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店主戯言050601 2005/6/1 〜2005/6/15 "There goes talkin' MOMO"


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IT化を通して建設業に貢献する
■■オープンセミナーのご案内■■

2005年度前期 法政大学エクステンション・カレッジ開設
 実践!「考えるIT化」講座 −人も育つ組織も育つ実践の建設業IT化−
 

2005/06/15 (水)  
【今回の宿題】

午前5時50分起床
 宮崎はくもり

今日は 9時40分発のANA便で帰路につきますが
 宮崎の○木さんが ホテルまで迎えにきてくれます

さて今年の 法大ECは 毎回宿題を出しているのですが
 今回の宿題は 結局(↓)になりました(笑)

これは わたしのウェブログでは 練習と称して
 時々意図的にやっていることです

例えば 2月19日の店主戯言 【悪党・カマンベールもんじゃについて語る】
 を引用してみます

------------------------------->8
夜は家族と粉を食べに出かけた。
たぬき通りにある六文銭

贔屓のカマンベールのもんじゃである。
生の食材
このもんじゃは、伝統を重んじながらも、異形をも積極的に飲み込んでしまおうとする浅草、そのものである。

最初に鉄板に具だけを乗せ、それをへらで細分化する。

もんじゃの具は、東洋の食べ物は、基本的には極小に向かう、という定理に従う。

もんじゃの具は、結合でもなければ密集でもなく、まずは極小に向かって散逸する(ビックバン)。


しかし、次の瞬間、その極小に向かった破片は、集合しながら土手を形成する。

それはやがて来る変態へのシンクロであるように、秩序を持つように。

秩序
その土手は、粗野ではあるが、しっかりした石積のように、ある秩序を備えることによって壁として機能する。

ここには秩序のある空間が存在する。

そしてこの秩序が、その空間に迎え入れ、塞き止めようとするのは、小麦粉の水溶液である。

正確には、小麦粉の水溶液に、ウスターソースをレンゲ三杯、塩、コショウ、味の素を少々加えて混ぜ合わせた、茶褐色の液体である。

しかし、この褐色の水溶液こそが、もんじゃなのである。
これだけで、もんじゃは成立する。

つまり、具はもんじゃではない。
この基底である、茶褐色の小麦粉の水溶液がないことには、ただの炒められた野菜のくずであり、チーズの破片である。

具は、この基底を迎え入れることで、新たな生命(存在意義)を得る。
そのために、その基底を逃がさないように、自らを幼稚ではあるが、秩序を持った壁にして、塞き止めるのである。

そしてクライマックスがやってくる。
秩序は、一瞬にして崩壊する。
爆発
崩れ行く秩序の空間で、
水溶液の水分は、鉄板で熱せられ蒸発し、具は、熱い鉄板と、水溶液の重層の中で、熱せられ、攪拌される。

具は、己の輪郭を失っていく。

チーズは今や姿かたちを失うほどに極小化し、水分を失いつつある水溶液と一体化を始める。

野菜のくずは、もはや生命の残骸である。

しかし、その極小は、極小としてもんじゃの中に生きるのである(無限小)。

もんじゃは、その極小を取り入れることによって、単純な茶褐色の小麦粉の水溶液の焼き物(もんじゃ)から、多層をなした無限小の表徴として存在する。

カマンベールのもんじゃ、大好きである。
------------------------------->8

このようなに おいしいことを  おいしいという言葉を使わない
 つまり おいしいということを さらに微分するような表現は
 なによりも 対象をよく観察することからはじまります

そして いやでも 自らの語彙(ボキャブラリー)の影響を受けながら
 反省の次元を経由した表現を行うこととなります

それは ある意味 詩的な表現を生み出したりもしますが
 不思議なことに この詩的な表現は

反省の次元を経由しない
 「野生の思考」が生み出すものと似てきます

おいしい という一つの語彙の 抑圧を解くだけで
 そこには「野生の思考」が働き出しているかのようです

しかし それもまた当然で 「野生の思考」は
  環境(対象)に対する 徹底した観察と分類をその基底に持つからです

例えば 無文字文化にあった人々の
  自然現象や動植物への観察と分類

そしてその対象への智識は 我々の及ぶところではありません
 私たちは いったい 何種類の草木を言い当て
 何種類の 虫の名前を言うことができるでしょうか

この分類された対象が 流動的知性(無意識)と結びつくとき
  ハイブリッドは 生み出されます

モカシン靴のシンデレラモカシン靴のシンデレラ

中沢新一(著)
牧野千穂(絵)

2005年3月17日
マガジンハウス

1470円(税込)





反省の行為も 環境(対象)に対する徹底した観察と分類からなります
 それは 「科学的な思考」態度そのものです

本来「科学的な思考」とは 現代にときななれた「野生の思考」なのです
 しかし それはアメリカを中心とする「非対称性社会」の抑圧を受けてもいます

今日の科学は その 一神教的な
 非対称性(非流動的)思考の 限界付けの突破を目指しているように思います

それは 生命科学の機械論的凡庸さを超え
 分子生物学と熱力学の結合(ハイブリッド)を志向し
 量子力学的世界観の 生活と思考の全領域への広がりなのですが

今回の宿題は 例えば 「おいしい」という語彙の限界付けの突破 と思ってください?(笑)

ある限界付けを突破することで また見えるものもあります
(つまり情報が見えるようになります)

そして そこには 流動的知性が働いていることを
 実感していただければと思うのです

では 宿題の成果を楽しみにしています

2005/06/14 (火)  
【万年筆】

午前6時起床
 浅草はくもり

今日は宮崎へ飛びます
 宮崎地区建設業協会さんにて 鹿児島県建築協会さんをお迎えいたします

さて 今まで使っていた 無印良品の万年筆が嫌いになってしまいました
 と言っても壊れたのではなく それなりには機能してはいます

ただ 文字を書くときのひっかかりや インクの出具合など
 気になり始めると それがますます気になります

それが わたしの中で 修復できないのです
 それはまるで 男と女の関係のようにです

新しい万年筆が欲しくなりました
 といっても 万年筆でテクストを書く文筆業でもありませんし

経済的にも そんな高いものは買えません
 国産の普及品を買おうか と考えています

わたしは 字が下手です
 下手というよりも 汚いのです

それを若い頃から自覚していましたので
 (というよりも 指摘されていましたので…)

仕事での文章の作成には 早くから ワープロを使うようになり
 自分で最初に購入したパソコンも 一太郎が主役でした

ですので デスプレイに表示される 画一化された文字を見ることや
 キーボードの操作で テクストを作成することには 慣れてはいるのですが

タイピングが自己流でいい加減なままですから
 入力のスピードはそんなに速くはありません

しかしそれでも こうして ウェブログを書くぐらいなら 不自由はしませんし
 考えながら書く 書きながら考える ということも身についてしまっています

でも時々は 万年筆で紙に書く という行為がしたくなります
 それは ただ書くだけなのですが
 
同じことを デジタルでやるのとは 別の脳の回路を使うのか
 文字をなぞるという 無意識的なものを呼び起こすためなのか

なにかが いつもとは 違っています

だからと言って 突然仕事がすすみはじめたり
 よいアイディアが浮かぶわけでもないのですが

なにか 波長のように 思考の方法を変えてみたくなるときがあるものです
 その時のツールのひとつが 万年筆なのです 

2005/06/13 (月)  
【ハイブリッド】

午前8時起床
 浅草はくもり

F1カナダグランプリを見ていたせいで 床についたのは午前4時でした
 寝不足気味の朝です

わたしは 最近スポーツ観戦(TV観戦ですが)をしませんが
 F1だけは欠かさず見ています

F1は人間の作り出した「技術」と その技術が人間の身体に科す超人間性のハイブリッドな競争であり
 己の力を超えた偶然に支配され続けています

その偶然に 人間は 技術をもって挑みますが
 また逆に 偶然にも助けられることもある

それは 骰子一擲いかで偶然を破棄すべき であり
 骰子一擲 それが偶然を破棄しない でもある
 一つの宇宙を作り出している サーカスのような
 なかなか奥の深いものだと感じています


さて 11日 久慈からの戻りは 工藤さんに盛岡駅までお送りいただきました
 途中 九戸にある道の駅 オドデ館に立ち寄ったのですが
 そこには かなり魅力的な神様?がおられました

オドデ館自体 かなり風変わりな名前なのですが
 その名前の由来は 九戸に伝わる 民話の主人公オドデさまなのです


ある夏の日、牛番の若者が、夕暮れになったので帰ろうとしたとき、なんと向こう の薮の中にピカッと光る物に気づきました。「あれ、なんだべや」 と驚いている 若者の前に、二つの目玉の光り物が、ガサガサと薮から姿を現し、ピョン、ピョン と跳びながら近づいて来ました。

さて、そのものといったら胴の太さは二升樽ぐらい、フクロウのような目玉の顔と 下半分は人間みたいな2本足の怪鳥でした。

「あれっ、こんな不思議なもの、鳥だべか、人間だべか」 若者はこんな事を腹の中でチラッと思いました。
すると、怪鳥も「こんな不思議な もの、鳥だべか、人間だべかと思っているな」とおうむ返しに言い、その後で「ド デン、ドデン」と叫びました。
(引用:http://www.vill.kunohe.iwate.jp/odode.html

オドデさまは 上半身はふくろう 下半身は人間というハイブリッドで
 人の心をよみ 予言をします

これは岩手という(宮沢賢治を生んだ)テリトリー性がもつ
  「野生の思考」の賜物なのかもしれませんが
 ふくろうと人間のハイブリッド
 それが統合しようとしているものがなにかは わかりません
 
野生の思考野生の思考

クロード・レヴィ=ストロース(著)
大橋保夫(訳)

1976年3月30日
みすず書房

5040円(税込)




ただ オドデさまのような 民話にあるハイブリッドは
 どちらかといえば 哲学的反省の次元を経ない
  声の文化としての 「野生の思考」の賜物であると考えています

それは 人間の思考の ある種の詩人の仕事のような すばらしい営みであり
 それを賞賛はしますが 否定することはありません
 
そこには 宇宙的自然と それに対立と違和を持って存在し生活をしている人間固体との統合があります

その統合も テリトリー性(土地的制約)が機能し
 「種」としての「中景」をつくりだし
 「種」は 「個」と全体を統合する(つまり個と個をつなぐ)ハイブリッド装置のように機能しています

そして「野生の思考」は 人間の無意識に浸透している思考方法であることで
 今でも生き続けているのだと思います

しかし 「いまや 近景と遠景を媒介するはずの「中景」が抜けてしまって
 近景と遠景がネットワークを通じていきなり接続される」(別役実)のです

そして問題は 個と個をつなぐ媒介である「種」の機能不全をもたらしているのは
 別役実氏が言うように 「近景」と「遠景」を結び付ける「ネットワーク」であることです

それは交通網であり 通信網であり
 わたしの言う 「ITが普通にある時代」とは このような時代のことを言っています

そこには たとえば 地方の衰退や「公共工事という問題」や
 一方で個の情熱の喪失を生み出してしまうとき
 ニート的な文脈や 個の透明化の問題も生まれてくるのでしょうが

ネットワークを否定して あたかも鎖国化してしまうことが
 そもそも ニート的な文脈なのであり なんの問題解決にならないこともあきらかなことです

わたしは オタク的 ハイブリッドの可能性に注目をしていますし
 そのオタク的 ハイブリッドの能力を高く評価していますが
 それは「種」(中景)なき時代の 「野生の思考」のようなものです
 
そして わたしが オタク的 ハイブリッドの能力を評価しているのは
 かれらには 強い自己顕示欲があるからなのですが

確かに そこには中景はなく
 個と個を媒介するもののリアリティがありません

だからこそ あえて IT化による「種」(中景)の再構築と
 反省の次元の復活を取り入れることになるのですが
 この部分の説明は わたしの能力では まだまだ簡単には書けませんね(笑)

2005/06/12 (日)  
【法大EC第3回講義の反省】

午前6時起床
 浅草は くもり

今日は 昨日の法大EC第3回講義の反省をしていました

 http://www.momoti.com/HELP0503.swf

それは 講義内容をパワーポイントにまとめる作業ですが
 これは 一般的な手順とは違っているように思えます

通常は 講義内容をPPTにまとめ それに沿って講義をすすめていきますが
 最近のわたしは 大筋だけを想定しておき

実際の講義や講演は インスピレーションを期待しながら
 偶然を楽しむように進めていきます

 (ですから 後でまとめているのです)

それは 私の中のに データベースのようなものがあり
 そのデータの 意識的 無意識的組み合わせで
 「話」(理論)を作り出していく作業です

そのデータベースに貯蓄されているデータは
 勿論 わたしのオリジナルではありません
 わたしの オリジナルを強調することに たいした意味はないと考えています

ただ データの組み合わせ方と
 そこから生まれるハイブリッドな「話」(理論)は
 わたしのオリジナルなのです →シミュラークル

今回の講義の内容は わたしのIT化論の中心課題である
 ITが普通にある時代の 情熱(パッション)とはなにか を考えるものです

ここでは情熱としての欲望と
 「ITが普通にある時代」がキーワードです

それは 江戸時代でも 明治時代でも 大きな物語が機能していた
 高度経済成長期でもありません

そんな ITが普通に無かった時代の情熱ではありません

インターネットがあり 誰もがネットワークを通じてつながる時代の情熱です

それはスケールフリー性が機能し 二極化がすすみ
 貧富の格差は広がり

大都市と地方が対立し
 公共事業は激減し それと歩調を合わせるように地方の衰退がすすみ

中景(象徴界)は崩壊し
 反省の次元を経由しない 話し言葉としての文字が情報化され
 近景(想像界)と遠景(現実界)が ネットワークでつながり
 
晩婚化や少子化が問題とされ
 ひきこもりや ニートや フリーターの存在が顕在化し

公共事業という産業の情熱(欲望)が
 ともすると萎えてしまいかねない時代の情熱です

2005/06/11 (土)  
【久慈での二次会】

午前5時起床
 久慈は 雨
 関東は 入梅したとのこと これから湿っぽい日々が始まります

昨日は 岩手県電気工事組合青年部さまの総会にお呼ばれし
 講演会 懇親会 二次会 と楽しませていただきました

二次会では 久しぶりに 熱く語ったかもしれません?
 ?がつくのは わたしはちゃんと語ったのかと自問すると
 記憶に不安があるからです(笑)

今朝 昨晩の写真を見ていると
 見事な お刺身が並んでいました

これは 二次会(ラウンジ)でのもので
 たぶん 別の店から届けていただいたものでしょうが

二次会で こんな見事なお刺身にお眼にかかったのは
 わたしの30年近い酒飲み人生では 初めてのことです

(↓)三陸うに

(↓)ほや

まさに 久慈おそるべし! が並んでいました

こんな 地域特性を生かした 心のこもったもてなしと
 青年部さんという 若い皆さんのクラスターは

ついつい わたしの湿り気味の 情熱の導火線にも火をつけていました
 わたしの欲望が萌え燃え始めているのが 自分でもわかりました

それは なにか久しぶりに とても基本的なことを
  しゃべっていただけなのですが

それは わたしがこの仕事をはじめた頃に
 よくあった 場面のように感じました

それは 最近は 滅多になかったことなので そんな時間をくださった
  岩手県電気工事組合青年部の皆様には 
  あらためて深く感謝申し上げたいと思います

ということで 今朝は 7時にホテルを出て盛岡へ移動し
 9時39分盛岡発のはやてに乗らなくてはなりません

法政大学エクステンション・カレッジが待っています

2005/06/10 (金)  
【地域わかもの定住圏事業農産物加工所】

午前5時30分起床
 浅草は くもり

今日は 岩手県久慈市まで参ります 一泊します
 岩手県電気工事組合青年部さまの総会にお呼ばれしていて
 講演の時間も設けていただいてます

はやて が走るようになって 盛岡まではかなり近くなりましたが
 さすがに久慈市はまだまだ遠いのです

今朝は ある程度余裕がありますが
 明日は 法大ECに間に合うように帰らなくてはなりません
 授業に遅刻しては いけません (笑)


昨日は鹿沼市を訪れ 昼食に三たてそば長畑庵さんにいきました
 神谷さんと轟さんと一緒に 一升打ちを食べました

 (写真は五合打ちで つまりこれを2枚を3人で食べたわけです)

一升打ちというのは 蕎麦の量をあらわす単位で
 二人で四合打ちが適量とのことですから ちょっと多めでしょうか

しかし 細めの のど越しのよい蕎麦は  いくらでも食べられそうでした
 蕎麦自体がきちんと蕎麦の香りがし 味がします
 (蕎麦はすべて地元の粉を使用しているとのことです)

 神谷様ごちそうさまでした

この店は 不便な場所にありますが 有名店であり
 私たちは お昼を過ぎてから行ったのですが
 お客様は 途切れることはありませんでした

そして この店の入り口には 気になる看板が掲げられています

ちょっとわかりにくいかと思いますが
 「地域わかもの定住圏事業農産物加工所」と書かれています

この店は 今市市長畑という 鹿沼市との境に近い やや辺鄙な場所にあります
 わかもの達は 職を求めてこの地を離れることが多かった(今でも多い)のだろうと想像できます

そんな中で 地元の特産品である蕎麦を基底にし
 わかものが地元に定住できる環境を作り出そうとしてきたのだなと想像できます
 (その看板の古さから かなり以前から取り組まれていたことが想像できます)

確かに ここで働いている方々は 若い人が多いようでしたし
 近所にも 蕎麦屋が目に付きました

これは 補助金ありの政策的なものでしょうが
 その基底が地域(土地的な制約のあるコミュニティ)であることで
 この事業に対する 人々の情熱が生まれたのだと思います

そして その基底(地元産の蕎麦)という閉じたクラスターを
 徹底することで 客を呼んでいる(広くて薄い紐帯をつくりだしいている)ことがわかります

このあたりが 昨今喧伝されている
 建設業の ソフトランディング政策や 帰農などというものと
 決定的に違っているように思えます

たしかに 地域のわかものの雇用を 蕎麦だけで作り出せるとは思えませんが
 今を覆う萎えた欲望(たとえばニートの問題)のことを考えると

こうして 働く場所があって(蕎麦の栽培 加工 販売)
 そこで技術を身につけ
 それを生かして 生活をしようとする希望が(少しでも)生まれるのであれば

たとえ その夢がこの地では 叶えられないものであっても(地域に定住できなくとも)
 それはそれで 意味のあることだろう と思うのです

希望と それに向かう人間の情熱は なによりも 大切なものだと思います

2005/06/09 (木)  
【桃組】

午前5時30分起床
 浅草は くもり
 今日は 8時発の きぬ103号で 鹿沼まで主張 打合せです

東武の浅草駅までは 徒歩8分程度でしょうか?
 近いと言えば近いですし 近くないと言えば言えなくもないような
 微妙な距離です(笑)

ここ三日間 わたしは同じよな仕事をしています
 わたしがつくった ささやかな波紋(IT化)は
 そんなに大きなものではありませんが

ミームは 確実に広がっていることが確認できていて
 今や 第三世代とでもよべる方々が動き出してくれています


それは 広くて薄い紐帯の 触手がつながっていく過程のようなものですが
 それができるのも

「桃組」と呼ばれる
 それ自体が 薄くて広い紐帯であり
 そして 狭くて濃い紐帯でもある ハイブリドなクラスターをつくりあげてきた
 第一 第二世代の方々の  HUB能力のおかげなのだろう と思います

「桃組」は 常にわたしの 「中景」であり
 わたしが 自己否定的変態をするための 基底であり
 繭のようなものです
 
IT化の秘密は
 それ自体は 狭くて濃い紐帯であるけれども
 薄くて広い紐帯の一部をなすような
 ハイブリドなクラスターにあるのだと思います

2005/06/08 (水)  
【昨日の仕事について】

午前7時起床
 浅草は くもり
 今日は 山口からお客様がお見えになります

昨日は 尾道にて わたしの企業向けのIT化についてご説明してきました

最近のわたしは 事前に準備したPPTに沿ってはなしをする
 ということがありません

基本的には 何種類かのPPTを開いておき
 そのPPTを行き来しながら はなしを進めていきます

この端的なものが 法大ECの講義です
 法大では ホワイトボードにPPTを写し
 そこに 文字や記号や 絵を描きながら講義を進めています

その内容は 事後にPPTにまとめられ
 皆さんに公開しているのはご存知の通りですが
  それは同時に 次のわたしの講演や講義の 資料となります

昨日の 話の内容も PPTにまとめました
 http://www.momoti.com/P1.swf
 (FLASHPAPERを使用しています)

内容は 企業が行うIT化についてのものです
 それは 最初に クラスターをつくる(イントラネットがこれにあたります)
 ことからはじまります
 
しかし クラスターには決定的な欠点があります
 それは インターネットが意味を持つ社会でこそ 顕著になった問題です

 「<他者>からの信頼に欠ける」

これは 商売人には決定的な欠点であることは
 三菱の問題を挙げるまでもないでしょう

では どうやって クラスターは信頼を得るのでしょうか
 ネットワークの問題としては
  これは個のHUB機能(能力)に還元できるのですが

では 信頼を得る ということは どういうことなのか
 そこでIT化は なにをするのか ということですね

2005/06/07 (火)  
【器用な人】

午前5時40分起床
 浅草は くもり
 今日は 尾道まで日帰りの出張です

6月4日に行われました 葉月桃塾第1回講義資料を公開しましたので
 興味のある方は 下記のURLからご覧ください

 http://www.momoti.com/HZ050604.swf
 (FLASHPAPERを使用しています)

葉月桃塾にも宿題はありまして 今回の宿題は (↓)です


今回は まず <私>自信が 情熱を持って取り組めるもの を考えてください
 それは一番になれるのか
 経済的原動力もてるのか
と続くのですが あとのふたつの部分は
 今回は あまり考えなくても結構です というものです

ここに表れてくるものは まず「種」なのですが
 次回の講義の理解目標は そこにあります

それは「種の論理」の基本的な理解です

「種」 それは 中景であり 基底であり 象徴界です
 私たちが生きる基本となる「かたち」です

具体的には 地域や社会的なクラスター(学校・職業・町内会・家族・会社・協会等)を 
 思い浮かべていただければと思いますが

私たちは その「種」をベースにしながらも
 その「種」さえも否定してしまおうか というような「個」の運動を行います

それが「守・破・離」の実践者としての「個性」 であり
 そのことによって また「種」も変化し 普遍性をもつ ということです


わたしは 好んで食べ物の話題を書きますが
 それは 「食」という 人間の非常に湿った部分には
「種」をベースにしながらも
 その「種」さえも否定してしまおうか というような
 「個」の運動(個性)をみることができる楽しさがあるからです

 たとえば(↓)は「こんぴら」さんのカレーうどんです

このカレーうどんの才能は うどんそのものの うまさもさることながら
 みじん切りにして触感を残しているたまねぎにあります

これは カレーうどんという「種」の基本を継承しながらも
 それを少し否定していることで 個性が生まれているということができます

また わたしは 「カレーうどん」という ハイブリッドされた「種」が
 この世に生まれたこと そのものにも 楽しさを感じます

うどんという 日常的で普遍的な食い物(「種」)に
 カレーを組み合わせたのは誰かは知りませんが

この「ブリコルール」(器用な人)的な発想は
 ありあわせの道具資料を用いて(つまり 無から生まれているのではない)
 自分の手でものを作る人にしかできない発想なのだと思います

そしてそれがまた けっして「くろうと」的でないことに面白さがあります

(↓)は 6月5日に 新千歳空港で食べた 「まつじん」さんの
 ラムチョップ スープ・カリーです

このラムチョップ+スープカリーという ハイブリッド的な器用な仕事にも
 カレーうどん同様の
 プリコラージュ(器用な仕事)をみることができます

「食」は 犯罪や セックス等と同様に 人間の湿った部分の表出です
 そこにあるのは エロスとタナトス 生と死の 湿り気です
 たとえば食は  生きるために 他の生を奪うことです

そんな 湿った 非合理的な部分だからこそ
 「野生の思考」的な「ハイブリド」が機能しているのだと思いますが
 まあ それも 基本(「種」) があってのことです

その基本が無くなってしまった状態が
 「データベースモデル」(東浩紀)なのだろと思います

そこでは 基底(「種」)を失った「野生の思考」が 浮遊しています
 基底のない プリコラージュ(器用な仕事)をみることができます

それは とりたててすばらしいものでもないのですが
 悪いことでもありません

ただ 今という時代に さまざまな問題を生み出していると感じています
 だからこそ「種の論理」 「中景」の 「象徴界」の再構築なのですが

その時 まずは <私>自信が 情熱を持って取り組めるもの を考えることから
 はじめようとしているのです  

2005/06/06 (月)  
【モカシン靴のシンデレラ】

午6時30分起床
 浅草は 晴れ

モカシン靴のシンデレラモカシン靴のシンデレラ

中沢新一(著)
牧野千穂(絵)

2005年3月17日
マガジンハウス

1470円(税込)




わたしは SNS(ソーシャル・ネットワーキングサイト)mixi(ミクシィ)を
 観察しながら(笑) 楽しんでいますが

そのへんてこりんな名前の由来は
 「“mixi”とは “mix”(交流する)と “i”(人)を組み合わせたことば」
 ということらしいです(http://mixi.jp/about.pl

中沢新一の絵本「モカシン靴のシンデレラ」
 皆さんが知っているあの「シンデレラ」の 北米インディアン ミクマク族版の物語ですが
 ミクマクという部族の名前から すぐに連想したのは やはりミクシィでした

ミクマクとは 彼らが使う 挨拶の言葉
 「ニクマク nikmaq」(あなたは親戚みたいに親しい人だの意味)が なまったものらしいですから
 ミクシィは ミクマクを 先祖に持つ 言葉と言ってよいかもしれません

しかし 待ちわびていた 中沢新一の新作が(「アースダイバー」はともかく)
 絵本だったのには 正直面食らいました
 それも ミクマク族版 「シンデレラ」なのです

レヴィ=ストロースになりたいのかな…
 これが最初の印象でした(笑)

神話と意味神話と意味

クロード・レヴィ=ストロース (著)
大橋 保夫 (翻訳)

1996年12月16日
みすず書房

1890円(税込)
(この本は とても読みやすいので
 構造主義入門に お勧めします)

まあ それはともかく 中沢新一が 私たちに伝えようとしているのは
 「野生の思考」 なのだと思います

「モカシン靴のシンデレラ」を読むと
 同じ構造を持った物語が 「野生の思考」を経ることで
 とても深遠な表現を持つことに気づかされます

たとえば 西欧版(フランスの詩人 シャルル・ペロー版)のシンデレラは
 美しい容姿を持ち 美しい衣装を身につけていたことで王子の心をつかみましいた
 また 王子も王子で 女の美しさを外見の美しさだけで判断して 自分の結婚相手を決めようとしています

 あさましい…(笑)

ミクマク族の「野生の思考」は この物語が持つ
 女性の美しさと幸福という主題を さらに深めてみせます

それは見かけの美しさを否定して たましいの浄らかさこそが
 女性の美しさの秘密をにぎっているのだと断言します(p53)

化粧という魔法…(笑)は 女性をますますきれいにしてくれます
 そして <私>も(王子様ではないのですが)
 その魔法に 惑わされ続けてきました(笑)

どうやったら 心の中身を美しく成長させることができるのかは
 だれも本当のことを語れなくなってしまっているのだと思います

そんな時代(野生の思考が失われてしまた時代)だからこそ
 中沢新一は 「モカシン靴のシンデレラ」
 私たちに 伝えたかったのだろうと 思います

2005/06/05 (日)  
【東京へ戻ります】

午前6時起床
 札幌は くもり

昨晩も 元気に飲んでしまいましたので
 いささか体調は不良です
 葉月桃塾第1回の反省は 明日にでも掲示したいと思います

昨日のお昼は 岩見沢の シーズ・ザ・ディさんで 豆腐のスープカリー
 +ゆで卵のトッピングでした

ここの特徴は 麦飯なのですが
 麦飯は あっさりめのカリーとよくあいます


ということで そろそろ まにあ・1号さんがお迎えに着てくれる時間です
 帰り支度をしなくてはなりません

2005/06/04 (土)  
【今日から葉月桃塾】

午前5時40分起床
 浅くはくもり

本日は 9時のANA便で新千歳空港へ飛びます
 今日から葉月会(空知経営研究会)の桃塾−葉月桃塾−が始まるのです
 昨年に引き続き 2回目の開催になりますが
 これは 経営層というよりも 現場代理人クラスの方々を対象としています



わたしの関与先レベルでも
 これと同様の取り組みは 他には行われておりませんので
 全国唯一の取り組み といってよいかと思います
 
今回は 受講者のコミュニケーション用に
 専用のイントラネット(サイボウズ)を立ち上げ
 ネットワーク上のクラスターを直に体験していただくと同時に
 
講義自体も 双方向性を持てるよう
 可能な限り 受講者参加型で行いたい と考えています

そしてこの講義の目的は
 法大EC同様 受講者の皆さんの
 変えてはならないもの−針鼠の概念−の理解です


さて 昨日は 岐阜県建築工業会さんの サーバーの移転作業をしました
 しばらくぶりに 技術者のような仕事をしましたが
 順調に作業が進捗しましたので 理屈をこねているよりは数段楽しいものでした

思ったよりも 早めに作業が終わりましたので
 岐阜県建築士事務所協会さんへお寄りし
 向井会長にお会いしてまいりました
 いつものようにお元気で わたしも元気をわけていただきました

ホームページをリニューアルしたので見ておきなさい ということでしたので
 早速拝見させていただきました
 相変わらず COOL!です
 
自宅に戻ると
 一昨日発注した 中沢新一の2冊の本が もう届いていましたので
 早速一冊を読み始めました

アースダイバーアースダイバー

中沢新一(著)

2005年5月30日
講談社

1890円(税込)






第9章 「モダニズムから超モダニズムへ 浅草〜上野〜秋葉原」 から読み出したのですが 最初の一行から面白すぎます

中沢新一が大好きな浅草在住のわたしは
 とうぜんのように ツボにはまってしまい
 「そのとおり! にやにや・・・」なのでした
 中沢新一で笑えたのは初めてじゃないでしょうか(笑)

「アースダイバー」の中沢新一は
 あの難解な「フィロソフィア・ヤポニカ」とはまるで別人のようです
 言ってみれば 「わかりやすい中沢新一」です

ただ 根底に流れているのは
 「カイエ・ソバージュ」シリーズで地表に現れてきた
 無意識への深い理解であり
 それは 中沢新一そのものであることには違いありませんし
 こんな本 中沢新一以外には書けません

そして わたしは
 「これはかなり使えますねぇ・・・」 と またほくそ笑んだのでした(謎)

2005/06/03 (金)  
【今日は岐阜へ】

午前4時起床
 浅草は雨
 今日は 岐阜へ日帰り出張です

昨日は 沖縄からお客様がお見えになりました
 一献するまで時間がありましたので
 プロジェクタを使って IT化についてお話をしました

わたしの考えているIT化は
 広くて薄い紐帯(ウィーク・タイズ)の可能性 と言ってしまってもよいのですが
 それは 具体的には個人のHUB能力に収斂されます

HUB能力とは <他者>とつながる能力というだけではなく
 人と人とをつなぐ能力であり
 クラスターとクラスターをつなぐ能力です
 それは 信頼と尊敬の関係がベースにあります
 
そしてそれが個人のものであるとき
 また 建設業という実業を通して
 今という時代にその能力を機能させようとするとき
 そのHUBとしての個人を育てる「種」(クラスター)は
 「種の論理」的に機能しなくてはなりません

つまり
 「個は種のミームで育ち 種は個のミーム変化による変化を内包している」
 の実践です
 これはある意味 「守・破・離」であり
 「種」は「個」の自己超越プロセスの無限集合のようなものです

  守(しゅ)=ひたすら学ぶ時期
  破(は)=教えの言葉から抜け出し真意を会得する時期
  離(り)=型に一切とらわれず自由に飛翔する境地

ですから わたしは最初に「種」を機能させようとします
 それはクラスターの再構築であり
 「守」であり 「中景」であり 「象徴界」であり
 具体的には 企業クラスターの再構築であり
 協会クラスターの再構築です

ここにイントラネットを使うことの 第一義的な意義があります
 イントラネットはクラスターであり
 「個」(個人 会員企業)が行う「種・破・離」のための
 「個」がHUBとして その触覚をクラスターを超えて伸ばすための
 つまり「広くて薄い紐帯」を実践する「個」を生み出すためのマトリックスです

効率化と合理化は ITには必ずついてくる 付属品です
 ITという情報の機器を使えば 効率化と合理化はちゃんとついてきます(ちゃんと使えばですが…)

ですから  IT化において大切なことは 「種」の基本的価値観(基本理念)です
 クラスターは「種」であり
 個が 「守・破・離」的実践を行う基底となるものでなくてはなりません

ただ そのことは 古い慣習を守るということを意味してはいません
 慣習は変化してもいいのです
 維持しなくてはならないのは 慣習ではなく
 その慣習を生み出してきた基本理念です
 (今多くの協会や企業は ここが逆転しているように思えます)

慣習は 「経営=環境×原理」という方程式から導き出された
 ある時期の「解」に過ぎません
 つまり環境から導き出されたものです

環境の変化を自覚したとき
 わたしたちは 慣習の維持を考えるのではなく
 維持しなくてはならない原理とはなにかを 再確認しなくてはなりません
 それが 基本的価値観であり 基本的な目的ですが
 それが見つからないのであれば 見つかるまで考え抜かなくてはなりません
 

さて 下の画像は  昨日の戯言を書きながら考えていたもので
 iPodshuffleのデータベースモデル(試作)です(笑)


shuffleは 表層では
 音楽をランダムに私たちに提供しているだけに思えますが
 それはじつは「組み合わせ」であり
 shuffleに そのデータを提供しているのは
 いってみれば「音楽の世界」であって
 それは無限の広がりを持っています(実際は有限でしょうが)

その無限の世界にあるひとつひとつの作品は
 shuffleに投げ込まれる対象−つまり前対象−となったとき
 「大きな物語」をもっておらず
 「大きな非物語」(東浩紀)として
 データベース的に存在しているのだと思います

そのデータベースから shuffleに投げ込まれる音楽は
 当事者個人によってハイブリッドされ
 shuffleのシャッフルによって さらにハイブリッドされ
 1個のshuffleが まるで一つの作品のように存在しています
 そしてそれが 世にある shuffleの数だけ作られます
 ただその作品には <他者>にとっては たいした意味はありません

このハイブリドを内包した 個々のshuffleは
 基本的には個人消費の対象でしかないのですが

たとえば shuffleを 複数人でシェアし
 各人が それぞれ (<私>の好きな)音楽をそこに入れると
 ちょっとだけネットワーク化され
 ますますハイブリッドされた shuffleが生み出されていきます(笑)
 著作権もなにもあったものじゃありませんが…(笑)

2005/06/02 (木)  
【最終兵器彼女】

午前6時20分起床
 浅草は くもり
 今日は 沖縄からお客様がみえる予定です

まずは「5月30日山鹿にて」のネタを もう一つ書いておきます
 「つばさ」さんという 囲炉裏焼きのお店につれていっていただいたのです
 このお店のすばらしさは 写真を見ただけで ご理解いただけるでしょう
(←)地鶏はもみだれにからめ 炭火で焼きます

皮のカリカリ感がたまりません

ハサミで切って食べます

(↓)この大きな三角油揚げを見てください

焼けたら やっぱりハサミで切り 醤油で食べます

これがたまらなく芋焼酎にあいます

では 唐突に話題を変えます

最終兵器彼女 全7巻

高橋しん(著)

小学館







やっと時間ができましたので 「最終兵器彼女」全7巻を 一気に読み通しました

オタク的なものとして紹介されることの多い作品ですが
 中沢新一流に言えば 見事な「ハイブリッド」なのだと思います

わたしは個人的経験から感情移入ができるところがあり
 (それは 別に わたしの彼女が最終兵器であるからではありませんが…)
 かなり楽しめたことを正直に申し上げます(笑)
 しかし 泣ける作品ではありませんでした

「最終兵器である彼女」とは
 たとえば<私>が環境に対して
 自分の力ではどうしようもないものだ と感じたときの
 絶望感なのだと思います

そんな絶望の中で語られるのは 「私と彼女」の愛の物語です
 そこには 当たり前のように 「種」(中景) はありません

家族も 地域も 学校も ジエータイも
 (つまり かつては その問題解決方法であったろう種・中景) 既に
 この絶望を 克服する術(すべ)を提供できないもの として描かれています

ただ 「私と彼女」の愛が すがるべきものとして存在しています
 しかし 彼女は最終兵器なのですから…(笑)

この作品の設定は とても 現実的なのだろうな と思います
 (キャラクター設定ではなく 物語の基底にあるものがです)
 それはまるで 「何をしたらいいのか わからない・・・・・・」という
 環境に絶望した 「ニート」の文脈のように感じました

ニートニート―フリーターでもなく失業者でもなく

玄田有史(著)
曲沼美恵(著)

2004年7月10日
幻灯社

1575円(税込)




中沢新一は 「フィロソフィア・ヤポニカ」でこう書いています

『マラルメ詩が小さな帆船に乗り込んで漕ぎ出した、近代の荒れ狂う多様体の海は、百年後には比較的穏やかな乱流となって、表層の全域にそのカオスの運動を繰り広げるようになった。そのことは、もはや「高踏的」な知的エリートばかりではなく、インターネットを手にした多くの大衆の体験し、知ることとなったのだ。』

『マラルメはその多様体の隅々にいたるまで意識のネットワークを張り巡らせ、大切な接続点でおこっていることのすべてを言語化しようと努力した。これに対してネットワーク化した社会を生きる大衆は、小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象を、反省に送り返すことなくイメージ化することによって、現実の表現を行っているに過ぎない。』

『それはとりたててすばらしいことではないが、かといって陳腐なことでもない。ハイブリッドの氾濫、それはまぎれもない現実であり、十九世紀にマラルメのような人物がはじめて意識した問題は、いまや今日の大衆の実感になっている。』
「フィロソフィア・ヤポニカ」,p365)

cover フィロソフィア・ヤポニカ

中沢新一(著)
2001年3月10日
集英社
2600円(税別)






わたしは この文脈はまだ よくわかっていないかもしれません…が
 今は 「フィロソフィア・ヤポニカ」 はオタク論だったのだ と考えています(笑)

たぶんそれは言い過ぎには違いありませんが
 「最終兵器彼女」という作品がハイブリッドであり
 ハイブリッドが オタク的能力の特徴なのであり
 オタク的な表現とは

『ネットワーク化した社会を生きる大衆は、小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象を、反省に送り返すことなくイメージ化することによって、現実の表現を行っているに過ぎない』ことの必然なら

そしてそれが ニートの文脈を生み出しているものと同根であるのなら
 「フィロソフィア・ヤポニカ」 はオタク論であってもよいのだろうし
 
ここで東 浩紀のデータベースモデルは
 ハイブリッドの氾濫をみる 眼を 私たちに与えてくれていると思います

図: 網状言論F改 p27

これは 次回の法大EC「考えるIT化講座」で少し触れますが 
 どうしたら 想像界と現実界を つなぐ象徴界は
 大きな物語にかわるあたらな意味を持って
 機能してくれるのでしょうか

動物化するポストモダン動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会

東 浩紀(著)

2001年11月20日
講談社

735円(税込)





2005/06/01 (水)  
【純生産】

午前6時30分起床
 浅草は 晴れ

一昨日 山鹿市の木屋本店さんを見学させていただきました
 木屋本店さんは麹の専門店で 味噌や酢甘酒を作っておられます

麹を使う つまり醗酵の仕事場は
 それ自体が純生産(女の悦楽)のようなものですから
 大切に手入れすることで果実が生まれます

それは仕事場の空気にも表れていて
 天井にも 梁にも そして麹を入れる箱にも
 つまり建物自体に 道具自体に (木屋本店オリジナルの)麹菌が棲みついているようなもので
 けっして近代的ではありませんが
 しかし そこには 続けることができたものだけがもつ
 積み重ねられた 純生産の強さがあります
その見学中に 作業所に隣接する お住まいの玄関を見せていただきました
 ちょっとわかりにくいかもしれませんが 階段があります
 つまり 玄関が二階にあります

これは 菊池川が雨に弱く
 洪水がたびたび起こった頃の名残りとのことです

店舗にもその頃の形跡は残っており
 たとえば 水位が急に上がったときでも
 天井裏から二階に非難できるための仕掛けが残っていました

そんな 菊池川流域の歴史は
 木屋本店さんのすぐ近くにある
 菊池川流域情報交流会館 (しびんちゃ館)でみることができます


さて 木屋本店さんの隣には 千代の園酒造さんがあります
 当然に 試飲させていただき わたしは午後3時過ぎ頃から
 ほろ酔い加減だったのです

純米大吟醸は さすがに すばらしかったです
(お土産に 一本いただいてまいりました)
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