「ももち どっと こむ」より

還暦祝い!平成30年9月15日(土)桃組「小さな勉強会」と「暑気払い」のご案内。山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)。

2018年08月01日|イベント



Lesson18 発注者と市民社会(3)―公共工事のプリンシパル・エージェント問題

公共工事のプリンシパル・エージェント問題

結局、公共工事に対する「消費のミーム」とは、「発注者」と市民社会との関係で簡単に変化するような曖昧なものでしかありません。ここではそれを、「プリンシパル・エージェント問題」(省略して「エージェント問題」)として考えてみましょう。

エージェント(代理人)とは、依頼者(プリンシパル)に代わって依頼者のために働く人のことですが、「今という時代」の「発注者」(政治家もですね)は、有権者(納税者・国民・市民社会)の代理人として存在している、という認識でいいでしょう。つまり、公共工事が信頼を構築できないでいるのは、この「エージェント問題」が問われているのです。

「発注者」である「官」が、公共建設市場における唯一の「消費のミーム」の持ち主として機能し、かつ市民社会が認める正当な代理者であれば、「発注者」の「意図に対する信頼」は市民社会の「消費のミーム」の中に織り込み済みであることで、「公共工事という問題」はたいした問題ではありません。

「発注者」が、市民社会の代理人として、第三者からの調達で職務を履行しょうとするとき、その調達行為が、市民社会からの信頼の上に成り立っているなら、公共工事の信頼の問題は起こりようもないのです。しかし今問われているのは「発注者」の信頼です。そのことで「エージェント問題」としての「発注者」のあり方が、問題として表面化しているのが「今という時代」なのです。

エージェント問題の本質 

エージェントは依頼者の利益を代表すると同時に、自分自身の利益も考えて行動します。したがって、二人の間の利益が一致しない場合には、エージェントは自分の利益を重視して、依頼者に不利益を与えてしまう可能性があります。これをどうやって避けるかというのが、「エージェント問題」の本質です。(山岸,2002,p125)

つまり、公共工事の依頼者(プリンシパル)が市民社会であるなら、エージェントとしての「発注者」(お役所)は、正しく市民社会の利益を考えているのか、という問題がクローズアップされます。山岸によれば、この「エージェント問題」の典型的な解決策が江戸時代における「目付制度」であり、イギリスのパブリックスクールの教育だというのです。

「エージェント問題」は、「エージェント問題を生まない品質保証済みの人材」に対する大きな需要を生み出します。(山岸,2002,p126)

そうであれば(そうであることは間違いありませんが)、公共工事の依頼者としての市民社会は、その代理人としての「発注者」が「品質保証済みの人材」であることをどのような方法で認識するのか、という問題を提起していることになります。

結論からいえば、発注者は、自らが「品質保証済みの人材」であることを証明する術を持ってはいません。正確には「なくしてしまった」といったほうがよいかもしれませんが、それは「公務員」という、かつてはあった権威の崩壊を意味しています。

市民社会に対する「発注者」の「意図に対する信頼」は、自らが「公務員」である、という社会的身分に一任されているだけなのです。そして問題は、その社会的身分の失墜です。それは「今のという時代」に、従来の権威的なモノサシがたいして機能しなくなっていることを意味しています。つまり「ヒエラルキー・ソリューション」が絶対の問題解決策であった時代は、もはや終わろうとしているのです。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年05月18日 06:55: Newer : Older


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