ももちとしおの店主戯言 98/11/16〜98/11/30
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98/11/30(月)▲ ▼
【ねていたのではありません】
すみません、更新できませんでした。
98/11/29 (日) ▲ ▼
【工事中らしい(笑)】
今日はね、昨日に引き続き↓のとおり虫歯が”ずっきん、ずっきん”してるので今のところお休み中です。工事中なのは虫歯菌が工事中なのね(笑)。
98/11/28 (土) ▲ ▼
【(T_T)】 11/28/98 17:16:01▲ ▼
虫歯が、すんごく痛い。故に無口。
【客観的】 11/28/98 08:45:48
日経コンストラクションのニュースから 「等級,評点の非公開は妥当」大阪高裁の控訴審判決
URL http://www2.nikkeibp.co.jp/NCR/news/981127-4.shtml
小林茂雄裁判長は,「等級や評点が,一般の住民に建設会社の客観的な評価だと誤解され,各社が他の顧客から受注する際に弊害が生じるおそれがないとは言えない」
この↑の解釈は面白いですね。ここでいう「等級や評点」というのは「経営事項審査の総合評点に主観的評点を加えたもの」ですが、これが建設会社の「客観的な評価」では無いという判断はいまさら言うまでもないところですね。
現在のところ、公共事業を受注しようとする建設会社のランク付けの方法は、唯一「経営事項審査の総合評点」と、これに発注機関が独自の主観的評点を加えたものなです。経審自体が主観的でありますし、発注者による評点は無論、主観の塊ですから「等級や評点」は極めて主観的なものだと言う大阪高裁の見解には賛同します。
しかし、主観的故に公表が必要なのですね。(^o^) 主観的だからこそ公表すればいいのですよ。客観的であるのなら公表する必要はないのです。さらに付け加えるのなら、この主観的なデータを公表することによって、その主観的なデータの正当性(非常にあいまいな意味での「客観性」)が保証されるのですね。
まあ、「客観的」と言う言葉自体、けっこう怪しいところが多いのですが、この「等級や評点」が「客観的」でない事は当たりまえですから、それを公表することによる受注に際した障害を理由にした今回の判決は??????ぐらいでしょうか(笑)。
それを言うなら、非客観的データに基づく大阪府の発注制度は、「各社が大阪府から受注する際に弊害が生じるおそれがないとは言えない」でしょうね。
98/11/27 (金) ▲ ▼
【カオスってる】 11/27/98 19:43:12▲ ▼
本日の戯言↓は、カオスってますね(笑)。予定がコケたせいですね(笑)。
複雑系科学の方々のおっしゃるカオス理論というのは、インターネットの世界に足を突っ込むと、義務教育で教わった社会科ぐらいには真実味を持って僕たちの目の前に現れてきます。
珠玉混同、虚実混在、まさに、「自由洗脳競争」(岡田斗司夫)が展開されています。
こういう時代ですから、若干の右寄りな流れと、ゆるやかなアノミー的傾向が、多少鼻につく程度には気になったりはしますが、いろんな考えの方々が、自由に己の考えを発信できるインターネットというのは、これはこれでいいシステムなのだなと思うのです。
かくゆう僕も、インターネットおかげで、こうして「存在」していられるのですから。
【怒涛の神奈川県】 11/27/98 11:54:30
Yomiuri On-Lineより 「神奈川県で期末手当カット一部合意」
ついに自治体による全職員のボーナスカットという事例が登場してしまいました。
自治体の財政難は、これからの日本のシステムの再編の起爆剤になりかねない大問題ですが、自治体自ら、それも職員の皆さん自ら、このような判断をされたことは、大変評価できることだと思います。
IGK(インターネット・行政書士・協議会)さんのMLでは、神奈川県の入札参加資格申請が、「往復はがき」によって行われるように「簡素化」されたという話がありました。
これで行政書士さんのお仕事が減るといった話が出ていたようですが、行政が動くとある業界への影響が大きいのも確かなようです。
【CALSの実践】 11/27/98 10:53:32
今週はある用件が入る予定だったので、体が束縛されるような事は外しておりました。
そんなわけで、今週はセミナー用のプレゼンピッチの作成や、本を読む時間が多く取れました。
今週読んだ本のなかで、一番のお勧めは「CALSの実践」 水田浩/監修 三橋 暁/編集 共立出版社 97/11/.1でした。
この本は、特に建設CALS/ECに的を絞ったものではなく、CALS全般について書かれた書籍です。
「デジタル革命」や「情報社会」、「パラダイムシフト」は、僕のマイブーム的な存在なのですが、CALSを「デジタル革命」がもつ「一つの現象」として捕らえCALSについて語っているところなど、経営者やCALS推進担当者の皆さんには一読をお勧めしたいと思います。
【ドリームキャストは本日発売です(笑)】 11/27/98 07:48:48
http://www.sega.co.jp/
ゲームは当然、インターネットもできる。メールも使える。モデムもついて29.800円
一年前のモデムの値段と思えば、めちゃくちゃ安いような気がする。
【今日のわんこ(笑)】 11/27/98 07:38:04
今日はまだ字を書く気になっていないのですわ(笑)
うまいね。↑
http://www02.u-page.so-net.ne.jp/dc4/katara/menu.html より
98/11/26 (木) ▲ ▼
【建設CALS/ECは政府の強力なリーダーシップの下で】 Thu, 26 Nov 1998 18:49:08▲ ▼
「高度情報通信社会推進に向けた基本方針」 http://www.kantei.go.jp/jp/it/981110kihon.html でも解るように、政府は民間主導の情報化の進展に重きを置いています。
しかし、ご存知の通りCALSはどこまでいっても「標準化の活動」であり続けるわけですから、その本質は「仕様」は顧客が制定するということであり、受注側はいつでもCALSで受注できる体制を整えておくという考えに尽きると僕は考えています。
これを早期に実現可能とするためには、政府がCALS整備を自らのリーダーシップにおいて早急にすすめる必要が有ると思います。
その為の法整備やインフラの整備は最優先で行うべきであり、企業が情報化対応を行いやすくするための、例えば「情報化推進減税」なんていうのをやってみてもいいのではないかと思うのですがね。
今回、建設省と郵政省はインターネットでの入札参加資格申請の受付を行うことになりましたが、それぞれが違う認証システムを使うなど、申請者側にはなんにもメリットが感じられないのですね。せっかくの情報化の取組みが縦割り行政の弊害の面を強調するだけに終わりそうな気配がして、ちょっと心配なのです。省庁毎の閉じたEDIとでもいいましょうか、こんなのはCALSとは呼べるものではないのでした。
【Living with you】 11/26/98 05:24:15
「情報社会」でのキーワードは(「工業社会」の「自由競争」に対する)「共生」、「共働」、「自立」だそうですが(水田浩監修「CALSの実践」)、これがいまいち整理がつきません。
特に「共生」の概念は考えているとドツボにはまりそうですわ(笑)。
「共生」で辞書をひいてみると、
異種類の生物が同じ所にすみ、互いに利害を共にしている生活様式。相利共生と片利共生とに分けられ、前者にはアリとアリマキ、ヤドカリとイソギンチャク、後者にはナマコとカクレウオ、サメとコバンザメなどがある。
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988
というのがでてきたりします。
↑の異種類の生物というのは、人間社会においては「an individual」の事なのだろうなというのは、なんか想像がついたりはするのですがね、これを公共事業の世界で考えるととたんに分け解らなくなりますよ(笑)。
建設CALS/ECの効果の一つに、公共事業における「自由競争」原理の導入なんていうのを見かけると思いますが、それは「工業社会」のキーワードであって、建設CALS/ECが実現されるであろう「情報社会」ではなにをいまさらの価値観なのですよね。
ということは、もしかして公共事業の世界は、実は「工業社会」以前の「農業社会」のパラダイムが未だに支配的であって、遅れること「一革命」、これからようやく「工業社会」敵価値観へのパラダイムシフトが行われようとしているのではないかと考えられたりします(笑)。
まあ、日本の行政システム自体が実は↑なのではないのかとは思うのですね、僕がよくいう「ネポティズム」の価値観です。「王様と領民」的な価値観が支配的なシステムとでも言えるかと思います。
これが、「自由競争」の原理を巻き込みながら、アルビン・トフラーのいう「第三の波」の洗礼を受けてどのように変化(パラダイムシフト)していくのかというのは、考えただけでも「おもしろい」ので、僕はこんなことやっているのですね(笑)。
そんなことで「情報社会」のキーワードですが、「共生」が「自由競争」に対する価値観としての「共生」だと、「談合」の存在の正当性をいう人も出てくるのかなとは思います(笑)。
この「共生」というのは、人間一人一人の「自立」に基づいた「異なる価値観」の「共生」なのでしょう。この「異なる価値観」を情報として伝えるための「自立」と、「異なる価値観」の「インテグレード」を技術的に支援するのが「情報技術」と今のところ僕は理解していますが、この「インテグレード」こそ「談合」の存在理由であると言われそうな気もしないでもないな(笑)。
98/11/25 (水) ▲ ▼
【著作権】 11/25/98 08:16:07▲ ▼
僕のオリジナルはこれ
これがリンクですって(笑) URL http://www.tokuken.or.jp/simei/kensetusyo1.htm
当事者様から、リンク設定のメールを先に頂いていましたので、本日確認にいったら、こんなになっていました。(黙ってやっていただければ気がつかなかったのにね(笑))
いくら、僕のオリジナルが牟田先生からいただいたテキストベースとは言え、僕の存在は完全に無視されているのよね(T_T)。(牟田先生には許可をもらったのかしら?)
当事者宛てに抗議するのも芸が無いので、早速、ももちのネタにしてしまいました(笑)。
まあ、どちらにしろ期間限定の話題ではありますね(笑)。
【続・甘えと信頼】 11/25/98 00:00:54
昨日(↓)の【甘えと信頼】で、「情報社会」の求める基本原理の一つを「合理化」と書きました。これは「効率化」と同じように考えていただいて結構なのですが、この原理が強調される局面とは「プロセス」としての「システム」の話しであり、人間性(個性)の問題ではないことに注意していただきたいと思います。
情報社会(得にビズネスの分野)では、データやプロセスやらが高度に「標準化」されます。まあ、これ即ちCALSなのですが、ここで「標準化」されるのはデータやプロセスであって、人間そのものが「標準化」されるのとは違うのですね。
CALSの推進は「標準化」への合意形成の作業ですが、これは、情報化における、あれはだめ、これもだめの「だめ、だめ、だめ」の作業なわけであります。つまり、まあデータやプロセスの規格品を作っているわけです。
今までの(今でも)のやり方は、これを学校教育の段階から「人間の行動」に対して(規格化を)強要していたわですね。つまり、日本の教育制度への批判なんかでよく言われる、画一的な規格品としての「人間」をつくりあげては、社会(システム)に押し込めていたわけです(なぜなら、それはシステム自体が未熟なので、システムに従事する側を教育するしかなかったから)。
「デジタル革命」はある意味では、この(↑)のシステムの不完全さのBPRであって、「人間」は旧来の不完全な社会システムからの開放を約束されなくてはならないでしょう。
それは、「情報社会」においては、より多様化された「個性」の出現の可能性を意味するのだということです。
つまり、「情報社会」においては、より多様化された「個性」の出現、ある意味では(現在の社会システムでは)非効率的な人間も、十分な存在意義と機能を発揮するチャンスを持つことになると言えます。
ですからこの(↑)文脈では、僕が【情報社会と新学習指導要領とパラダイム・シフト】で書いた「ゆとりのある教育」、すなわち、
education that aims at development of individual talent rather than learning by rote
と言うのが非常に重要な意味を持ってくることが理解できるかと思います。
#文化・芸術なんて非効率な方が絶対に面白いはずですから。
【おなかすいていませんか?】 11/24/98 23:56:26
ラーメンたべたいです(笑)。
98/11/24 (火) ▲ ▼
【BOHOでいこう】 11/24/98 17:16:06▲ ▼
BOHOって略語を「Big Office Home Office」の略で使っているところがありました。
なるほどね〜って感心してしまったのですが、ももちのBOHOの「B」はあくまでも「Binbo」であります。
気分はいつも「Binbo」でいきましょう、という「B」であります。
システムやインフラはお金を掛ければ解決できる簡単な問題です。
お金持ちの皆様にとっては訳の無いところでしょう。
しか〜し、情報化成功の本質は結局情報を操る「人間の問題」に帰納しちゃうんだもんね。
いくら最高スペックのマシン揃えても、いくら現時点で最高というシステム構築しても、それでは「こころ」は満たされませんね。
だから、システムにお金掛けるのなら、教育にお金掛けてください、って言うのが僕の持論なのね。
気分はいつも「B」でいきましょう。その方が絶対に楽しいです(笑)。
水前寺清子曰く、
「ぼろは着てても心の錦 どんな花よりきれいだぜ〜」ってね(笑)。
日本語の情報は「なさけ(情け)」にむくいる(報いる)」って書くんです。
(ナニ言ってんだか>自分)
【ねえ、こんなの沢山あるじゃない】 11/24/98 11:07:53
これは、11月23日に書いた【こういうのは好きじゃないです】ですのフォローでもあります。
Yomiuri On-Lineより 「成人病検診で2億6000万架空請求」
URL http://www.yomiuri.co.jp/msn/1124i501.htm
この作業には民間は介在していないようですね。興味があるのは、架空請求で得たお金でなにしたかということでしょうか(笑)。ちょっと早いけれど昼飯にしよう(笑)。
【甘えと信頼】 11/24/98 04:11:59
「原典情報社会」増田米二 TBSブリタニカ 1985.(「CALSの実践」水田浩 共立出版 1997.による)
工業社会と情報社会 工業社会 情報社会 革
新
技
術中核体
基本的機能
生産力蒸気機関
肉体労働の代替と増幅
物的生産物
コンピューター
知的労働の代替と増幅
情報生産力
社
会
・
経
済
構
造生産物
生産機関
市場
リーディング産業
経済構造
経済主体
経済体制
社会形態
所有物・サービス大量生産
近代工場(機械・装置)
植民地、消費購買力
製造業(機械・化学工業)
市場経済
企業
自由競争原理
階級社会
情報技術・技術・知識の大量生産
情報ユーテリティ(ネットワーク、データバンク)
知的フロンティア、情報利用
通信情報産業
共働経済(共同利用)
自主的コミュニティ
共働原理
共働社会
工業社会から情報社会への変化というのは、いわゆる「デジタル革命」によってもたらされるのですが、経済的には右肩上がりの社会しか経験していない戦後生まれということもあってか、僕にはどうしても具体的なイメージが湧きあがらないところがあります。
それで、上の表や11月16日の【パラダイム・シフト】で書いた岡田氏の描くイメージ、さらには(お気軽に読むにはちょっとヘビーですが)経済審議会による「高度情報通信社会小委員会 報告」あたりで勝ってに想像したりしています。
「高度情報通信社会小委員会 報告」
URL http://www.epa.go.jp/j-j/keikaku/k-joho-j-j.html#0
しかし、僕の最大の関心事は「デジタル革命」という「革命」の意味するところなのです。
「革命」という言葉を使っているのですし、A・トフラーの言うところの「第三の波」な訳ですから、この変革による「痛み」はある程度大きなものがあると考えられます。
僕はその「痛み」とは何だろうな、そしてその大きさはどの程度覚悟が必要なのかと考えるのでした。
僕は、日本の関係原理である「個人と個人」、「個人と企業」、「個人とコミュニティや国家」との「甘えと信頼」をベースとしてきた「関係」の崩壊を「痛み」の第一候補に想定しています。
考えるに、近代以降の日本においてその関係原理が破綻したことは、いまだかつて一度もありません。しかし、近年「甘えと信頼」の関係原理の露呈は例を列挙するまでも無く、政界、財界を問わず指摘され続け、多くの問題が国民の目の当たりにされています。
これは、徐々にではありますが、僕が【地方公共団体のネポティズム】で書いたネポティズム的な社会が、(「情報社会」の意味するところの)何らかの方向へ変革をおこそうとする兆候だと考えるのが自然だろうと考えるのです。
ですから、ネポティズム的な関係が機能し続けている今現在、一見「甘えと信頼」という関係原理はあまり揺らいでいないように見えるのですが、「情報社会」の求める基本原理の一つである「合理化」の要求は、あらゆる局面で、全体的には「ゆっくり」ですが、確実に生じている(機能している)のは確かでしょう。
問題は、「合理化」へのシフトが社会的な秩序混沌(アノミー)をもたらすような急激なものになる可能性が有るのか、否かですね。ここで「痛み」の度合いが大きく変わってきます。
(急激な変化は大きな痛みを伴うと考えていいでしょう。)
この問題の鍵は日本の場合、社会構造改革の主体としての国や地方公共団体が握っています。
それは、日本の関係原理がネポティズム的な「甘えと信頼」により構築されおり、その「甘えと信頼」によって生み出される慣習や惰性など将来的予測や期待を導くものごとを無視して、つまり信頼関係を一気に踏み越えて、社会の構造改革がおしすすめられるとはとても考えられないという「甘えと信頼」のパラダイムが支配的であり続けているからです。
ご存知のように建設省による「建設CALS/EC」への取組みは、この「合理化」へのシフトを、極力社会的な混乱を避けるように意識的に「ゆっくり」と行われています。これはある意味では非常に正しいやり方だと僕は思っています。余計な混乱はできれば避けたいものです。
しかし、この「ゆっくりとした変化」が、吉とでるか凶と出るか(最終的に国際社会で生き残れる「日本」を作り上げることに成功するのか否か)は、現時点での「日本」の立場や政府の能力をみるとはなはだ疑問が多いのも事実です。
98/11/23 (月) ▲ ▼
【こういうのは好きじゃないです】11/23/98 17:02:26▲ ▼
MSNニュース&ジャーナル「ゼネコン救済にしかならない政府の景気対策」
http://news.jp.msn.com/wr4.asp?id=981121ban
と
萬晩報「銀行・国鉄・景気で計128兆円の国民負担増」
http://village.infoweb.ne.jp/~fwgc0017/9811/981117.htm
とは、同じ物であるにもかかわらず、MSNの編集者の意図(?)で表題が変えられています。
原題は「銀行・国鉄・景気で計128兆円の国民負担増」なのですが、MSNに転載されて「ゼネコン救済にしかならない政府の景気対策」とかえられているのはなにか意図的なものを感じます。
とても「いじめやすい」そして「わかりやすい」ことばとして「ゼネコン」を選んだのでしょうかね。
安易すぎる発想だと思います。
ゼネコンが救済ができれば、それはそれで評価されていいでしょう。
「ゼネコン救済にもならない」というのなら多いに問題視されるべきですが。
98/11/22 (日) ▲ ▼
【神は何故僕にMacを使わせなかったのか(笑)】 11/22/98 15:42:49▲ ▼
僕のPC経歴でMacが登場するのはたったの一台ですが、それもゲーム専用機でした。
僕がMacを使わなかったのは、メカとしてのPCの魅力の差であります。
僕をDOS/Vの世界に引きずり込んだのはIBMのThinkPad220でして、MacOSが走るThinkPadでもあれば、今頃Mac使いだったかもしれません。
僕が、DOSやWIndowsやOS/2やLinuxを使えるのは、僕が熱心なThinkPad使いだからであって、それ以外の理由はちょっと見つからないのでした。Windowsが好きとかLinuxが好きとか、そういうものではなくて、つまり僕の個人的な傾向としてはOSはどうでもいいのでして、TkinkPadのある生活が、つまり僕のPCライフなのです。ですから、現在の僕の最大の贔屓であるThinkPad560でMacOSが走るのであれば、なんの違和感も無くMacOSを使うことでしょう。
今日は連休なのですけれど、もうどうしようもなくテンションが下がりまくっていまして「やる気」というものが起きないでいました。それでDIMEを「ぼけー」と読んでいたのですが、山根一眞氏のコラムに面白いことが書いてありました。題して「『iMac』による家庭内幸福とマックおやじの複雑心境」。
山根氏は、ここで「Mac宣教師(山根氏の言葉)の和田昌樹氏の言葉を引用します。曰く、
「周りが熱くなればなるほど、それに反比例してこちらは天の邪鬼な気分になる。(略)すぐに買う気にはならないのだ。(略)『斬新なデザインだとは思うけど、僕の机には似合わないな』と言いたくなる。(略)みんなが持っているとか、いいとか言っている話は大嫌いなのだ」
これに対して山根氏(奥さんと娘さんのためにiMacを購入したのだ)は、(和田氏の)奥様とかお嬢様がiMacを欲しいとおっしゃってくださったのは、家族が味方につく絶好のチャンスだとやんわりとiMacの購入をすすめるのでした。
(山根一眞氏は正しいMacファンでありPCユーザーだと思います)
僕がこのコラムを読んで感じたのは、Macの普及を阻害しているのは、案外熱狂的なMac信者そのものなのではないだろうかということです。
Macユーザーの中には(全てとは言いませんよ、一部の方々ですね)、Macを使っているユーザーの方がWindowsのユーザーよりも正しいPC文化を背負っているというような「自負心」が強すぎる方々が多いような感じを受けます。彼らはむしろシェア的に小さく、巨人マイクロソフトによって虐げられている自らの状況が、実は非常に居心地が良いことに気がついています。そんな方々にとっては、iMacの登場は諸手を挙げて喜ぶべきものではないのでしょうね。
お金に余裕があれば、iMacを買おうと考えている今日このごろの僕の思いでした。
【政治もここまでくれば末期症状だろう】 11/22/98 10:49:29
Yomiuri On-Lineより 「官房長官の辞任示唆発言に波紋」
URL http://www.yomiuri.co.jp/msn/1121i405.htm
野中氏は二十一日、京都市内での党京都府連主催の政経文化パーティーで、「どうして変節して自由党と一緒になったのかと批判を受けている。けれども、今の日本の状態は私どもがそのことをこだわっていることを許さない状況だ」と説明した。
「私の政治生命が批判され、傷つき、終わろうとも、日本が二十一世紀も栄えるなら政治家として満足だ」
本気でこんな事を言うのだから、そうとうな「勘違い」なお方なのだろう。
↑の文脈の「日本」というを「自民党」と読替えて読んでいただきたい。野中氏の言いたいことが、物凄くすっきり理解できるでしょう(笑)。皆さんこの手の詐欺まがいの発言には十分気をつけましょうね。
僕たちは「自民党」や「自由党」と一蓮托生ではないのだ。
政党は滅びても、僕たちは生き続けなくてはならないのだ。
98/11/21 (土) ▲ ▼
【排除勧告】 11/20/98 23:47:28(疲れたのでちょっと早め・・・寝ます)▲ ▼
Yomiuri On-Lineより 「マイクロソフト日本法人に排除勧告」
URL http://www.yomiuri.co.jp/msn/1120i502.htm
コンピューターのOSを作ってる会社に「排除勧告」をするような時代になろうとは、公取委自身も思っても見なかったことでしょう。「時代」は確かに少しずつですが変化し続けているのでしょう。
↑のニュースから、今後MSに対するパッシング的な記事が多くなる事は容易に想像がつきますが、大事なことは、自由競争を建前とする経済システムにおいては、「知識逓増型ビジネス」は寡占が進むのは当然の事だという認識です。
なぜなら、「知識」という「資源」には資源的には限界が存在しないからです。さらに「知識」という資源は、「知識」の集中しているところに集まりやすいという「性質」を持っているからです。
この事についていえば、世界最大級の自動車会社GMにしてもトヨタにしても、世界規模でシェアの50%を占める事は不可能です。なぜなら、自動車を製造するための「資源」には限界があるからです。
さらに、PCの利用が個人の枠内で完結していた時代から、PCが高度にネットワークで結ばれる時代への変化は、PC間の共通言語としての「データの標準化」を要求してきますから、自由競争の初歩的な原理で言えば、データ形式の独自仕様による「顧客の囲い込み」こそ正し競争原理だったわけです。
ですから、その勝者であるマイクロソフトにいまさら「排除勧告」というのも、まあ変な話だと僕は思うのですね。Macでも、OS/2でもチャンスは平等にあっただろうし、アップル社が仮に現在のマイクロソフトと同じような立場であったとしても事態は大して変わっていないように思えます。
コンピューターOSのような「知識逓増型ビジネス」市場において寡占を防ぐ方法は、「意識的な予防」しかありえないということでしょうか。
参考 URL http://www.zdnet.co.jp/news/9811/20/trial.html 11/21/98 11:56:42追加
http://www.zdnet.co.jp/news/9811/20/sunms.html
98/11/20 (金) ▲ ▼
【あなたには言えない】 11/20/98 00:01:15
いつも当桃知商店をご贔屓いただきましてありがとうございます。
このサイトの最近の「売り」といえば、この桃知の”与太話”がすっかりメインになってしまっています。
まあ、この事については「これでええのか?」と店主は疑問を持ちながらは生きてはおりますので長い目で見守ってやっていただければとお願いする次第です。
けだし、現在の店主のWWWに関する基本見解は↓の詞が代弁していいるところがありまして、まあこの症状は暫く続くことと思われます。
あなたには言えない(CAN’T TELL YOU) 詞 宮沢 和史
このいたみを だれに伝えよう
あなたには言えない
だけど他に見つからない
この喜び だれに伝えよう
あなたには 言えない
だけど他に見つからない
(中略)
この愛をだれにあげよう
あなたにはあげない
だけど・・・・
だけど 愛をふくらませて
遠く高く飛んでゆける
*お酉様関係ヒロインもの(笑)シュシュトリアンのエンディングテーマソングだった曲です(作曲と唄は矢野 顕子)。
【稟議書作成支援材料集】 11/20/98 00:01:28▲ ▼
いやあ、インテルは面白い事考え付きましたね。この企画はあっぱれです(笑)。
稟議書作成支援材料集ですって。
http://www.intel.co.jp/jp/business/solution_case/ringi/index.htm?iid=ijkk+bizbn023&
でもな中身はおもろなで(笑)!
稟議書書くのに「夢」も「希望」も語れんようになったら使ってみるのもええかもな。
98/11/19 (木) ▲ ▼
【情報社会と新学習指導要領とパラダイム・シフト】 11/19/98 00:01:34▲ ▼
国の体制(社会と言ってもいいのだろうけど、社会と言う概念自体、僕が明確に定義できていないので)維持と教育は密接な関係を持ちながら存在しているのはあたりまえだのクラッカー(う〜古い!)。
日本の義務教育が工業社会における生産活動を支えてきた集団行動の予備演習であり続けているのは、教育の現状を見れば簡単に理解できることでしょう。
その限りにおいて(政府が現状の教育体制の「情報社会」へ向けた改革を示さない限り、というような意味で)、いくら政府が「デジタル革命」とか「パラダイム・シフト」と言ったところで、僕は政府の言葉に何の現実味を覚えないのでありました。
というところで、昨日付けで発表された「幼稚園教育要領案及び小・中学校学習指導要領案について」を読むと、新しいキーワードは「ゆとり」なのでありました。
僕はここで、さて、教育における「ゆとり」ってなんだろうと思ったのでした。
ゆとり
〔時間・金銭・気力などが十分あって〕きゅうくつでないこと。余裕。「―のある生活」「心の―」オ余地。余力。(グランド辞書スパ)
余地、余力のある教育では手抜きみたいですものね(笑)。
「ゆとりのある教育」を英訳すると
education that aims at development of individual talent rather than learning by rote
だそうです。
(Progressive Japanese-English Dictionary, Second edition Shogakukan 1986,1993/プログレッシブ和英中辞典 第2版 小学館 1986,1993)
なるほど、これだとわかりやすいですね。「ゆとり」とは「aims at development of individual talent rather than learning by rote」です。
この文脈で期待することにしておきましょう(笑)。
それでは、情報やコンピューターはどこにあるのかなと探してみると、中学校ではなんと技術家庭科の中にあるのですね。噂では聞いていましたが驚きました(笑)。
僕はこの世界には、経済学の一分野(?)である「監査論」(デジタルデータの信憑性みたいなところと理解してください)から入ってきましたから、料理や、本箱作ったりする(というイメージの)技術家庭科に情報やコンピュータの教育があるのがどうもピントこなかったりはしています。
総合学習の時間と言うのが新しく設けられますので、その中で情報化も取り上げられるのでしょうか。
実際には、コンピュータを使った算数や国語の学習というようなかたちになるのでしょうかね。
そしたら、技術家庭科のコンピュータ学習というのは、PC自作講座か(笑)。それなら納得できる(笑)。
総合学習がらみで言えば「小学生の英語学習」についてはいろんな意見があるようですが、もうなんでもいいですから使える英語力を!
インターネットの世界にどっぷりと漬かっていると良く分かりますが(笑)、英語は大事です。
使えた方が使えないよりは絶対いいのよね。
まあ、読んでみると色々と考えさせられる「幼稚園教育要領案及び小・中学校学習指導要領案について」ではあります。
教育の目的はその時代背景で大きく変わってくるものですが、「デジタル革命」による「パラダイム・シフト」が起こっているといわれている現在、「来るべき未来=情報社会」に生きる日本人は、この教育制度の下で生まれ得るのでしょうか。
僕の印象は、「物凄く中途半端」です。
教育は最後にやってくるビックバンなのかもしれません。まあそんなものでしょう。
「幼稚園教育要領案及び小・中学校学習指導要領案について」
URL http://www.monbu.go.jp/series/00000048/
98/11/18(水) ▲ ▼
【デジタル革命】 11/18/98 21:45:53▲ ▼
少し気分ののったところで(「躁」に向かいつつあるという事ですね)「デジタル革命」についてのプレゼンピッチをまとめていました。
この「デジタル革命」も解ったようで良く解らない「ことば」であります。
認識的には、「領土革命」「工業革命」に次ぐトフラーのいう「第三の波」としての取り扱いなのでしょうが、人間が言語として「デジタル革命」を捕らえる限り、その実体はその言語としての認識の網に捕らわれているのですね。
ですから、この「デジタル革命」の後に来るであろう「新しい社会」=「情報社会」の定義もまた、我々の既存(経験を基にしたという意味)の想像力を越える事が難しいのです(というよりほぼ不可能)。
ですから、「デジタル革命」を語る方々の語る「新しい社会」が、ちっとも「新しい社会」で無かったりするのは仕方のないところなのでしょうね。
しかし、この「デジタル革命」の原動力になるのは、より現実味のある(実現する可能性が高いとか低いとかではありません)「夢」の提示であるあることはいうまでもありません。
「デジタル革命」が、紙がデジタルに置き換わるだけの社会では「夢」は見れないでしょう。
そして、桃知もまた網を破って夢を語る道を自ら選んでは、もだえ苦しんでいたりするわけです(笑)。
そう言えば、その昔「Beeing Digital」というペーパーバックを原書のまま読む勉強会をやった事がありましたが、これの邦題を決めようというときに「デジタル野郎」というありました。けだし、傑作でした。
【お知らせ】 11/18/98 21:45:31
このサイトをおいてあるWebServerの容量が足りなくなってきてきているので、大掃除をしています。
充分注意をしながら行っていますが、表示に不都合な点などがあればお知らせいただければ幸いです。
【タッチおじさんロボット発見】 11/18/98 10:15:56
URL http://www.fps.co.jp/
CALSにとってなんか貢献するはずもありませんが。
通販だけというのは値崩れ防止策でしょうかね。
秋葉のジャンク屋で100円ぐらいで出てくるのを待ってたりしてね(笑)
(ちっとも仕事をする気になっていません>自分)
【BGM】 11/18/98 09:50:52
鬱状態だとばかりは言ってもいられないので、少し気合を入れようかとBGMを準備しました。
元気が出るように DeepPurpleの「MACHIN HEAD」をまずは選んでみましたが、う〜、いけませんね。
げっぷがでそうです。
次はスタイリステックスのベスト盤。これはいけますね(笑)。
超薄口アイスコヒーの感じです(僕はこれが大好きです。ちなみにストレートで飲みます)
これでいきましょう。
なんてったって、You Make Me Feel Brand Newだったりします(笑)。
しかし、↓の【基準】は一晩明けて読んでみるとなんという駄文なのでしょうね。
その辺のPC雑誌のごますり記事のようです。(桃知はIBMからは何ももらっていませんよ)
【基準】 11/18/98 00:04:27
ここのところずーっと態度がでかいVAIOをはじめ、日本のPCメーカーは「薄型銀パソ」をモバイル・PCとして製造販売しています。
僕がVAIO以外で何の知識もなく、ショップで現物をはじめて見た「薄型銀パソ」はシャープのメビウスPJでありましたが、その時の印象はひたすら「カッコいい」なぁ〜、「欲しいなぁ〜」「買いたいなぁ〜」という情けないものでありました。(笑)
しかし、今僕が使っているモバイル・PCはIBM ThinkPad560です。
(そう言えば、IBMからは「薄型銀パソ」は発売されていませんね。)
途中紆余曲折はあるものの、僕のThinkPad560暦は、約三年前に発売された初代から3台目を数えています。
発売当時、560の売り文句は「像が踏んでも壊れない」ではなく(笑)、ハイヒールを履いた女性の方がのっても壊れないノートPC、液晶部を持って、パタパタ、うちわ状態で扇いでも壊れないノートPCでした(かなり怪しい記憶ではありますが)。
それで、外出先でもしっかり仕事ができる機能を持って1.9Kg、飛びつきましたね。
その後、約3年間、細かいスペック変更はあるものの、基本コンセプトは全く変わらないまま成長してきましたすばらしいマシンです。
ThinkPad560の凄さは、とりあえず大阪〜東京間の新幹線の中で仕事ができるだけのバッテリー容量とその躯体の丈夫さ、そして一度使ったら忘れられないキーボードタッチにあります。それにトラックポイントも非常に使いやすい。
即ち、桃知のモバイル・PCの判断基準は、このThinkPad560が基準になっています。
ですので、現在発売されている「薄型銀パソ」は、松下のレッツ”ビーダマ”S21を除いて、すべてペケです。(笑)
「鬱」状態なので、こういう「仮想敵」を想定したような文章でないと書けないのよね。(T_T)
98/11/17 (火) ▲ ▼
【illiteracy】 11/17/98 09:16:10▲ ▼
illiteracyは「文盲」ということです。反対語は、既にカタカナになって一般に使われている言葉「リテラシイ」です。
↓のインターネット一元受付において、特徴の一つは行政書士の一部の皆さん(一部というのは、全ての行政書士が電子申請に対応できるわけではない、という意味です)の建設CALS/ECへの参加です。
これは建設業者のilliteracy対策としては当然の行為(従来からある「代書屋」的行政書士の機能からは想像しやすい行為)だからでしょう。
しかし、今後建設CALS/ECに限らず、行政関係のデジタル申請が推進されていこうという中で、行政書士自体にもコンピューターilliteracyの方々(差別用語ではないよね?)が多数おられるという事では、デジタルの世界では行政書士さんの差別化や存在意義の再構築も進まざるを得ないということでしょう。
これは、全ての建設業者にとって、決して建設CALS/ECへの対応(情報化)が欠く事のできない要件では無い(公共事業を元受け受注する必要が無ければ大した意味は無いかもしれないということで)ことに比べれば、より影響の大きいものかと思えたりします。
【インターネット一元受付】 11/17/98 05:44:12
建設CALS/ECの実験的試みとして、インターネット一元受付があります。
建設CALS/EC全体にとっては小さな出来事ですが、まあ、とにかく入札参加資格申請をオンラインでできるというのは画期的な事なのです。
なによりも、あの無愛想な担当官に会わなくとも済む(笑)というのは、とにかく画期的なのです。
(まあ、最近は大分愛想が良くなってきているという噂ですが。)
昔、僕がこの担当だった頃、某地方の郵政関係で物凄くいやな思いをした事がありました。
その日、僕はそのお役所に少々早く着いたのですが、まあ何時ものように受付場所(そこには待ち合い用の椅子が沢山並んでいる)で待たせてもらおうと事務所の中に入ったところ、事務所にいた職員から、受付の時間になっていないのに事務所に入るとは何事かといわれ、外に追い出されてしまいました。僕はその日何百キロも離れた事務所から朝一番の新幹線に乗ってやってきているわけで、僕と同様に、遠いところから来ている方々約十名も同じように追い出されたわけです。まあ、皆さんカンカンでしたね。わざと聞こえるような大声で文句を言って時間を潰していました。(そのせいか、そこからはご指名をいただけませんでしたね(笑))
ご存知のように、この入札参加申請の時期というのは二月がピークで、外はとても寒いわけです。
いくら時間前だからといって、受付所(室)への入場を断るばかりか、事務所から出ていいけなどという非常識な事をいう役人様は後にも先にもここだけでしたね。
僕たちは厳冬期に外で立ちんぼしていたという、まあなんとも非人間的な扱いを受けていたのです。
そう言えば、その昔、住○都市整○公団(全然伏せ字になっとらんやないけ)も受付所への入場は禁止でしたね。僕たちは何時間も廊下や階段で順番待ちをして並んでいたものです(でも、まあ、寒さはしのげましたからよしとしましょう)。
こんな非人間的な扱いからの申請担当者の開放こそインターネット一元受付の持つ民主的な意義です(笑)。
【○○総研】 11/17/98 05:44:27
前から怪しいと思っていたのですよね、この○○総研っていうやつ。
正体不明の割には、なんかええかっこしすぎやないかと思っていたら、期待通りの方がおられました(笑)。桃知はなぜか非常に安心しましたよ。
Yomiuri On-Lineより 「三菱総研元研究員らを逮捕」
URL http://www.yomiuri.co.jp/msn/1116i403.htm
【鬱】 11/17/98 05:44:37
どうやら鬱状態です。雨でも降るのでしょうか。桃知の躁・鬱はどうやら気圧と密接な関係があるようなのです。
同時に体中の傷痕が痛み出してくるものですから手に負えません。(T_T)
98/11/16(月) ▲ ▼
【パラダイム・シフト】 11/16/98 06:54:30▲ ▼
昨日に続いて、パラダイムの話です。
パラダイム・シフトを言うとき、建設CALS/ECや、情報化に取り組もうという皆さんにとっての関心事は、「それでは、新しいパラダイムとはなんなのだ」ということだと思います。
昨日、僕は、
「人間の社会的な活動におけるパラダイムシフトが意味する事は、全てが変化するという事です。
社会・経済・政治・法律・文化等、全てが変化するという事です。
ある意味では過去の否定です。現政府は、自らを否定する作業を自らはじめられるのでしょうかね。」
と書きました。
しかし、こんな僕の戯言よりも、「パラダイム・シフト」に関する、とても明快な解明を試みているサイトを見つけましたので紹介します。
岡田斗司夫氏が「著作者本人がネットワーク上で全データを公開する」という実験のために運営しているサイトで、著作「僕たちの洗脳社会」(朝日新聞社 1995年)を公開しています。自分の著作をウェブ上に公開してしまうという行為にも驚かされますが、なによりも、この論文の評価できるところは、それでは起こりうる(岡田氏の考える)「新しいパラダイム」とはなんなのかを我々に提示していいるところです。
それさえも、既存のパラダイムの範疇にあるという事も言えるかもしれませんが、僕の知る限り「最も現実味を持った」新しいパラダイムといえるものです。
URL http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/bokusen/mokuzi.html
【一元受付に関する情報】 11/16/98 06:54:02
行政書士 佐藤 文則 先生による
建設省インターネット一元受付テストランに関する報告書
デジタルIDクラス1(トライアル)の取得方法
・ネットスケープメッセンジャーの場合
・アウトルックエクスプレスの場合
が掲示されていて大変参考になります。
http://www.asahi-net.or.jp/~wq5f-stu/testrun.htm
■桃知商店謹製■
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