[店主戯言00201_1 2002/01/01〜2002/01/07(平成14年正月松の内) "There goes talkin' MOMO"

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2002/01/07 (月)  
【だいたい、経済の資源を使って、人々が本当に求めているものをつくれないなんて、ホントにほんとなわけ?】

松の内も今日でおしまい。
正月明けから画像を多く使ったので,このページは今日で締めて,明日は改ページするつもりである。

今日も午前中は歯医者と肛門科へ行く。
最近は毎日病院通いをしているわけで,やっぱり健康は何物にも代えがたいなぁ。と,人並みなことを思ったりしている。

お蔭様で,歯も肛門も確実によくはなっている。
だけれども,まだまだ無理は利かない。

そろろろ皆さんも仕事が始まったと見えて,スケジュール確認のメールが届き始めているが,とりあえずは10日までは全力で休み回復に努めるつもりである。

本格的な復活まではもう少すまってね!なのである。

取り急ぎ11日には,岐阜県建築工業会さんの新年会での講演「元気の出るIT化」があるので,岐阜まで一泊の予定で出かけるが,お尻にはまだまだ不安あり。

外出用にトラベルウォシュレットを購入したが,使い方はこれから練習である。(笑)
とにかくお尻を清ケツに,これが最近の私の第一義の命題なのである。

さて,ポール・クルーグマン教授は言わずと知れたインフレターゲット論者である。

中央公論2002年1月号には,クルーグマン教授の『私なら四%のインフレをめざす(前編)』が掲載されていて,小泉革命への忌憚のない意見は相変わらずの切れのよさである。

→最近,竹中平蔵経済財務担当相はインフレ・ターゲット政策を推奨しているようだが,一方では塩川正十郎財務相は,「そんな政策を取るべきでない」と言っていることを,『そうした状況では,明確で強力な政策など期待できないだろう。』と切り捨てている。

→竹中大臣の宗派変えは癖みたいなものだろうが,この点を東谷暁氏も指摘している。

『それどころか。「マイナス成長になったくらいでおたおたするようでは,構造改革などできない」と大見得を切って内閣入りした竹中平蔵経済財務担当相が,マイナス成長になったとたん積極的な補正予算支持者となり,「構造改革を遅らす」として金融緩和に反対であったはずなのに,究極の金融緩和であるインフレターゲット論者に変身したことからも十二分に窺い知ることができる。』(『諸君』2002年2月号 P160)

→つまりクルーグマン教授も指摘するように「構造改革」という言葉自体があやふやなのだ。
『たとえば,「構造改革」という言葉が使われているが,それが具体的に何を意味しているのかいまだにはっきりしない。』(『中央公論』 P64)

『私は,小泉内閣には構造改革それ自体が,すべての問題に対する回等であるという間違った考え方があると思っている。構造改革は,政治的な課題なのであって,当面の経済的な課題ではないのである。』(『中央公論』 P64)

そのクルーグマン教授にして,我が国の公共工事に対する批判は厳しい。
以下は「日本がはまった罠」からの引用である。
財政政策:流動性トラップに対する古典的なケインズ流の見方はもちろん、金融政策はある状況では無力だから、唯一の答は財政的にポンプをまわして公共事業することだ、というもの。この論文で検討したフレームワークは、金融政策的にはちょっとちがった示唆を示すものではあるけれど、一方で確かに、財政拡大でもうまくいくかもしれないことは示している。もちろんこのモデルはリカードの中立命題にしばられているので、減税はなんの効果もない。でも、期間 1 で政府が財やサービスを買ったら、それは部分的には民間消費支出が減って相殺されるけれど、でも確かに需要と産出を増やすかもしれない。

 この政策はうまくいくかもしれないけれど、日本にとって正しいものだろうか? 日本はすでに、ものすごい公共事業支出で経済を刺激しようとしたけど、失敗してる。しかも事業のほとんどは、どうしようもなく無駄なものばかり。どうでもいいところにかかる橋や、だれも使わないような空港などなど。確かに、経済は供給に制約されてるんじゃなくて、需要に制約されてるんだから、無駄な支出でもないよりましではある。でも、政府にも予算の制約ってものがある。日本はたぶんこれを口実に使いすぎてるところはあるけど。だいたい、経済の資源を使って、人々が本当に求めているものをつくれないなんて、ホントにほんとなわけ?

「日本がはまった罠  6.ではどうしよう」(山形浩生訳) から引用 http://www.post1.com/home/hiyori13/krugman/japtrapj.html

『だいたい、経済の資源を使って、人々が本当に求めているものをつくれないなんて、ホントにほんとなわけ?』という疑問。
公共工事が抱える問題点はこの言葉に収斂されるだろうし,公共工事批判への対策もここにあるだろう。

つまり,『建設業の世界ではおよそ競争政策が導入されず,談合が常態化している。こうした社会構造では,景気が悪くなると,国が国債を発行してでも"景気づけ”をするしかない。小渕,森内閣では,百三十兆円もの国債を発行して景気づけをしたが,国家構造が悪いばかりにさっぱり効き目がなく,国と地方の債務残高はなんと六百六十六兆円にもなった。最悪といわれたイタリアを,対GDP比で軽く追い抜いてしまたのだ。』(屋山太郎,『THE212002年1月号』P56)というような批判が国民の間の共通した空気となってしまっているということだ。

私は,小泉改革に対して諸手を挙げて賛同するものではないが,同時に所謂「抵抗勢力」の味方をする気もさらさらない。
かつての栄光の日々を想うことは勝手だが,その復活はありえない。

必要なことは,公共工事の必要性,建設業の有用性を広く国民に理解してもらうことだろう。
建設業界(発注者も受注者も)にとって,今しなくてはならないことは,それが第一であり,そのためになら何でもしなくてはならない。というのが私のスタンスである。
→当然そこにIT化は必需である。

→関係のない話だが,ちなみに私の髭はクルーグマン教授がモデルである。が,なかなかあんな風にはならないのであった。

2002/01/06 (日)  
【官僚】

日曜日だろうがなんだろうが,今日も病院へ。
しっかり肛門を消毒し,傷口のガーゼも交換してきた。

非常にまじめな患者である。
さて,よしたに一寸よむ,当てにならない話,1月5日【この差は何だ】で公務員の話がでていたので便乗して官僚ネタである。

J・E・スティグリッツ(経済学の教科書で有名な人)の言葉に,『官僚は何を最大化するのだろうか。一つの答えは,「官僚は自分の属する省庁のサイズを最大化しようと努める」,である。』という,有名な「スティグリッツの法則」がある。

佐和隆光教授はこう言う。

『スティグリッツという経済学者がいますが、その人が公共経済学という教科書の中で次のようなことを書いています。皆さんは経済学でお馴染みがあると思いますが、よく経済学のテキストをみますと、家計は効用を最大化するとか、企業は利潤を最大化するというような言い方をします。そしてその本の中でスティグリッツは、官僚は何を最大化しているかと問うのです。その答えは「官僚は自ら所属する組織の予算と権限を最大化する」ということ。だから温暖化問題というのが生じてくると、それに乗じて自らの権限と予算を増やそうとする。今仮に一つの法則といいますか、セオレム(theorem:定理)だとしますと、このコロラリー(corollary:そこからは当然の結果として)として次のようなことが言えます。「官僚は適度な非効率を温存する。」なぜならあまり効率よくやって、今まで30人でやっていた仕事を3人にしたら予算はそれだけ減ります。今度は30人でやっていた仕事を100人でやるという非効率化したとします。そうしたら何が起こるかといいますと、そんなお金のかかるサービスは行政サービスにふさわしくないということで、予算は一挙に0になります。だから適度な非効率を温存するということが、官僚のビヘイヴィア(behavior:行動、性質)になるわけです。』(http://www.zeroemission.co.jp/B-LIFE/SFC/speech/sp0207.html →この講演,「ポスト京都会議の地球温暖化対策」はかなり面白いので是非読もう!)

国交省のCALS/ECも上の文脈でとらえると,なぜにCALSに外郭団体(JACIC)が必要なのか,なぜに国交省のCALS/ECがデータ交換,納品の標準化にとどまるのかが理解されるかもしれない。

しかしCALSは徹底した効率化のための工学である。
それ故,つまりその意味(CALSの持つ効率化)が(官僚に)理解されればこそ,官主導でCALSが本格化されることはないであろう。

と,ここまでが,一般的な理解となる。

しかし,今,CALS/ECがその対象としている公共工事の予算削減の起因はCALS/ECではない。
CALSはその影響力を当の昔に失っている(というか,我が国においてははじめからない)。

つまり,スティグリッツの法則でいう,「自ら所属する組織の予算と権限を最大化する」への逆ベクトルはCALS/ECによるものではなく,グローバリゼーションと市場化,工業社会から脱工業社会への転換という日本という国が直面している経済的,政治的,構造的な問題である。(→技術革新とコンドラチェフ波動を参照のこと)

この問題解決を「構造改革」という一言で言い表すなら,公共事業,つまり国交省(地表自治体と読み替えてもよい)の予算と権限の最大化を阻害する要因は構造改革にある。

そして,その構造改革を謳い文句とする小泉内閣は,国民から高い支持率を得ていることは周知の通りである。。
つまり構造改革を推進すべきであるという国民の支持=民意=空気への対応こそが公共事業,つまり建設業,そして発注者である官が最優先で取り組むべき問題であろう。

当然のように,公共事業にかかる問題は,官僚(国も地方も)の存在は切り離すことの出来ない存在としてある。
当然に受注者としての建設業,建設関連業も存在する。

そしてその双方に,アカンタビリティ確保戦略としてのCALS(ITによるデスクロージャーを主体として)が存在すると理解したい。
→それが私の自治体CALSに対する提言の中核である。

そこで,私は,ここに開発主義(村上泰亮)の政策体系を基本としたIT化政策を持ち出すのである。
それは「公平で有能な,ネポティズムを超えた近代的官僚制」を期待するものなのだが,この文脈が機能することはかなり難しいことは承知の上である。

中央公論2002年1月号,宮崎哲弥氏+小野宣克氏による『出でよ平成革新官僚 第一回 国土交通省 塗りつぶされた道路公団改革案』は,中央省庁の中堅官僚を主体に,新しい「公」を生み出そうとする動きがあることを伝えている。

『この数年,霞ヶ関は絶えざる批判に晒され,グローバリゼーションと市場化の波に揉まれ,機能の縮小を余儀なくされてきた。公共性の多様化,多中心化にうまく対応できず機能不全ちに陥ったという側面もある。』

『だが,そうした難局にあって,中央省庁では自覚的な中堅,若手の官僚を主体として新しい「公」確立への胎動が始まっている。霞が関周辺では,その初期微動を探測することができる。』(宮崎+小野 P163)

しかし,彼ら改革的官僚の作成した改革案は上層部に握りつぶされ陽の目をみることはなかった。
そして,結局何も変わらなかった。

『現行システムの利権と人情で,がんじがらめになり,思考がストップ,身動きが取れなくなっているのだ。彼らには,高速道路は誰のために作っているのか,という「一般と同じ感覚」が抜け落ちてしまっている。』

『このような体質を自律的に変えることは,小泉政権下においてすらどうやら困難のようだ。猪瀬氏の指摘するように,社会に包囲されることによってしか彼らは「企業のための哀れな奉仕者」の役割から脱却できないのであろうか。』

しかし,私は『新しい「公」を生み出そうとする胎動』を信じたい。
そして,猪瀬氏の言葉ではないが,包囲する社会がそれを後押しすることを信じたい。

さもなければ,建設業(公共事業)が直面している苦悩は永遠に解決されないだろう。

→包囲する社会には当然受注者としての建設業,建設関連業が含まれるべきだろう。
 →私は相互作用を信じる。
→「企業のための哀れな奉仕者」と言う言葉は,菊池信輝氏の言葉である。
→菊池氏の論文「官僚神話の源流を問う」も面白いので必読。 


【クラシアン2】

昨日の話の続き(トイレの詰まりの話ね)。
クラシアンは,結局,午後6時30分に登場。

事前に電話連絡もあって,なかなか対応は宜しい。
到着後,直ぐに見積もりを書いてくれて,トイレの詰まり除去8,000円,但し,脱着工事の場合は+15,000円。

今回は8,000円で済む。
原因は不明とのこと。

ついでなので,水周りのパッキンの交換等もお願いして,税込みで12,600円のお支払いとなった。
高いのか安いのかはわからないが,おいでいただいた方の対応はかなり宜しい。

こういう生活必需設備(例えば,今回のトイレの詰まりだとか,水が出ないとか,電気がだめだとか)のトラブルは,(早朝だろうが,深夜だろうが)一刻も早く直して欲しいというのが,顧客の最大要求である。

なわけで,クラシアンはこのあたり上手くついているなぁと思う。
こういう場合,少々高くても文句をいう方は少ないだろう。

今回,クラシアンを選んだのは,やはり大量に流されているTVCMのせいだろう。
「暮らし安全クラシアン」というフレーズが直ぐに頭に浮かんだ。

そしてWeb検索して電話番号を見つけ電話した次第。
当然電話はフリーダイヤルであった。

翻ってみて,多くの工務店,建築業者さんは,この辺りの対策,努力は十分であろうか。
多くは設備業者へ丸投げ依頼してしまうだけだろう。

クラシアンのHPを見ると,この小口の修繕から,どうやらある程度大きなリフォームをターゲットとした展開をしているように見える。
つまり,日々の小口修繕は将来の大口リフォームへ結びつく,見込み顧客のデータベース構築作業と言えるだろう。

論より証拠,HPにはこう書いている。

『お客様からの声を収集する活動にも力を注いでいます。お伺いしたお客様全員にアンケートハガキを郵送。お返事は毎月10,000通以上にもおよびますが、それらを全て本社で集計し、営業所やサービススタッフの対応を掌握しています。そして、「お客様の声」としてよりよいサービス活動へとフィードバックし、次のステップとつなげています。クラシアンからお客様へ、お客様からクラシアンへの2wayコミュニケーションで、さらなるサービスの質の向上を追及します。』(http://www.qracian.co.jp/profile/kokoro.html

果たしてそれがきちんと目論見通り実行されているのかどうかは不明だが,昨日の対応を見る限り従来の建設業にはない「サービス」業としての意気込みは感じることができた。

そこに,今と言う時代に建設業に欠如しているものが何なのかが見えてこないだろうか。

2002/01/05 (土)  
【コンドラチェフ波動】

技術革新の経済学の始まりは,いわずと知れたシュンペータの経済発展論に遡る。
しかし,『戦後のネオシュンペータリアンの研究は主として企業の研究開発の行動分析に関心が集中し、ミクロ経的展開が主流となってきている。しかし、本質的な経済発展の動向は企業の戦略論からは解析できない。』(広岡正明 http://www.heri.or.jp/HYOKEI/hyokei67/67ajia.htm より引用 →よく読んでね)

ということで,コンドラチェフ波動をまとめた。
技術革新とコンドラチェフ波動。

これは昨年12月初旬にも紹介したものだが,私は景気循環説を支持する立場である。
日本の経済の浮き沈みはこれで説明できる。

一方米国において一斉を風靡した夢物語のようなニュー・エコノミー論は,この景気循環説を葬ったかに見えたが,どっこいコンドラチェフは生きていたというのが昨今のアメリカ経済の状況ではないだろうか。

まずは,このあたりを押さえておいていただきたい。



【暮らし安心クラシアン?】

いつものように病院へ行き,肛門の消毒とガーゼ交換を行う。
外は寒く,また風邪がぶり返しそうだ。

今年の風邪は胃腸にくるようで,退院後,私もたびたび吐き気と発熱に悩まされている。
なので,帰宅後は「ミカヅキ」の続きを見ながらひたすら暖かくして休養と決め込んだ。

ミカヅキねたでは,タロサが,あけぼの重工業(株)社章を作ってくれた。
ナイスである。

なぜかトイレが詰まってしまったので,クラシアンに電話をした。
が,本日は大変に混みあっているとのことで,夜にならないとこれないとのことである。

困ったものだ。

2002/01/04 (金)  
【いただいたメールから】

以下のメールをいただきました。
早速訂正いたしました。ご指摘ありがとうございます。

貴社のHPを大変参考にさせてもらっているものです。
下記ホームページの次の部分に誤植と思われる部分がありましたのでメールした次
第です。
宜しくお願いします。

経家トップ→経営トップ

http://www.momoti.com/data/5p_00.htm

問題はその経営トップに対して、はたして真実の情報は流れているのかということ
であり、逆説的には、経家トップは真実の情報を発信しているのかという問題で
す。

そして「ミカヅキ」ねた。

ミカヅキ、いいっすよねー。

特にあけぼの重工業の社長がいいっ。(笑) かわいー。

ガキの演技がクサイのが、雨宮演出っぽくっていいっ。(爆)

DVD欲しいけど36000円は高いわなぁ。あたしゃスカパー
で放送したのをビデオに録画して見てます。

あ、遅れましたが、退院おめでとうございます。

んじゃまた。

タロサ,解ってる人ね。

そして大雪に見舞われた東海地方から。
当社の営業施策の中で、雪が降るとお得意さまの社長の自宅の雪を当社の社員が出向いて取り除く、即ち雪かきを行うことを常としています。

しかし、こんな雪では当社の社員もお得意さまの社長の家にたどり着けるだろうかと心配になり連絡をとって見ました。
案の定、半数の社員は家で足止めをくらっていました。

理由は簡単です。雪用のタイヤを履いていないとか、チェーンがないとかそれぞれです。多分当社の給料が安いからでしょう?
お客様以外の家では、私の家と会長の家には雪かきに来てくれます。

そこで、我が家に来てくれた社員の車に同乗して、2件のお客様の家の雪かきに行ってきました。
慣れないことはしてはいけませんね。少し腰が痛いような気がします。

さて、話はこれで終わりません。これくらいの雪で社員が自宅で足止めをくらうなんてゼネコンの安全とは、災害に対する備えとは何なんでしょう。

これは大きな問題です。テレビでは数日前から大雪の可能性があると頻りにアピールしていたのに。仕事が忙しくてテレビを見る暇がないのかも?

だいたい自然と顧客を甘く見ています。誰がこんな会社にしたのでしょう。まだ問題はあります。
恐らく黙っていれば明日(4日)仕事始めは雪かきから始まるでしょう。

当日、当社の社員だけならまだしも、お客様や取引業者が当社を訪れるのです。
そんな中で雪かきをしている会社をどう思いますか。これだけ降ると大勢の社員で行っても数時間は掛かるでしょう。

多分仕事始めに時間に遅れず会社に来て雪かきをすれば良いと思っているのでしょう。
結局、土木の社員にお願いして、近くのプラントにあるホッパーで3日の午後から雪かきをして頂きましたから、4日の雪かきは短い時間で済むでしょう。

今日は取引先の社長のお嬢さんが4日の朝、名古屋に通勤できないといけないと言う訳で頼まれて○○駅前のホテルに送りました。

我が家にはいざというときのために四輪駆動のレガシーを嫁さんに乗らせています。
いざというときは私が使えるからです。スキーにも使えますが。

その途中で同業者の○○の前を通りましたら大勢の社員が制服とヘルメットで雪かきをしていました。
私が通った時は夕方でしたが、本社前の歩道は勿論、隣の取引先の会社の玄関には雪一つありませんでした。その会社には幾つかの駐車場がありますが、どの駐車場も雪の欠片もありませんでした。

会社のトップの命令であろうが、習慣であろうが、それは素晴らしいことではありませんか。本当に素晴らしいと思います。
それに引き替え当社はどうなのでしょう。

本当にお客様の財産を創り、それの維持を、任せても大丈夫な会社でしょうか。
自主的に雪かきをするなり、それが出来なければ管理職の誰かが指示を出してくれたらと考え込んでしまいました。

これでは会社に管理職が居ないも同然です。形だけの管理職かもしれませんが。
管理職の人はこの大雪をどんな気持ちで眺めていたのか私には解りませんが。
社内で気遣いが出来なくて外で気遣いが出来ると思いますか。

本社がこれなら、恐らく支店は何も手を付けてないでしょう。勿論現場も。
でも、中には、心ある社員が居て、支店や現場の見回りをして雪かきをしてくれてると思いますが。

(以下省略)

これは,社風(社内文化・ミーム)という問題を考えるにはいい題材になるかもしれない。
しかし,雪はいやだね。



【まずは昨日の続きから】

昨日は予定通り病院へ行き,いつものように消毒&ガーゼ交換。
終了後,浦和コルソのてもみんまで出向き今年の初もみ。

お尻に注意してもらって80分マッサージ。

その後,コルソ内の須原屋で本を購入し,ついでにLAOXでDVD(「猿の惑星」と「ハムナプトラ」のツインパック)も購入し,遅い昼飯に伊勢丹の銀座通りでしゃぶしゃぶを食べ,ついでに地下食できりたんぽ鍋の材料を購入して午後4時過ぎに帰宅した。

退院後の最長外出記録更新である,などと喜んでいたら,なぜか夜に熱が出てダウン。
直接お尻とは関係ないのだろうが,まだまだ無理は禁物のようである。

さて,楽しいメールをいただいていた。
おはようございます。元気になられて何よりです。ここ2週間ほどの闘病日記、大変楽しく拝見しました。同病相楽しむというところでしょうか。

僕も気を付けなければと思います。何万人の国民が尻の穴の状態に一喜一憂した年末でした。某天皇の下血吐血以来の国民的関心事でした。

陰嚢の件、職場で見ましたので つい大笑いして「とうとうアイツは壊れたのか」と思われてしまったようです。仕事も忙しかったのですが、年末の大掃除は免除されてしまいました。

○○○でお会いしてから、ずっと戯言を拝見し、いろいろな試行をしたり自分の思考を修正したりしてはいます。やはり桃知さんの場合「個」を全面に押し出されて、それは個人事業主として当然の事かとは思いますが、そういったことも含めて共感を呼んでいるのでしょう。

昨年後半より国土交通省において建設CALSの存在が希薄になって来ているような気がします。それは過去の施策と同じように施行前の微熱が、既におさまってしまったような、工事段階における発注者と受注者の接点が単なる納品に終わってしまったからでしょうね。

受注者さんも「最後にスキャナー派」が多いようです。本当は過程が大切なのに「個」として現場IT化の必要性を説いても「公」としては「納品」のみですから余計なことをと思われている発注者や受注者さんもまだお見えです。

このギャップを埋めようにも、昔ほどの元気はありません。
「公」に埋没するのは一番簡単ですからねぇ。とはいうものの、そんなことしたら桃知さんにお逢いできませんから、もうちょっとがんばってみようかと思います。
この方,文脈からお察し出来るように,発注者(国)の方である。

このメールの指摘,つまり,国土交通省における建設CALSの存在の希薄化=工事段階における発注者と受注者の接点が単なる納品に終わる。を,私は危惧していたのであり,それ故に国交省のCALS政策を批判し続けてきた。

その理由は単純に言えば,「公共事業(つまり市場)が縮減する」という事実が到来する(している)からに他ならない。
その縮減する市場には政策的(政治的)に生み出された地場型中小建設業が,何の策もないままに,崩壊した神話を信じながら存在している。

その神話を消し去り,新しい公共工事のあり方,建設業の生き方の指標の提示と業界再編の作業が建設CALS/ECであるはずだとの想いが私にはある。

→私の場合,とっくに国のCALSには失望しているので,より市場縮小の影響の大きな自治体CALSに勢力を注ぎ込んでいるのはそのためである。

(今は)市場原理に全てを任せようというのが現政府の対策方針であり,それは空気にさえなっていると言ってもよい。
それを「なんたる無策か」と言って批判するものは本当に少ないし,変わり者扱いさえされている(笑)。

と同時に,受注者側にも決定的な対応策はない。
それは公共建設市場の混沌である。

→市場化と,その市場化への反作用として表出する既得権益(発注者も含む)の逆ベクトルとのカオス。
→つまり,混沌とする市場において,自らの経営努力をどこに向けるかのフォーカスが定まらない。

この状況に対応しようとする建設政策はCALS/ECにはないことを既に我々は承知している(しかし,本来はCALS/ECこそが,この部分に対応する政策でなくてはならないはずなのだが)。

本日付の日刊建設通信新聞はこう伝えている。
『建設行政 経営戦略行かせる施策 再編不可避,環境整備へ』

国交省はCALSには単なるデジタルデータ化の役割だけを与え,CALSから離れたところで,さまざまな政策を打ち立ててくるようだ。

→その施策はCALSとは関係ないところにあるのだが,極めて本来のCALS文脈に忠実なものである。
 →技術と経営に優れた企業という概念の具体化作業。
 →つまり,ついに国交省はCALSが何者なのかを理解しないで終わるのだろう。

2002/01/03 (木)  

【通院三日目(思想の眼鏡)】

午前6時30分起床。
と言っても何もすることもないので,お茶をすすりながら,昨年見残していた「鉄甲機ミカヅキ」をDVDで見ていた。

→ところでミカヅキのサイトを見に行っていたら,アクセスできない状況になっている。
→閉鎖されたか?

この劇中に出てくる,あけぼの重工業(株)の月光機シリーズが私は好きで,私のThinkPadX21のデスクトップは,現在,月光機2号が壁紙となっている。

→ミカヅキのサイトには,この月光機シリーズの壁紙が置いてあったのだ。。。残念。

一昔前なら,それこそ四十を過ぎたオヤジが,正月早々何を言ってるんだ!と,顰蹙(ひんしゅく)ものの話なのだろうが,別に臆することもない。
なにせ,私らは「アトムの子」なのだ。

経済書も読めば漫画も読む。
P・Simonも歌うし,とっとこハム太郎も歌う。

ガムランも聴けばブラームスも聴く。
落語も聴けばラップも聴く。

相撲もWWFも同じに楽しめる。
移動は全て禁煙車だが,ヘビスモーカーでもある。

デジタルコミュニケーションもすれば飲ミュニケーションもする。
つまり,私の世代にして多様に生きるのである。

私たちは多様を理解する術(すべ)を身につけながら育ってきた世代である。
そしてそこに必要なものとは唯一つ。

思想の「眼鏡」である。

笠信太郎曰く。

『私たちが,ぼんやりとでも日本経済がわかるような気がするのは,私たちが何がしかの経済学を身につけていて,それを眼鏡として世間を見ているからである。』

つまり,この多様を前提としてた時代に必要なこととは,己の使っている「眼鏡」とは何ものなのか,ということを常に意識し,必要であればそれを確認することだ。

この国には裸眼で現実を見て物申す方々があまりにも多いのではないだろうか。
私は彼らを信じることはないだろう。

ということで,私はこれから病院へ行く準備をしなくてはならない。

2002/01/02 (水)  
【通院二日目】

午前8時30分起床。
通院二日目。

今日も元気に病院へ。
お尻の消毒,ガーゼ交換。

→と言っても,このガーゼ,一度トイレに行ったら取ってしまう。
→さもないと,肛門周りは大変なことになってしまう。

治療が終わって,そのまま川口そごうへ出向く。
そごうは今日から営業なのだ。(しかし,人出はいまいち)。

目的は,暮れの入院で準備できなかった今年用の箸の調達である。
新しい年は,まず新しい箸で迎えたほうが気持ちがよい。と言う私の癖みたいなものだ。

ついでなので,ご飯茶碗と湯飲み茶碗も新しく揃えた。
原色の色使いがたらまらなく素敵な深川製磁製の黄色いシリーズにした。

→こういう,ささやかな楽しみが好きだ。


それから,そごうの中にある山野楽器へ行き,暇な一日を過ごすためのDVDを何枚か調達。
お年玉(?)にもらった景品の中に面白いものを発見。

(↑)北島三郎芸道40周年 おちょこ (↑)B'Zのルービックキューブ
(↑)スクールウォーズ マグカップ (↑)スクールウォーズ マグカップ
ライジング・サンマーク入り(笑)

→こういう,ささやかな楽しみが好きだ。

2002/01/01 (火)  
【今年も宜しくお願いいたします】

私は喪中なので,恒例の「おめでとう」挨拶は無し,ということなので,「
とりあえず元気になりました」(退院できたと言う意味でね)というご挨拶です。

今年も宜しくお願いいたします。

さて,本日は,8時45分起床。
久しぶりによく寝たというところでしょうか。

起床後トイレ直行も便意はない。が,ウォッシュレットで傷部を洗う。
「やわらか」で洗っているのだが,それでも傷部はひりひりと痛む。

そしてそのまま浴室へ移動して座浴を行う。
座浴というのは,お湯を張ったタライに消毒薬をいれ,そこにお尻を10分ほど浸す作業なのである。

この座浴を一日2回(以上)するのが今の私のノルマなのである。
座浴をしながら足をシャワーで暖める。寒いのでね。

座浴を終了後,ついでの朝シャワー。というよりもドクターから,病院へ来る前にお風呂に入ってくるようにという指示なのである。

私は人(その道の専門家,達人,名人)の話は素直に聞くことにしている。
それが己の無知に対する対応の秘訣であると理解している。

→当たり前のことなだが,この当たり前が出来ない故に失敗することがなんと多いことか。

→四十を過ぎて,ようやく私もこの当たり前の原則に従うくらいに人間がまともになってきたようだ。

10時少し過ぎにTAXIで病院へ行き,消毒とガーゼ交換を行い帰ってきた。
所要時間は移動時間も含めて30分ほど。

私は正月三ケ日,毎日これを続くなくてはならない。

病院へ向かう途中,イトーヨーカドーの前を通るが,ヨーカドーは今日から営業しているようだ。
そういえば,入院中私の隣人だった方は,ジャスコにお勤めとのことだったが,ジャスコも元日から営業とのこと。

小売業の方々はご苦労様である。
しかし,こうなると正月中の食料調達も楽なわけで,昔のように暮れに大量に買い込むこともなくなってしまうのだろうなぁ。

さて,桃知家の正月は,私も入院したこともあり何も準備していなかった。
だが,八伸建設の八木沢さんが気を使って下さり,立派なおせち料理を準備してくれた。

それが先ほど届いたので,皆様にお披露目しておこう。
私は43年生きてきて,こんなに立派なおせちを見たのははじめてである。

八木沢さん,どうもありがとう。

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momo
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