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店主戯言0030802 2003/08/16〜2003/08/31 "There goes talkin' MOMO"


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2003/08/31 (日)  
【最近あったいろいろなこと】

■浅田次郎氏

29日、横浜の建行協さんの総会で浅田次郎氏にあう。
私は、彼の「カッシーノ」というカジノ行脚の本が好きである。

それは、その中に出てくる彼のファッションが好きなのである。
基本的は麻のスーツに上質な帽子(ボルサリーノかどうかは未確認)である。

その格好で彼は私の目の前にいたのだ。(帽子は被られてはいなかったが)

麻のような、しわになりやすい素材を常々愛用するには、同じ(ような)ものを何着かもつか、日頃のメンテナンスをしっかりするしかない。

旅の多い私は、常日頃はブレザーにBDシャツとコットンパンツである。
ブレザーは基本的には出張中着続けることになるので、コットン素材のものを使うのは日帰りの時である。

BDシャツとコットンパンツは、毎日新しいものにする必要があるので、宿泊先に先に送っておくのが常である。

こうして、しわになりやすい衣服を着るということはなかなか大変なのである。
それが、ましてや麻である。

そして帽子。私のよりもかなり良質のものであった。

ああ、うらやましい・・・なのである。


■黒亭

桃熊会の日の昼食は、国亭のもやしラーメンであった。


熊本のラーメンは、にんにくが効いている。
が、はまるぞ。


東洋軒(津市)

28日、津でのランチは東洋軒であった。
今回のランチは、ごはんを名物の黒いカレー(ハーフサイズ)にかえてもらったのだが、ここのランチは、ここ半年間に、私が食べたランチ中、最高にうまい!と言い切れる。

うまいものを食べると、体中に細胞が活性化してくるのがわかる。そういう料理である。
料理というものが、胃袋に入るものだけだったら、こうはいかないだろう。

細胞の喜びを、脳みそが感じているのである。

山際さんありがとう。
元気が出た。


■天下一品

昨日は、水道橋で打合せがあったのだが、駅西口に天下一品ラーメンを発見。
今まで発見できなかったのは、いつもはJRを使わずタクシーで移動していたせいだ。

昨日は、待ち合わせ場所が駅の西口であったことが幸いしたわけだ。

視座を変えれば見えるもが違ってくる。
これは確かだ。

そして久しぶりに天一こってり(大)を食べたのだ。
麺が関東風なのはいたしかたないが、久しぶりに、昔の思い出に出会った気がした。

私はこの仕事を始めた頃、よく昼飯で食べていたのが、この天一なのである。
四日市で。

私は、昼飯を全部食べることは稀である。
その私が大を全部たべた。

記憶が食欲を誘導したのだろうか。


■イントラネットの進化論

昨日、水道橋での雑談。

グループウェア→ポータルサイト化→ホームページ化
どうもこのような進化をイントラネットは続けているように思えて仕方がないのだ。

イントラネットの導入初期は、どうしても情報を隠すことに視点が置かれがちである。
例えば、電子会議室などのセキュリティ強化である。

それが1・2年後にはセキュリティをはずして、社内的にオープン化が進む。

それで最近はどうか、というと、今私の関与先の一部では、自社のイントラネットの中に、社外の方を招聘している例が見受けられるようになってきたわけだ。

これをどう理解していこうか。
一応私は、ホームページ化、という理解をしているが、確かにイントラネットはミーム論的にはホームページの亜種ではある。

そして、いえることは、いまだにホームページは廃れない、ということである。
廃れたものは、弱いミームだけなのである。

2003/08/30 (土)  
【休み〜】

今日は休み〜。からだがしんどい。
なので、今回は宮崎で食べた冷汁を紹介しよう。

(↑)関与先の皆さん、これが横600ね。

宮崎市内の杉の子というお店の冷汁。
まあ、味噌汁を麦ご飯にぶっ掛けて食べるような感覚で考えてもらえば良い。

粗野で単純な食い物だが、それだけに素材の良し悪しが出てしまう。
私はご飯をお代わりした。(めったにないことである)

二日酔いの日の昼飯に、これに勝るものはないように思う。

2003/08/29 (金)  
【@津】

桃知@津である。
旅も3日を過ぎると少々つらくなってくる。

今日は午前中、津で面談を二件予定している。
それから横浜へ向かい、建行協(建設業関係の仕事をされている行政書士さんの集まりね)の総会に顔を出してから、浅草へ帰る。

懇親会に参加する(というか懇親会にしか参加できない)ので、自宅に戻れるのはだいぶ遅くなってからだろう。

私が行政書士さんと関係を持つのは、つまりは資格産業というものが、インターネット社会(情報社会)というものにどう適合していくのかに興味があるからだ。

行政書士とは、役所に提出する書類や手続を、依頼者に代わって作成したり提出したりすることを仕事としている。
一見するとただの筋肉的(中胚葉的)な行為の代行業に思えるこの業務、じつは情報を操作する、という外胚葉的な仕事なのである。

一般的に国家から与えられる免許というのは、情報を扱うのである。
資格(技術)はそもそもミームであり、情報の束である。

行政書士というのは、役所に提出する情報操作代行の独占権である。
それはこの資格ができていらいそうなのであり、インターネット社会(情報社会)だからそうなのではない。

それは、インターネット社会(情報社会)により一層意識(認識)されてきただけである。

しかし、彼等の多くは、それを意識できていないように思う。(その中でも建行協の多くの方は、それが意識できているように思える)

であれば、彼等がそれを意識したとき、自らの業務の性質を如何様に変質しようとするのだろうか。
彼等は、この時代をどのように意識するのだろうか。

そしてその時(意識した時)に、国家から与えられる免許というのは、どのような意味を持つのだろうか。

それが私の興味である。

建設業は、資格、つまり免許というものが沢山必要な産業である。
例えば、一級建築士とか一級土木施工管理技士とかがある。

一級建築士とは、建築物を設計し、施工管理するという情報の操作独占権である。
建設コンサルタント業(土木)とは、そもそも情報産業である。

この(そもそも)情報を扱う産業が、インターネット社会(情報社会)に自らの居場所を探せないでいる。
それはなぜなのか。

それが私の興味なのである。

そこに、私がフォーマットと呼ぶ問題があるように思う。

今や国家から与えられた免許とはフォーマットでしかない。
私のISO嫌いは今や有名だが、ISOはお免状であり、技術的なフォーマットでしかない。

フォーマットは技術を保証するが人の品質を保証するものではない。

私自身は国家から与えられた免許で仕事をしていない。
それは、私自身の実験のようなもので、この時代に、フォーマットされないことの可能性を、自分自身を使って試してみているようなものである。

ただ、それはこの時代だから可能であったことも間違いではないし、よそさまに強要するものでもないのだと思う。
私は淡々とこの実験を続けるだけであり、それに伴う情報を発信し続けるだけである。

あとは、その情報が見えるか見えないか(認知)なのであり、それは受け手側の品質に依存するものだと思う。
でも、見えないからといって何も問題がないのであれば、それはそれでいいのだと思うのだ。

2003/08/28 (木)  
【@宮崎】

昨日の宮崎講演は懇親会も含め大変楽しかった。
主催者さま、参加者さまに感謝申し上げたい。

しかし、今朝は本当に忙しいのだ。
ANA 342 宮崎(0850) - 名古屋(1000)で名古屋へ飛び、そのまま近鉄で津まで移動する。

ということで、今朝は時間がない。
岩手建協のスタートアップセミナーについてのメールが届いていたので、まずはそれを掲載する。

スタートアップセミナー、お疲れ様でございました。
また、大変すばらしい講話を拝聴させていただきまして本当に感謝申し上げます。

昨日、スタートアップセミナーの地域別講習会場の出席率を事務局から頂きました。
出席しなかった方は、「本当に損したぞぉ〜」って言ってあげたくなります。

「じゃあ、おまえは何を学んだか?」 と問われると、正直、全然文章にも言葉にもならないのですが、ただ「ああ、世の中はこういう動き方をしているんだ。知らなかった…(汗)」と自分の無知さ加減がよくわかったという意味で、大変有意義なセミナーだったのです、ハイ。

あと、『ももちどっとこむ』の『店主戯言』は、あれから読ませていただいてますが、私のボンクラ頭では半分以上理解不能状態、というのが正直なところ…。
ミーム論は、本屋でそれに関するものを手にとって、目を通した瞬間に「フリーズ」状態。
う〜ん、子供に勉強しろという前に、自分がもっと勉強せねば、と反省しきりの毎日です。

ところで、今日(8月26日)のお話し。

『では、「公共工事という産業」が情報産業となれるにはどうしたらよいのか。
 ああ、これだ・・・と思った。』

情報化社会の到来をいわれて20年は経ったのでしょうか。
情報産業が、これからの産業構造の中心となる、ともいわれてきましたが、NECとか富士通とかのメーカーや、数多あるソフト開発会社をもってIT関連と名付けて、いっぱからげて「基幹的な情報産業」と認識する程度のレベルではどうしようもないことは確かです…。
むろん、私もそのレベルの中にいるわけですが…。

改めて、「情報」って何? 「情報化社会」って、どんな社会なの?
言葉の定義すらきちんと出来ないでいて何を言う、って感じでしょうけど、それでも、こんなド田舎の会社の人間ですが、桃知さんのお言葉に「ぴくん」と反応してしまいました。(表現が適切でない??
?)

これが「情報化社会」なんでしょうかね?

くだらない内容で、だらだら書き込んですみません。
今日(8月26日)のお話しは、桃知さんのお好みでない「一太郎」にコピーしてファイルしておくつもりです。
それでは、また再会の日をお待ち申し上げております。

どうもありがとう。

そしてA木さまより。

A木です。
前北大総長の丹保憲仁氏(放送大学理事長)もある講演会で、新幹線は人を運んでいるのではなく「情報」を運んでいるのだと言っておりました。
先日、新富士から東京に戻るとき、土曜日だったので新幹線は満杯…。
自由席は東京に着くまで立ち席でした。
通信技術がこれだけ発達しているのに、なぜ、これだけ多くの人が新幹線で行ったり、来たり…しているのか?と、わたしもふと考えました。

そして、ビジネスに関しては、桃知さんが言うように「経済的取引は量と価格だけでは決まらない」ことの証明ではないか、と感じました。
つまり、普段のビジネスではFAX、電子メール、宅急便で用は足りても、ここぞという大事な場面でやはりF2Fが決め手になるのでしょう。
だからこそ、人々は高いコストを支払って新幹線や飛行機で全国を往来するのではないでしょうか。

F2Fは、五感を通じて膨大な情報が脳内に入力されます。
それにより、われわれは「信用できる」とか「うさんくさい」とか、相手の真偽をかなり高い確率で見破ることができます。
それを考えると、1億円、2億円…の大きなビジネスを、不確定なシステム上で取り引きしようという「電子入札」のバカさ加減が浮き彫りになります。

ということで、九州シリーズについては、後日まとめてみたい。
ほな、股。(By お嬢・2号)

2003/08/27 (水)  
【今日は宮崎で講演】

桃知@熊本なのである。
はっきりいって二日酔いである。

昨日の私の講演はわずか12分。(史上最短)
PPTは1枚

それと、このサイトのアニメーションを使用。
これで何をしゃべったのかがわかったあなたは、「情報産業論」(梅棹忠夫)を知っているはずだ。

情報はいつでも存在しているのだ。
それを受信できるか否か、解釈できるか否かは、己のキャパシティ次第である。

このキャパシティとは人間の品質である。
人間の品質が、過剰品質でなければ次への展開は起きない。

我々の直面している問題は、我々の品質が、工業社会の常識でフォーマットされすぎていて、過剰どころか、今という社会では、品質が悪化している、ということなのだと思う。(フォーマットという問題)

だから、今という時代に流れる情報をキャッチできない。解釈できない。

この品質とは、「バカの壁」でいえば、「脳内の一次方程式」 y=ax の a という係数なのだ。
その係数 a を、養老孟司は「現実の重み」という言葉で表現しているが、この現実の重みは、学習することでしか自分のものにはならない(わからないという方法)。

だから反省という行為が必要なのだ。
それはフォーマットされたものに自分を合わせるのではなく、フリーハンドで自分のことを自分で語ることでしかないのだと思う。

『桃論』以降、私の思考はそれこそ試行錯誤していたのだが、ここにきて一本の道が、(はっきりではないが)みえてきたように感じている。

今日の宮崎での講演は、少しだけ実験的な部分が入ってくる。

ということで、9時には出発しなくてはならないので、今日はこのへんで。
ほな、股。(By お嬢・2号)

2003/08/26 (火)  ▲
【今日は熊本へ】

昨日は、予定よりも1時間はやいANA便で帰り、そのまま自宅にも寄らず、「近所の鮨屋」こと「清司」へ直行し、腹を満たし、体調と精神を整えた。

ここは今や、私のホーム鮨屋のようなものだが(そういえば、最近四谷へいく用事もないので、後楽はご無沙汰である)、こうして鮨屋で私がおこなうことの機能を考えると、ここは単に生物が食物を摂る場所でないことは確かだ。

そもそも私は鮨屋でほとんど鮨を食べない(とんでもない客である)。
ひどい時には、ビール一杯と蛸の薄作りだけ、というときもある。(ついでにいうと、私は、焼肉屋で焼肉をほとんど食わない)

鮨というものは、最初からかなりミーム的、つまり情報産業的な商品である。
鮨は、近所の店で、カウンターでつまむのが一番である(と私は確信している)が、カウンターに座って楽しむものは、鮨という食い物を媒体とした、その場の空気である。

この空気には様々な情報が充満しているのだが、それにどこまで気付くか(若しくは楽しめるか)は、客のキャパシティに拠るのである。(だからといって、聞きかじりの薀蓄を並べ立てるのは、かなりゲスである)

このキャパシティ次第で、鮨屋は楽しめるものにもなるし、つまらないものにもなる。
だからといって、そん考え方はくだらない、とばかりに、回転寿司に走るのは、暇な動物としての人間のやることではない。

衣食足りて礼節を知る、というが、衣食とは、農業社会と工業社会が満たそうとしたものである。
そして、礼節とは脳が支配する情報のことであり、キャパシティなのである。

つまり、鮨屋は情報産業なのだと考えるのである。

昨日の帰りの機内で、ふと思った。
この飛行機はなにを運んでいるのだろ。

結論は情報の乗り物(ミーム・ビークルとしての人間である。
つまり、航空産業は情報産業なのである。

では、「公共工事という産業」が情報産業となれるにはどうしたらよいのか。
ああ、これだ・・・と思った。

情報化社会において、農業や工業がなくなることはないが、社会的なウェイトは、情報産業に移ることになるだろう。
若し、情報化社会(梅棹忠夫のことばである)において、「公共工事という産業」が何らかの社会的な意味を持ち続けるのであれば、それは情報産業としてだろう。

では、如何にして「公共工事という産業」は情報産業足りえるのだろうか。
まあ、私は、これを考え続けているのだな、と思った。

さて、今日は、 ANA 641 東京(羽田)(0835) - 熊本(1015) で熊本へ飛ぶ。
2003年8月26日熊本公徳会カルチャーセンターで講演(といっても私の出番はちょびっとだ)なのだが、当日受付枠も若干あるので、是非多くの皆様においで頂ければ、と思うのだ。

2003/08/25 (月)  
【お嬢】

■1号

お膝のご加減は如何でしょうか?
戯言の「昨晩は酔っ払って何処かで転んだのか」を読み
久々に書こうと思ったメールの内容が内容なのでちょっと迷ったのですが・・・
おバカな自分に対する戒めのつもりで書かせてもらいます。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

『アルコール超過剰摂取のイタイ代償』

ほんの3日前、友人夫婦と久し振りに会い
飲んでしゃべって気分よく酔っていた、筈だった。

ところが、度が過ぎてしまい結構飲みすぎた私。

帰路についたが、家まではずっと上り道。
おまけに道の脇には幅2メートル高さ1メートルの小川がある。

フラフラと歩く私の後ろから私を監視するように
ウチの相方は仕方なく付いて来ていた。
が・・・何せ酔ってて千鳥足。

やってしまった。
ガードレールの切れ目から川へ転落。

奇跡的(?)に、打撲のみで病院に行くほどの怪我も無し。
手を引いて助けてくれた相方からは、冷ややかな「バカ」の一言が。
ご尤も。 打ち所が悪ければ、あの世行き。

普段徒歩15分の道程を
結果、おそらく倍以上かかっていたのではなかろうか?
時間的記憶が全くない。

翌日は、二日酔いの上、アザだらけ・首がまわらない。
おまけに履いていた物もない。
でも、くじけずに出勤。

・・・流石に懲りた。
ので、一昨日から断酒しています。(そりゃ当然だろぉがよ?)

さて・・・何時まで続くやら。
(バカは死ななきゃ直らない、と申しますので。)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

残暑厳しい折ですので
どうか、お体、ご自愛を。

**********************
「お嬢・1号」


■2号

先日は、くりごはんを載せていただいて、本当にありがとうございます。
すごく遅くなりました。すいません。
いとうさんや、とどさんもリンクに入れてくれたり、ありがたいです。

中学時代の部活仲間からも、いろいろと経由してメールが舞い込んだりうれしいこと続きです。

ホムペ作ることは、学習帳みたいやと思いました。
まだまだ、このさき壁もあるだろうけど、それも勉強やと思ってがんばります。

なんとか、この2003年が終わってしまわないうちに、
ももちさんに、再びお会いしたいものですが・・。

なんとかなる気がします。きっと。うはは。

それでは、股です。ありがとうございました。

お嬢・2号


■誰だ?

桃知さま

>>こういう不思議な食い物を生み出す一関って、なんなんだろう、と思うのだ。

一関もじゃじゃ麺が生まれた盛岡と同じ岩手県にありますから(笑)

最近讃岐うどんブームのおかげで「讃岐うどんの次は」ということで盛岡じゃじゃ麺に取材が殺到してます。うちのサイトにも観光客、修学旅行生の方から、マスコミまで問い合わせがけっこうくるようになりました。
おまけにこの半年で6店舗くらい店がふえました(*_*)

本家白龍の本店に久しぶりに食べに言ったら観光客で一杯で店の人がいちいち食べ方を説明する声がうるさくて落ち着いて食べられませんでした。

若い子の方が「なにこれ、おいしー」という人が多いような気がします。やはり駄菓子ちっくというか子供っぽいおいしさなのかもしれません。

みるきい

ということで、羽田/札幌 09:00/10:35 ANA055で北海道へ飛ぶ。
空知建協 広報IT委員会さんで会議で、11月18日の土木の日の打合せが予定されている。

問題は、それで日帰りだってことだろう。(T_T)

2003/08/24 (日)  
【@郡上】

■@郡上

桃知@郡上八幡である。
川端のひなびた旅館で目覚め、まったりとした空気を楽しんでいる。

旅館のすぐ隣を川が流れ、水音はどこまでもそして永遠に続くかのようである。
かわせみなのか色鮮やかな鳥が飛び、きいたことのない音が沢山耳に届く。

これは自然界の情報であるが、これをことばであらわそうとすると、ミームとしての情報となる。
(昨日の郡上桃塾のおさらい)

さすが郡上である。

一方旅館の部屋といえば、寅さん映画で、寅さんが出先で泊まる宿、といった雰囲気をかもし出していて、寅さん信奉者の私としては、これもまたなかなかのものなのだ、と悦に入っていたりするのだ。

いつものビジネスホテルと違うこの雰囲気も、悪くはない。
というかか、なりはまっている。


■郡上桃塾1回目

昨日の郡上桃塾には、30分遅刻して到着してしまった。
これは高速バスが、美並村付近で渋滞に巻き込まれたためだが、最初から申し訳ないなのである。

昨日の郡上は、郡上踊があったわけで、観光客もそして釣り客も多い。
そういう情報を持っていながら、状況を甘くみた私のミスである。

さて、昨日の講義は、私の身の上話を中心としたITについての理解、というものとした。
IT、特にインターネットというミームプールとはなにものなのか、というはなしをさせていただいた。

つまり、私が今から5年前に開いたこのサイトが、私の人生をどう変えたのか、そしてそれは何故なのか、である。

その一部を書けばこうである。
私のIT化についての考察は、常に己の心の内に向かっていく。

それは、例えば、私がこのサイトを開設して、それこそ5年間、ほぼ毎日、この日記のようなものを書き続けてきたことで、何が起きたのか、ということだ。

誤解を覚悟でいえば、その始まりは退屈だったからだ。というのが今の私の認識である。
つまり、やることがなかったのだ。

人間は、退屈というものを感じる唯一の動物なのだと思う。
そして我々凡人は、退屈に耐え切れず、退屈を恐れる。

だから郡上踊もあるのだ。
郡上踊はミームである。

退屈を意識させているものとして私はミームを理解している。
そして、その暇(な人生)をどう過ごすか、という時に情報(ミーム)がある。

農業時代、それは人間の内臓的な欲求の充足をもたらそうとした時代だった。
工業時代、それは人間の筋肉に代わるものを求めた。

そして情報化時代、ようやく脳みそを意識できる時代がやってきた。
今という時代は、そういう意味では非常に人間的な時代でもあるわけだなぁ、と。

ということで、懇親会も遅くまでしっかりと楽しませていただいたことはいうまでもない。

2003/08/23 (土)  
【今日は郡上へ】

昨日は、一ノ関 18:04 Maxやまびこ 66号 上野 20:54で、岩手県から戻った。と思ったら、今日は、以下の予定で岐阜入りし、その後、高速バスで郡上建協へ向かう。
東京 9:20 のぞみ 51号 名古屋 10:59
名古屋 11:10 東海道本線新快速 岐阜 11:27

せわしない人生ではあるが、昨日は凄いものを食べた。場所は一関の直利庵という蕎麦屋である。
ここは、ひとことでいえば、うどんのように太い蕎麦の店なのである。

天もりを食べたのだが、蕎麦なのかうどんなのかよく分からない麺は、かなり太いけれども(その上異様に長い)硬くはないし、かなり旨みを感じることができる。(しかし、蕎麦のそれではないように感じるが・・・)

汁はかなり甘いが、いやらしい甘さではなく、太い麺によくあっている。

てんぷらは、海老天がとても不思議な堅さで(まあ言ってみれば高級などんべいのあとのせてんぷらのようなもの)一見まずそうなのだが、これも食べるとなぜかまずくはない。

甘い汁にもみじおろしを少しいれて、なぜか添えてあるほうれん草のおひたしを入れ、刻みネギを薬味に食べると、これが不思議にも抜群にうまいのだ。

そのうまさは、最近食べたそばの中では敵はない、というぐらいのものだ。
素晴らしい。★★★★★(5つ星)である。

しかし、それにしても不思議な蕎麦なのである。
こういう不思議な食い物を生み出す一関って、なんなんだろう、と思うのだ。


さて、岩手建協さんのIT化の取組みは、昨日で、最初のイベントである「スタートアップセミナー」を、一応、全て終了した。
終了したといっても、これは始まりの終わりなだけで、先はまだまだ長いのはいうまでもない。

例えば、今回のスタートアップセミナーにしても、一応全ての会員の方々を対象におこなったわけだが、まだまだ経営者レベルに、今回の取組みの意義が浸透しているわけではない。

であれば、都合をみつけては、啓蒙活動を一貫して続ける必要があるわけだ。

とはいえ、岩手建協さんのシステムは来月には準備完了になってしまう。
サーバーはホスティング(三重県のCWJ)し、イントラネットには、サイボウズOffice6を使うので、比較的簡単に出来上がる予定である。

しかし、これは、いよいよ本格的に「身体で覚えるIT化」の取組みが始まることを意味するだけでしかない。
つまり、これからが本番なのである。

この作業(「身体で覚えるIT化」の取組み)はかなり力技であり、肉体労働なのである。
それも重労働だ。

IT化特別委員会を初めとする関係者の皆様には、一層のご協力をお願いする次第なのである。m(__)m


■郡上桃塾

さて、今日から始まる郡上桃塾であるが、これは、法政大学エクステンションカレッジ小規模事業所編とも呼べるようなものである。

受講者の一般公募も予定していたのだが、郡上建協の会員さまで、あっというまに定員が埋まってしまったため、私のサイトではあえてお知らせをしないでいた。

今日は、私が、中小建設業IT化論(小規模事業所編)をお話する。
(なんと今週5回目の講演である)

そして、次回からは、ゲスト・スピーカーの方々による事例発表が始まる。

9月 6日 講師 桃知利男 八伸建設(栃木県) 吉谷土木(千葉県)

9月20日 講師 桃知利男 小川組土建(北海道) 市岡建設(北海道) 宮澤組(長野県)

10月4日 講師 桃知利男 トライネット(長野県) 北沢建設(長野県)

つまり、全4回シリーズで、個々の企業が行うIT化について、共同で勉強しよう、というのである。

こういうものを事業者団体がおこなうというのは、聞いたことが無い。つまり前代未聞なのだ。
確かに私にとっても実験的な取組みではある。が、郡上建協さんだからできる、というもの確かなのだ。

2003/08/22 (金)  
【@遠野市】

岩手県は遠野市のホテルで静かな朝を迎えたが、生憎と私の頭は二日酔いで痛いのであり、その上、昨晩は酔っ払って何処かで転んだのか、膝小僧の皮がむけていてこれも痛い。

昨晩は、最後のラーメン屋さんで、私はうとうとと眠ってしまったわけだが、それぐらい遠野では歓待していただいたのだ。
遠野の方々の、純粋極まる人情と、うまい酒を堪能させていただいた。

遠野は、私的には肌のあう場所である。
なによりも、ジンギスカンがあり、馬肉を好む。

昨日は、お昼にその一端を垣間見させていただいたが、遠野のジンギスカンもうまい。
北海道の滝川や長沼のものは高度にマトンの臭みが消えているが、ここ遠野のそれは、くさい。

でも、そのくささが、マトン本来の味を感じさせてくれる。
そして私的には、はっきり言ってうまいのだ。

さらに、人々の純真さというスパイスが溢れている。

つまり、ここは良いところである。
また来たい。

それにしても、遠野は「とうの」ではなく「とおの」であることに今気が付いてしまった。
なぜかというと、「とうのし」で変換すると遠野氏になり、遠野市が出てこないのである。


■タロサの独壇場

ども。タロサです。

いやぁ、今朝起きた時はなんとも無かったんですが、出社する際に車に乗ってエアコンをかけたら、いきなり顔がゴワゴワするのでルームミラーを覗いたら、顔面がひび割れていました。乾燥して一気に顔の皮が収縮して、剥けてしまったのであります。(爆) 怖かったぁ。 で、現在、人前に出られる顔ではありません。いい男が台無し。

さて、T3なんですがぁ。結論から言っちゃいますと、期待して見に行くとがっかりします。T1、T2以上の作品ではありません。まぁ、反論もあるかもしれませんけどね。私はつまらなかったです。途中、寝ちゃったもん。

確かにCGは前作に比べ、格段の進歩を遂げています。はっきりいって、もうどんな映像だって表現が可能となる日は近いでしょう。アクションシーンも、かなりの迫力です。特に街中をクレーン車が突っ走るシーンは、そこまでやるかってなくらいです。まぁ、これを見るだけでも損はしないと思いますけどね。

でもね。それだけなんですよね。で、私的には、そういうハリウッド的なこけおどしはもうウンザリなんですよ。だから何?って感じ。

ターミネーターの面白さというのは、不死身のロボットが追ってくる恐怖に尽きると思うのです。それをどうやって倒すのか。そこにアイデアを突っ込むべきだと思うんです。つまり、コアコンピタンスですな。(笑)

なぜなら、マトリックスのような緻密な世界観がそもそもターミネーターには存在しないから。スカイネットとか、キーワードとしては存在するけども、そんなのはストーリーとしては添え物に過ぎず、単純に不死身の化け物が追ってくるだけの話でしかないわけ。しかしながらT3という作品を作る上で、シリーズ物としての辻褄を合わせなければならない。そこにこの作品の悲劇があるように思います。

女ターミネーターが登場しますが、女である必要はまったく無し。T2でシュワちゃんを味方にしちゃって、これ以上ない液体ロボット(ナノマシン?)を登場させちゃったもんだから、目新しいものとして出してきたんだろうけど、追いかけられてもちーとも怖くない。貞子のほうがよっぽど怖い。

結局、T1、T2からの辻褄あわせに翻弄されて、ターミネーターにとってもっとも大事な部分を忘れてしまったんでしょうね。

何度も言うようですが、CGやSFXの技術は最先端のクオリティです。でも、映画ってそれだけじゃないですよね。それは作品世界をより強調させるための技術でしかなく、そんなところに感動するわけじゃないのは、T1、T2で証明済みです。
T2のCGが凄いっていっても、それは当時の話で、現在のCGからすれば、稚拙な技術です。それでも、今見てもT2は面白い。それが映画ってもんです。

と、うだうだと書いちゃいましたが、こんな話を読んじゃうと見に行く気分が失せちゃうと思ったので削除したんですが、師匠が書けというので書いたので、あたしゃ責任は持ちませんぜ。(笑)

もっとも、師匠のつまらなかったという「踊る〜・・・」が面白かったと思う私なので(ちょっとやりすぎ。織田裕二の演技も過剰だし。前作のほうが面白かった。けどそこそこ楽しめたので良しとする程度の面白さではあるけども)、本当は面白い作品かもしれないとフォローしとこう。(笑)

ではまた。

ありがとう。>タロサ
君の表現力にはいつも感心させられる。ここまで書かれるとますますT3が観たくなってきた。


それらか、新潟の小川さんから届いた珍しい私の写真を、珍しく載せて置こう。
19日の新潟講演の時のものだから、まさしく桃知近影である。

これのなにが珍しいかっていうと、コヒーカップと写っている写真ってこれしかないことに気付いた、というただそれだけ。

そして、今日も同じネクタイであることに気付いた(笑)。
それから、色々気付いてはいるのだが、ここでは書けない。
画像の持つ情報量(力)は恐ろしい。

ということで、今日は8時30分にはホテルをでて一関市へ向う。

向井田さん、今日も一日宜しくお願いいたします。m(__)m




2003/08/21 (木)  
【今日は岩手に(今月下旬の私の予定)】

今日は、上野 8:02 はやて 3号 盛岡 10:22で移動して、それから、向井田さんにお世話になって、民話の里こと遠野市へお邪魔する。

今日は、滅多にないチャンスなので(遠野には河童がいるらしいのだ)、遠野に宿をとっていただいた。
夜の懇親会も楽しみである。(ざしきわらしはいないのだろうか?)

岩手建協さんのスタートアップセミナー巡業も今日からいよいよ後半戦。
明日は一関市にお邪魔してようやく一巡なである。岩手は広い。

明日は、一関での勉強会が終わったら、一旦浅草へ帰ってくる。
そして23日は、郡上桃塾のために郡上建協さんへお邪魔する。(郡上桃塾については後日書こう)

週が変わって25日は、空知建協さんの広報IT委員会会議のために北海道日帰り。
26日は熊本へ飛んで桃熊会に出席。熊本泊。

翌27日は、宮崎に移動して宮崎で講演。宮崎泊。
28日は宮崎から名古屋に飛んで、津まで移動。三重建協さんのIT委員会会議。津泊。

29日は、午前中、津で打合せを行い、午後の予定がまだあやふやなのだが、時間が取れれば横浜に行く予定である。

それで、やっと月末の土日が休み、という按配なのだ。

こういうスケジュールを乗り切るには、それは気合と根性も大切なのだろうが、それよりもなによりも、体調をベストに保つための、日々の体調管理が大切であることは実感している。

とはいうものの、これがとても難しいのだ。
私の場合。

それでタロサからのメール。

こんばんわ。タロサです。

夏休みで沖縄に行ってきて、無事帰還いたしやした。十二指腸潰瘍の
治療というわけじゃないけども、南の島でのんびりと(そんなにのんびり
でもなかったけど)スキューバダイビングやらシュノーケリングやらでお
魚と戯れて、すっかりリフレッシュ。久しぶりに全身真っ黒に日焼けもし
たし、これで明日から埼玉県知事選にも力を入れられるでしょう(爆)

さて、ターミネーター3(T3)ですが。

公開当初に見てきました。で、・・・

以下、20行にわたってT3のことを書いたんですが、見てない人にこう
いう話をしては申し訳ないと思い、削除しちゃいました。(汗)

で、ひとことだけ。T2で、あれだけ可愛かった主人公のコナー君。なん
で成人したら猿になっちゃうの?檻に入ってるし(笑) 汚いし(涙) 

ではまた。

そういうわずに、T3の20行、メールで頂戴な。
月末にでも行こうと思っているのだから。

2003/08/20 (水)  
【新潟から帰る】

新潟 9:09 とき 2号 上野 10:46で帰京し、その足で秋葉原へ出かけ、販売管理用のソフトを購入してきた。
今までは、開業当初に自分でプログラムしたものを使っていたのだが、消費税の取り扱いがなんだか分からなくなってしまったので、市販のものを使うことにしたのだ。(私は課税事業者なのであるが、会計知識はほとんどない)


■新潟講演

撮影 長谷川さん@北海道ゼロックス
さて、昨日の新潟講演には、沢山の皆様においでいただいた。
参加された皆様、そして主催の新潟県電気工事工業組合様に感謝申し上げたい。

しかし、昨日の演題は「経営戦略に役立つパソコン活用法」というもので、はっきり言って、そんなことは私も分からないのである。

なので、私の講演は、私が行っているIT化とは何か、を私自身の経験則(ソーシャル・キャピタルを基にした、営業しない営業)を通してお話させていただいた。

それは、梅棹忠夫氏の言葉を借りれば「役立たない情報」の再確認ということになろう。

梅沢忠夫は、『情報の文明学』で、情報はコンニャクのようなものだ、といっている。

コンニャクはなんの栄養も無いけれども、食べればそれなりの味覚は感じるし、満腹感もある。
消化器官も働くし、腸も蠕動運動ぐらいはする。

つまり、コンニャクを食べることで生命の充足はえられるだろう、と同様に、情報というものも、それが存在すること自体が生命活動の充足につながる。

情報活動が別になにかの役に立たなくとも、それはそれでいいのだ。世の中にはなんにもならない情報が沢山あるけれども、それはそれで良いのだ、と梅棹はいうのだ。。

これだけだと「なんのことなのだ?」だろうが、つまり、農業社会、工業社会という文明的な進化を通して、消化器官的、筋肉的充足をえた人類は、情報社会において脳神経系が機能し充足をえようとする段階に進んでいる、ということだ。

つまり、私がいうところのミームを扱うものとしてのIT化とは、神経系であり、精神文化のはなしなのである。

情報が数学的情報概念だと思われている限り、コンピュータは人間的要素の入り込むものではない。
しかし、ミーム論的に考えて行くと、今や情報活動は、著しく人間的なものとして、人間存在の根底にある基本的な活動だという自覚が必要だということだ。

つまり、、この時代に、ミームは情報的相互作用の手段として、従来からのヒューマン・モーメント(F2F)に加えて、デジタルなコミュニケーションも手にいれたのである。

なので、私はヒューマン・モーメント(F2F)もデジタルなコミュニケーションも、どちらも大切な情報活動だ、というのだ。

酒を飲まなければ本音で話せない、というのと、チャットでないとコミュニケーションできない、というのは、私からみれば、どちらも大差はないのである。

このふたつのコミュニケーションのバランスこそが、今という時代に我々が必要としているものなのである。

要するに、「経営戦略に役立つパソコン活用法」というものがあるとすれば、パソコンを数学的情報概念を越えた、人間存在の根底にある基本的な活動のための情報活動のツールとして捉えることが必要だ、ということだろう。

2003/08/19 (火)  
【T3】

滝川(北海道)は、浅草より暖かでした。

昨日は不二建設さんでの勉強会。
最初に私が感じたミームは、躾のよさである。

これは素晴らしいことだと思う。

そして皆で松尾のジンギスカンを食べた。
さすがにうまい。


■T3

ところで、ターミネーター3(T3)はもうご覧になられたろうか。
この夏、私は「踊る大走査線」しか観ていないのだが、是非観たい映画の一つがT3なのである。

しかし、「踊る〜」は、映画としてはつまらんものであった。

「踊る〜」というようりは、踊らされている私たち、を実感して映画館を後にできる。
そういう意味では、よい経験をさせてもらった映画ではあるが、最近のフジTVは金儲けうま過ぎである。

さて、T3である。
ミームを考えていくと、ミームのデジタル化という現実を目にする(遺伝子は既にデジタル情報である)。

例えば、CD、DVD、インターネット、そして貴方のPCに納まっている様々なデジタルなドキュメントなどである。

しかし、ミームが人間の脳を使ってしか認知できないものである限り、ミームのデジタル化は完遂できない。
それらの認知は全てアナログ情報の伝達(情報的相互作用)という形で行われている。

つまり、ミームがより一層の完全体を目指そうとすると、ミーム・ビークルとしての人間の存在そのものが限界となるのだ。

そこでミームの完全デジタル化としてのロボット、人工知能の問題、つまり「HAL900問題」や「ターミネーター問題」がでてくるのである。

ロボットの進化について考えることは、ヒトの脳の進化のアナロジーでしか私たちは考えることはできないのだが、ハンス・モラベック(ロボットの脳の進化系統樹を考えた人)は、現在のコンピュータは、マウス程度の頭脳に達していて、2020年ごろには人間に近いレベルまで行く。いずれロボットの脳は人間を必ず追い越す、と言っている。

では、果たして、ロボットの脳はどこまで進化し続けるのだろうか。

これらは、未来学にもならない、まだまだSFの世界で話なのだが、映画のターミネーターを観るとき、(最近になってのはなしだけれども)私はミームのデジタル化のことを考えていたりするのだ。

そして、これもあながちありえないはなしでもないな、と思ったりするのであって(笑)、今度のT3は、どの程度までミームがデジタル化されているのかな、と考えながら観れれば嬉しいのである。(こんな単純なやつなのである>己)

ということで、今日は、ANK 536 札幌(千歳)(0950) - 新潟(1100) で新潟へ移動し、8・19 新潟市『新潟テルサ講演で講演である。8時にまにあ・1号さまが迎えに来る。急がなくては・・・

2003/08/18 (月)  
【講演は格闘なのである】

郡上建協さま、鮎ありがとうございました。
素晴らしい!


さて、本来なら16日に行う改ページをしていないのは、単純に面倒だから、というわけでもない。
ここ最近では、最もまともに書いた(つもりの)15日の戯言を、休み明けに読んでほしい、という下心があるからだ。

私のIT化論が、ミクロ的な経営手法に収まりきれないでいるのは、ご承知の通りである。
なぜなら、経営は内部環境と外部環境の相互作用の中にある、と私は自身が考えているからだ。

経営を考えると、環境に働きかけることによって、自社有利の環境を作り上げること、と言っても良いのではないのかと考えている。(それは私自身のビジネスからの経験則でもある)

これは、『桃論』がいう、環境(消費のミーム)との関係性の編集、という表現になるのだが、この能力こそが、技術のミームであり、コア・コンピタンスのことである。

であれば、技術のミーム(コア・コンピタンス)は、常に外部環境を意識せざるをえない。

今、公共建設市場を取り巻く環境をひとことでいえば、市場の縮小と市場原理化、ということになるだろうが、問題は、その環境下で、自社有利の環境を作り上げる、ということはどういうことなのか、ということだろう。

これを考えるには、単純に市場の縮小と市場原理化という環境を受け入れるのではなく、それはなにゆえにそうなのかを経営の視野にいれる必要がある。

そうすることで、初めて、今までの「正解の思い込み」としての経営が立脚している基盤が、如何に脆弱なもであったかに気付かれるだろうし、そして、その脆弱な基盤を足場としている経営の限界も見えてくる。

つまり、自社の技術のミーム(環境「消費のミーム」との関係性の編集能力)の重要性に気付かれるのだと考えるのだ。
その気付きがあって初めて、私のいうIT化(まずは自社のミームを見る為の眼鏡としてのイントラネット)の意味が理解できるのだろうと考えている。

しかし、こう書いてみても、これをかつての成功を絶対視する方々に理解していただくのは、一筋縄でいかないものであることは確かだ。そして、残された時間は極端に少ない。(いまのままではだが)

ということで、今日の私は、ANA 053 東京(羽田)(0800) - 札幌(千歳)(0935) で北海道入りし、不二建設さんで、この一筋縄ではいかないものを、真夏の4時間講演でお話させていただく。(といって、もちっとも夏の感じはしていないのだが・・・)

そして、明日はANK 536 札幌(千歳)(0950) - 新潟(1100) で新潟へ移動し、8・19 新潟市『新潟テルサ講演で、またしても、この一筋縄ではいかないものと格闘するのだ。

ああ、どうやったら、一筋縄ではいかないものを、もっと簡単に理解していただけるのだろうかと、格闘しているのだ。
私の講演は。

2003/08/17 (日)  
【舞台芸人】

なんともつまらない日曜日ではある。
私は祖母にお線香をあげようかと某地にきていた。

帰りは、帰省ラッシュの最中になるのかと思うと、うんざりではある。

ここのところ、特にいいことがあるわけでもない。
ましてや楽しい日々が続いているわけでもないから、今日の空模様のようにいつも気持ちは冴えないし、やたらとなにか考え込んでは、ギクシャク動く自分にうんざりしている。

そんな中、やたらと寒い8月の真ん中の日曜日だ。
ウツになりそうである。

神田山陽が、題名の無い音楽会で、ピノキオを講談+音楽付きでやっているのを見ている。
山陽の理解者を自負する身としては、彼はこんなもんじゃない、と・・・

彼の持ち味は、日本語のスピード感と躍動感にある、と理解しているが、TVではそれが消えてしまっていた。
万人向け、というのは難しいのかもしれない。

ということで、こんなメールがきておりました。

さて、達郎はいいですね。
暑い夏は特にいいですね。
先日も暑い沖縄の海岸線を走りながら
達郎を堪能しました。

本人はスタジオこもりっきりで
夏は全く関係なのに、大昔の
TVのマクセルテープの海辺CMと
サーファーに愛聴されたことで
夏男になったのでしょうね。

私の沖縄の大親友も先の
「RCA/AIR YEARS SPECIAL」には
痛く感動していました。
達郎本人大希望の初の沖縄コンサート、それも
2連戦はすごくよかったそうですよ。
熱い沖縄で「クリスマス・イブ」の大サービスは
「そんな馬鹿な。。。」と驚きだったそうです。

誰かが言ってましたが、
作詞作曲、歌手、ギター・ドラム・キーボードの演奏家
ビルボードマニアのどれも一番ではないけれど、
その総合力及び聴衆が感動する力では他の追随を許さない。

失礼を覚悟で申しますが、
桃知先生と似ているように感じるのは
私だけではないでしょうね?

大瀧詠一が、「笑芸人」という季刊誌で(何号かは忘れた)、山下達郎は三波春男ですよ、というようなはなしをしていたのを記憶しているが、まさにその通りだと思う。

これは、彼(山下達郎)のLIVEを一度でも経験された方なら納得できるところだろう。
ステージでの彼は、これでもか、というほどサービス精神おおせいな舞台芸人なのだ。

そう考えると、戦後に浸透してきたアメリカの古きよき日の音楽を父とし、日本の古きよきの日の音楽を母として生まれてきた現代舞台芸人の傑作が、山下達郎なのかと思うのだ。

そういう背景をもった大芸人と、私の比較は、私には荷が重過ぎるだろう。
私はまだ一般聴衆を魅了するような舞台芸人はなりきれていない。

まだまだ河原乞食なのである。

2003/08/16 (土)  
【サプリメント狂は長生きできるのだろうか】

私の主食はビールとサプリメントである。
これじゃ、はっきり言って馬鹿である。

一応、私はうまいものに関しては、これでもか、というぐらい貪欲に食べ続けているはずなのだから、なぜサプリメントなのか、と思われるかもしれない。

しかし、カロリーは摂取過剰であるが、肝心の栄養は足りていないのも事実なのだ。
旅ばかりで外食中心である私は、どうしても栄養が偏ってしまう。

それは、この生活を始めた頃、このままでは確実に死ぬな、と覚悟さえしたぐらいである。
しかし、そう簡単に死んで、皆を喜ばすのも癪に障る。

であれば、ということで、不規則な生活を続けながら編み出した、私なりの健康法が、「主食はビールとサプリメント」なのである。(たいした意味はなさそうだが・・・)

私がほぼ毎日摂取しているサプリメント一覧は次のようなものだ。
(私のバックにはいつもこれらが待機している)

マルチビタミン(DHC)
いちょの葉エキス(ファンケル)
DHA(ファンケル)
ウコン(小林製薬)
ビタミンE(小林製薬)
亜鉛(DHC)
ブルーベリーエキス(DHC)
これに時々ビタミンB群(小林製薬)をプラスする。

まあ、安物ばかりではあるが、最近特に重視しているのが「葉酸」で、これは、マルチビタミン(DHC)か、いちょうの葉エキス(ファンケルのは葉酸が含まれている)か、ビタミンB群(小林製薬)のどれかを摂っていれば、一日分の必要量(0.2m.g)は摂取できる。

これに、明治製菓が販売している「速攻元気」という、オレンジ味のお菓子のようなタブレットのサプリメントがあるのだが、これをふたつぽりぽりと食べても、ビタミンB群と葉酸は一日分の必要量は補充できる。

誠に便利なものであり、便利な時代ではある。

私が葉酸にこだわるのは、これは血管を支配している(血中ホモシステインを減少させる働き:動脈硬化を防ぐ)からばかりではなく、近年アルツハイマー症やうつ病、痴呆症の改善作用が注目されているらしいからだ(特に私は鬱病はいやなのである。)

私も既に「45歳♂」となった。
もう若くはないのである。年取った鬱病は悲惨である。

それに、日々身体と精神が受けているストレスは、サラリーマン時代の比ではなくなっている。
それでも生きているのは、自分が自分のボスだからである。

これが意思決定への最大の精神的エネルギーと身体的緊張のバランスを生み出していることも確かだ。
しかし、その精神的なエネルギーも、鬱病の前では、なんの効力もなくなってしまうのも事実なのである。

だから葉酸なのである、と色々理由を考えてみたが、しかし考えてみれば、女々しいというか、根性の座っていない生き方である。

酒飲みは酒飲みらしく、酒だけ飲み続けて、ばーっと散るのが正しいのかも知れない。
大酒のみだった祖父も、孫の馬鹿な所業に、草葉の陰で呆れていることだろう。

でも、そう簡単に死にたくはないのだ。
最後まで、私は、生きることにこだわり続けてやるのである。

くそ・・・って何に怒っているのだ。>己

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