[店主戯言00112 2001/12/01〜2001/12/31 "There goes talkin' MOMO"

About桃知利男インデックスSelf Talking INDEX | 2001年11月へ| 2002年1月松の内へ著作権店主へメール


2001/12/31 (月)  
【快気祝いのメールをありがとう】

一年の締めの夕食を食べる。
なぜかうどんすき。

私の食事に対するモットーは,一日三食,一年で1095食しか食えねぇのだから,一食たりとも無駄に出来るか。
という,なんとも卑しいものなのである。

なので久しぶりにしっかりと食べる。
病院食ではこうはいかない。

ただ,私は病院食は嫌いではない。
多くの方々は病院食を嫌うようだが,私は結構楽しくおいしくいただいていた。

飯を食べながら,9時からのK1VS猪木軍団までの時間つぶしに紅白歌合戦を見てみた。
総じてつまらない

こういうものを見せ付けられると日本の芸能の世界が,なにかとてもつまらなく思える。
今の日本はこんなものが大衆芸能なのだろうか。

→私はどこかで時間を止めていたのかもしれない。

ただそんな中でも,鳥羽一郎はいい。
それから「とっとこハム太郎」(東京12チャンネル)の歌が最高であった。

この歌,私も何度か挑戦して歌ってみたことがあるのだが,異様に難しい歌である。
→ためしにワンフレーズ歌ってみるといい。音程はきちんと取れるだろうか。

というところで,早速沢山の方々から快気祝いのメールをいただいた。
どうもありがとう。



【退院】

ようやく退院許可が出たので,病院でお昼ご飯を食べ,自宅へ戻ってきた。
皆様,一応退院できました。

ご心配いただきありがとうございました。m(__)m

とはいっても,暫くは毎日通院しなくてはならない。
つまり,年明け早々の初仕事は,元日から病院へ行って,お尻を出すことなのである。

「一年の計は元旦にあり」という言葉に倣えば,それはあまりにも悲しい出来事のような気もするが,まあ,快方に向かっているわけだから,それはいいことだと解釈することにしよう。

さて,自宅に戻っても何をするわけでもなく,DVDでウルトラマンを見ていた。
二週間程,ベットで横になって過ごしてきたので,体力は確実になくなってしまっているようだ。

ということで,皆様には,きっとよい新年がやって来ることを祈念して,退院のご連絡まで。

2001/12/30 (日)  
【五悦三会(入院13日目)】

午前6時起床。
体温は35度8分。

昨晩はNHKでドラマ聖徳太子を最後まで見てしまったので少し寝不足気味である。
それは2部構成で,それぞれ90分。終わった時には日付は既に変わっていた。

このドラマ,NHKのサイトでみると,こんな風に紹介されている。

「日本」とはいったいどんな国であるべきなのか。  
二十一世紀に立ち向かう私たちが直面しているこの同じ課題に、
今から千四百年前に最初に取り組んだのが、
聖徳太子=厩戸皇子(うまやとのみこ)です。

 6世紀後半、古代日本はようやく統一国家の形成へ 向かおうとしていたのですが、
豪族同士で権力争いを繰り返していた大和朝廷の支配者たちには、
新国家建設のビジョンはありませんでした。 
この日本の黎明期に生を受けた聖徳太子が、仏教の影響のもとに、
初めて新しい国家像を創造するのです。

 聖徳太子の思想と行動の中には、同じ課題を背負った現代の日本人が、
二十一世紀を生きていくための示唆が数多く秘められています。
 誰もがその名を知っている「聖徳太子」。
壮大なスケールで描きます。

NHK版聖徳太子は,6世紀後半のグローバリゼーションを現代とラップさせる。
つまり朝鮮半島(新羅,高句麗と日本の関係)。

そして国交のない大国である中国(隋)との国交樹立を目指す(遣隋使−小野妹子)。
特に隋との関係は象徴的な描かれ方だった。

当初,隋に使者を送るも,蛮国扱いされる。
それは当時の日本という国が,律令のない国であり,隋から見れば国として認められないということである。と,太子は理解する。

→なので,冠位十二階や十七条憲法等が出てくるわけである。
→この描写は,なにやら明治維新時の日本を想起させる。
 →明治期の早急な資本主義化。

これらの文脈を現代にラップさせろということなのだろう。
→それはグローバリゼーションという外圧でしか変化しない国である我が国にとっては,あながち間違いではない。

さて,五悦三会である。
今年も楽しいことも悲しいことも沢山あった。

五悦だから,楽しいことを書かなくてならないのだなぁ,とは思うが,あえて書くとすれば,今年の新しいチャレンジとしては,法政大学エクステンションカレッジぐらいか。

これは楽しかった。
そして,私の文化子(若しくはミームといってもよい)が,少しだけ広がったことを感じた。

→来年も講座を準備したいと考えているが,果たしてどうなるかなのである。

それよりもなによりも,毎日がそれこそ楽しかった。
今年も毎日が出会いの日々であった。

江戸の民が七味五悦三会を楽しんだ頃に比べれば,今の私の移動量,情報量は比較すること自体が阿保らしい。
江戸時代の一般の民が,それこそ一生かかって得られる情報量を,私は一月単位,若しくはそれ以下で得ている。

それは聖徳太子の時代と現代を同一文脈で語るほど馬鹿げたものであろう。
冠位十二階や十七条憲法を造るだけで何とかなった時代とは,今という時代は違うのである。

さらに複雑であり,多様なのである。
ということで,この複雑で多様な時代に(来年も)新しい出会いを楽しみたいと思う。

ところで,昨日から点滴がなくなった。
つまり,朝のガーゼ交換だけすれば,あとは病院にいてもしょうがないのでね,今日は日中は家に帰ろうかと思うのだ。

2001/12/29 (土)  

【七味五悦三会(入院12日目)】

午前7時起床。
体温は35度9分。

さて,今年も残すところあとわずかである。
今日はお尻のガーゼ交換だけで,点滴もない。
 →退院は近いのかと期待が大きく膨らんでいる。

しかし,あいかわらずやるこもないので,「七味五悦三会(しちみごえつさんえ)」でもやろう。
これは,その昔の江戸っ子の遊びである。

つまり,七つの今年初めて食べた美味しい物,五つの楽しかったこと,三人の初めてであった素敵な人を,除夜の鐘を聞きながら,あんなこともあったね,ああ,あんなものも食った,そういや,あれは楽しかったなぁ。あの人のおかげで今年は助かったなぁ。。。などと,今年一年を振り返り,私の人生もまんざらすてたもんじゃないではないかいと,自ら喜び会うという,なんとも内向的な暗い楽しみである(今の私の境遇にはぴったしだと思う)。

■七味

まずは七味からはじめるが,これは七味じゃ足りない。
とにかく思いつくままに書いてみよう。

1・長野県駒ヶ根市の変なご飯シリーズ。
 1.1.精養軒,「タンシチュー」
 1.2.玉龍,「ソースカツどん」
 1.3.萬里,「ローメン」
 →窪田建設さんへ訪問していた頃,駒ヶ根で食べた不思議な食べ物シリーズ。
 →駒ヶ根は変な食物がいっぱい!。

2・和歌山県和歌山市 出井商店の中華そば。
 →東組さんへお邪魔しているときに食べたもの。
 →本当にうまいと思った。

3・VISIO寿司こと四谷「後楽」のあなご寿司
 →MSの安田,平野さんに連れて行っていただいて以来,私もすっかり常連に。
 →あなごは絶品である。

4・岐阜県郡上郡 明宝ハムと明方ハム
 →いまだにどっちがどっちなのか区別がつかない。
 →前田会長,いつもありがとうございます。

5・新地なお店2軒
 5.1.飛田新地 鯛よし百番
 →二死満塁さんが大阪独演会の懇親会会場として設定してくれたもの。
 →はっきりいって,料理はどってことはないのだが,存在そのものが凄い。
 →また行きたい。
 
 5.2.西区九条の「小川下」(こかげ)の「草鍋」
 →二死満塁さんに連れて行っていただいた,世にも不思議なちゃんこ鍋。
 →松島新地隣。

6・飛騨高山の麺類2軒
 6.1.新井製麺所のうどん
 →田口さんに連れて行っていただいたお店。
 →上手いとかまずいとかの評価以前の凄さ,つまり飯を食らう場所としての説得力がある。
 
 6.2.やよいそばの飛騨高山ラーメン
 →これも田口さんに連れて行っていただいたお店。
 →まるでチキンラーメンの如しで,個人的にはかなり好み。

7・大船 「鎌倉」のそば
 →これは桑山さんにつれていっていただいたお店。
 →だしまきがうまい。

8.岐阜県郡上郡大和町 「剣」で食べた「漬物の味噌煮」
 →インパクトでいうと,これが今年一番かも。
 →ものすごく塩辛い。
 →これで酒の最中にもかかわらずご飯を食べておられていたのが印象的。

9.三重県松阪市のホルモンとちょろ松
 →松阪へ行くと丸亀産業さんにお世話になって,ホルモン三昧。
 →松阪といえば松阪牛なのだがいつも食べるのはホルモン。
 →地民ネイティブでは,ホルモンがデファクトらしい。
 →そして,世にも不思議な「ちょろ松」

10.新潟のラーメンシリーズ
 →新発田建設さんへ訪問する際の楽しみは石井さんが案内してくれる新潟のラーメン屋さんでした。
 10.1.赤道食堂 特性味噌ラーメン
 10.2.万人屋 チャーシュー麺
 10.3.吉相 ねぎチャーシュー(こってり)
 10.4.東横 味噌ラーメン
 10.5新潟駅,駅南けやき通の「しゃれ亭」の「つみれ鍋」
   →ゆずこしょうで食べる。
   →今すぐにでも新潟へ行って食べたい!

11.岐阜県大垣市の名店2軒
 11.1.ブランチ ヒロノヤ
 11.2.四鳥
 →今年は,大垣で過ごす機会が多かった。
 →ブランチヒロノヤは宇佐美組の古田さんに連れて行っていただいたお店。
 →四鳥は大垣の老舗割烹だが,私は晩飯を食べるのに結構利用したのだった。

12.埼玉なお店
 →浦和 華の家のプルコギ
 →蕨 備長の上ホルモン
 →備長の上ホルモンは,もともと試作品みたいなもので,私のような内臓系の好きな客に出していたもの。
 →今年はしっかりと商品になった。
   →八木沢さんがお気に入りのようである。

13.鹿児島県阿久根市 華あじ
 →阿久根建設さんへ訪問した際にご馳走になったもの。
 →阿久根市は,華あじをはじめ,魚の宝庫である。
 →年明けにお邪魔する予定。

14.宮崎県延岡市 再来軒のラーメン
 →上田工業の伊藤さんご推薦の久留米系ラーメン。
 →かなり好み。

15..名古屋 「眞佐可」の焼肉
 →福井コンピュータさんに連れて行っていただいたところ。
 →狂牛病騒ぎで肝心のホルモン系が食べられなかった。
 →要リベンジ。

多分,まだまだあるんだろうけれど,もう書くのも飽きた。
ということで,今年もご馳走さまである。

ここに出てきたものは,全て過去の店主戯言に登場している。
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2001/12/28 (金)  
【私はいつ退院できるのであろうか】

桃知@病院のベットの上である。
また便秘気味(二日間不発)なので下剤を飲む。

どうも心理的に出口での痛みを恐れているところがあって,それでアウトみたいなのだ。
出口といえば,今日は歯医者にも行ってきたわけだが,つまり,私は入り口と出口を同時に修理しているようなものなのだなぁと思う(しみじみ)。

病院にいても,毎日があっという間に過ぎていく。
別に何をしていると言うわけでもないのだが,毎日同じように時間は過ぎて行くのだ。

そして病院の夜は長い。
9時には消灯である。

が,そうはいかない。
そこからが読書の時間なのだ。

で,最近読んだもの。
『ワンピース』,ご存知の通り漫画なのである。

12巻まで読み終えた。
面白い。

ところでだ,私はいつ退院できるのであろうか。
完全に飽きた!



【素朴な疑問】

今日は外出(歯医者)できたので,久しぶりにお昼を外食。
藍屋で,焼き魚(銀たらの西京漬)の定食を食べる。

新しい歯にはまだ慣れなくて,食べるのが重労働状態ではある。
が,シャバの空気で食べるご飯はおいしい。

歯医者から自宅までは,歩いて5分ぐらいなので久しぶりに自宅へ戻る。

ウォッシュレットの工事は既に終わっていて,このフル機能のウォッシュレット,使ってみれば確かに快適である。
病院のものより数倍いい。

注文していたDVD類がだいぶ届いていたので,1枚チョコと見る。
Paul Simonの「You're The One」(パリでのライブ)

Simonも相当爺が入ってきたなぁ。というのが感想。
それとこの人,いつも目が笑ってないのだけれども,なんか人が変わったように表情豊かになったなぁと思う。

60近くになっても,変化はするものなのだ。

最初と最後を中心に飛ばし飛ばしで見たけれど,最後の「THE BOXER」は涙ちょちょ切れものだなぁ。
はやく退院して,ゆっくり見たいのであった。

それから,「よしたに一寸よむ」さんから封書が届いていた。
中には「痔痛守」と書かれたお守りが。

さらには,momo如来のお札まで。
このmomo如来,お見せできなのは残念だが,なかなかの傑作(爆笑ものという意味だ)である。

千葉組の皆さんありがとう。

それから「羅針盤」さんから素朴な質問が届く。

ところで,いつもこうして更新作業をされていますが
病院にPCを持ち込んで,しかも,PHSで,,,,

と言うことは,ベットに「すわって」PCをいじっているのでしょうか?

痔の手術のあと,,座っていると「痛く」ありませんか?

ケツの穴付近が痛いと,座っているのも辛くはないのか?と
素朴な疑問が,,,,,

はい,ベットに座っていますが,そこには持ち込んだ円座があるのですね。
この円座に助けられているところも大きいのですが,手術後の痛みなんていうのは,実はたいしたことはないんです。

手術前の状況に比べたら,100分の1,若しくはそれ以下の痛みなのですよ。



【今日も入院中(入院11日目)】

午前7時起床。
体温は35度9分。

昨日【CMについてのメモ】を書いたと思ったら,CMnetの薮原氏からのメールが届いた。
内容的には従前から承知のことなのだが,こうして「CMnet初の土木工事です。」と改めて書かれると,なるほどそうなのかぁという感慨がある。

 栃木県の○○建設さんが、県と市発注の公共工事の一部を下請発注するに際して、
CMnet上での競争入札の方法を選択されました。

本件に関する、一般情報は、明朝(12/28)のCMnetホームページ<
www.cmnetcorp.com>
に掲載されますので、ご覧下さい。

 CMnetの新しい使い方です。 CMnet初の土木工事です。

公共土木に対する、このような使い方は、如何でしょうか? 

地方公共団体発注の工事の地域差(繁忙度合い)の平準化に繋がらないでしょうか?

また、雇用面でのプラスにも繋がらないでしょうか?

 また、どのような障害が発生しそうでしょうか?

CMnetは皆様の経営(商売)の道具です。 皆様のご意見をいただきながら使いやす
くしていきたいと思っています。

詳細情報は、会員HP内の案件情報をご覧下さい。

CMnetのHPにまだ記事が掲載されていないので,あえて栃木県の○○建設さんと伏字にさせていただいた。

土木工事のCMnetの利用については,私はどうもイマジネーションが出来ていないでいたのは確かである。
つまりインスピレーション不発状態が続いていたなわけである。

が,この栃木の建設会社(中小零細の部類である)の社長様は,私のイマジネーションなんてどうでもよくて,とにかく動き出してしまった。

「CMnet初の土木工事利用」の栄誉(?)は,とにかく彼のモノなのである。
痛快ではないか。

そして,この時代は動いている方がとにかく偉い。
そこにしか情報は集まらないのだから。

ということで,このProjectは興味を持って見て行きたいと思う。

で,今日は歯医者へ行く。
のでまた外出。

2001/12/27 (木)  ▲
【CMについてのメモ】

2001年12月26日付け建設通信新聞第一面より。

CMガイドライン(国交省が2002年1月をめどにまとめる)の修正内容がほぼ固まった。

修正箇所
1.ガイドラインの位置づけの明確化
2.表記方法「CMR」はチームまたは組織,「CMr」はチームリーダー個人
3.CMRに建設業許可,経営事項審査が求められるケースの明確化
  →CMRが一連の工事を請け負う場合は建設業許可が必要
  →公共工事の場合は経審を受ける必要がある
4.CMrに対する資格制度の考え方
  →「当面,建築士や技術史,施工管理技士などの資格を求めていくことが考えられる」
  →「CMが定着し,CMrの実績情報が蓄積されてくれば新たな民間資格の検討が必要になると考えられる」
5.標準契約書などの必要性を追加した。−など
  →契約を円滑に進めるため,業務範囲や権限,責任などを定めた標準形契約書の必要性

ということで,CM方式を国も活用する方向性であれことは理解できるだろう。
さらには,『同省は,ガイドラインで示した課題をされに深く掘り下げるため,02年にも地方自治体らと連携してより実証的な検討をスタートさせる予定だ。』とある。

一方民間ベースでは,朝日新聞社盛岡支局の立替工事がCM分離発注方式を採用することが報じられている(同紙9面)。

ITが建設業に及ぼす影響というのは第一義的に,多様な調達方法が可能となるということである。
それは,経済学が想定していた完全競争市場の条件が満たされつつあるとうことだろう。

完全競争(perfect competition)とは。

1.需要者も供給者も十分に多数である。
2.財は均一(同質)である。
  売り手(供給者)も買い手(需要者)も相手を特性で差別しない。
3.完全情報
4.参入と退出の自由
  この市場に誰でもいつでも自由に出入りできる。
以上(小室直樹,『資本主義のための革新』P276)

CALSもこの文脈でとらえないと,木を見て森を見ない論議になりがちなのは言うまでもない。



【まだまだ入院中】

全く退屈な入院生活なのだが,時々楽しめることもある。
今朝方(朝6時ごろかな)私の所へ訪問者があった。

どこかの婆さんである。

この婆さん,時々現れる。
しかし,薄暗い部屋のベットの足元に,ぼんやりと現れる婆なんていうのは,あんまり歓迎されるものでもない。

どうやら自分の帰る部屋がわからなくなってしまっているようなので,今日は私が部屋まで送って行ってあげた。
201号室という話だったので,取り急ぎ201号室へ行ったら,皆さん違うとおっしゃる。

それで,婆さんの名前を聞いて,部屋の名札を見ながら一部屋一部屋探していった。
そしたら,私の部屋の隣の隣の部屋なのであった。

多分またやって来るだろうなぁと思う。
その時は,いつでも送ってやるぜ婆。

それから,一昨日から私の部屋に新人君が登場した。
病気は私と同じである(が,「痔ろう」とはっきり言われたようで私の病の進行形のようだ)。

昨日手術したのだが,私よりもかなり若いせいもあり,術後もかなり元気なのである。
こういう若さを見ると,己も年を取ったものだなぁと思うのだ。

しかし,先輩の威厳は保たなくてはならない。
今日は先輩風を吹かしながら,しっかりとウォッシュレットの水力調整の話をしたのだった。



【今日も入院中(入院10日目)】

午前6時起床。
体温は35度9分。

総じて体温が低いのであるなぁ。
わたしゃ冷血動物のようだ。

さて,おもむろに。

『ベンチャー・ビジネスに成功する秘訣はなにか。』
『過去の成功を捨て,常識を捨てる競争に勝つことである。』(小室直樹,『資本主義のための革新』)

そして小室はこう続ける。

『繁栄の絶頂にのぼりつめた日本が不況の奈落に転落したのも,過去の成功にすがりつき,革新(創造的破壊)を決行しなかったからである。』

『戦後日本の経済は,官僚統制による重化学工業などへの重点的設備投資によって高度成長を繰り返して経済超大国へ押しあがった。この夢想外の大成功に日本人は幻惑され,産業資本主義時代の「官僚化による社会主義」をふり切れず,ベンチャー出現の可能性を閉ざした。』

と,昨年はこのあたりまでの理解で私のCALS話は展開されていた。

で,今年はどうなったかというと,まず,『戦後日本の経済は,官僚統制による重化学工業などへの重点的設備投資によって高度成長を繰り返して経済超大国へ押しあがった。』という部分を掘り下げてみたわけだ。

つまり,開発主義(村上泰亮)の理解である。
これは,官主導による産業政策の裏返しにある部分としての地場型中小建設業の存在理由理解である。

このアプローチというのは,多分に私が長野県の伊那地方や岐阜県郡上郡を頻繁に訪問している中から生まれた感覚だと自覚している。

というところで,そろそろ朝の検診の時間。
それから点滴(これが長い)。

続きは。。。

2001/12/26 (水)  
【点滴中】

桃知@点滴中である。
毎日,毎日,点滴がぶら下がっているというよりは,点滴にぶら下がっているという感じなのだ。

そして,とにかく退屈なのだ。

師匠、下記の対策方法はオシボリウエッティーとベビーパウダー!
数年前に1ヶ月入院しましたが、私はこれを使いました
パウダーも最近は大人用でミントなんか入ったスゥッーとするやつなんかも
ありまして癖に成りますよ(笑)
パウダーが面倒でしたら女性用の腋臭用のパウダースプレーもいいですよ!!

というメールをもらった。
ので,早速家人に調達を依頼した。

今晩から試してみよう。



【今日も入院中(入院9日目)】

午前5時起床。
体温は35度8分。

今日は歯科医院の予約の日なので,午前中外出許可をいただいた。
朝の検診。ガーゼを交換したら,タクシーで歯医者行く予定である。

つまりだ,歯医者に外出できる程度の状況には回復してきているということである。
かれこれ9日間も入院しているんだものねぇ,まあ,少しは回復してこないと困るのは確かだ。

しかし,結構順調に過ごしているこの入院生活,それはそれで問題もある。
一番大変なのはお風呂に入れないことである。

最近,陰嚢部分が痒くて困っていた。
昔,篠原勝之さんの本で読んだが,男は風呂に入らなくとも,肛門と陰嚢は毎日洗わないといけない,というのは正しいと思う。

肛門は,患部なので,それこそ毎日洗っている(消毒までしている)。
しかし,陰嚢はそうもいかないのである。

それでも痒いのは我慢がならないので,思い切って,小用の時に,手洗いで,手を洗うついでに,一緒に陰嚢も水道水でジャブジャブ洗うことにした(当然一人の時だけである)。

パジャマのズボンとパンツを下ろし,洗面台でアライグマをしているのは異様な風景だろうなぁとは思う。

それから,この痒さ予防のため,T字帯を愛用することにした(つまり,「ふんどし」だな)。
手術直後に使用したのだが,思いのほか具合がよかったのである。

ということで,そろそろ朝の検診の時間である。

2001/12/25 (火)  
【今日も入院中(入院8日目)】

午前6時起床も,眠りが浅かったためか,いまいち目覚めは悪い。
体温は36度丁度。

昨日,隣人である無呼吸症候群氏が退院してしまった。
なんと,会社からのお願い退院である。

彼の仕事は総務系,多分社内の交通事故処理係のようで,彼以外にこれを担当する方が社内に存在しないようである。
先日,彼の上司と思われる方が来た時の話なのだが,何とか早く出てきてくれと嘆願しているのであった。

つまり,彼がいないと,上司殿が彼の仕事をしなくてはならない。
その仕事は,なにせ,相手もいることだし,かなり面倒なので,早く出てきて年内解決をしてくれと。

そうしてもらわないと,自分の仕事もできやしない。
と,まあ,こんな按配だった。

この話を聞いて,「サラリーマンっていうのは辛いなぁ」というのが私の感想。
無呼吸症候群氏は脱肛を手術してまだ10日なのだ。

仕事はどうあれ,本来なら,年末年始をゆっくり休むべきだろうと思う。
が,現実は,こうして職場に連れ戻されてしまうのである。

一方,自由業者の私といえば,もう,わがまま言い放題で,皆さんにキャンセルメールを送りつけ,一方的に休みにしてしまっているわけで,だれもさっさと仕事に復帰しろなんて迎えには来はしない。

それどころか,休みにもかかわらず,沢山のお見舞いメールが届き続けている。
そして,皆さん曰く。

『ゆっくり休んでください。』

ありがとう。>ALL

2001/12/24 (月)  
【今日も入院中(入院7日目)】

私は,薬は効きやすい体質らしく,便秘は見事に解消された。
ただし,排便後はウオシュレットでよく洗浄しなくてはならないのだが(当然傷の部分もだ),これはかなり強烈に痛い作業なのである。

大切なのは水圧を確認しておくことで,これを怠ると,強烈なのが傷部直撃となる可能性もあるから要注意なのだ。
これだけは間違っても避けなければならない。

今日はそれを合計4回。
なにか全神経をお尻に使ってしまってかなり疲れた。

2001/12/23 (日)  
【今日も入院中(入院6日目)】

手術後,ずっと便秘である。
そのせいか,昨日は夕食後急に気分が悪くなり,食べたものを全て吐いてしまった。

今朝の診察の時に,下剤をお願いして,お昼から服用をはじめる。
食事の量もセーブ。

さて,今日は,同じ病室のA本さんの話でも書こうか。
彼の病名も入院理由も不明だが,とにかく寝たきり状態の方なのである。

かれこれ3ヶ月程の入院生活らしい。
そして,彼はナース・コールマニアで,とにかくなんでもナース・コールなのである。

背中が痒い。
オムツの交換。
食事。
ベットを立てろ。寝かせろ。
カーテンを開けろ。
女房を呼んでくれ。

まあ,寝たきりなのだからしょうがないが,これを全て命令口調でやるのである。
→彼はなにかの職人だったらしい。

そして,傍観する限り,看護婦さんとのコミュニケーションを本当に楽しんでいるようだ。
→というか,寝たきりの身じゃ,正直そんな楽しみしかないのだろうなぁとは思う。

まあ,看護婦の皆様には,かなり我がままで横暴な態度なので,あまり評判はよくない患者のようである。
→先日は,歩く練習をさせろとダダをこねて,一日中ナース・コールをして,総スカンを食らっていた。

そんな,A本さんの大切なナース・コールが一昨日に壊れてしまった。
彼は,ナース・コールのボタンを一時も話さず握り締めているのだが,何かの拍子に力が入ってしまい,根元の部分から,コードをもぎ取ってしまったらしい。

で,さすがの彼も,昨日は一日中意気消沈していた。
最初は,早く直せと看護婦さんにあたり散らしていたが,そのうち,自分で壊してしまったのを理解して,誰にもあたれないことを了解してしまったらしい(意外と根性は無いようである)。

時々「看護婦さ〜ん」と弱々しく呼ぶだけになってしまった。
でも,ナースセンターは,とても,そんなへなちょこな声が届くような位置にはないのだ。

→しかし,看護婦の皆さんは喜んでいたなぁ。
まあ,この場合は,誰かが代理でナース・コールするわけだが,勝手が違うようでA本さん,いつもの元気がなかった。

そのナース・コールが本日午前中に無事に直った。
なのでA本さん,今日は元気である。

2001/12/22 (土)  
【今週の読書改め病院で読書】

予想通り入院生活は退屈極まりない。
私の場合,手術後が劇的に楽(それでも多分一般的には相当に痛いのだろうが)なので,闘病とういうよりは完全休養というような状態なのである。

それでいて,やることといえば,朝の検診と点滴2本がノルマで,後は全てが自由時間なわけであるからして,これはたまらなく嬉しい時間なわけだ。

まずは,毎日,TVを見られることが嬉しい。
私は,普段はほとんどTVを見ないが,それは見る時間がないからであって,本質的にTVは大好きである。

昨晩は,NHKの視点・論点で,東大の佐倉統助教授の遺伝子とミームの話に魅了されてしまった。
なので,早速,毎度のbk1から,『遺伝子vsミーム 教育・環境・民族対立』,広済堂出版,発行年月:2001.9を注文。

まあ,取り寄せ状態なので入院中に本が手元に来ることはないだろうが。

ということで,今週の読書は「病院で読書」である。
今回は,過去に購入したまま,という状態のものや,移動中に読むには物理的に大きすぎるものなどを入院と同時に持ち込んでいる。

ということで,その持ち込んだ本を紹介。
全て読み終わったわけではない。念のため。。。(笑)

八木紀一郎,『近代日本の社会経済学』,1999年5月25日,筑摩書房

コーリン・クラウチ/ウォルフガング・ストリーク(編),山田鋭夫(訳),『現代の資本主義制度』,2001年7月12日,NTT出版

マーティン・オルブロウ(著),佐藤康行,内田健(訳),『グローバル時代の社会学』,2001年10月10日,日本経済論評社

小林英三,『制約理論(TOC)についてのノート』,2001年8月7日(第2刷),ラッセル社

岩村充(編著),『特別講義 IT革命を読み解く』,2001年11月2日,技術論評社



【今日も入院中(入院5日目)】

午前5時起床。
体温は35度8分。平熱に戻ってきた。

8時ごろから朝食。
それまでは,うつらうつらして過ごす。

食べれば出るのが普通だが,まだ便はでない。
トイレには2度ほど行ったが,いきむと痛いので無理しないことにした。

沢山届いているお見舞いのメールから。

今年は、桃知さんの「動き出せ」の言葉に、自分の尻を叩いてきたのですが、結局のところ「暗中模索」のまま終わってしまった一年でした。

その原因というのは、現実的に毛細血管の末端で仕事をしていく上で現実は、やはりどうあがいても既得権益というものには逆らえないのだと感じたからです。

既得権益というものは、これからも実業だけにとどまらず、試験・資格にも及ぼす事を鑑みれば、国が行う多様な事業の取り組みに関しても(私が思うCMR的な生き方も)これからも変わらずに発生していくものであると半ば自分で諦めているのかもしれませんね。

所詮、かごの中でしか生きられない鳥なのだと。
水もえさも与えられ、飛ぶことを忘れたの鳥たちには、今のままではかごから出て行く勇気も、かごの外で生きていくすべもないのです。

高尚なカラスなれる訳でもないですが、せめてすずめになりたい。
外にいる気分でかごの中を冷静に見れたとしても、現実的にはまだかごの中にいる自分をどうにかしたいと、もがいているだけだと実感してます。

いくら焦っても結果など出る訳ないですが、動き出したい気力だけがただ空回りしている。

既得権益にはやはり逆らえませんか。(笑)
正直で宜しいです。

それはね,多分,自分自身が既に,既得権益者だからですね。
つまり,「現実的に毛細血管の末端で仕事をしていく上で現実は」ということですね。

でも,それで幸せであれば,私はなにも責めるつもりはありません。
その幸せを一日でも永く保つためにはどうしたらよいのかを考えてみれば宜しいでしょう。

そう考えると,その既得権益というのも,そう居心地のよいものだとも思えないのではないでしょうか。
要は,己の思想の自由を,どこに(で)どう保つか。という一点だと思います。

既得権益者というのは,決して強者ばかりではありません。
むしろ,強者には見えないのが普通です。

既得権益者は,得てして弱者を装い,その弱者性を持って既得権益者なのです。

2001/12/21 (金)  
【私の病気について(入院4日目)】

桃知@病院のベットの上%病名は「肛門周囲膿瘍」です。
手術は無事終わり,術後の経過も順調ですのでご安心ください。

皆さんからは沢山のお見舞いメールをいただき,深く感謝申しあげます。
さて,今日は体調もいいので,12月19日分の闘病記のようなものを書いてみました。

また,体調のよい日を見て続きを書こうとは思いますが,それがいつになるのかはわかりませんので悪しからず。
今回は(↓)のようなメールが来たのでね,ちょっとがんばってみただけです。

店主戯言を毎日見に行く習慣が付いてしまいましたので
なんだか、ぽっかり穴が空いてしまった気分です。

手術後の経過は順調だと願っております。
麻酔が切れた時の痛みは、とても辛い物だったとお察し致します。

私も盲腸の摘出手術を経験しており手術後モルヒネ?を三回も注射して
しまいました。(爆)

その時に、入院した病院の看護婦さんがノープラでして、、、
点滴をしてもらう度にオッパイが、丸見だった事を今でも忘れません。(笑)

お腹は痛いが、体は元気でしたので、それはもう、体に毒でした。(爆)

今日、痔の痛みを和らげると言う不思議なお守りを入手致しました故、
ご自宅にお送り致します。(効果が有るかどうかは御利益次第です。)

本来ならば、お見舞いに行きお渡ししたいのですが、お手間を取らして
しまうのも、いかがな物と思います。

なので、メールのみのお見舞いとさせて頂きます。

お大事にしてください。

2001/12/20 (木)  
【入院中(入院3日目)】

2001/12/19 (水)  
【入院中(手術日)】

昨日(18日)の午後3時に病院へ入る。
レントゲン,血液検査。

身長(175.8cm)体重(87Kgもあったぞ)を測定して,病室へ。
病室は大部屋で,私を除けば4名の方が入院中。

ご老人3,私と同世代1の構成。

この時点で私のお尻の状態は悲惨極まりなく,”腫れ物に触るような”という形容で使う,まさに「腫れ物」状態である。
それから熱が出てきてしまって,寒気もする。

夕食は出るが軽く食べるのがやっと。
点滴を2本終了した時点で,午後10時近くなっていたが,そこから,水浣腸500CCの始まりなのである。

とにかく歩行も容易でない状態なのであるが,その状態でトイレへ連行され,若い看護婦さんにお尻を出して浣腸してもらうわけである。
腫上った肛門に,浣腸の管は強烈に痛い。

その上,うまく水浣腸の水が腸内に入りきれずぼたぼたと垂れ落ちる。
足元まで下げたパジャマのズボン,それとスリッパはビショビショ。

トイレの床も,便器も,パジャマも全てビショビショの中で,お尻の痛みにうんうん唸る。
うゎーいSMだぁ,なんて喜んでいる余裕は既にない。

左腕が自由に回らないのでなにかなと思い見れば,点滴が見事に漏れていたようで,左腕が見事にマッチョ状態なのであった。
浣腸も点滴も漏れる,なんと間抜けな日であろうか。

思わず「馬鹿か己は」という言葉が口を出る。

しかし,笑っている場合などではない状況なのであり,私はよたよたと自分のベットに戻り,パンツだけは引き上げて,そのままうつぶせで眠った。
しかし,お尻の痛みで3時間ほどで目が覚めてしまう。

それからはろくに眠れない。
ついでに,お隣さんは睡眠無呼吸症候群の方らしく,そのいびきは猛獣の如きけたたましさとなり,寝不足のまま夜は明けた。

暇なので頭の中で1,2.3,とその呼吸のない時間を数えていたが,どう考えても1分以上というのがかなりあった。
睡眠無呼吸症候群は怖い病気なので,あとでそっとお知らせしようかなと思う。

そして,手術当日。
寝不足のせいで頭が痛い。

熱は37度6分。
肛門周囲膿瘍は発熱も併発するのだから仕方がないか。

午前7時,手術前2発目(最後の)浣腸をする。
水浣腸500CC,昨晩と違い今度は,なぜかよく入る。

朝ごはんは当然に出ないというよりも,今日一日食事抜きなのである。
朝から点滴。

手術前に,麻酔のための注射というのをやっていただいて(これはものすごく痛い),お尻の凹の周りを剃毛してもらう。
何処を剃るのかなぁと謎だったのだが,お尻の凹の周り(詳しくは肛門の周辺)である。

前の部分は剃らないのだった。
これは意外と気持ちいいのだった。

12時20分頃に手術室へ入る。
車椅子が迎えに来たので,遠慮なくそれで運んでもらった。

私は手術が全然怖くなかった。
むしろ,このどうしようもない痛みから救ってくれるものとの期待が大きかったので,お迎えは嬉しくて気分は高揚していた。

つまり,それだけ,ここ一週間が辛かったということである。

手術室は意外と広く,そこにあった施術台は,出産用のそれを思い出していただければ宜しい。
その格好(つまりお産の格好)で手術を受けるのである。

手術室では丸裸になって,バスタオル1枚で前を隠して手術台に腰掛ける。
手術台には横に溝があって,そこにお尻の痛い位置をあわせて座ると楽なのだった。

ここで,脊椎に麻酔を注射。
右足がビキビキと反応する(それは,「てもみん」でふくらはぎを強くやられたときの10倍ぐらいの痛みかなぁ)も直ぐに和らぎ,足先からホカホカとし,そしてしびれてくる。

次第にお尻の痛みの感覚がなくなり,ぽかぽかとしてくる。
私は麻酔の効きはすこぶるよさそうである。

麻酔が効いてからは別世界であった。
約一週間ぶりで味わう無痛の世界。

「楽だぁぁぁぁぁ。」
それが第一の感想。

手術が始まると,ジジジジ・・・という肉が焼けるような音と匂いがする。
メスで切っているわけではないんだなぁと思うが,それがなにものなのかを知る気力も聞く気力も失せていた。

が,「沢山膿が出ましたよ,これだけ出るとなると痛かったでしょう。」というドクターの話には,余裕で「だから痛いって言ってるじゃないですか」と減らず口で答える元気は残っていたようである。

10分も経たずに手術は終了(あっけない)。
手術台の上で,術後の処置を受け,ストレッチャーで病室のベットへ移動。

病院の天井を見ながら移動しているわけなのだが,昔なんかこんな(移動する病院の天井?)映画かTVドラマがあったよなぁ,と思うが。。。
思い出せない。

手術後,点滴が(点滴したまま手術していたのだ)病室への移動の際にまた漏れてしまったようで,右腕の肘の内側が力瘤を作ったように膨らんでしまった。

これは暖かいタオルで暖めて散らした。
今回は上手く処理できたが,つくづく点滴の下手な病院である。

術後,麻酔が切れるまでは,なにも食べられないし,何も飲めない。
ましてや立ち上がるなんて厳禁なので,ひたすらベットで横になる。

しかし,その時間は,麻酔がよく効いているので,気分はここ一週間で最高にいい!,という状態なのだ。
その時間が午後8時ごろまで続く。

午後9時,麻酔も切れ始めたところで,小の催促。
最初は尿瓶でお願いするが,麻酔も効いているし,お尻の術跡にガーゼを詰め込んでいるので感覚が戻らずだめ。

結局,管を尿道から膀胱に入れて出してもらうことにした。
麻酔が切れてきているので,さすがに管を通すときは痛い。

おなか(膀胱)を押してもらって約650CC出す。

看護婦さんに笑われてしまった。
(通常は500CCで膀胱は爆発状態らしい。。。)

午後10時過ぎ,本格的に麻酔も切れてきたようで,傷口も痛み出す(といっても手術前に比べたら,こんなものというようなものである)。
お約束どおり痛み止めの注射をお願いする。

筋肉注射で左の二の腕に一発(すげー痛い)。
「太い腕ですねぇ,格闘技でもおやりですか」と聞かれたが,昨晩の点滴が漏れてこうなっちまったんだ。ともいえず,私は軽く笑ってごまかした。

で,この痛み止め,睡眠薬みたいなもので,直ぐに寝てしまう。
が,午前3時ごろ,また例の野獣の咆哮の如きいびきで目覚める。

それからはまた眠れず。
寝不足から開放されない闘病生活は続くのであった。

2001/12/18 (火)  
【取り急ぎ良いお年を】

肛門科へ行ったら,病名が違っていた。
誤診である。

無駄な一週間を見事に送ってしまった。

病名は痔核(いぼ痔)ではなく,「はれ痔」つまり「痔ろう」ということで,緊急入院なのである。
明日手術予定,年内は病院の中である。

つまり,年内の予定は全てキャンセル。
ごめんである。

それからこのHPの更新も退院までは出来ないだろう。
なので,良いお年をお迎えくださいなのである。



では,またおいあいしまよう。

※ メールはジョルナダを持っていくよていなので読めるようにはしておきます。



【闘病の記録はまだまだ続くのだ】

お尻の痛みに耐えかねて午前4時ごろ目覚める。
直ぐにお風呂に入り,ホットカーペットの上でお尻を暖める。

明日からの鹿児島遠征は完全にあきらめた。
ここ2週間,仕事を先伸ばしたツケは年明けのスケジュールにものすごい負担を与えることだろう。

が,そんなことを言っている状態ではないのだ。
なんとも明日は見えない状態が続きまくっているわけである。

憎きは,いぼ痔
だそうで、たいへんでございましょう。皆さんからアドバイスが届いていると思
いますが、そろそろ減ってきただろうと思いまして、ちょっとだけ。。。

私も、かつて肛門科で赤外線ランプを当ててもらった口です。医者が医学書をもっ
てきて、「あなたのはこの絵とそっくりです。典型的ないぼ痔です。」とニコニ
コしながら言っていたのを昨日のことのように思い出します(かれこれ13〜4年
前のことです)。
「おれは偉くなってウオシュレットを買うぞぉ〜」と思ったのもでした。

いぼ痔は膨らみはじめが痛くて、完全に膨れてしまうと、そう痛みはなくなりま
す。あとはひたすら暖めて、押し込んで、そしてウオシュレット。寒さにはたい
へん弱いので、決して単車などには乗らないように。

お大事に。

ということで,うちのアパートのトイレはウオシュレットがないので,昨日家人に手配してきてもらった。
据付は26日だそうである。(遅すぎるじゃないか)

普段ホテル暮らしで,家のトイレなんか全然気にしていなかったけれど,そうもいかなくなってしまった。

ということで,本日はこれから歯医者。
終了後,肛門科へ。

もちろん円座持参である。

2001/12/17 (月)  
【息絶え絶え】

桃知@息絶え絶えです。
大崎でのセミナーはなんとかこなしてまいりました。

しかし,歯はないし,お尻は痛いし。
神よ,なぜにあなたはこのような試練を私に与えなさる。と愚痴の一つも言いたくなる。

大崎までは,京浜東北線,田町で山手線乗り換え。
京浜東北線では,持参の円座(ピンクのカバーだ)を座席にしいて,背筋をピンと伸ばし微動だにせず移動。

周囲の冷たい視線は一切無視である。
痛いのだからしょうがない。

山手線は空席がなく立っていたがこれは二駅だからたいしたことはない。
問題は,大崎駅から会場までの徒歩移動。

思いのほか,これが辛かった。(>_<)
今の私は歩けないことを痛感。

セミナーは予定通り。
15分休憩も15分オーバー。約3時間喋る。

しかし,喋るとね,さすがにお尻に響くのだった。
終了後は準備いただいたタクシーで帰宅。

しかし,道路は混んでいて1時間30分ほど時間がかかる。
その間,準備していた円座に座り,まだ若い運転手さんと経済の話をしてきた。

若い運転手君は,明日ホームページを見てみますとのことだったけれど,読んだかい。?
しかし,このタクシーの時間,これが致命傷だった。

ものすごく痛い!

帰宅後お風呂直行。
風呂の中は天国なのである。痛みがやわらぐ。

そして座薬を入れて,ホットカーペットでお尻を暖める。
約2時間。

ようやく,円座に腰掛けてこの文章が打てるようになった次第である。
この調子だと,今週の仕事もキャンセル濃厚である。

答えは明日の朝,出したいと思う。


【今日は講演なので休めない】

闘病の記録はまだまだ続く。
というのも,症状はいっこうによくならないのだ。

むしろ日増しに悪くなってきている観すらある。
痔核の場合,1週間から2週間で消えるということなのだが,違和感を覚えてから今日で一週間目である。

もう1週間もこの状態が続くのだろうか?
めまいがするなぁ。

今日は午後2時から大崎にて明電舎さんご依頼のセミナー。
3時間を予定しているが,果たして。。。

2001/12/16 (日)  
【続・闘病記】

通販で購入していた円座が届いた。
こちらは,ウール+カバー付で,大きめ。

早速使ってみると,とても具合が宜しい。
椅子に腰掛けているのが非常に楽になった。

しかし,このところ寝てばかりいたので体力が総合的に落ちているのが分かる。
特に背筋関係ので,大分姿勢が悪い。

ところで,今日届いたシャープの液晶TV(LC-20B1-S)が早速壊れた。
電源がはいらない。

サービスセンターへ電話したら,それは基盤故障とのこと。
阿保か!

日本得意のハイテク製品の品質も,確実に落ちていることは確かであるな。
誇らしげに書いてある「MADE IN JAPAN」が泣いているぞ。

ところで,明日は大崎で今年最後の講演(3時間)が予定されているのだが,これはなんとかこなせそうな感じにはなってきている。
18日は歯医者さんの日なので休み。

ついでに,再度,肛門科へも行ってこようかと思う。

19日と20日は,鹿児島遠征が待ち構えているのだが,これは行けるかどうかは不明。
阿久根建設さんからは,無理をしないでくださいとのメールをいただいているが,長距離移動に私のお尻が耐えられるかという一点にかかっている。

21日は東京打ち合わせ。
これはお酒はだめである。

22日,23日は美濃加茂市建設業協会さんでシステム設定の予定。
これもどうなるかはお尻次第である。


【こりゃ,闘病の記録だな】

お尻のあまりの痛さに午前4時ごろ目覚める。
そして,ごそごそと風呂を沸かして,一人お尻を暖める。

薬を塗って,また寝るが,また午前8時ごろ痛くて目覚める。
またお風呂に入って,病院からもらっていた座薬と飲み薬を服用。

10時ごろごそごそとおきだす。
痛みは大分和らいではいるが。。。

家人にイチジク浣腸10個パックと,皆様ご推薦の円座を購入してきてもらう。
円座は必需である。

座るのが大変楽になる。
そうこうしているうちに,先日購入しておいた新しい液晶TVとDVDプレイヤーが届く。

届けていただいた方に接続から設定から全部やっていただいて,わたしゃ高みの見物。
ということで,今日も絶対安静。

2001/12/15 (土)  
【眠る】

とにかく毎日良く寝ている。
一日18時間ぐらい寝ているのではないだろうか。

薬のせいなのかもしれないが,とにかくよく眠れるのである。
おかげで,思考回路はスカスカ状態になっている。

ただし,病状は相変わらずであるどころか,なにか症状が脳みそまで浸透しているような気がする。

さて,13日【Here We Go!】で書いた続きである。

私が,CALS/EC(特に自治体建設CALS/EC)を考察するときに,開発主義(村上泰亮)を持ち出す理由を書いておこう。
とにかく数多(あまた)に溢れるCALS関係のサイトで,開発主義を持ち出してきているサイトは,ここにしか存在しないだろうから,多くの読者の方々は戸惑いにしかなっていないかもしれない。

私の自治体建設CALS/ECを考える時の姿勢は,まず,ITありき,IT化することは善である,CALSは正しい,といった痴呆的思考(無条件なIT信奉)そのものを疑うことから始める。

それは,例えば,戦後高度経済成長とともに増え続けた地場型中小建設業と地場向け公共事業,つまり,多くの地場型中小建設業の立脚する存在理由を考察し,そのそれを明らかにした上で,そこにCALS(IT)を持ち込むことはどういう意味があるのか,それは果たして正しい行為足りえるのか,正しいとすれば,それを可能とする方法というのはいかなるものなのか,ということを考察する立場である。

これは結局,IT化(CALSの導入)は正しい,という答えを出すための巧妙なレトリックだとの批判を受けるかもしれないが,私自身がかつては「無条件なIT信奉者」であったことは正直に認めておこう。

さて,まず最初の理解とは,地場向けの公共事業の存在は,そもそも開発主義の陰の部分として存在していた。ということだ。
それは村上の言葉を借りれば以下の部分に収斂される。

戦後日本の例でいえば農業はすべて農地と(都会地に比べるとはるかに大きな)住宅を所有しており,農家の所得(多くは兼業からの所得)は都市勤労者の所得と同じ速度で増加した。

農家の子弟の大半は教育を受けて都市の産業に就職した。一ないし二世代をかけて人間の離農がいまや完成しつつある。

しかもその間,親たち(彼らはいまや老齢化しつつある)が生活の場とする農家の数はいくらも減少していない。農家出身の都会のサラリーマンたちには,今でも正月と夏休みには家族を挙げて故郷の家を訪れるのを習慣としている人が多い。

戦前からの農家や商店や中小企業は,転落し消滅することなく現在の社会の中間層の重要部分を形成している。日本では大きな都市スラムがついに出現しなかった。戦後の都市流入者を含むこれらの階層は,私のいう「新中間大衆(new middle mass)を形成し,大量生産される耐久消費財への尽きることのない需要減であり続けた。現在の日本社会は,階級的に構造化されていない高度大衆消費社会という歴史上例のない姿を示している。

(村上泰亮『反古典の経済学』1992年,中央公論社)

これは,この戯言では何度も引用している部分である。
さらに,以下は,田中秀臣。『開発主義と新中間大衆の病理』(http://www.t3.rim.or.jp/~hidetomi/)からの引用である。

戦後の都市住民の所得を一部農村住民に強制的(各種補助金など)に移転することで、日本の開発主義は社会的な軋轢なく進んだ。また社会の構成員が「新中間大衆」という等質的な「消費の文化子」としてまとまりえた(という幻想も効力を発揮した)。→幻想としてのナショナリズムの成立。

「しかし、振り返って考えると、もし日本が戦後の高度成長期に、非新古典派型の分配政策すなわち価格維持政策をとらなかったとすると、農村の疲弊が加速し、産業化への不満が倍加し、心理基盤を農村に置くかなりの数の都市住民がそれに呼応し、社会は騒然としていたことだろう(略)このように考えるとき、開発主義の成功にとって、非新古典派型の分配政策は少なくとも有力な補完政策であり、しばしば必要不可欠な政策である」(村上(1994)206頁)。

というところで,お尻が痛くてもうだめである。
続きはあとで。

2001/12/14 (金)  
【お見舞いありがとう】

桃知@ほとんど横になって一日を過ごす。
症状はあいも変わらずというところか。

お尻の機嫌のいいときに,こちょこちょと仕事をしているような按配なのである。
お見舞いのメールをたくさんいただいてしまった。

ももちゃん おひさです.博多のプータローです.

ホントに相変わらず忙しそうですね.
ちょうどいい休養ですよ.

>届くお見舞いのメールも,こころなしか嬉しそうに見えるのは,私の心が荒んでい
>るせいであろうか。

いやいや,みんな仲間が増えて嬉しいんでしょう・・・(^^)

(ざっくり)

お互い,手術だけはしなくて済むように養生しましょう.

お気づきかも知れませんが,あの田吾作さん・・・ふぐの地方発送始めました.
今年の冬休みも博多に来られないのなら・・・ご家族の為にどうぞ・・↓
                      
http://www.kubojima.co.jp/fugu.htm

お見舞いがてらの宣伝でした.

久保島さんからの久々のメールである。
確かに,皆さん仲間が増えて嬉しそうなのであるなぁ。

それからだ,田吾作さんのふぐは確かにおいしい。
そういえば,昨年,久保島さんにご馳走になったままだったなぁ。

さっそく注文することにしよう。

【自宅療養】

本日と明日の仕事を急遽キャンセルさせていただいた。
お尻の具合を考えると,とても長時間の移動には耐えられそうもないからである。

快く私のわがままを聞いてくださいました,戸塚建設さん,亀井さんに感謝申し上げます。

ということで,今週はおとなしく自宅療養である。
はっきり意って,アドレナリンが沸騰しているような私には辛い日々であるが,体あってのものだねと己に言い聞かせている。

しかし,まさかお尻の病気で立ち往生するとは夢にも思っていなかったのも確かである。
届くお見舞いのメールも,こころなしか嬉しそうに見えるのは,私の心が荒んでいるせいであろうか。

2001/12/13 (木)  
【Here I am】

結局,お尻の凹の症状は「痔核」(血栓性外痔核)というものらしい。
つまり「いぼ痔」である。

出血もなく,外科的な処置は必要ないということで,座薬と飲み薬を一週間分いただいてきた。
普通はこれで治るとのこと。

ドクターから痔を予防(治療)するためのポイント10なるレジメをいただいてきいた。
曰く,

1.毎日お風呂に入りましょう。
2.おしりはいつも清潔にしましょう。
3.便秘にならないよう気をつけましょう。
4.下痢をしないよう気をつけましょう。
5.排便のときに,無理にいきまないようにしましょう。
6.おしりを冷やさないよう注意しましょう。
7.長時間,同じ姿勢を続けないようにしましょう。
8.長いドライブは避けましょう。
9.アルコール,刺激物は控えめにしましょう。
10.医師に相談し,正しい診断を受けましょう。

了解である。

ついでに,微熱があるので風邪だろうということで診察していただいた。
喉が赤くなっているらしい。

確かに美しい声(薬剤師さまからそういわれたのだ)にはなっている。
ので,こちらの薬もいただいてきた。

ドクターからは,ゆっくり休みなさい。とのお言葉。
今日はその言葉に従うことにしよう。


【Here We Go!】

午前中,意を決して,自宅から一番近い肛門科のある病院(インターネットで検索したわけ)である「目時病院」というところに自転車で行ったら,閉鎖されていた。

せっかく気合を入れて出かけたのに,なんだかなぁ。である。
仕方なく,一旦帰宅して,また病院を探す。

こうなると,(いつもの)私のどうでもいい精神が首をもたげるのだが,今回はそうも言っていられない状態なので,再度病院を探してみた。
今度探し当てた病院は北町にある。午後は3時から外来を診てくれるとのこと。

同じ蕨市でも北町は線路の反対側で,かなり距離がある。
今度はタクシーで行こうかと思う。

さて,今日の小関さんの「てんめい尽語」を読んでいてふと思いついたことを書いておこう。
それは“認識の変革”ってなんだろう。ということだ。

小関さんが言われるように,制度的な変革と認識の変革というようなものが存在することに異論はない。
つまり,これは制度と文化という問題に収斂するのだが,これら(制度と文化)は別々の存在ではない。

『人間の社会は(もちろん日本社会を含めて),さまざまな「制度」のモザイクで出来上がっており,「目的合理的」行動の外部環境(枠組み)は,「制度」なのである。同一の日本人でも「制度」が変われば,その「制度」が要求する枠内での合理的計算をするであろう。つまり,人々は,「制度的枠組」のなかで目的合理的な行動の選択を行っているのであって,このような意味では,大半の人間の行動は同じような性格を持っているのである。』

『それではここで言う「制度」とは何であろうか。「文化」と「制度」の関係は理論的にはさまざまの困難を含んではいるが,人間の心に「内在化」された『文化』を「文化」と呼び,「外在化」された『文化』を「制度」と呼んでおくことにしたい。「外在化された文化」である「制度」(ルールの体系と言っても良い)は,「内在化された文化」と異なり外国から移入することは,慎重なる配慮さえ怠らなければ,可能であり,日本の社会制度として定着させることも,不可能ではない。現代の日本人が,日々体験している生活は,このようにして海外から導入され,日本の社会制度として定着したものに,数多く満たされてる。』

『したがって,日本人の行動を。「内面化された文化」から直接説明できる部分は,自ら限定されているということを十分に自覚しておくべきであろう。アイデンティティという問題に即して言えば,「内面化された文化」の自己の一貫性だけを問題にすべきではなく,さまざまな理由で,外国から移入された「制度」と「内面化された文化」の接点に生まれた,実際の行動から価値観までの多様化「領域」のハザマにこそ,よりリアリティの高いアイデンティティの所在があると考える。アイデンティティとは単なる「理念」ではない。アイデンティティとは,たんなる実際になされた選択的行動の「説明」原理でもない。』

以上は,園田英弘(編)『流動化する日本文化』,2001年9月25日,日本経済論評社。序章P8〜9よりの引用である。
私の制度と文化に関する解釈は,現時点では,上の解釈に倣っているところが大きい。

つまり,“認識の変革”(それを私は「内在化された文化」の変革と解釈したのだが)と言うとき,やはりそれには制度の整備が前提なのだろうと思う。

そのときの外圧とは,無論グローバリゼーションなのだが,『明治政府がグローバリゼーションに対応するために(それは西洋列強の「植民地」にならないための必死の努力ではあったが),憲法・議会・裁判制度・近代的軍隊・教育制度・銀行・会社組織など「制度」レベルの『文化』(言い換えれば「文明」)的な大変革を敢行せざるをえなかった。』(園田,前掲書P9)というように,今という時代の公共工事変革作業である建設CALS/ECでさえ(これも制度である限り),この文脈で語られるものに過ぎないと私は認識している。

問題は,今という時代に危機感を共有できない(したくない)方々(既得権益者)と,外圧を共有できない方々(例えば,多くの自治体のお役人)にある。
その方々がこの国の多くの政策を担っているところに,この国の問題は存在する。

私が小泉改革を認めるとすれば以下の一点だけである。
それは我が国の産業化(工業化)政策,つまり開発主義において生み出され日没しない(できない)でいる,既得権益の解体作業を推進するだろう。ということである。

ということで,そろそろ病院へ行かなくてはならない。
元気があれば後で続きを書こう。

2001/12/12 (水)  
【お尻が痛い】

お尻が痛いので仕事はしないけれど,久しぶりに映画を見てきた。
ハリー・ポッターである。

上映時間に遅れていったものだから,一番前の席しか空いてなくて,大きな画面を見上げて見ていたら,首が凝ってしまって痛い。

まあ,魔法が使えれば,それは楽しいのだろうが,感想はそれだけである。
個人的にはどうでもいい映画ではあった。

さて,今日は痔のメールが多い。

ところで、「寿」らしいとの事。

自慢じゃあありませんが、私は大地主いえ大痔主でございます。
3度の手術をくぐりぬけた、いわば猛者ですな。
ついに、桃知師匠よりすぐれた(?)部分をみつけて異常に
うれしく思います。

刺激物・・・・お酒・たばこ・コーヒー・香辛料・これ全て「寿」に
よくありません。(全部あてはまりますよね・・・笑)
これらが胃に与える「刺激・・・物理的な微弱のショック反応」が
各消化器官を伝って最終的に到達するのが「肛門」です。
つまり「寿」というのは各消化器官の微細なダメージの集積の結果なのです。

これ(ダメージの集積)に長時間の座りっぱなし・・・つまり血流の決定的な不足・・・
がとどめを加えて「寿」という病気になってしまうのです。

歯と寿だけは「自然治癒」はあり得ないのです。
まよわず、はじらわず、ためらわず、今すぐ医者へ行って下さい!!!

 今回は、神様の「ゆっくり休め」というお告げです。
痔のほうは、一日も早く病院に行ったほうがいいですよ。
わたしもほおって置いて痛い目にあってます。

皆さん,ご心配ありがとう。
というより,喜んでいるなぁ>ALL。

明日は,病院へ行く覚悟を決めた。
いよいよお尻の凹を見せ付けてくるしかないようだよ。



【寿,もとい痔(?)】

昨日から私のお尻の凹部が痛む。(>_<)
私は座っている時が多いので,いよいよかという感じなのである。

この休みを利用して病院にいくべきだろうなぁとは思うが,いくらお医者様とは言え,人様の前であられもない姿をするのも,なにかはばかられる。

今日一日様子を見て,だめだったら覚悟を決めて明日は「肛門科」の門をたたこうと思う。

2001/12/11 (火)  
【日本,愛さぬでもなし】

(↓)に紹介したメールをそのまま捨て置いてはならないと思い立った。
それはつまり,この部分である。

>でも,私の背中には(見えない)星条旗の刺青がある(笑)。
>それは否定しない。
>そしてそれは,私の内なるナショナリズムと戦うこともしないのだ。
>たとえ毎日TVから垂れ流されるアメリカのナショナリズムに嫌悪感を覚えてもだ。

↑まったく同感です。
ただ,それが伝えたかっただけです。

この感覚をどう説明していいのか悩んでいたところに,(今日の移動中に読む予定だった本,)宮崎哲弥,『憂国の方程式』(2001年12月17日,PHP研究所)の一つのフレーズがそれを救ってくれた。

『本物の愛国心とは「愛すまいと考えても,愛してしまうことをさけられない」ものだ。愛国教育の必要性を説く者たちは,国への愛が「愛すまいと考えれば,愛さなくて済む」程度のものに過ぎないことを問わず語りに認めている。この連中には「日本を愛してはならない」という命法はまったく不用である。というより,その真義を理解できない。実は彼らは少しも国など愛していないからである。
私は否応なく日本を愛する。だからこそ日本を愛してはならない,と信じる。』,P324。

このフレーズは,前後の文脈を理解して読まないと誤解の種にしかならないような部分なのだが,私の内なるナショナリズムの正体をまさに言い当てている。

宮崎哲弥はさらにこう言う。

『私が本当にいいたいのは,「愛するが故に愛せない」といった矛盾に常に引き裂かれる生のことであり,危機の只中を生きる人間存在のことなのだ。本当に悩むのは,そうした矛盾や危機を隠蔽し,物事を単純化しようとする輩の愚鈍さ,悪辣さである。』,P325



【桃知飛べず】

メールが届く。

うちの記者が昨晩,新千歳で足止めをくらい
いまだ帰社できません。
って,ことは,桃知さんはまだ羽田でしょうか。

石津とかVANとかでると反応せずにおれません。

>でも,私の背中には(見えない)星条旗の刺青がある(笑)。
>それは否定しない。
>そしてそれは,私の内なるナショナリズムと戦うこともしないのだ。
>たとえ毎日TVから垂れ流されるアメリカのナショナリズムに嫌悪感を覚えてもだ。

↑まったく同感です。
ただ,それが伝えたかっただけです。

桃知は結局自宅に戻ってきてしまいました。

札幌,新千歳周辺の大雪の影響で,予定していたJAL0511は欠航。
その後の便もなんだかなぁ,なので,北海道行きはキャンセルとなってしまった。

つまり,私にとっては降って沸いたような休みがやってきてしまった。
これも神様からのプレゼントだと思って,まあ,ゆっくり休むことにしようと思うのだ。

といってもただ過ごすのももったいないので,久々に建設通信新聞の論評に寄稿原稿でも書こうかと思う。



【北の大地へ飛ぶ】

今日は,羽田発12時丁度のJAL0511で新千歳まで飛ぶ。
9時30分には家を出る予定。

札幌は雪のようだが,新千歳空港は大丈夫だろうか。
昨日はだいぶダイヤが乱れたようだが。

新冠は雪は少ないところだがどうだろうか。
今日は逢坂マサキ建設さんでIT勉強会。

今晩は新冠レコードの湯に泊まる予定である。
ここの温泉は最高なのだよ!

それから,オープンセミナーのご案内を更新しました。
目玉は,建設CALS/EC研修センター(岐阜県)で準備されている二つのセミナーですね。

1月24日は門倉組の桑山さんとジョイント。
2月5日は太田ジオさんとジョイント。

岐阜のCALSセンターはここに来てかなりアグレッシブですなぁ。

2001/12/10 (月)  
【America】

中学二年のある日,親父からせしめた五球スーパーラジオから流れてきたその曲を聞いて私は洋楽に目覚めた。
「THE BOXER」(S&G)。

それから,この曲はずっとMy favorite songであり続けた。
今では,「兄弟舟」(鳥羽一郎)に(個人的には)若干負けてはいるが(笑)。

それからFENを毎日聞いていた。
聞いたことのないメロディ,リズム,全てが輝いて聞こえた。

VAN Jac.(石津謙介)はそんな小僧にアメリカの香りを伝えてくれた。
三つボタン段返りのブレザー。

フラノのパンツはパイプドステムでダブルに裾を折るのが定石だった。
オックス・フォード地のBDシャツ。トレーナー,Tシャツ。

コットンスーツにサンドブーツをあわせる。
スタジャンにサドル・オックスフォード,そしてローファー。

そして今頃はステンカラーのコートを着ていた。
ダッフルコートという手もあったな。

これらは,みんな彼(石津)とアメリカが教えてくれた。
そういうものに心の底から痺れていた。

→心がうきうきしていた。

小僧は,きっと日本もアメリカのようになるのだなぁと思いながら,畳の上で,ご飯に納豆をかけ,味噌汁をすすっていた。
毎日飽きもせずに。

→デザートは沢庵が好きだった。

石津謙介は60年代消費社会のカリスマである。
→心がうきうきするものを彼は捜し求めていただけだろう。

(↓)のメールにあるフレーズ。
「私の背中に星条旗の刺青はありません」

でも,私の背中には(見えない)星条旗の刺青がある(笑)。
それは否定しない。

そしてそれは,私の内なるナショナリズムと戦うこともしないのだ。
たとえ毎日TVから垂れ流されるアメリカのナショナリズムに嫌悪感を覚えてもだ。

そういう時代に私は生まれて育ってきた。
毎日,毎日,こうして私はここに何かしら書いている。

それは,私は何者かという(阿保みたいな)ことを考えていると書くと,それこそ馬鹿かと言われそうなのだが,まあ,そういうことなのである。



【明日から北海道だよ】

25万ゲッターさん判明。
野中さん,ありがとう。

今日は,午前中歯の治療。
前歯が取れてしまってから約3週間過ぎてしまったが,ようやくである。

それにしても4年ぶりぐらいの歯科である。
とにかく,一人で仕事を始めてから,脇目も振らず,全てを捨てて私は生きてきた(「すばらしい日々」状態)。

ここで歯が取れてしまったのも,祖母が亡くなったりしたのも,「ちょっと休め」ということなんだろう。
そう考えることにしている。

多分,体には相当無理がきていることも確かであろう。
体一つの商売。

本音は決して楽なものではない(特に身体的にね)。

さて熱烈なメールが届いてしまった。
表題は,『桃知ファンになりました。そして、惚れました♪♪』である(これで,1冊本が売れるなぁと,俗物的な考えを私はしてしまった。)

始めてメールします。
私は、11月27日、空知経営研究会主催の講演会に
○○組の○○さんから声をかけていただき参加しました。
講演会が始まる前に、○○さんの紹介で名刺交換だけしましたが
覚えていますでしょうか?

(ざっくり)

いやあ、話している内容もさることながら、話し方・口調・態度・・・
はっきり言って、私、惚れました♪♪
最近、あまり見られなくなった型破りな講演スタイル。
辛口結構!!
気持ちよかったです。
でも、2時間半ものあいだ、休憩無しだとトイレへも行けず、辛かったです。
終わってから走ったんですよ。

いいですね〜。
私は、基本的にはこびへつらうのは好まないたちでして。
私は、北海道庁のまちづくりアドバイザーをやっていたことがあり
地方へ行って、講演をしたり、パネルディスカッションをしたり、
ヨーロッパ(ドイツ・スイス)の小都市へ行き、
各町村から来た人たちを連れて、研修してきたりもしました。
私にとっては、今の仕事に直接関係はないのですが
今後の業界のあり方や、官と民のあり方などは
反アメリカの私にとっては良い勉強でした。 
そうそう、私の背中に星条旗の刺青はありません。

(またまた,ざっくり)

しかし、どだい我々は建設業ではなく、サービス業、忘れられたりするのです。
考えるのは、建設業の後回しです。
苦境といえども、この仕事17年目になると、知恵は良く回ります。
これから先、1社だけで商店経営していてもどうなるものではありません。
当社は、受注先が違う委託業者と連携を取り、将来合併をにらんで動いています。

私は社長のイスにこだわりがないので楽です。
みんな社長のイスにしがみつくから、出てくる言葉は「どうしよう」しかないのです。
今の時代になって、まだそう言っている人が多いのにはあきれます。
私は、そこと手を結ぶだけではなく、その後も、同様の連携が必要と考えています。

札幌と地方の業者が手を結ぶ。
設計と測量の会社が手を結ぶ。
同じ委託でも業種違いが手を結ぶ。
受注先が違うところが手を結ぶ。
まだまだ方策はあると思います。
そうして、ふるいにかけながら、少しずつ形態を変えていくのも手だと思います。

こんな事すら、みんなできないのです。
今、仲間で情報交換を盛んにしています。
協会本体は、道内の役所や中央官庁の情報を一般会員には絶対に流しません。
役員だけの特権にしています。
オヤジになんて負けるもんか!!
大会社でなくたって、知恵で生き残ってやる!!生きながらえてやる!!

ついつい、とりとめのないことを長々と書いてしまいましたが
私は桃知ファンになりました。何と言っても惚れたんですから。
また是非おあいしたいものです。
ではまたいつか。

ということで,明日から私は北海道なのだよ。
明日は新冠へ。

そして明後日は空知建協へ。
時間が取れるようでしたらお会いしましょう。

しかし,まだ,私は歯がないのだ。。。

2001/12/09 (日)  
【今週の読書】

お蔭様でインデックスページも25万ヒットを達成。
でも,まだゲッターさんは現れずです。

今日は,PAUL SIMONのベスト(GREATEST HITS)盤である「SHINIG LIKE A NATIONAL GUITAR」を聞きながら,Microsoft GroupBoard1.2の検証をしていた。

私は,こうした,うだうだとした時間が結構好きである。
うだうだした時間を楽しみながら,GoogleでPaul Simonのサイトを探してみた。

http://www.paulsimon.com/
どうやら,ここがオフィシャルなサイトなようだ。

Video Galleryに結構面白いものが詰まっていて楽しませてもらう。
特に,Joe DiMaggio Tributeでの”Mrs. Robinson”は,ああ,そうか。と思うのである。

Paul Simon pens the song "Mrs. Robinson," which is released with the movie "The Graduate." The lines, "Where have you gone, Joe DiMaggio?/Our nation turns its lonely eyes to you" become part of the Yankee Clipper’s legend. DiMaggio later confides to a friend, "I’ve never been able to figure out what that song means.

出典:"http://www.pbs.org/wgbh/amex/dimaggio/timeline/index_3.html

"I’ve never been able to figure out what that song means.
「あの歌が何を言っているのかなんてずっと理解できなかったのだよ」

P・Simonの曲を聴いていて思ったこと。
(多分,近田春夫の言葉だったと思うが)ポピュラーやロック・ミュージックというのは発明なのだ。

多分クラシックさえも,発表当時は発明品であったのだと思う。

ポップの基本はその内容にあるのではなく,スタイルにある。
→サブ・カルチャーの本質もそのスタイルとスタイルに対する同質化に過ぎないのではないだろうか。

「発明」この言葉一つで謎解きは終わるなぁと思う。
近田春夫は天才である。

さて,今週の読書。

最近,お会いする方々から,『反古典の政治経済学要綱』を読み始めました。というお話をいただく。
でも必ずオチがあって,曰く,「眠くなります。」

まあ,その通りだとも思う(笑)。

自らが,今という時代に対する何らかの「疑問のようなもの」を持って取り掛からないと,(どのような本でも,話でも)それはただの活字の羅列,言葉の羅列に過ぎない。

読書から得られるものとは,実は単発ではありえない。
あるとき,その蓄積が(つまり点が)繋がり始めること,点と点とが繋がり始めるダイナミズムによって,思考は活性化始めるものだろう。

宮本光晴,『日本の雇用をどう守るか』,1999年1月6日,PHP新書。

先週の移動中,一番読む機会が多かったのがこの本である。

この本の参考文献にはこう出ている。

「方法としてのシステム理論に関して」

富永健一(1995)『行為と社会システム理論』 東京大学出版会
村上泰亮(1992)『反古典の政治経済学』 中央公論社 (これは「要綱」の方ではない)

2001/12/08 (土)  
【25万ヒットで遊びましょう】

お蔭様でインデックスページのアクセスカウンターもまもなく25万ヒットを数えます。
25万ゲッターは迷わず店主へメールです。

ももちどっとこむ特製オリジナルTシャツ2号をプレゼントいたします。

ということで,昨日は新横浜で打ち合わせを1件。
終了後,中華街の安楽園へ移動し,小関さん率いる行政書士の方々と合流。

この安楽園なるお店,個人的にはかなり好みではある。
けばけばしいつくりの中華街にあって,その店の構えはまるで銭湯のようであり,私は飛田新地の鯛よし百番を思い出していた。(笑)

料理はオーソドックスでうまい。
また後で行こうと思う。

その後,小関さんにピアノバー(名前は忘れた)に連れて行ってもらう。
宮崎帰りのせいか,焼酎をロックで飲む。

小関さん,どうもありがとう。

まあ,今日は力も抜けているので(つまりかなり疲れているので),ここでおしまいなのである。
午後からてもみんでも予約しておこうかと思う。

2001/12/07 (金)  
【横浜です】

桃知@横浜プリンスH。
時間調整中です。

JALの機内オーディオサービス「日航名人会」で,真山一郎の演歌浪曲「南部坂雪の別れ」を聞いてしまった。
これは,はっきり言ってぶっ飛んじゃうなぁ。

もう,最高なの。
なんちゅう芸や!

これはCDを買わなくちゃいけない。(売っているのかこんなもの?)
さて,これは,難しいメールが到着。

>実は,私の明日の話はこの上の文脈に収斂されるとこ
>ろがある。言っておくが,私の経済学の基本(学生の頃
>勉強していたのは)マル経である。
>
>それが何で西部と同じようなところにたどり着いたのか。
>なんだかなぁである。

今ひとつ理解が足りてませんが、西部とマル経は結局同じ所
にいくのは当然の結果かと、、
だから両方根本的なところで賛成できません

>インディカテヴィズム(指示主義)が現代経済にふさわしい
>のではないか

インターネット精神と整合するのでしょうか

古典派、マル経、ケインジアン、右翼、左翼みなじぃ様の
理論で進化させる必要があるかと思ってます。

と思う所が↓なんでしょうか。。

>そこに滲み出ている産業主義的(あるいは技術主義的)な
>文明観に私は不同意ではあるものの,

統制されたところに非産業的な文化(カウンターカルチャー)
も生まれないと思います。

現在(そのうち変わるかも知れないが。。。なにせ私は朝礼昼改男なのだ),私は,経済学的には新古典主義に足場を置いている。
それはなぜなのかと言えば,本当は経済学など信じてはいない,というのが答えなのかも知れない。

さて,上のメールは勘違いがあるようなので今ここで簡単な文章でなんて説明しようがない。
例えば「統制された」という言葉のニュアンスとか。

例えば,統制と指示の違い。
自由主義経済が前提としている国民国家という問題。

グローバリズム自体が米国の覇権主義的なものであるということ。
などなど。。。

これらに対する短脈的な返答は,なにか文脈が表層部分で流されてしまうような気がする(単純な二極化に陥る)。
つまり誤解されやすい。

多分,問題は自由をどう考えるのか,というところに収斂されててしまうのだろうが,その話は(今までも何度も書いてはきたけれども)そのうちまとめて書こうかと,そう思わせてくれるメールである。

ということで「Thanks!」である。


【延岡にて】

宮崎空港にて上田工業さんのリンク訂正。
10:07:37 AM
------------------------------->8

桃知@延岡である。
午前4時に目覚める。

昨日は,延岡の上田工業さんで勉強会。
皆さんと一緒に飲んだ芋焼酎が寝不足の体に染み渡り,わたしゃ早々にダウン。

昨日のお昼は,伊藤さんに「天領うどん」に連れて行っていただいた。
細くて腰のないうどんなのだけれども,不思議とうまい。

釜揚げで出されるためかなと思う。
うどんの持っている塩味がそのまま残っているのだが,その塩加減が舌に不思議な味覚をもたらしているようである。

これは結構癖になるなぁと感じた。
そうそう,こうして何度か宮崎へお邪魔していたら,あの芋焼酎の匂いも気にならなくなってきた。

人間は環境には適応できるものであるなぁ。と妙に納得して考えたりしている。

さて,昨日は移動が長かったのと,なぜか(移動中)眠くならなかったので,ここにたくさん書いてみた。
しかし読み直してみると誤字脱字の塊で赤面ものではある。

ゆえに少し手を入れてみる。
さて,読者の方からのメールである。

本日のHPで、おっしゃっておられることに思わず、膝を叩きました。
やっぱり師匠には伝わっていたか・・・と。(あたりまえですよね・・)
先日、ほんの少しですけども○○さんとお話したことです。まさに。
危機感というか、ホントにわかってる?と言う感じです。

先日、梶原知事は日経のIT特集に出てました。
何をおいても岐阜県がCALS/EC先進で、全国的にも注目を浴びている事を強調されていました。
確かにそうですよね。受注者側も勉強していますもの。設備投資して、勉強会して・・・やっていますよ。老いも若きも。
立派な箱もありますし。何より危機感びしびし痛いですモン。

でもなんだか片思いのような状況だな・・・と思っています。末端では。
冷え性と同じです。末端の手足が温まっていないと体は暖まらなくて眠れないような。
顧客に対しては、あんまり言えないのですが、県民の一人としてはもの申してもいいかな・・
出先機関の担当者も、もういい加減 公務員=役人という観念を無くせないものかと。
公務員(ここでは県職員)は、県民が顧客のサービス業とは思えないでしょうか。

小学校の道徳(今はそう言わないでしょうが)でも言われましたよね、「相手の気持ちになって行動しましょう」
税金のムダ使いは何も、公共工事ばかりではありません。
資質の低い職員にただ、勤務年数で加算される給料。これこそムダかもしれません。
出来る人には、それに見合うだけ出せばいい。当然の権利として。
公務員も県というサービス企業の、サービスマンとして出来高払い給料制にすれば、もう少し効率的になると思うのです。
少数精鋭でも出来ると思うのです。自慢のIT駆使して。
やっぱり、変わらなければ。

先日、会社で飲んだときに若い技術者がポツリと言いました。
「TOPが変わらなければ、会社はよくなんない」(この場合うちの社長のことなんですが)
行政も、企業も、変わらなければ。
「今まではこうしてきた事も、これからはこうする」みたいに。

なんか、きっぱり・はっきりもの申す師匠にまた感動してしまいました。

ということで,私はこれから宮崎空港まで行って,JAL304便で羽田へ飛ぶ。
それから新横浜で仕事をし,その後もう1件用件を処理してから帰ることとなる。

ハードだぜ!

2001/12/06 (木)  
【自治体CALSについて,うだううだと書く】

桃知@延岡行である。

国交省のCALS/ECは,国交省と大手建設業(建設業者で言えば,せいぜい土工協クラスまで)の戦略として存在する。
CALS/ECは,ただそれだけでいいのである。

それは,文字通り「技術と経営に優れた建設業」界の実現にあるべきである。
そのための戦略としてCALSは存在すればよい。

つまり,大手クラスにはそれが可能であるということだ。
日本の建設業はだてに土建国家と揶揄されているわけではない。

その技術・開発レベルはまだまだ世界で通用するものだろう。
それを一層強化し,政策戦略として建設に関する世界的リーダーシップを取ろうとするのが,国交省のCALS/ECである。

それ以外の目的は付帯的なものか,本来必要のないものでしかない。

一方,自治体が行う建設CALS/ECは,これはすこし意味合いが異なる。

公共工事はあくまでも公共工事で,経済事業じゃないんですよ。市場原理ではなく,公共原理,共に生きる共生原理が基本です。だから,地方は地方でその権利を主張し,高速道路問題とか,国に対しても主張すべきは主張するという立場を貫くべきだと思うんですね。

−県単独建設事業(十二月補正で四十億円)の考え方は?−

私は地域の零細建設業は守るべきだと思うんです。災害時,被害の未然防止や復旧に命がけで取り組んでくれるのは,そういう皆さんなんです。その意味からも,環境対策につながるエコ河川やエコ道路の建設事業を細かく計上しましたし,特別養護老人ホームなど来年度に予定していた福祉施設整備の大幅な前倒しを試みました。備品の購入などを含め,地域への波及効果がありますからね。

これは梶原拓岐阜県知事のインタビュー記事からの抜粋である。
残念ながら手元にある記事はコピーなので,何処の新聞かは分からない。(平井さんありがとう)

→2001年12月4日付けで,※日新聞とだけ読める。
→つまり,毎日か朝日かどちらかだろう。

『岐阜県では,地場産業や中小零細企業の再生と雇用確保の下支えとなる地域経済対策事業を「ぎりぎりの線まで」(県幹部)盛り込んだ。』そうなのだが,それについての知事発言である。

市場主義者としての私は,本来,このような財政発動を非難すべきなのだろうが,今という時代において,この梶原知事の発言を非難する気にはなれない。

もはや地方経済は瀕死の状態である。

あらゆるものが20世紀(もしかしたら19世紀)型システムのまま温存されてきていた政策的怠慢のツケが,ここで一挙に噴出してしまった感がある。

公共工事依存の中山間部の存在。
一方,公共工事は悪者だの大合唱。

だからといって,公共工事に代わる産業基盤(生活の糧)は,そこには存在しない。
これは,日本の産業政策の失敗の賜物である。

→過去の政策的,経済的失敗の原因は追究されるべきであり,責任の所在を明確にしなくてはならない。
→21世紀型(つまり公共工事に頼らない生活基盤の確立という産業政策の必要性。

そのツケを,市場原理という洗濯機(若しくは掃除機でもよい)を持ち出してきて,市場原理に不適合(つまり生産効率性が低い)だからといって,地場型中小零細建設業を洗濯機に放り込み,生き残れば良しというような,荒っぽい政策持ち出す政府を,果たして良い政府と呼べるのだろうかという疑問が私にはある。

ただでさえ構造改革はデフレベクトルを持つ。
そこでの緊縮型の財政政策は,景気の下落に拍車をかけているようにしか思えないのだ。

我々は経済のために生きているのではない。
我々の福祉のために経済は存在するだけである。

例えば,全ての国民が私のように独立心が旺盛で,リスクは自分で取るというような,自助・自立の精神に溢れていれば,問題は解決するのだろうか。

自助・自立の精神には,そこには失業の問題は存在しないかのようでさえある。
しかし,私のような職業における勝者はほんの一握りに過ぎないのだ。

多くは決してその果実を享受できないままにその市場から退場することとなる。
→スーパースター経済(ダイアン・コイル)

→だから私は市場主義が好きなのだ。
→だが,全ての国民にそれを強要する必要性はあるのだろうか。
 →そもそもそんなことは可能なのだろうか。

つまり自治体CALSというのは,単純に市場原理をそこ(公共建設市場)に持ち込むことで達成できるものではない。
そこに私は国交省主導で進む「○○県CALS/EC推進協議会とかいうものの嘘ぽさ」を言うのである。

自治体建設CALS/ECは,間違いなく産業政策である。
それは,21世紀型への(つまり公共工事に頼らない生活基盤の確立という)産業政策であり,この意味で行政側の役割と責任は限りなく大きいのである。


【○○県CALS/EC推進協議会とかいうものの嘘ぽさ】

桃知@ANA341便,宮崎行きである。
沖縄からメールが届いていたので紹介する。

さて地方版沖縄タイムス記事から下記のようなことが記されています。

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200112031300.html#no_3

全琉(琉球国・・沖縄のこと)の99%が公共工事依存型の県で、
某沖縄総合・・・なんとか局の現状も沖縄県と犬猿の仲であり
沖縄県においてもマルチメディアアイランド構想なる物があるが
何をやったらよいのか暗中模索状態の中下記のような立派な構想が、
動き始めるです
人材育成よろしく手つかずの無法地帯にみなさまの暖かい税金を銭財育成にと・・・・・

みなさまの血税は、沖縄のあぶく銭にご利用されています
過激な○○○君より

私も、何をいっているのかわからなくなりました
では、お体にはくれぐれもお気をつけて


・・(銭財育成・じんざいいくせい{沖縄の方言で じん=お金という}


<2001年12月3日 朝刊 2面>
公共事業経費削減図り談合防止期待/電子入札

 インターネットで公共工事の電子入札などをするシステムの全県普及を目指し、行政と建設関係の団体による「沖縄CALS/EC推進連絡協議会」が先月発足した。
年度内に基本計画、二〇〇二年度にアクションプログラム(実行計画)を策定する。
現在、沖縄総合事務局が一部の公共事業で試験導入している。県と市町村段階に同システムが普及すれば、公共事業の大幅な経費節減や談合防止などが期待される。

 CALS(キャルス)/ECは「企業・機関の生産・調達・運用などにおける支援統合情報システム」を意味する英語の頭文字で、工事の発注、施工、完成に至る過程で発生する膨大な文書や図面、写真などの情報を電子化し、インターネットで効率的に情報交換するシステム。

 六月に地方展開の実行計画を策定した国土交通省は、地方自治体への導入支援を打ち出した。

 同システムは、(1)リアルタイムで公共事業の情報を得ることにより工事品質が高まる(2)工程管理や作業を効率化するため建設費が縮減できる(3)客観情報に基づいて業者選定し、インターネットによる電子入札で事業の透明性を高める―など
のメリットがある。

 国交省は直轄事業だけでも年間約三百六十億円のコスト節減になると試算しているという。

 沖縄CALS/EC推進連絡協議会は、総合事務局、県、県建設業協会の代表らで構成され、総合事務局開発建設部長が会長を務める。

 今後、アンケートによる情報化の現状調査や、発注機関、業界団体のニーズを把握し、沖縄全体の基本計画と実行計画を策定する。将来的には市町村独自の行動計画づくりを目指している。

タイミングよく,○○氏(名前を出しもいいのかなぁ。まあ,出さなくても勘がいい方なら,そしてまじめにCALSを勉強されたことのある方なら,誰かは直ぐに分かるだろう。そういうお方である)からも,この件に関してメールが届いていたので,御大の意見に耳を傾けて欲しい。

国は倒産、株価がありませんので、組織は企業以上に自分では変りません。
CALSはそれを、ITで変えようとするものです。
成功例は米国の国防総省の実例です。
それには強力な組織(トップに)と膨大な金(10年で1兆円)が必要です。
最初の10年は金の無駄使いと議会で毎年糾弾されていました。
今ごろになってやっと、CALSの効果が出来来ています。
なぜか、それはDoDの組織が変ったからです。
国土交通省のCALSは、本省に組織も金をありません。
しかも名前だけCALSですが。CALSが何か勉強していません。
CALSは世界共通の手法であり、国で、分野で勝手に変えることは許されません。
国土交通省が世界のCALSコミュニテイに、国土交通省のCALS開発はこのようにするというハンドブックを公表しCALSコミュニテイの認可を得なければ、CALSをやれません。
今のように、電子入札と電子納品がCALSと云えは、世界中の笑い者になります。
しかも、すでに、電子談合が行われています。
決して、コストの削減にはなりません。
CALSはコスト削減ではなく、政府の組織を基本から情報社会の政府にかえる戦略です。

私の昨日の話は,岐阜県建設CALS/ECについて,それを国交省のCALS/ECとは一線を画すものとすることを提唱したものである。

それはCALS/ECの目的を,発注者,受注者がともに行う,IT化を通した公共工事の自己改革作業と位置づけ,公共事業に国民(真の発注者である)から張り付けられた「非生産的で,非効率的で,政治家と役人と業者がつるんで悪いことばかりしている」という風評,レッテルをはがす作業だという話をした。

今の公共工事削減問題は,まさに小泉改革の流れであると言っていいのだが,その小泉首相が70%以上の指示率を得ているという現実の前では,公共事業は「悪」なのである。

その評価を覆さないことには公共工事はどんなものでも「悪」になりかねない。
つまり予算付きは少なくなる一方であろう。

つまり,それはアカンタビリティ(発注者説明責任)というところに収斂する。
発注者説明責任である,発注者,つまり公共工事の予算確保は行政側の問題なのだ。

CALSで変わるべきは第一義的に発注者・行政なのである。
発注者が変化すれば,受注者側が変革することなどたわいもないことである。

私は岐阜で仕事を始めて3年が過ぎたが,行政側の対応は相変わらずなのである。

はっきり言って,なんの危機感も見られない。
梶原知事の言っていることが本当に理解できている方が何人さんおられるのか,はなはだ疑問なのである。

まあ,危機感のない生活を求めてお役人になったのであろうからそれも無理はないが。。。

一応,今までの我々の成果もあり,岐阜は自治体建設CALS/EC推進県というお墨付きをもらっているようだ。
そのせいか,各自治体からの岐阜県詣でも頻繁となってきたのも事実だ。

岐阜のキャッチアップが始まったわけである。
それは,当初から私の戦略にあったものなので,それはそれでいいのだが,果たして岐阜県はいつまで先進県としてトップを走れるのかと言う話になると,はなはだ心もとない。

つまり,それら(今の岐阜県建設CALS/EC)を作り上げてきたのは,岐阜県基盤整備部ではないのである。
建設CALS/ECセンターを中心とした,受注者,民の頑張りである。

本来,第一義的な変革を必要とされているところは何も変わっていない(少なくとも私にはそう思える)。
つまり,岐阜の先進性など,一歩どころか半歩にも過ぎないことを自戒すべきであろう。

そういう話を昨日はしたのだよ。



【これから宮崎へ飛ぶ(名古屋空港待合室Bにて)】

桃知@名古屋空港%二日酔いで頭が痛い,である。
朝5時に起床し,6時30分にホテルをタクシーで出た。

外はあいにくの雨。
約一時間で名古屋空港に到着。

そして,私はこれから宮崎まで飛ぶ。
昨日のセミナーの感想が届いていたのでそれを紹介してお茶を濁そう。

今日の講演を楽しく拝聴させていただきました。「朝までTV」みたいでおもしろかったです。

岐阜県が進めているCALS/ECの目的! ! もわかりました。

(途中ざっくり)

私も盆と正月はご多分にもれず、実家(親はサラリーマン)に帰省しています。

桃知先生を見習って、「情報リテラシ」と「差異」の向上に努めたいと思います。

ありがとうございました。
係の担当3名引き連れて行きました。何かしらショックを受けた様子、
1月も2月も行きたいと言っていました。

午後一の講演は×でした。それで疲れてしまいました。
出来れば桃知さんに午後全部を使ってほしかったと思います。
3時に帰られた方は業界の動員の方が多かったようです。
残念でした。僕は再び元気をいただきました。

経済学的な内容は、そういった方面に疎いのですが、非常によくわかりました。
いろいろと勉強すべき事がたくさんあります。
脱物質化社会もツンドク状態です。

私は岐阜の山奥でしこしこと、勝手な思考に元ずく、他人より早く理解したつもりの自己IT戦略なるものを掲げて、他人には受験生ブルースの唄の一節のような態度をとりながら、まさに我が道を貫いていると自負する山間部特別保護中小建設業者です。店主とは結構古い付き合いで有ると思っています。

(ざっくり)

昨日(12/5 岐阜未来会館)における文化講演会を拝聴しに出掛けました。それも嫌がる私の第一子をお供にであります。
それは何度か拝聴する店主の話を聞きに行ったのでは正直有りません。息子などは又、モモチさんかなどと失礼な事を申しておりましたが、一喝の上、今日は山脇さんの話を聞きに行くのじゃと親父の権威を振りかざして会場へ参りました。

県の幹部の皆さんが大勢お見えになり、この講習会への力の入れ加減が良く解りました。入ったエントランスで早速店主と眼が会いドキッとしましたが長い付き合いゆえ儀礼的挨拶を割愛して会場へ入りました。講演は始まっていましたが、異様な興奮を覚えながら席につきました・・・・・・。店主の講演も大変良かったです。

山間部特別過保護地域弱小建設業者B

2001/12/05 (水)  
【これから桃知組岐阜支部忘年会である】

とりあえず岐阜での講演はおしまい。
朝は会場一杯にいた聴衆も,私が話しをする午後3時過ぎには,3分の1程に減っていた。

最後まで聞いてくださった皆様,本当にありがとうございます。
そしてお疲れ様でした。

私の話を聞かずに帰られた皆様は,残念でした。
面白かったのにねぇ。

まあ,私も,さすがに朝から2本の講演を聴いてくたびれていた。
それから自分で話しだすのは,かなりしんどい仕事であったのだ。

私の話をする前には,会場のテンションもかなり低くなっていたものねぇ。
はっきり言っていやな雰囲気ではあった。

そういう疲れきった(笑)聴衆の皆様を,それこそ,眠らせないように話しをするのは大変な仕事ではあったのだ。
なんか疲れたなぁ。

ということで,今日はこれからお楽しみの桃知組岐阜県支部忘年会である。
F2Fであるな。

明日は,朝早く名古屋空港から宮崎へ飛ぶので,あんまり遅くはなれないけれどもね。



【とりあえず朝だ】

早々に目覚めた。
持参してきたバブ(カモミール)をバスタブに入れてゆっくりと暖まった。

今日は朝から私の前に講演する方々の話を聞く予定でいる。

2001/12/04 (火)  
【眠れないでいた】

10:53発ののぞみで名古屋まで移動し,いつものように東海道線の快速で岐阜までやってきた。
午後から岐阜県建築工業会さんでサーバーメンテナンス。

終了後,寺田さんの車に乗せて頂いて,岐阜キャッスルホテルへチェックイン。
それから,寺田さんと一緒に「くじらや」ではりはり鍋で晩飯とした。

途中で寝付けないときの夜食用に焼きおにぎりを購入して早々にホテルへ戻る。
早々に寝ようとするのだが,案の定寝付けないので,焼きおにぎりを食らいながら本を読んでいた。

西部邁,『「規模の経済」の前に瓦解する市場の経済』,Voice2001年12月号。

『故村上泰亮は,「規模の経済」のせいで現代経済の市場が(経済学の)古典派の考えてきた枠組みではとらえられないものになっていることを広く深く考察した(『反古典の経済学』)。そこに滲み出ている産業主義的(あるいは技術主義的)な文明観に私は不同意ではあるものの,「規模の経済」に見舞われている(というよりもそれを享受している)産業は政府のインディカティブ・プランニング(指示的計画)によって制御されなければならない,という見解それ自体には賛成する。社会主義の計画的統制ではなく,また自由主義の無政府的放任でもなく,政府から市場の進むべき方向と速度について適宜に強い示唆を受ける,必要な介入ならばそれを向かえる,というのは「規模の経済」の下にある市場にとって当然のことである。』

『・・・むしろ,統制主義でも放任主義でもないものとしてのインディカテヴィズム(指示主義)が現代経済にふさわしいのではないか。実際,現代経済にあって,IT産業のようなものは暴走の果てに転倒しかかっており,また旧式の産業は(市場のうちには)新企の需要増を見込むことができずに低迷しつづけている。つまり多くの産業は,公共機関から何らの指示を受けなければ,みずからの長期期待に「活力」を漲らせることも,みずからの長期計画を躍動させることもできない段階に達しているように思われる。』

ふむ!ではある。

つまり,西部の話は,村上の言葉で言えば,「公平で有能な,ネポティズムを超えた近代的官僚制」に強く依存することになるのだろうなぁと思う。

実は,私の明日の話はこの上の文脈に収斂されるところがある。
言っておくが,私の経済学の基本(学生の頃勉強していたのは)マル経である。

それが何で西部と同じようなところにたどり着いたのか。
なんだかなぁである。

【今日は岐阜へ】

今日は岐阜へ移動。
岐阜県建築工業会さんでサーバーメンテナンス。

明日は今年の締めくくりのような講演である。
(といっても,講演予定は今年は後一本残って入るが。。。)

それにしても,前歯が取れてしまっていて,最近モノが上手に食べれない。
それに,発音も少し変である。

しかし,最速で歯医者にいけるのが12月10日なのである。
ここにきて,ペースは落としてはいるが,祖母の葬儀といい,前歯がない件といい,つくづく己の仕事が恨めしく感じるのである。

出発までの時間,メール処理と今月中旬移行のスケジュールの再調整をして出かけようと思う。

2001/12/03 (月)  
【新潟から帰ったところである(まとめて「こんどく」)】

新潟から帰る。
新潟は曇り空というよりも雨模様であったが,決して寒くはなかった。

お昼ごはんを食べに入った新潟ユニゾンプラザの食堂に,「レディスセット」なるものがあったので,ずっと不審に思ってきたことを試してみた。

つまり,「このレディスセットというのは男がオーダーしても宜しいのでしょうか?」
答えは,「可」であった。

答えに気を良くした私は,このレディスセットをオーダーしたのはいうまでもない。
オムライス,スープ,サラダ,珈琲,デザート付であって,男の私が食べても満腹したのであった。

つまり,感想は,女性は食べるなぁ。。。という驚きであった。

さて,最近「今週の読書」をサボっていたのでまとめて紹介である。

といっても,最近は,村上泰亮,『反古典の政治経済学』,中央公論社,ばかりを読んでいるのが実情で,紹介する書籍もその理解のためのものがほとんどではある。

佐伯啓思,『ケインズの予言 幻想のグローバル資本主義(下)』,1999年7月5日,PHP新書

ロナルド・ドーア,藤井眞人(訳),『日本型資本主義と市場主義の衝突』,2001年12月11日,東洋経済新報社

宮崎勇,本庄真,『日本経済図説 第三版』2001年2月26日,岩波新書

「中央公論」編集部 編,『論争・中流崩壊』2001年3月25日,中央公論新社

山内 康英、前田 充浩、澁川 修一,『情報政策とポスト開発主義:理論的考察』,『GLOCOM Review』 2001年7月号(第65号)
http://www.glocom.ac.jp/odp/library/abs200107.html

まあ,こんなところか。。。
言っておくが,わたしゃ市場主義者ではある。

追加:
村上泰亮,『村上泰亮著作集(8)』,1998年4月1日,中央公論社



【事業者団体IT化の限界】

昨晩のうちに新潟へ移動してきた。
今日は朝から新潟電設業協会さんのイントラネット講習である。

新潟電設業協会さんの前身は新潟県設備工事協同組合さんなわけで,まあ,古い付き合いなのである。

さて,某MLからの無断引用。

桃知さんは「事業者団体のIT化はスタートラインにしかすぎない」と言っていましたが、これまで建設関連業の事業者団体を数多く取材してきた経験から言うと、モデル団体と言われたころからもう内部崩壊の危機は始まっています。

例えば、生コンや砕石などの協同組合はかつてモデル団体と言われたところが全国的にことごとく崩壊しています。
その理由は、構成員がそのレベルに安心して努力を怠る、強力なリーダーが交代した途端崩壊する、ユーザーのニーズに鈍感になる…からです。

そのうち、○○がIT化のおける道内のモデル団体と呼ばれ周囲からちやほやされるようになると思いますが、そこからの「ステップ」を怠ると一気に転げ落ちます。

事業者団体のIT化はあくまで通過点。。。。でも、道内ではその通過点を目指すところが少ないのも現実です。 

この投稿を読んで,この投稿主はよく分かっているなぁと感心することしきり。
「モデル団体と言われたころからもう内部崩壊の危機は始まっています。」

これは真実である。
私が,「事業者団体のIT化はスタートラインにしかすぎない」という真意は,以下の通りである。

------------------------------->8

■事業者団体IT化の限界

 事業者団体ベースでのIT化を行う場合,我々は一つの事実に直面することになる。それは,公共建設市場の自由市場化に伴って,個々の企業がその経営ビジョンと戦略とを20世紀型から21世紀型へ変化させざるを得ないように,個々の企業の集合体である事業者団体の存在意義もまた21世紀型への変革が必要であるということである。つまり,「専門工事業イノベーション戦略」がいうところの「事業者団体の新たな役割」である。それは談合組織としての事業者団体の質的変化ともいえる。では,この質的変化とは何であろうか。

 一つは, IT革命とグローバリゼーションに支えられた経済のウェイト-レス化(つまり公共建設市場の自由市場化)が我々建設業に突きつけているパラダイム・シフトである,護送船団方式・横並び意識からの脱却という思考である。これは,そもそも事業者団体の存在理由と真っ向から対当する考え方となろう。しかし,この部分のイマジネーションが出来ないで行う事業者団体ベースのIT化は,会員各位のIT化の本質の理解を促進するどころか,むしろ誤ったIT化を喧伝する恐れがある。つまり,ルールは変わらない。IT化はやるが,それは所詮発注者の顔色伺いであり,仕事を取るための道具ではないというIT化のパラドックスである。

 しかし,IT化は個々の企業が仕事の受注確保をするため,生き残りのための(つまり経営戦略)の道具である。これは明確な事実である。それは市場メカニズム下での利益の根源は「差異」である(他社と違うことが利益の根源である)という事実において機能せざるを得ない。公共建設市場の自由市場化とは,この事実を地場型中小建設業に対して強要しているということもできるだろう。

 このことは,事業者団体ベースのIT化は,他社との「差異」を追求しようとするツール(IT)を共有するというところにはたどり着かないことを示唆している。個々の会員が,それぞれ独立した営利企業であるという事実において,その機能はおのずと限界を露出することとなる。

 つまり,競争相手である他社との間に,共有できる部分は当然に限界が生じる。ゆえに,共有できる部分とは,他社との競争とは関係の無い部分,つまりOA化レベル(事務レベルでの効率化)とならざるを得ない。ここに事業者団体ベースでのIT化の取り組みの限界を見ることとなる。この問題の解決策は,名実ともに,個々の会員各社が,独立した営利企業であるという看板を下ろす以外に手段はない。

 しかし,この考え方(個々の会員各社が独立した営利企業であるという看板を下ろすという問題解決方法)は,ある意味今後の事業者団体のあり方,強いては,中小零細建設業のあり方を変える「可能性」を示唆している。それは比較的容易な思考である(容易といってもその実現はかなりの困難を伴うが)。

 つまり M&A のような企業統合戦略の発想のベースとなり得るのである。事業者団体ベースのIT化は,会員各位が横並び的にITリテラシを取得していくことを可能にする。これは M&A に際しての障害のひとつである,個々の企業間の職員の能力格差(ITに関して)を最小限にすることの可能を意味する。また同じ文脈で共同受注の場合の配分格差をなくす機能も考えることができるだろう。

 今後,IT社会の到来(つまり公共建設市場の自由市場化)に伴い,事業者団体がその存在意義を主張できるフィールドはますます小さくなっていくであろう。それは協同組合,官公需適格組合のような共同受注を目的とした形に収斂すると考える。この場合,事業者団体ベースでのIT化の取り組みは決して無駄なものにはならない。しかし,そこでは,一個の企業としての自社の姿をイマジネーションすることは難しいかもしれない。

 つまり,もう一方では,事業者団体ベースでのIT化から出発した建設業のIT化は,本来,個々の企業でこそ花開かなくてはならないものである。個々の企業のIT化の取り組みが功を奏してくるのは,CALSにおいてはバーチャルカンパニーの実現においてである。ここで必要なものとは個々の企業のコア・コンピタンスに他ならないが,コア・コンピタンスの共有は,個々の会員各社が,独立した営利企業であるという看板を下ろす事を意味することとなる。

 事業者団体ベースによるIT化の取り組みとは,第一義的には,個々の会員企業に対してIT化に対する取り組みの入り口を提供しているにすぎない。まずは,事業者団体ベースによるIT化に誘発された個々の企業がIT化を始めることをその「始まり」とする。つまり,事業者団体ベースによるIT化の取り組みは,単なるIT化の始まりに過ぎないのである。この「始まり」から,自社は今後,単独で生き残る戦略をとっていくのか,それとも他社との合併戦略をとるのか,それとも廃業するのか,といった多様な選択肢が生まれ得ると考える。それは,地場型中小建設業という業界の構造改革をも誘導しえるだろう。

------------------------------->8

しかし,こうして読んでみると恐ろしい文章ではあるなぁ。

2001/12/02 (日)  
【公平で有能な,ネポティズムを超えた近代的官僚制】

昨晩は,後楽の麹町別館で法政大学エクステンションカレッジのOB会(略称をmomoHELPという)。
一応「新年会」という名の忘年会という趣向であった。

北海道から熊本まで,全国から熱い情熱が集い,楽しいひと時を過ごさせていただいた。
皆さん,ご苦労様でした。そしてありがとうございました。

私の場合,特別な活動組織というのは存在しない。
後援会もファンクラブもありはしない。

ただ,各地に桃知組と称する不思議な集まりが存在しているだけだ。

これも,皆さん勝手に集まって酒でも飲みますか,というのが趣旨であって,利害関係はあるんだかないんだか,結びつきは強いんだか弱いんだか,とにかくなんだかわからない会合が半年に一回ぐらいづつ各地で開催されているだけの「集い(つどい)」である。

私は別に宗教法人を作ろうとしているわけではないからそれで一向に構わないのである。
ただ,ケーセラの石井さんが,八木沢さんの掲示板に書いておられるように,集う方々の情熱はいつも熱い。

楽しいひと時でした!!
ところで皆さん穴子食べられました? 私はしっかり食べたぞー
酒を飲みながらでも 熱い語りが出来る皆さんは少し異常者では有りませんか(爆)』

確かに尋常じゃないなと思うときも多々あるが,まあ,「類は友を呼ぶ」を地で行っているのだろうなぁと思う。
そのお一方から午前2時26分付けのメール。

追伸)八重洲ブックセンターで見つけてしまい、思わず
    買ってしまいました村上先生・・・
    今の私で消化できるか、自信ないですが挑戦
    してみます!

村上先生と言うのは,故村上泰亮教授のことである。
本の題名は明記されていないが,多分,『反古典の「政治経済学要綱』だろうか。

がんばってチャレンジしてください。
経済学の基礎的な理解があれば,読みこなせないものではないでしょう。

最近の私は,公共工事,建設CALS/ECを考えるときの基本姿勢を,村上泰亮の開発主義に持ってくることにしている。

新古典主義もケインズ経済学も,グローバリズムという資本のウェートレス化が進展した時代には,いささか色あせてしまっている,といのが今の私の中にはある。

そのグローバリズムさえも,実体経済においては,アダム・スミスやケインズが基本としている国民国家という壁を超えることは容易ではないというパラドックスも存在する。

私が,村上泰亮の開発主義的思想を建設CALS/ECに持ち込むのは,その政策が国民国家としての日本における経済政策であり,昨日も書いた政策体系の「(8)公平で有能な,ネポティズムを超えた近代的官僚制」に強く依存していることを強調したいからである。

→それゆえに建設CALS/ECは失敗するという話は十分に説得性がある。

建設CALS/ECは,IT社会へ向けての公共工事生き残り策(アカウンタビリティ確保)のための戦略的政策であり,そこには「公平で有能な,ネポティズムを超えた近代的官僚制」が本来必要不可欠なのである。

すなわち鍵は官僚なのだ。
それも,地場型中小建設業を対象とする自治体建設CALS/ECを考えると,そのベースは自治体の職員なのである。

こう考えるとトンネルの出口はなさそうなのだ(絶望的な気分になるときが多々ある)が,私は相互作用を信じたい。
民が変われば,官も変わる。

。。。甘いか。

2001/12/01 (土)  
【12月のはじめに】

今年も12月がやってきた。

私とっては43回目の12月なのだけれども,ここ数年感じることと言えば,1年なんてあっという間に過ぎていくなぁ,というつまらないフレーズにつきてしまう。

さて,昨日の話の続きから書き始めることとしよう。

実数 前年同月増減
(万人) (万人)
10月 9月
就業者 6405 -103 -84
 男 3768 -80 -57
 女 2637 -23 -27
雇用者 5361 -64 -53
自営業主・家族従業者 1010 -58 -47
[主な産業別就業者]
農林業 299 -9 -18
建設業 655 -28 -29
製造業 1257 -83 -65
運輸・通信業 401 -16 3
卸売・小売業,飲食店 1441 -37 -32
サービス業 1801 65 71

上の表は,総務省が11月30日に公表した「労働力調査(速報)平成13年10月結果の概要」からの引用である。
2001年10月の完全失業率は,過去最高の5.4%となる中,産業別就業者数の動向は,20世紀型システムの終焉を見事にあらわしているといえよう。

この表を見て単純に思いつくであろう,「だから雇用の確保のための公共事業を沢山出さなくてはならない」という意見は,残念ながら,真の公共工事の発注者である「国民」からの支持派得られないというのが今という時代であろう。

そして,ここからの理解について以下に書く。
多分にわかりにくいかもしれないが,それはまだ私の理解があまいせいである。

まず,公共工事に依存する地場型中小建設業は,戦後日本の高度経済成長を支えた開発主義(村上泰亮)的な経済政策における,「非重点部門に生活する労働者や企業家の意欲を弱めないことを目標とする配分政策」の結果(つまり,ハレとケのケ)として存在してきたという事実を理解しなくてはならない。

村上泰亮による開発主義の政策体系。

(1)私有財産制に基づく市場競争
(2)政府による産業政策
(3)新規有望産業→輸出指向型の製造業
(4)小規模企業の育成
(5)配分を平等化して,大衆消費中心の国内需要を育てる
(6)配分平等化の一助としての農地の平等型配分
(7)少なくとも中等教育以上の教育制度
(8)公平で有能な,ネポティズムを超えた近代的官僚制
(村上泰亮『反古典の経済学(下)』P98,99から要約)

『開発主義の一つの特徴は,非重点部門に生活する労働者や企業家の意欲を弱めないことを目標とする配分政策の重視であった。これは開発主義の理論が均衡という結果よりもむしろ不安定競争という過程に関心を払ったことの当然の帰結であった。』P146

戦後日本の例でいえば農業はすべて農地と(都会地に比べるとはるかに大きな)住宅を所有しており,農家の所得(多くは兼業からの所得)は都市勤労者の所得と同じ速度で増加した。

農家の子弟の大半は教育を受けて都市の産業に就職した。一ないし二世代をかけて人間の離農がいまや完成しつつある。

しかもその間,親たち(彼らはいまや老齢化しつつある)が生活の場とする農家の数はいくらも減少していない。農家出身の都会のサラリーマンたちには,今でも正月と夏休みには家族を挙げて故郷の家を訪れるのを習慣としている人が多い。

戦前からの農家や商店や中小企業は,転落し消滅することなく現在の社会の中間層の重要部分を形成している。日本では大きな都市スラムがついに出現しなかった。戦後の都市流入者を含むこれらの階層は,私のいう「新中間大衆(new middle mass)を形成し,大量生産される耐久消費財への尽きることのない需要減であり続けた。現在の日本社会は,階級的に構造化されていない高度大衆消費社会という歴史上例のない姿を示している。

(村上泰亮『反古典の経済学』1992年,中央公論社)

つまり,日本の工業化に伴い,労働力として大都市圏に移動した多くは,地方の農家出身の方々である。

その結果として,多くの都市部労働者のエトスの根源である農村部の衰退は避けられないのだが,その衰退を回避する仕組みとして我が国の配分政策は有効に機能したと言えるだろう。

この文脈において,地場型中小建設業は,農家が同じ土を扱う仕事としての土木作業を提供する機能。さらにはインフラの整備による地域振興の役目を確実に果たしてきたと言えるだろう。

その意味で,地場型中小建設業は毛細血管なのであり,政治的,政策的な存在なのであり,我が国における開発主義の産物なのである。

この理解は,現在の公共工事,地場型中小建設業の抱える問題を考えるときの基本だと思う。
そして問題はここにある。→(政策的にも何が正しいのか,手探り状態が続くInnovator’s Dilemmaに陥っている。)

続きはあとで。。。

momo
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