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店主戯言040902  2004/9/16 〜2004/9/30 "There goes talkin' MOMO"
(彼自身よる桃知利男)


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2004/09/30 (木)  
【ホムペの話題とか】

6時30分起床。
浅草は台風一過の秋空、爽やかな朝だ。

昨日発行したももこむ通信で、@Niftyのホームページコンテスト2004を紹介した(応募の〆切りは今日である。つまりまだ間に合う)。
 → http://kensetsu.nifty.com/contents/hpcon2004/sakuhin/index.php

だいぶ前に、某MLでしかこれを紹介していなかったのだが、既に多くの関与先さまが登録をされていて、骰子一擲を楽しんでおられるのを見るのは、わたしも楽しい。

ホームページなんて・・・、と言う方々もこの業界には多いけれども、それは自分の脳味噌の限界を露呈しているだけなので、あまり大きな声で言うのはやめておいた方が良いだろう。

昨日の言葉を使うなら、現場もホームページも「表現」なのだ。
表現が意味することは、自らの情報が見えるようになることで、己の表現(現場と考えればよいだろう)の精度を上げることを可能としていることにある。

そして付け加えるなら、能力を超えた表現(虚勢)は、簡単に見抜かれる、ということだ。
なぜなら、表現は自分自身との対話でしかないからだ。

その対話に嘘があることで、自分自身の思考の眼鏡はくもる。
そのくもりは表現に見事にあらわれる。

また、表現が自分自身との対話でないのなら(例えば、パンフレットのような、それこそどーでもいいような会社案内ホームページ)、それは、わたしのいう「表現」ではない。

そのような表現は、コミュニティ・ソリューションの真髄である、「ミームによって運ばれる感動と人間性に対する信頼感の伝承がコミュニティ・ソリューションの秘密である」(金子郁容 『コミュニティ・ソリューション』,2002,p160)など持ちえるはずもないだろう。

ところでエントリー一覧を眺めていたら、意外な方がおられることに気が付いた。
意外と言っては失礼なのかもしれないが、しかし驚いたのである。
それは、この方である→「どどめしほこう」

今年のわたしの新年会に参加された方なら、ご存知かもしれない。
柴田山親方に負けず劣らずの質量的存在感を示し、挨拶では、とてもここでは書けないようなウィットに富んだお話をされた方である。

この方はたぶん、良い文章を書くだろうなぁ、という予感はあった。
なぜなら、「レヴィ=ストロースは・・・」というようなことを平気で喋る、わたしの知る数少ない業界人だからだ。

http://c-pas.cocolog-nifty.com/hpcon2004/2004/09/no34_.htmlにある、彼が言うホームページ開設の目的を読んでみて欲しい。


それから、これもももこむ通信ネタなのだけれども、依存リンクに新たに次の三社さまのサイトを追加させていただいた。

神部組さま(北海道滝川市)
 → http://www.e-kanbe.com/
東北建設さま(北海道芦別市)
 → http://www.e-tohoku.co.jp/
日豊工業さま(栃木県宇都宮市)
 → http://www.nippo-kogyo.com/

それで今思い出したのは、桂さんのところと、どどめしほこう依存リンクに加えなくてはならないな、ということで、膳は急げ、というか急ぎ登録した。

桂さんには、仙台講演ですっかりお世話になってしまったのだけれども、仙台講演に関してはまだまだ(↓)のようなメールが沢山届いて届いていた。皆さんありがとう。

初めまして!
27日の仙台の講演に参加させていただきました。
先生の講演に参加するのは初めてだったのですが、
とっても楽しかったです。
(前の方に座っていたので、迫力満点でした!)

ももこむ通信にも登録しました。

今回は入門編だったので次もぜひどこかの会場で、
先生の講演を聴きたいと思います。
福島にも来ていただきたいです。
企画をしたいと思います。

お体に気をつけて、これからもがんばってください。
応援してます  ̄ー ̄)ノ)))))))) ブンブン

Thanks! このようなメールが届けば、また仙台でやろうかと、わたしは木に登るわけであり、桂さんとは今、仙台独演会の準備をしている。
開催は10月下旬となるだろうか。

それで、これもももこむ通信ネタなのだけれども、ダウンロードのページに、9・27仙台講演で使用したPPTを置いたので、必要な方はご自由にお使いください。

それからくりちゃんからはこんなメールも届く。

ももちさんへ

こんにちは!
昨日の戯言に、大阪のこと書いてあったので、
ええ!!三人会あるのかなぁ!と
めっちゃ期待してます。

あったら、いいなぁ。
ほんと、あったらいいなぁ。

今日、なにげにノートをパラパラしてますと、
過去行った、講演の走り書きを発見!

なんか、私はこの数年で
いろんなこと考えて、挫折したり、挫折したり、挫折したり
あれ、挫折しっぱなしかも(笑)

組織にいて、なにか変化をもたらせたかと言えば、
なにもないかも、と思ってしまいます。

三人会、あったら嬉しいです!


くり

太田ジオさんと、西原さんにメールしよう。(笑)

2004/09/29 (水)  
【台風・・・骰子一擲】

浅草にて6時30分に起床。曇り。

昨日は浅草に戻ると即、来月上旬に予定されている人吉での勉強会用のテキストの作成を開始した。それは最初から予定に組み込まれていたもので、予定通り夜にはその作業も終えた。それは予定通りである。

しかし気になるのは台風21号なのであった。今日は宮崎地区建設業協会さまへお伺いしてのIT推進委員会の会議の予定なのである。

状況としては、今日は台風21号の影響で宮崎発着の空の便は欠航になる可能性が高い。昨日の夕方ならまだ宮崎行きは飛んでいる、という状況である。ここで骰子の一擲が必要となる。

宮崎入りが目的なら、昨日の予定を変更し、宮崎入りすることも可能だったろう。しかし、わたしは予定通りの仕事をこなし、無理に昨日の夜、宮崎入りすることはしなかった。

案の定、台風21号の影響で、本日搭乗予定のJAL便を始め、現時点で午前中、宮崎発着の便はすべて欠航が決定となってしまった。つまり、今日は宮崎へは飛べない。

じゃ、なぜ昨晩飛ばなかったのか。それは今回の目的は会議だからである。
台風情報を見るに、今日は会議を開催しているような状況ではなかろう。
ましてや地域密着型の建設業である。本日の優先順位は会議の開催がトップであるはずもない。であれば、ここでの骰子一擲は、会議の延日を選択なのである。


そしてもうひとつの骰子一擲。
まずはお断りを、である。

10月30日にやる、と大見得を切った東京独演会の番外編だけれども、11月4日に本編として変更とした。

それはゲストスピーカーさまをお二人お呼びすることが可能となったからである。
だれが来るのかはまだ内緒だけれども、おおいに期待していただいてかまわない。詳細は来月早々にでもお知らせしたい。


さて、仙台での講演関係メール三題から。
仙台では夫婦で参加させていただき
元気をもらって帰ることが出来ました。
ありがとうございました。
岩手のイントラネット講習会で桃知さんの
わかりやすくかつ楽しい話を聞いてから
もう一度聞きたいと思っていたところ
仙台でのセミナーを知りました。
夫にまずいいから一度一緒に聞きに行こうと
地鎮祭が終わったばかりの彼を仙台へとおいたててきました。
漫談を聞きにきたんじゃないぞといいつつ
一番笑ってたのはうちの人だと思います。
帰りにアンケートを書こうとしたら
そんなもん書かなくてもいいと
ものすごい失礼なことを言うものですから
いいもんメールするからといって
現在書いております。
是非又仙台に来て下さい。
なぜ盛岡ではなく仙台なのかというと
仙台の方が来て楽しいからです。
とこれは私の個人的な意見です。すいません。
それでは又お会いできる日を
楽しみにしています。

昨日は楽しい飲み会ありがとうございました。
建設業のIT化を飲んで理解する。という行為がやっと理解できました。とってもよくて癖になりそうです。ぜひまた、つれていってください。

桂@毒のないはぶ? でございました。

 昨日は、たいへん熱気のある高密度な講演をいただきまして大変ありがとうございました。
 ミーム論抜きではありましたが、かなり完成度の高い「桃論 初級編+α」であったと思います。


 常々思っておりましたが、建設業者ばかりではなく、技術士という世界もいかに低信頼者の集まりであるかがあらためてよくわかった野ではないかと思います。。(;;)

 昨日の内容は、技術士仲間(特に若手)にももっと見せなくてはならないな、
という感を強くしました。

 次回へ向けての助走として、ビデオが活躍することになりそうです。
 。。ちゃんととれているかまだ確認していないのですが。。

 以上、取り急ぎ御礼まで。

どうやら、参加いただいた方々からの評判は良かったようだし、桂さんがおっしゃるように、わたしの喋りも、芸としての完成度はちょっとは高くなってきたのかもしれない。

セミナーや講演といっても(ついでに書けば「現場」もだ)、それは「表現」以外のなにものでもないわけで、その表現のことを、わたしは「芸」と呼んでいる。そして表現者である多くの(多種多様な)芸人からそれを学ぼうとしてきた。

それは、昨日の○田さまのメールにあったこれ(↓)である。

『仏教の説法は、「法にのっとり、比喩を用いて因縁を語るべし」だそうですが、これは、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」というだそうです。』

これが、ミーム拡散の秘密ではないか、とわたしは考えている(だから芸は奥が深い。技術のようで技術だけでもない。根性だけで成しえるものでもない)。そしてそれができれば、ミームマシーンとしてのわたしは、この時代に、なにかしらの存在意義をもてるのじゃないか、と思う。

講演後、西原さんが、わざと大きく口をあけてはっきりと言葉を喋るようにしているのですか、とさすが表現者らしい質問をされたのだけれども、まあ、その通りだ。たしかに最近の講演では、言葉をはっきりと喋ることに特に注意している。

しかし、芸の心得を世阿弥に倣って「秘すれば花」とするのであれば、同業者といえど、それを見抜かれるようでは、まだまだアマイのである。

さて、もう少し書こう。表現をするときのジレンマは、その表現の評価は、常に<他者>の内にある、ということだろう。つまりちょっとした自己満足なんていうのは、なんの足しにもならないし、自画自賛ほど見苦しいものもなく、外から見ていて哀れなものもない。

けれども、最近は<他者>のようなものが、わたしの内にあることを感じるようになっている。それを簡単に言ってしまえば、反省の次元なのだろうが、反省の次元にいる我は、<他者>のように振舞いながら、表現するわたしを客観を持って観察しているようだ。

この観察は<他者>の目のようなもので、それはほんの少しだけかもしれないが、わたしという存在、わたしの行う表現、そういう自分自身という情報が見えるこで、わたしの表現の精度を上げることを可能としているように感じている。

ここで、ちょっとだけわかったような気になっているのは、キャパシティとわたしが呼んでいるものの一部の発達は、この<他者>のように振舞う反省の次元にある我のキャパシティに依存しているのじゃないだろうか、ということだ。

キャパシティがキャパシティに依存している。
つまり、反省の次元の我のキャパシティは、わたしのキャパシティの大きな係数なのだろう。

人間の行為の三次元でいえば、それぞれの次元にある我のキャパシティの総和のようなものが、わたしのキャパシティ(係数a)なのか、と考えてはいるけれども、それを単純な和ではなく、乗数効果をもたらすものとして機能する因子のように、反省の次元にいる我は働いているように思うのだ。

出力を伴った反省の行為

2004/09/28 (火)  
【@浅草】

浅草に戻る。
お昼ごはんは雑炊。わたしからのオーダー。
胃袋疲れまくりのみちのくツアーの〆には丁度よい。
それに室戸海洋深層水を飲み、汗が吹き出てくる。

昨日の仙台メディアメークでのご講演、面白く聴かせていただきました。

仏教の説法は、「法にのっとり、比喩を用いて因縁を語るべし」だそうですが、これは、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」ということだそうです。

まさに、ご講演はピッタリでした。

(ざっくり)

桂さんとは、技術士広報委員会でいっしょに季刊誌「ガイア・パラダイム」の原稿集めをしている仲です。
今後とも「低信頼人間」としてお付き合いお願いいたします。

「だらしなく酒を飲む」のが趣味ですが、昨晩はおかげさまで気分よく飲んで、今日もまた二日酔いです。

○田さま、ありがとうございます。m(__)m

昨晩は楽しかった。
ほとんど初対面の方ばかりだったけれども、今回もIT化は飲むことだと改めて感じることができた。

それは、広くて薄い紐帯の芽生えの瞬間のようなものであり、広くて薄い紐帯は高信頼者だからこそ作れるネットワークだ、ということをだ。

そして昨晩も、飲みながら、いろいろな骰子一擲をはなしていた。
しばらくやっていなかった大阪での3人会。
仙台での独演会。
・・・and etc.

こうして、わたしはまた動き出すきっかけをいただくのだ。


ということで、今回のみちのくツアーも、沢山の皆さんにお世話になってしまった。
心より感謝申し上げます。m(__)m



【%二日酔】

桃知@やまびこ106号%二日酔である。

昨日の仙台での講演、凄くパワフルでしかもすごく新鮮に受講できました。
改めて桃知さんの世界に浸ってしまいました。
何回か受講していくらか憶えてきたと思っていたんですが
新しい発見や感動がたくさんありました。やはりわかっているつもりでもわかっていなかったり、
自分の係数aが少し変化してきているからなのかもしれません。
講演終了後の懇親会にも出席できなく残念でしたが、その前に行った喫茶店での雑談が凄く新鮮でした。
ビー○ングの岸良さんは凄くユニークな方でしたね。
そして凄く好奇心旺盛といいますか感度が凄くいい人だと思いました。
また桃知さんや法政大ECのみなさんと会えるのが凄く楽しみになってきました。

昨晩、ホテルにチェックインしたのは例によって26時近くであり、日本酒も冷で飲んだくれていたので、今朝は結構な二日酔なのだ。

今は、東京へ帰る新幹線の中で、この戯言を更新中なのだけれども、どんよりと曇った脳味噌では、思考能力はほとんどゼロなわけで、今朝は上野さんからのメールを転載させていただいた。

昨日の講演は、西原さんと一緒だったので、彼のTOC理論に引っ掛けてこういった。

建設業、「公共工事という産業」のボトルネックは、信頼だと。
そしてもうひとつ。係数a だと。

それにしても脳味噌、回らない。

福島でつばさと連結するらしく、5分の停車。
その間を利用してFTP転送。

2004/09/27 (月)  
【寝坊】

盛岡にて8時39分起床。
はっきり言って寝坊してしまった。
更新している時間も足りなくて、朝ごはんを食べている場合でもなく、ああ・・・
なので、みるきいさんからのメールを転載させていただく。

桃知さま

 >>けっぱれ、というのは北海道の方言かと思っていたが、ここ岩手でも使うのだろうか。
 けっぱれというのは、青森で主に使っている言葉です(甲子園の応援でも青森の高校に対して「けっぱれ**高校」という横断幕がありました。
 岩手では県北の一部で使うようですが、意味としてわからなくはない、といったところのようです。
 岩手県は「がんばらない宣言」をしているのに、県議のサスケが「けっぱれ」といっていいのかなぁ、と思ったりしますが(^^:確かにみちプロ自身がおのれに「けっぱれ」と渇をいれつつがんばって10年続いてきた団体ですが、それにのせられて、岩手はおろか全国各地から応援グッズをもってはせ参じて、楽しんでけっぱって、明日の仕事へのパワーをためているファンもおります・・・


去年に引き続き安比までいらっしゃれない全国のみちプロ仲間のために個人的ご報告ページを作りました。実際に会場にいらっしゃった桃知さんにはあまり用のない所ですが、よろしかったらご覧下さい。
  http://homepage3.nifty.com/ararechan/kepare/keppare.html
 北から南までお忙しい毎日かと思いますが、どうぞお身体に気をつけてがんばってください。

                         みるきい

みるきいさん、お世話になりました。m(__)m

2004/09/26 (日)  
【@ケッパレ1】

桃知@昨年に引続き安比なのである。
今回の滞在目的はケッパレ1の観戦、ということになる。

けっぱれ、というのは北海道の方言かと思っていたが、ここ岩手でも使うのだろうか。たぶん、頑張れ、という意味だと思うけれど。

「頑張れ」について、村上龍は使い方が難しいと『恋愛の格差』で書いていた。

じゃあ、今の時代は頑張らなくてもいいのか、というとそうではない。具体的に、どういう訓練をしてどういう技術を持ち、どういう能力があって、それをやり続ける集中力があるか、ということが問われるようになってしまった。
「取り柄は、頑張り屋だということです」
そういうことを入社試験で言っても、残念ながら評価は低い。
(村上,p80)

頑張って、という言葉が使えない場合もある。それは、友人が決断を迫られているとき、変化を受け入れようとしているとき、などだ。会社を辞めて独立しようかと考えている友人には、頑張ってとは言えない。転職や転業を考えている友人にも、頑張って、は使えない。

頑張ってという言葉を使えない機会が増えている。頑張るだけではどうしようもないことが増えてしまった。
(村上,p80-81)

わたしは頑張るという言葉が早く死語になればいいと思っているのだが、あまりにも便利なのでそう簡単には消えないだろう。本当に不思議な言葉だと思う。(村上,p83)

確かに、頑張るだけではどうしようもないことも多々あるけれど、こんなに便利な言葉もない。

特に相手に対して何にすることができないときなど、ついわたしも「頑張ってください」などと無責任な言い方をしてしまう。まあそんなときは決まって自己嫌悪に陥ったりしているけれども。

まあ、頑張る、というのは、我を張るからの変形らしいから、我を張れ、と言っているようなものなのかもしれない。

頑張れというのは、<他者>に投げかけながらも、じつは常に自己に向かって語りかけているもののような気がする。

みちのくプロレスは、ケッパレ!ケッパレと我われに語りかけてくるけれども、じつはみちプロ自らに対するケッパレなのじゃないだろうか。

わたしは、滅多に頑張れとは言わないけれど、動き出せ!えぶりばでぃ!というのは、頑張れと同義なのだろうと思う。

それはいつも語りかける対象としての<他者>を鏡にして(他者の瞳に映る自己)、自分自身に動き出せ!と言っているに過ぎないことを理解してはいる。

そのとき、わたしは具体的に、どういう訓練をしてどういう技術を持ち、どういう能力があって、それをやり続ける集中力があるか、を嫌が上でも考えなくてはならない。

そしてその考えるという行為そのものが、どういう訓練をしてどういう技術を持ち、どういう能力があって、それをやり続ける集中力があるか、ということそのもの、その基にあるものなのだ。

だから結局いつも言っていることだけれども、ロジカルシンキング(論理的思考)というのは訓練なのだ。文字や記号で標記できない論理も科学も理論もない。それは思考方法の訓練なのだ。

ただ、それ(論理や科学)だけでは説明できないがあるのも確かなのである。
偶然に支配されているものも多い。よくわからないことも多い。

しかし、その解釈的・略画的なもの(論理を超えるもの)でさえ、ロジカルシンキングを繰り返して行ってきた脳味噌とそうでない脳味噌では、全く把握の仕方が違うことを、わたしは独立後の訓練を通して実感してきた。

ただそれだけのことをわたしはIT化と呼んでいる。
それは、インターネット社会という今という時代には、必要不可欠な考える方法なのだと思うからだ。
そしてITはその為のツールなのだ。

という面倒くさいことを考えるのはここまでにして、今日はケッパレ1を楽しんでこようと思う。

2004/09/25 (土)  
【@盛岡】

岩手リコーさんで、昼飯を食べている。
12時30分。

今日は(社)岩手県電業協会と岩手県電気工事業工業組合さんのIT推進委員会の会議。



【@盛岡】

盛岡で朝ごはんを食べている。
午前9時。

2004/09/24 (金)  
【斜に構えず、しらけずに、そしててきとーに続けること】

午前5時起床。浅草の朝も真っ暗である。
今朝は、上野 7:02 はやて 1号 盛岡 9:22で盛岡へ移動なので、やっぱり忙しい。なので、以下の文章は昨日の夜に書いたものだ。



上の写真は、21日に熊本建協八代支部さんの講演後の懇親会でお連れいただいた鉄板焼のお店で写したものだ。

この時既に料理(秋刀魚のホイル蒸)は、このふたの中にあり、質的な変化の真っ最中なのだが、こうして外から見ているとその変化を見ることはできない。

ゼロ℃で水が氷に変質するように、臨界温度で強磁性スピンが秩序を持つように、(実際はこれらの例とは逆なのだが)このふたの中にある、秋刀魚と野菜と調味料は、加熱されることである時点で料理としての秩序を持つ。

この秋刀魚のホイル蒸を、相移転と言ったら、物理の人には叱られそうだけれども、物質は外的な刺激によって無秩序から秩序へ、秩序から無秩序への変化を見せる。

人間の場合の質的変化は、外的な刺激だけでは起きないけれども(最終的には貴方の心持次第だ)、外的な刺激がなければ、それ(質的変化)が起きないことも確かだろう。つまり、きっかけとしての外的な刺激はとても大切である。

我われは、変われるきっかけをいつも求めている。
だから、本を読み、音楽を聴き、映画や芸能を楽しむのだろうし、また<他者>とコミュニケーションし続け、旅を続ける。つまり、何時でも新しいミームに触れようとしている。

ということで、仙台でのわたしの久しぶりの講演(ミームの拡散)は、皆さんのなにか変われるきっかけになれれば嬉しいな、と思うのである。

9月27日(月)仙台メディアテーク 7Fスタジオシアター

そして来月も下旬の土曜日(つまり30日)なのだけれども、東京独演会をやろうと決めた。
土曜日の東京都内での開催は集客に難がある。
けれども、やろう。

今回は番外編として「種の論理、若しくは個と種の関係」それから「個が繋がるとき」そして「スケールフリー・ネットワークの理解へ」、といういささかマニアックな内容を準備したい。

ももち初心者には消化の悪い内容かもしれないが、それは芸人根性丸出しのわたしである。楽しくやりたい。そしていつでもやはり骰子一擲なのである。きかっけ(骰子の一擲)がなければなにも始まらない。


恋愛の格差さて、昨日の帰りのJAL便でも、やっぱり『恋愛の格差』を読んでいた。何度読んでもこの文庫本は面白い。それは辺見えみりの間抜けな解説を含めてである。
この520円は本当に価値ある520円だと思う。

辺見えみりの解説を読んでいると、この人は本当にいい人なんだろうなぁ、とは思う。それは彼女自身の反省の行為、つまり持っているボキャブラリーを駆使して自分の考えを表現しようとしているのが、とても素直に伝わってくるからだ。

ただ、間抜けな解説とわたしが評したのは、彼女のボキャブラリーの貧困さゆえのものだ。彼女のボキャブラリーの貧困さは、彼女に村上龍の言葉の理解を許さない。つまり、このとても読みやすい(はずである)村上龍のエッセイを、彼女は読みきれていないのだ。

読みきれていないのに、解説を書くということの良し悪しは別として、なんらかの理由で『恋愛の格差』の解説を書かなくてはならなかった(つまり、なぜかこの仕事を引き受けてしまった)彼女は、それこそ一生懸命に村上龍の言葉の持つ意味を考えたのだろう。

けれども、結局は情報を見る能力がちょっとばかり足りなかった、ということなのだと思う。そして、情報を発信する能力も少々不足していた、ということだろう。

たぶん、彼女が文庫本の解説を書くという仕事は、これが最初で最後のことなのかもしれないが、彼女は間抜けな解説者として『恋愛の格差』という単行本と共に読者の記憶に残ることだろう。

ただ、彼女がこのような仕事(書くこと)を続けていけば、また違った結果になっていくのかもしれない。それは物書き辺見えみりの最初の一歩としての評価である。

始まりから凄い、というのは滅多にないはずである。最初は皆さん素人である。それは当然のことでしかないだろう。我われが質的に変化できるのは、最初の骰子一擲があるからでしかない。そして要は継続なのだと思う。続けること、斜に構えず、しらけずに、そしててきとーにである。

さて最後に、昨日の帰りのJAL便ネタをもうひとつ。機内オーディオサービスであるJAL名人会に柳家紫文師匠がフューチャーされていた。演題は粋曲「長谷川平蔵市中見廻り日記」である。

紫文師匠の芸を聴くのは今月4回目なのだけれども(つまり今月JAL便には4回乗っている)、「長谷川平蔵市中見廻り日記」は、聴けば聴くほどくだらなくて凄い。

今月も残りわずかではありますが、JAL便ご搭乗予定の方は、是非に聴いてみていただきたい。斜に構えず、しらけずに、そしててきとーに。粋曲、なるほどなぁ、なのである。

では、いってきます。

2004/09/23 (木)  
【今朝はここまで】

熊本にて午前7時に起床。
昨晩は26時まで飲んでいたので、起きられるわけがない。

これから大急ぎでチェックアウトの準備をして熊本空港へ向かわなくちゃならないので、今朝はここまで。

2004/09/22 (水)  
【恋愛の格差】

桃知@八代にて5時45分に起床。
八代は日が昇るのが遅くて、目覚めたときには外はまだ真っ暗だった。

今は朝食を食べながら、という例によって行儀の悪い更新中で、10Fの食堂から展望する八代の街は、雨に泣いている。

今日も、朝の列車で人吉へ移動するので、最近飛行機の中で読んでいる本をご紹介してお茶を濁そう。

恋愛の格差『恋愛の格差』 幻冬舎文庫

村上龍(著)

2004年6月10日
幻冬舎

520円(税込)




これは村上龍の恋愛論ではなく、格差論として読んだ方がよいだろう。
どこを読んでも、単純な恋愛の仕方なんて書いてはいなくて、書いてあるのは社会的・経済的格差の存在についてである。

『新ネットワーク思考』,p103より引用加工

それは、スケールフリー・ネットワークが環境として存在するところに起こるそれ(格差)を裏付けるための仕事のようにも思える。

昨日も書いたが、現実はこれであることは、わたしも否定できない。
格差はある。
そして、上には上がいて下には下がいる。→フラクタル

問題はなにか、と言えば、現実は現実として受け止めても、それじゃ、それをそのまま人間の生活に当てはめることはなにか根拠を持つのか、ということだろう。

つまり、我われはそのような格差の大きな社会に耐えられるのか、と言う問題だ。

このあたりは単純な問題じゃないだろう。
ただ、わたしは、格差はある、ということを認める。
環境がスケールフリー・ネットワークであることを認める。
だから、そのような事態の中で、どうやって生きていくことが、自分にとって嬉しいことなのか、そしてその私にとって嬉しいことが<他者>にとってはどうなのか、を考えて生きようとしているだけだ。

2004/09/21 (火)  
【繋がる】

午前5時30分起床。
浅草は、これがまるで永遠の環境のような朝であり、今日も真夏日が予定されている。

わたしと言えば、今日は熊本建協八代支部さまにて講演を行う。
なので今朝は、ANA 641 東京(羽田)(08:30) - 熊本(10:10)で空路移動し、その後八代まではバスで移動なのである。

先ほどTVでは、日本の小学生の高学年の半数が天動説信奉者であることを伝えていた。
お日様は西から昇っているとでもいうのだろうか。

たぶん、世の中は思った以上に科学的ではないようだ。

新ネットワーク思考『新ネットワーク思考』

アルバート=ラズロ・バラバシ(著)
青木薫(訳)

2002年12月20日
NHK出版

1995円(税込)




最近読んだ本の中ではピカイチに面白かったのが、バラバシの『新ネットワーク思考』で、最近の講演では早速使わせていただいている。

要は、(↓)の図(『新ネットワーク思考』,p103より引用)がなんだか分かればよい。


つまり、一億総中流と言っていたのは、ランダム・ネットワークをパラダイムとした社会(時代)のことであり、今という時代(というかインターネット社会)のパラダイムはどうやらスケール・フリーネットワークである、ということだ。

スケールフリー・ネットワークは、ベキ法則(パレートの法則=80/20の法則)が機能する社会であり、それは平等ではなく、著しく不平等な社会なのである。

例えば大都市に人口は益々集中し過疎地は益々過疎化が進む。
お金持ちは益々お金持ちになり、貧乏な方は益々貧乏になってしまう。

これは、今までの地方の均等ある開発というパラダイムや、みんなで中流という意識からすればトンデモナイ社会である。

しかし、現実はそうなってしまっているということだ。
問題は、ランダム・ネットワークが作り出す、釣鐘型の、中間層の厚い社会が環境だと長いこと信じてきた我われにある。

つまり、環境の認識を変えなくてはならない。
じゃぁどうするのよ、である。

答えは意外と簡単で、まずはスケール・フリーネットワークをイメージすることである(地球の周りを太陽が回っているのではなく、その逆であることを認識することだ)。

そして、リンクを増やすことである(動き出すことである)。
ノードとそしての私は、どうしたらハブになれるのだろうか、と。

しかし、ここに「爪と牙を赤く染めた自然」(テニソン・「イン・メモリアム」)を持ち出す必要はない。

スケールフリー・ネットワークは、Naiveな新古典経済学や弱肉強食の理論を補完するような単純なものではないのである。

むしろこれは、ネットワークにおける個(個体、つまり一人ひとりのあなた)の存在を際出せることのできる理論であり、わたしの使う種の論理では、種の中の個のエッジを立たせる、という考え方にとても近いものだと感じている。

そもそも、新古典経済学の個とは、バラバラに独立して自己の利益を最大にしようとする個であるが、スケールフリー・ネットワークは、あくまでも人間の繋がりの科学考察の産物なのである。

つまり、お金は大事だけれども、スケールフリー・ネットワークでは、単純な資本の理論だけではどうしようもないものがあることを、我われに教えてくれている。

そこで必要なものとは、アイディア・スピード・実行力である。
(懐かしいフレーズであるが、またわたしの講演では日の目を見そうだ)
そしてそれは、より多くのリンクを作り出すための生産資源として価値をもつ。

・・・とここまで書いたものの、今日は時間がない。
続きとしては16日の戯言をお読みください。

では、また。

2004/09/20 (月)  
【敬老の日若しくはセンス・オブ・ワンダー】

6時40分起床。
浅草は曇りなれど、今日の予想最高気温は31℃。

さて、最近「まくら」に使ってみたスノーボール・アースについての三冊。

全地球凍結 集英社新書『全地球凍結』

川上紳一(著)

2003年9月22日
集英社新書

714円(税込)





スノーボール・アース『スノーボール・アース』

ガブリエル・ウォーカー(著)
川上紳一(監修)
渡会圭子(訳)

2004年2月29日
早川書房

1995円(税込)



地球大進化 2全球凍結地球大進化...NHKスペシャル

NHK「地球大進化」プロジェクト(編)

2004年525日
NHK出版

1995円(税込)





地球の歴史を考えること、そしてそれについての最近の研究結果を知ることで得られるものは、「驚き」なのであり、それが尽きることはない、ということだ。

センス・オブ・ワンダーというやつである。
地球や生命やDNAについての研究結果は日々わたしに新しい驚きを与えてくれる。

ただ、それが正しいのか正しくないのかはわたしには分からない。
はたしてそれを、私たちの行動のアナロジーに使ってうまくいくのかどうかも分からない。

そんなことを知るとか考えることが、あなたの目先の利益には関与することはないかもしれない、というかほとんどないだろう。

しかし、説得力を持つデータと理論が力を得てくるその過程は、まさに生命のダイナミズムであろうし、ミーム進化を感じることができるものだ。

そこに、センス・オブ・ワンダーを持っている自分がいることを感じることは楽しい瞬間である。

今や、ドーキンスでもグールドでもないのかもしれない。
しかし、先人がいたから、今の発見がある。

歴史依存、経路依存はわたしの中でも起きる。
すべては驚きを持つこころからしか始まらない。

2004/09/19 (日)  
【@札幌】

桃知@札幌にて午前6時30分に起床。
昨日の午前中は、日成建設さん、東北建設さん、双葉建設産業さんの3社合同勉強会であった。

内容は、ベキ法則の働くネットワークという環境における、私たちの生き方、とでも言えばよいだろうか。

わたしは「個即種」というのだけれども、その意味は、会社や役所といった自分の所属する組織(種)が、自分(個)の環境だと感じるようであれば、その組織はいささか大きすぎる、ということだ。

中小建設業と言った場合、それは組織の理論というよりは、個とその小チームとしての個の理論が優先される種即個なのであり、環境とは私ではなく、会社という種(即個)を取り囲む環境である。

そして会社という個は、例えば芦別市建協という種を構成し、芦別市という種を構成し、空知という種を構成し、北海道という種を構成する。

それらの種は、当然に個のミームの変化による変化を内包しながら種即個、個即種であることで、私なのである。

だから、まずは私が動きだすことなのだ。
環境に依存するだけでは、個は種に溶けてしまうだろう。

つまり、個のエッジが立たない。
個の持つアイディアとか発想とかいう特性的なものが働かない。

この時、必要要件は二つ。
・成長
・優先的選択

これらは正のフィードバックでしかない。
最初は同じような個でも、動く(エッジを立てる)のか、動かない(種に溶ける)のかの差は、やがて大きな違いとなってしまう。

それは、リンク数増加の違い(優先的選択の先にある私/個)、つまりネットワークに流れる私に向かう方向力の差となって現れる。

リンク数の多い個(ノード)は種(ハブ)となれるだろう。
それは私が選択されるということだ。→これがビズネスだろう。

だから、最初の視点は「個」の成長と個の優先的選択なのである。
個の成長を阻害するよな種は、負のフィードバックが機能している。
負のフィードバックが機能している組織は、個が種に溶けてしまっている。
それを、個即種、種即個とは呼ばないし、遅かれ早かれ、それは組織の理論の限界を露呈させるだけだろう。

個即種、種即個であるためには、個が変化するエネルギーを殺してはならない、個のエッジを立たせなくてはならない、ということだ。

では個としては・・・、一歩踏み出す勇気。

2004/09/18 (土)   
【かわいい個には旅をさせよう】

桃知@芦別スターライトホテルにて6時起床。
温泉に浸かり、朝食を食べ、1Fロビーにて勝手に無線LANを使い、本日の戯言を書く。

と言っても、今日は9時から勉強会なので、時間もない。
ここは、長谷川社長からのメールを転用させていただくことにしよう。

社員を連れての熊本遠征では大変お世話様になりました。
誠にどうもありがとうございましたっ!!!

「火の国・熊本」の2泊3日はとっても楽しかったのですっ!!!
天下無敵の蒸し暑さと美味しい馬肉に驚きと感動の日々でした。

初めて触れた九州桃組の皆さまのミームにも感激をいたしました。

皆さまは真面目に先生と呑むことを心から楽しんでいましたね。
そして、秘めたる一入の熱い心を持っているのも感じました。
互いに杯を交わしながら、胸襟を開きながら、深刻なことも笑顔で
屈託無く語り合っている姿にのびのび感があって好感を持ちました。

親しみ深くチャーミングで素晴らしいミームでございますね。
私達もすぐに親しんでたくさんおしゃべりをしました。
宮崎のキビ焼酎も珍しかったのでおかわりも何杯か??
集った皆様のラフな雰囲気から醸し出される悠々ほのぼの感が
とっても心地良くって、なにか不思議な魅力を感じていました。

その源は言うまでもなく、桃知先生を含めた桃熊会のメンバーの
信頼関係と良い人間関係と良いコニュニケーションなのでしょう。

大村さまと永井さまにはたくさんお世話になってしまいました。
お二人のキメ細かい優しさにはじーんと感じ入るものがありました。

いつも見慣れたこの景色から飛び出して違う風景を見ることって
海馬が喜び、とっても気持ちがいいものですね。

熊本の真っ青な空とボコボコした白い雲は最高に爽快でしたし
新しい出会いのすべてが新鮮で刺激的、心がリッチになりました。

お茶コミで熊本の楽しかった思い出を繰り返し話しています。

いつものことながら、私に価値のある勉強の機会を与えて下さった
桃知先生には心から深い感謝と厚いお礼を申し上げます。

ごきげんよう。

かわいい個には旅をさせよう。

2004/09/17 (金)  
【骰子一擲・・・振り出しに戻る】

午前3時45分起床。
浅草は・・・真っ暗。

このサイトを作成しているホームページビルダーをバージョンアップしたら、サイト設定が読み込めなくているわけで、困ったものなのだ。

メモリが足りません・・・。

日々アプリケーションは、複雑で高機能になっていくのだろうけれども、それを進化と呼ぶのかというと、まあそうなんだろう、と考えている。

進化とは複雑化することのように思える。
ただし、それが環境への適応能力とは限らないわけだ。

特に、スノーボール・アースのような大絶滅を起こすような環境変化には、あれやこれやというような複雑さは逆に弱いのかもしれない。

たかだか40MB程度のサイト容量を、1GB近いメモリを持つPCで扱えないとなると、どうしようもない。

しかし、考えてもみれば、複雑化してしまっているのは、むしろわたしのサイトだ、と言うこともできる。

最新の環境で、認識できないようなサイトを作ってしまったのだろうか。
わたしは全然そは思っていないのだが、結果はそうである。

そして、このサイトでも80/20の法則が起きていることがわかる。
このサイト、お蔭様で多くのリンクをいただき、アクセス数も5年前の10倍ほどになっている。

けれども、圧倒的にアクセスされているのは、この店主戯言とインデックス(トップ)ページなのであって、それは間違いなくアクセス数の80%を越えている。

しかし、その80%の部分が、ページ数でも80%を越えてしまっているわけで、それが今回の環境変化に対応できないでいる。

う〜ん、考えさせられるな。

しかし唸っている場合ではない。
このままではいささか厄介なので、いろいろ工夫してみようとは思うが、面倒なのでバージョン4に戻した方が良いかもしれない。


ということで、バージョン4を再インストールしてしまったら、何事もなかったように元の環境が再現されてしまった。

さて、今日は芦別市建協さんで勉強会。
吉谷さんも一緒。(彼も早起きしたのね)

JAL1103便   東京羽田 8:10発 → 旭川 9:45着のフライトなので、今日はここまで。

2004/09/16 (木)  
【ハブ】

6時30分起床。
浅草は秋晴れ。

まずは、昨日の東京独演会で使用したPPTをダウンロードのページにおきましたので、興味のある方はご利用ください。

今回はネットワーク論からの組み立てで、まあ初めてやったといえば初めてやったものだ。

ただ、ネットワーク論について言えば、既にグラノヴェッター(日本では玄田有史氏)のいう、強い紐帯(濃くて狭い紐帯)と弱い紐帯(広くて薄い紐帯)については散々考えていて、ITつまりインターネットを考えるときに、この不思議な繋がるという関係は抜きにして考えられないものだ。

(下の図はアルバート=ラズロ・バラバシ,「新ネットワーク思考」,p66 2002年12月20日 日本放送出版協会より引用)

それは、あるクラスター(集合体)のメンバー同士が、少数の極端にリンクの多い人間を介して繋がっていく不思議なのだけれども、この極端にリンクの多い仲介役をわたしは「楔さま」と呼んできた。ネットワーク論では、それは「ハブ」ということになる。

わたしの経験則(つまり桃組の形成)からも言えることなのだが、このハブとなるような方々は、どちらかというと積極的に、そして比較的簡単にわたしに接触してきた方々であり、ここに「信頼の構造」を上書きすると、ハブとなるような方は、高信頼者であることがわかる。

つまり、情報を見る能力(信頼)も情報を発信する能力(信頼性)も高い人たちであるがゆえに繋がりをつくる能力もまた高い。→社会的知性が高い。

つまり、ハブとなるような方々は、その社会的知性の高さゆえ、繋がりを自己増殖的に増やしていくのだろうし、それはまさにベキ法則の世界となる。

繋がる人間はますます繋がってしまうのである。
スパイラル的な自己組織化である。

特に我われが見過ごすことのできないことのひとつは、例えばインターネットの場合、少数のハブに向けてネットワークは方向性を持っているということである。
なにかをネットで購入しようと検索すれば、楽天に行き着き、書籍を検査すればAmazonに行き着くというような具合にだ。

今や、環境はスケールフリー・ネットワーク(ベキ法則の働く世界)なのだという感は益々強く、我われの行っているIT化が言う環境適応能力がそこに向かっていることを改めて感じることができる。

それはその環境への適応度がなにかと言えば、リンクを増やす能力であり、自らをハブにしようとする能力であることで決定的となろう。

つまり、ここでわたしのいう「楔さま」を思い起こしていただければよい、ということだ。
そしてそれは、あくまでも広くて薄い紐帯にしか存在できない。
それがハブである。
そもそもクラスター型の狭くて濃い紐帯にはハブは必要なないのだ。

momo
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