珈琲も手元にきた。そして今日は喫煙車両。

一服したら、あとは寝る。

2003/10/07 (火)  
【依存のひと】

郡上桃塾にも参加していただいた北海道の小川さんからジャガイモをいただいていて、これが次のような按配なのだ。

今年 当社では土壌改良剤(オイルゲーター=菜花苑)の実験農場を作りまして(わずか1反ですが)
男爵イモが沢山収穫できましたので お毒見を お願いいたしたく思い 2種類を送付いたしました

土壌改良剤ありと無しです多少味に違いが有るように思われるんですが・・・・・・・
1つのお鍋の中にキッチンペーパーを中仕切りにして同時に2種類 塩茹でにして下さい

オイルゲーターの実力はケーセラさんの春夏秋冬独り言 9月28日付けをご覧下さい

全国各地で美味しい物を食べなれている 師匠の舌をお借りしての味の比較実験です 凄いことですね
化学農薬・肥料では無く 植物の毛根に力を与える 微生物ですので危険は無いでしょう(笑)
小川家4人たらふく食べましたが いたって元気ですので ご安心を

次にお会いできる日を楽しみにしております 宜しく ご笑味?お願い申し上げます

じつは私はまだ食していないのだが、家人はすでに食べ比べたそうで、確かにオイルゲーター使用の方がおいしい、とのことだった。

私の部屋の消臭剤が、小川さんのところのバクテリアで、実によく効く、という話は以前にも書いたけれども、恐るべき生物兵器の威力なのである。

これで、頭のよくなるバクテリアとか、お酒をたちどころに水と二酸化炭素に分解するバクテリアとか、そういうものがいたらいと嬉しいなぁ、と思うのだが、なにかちょっと怖い気もするなぁ。


ところで、昨晩は少し寒気がして風邪かな?と思ったので、平和建設の長谷川さんからいただいていた、ハイアンプルと葛根湯にビタミンCまで飲んだら、今朝はかなり回復していたどころか、元気でさえあえる。(笑)

夏の疲れが出てきそうな天候になってきた今日この頃、体調維持には気をつかわなければ・・・、と思う。


さて、昨日は、郡上のホテルに忘れてきた郡上建協さんからのお土産(ハム)は、北沢さんが宅急便で送ってくれたものが届いた。

先には、岸本組の岸本社長から、お米が沢山届いていたわけで、こうして私の生活は依存によって支えられ、いただきものだけでも食うには困らないし、ある程度の健康維持もできているのである。

今という時代は、宮本常一が「忘れられた日本人」や「日本残酷物語」で描写した貧しい日本とは隔世の感である。

かつて「飽食の時代」などという流行語もあったが、台東区のホームレスの方が餓死した、というような話も聞いたことはないし、たぶん、今年の東北は、昔だったら飢饉の年になるのだろうけれども、餓死したり、娘を売りに出すなどということが起こるわけもない。

これは悪いことではないはずである。
そして、この仕組みを作り上げてきたのが、開発主義であることも確かなのだ。


さて、今日の私は、上野 08:31〜08:39 東京 のぞみ9号 08:50〜11:41 新神戸 、それから高速バスで洲本へ向かう。
兵庫建協淡路支部IT委員会の皆様と今後の活動の打合せである。

今日は淡路島に宿をとる。

2003/10/06 (月)  
【今日は私の時間】

今日は、若干の事務的な仕事はあるものの、基本的にはなんの打合せもない、私のためだけに用意された一日が過ごせるわけで、日中はマッサージにでもいこうかな、と考えている、まったりとした朝を迎えたわけで、結構幸せな気分だったりしている。

10月3日4日の岐阜遠征について。

3日は、岩見沢建協の皆さんの岐阜勉強会第一日目で、岐阜県建築士事務所協会の向井先生の熱の入ったお話しを、法大HELP以来の拝聴させていただいたが、相変わらず、本当にうまい講演をされるなぁ、と関心させられた。

それは実際に行ってきたことの「反省」という行為でしかないのだけれども、そこには実際にやってきたものだけが醸し出す確信のようなものがあって、聴く者の心を惹きつけるのだ。

ということで、向井先生の熱弁で、私は喋る時間はなくなってしまっていた。
岩見沢建協の皆さんには、明日、私は喋ります、とお約束して一日目の研修を終えた。


4日は、午前中に郡上建協に着き、平井理事から郡上建協の取組みを、岩見沢の皆さんに対してお話いただく。
昼食は当然のように吉田屋のうな丼(あいかわらず絶品!)。

午後からは、郡上桃塾最終回で、これに岩見沢建協の皆さんも特別参加。
まずは、北澤さんから、長野県の現状をお話いただく。

今回は、岐阜県職員の方々も参加され、北澤さんの熱のある講演を熱心に聴いた。
北澤さんの長野県を思うエネルギーは、予定していた講演時間を倍にしても充足することができなかったのだけれども、長野県で起きていることが、じつは生活者としての人間の営みを考えていないものであることが実感できかと思う。

ハードランディング政策が、かなり実験的なものであり、生活者として「公共工事という産業」に従事、関連してきた一人ひとりの人間の生活に視点がないことは確である。

その批判防御のように、田中知事が、宇沢先生や神野先生、そして金子郁容先生の名前を、まるでブランド品で装う様に使うことに対して、私は深い悲しみと怒りを感じている。

これについては、とても片手間で書けるようなものではないので、また時間のあるときにでも、改めて書きたいと思う。

この日は、熊谷さんの都合が悪く、代わりに、岩見沢建協の松浦副会長から、岩見沢市の現状をお話いただいた。
岩見沢市は、官製談合防止法を初適用されたわけだが、岩見沢市で起きている事実もまた、「公共工事という産業」に従事し関係している方々にとっては、とても示唆に富むものだったと思う。

いったい、今という時代は、「公共工事という産業」をどうしようとしているのか。
その中で、「公共工事という産業」は、ただ時流に流されるだけなのか。

というわけで、この日も、私の時間はなくなってしまっていた。
それで、郡上桃塾は急遽補習を準備することにしたのだ。

2003/10/05 (日)  ▲
【今日はおやすみ】

写真は、昨晩の郡上桃塾懇親会にて。
貴乃花親方も同席されていたのだけれど、写真は撮っていないのだなぁ。

うどん星人1号さまより。

昨日はお疲れ様でした。
いやぁ〜楽しかったです!

なんだかわかりませんが、とにかく楽しい夜でした。

(ざっくり)


きっかけはどうであれ、桃塾に発注者側の方が同席され、長野の発注者・受注者どちらにも恐ろしい状況の、生の声を聞かれたことは少なからず影響はあるのではないかと思います。

F2F・・・素敵ですね。
大阪へも、何とか参加できればと目論んでおります。

補講楽しみにしております。
すっごい内容との前振りでしたので、心してかからせていただきます。

ということで、今日の私は完全休業日。

ところで、柴田山親方(41歳 写真)は、今年一杯で30キロ近くおやせになる予定だそうである。
結果が楽しみなのである。

2003/10/04 (土)  
【今日は郡上へ】

桃知@岐阜でおはおう、なのである。
ちょっとお疲れ気味ではあるがまだまだ元気なつもり・・・である。

北海道の熊谷さまより。

本日の戯言、同感でございます。
多くの経営者層は、新しい人との出会いも多いでしょうし、成功された人達と
会話をする機会も数多くあることでしょう。、そこには初めて感じる空気や刺激
も多く、 そこから得た情報や動向を、自分の目でしっかりと見極め成長して
いくのだと感じています。しかし、経営者だけが旅に出て刺激を受け成長しても
狭い世間しか知らない社員は、その成長についていけないものです。
多くの経営者は、そのことに気付いていないのかもしれません。
これは動きの鈍い社員にも問題があります。

旅によって自ら得る情報は、脳味噌に伝わる刺激がぜんぜん違いますから、
新たな発想や、やる気という扉が開くようなものだと感じています。
狭い日本列島ですが、世間はとてつもなく広いですよねぇ。

よって私は海馬を刺激するために、大阪三人会の旅に出ます。

大阪でおあいいたしましょう。(^O^)/
■大阪三人会 →http://www.a-lab.jp/sannin

さて、昨日のCALSセンターでの岩見沢建設協会の勉強は、向井先生の独壇場であったわけで(それは素晴らしい講演であった)、わたしゃツアーコンダクターのようなもので、不慣れな司会役に終始していた。(笑)

でも心は至福。

今日は、これから郡上へ移動し、岩見沢建設協会さんの勉強会は午前10時から始まるのだ。

2003/10/03 (金)  
【世間師、若しくは、かわいい子には旅をさせろ】

久しぶりに浅草の自宅で夜を過ごすと、何かが変わっている。
そう、なぜか浅草寺と五重塔がライトアップされているのだ。

これはなかなか綺麗なものなのである。

今年は江戸開府400年ということらしく、その記念行事で、昔の奥山風景の再現と平成中村座を、浅草寺境内でやっているので、それにあわせたイベントなのだろうが、浅草はこうして休むことなく、人に飽きられないように、次から次へと思考を凝らしている。

東京における浅草っていうのは、どちらかといえば、一世風靡した老兵のような存在なのだが、どっこい、なかなか元気に生きていて、私にとっても新しい発見(といってもそれはそもそも古いものだが)は多いし、まだ制覇していない食い物やは多いしで、飽きることのない街なのである。

グローバリズムなんていう観点から見れば、たしかにここはには、六本木や品川の新しさもないし、渋谷や新宿の不夜城のイメージもない、全然最先端をいかない街ではある。

それでもどっこいここはじつはグローバルな街であって、外国のお客さんも多いのだ(ただ、若い人は、修学旅行の学生さんぐらいしかいないけれども・・・)。

出張から帰ってきて、この街でボーっとしている時間が私は好きだ。


ご無沙汰しております、桃知さん。 どうもお疲れ様です。 m(_ _)m

ウチの近所で、先週、桜の花が咲いていました。 
過日の台風で葉がぜ〜んぶ落ちた、にしては、花が咲くのが早すぎると思うのですが。

最近、トンと無駄な時間がない・・・というか、何だかんだと追われています。
やる事がいっぱい有り過ぎて、でもそれは、今すぐ〜っ!的な肝心な事ではない。
それなのに一体何やってんの?という具合で。

う゛ぅ、自分のペースが保てない、周りに合わせることで精一杯で
自分を取り戻さなくては、もうそろそろ壊れそうだなぁ、頭が。
「あわせる」というか引きずり込まれている観がしています。 まずい。

余裕?なんじゃそりゃ。 んなもん何処にあるんだ? あ゛ぁぅ・・・ (*_*)

前は楽しかったことも、今じゃ苦痛を伴う事もあって何をするにもグズグズ・・・
何が変わったのか? これじゃ成長するどころか後退しとる・・・

命のセンタクかぁ、ふとそんな言葉が頭に浮かびました。

でも、こんな事を考えるのは、逆に一直線で考える事がないから
遣る事とか出来る事が無いからなんだろうなぁ。 で、またグズグズ。

若しかして、かる〜く「鬱」が入ってきてそうだなぁ、書いてること読み返すと。
やっぱり9月〜10月は苦手です。

11月、大阪でやるのですね。
あのぅ、あのぅ、できますれば・・・
オープンセミナーのご案内とかオープンセミナーのご案内とか
オープンセミナーのご案内のところには日程を入れてみては如何でしょうか?
あっ、いいえ、別に西原さんのサイトを見れば解るのですが。

と、ちょっと気付いた事を書いて、失礼しまっす!!

了解ッス!
今週末の岐阜・郡上遠征が終わりましたら、オープンセミナーのご案内に「大阪三人会」の案内を載せましょう。


さて、「無駄な時間」について。

私は一見するとものすごく忙しい人なので、無駄な時間なんてないように思われるかもしれないけれど、じつは私は、無駄な時間の塊のようなものである。

それは「移動時間」という無駄だ。

私の移動は、全て他力本願であり、自ら車のハンドルを握り・・・、なんっていうことは滅多にない。

私の移動手段といえば、タクシー、新幹線、電車、飛行機、バス、車に乗せてもらう、そして徒歩、これしかもっていない。そもそも自家用車なんて、東京で所有できる程裕福層ではない。

この移動時間という無駄は、純粋に私の時間であって、その時間に何をして過ごそうか、と常にてぐすねひいているのが普段の私なのである。

私の膨大な読書量も、日々の睡眠不足の補充ができて、こうして今日も元気なのも、なにか(例えば「大阪三人会」)を思いつくのも、すべて移動時間のおかげなのである。

それは他力本願で移動する、ということのなせる業かもしれない。
そして、移動すること、つまり、旅自体が、新しい環境を私の海馬に提供し、刺激し、脳を活性化させてくれているのだ、と感じている。

私が訪れる地方の方々は、自分で車を運転されるのが、最大の移動時間であろう。
私は、自動車の持つ非現実的な空間を指摘したことがある。

つまり、車外が暑くても寒くても、車内はいつも快適であり、音楽などを流せば、窓の外は、自分とは隔絶した世界に置くことができる。

自動車は、非現実的な世界に自分を簡単に置くことができるわけだ。
「公共工事という産業」に従事される多くの方々の日常は、このような移動の反復でしかないはずだ。

しかし、いつも同じ景色を見る移動、外気の変化を肌で感じない移動、ボーっとすることのない移動、そういうことを繰り返していれば、人間が本来肌で感じることを基本とした思考やコミュニケーションがなくなってしまうのも当然のように思う。

脳への刺激が一定化することで、フォーマットされる、とでも言ったらよいだろうか。
そして、運転する時間の欠点は、ボーっとできないことにある(ボーっとしていたら事故をおこしてしまう)。
そして、ソーシャル・キャピタルの一部が欠落しはじめる。

旅(移動)することは、海馬(脳)にとっても大事なことである。
新しい風景を見ることで、新しい人々と出会うことで、海馬は刺激に晒される、と池谷裕二もいっていた。(つまり、旅をしいも脳は疲れないのだ)

多くの経営者層は、旅に出る機会も多いし、新しい風景も、新しい人との出会いも多いだろうが、多くの従業者はその機会は滅多にないだろう。

私は、どんな経営者でも、それなりに経営者らしくなってくるのは、このためだと考えている。

その意味では、全ての従業員が経営者のような気持ちで・・・というようなことをいわれる方がいるが、その最も簡単な方法は、全ての従業員にできるだけ旅をさせることのように思うのだ。

見知らぬところへ旅をする。
それこそが、海馬を刺激し、人間をつくっていくように思う。

だから、「大阪三人会」へおいでなさい、といっているわけだ。(笑)

そして私自身のこと。
かつて私は、食客と呼ばれたこともあったけれども、最近はむしろ「世間師」と呼ばれたいなぁ、と思っているし、そうなりたいと考えている。

宮本常一の『忘れられた日本人』には次のよな記述がある。

日本の村々をあるいて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放(ほんぽう) な旅をした経験をもった者が多い。村人たちはあれは世間師(せけんし)だといっ ている。旧藩時代の後期にはもうそういう傾向がつよく出ていたようであるが、 明治に入ってはさらにはなはだしくなったのではなかろうか。村里生活者は個性 的でなかったというけれども、今日のように口では理論的に自我を云々しつつ、 私生活や私行の上ではむしろ類型的なものがつよく見られるのに比して、行動的 にはむしろ強烈なものをもった人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は 頑固だと言って片付けている。「世間師 (一)」、p214

私は、世間師としての宮本常一を確信している。
しかし、私の旅は、まだ奔放というところまではいかないのも事実だ。


というところで、今日から私は岐阜にお邪魔する。
今日は、大垣の建設CALS/EC研修センターで、岩見沢建設協会の方々の勉強会。おなじみの向井先生にもお話を伺う。

明日は、郡上桃塾の最終回で、岩見沢建設協会の皆さんも受講予定である。

では、股。

2003/10/02 (木)  
【よいとこらさっさー】

■熊本解体新書(熊日)

先月、岐阜に取材に来てくれたM記者の労作、熊本解体新書の連載が始まり、Webにも公開されているので紹介なのだ。

http://kumanichi.com/feature/kaitai/index.html

自転車操業で連載書いてるMです。あすの新聞に載る連載(5)「郡上編」やっと書き上げて、頭がくらくらしてます。以下は弁明です。

いやあ、限られた行数で、しかも建設業にもIT化にもほとんど関心がない熊本県の読者を対象に(想定して、という意味です)、岐阜の建協のイントラネットの話を書く、というのは、結構難しい作業でした。成功したかどうか分かりません。

特に難しかったのは、(ここからが弁明の本題ですが)桃知さんの話を一般読者におおむね理解できるように伝えることです。

というわけで、桃知さんの発言は録音したそのままではありませんが、ミームを伝えようとしたということでご容赦ください。

「全然伝わっとらん」というご指摘であれば、いよいよ申し訳ありませんが・・・

さて、次は「岐阜県庁編」。次いで「長野編」上、下と続きます。今日は徹夜かもです。

Mさま、ご苦労様、なのである。
一般紙が、「公共工事という産業」を真剣に考えてくださり、こうして私の話に耳を傾けてくれ、そして郡上での取組みを紹介してくれるなんて、感謝以外のなにものでもないだろう。

「公共工事という産業」は、自らを自らのことばで語れない、不幸な産業であった。
あった、と過去形にしたけれども、多くは現在進行形である。

そのため、この産業は己の評価を自ら行動の相互作用でつくりだす、などという、マーケッティングというか人間社会の基本原則も知らないまま、ただ世論によって形成された評価に、その身を委ねているのが現状なのだ。

その世論を形成する大きな要因は、TVを中心としたマス・メディアであり、そのメディアの流す無責任な報道を、流行品のように消費する我々との相互作用が、世論を形成してしまっている。

この世論とは空気である。

ここに、新聞という報道の機関が、今という時代に持つ役割の重要性があるのだが・・・
ということで、期待しておこう。


■よいとこらさっさー

>えんやこらさっさぁ

 ええと(^^:えんやこらさっさぁ、ではなく「よーいとこらさ、よいとこらさっ
さー」だと
思いますm(_ _)m

ということで、早速訂正なのである。
みるきーさんありがとう。

さて、今朝は桜島を望むホテルにて、少しだけさわやかな、グット・モーニングなのである。

なぜか、といえば、それは昨晩は黒豚のしゃぶしゃぶを沢山食べ、でもお酒の量を控えめにして、早めに床についたからだ。

私の今の体調を考慮すると、このような健全なパターンでないと、今年一杯のハードスケジュールに絶えられそうにもないわけで、ちょっと生活パターンを変更しようと考えているのだ。

ところで、そもそも私は、さわやかでないことに関しては(昔から)天下一品なのであって、特に最近は、散髪に行く暇もないので、髪の毛はぼさぼさの伸び放題であり、それにひげ面。その辺のホームレスの方と比べても遜色なしのブローザ・ブロディ化中なのである。

散髪しなくちゃ。


■大阪三人会

おまちかね(?)の大阪三人会だけれども、開催要項がまとまったのでお知らせである。
今回は、全面的に西原さんのお世話になり、西原さんのサイトで受付等を行うことにした。

詳しくはこちら(↓)をご覧いただきたい。

http://www.a-lab.jp/sannin
(もしかしたら、IDとパスワードを要求されるかもしれませんが、その時は、午後からでももう一度アクセスしてみてください。)

私は、以下のような内容を準備する予定なのだが、たぶん私は時間調整役なので、予定の時間には、絶対に終わる講演としたい、と思う。(笑)

私自身のことについて、私のことばで、ただひたすら語ります。私の生きたかなんぞ聞いたところで、なんの役にもたなないし、たいしたものでないことは当然なのですが、何ゆえに、こんな変なものが、この時代に生息しているのかを、全然アカデミックではない観点から、難解な経済用語をないがしろ的に解釈し、ひたすら私の都合のいいように語る、桃毒中毒の方々には至極の時間を提供したいと思っております。


さて、今日は、阿久根建設さんの井之上さんのお迎えで、鹿児島空港まで移動。
そして、ANA622便 鹿児島空港 09:35発  羽田空港 11:15着で帰京。

8時前にはホテルを出発しなくてはならないわけで、今朝はここまで。
ほな、股。である。

2003/10/01 (水)  
【えんやこらさっさぁ】

桃知@人吉なのであって、それは当然に焼酎の香りも香ばしい朝を迎えている、ということである。
昨晩も、IT委員会の皆さんには、遅くまで遊んでいただきまくって感謝なのである。

どらえもんのような手、という謎のフレーズが頭の片隅に残ってはいるが、これがいったいなんのことなのかは、よくは覚えていない・・・。


昨日の気仙沼次郎ネタへ、早速の反応をいただいていた。

 気仙沼二郎を気に入って??いただいてありがとうございます(^^)
 最近はベテラン歌手でもなかなか難しい武道館のステージをふみ、ノリにのってい
る沼ちゃんです!
 海の魂の作曲者は地元で活躍中のSSOMというフォークデュオの北嶋風太さん(今回
入口で配られたみちプロサポーターズクラブを運営する地元の出版社六花舎社長の
佐々木さん)で沼二郎さんの演歌調もいいのですが、SSOMのフォークバージョンもな
かなか心にしみいるいい歌です。
 私、何を隠そう?沼ちゃん応援団の一人で行った会場でテープを投げたり、一緒に
鈴を鳴らしたりして盛り上げております(^^:11月の有明大会では私が言い出しっぺ
で現在作成中の「海の魂」ののぼりをたてて歌うそうなのでぜひご覧下さいm(_ _)m

  ちなみに・・小ネタですが、家の主人と息子は沼二郎さんと同じ床屋で髪を切っ
てます。
  家から車で5分くらいの床屋でみちぷろ練習生なども御用達らしいです。

                       みるきい

先ほどの気仙沼二郎の追加情報です。
 携帯のみですが、サイトがありそちらで海の魂の着メロや待ち受け画面をダウン
ロードすることができます。何か全日本のケンドーカシン選手をはじめ、新日本の成
瀬選手にも人気らしいです・・沼二郎さん。な・・なぜなんだろう??
  http://www.ndaju.co.jp/numajiro/

                  みるきい

沼次郎さんは、その昔、ヨネ原人というプロレスラーだったはずで、私はかつて、ヨネ原人にはとても楽しませてもらったのだ。(台車に追いかけられて・・・。ああ、なつかしのVSウイルキンソンJr.・・・)

その彼が、いつのまにかどこかへ消えてしまい、私もすっかりみちプロからは疎遠になっていた今日この頃、こうして、演歌歌手で再出発していることを、私はとても嬉しく思うのだ。

が、まあ、そんなことよりも、なによりも、海の魂という歌はミームなのだな。
頭の中では、えんやこらさっさぁ、なのである。


そして、素晴らしい日々、に対しても、メールをいただいていたのでご紹介なのだ。

店主戯言  2003/09/30 (火)   【素晴らしい日々(このお題が付いたときの私は相当に疲れている)】

を拝見させて頂き,後頭部をグーで殴られた気分の朝を迎えております。
無駄な時間の必要性。というかココロの余裕。 自分の場合,近ごろすっかり忘れてしまっているのが現状でしょうか。 休みの日は一生懸命ダラダラするという時間を大切にしてきましたが,なぜか最近,妙に焦って意味無くセカセカと動いて居るのが現状です。

以前はホームに来た電車に闇雲に乗り込み,そのまま揺られてどこか見知らぬ町でタバコを吸って帰ってくる・・・・・・。
さながら・・・

 人影見あたらぬ終列車,一人飛び乗った・・・海の波の続きを見ていたらこうなった・・・・奥田民生 「さすらい」

とでも申しましょうか・・・・。 このような,端から見れば「無駄な時間」を過ごしていました。しかし,それは自分にとって大切な時間であり,自分が自分であるための交通標識を作っているのであります。

生きている時間,自分のイメージで動こうとするとまわりに潰される。 潰されまいと踏ん張る(闘う)と自分の中の大切な時間を失っている。
結局はつじつま合わせてあっという間にジッサマ。

こうならないためにも,ココロの余裕は大切ではないかと,奥田民生を聴いて思うのです。

桃知さんの心の中に,「奥田民生」がおられること,非常に嬉しく思います。 自分はどちらかというとUNICORNではなく,奥田民生が大好きなのです。

最後に・・・   ♪さすらいもしないで・・・・このまま死なねぇぞ・・・・・・♪奥田民生 「さすらい」

のフレーズで締めくくらせて頂きます。
ではまた! 失礼します。

私の人生は、そもそも、ぼうふらのようにさすらっているようなものなので、特別さすらいたくもないのだが、ボーっとしているのは大好きなので、無駄な時間を探しながら生きているのは、じつはとても楽しい。

それは梅棹先生がいっている「コンニャク情報」のようなもので、特別栄養にはならないけれども、消化器の繊毛運動の刺激ぐらいにはなる、というようなものだろうか。

無栄養のコンニャクでも、食べれば消化器の具合ぐらいはよくなることで、他のものを食べてもちゃんと栄養として吸収できるわけで、つまり無駄なことなどない、ということなのだろう。

そりゃぁ毎日飽食していたら、早死にの原因を作っているようなものだもの。
しかし、自分のことを考えると、とても不安になるフレーズではあるなぁ・・・。こんにゃく食わなくちゃ。


ところで今日は、人吉産交 9:56 → 西鹿児島駅前 11:34で鹿児島へ移動し、鹿児島県建築協会さんで、協会イントラネットの勉強会なのである。

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