「ももち どっと こむ」より

還暦祝い!平成30年9月15日(土)桃組「小さな勉強会」と「暑気払い」のご案内。山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)。

2018年08月01日|イベント



Lesson12 正解の思い込み(3)―教科書的な情報化は「正解」なのか

教科書的な情報化は「正解」なのか

たとえば、今までの「情報化」は、本社や支店といった事務所にサーバーを置いて、事務所で働く社員にパソコンを配布し、事務所内のLANを構築するといった、どこかの教科書に書かれていたか、ベスト・ソリューションと呼ばれるものを担いでやってきたベンダーさんが作っていったものでしょう。

そして、そこで行われていることといえば、原価管理をはじめとする会計処理や、表計算ソフトやワープロやCADの活用、そしてそれらのファイルの共有などが「正解」だ、ということになっており、結局、事務処理のOA化に終始しているはずです。このような認識で、たとえ電子メールやイントラネットといったIT化の道具を導入しても、その活用範囲は「社内」という檻の中に使用を限定されてしまっていることでしょう。そして決まってこういうのです。

「これで情報は社外に漏れない」

いったい何を隠しているというのでしょうか。

これらの多くは、ベンダーの提案や商社や製造業などで行われている事務処理の情報化の事例、つまり教科書的な情報化事例を、中小建設業でも正解だと思い込んでしまった結果でしかないのです。そして、それで何かいいことがあればまだしも、

〈中小建設業の事務所中心の情報化は受注には結びつかない〉

のですから、ますます多くの経営者に失望を運びつづけ、そして経営者はますますコンピュータが嫌いになってしまうのです。

ただしこれには、一部のパソコンオタク系経営者を除いては、という注釈が付きます。情報化が進んでいるといわれている中小建設業をみると、このパソコンオタク系経営者が推進エンジンであることがあります。コンピュータがないよりはずっとましですが、彼らも失敗を省みない方々でしかありません。彼らは失敗すればするほどコンピュータが好きになってしまいます。

彼らにとって情報化の失敗の原因は、常にシステムの処理能力にあります。新しいパソコンや新しいソフトウェアに衣替えすることが、彼らが信じる唯一の問題解決方法です。挙句の果てに、「このパソココンは私の自作です」などといって喜んでいるのですから、たぶん幸せなのでしょう。

でもIT化についてはほとんどなにも知らないのです。彼らの目標はIT化ではなくコンピュータの導入だからです。会社の中にコンピュータがたくさんあることがなによりも大事なのです。その使われ方はどうでもいいのであり、これもファックスの延長上にインターネットがあるに過ぎない情報化どまりのものといえるでしょう。

このような事務処理中心の情報化は、中小建設業の業績向上には一切寄与しないし、かえって経費負担を増大させ、経営者や社員のIT化に対する失望感を膨らませ、経営者がIT化に懐疑的な態度を取らせることに寄与し続けています。ここで仕事がたくさんあれば、その失望を経営者は忘れてくれるかもしれませんが、「今という時代」はそれを許してはくれません。

そして、ここが肝心なのですが、多くの経営者は、電子メールやイントラネットなどというIT化のツールを、今までの情報化の延長上にしか理解できていないのです。ですから、電子メールやイントラネットに対しては、使う前から「正解」ではない、という烙印を押してしまっています。そしてIT化は進まないのです。では、この教科書的な情報化のいったいどこに問題があるのでしょうか。

それは、「自分で自分をわかろうとしない」という思考の停止です。これは、教科書的な情報化が中小建設業にも「正解」なのだと思い込んでしまっているので、仕方がないことかもしれません。しかし経営にとっては大問題です。情報化に際してはベンダーは頼りになる存在であることも否定しませんし、製造業等の他業種による先進事例も参考になるところもあることは否定するつもりもありません。しかし、「教科書の事例が中小建設業に対してすべて正解なのか」これぐらいは考えてもいいはずです。そうすれば、「そんなわけはないだろう」と気付くはずです。ベンダーの多くは中小建設業がなにものかを全く知りませんし、中小建設業は製造業とは明らかにちがうものであることを経営者自身は知っているはずなのです。

いってしまえば、教科書的な情報化の失敗は、自分のことを知らなすぎるのか、それとも知っているという過信なのか、中小建設業における最も基本的な原理の認識の甘さがもたらしたものでしかありません。その基本原理とは、

〈建設業は現場で稼ぐから建設業〉

ということです。さらには、「公共工事は受注産業」ということです。そしてこれは、

〈仕事はいつも右肩上がりで増えるとは限らない〉

という、当たり前のことを意味しているに過ぎないのです。この「当たり前」をIT化に限らず、中小建設業界は直視してこなかったのです。

その原因は、「わからない」ということが「わからない」に尽きるのだと思います。それが「正解の思い込み」を生み出しています。「わからない」ということが「わからない」ことが、右肩上がりの時代の残像と結びついた時、「正解の思い込み」は考える経緯を省略して、短絡的に目の前にある正解のようなものを正解だと思い込んでしまっているのです。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2007年11月19日 15:51: Newer : Older


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