[店主戯言00201_02 2002/01/08〜2002/01/31 "There goes talkin' MOMO"

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2002/01/31 (木)  
【今朝はちょっと忙しいので引用シリーズ】
今朝のasahi.comから。

公共事業の是非、市民に選択権 埼玉県志木市が条例検討

 埼玉県志木市は、どの公共事業を実現させるかを市民が選ぶ制度を創設する方針を固めた。公募で選ばれた市民が評議員(仮称)となり、市から提示された公共事業の是非を判断する方法を検討している。早ければ6月の定例市議会に関連条例案を提案し、03年度の公共事業から実施したい考えだ。

 穂坂邦夫市長によると、市が行う公共事業の透明性を高め、市民の行政参加を促すのが狙いという。

 その方法について事務方に、検討するよう指示していたが、30日までに、(1)公募で選ばれた複数の市民が評議員となり検討委員会をつくり判定する(2)市民アンケートを実施して、その結果を尊重する(3)評議員の判定とアンケートの結果を踏まえて判断する、の3案を穂坂市長に示した。

 穂坂市長は「評議員が判定する方式にしたい」としており、市長が政策決定をする前に評議員がつくる検討委員会に判断をゆだね、検討委で必要ないと判断されたら、市議会に議案として提案しないなどとする方向で検討が始まっている。

 また構想では、市が市民に判断を求める公共事業の規模は総事業費1億円以上としている。03年度に計画している生涯学習センターの建設の是非や、小中学校の耐震工事なども市民に判定してもらいたい考えだ。

 ただ、新規の公共事業の是非を市議会にはかる前に、別の市民の代表ともいえる機関に判断をゆだねる形になり、議会の存在を否定しかねないなど、実施に向けて課題はある。総務省も「地方自治法では想定していない取り組みになる」と困惑している。(03:15)

なんだこれは!だな。
あとでね,これがどどういうことなのか(なぜ,このような考え方が出てくるのか)を考えて見ましょう。

それから京都公演ネタメールが届いていましたので2連発で紹介しておきます。
ありがというございます。m(__)m

京都市での講演、拝聴させていただきました。遅ればせながら、感想メールさせていただきます。
私、京都でも(- ざっくりと桃略-)という所で建設業を3代目として営んでおります。

水槽の金魚のお話で自分の立場が明確に理解できました。CALS/ECの意味もよく分かりました。
今、業界、行政の成り行きを黙って待つことが一番駄目なことが分かりました。

でも今、京都府では、発注者(行政)と業者の関係は最悪で先生がおっしゃるような行政と建設業のためのCALSを京都府で構築するのは、大変な困難を乗り越える必要があるように思えます。

なぜなら、京都府は、二十数年も革新府政で社会主義国家に近い発想になってしまっているからです。日本の中のソ連です。最近では、府内での談合疑惑問題等で府の職員が自身の保身に精一杯の状態であることと、そして建設協会の役員の脳みそを一旦ぐちゃぐちゃに溶かして再構成しないとなかなか岐阜のようにはならないでしょう。

その意味で、反応は最悪で気分を害されたと思いますが、京都市での講演は大きな意義が会ったと思います。京都建設業協会の会長も来てたし。

是非一度、(−ざっくりと桃略ー)建設協会にも来ていただきまして役員の脳みそを溶かしてください。
先生の講演の乗りは、はっきり言って好きです。高度な内容がとてもわかりやすくスッと入ってきて講演者自身が本当に、中身を理解してないと、あんな風にはできないでしょう。
私にとっては、大変感激するお話でした。有り難うございました。

京都三連戦、お疲れ様でした。初日の店主戯言を見て
どうなることかとハラハラしていましたが、さすがに立ち直りの早い桃知さん…。見事です。
怒り(anger)反省(reflection)修正(revision)実行(do)のARRDサイクル(勝手に決めました)を回しながら、たえず真剣勝負で臨むのは、職人技です。

だから、安住のときはないのかもしれません。疲れたら「癒しの大地・北海道」へどうぞ。。。

これ(↑)は北海道のA様からのメールですね。職人と呼ばれるのは嫌いじゃないが,どっちかというと芸人と呼ばれたい。
それも大道芸人とか乞食芸人とか。。。私はそういうものを目指していました。それから(北海道には)来月行かしてもらいますね。だから,癒してちょうだいな。

2002/01/30 (水)  
【京都のホテルについたよ】

桃知@ようやく京都のホテルなわけだ。もう午後9時近くになってしまった。つかれた。
でも,わたしゃ,やっぱりこういうごみごみとしたところが好きだ。人ごみの中にいると妙に落ち着く。多分前世はゴキブリか溝鼠だったのじゃなかろうか,と想う。

ホテルまでの道すがら,本屋に寄り道してきた(これは日常茶飯事)。
伊丹敬之,『経営の未来を誤るな−デジタル人本主義への道−』,2000年2月10日,日本経済新聞社と吉本隆明,『読書の方法』,2001年11月25日,光文社,を購入。って,わたしゃ,この京都滞在中に本は沢山購入しているのだ(と言っても読んでいるわけではない。★\(^^; )

例えば,佐和隆光(編),『「改革」の条件 至上主義の貧困を超えて』2001年11月22日,岩波書店,とかね。この佐和先生の対談集は結構面白くて(っていうか,私の今の考え方の基本は,『市場主義の終焉』に負うところが大きいわけ),お風呂で読んでいたりするのでだいぶふやけた。

さて,本日の講演の感想が早々に届いた。

今日の舞鶴の研修に参加していた者です突然ですみません!今日のお話の内容が本当に今の土建屋に解らせないといけない事だと感心しました。実は昨日社長が亀岡で聞いて来たのですが絶対に社員にも聞かせたいと言うので私共々出かけたのです。小さな会社ですが社員にもいい勉強になりました。昨年CBCCの経営者でお合いしていたのですがその方が講師でいらっしゃるとはびっくりでした。たぶん覚えていらっしゃらないと思うのですが,これは携帯からなのでまたホームページにいってみます。機会があれば又おあいしたいとおもいます。

どうもありがとうございます。CBCCって私が平家物語を聞きに京都に来たときのことですね。あら,まあ,でございます。
この書き込みをご覧になられたらまたメールをいただければと思います。ところで,本日の講演の際に,私のホームページを見たことがある方,という質問をしたわけですが,該当者はたったお一人でございました(しっかり名詞交換しましたよ)。

これはお一人おられたことを喜ぶべきなんでしょうかねぇ。

ということで,これからルームサービスで晩御飯。
お尻の手入れをして,今日は早々に寝ようと思うのだ。

明日は8時15分の近鉄特急で津へ向かう。



【ミーム→ムーミン】

桃知@タンゴディスカバリー 4号で京都へ戻る途中。今日の舞鶴での講演は予定時間を30分程オーバーし,約3時間をかけて,一応準備したものはすべて話をすることができた(めでたい)。まあ,その内容は(↓)の【仕事を取るためのIT化】で書いたとおり,かなりポイントを絞ったものとなりましたが,受講者の皆様の反応は今回の舞鶴が一番よかったように思う。

私としては,初日の京都版のほうに想いは多く詰められていたわけですが,なんとも京都はいやな感じしか残っていないのですね。そんなことばかり言っているものですから,(みかねた)読者の方から「京都講演よかったです。」というメールをいただいてしまったのでご紹介。

こんにちわ。桃知さん、お元気ですか?
あまりお元気ではないようにHPでお見受けいたしましたので
微力ながら先日の京都公演の感想をメールさせていただきます。

(ざっくり)

’00から桃知さんのHPは毎日欠かさず見ている隠れファンです。
あまり難しいことは分からないから、必死でついて行こうと思ってるんですが
なにぶん頭の悪さはいかんともしがたく、歯がゆい思いでひたすら読んでいます。

さて、一昨日の京都公演 よかったです。ほんとよかった。。。
昨年春頃でしたか、大阪建設業協会さんのお招きで来阪されたときも、
無理やり上司を引っ張り出して聞かせて以来の 生桃知&桃知節で
クィーンのコンサートの時のような感動を覚えました。

中身はHPでおっしゃっているように僕でも理解できる内容でしたので
大阪で聞かせていただいた内容とリンクし、鮮明に頭に浸透していくのが
汚染を実感するがごとく自覚できました(笑)

特に印象深かったのが、ミームのお話しです。
HPでの桃知さんの解説は難しすぎて(いや頭が悪くて)理解でききれていなかった
んですが昨日で一部理解できました!(たぶん一部でしょう)
やっぱり生に限るって勝手にほくそえんでました。(ビールではありませんよ)

社風なんですね。企業文化なんですね。悪しき慣習なんですね。
そして、うつるんですね。
そうだったのか。。。
どうりで、途中入社の方もしばらくすると社の悪しき慣習に染まっちゃうんですね。

(ざっくり省略)

僕が言いたいのは、桃知さんのおっしゃる事の一部かも知れませんが
理解し、がんばろうと思っている僕のような信者(読者?)もいます。
たぶんたくさんおられると思います。ずっと見てます!これからも。
そして教えを守り、行動して行こうと思っています。
パワー全開でみんなに桃知ミームを伝播して下さい。
桃知さんは宣教師だと思ってます。頑張ってください。
とは言うものの、あまり無理をなさらないようご自愛下さい。
(ははは、なんのこっちゃ)
乱文お許し下さい。では、また。

PS
お尻はもう大丈夫ですか?
全開モードで大阪公演またお願いします。

こういうメールっていうのは素直にうれしいものなんだよ。>ALL。特にこうして疲れている時なんかにはね,なにものにも勝る「癒し」なわけ。あーうれしい。感謝しなくちゃならない。しかしだ,この方,実は大阪の方なのよね(笑)。いいぞ!ただのり作戦(さすが大阪人だ。)ところで,わたしゃフレディ・マーキュリィかい。エイズで死ななくちゃいけないのか。

それからこういうメールも着ていた。
#京都ではなかなか手強い相手とやっておられるようですね。でも、「ぶぶずけ」
はすでに伝説であって、ほとんど実存はしていません。桃知さんが「見たこと無
い人種」だったので硬直してしまったのだと思います。

あははは。。。これ結構受けました。

今日はミーム概念から,みなさんの会社の「よそとは違う点(つまりコア・コンピタンス)ってやつをIT化でどう作るのか」という話をしたわけで,そこで,ミームは完全複製はできなくて,時々間違って複製される(例えば今日私が話した「ミーム」が家に帰ると「ムーミン」になっていたりする)。でも,その複製の非完全性こそが進化の根源なわけで,例えば私がネアンデルタール人の子孫であり,ミームが完全な複製子であって且つ複製のミスもなければ,私はパソコンの変わりに石槍を持ってここに立っていたでしょう。「うふぉ」なんて言いながらね,という話をしていたのです。

そしたら,講演終了後,京都はそれこそ完全複製のネアンデルタール人のままなのかもしれない,というお話しをされた方がおられたわけですが,確かに京都ミームには私のようなへんちょこりんな人間がこの世に存在しているという情報は刷り込まれていなかったのだろうから,『(私が)「見たこと無い人種」だったので硬直してしまったのだと思います。』にはね,おもわずにやりとさせられてしまうんだな。でもね,今回は桃知ミームのご挨拶だと想ってもらうことにしましょう。なので次回は楽しみだな(って,次回があるか?)。

さて,なんだかんだあった京都だが,無事三連戦も終了。京都府のご担当のみなさん,大変,大変お世話になりました(彼らはちゃんとここを読んでいるのよ。実は。。。),たまにはメール頂戴ね。と書くのも実は彼らとの連絡はすべてアナログだったわけ。なんと京都府庁はまだ電子メールは職員さんには配布されていないのだ。いまどき。。。でもね,今日のお話では京都府も(ようやく)職員の方々にメールアドレスが配布されるんだそうだ(2月下旬ごろ使用開始だそうだよ)。つまり,ネアンデルタール人がついに文明の利器を入手するわけだなぁ。これは楽しみである。京都府庁ミームは果たしてどう変わるのか(進化するのか)だな。京都府庁ムーミンになったりして。。。(笑) ということで,二条駅に停車中にこいつをアップしてしまおう。



【仕事を取るためのIT化】

又夜中なのでした。つまり眠れずに仕事をしているわけです。
昨日は(↓)で舞鶴入り,駅からタクシー(タクシーがいなくてしばらく待つ,いまどき。。。)でホテルへチェックイン後,一人で(ホテルのレストランには本当に誰もいないのだ。まだ7時30分ぐらいだというのに)寂しく夕食を取り,11時頃まで仮眠を取り,再び起き上がり一風呂浴びて仕事をはじめたしだいです。
亀岡 17:43 きのさき 5号 綾部 18:29
綾部 18:41 特急リレー号 東舞鶴 19:10

昨日の亀岡講演にご参加の皆様,本当にありがとうございました(京都の前田さん,いつもありがとう)。
いかがでしたでしょうか。みなさんのご感想をお聞きしたいところなのです。

昨日は,京都公演よりも10枚ほどPPTのページ数を減らしたのですが,結局お話できた内容はあまり変わりませんでした。
それはいたし方のないところなのかもしれません。つまり入門編イコール簡単だ,ということではなく,入門編イコールそれだけ丁寧に話をする,ということですから,時間が足りなくなるのは当然なのかもしれません。

しかし,この二日間で私の反省心はピークなのです。例えば,昨日準備した内容は,以前であれば2時間あれば一通り話し終えていたようなものなのです。それが,実際は61枚のPPTのうち半分消化できていないわけですから。。。

問題は,どの程度まで私の思いが皆さんに届いたのか,ということなのですが,このあたりもかなり不安があるのです。
省略した部分はやはりきちんと話しておかなければ,IT化と言う考え方がきちんと伝わらないのではないかと,そういう心配心が絶えずリフレインするのです。

つまりこういうことです。
私の講演は,自分でまとめてみると次の3部からなるとに気づきました。

1部 地場型中小建設業ってなに?(その生成と環境変化の考察 IT革命とグローバリゼーション マクロ的視点)
2部 CALS/ECに対する自治体建設CALS/ECってなに?(CALSの定義 岐阜県での事例)
3部 それじゃIT化ってなに?(中小建設業IT化概論 コア・コンピタンス=環境変化への適応力 ミクロ的視点)

例えば,2月5日のCALSセンターでの講演は3部の部分の「コア・コンピタンス」の部分をミーム概念を使って1時間30分程お話するという,顕微鏡を使った解剖学のような作業になりますし,2月13日のセミナーは1部〜3部まで通しますが,1,2部を反古典の政治経済学的視点からマクロ的に考察し(といっても時間の関係でさわりだけ),3部(2月5日の試みの延長線にある)を中心としたものとなるわけです。

それじゃ今日の鶴岡はというと,ずばり3部が中心で+1,2部はさわりだけという形を準備しました。
それはどちらかというと2月13日の概論(というよろも概論の概論)をできるだけわかりやすい言葉で話すという作業となると思います。

昨日までは逆だったのですね,つまり1部2部が中心で3部のIT化の部分はほんのさわりだけ,というパターンになっていたわけです。今日の鶴岡講演の要点はIT化とコア・コンピタンス。ここに絞り込みました。

しかし,私の考える地場型中小建設業のIT化というものは,容易には理解していただけないものなのだなぁ,と感じています。
いうなれば,私の言うIT化は,仕事を取るためのIT化なのです。なので,現在の市場分析として1部と2部は欠かせないのですよ。仕事は市場からしかやってきませんね,どう考えても。(「市場」と言う言葉の定義をあいまいのまま使っているが,今回はその件についてはふれない)

それは,俗に世間一般に認知されている「業務の効率化」のIT化とは考え方が全然違うのでね,そのミームの伝播には並々ならぬエネルギーが必要だということですよ。

というところで,おやすみなさい。

2002/01/29 (火)  
【これから亀岡へ】

最近,私のミーム話にお付き合いくださる方々が徐々に増えてきてくださって,なにかたのしいわけです。とにかく,ただいままでの思考に終始してもこの閉塞が突然打破されるわけはないわけで,みなさんで議論しながら何かしらの手がかりを見つけられればと思うわけです。

ただ,これ(meme)ですべてを説明できるとは私も思っていないわけですが,前にも書いたとおり,ミームはポチぐらいにはなれると考えています。その意味では,今回紹介する○○さんのようにISOをベースに物事を考えることが可能な方(ISOはドキュメントというミーム伝達「培養できるのかという問題,進化可能かと言う問題には今回はふれない」の一つの範疇を超えない)には,思考のメトリックが又一つ増えることは有効だと感じているわけです。よいメールをありがとうございます。

○○です、ちょっとミームについて考えてみました。

 新しいことや、解釈できなかったことを類推するのに、「前例」や「相似形」をもって当てはめて、満足しようとする考え方が多いなか、桃知さんのように、分解し構造を再構築(場合によっては新粒子を持ち出し)することにより、その機能や、その影響の出方を見抜くというのは物理や化学系のやり方と思っていました。

 たとえられる例かどうかわかりませんが、ISO9000を取得中(と同時に常に勉強中)に要求事項の意味がつかめない時、実例の載った本やコンサルに聞くというのも、一つのやり方です。

 が、私は「書かれた要求事項は何らかの必然性があって導き出された」と考えるので、現象(事例)−>問題点の解析−>対策ー>要求事項の構造を探ってしまいます。

 コミュニケーションであれば、コンサルの指導は「顧客の言ったことをメモすること」「会社の伝達事項が末端まで伝わることの記録を残せ」という傾向が多いように感じますが、PDCAを実現させるためには、コミュニケーションは「(同時でなくとも)双方向」でなければ不可能と考えました。

 どう考えても「会話」の意味の方が近いと思いますし、「命令」や「要求」のような1方向とは思えませんでした。(要求と報告の組み合わせもありますね)

 まだグループウェア自体がメジャーでない状態で考えられたと推測されるので、情報がどこかで消える、伝わらない事を防ぐため、文書の上から下への伝達、会議における情報交換(階層含む)、クレームに代表される下から上への伝達のようなものを想定してコミュニケーションとしたのではないかと構造分析(?)し、「だったら今はグループウェアがあるじゃないか」というのが判断でした。

 「社長は忙しいので大事なことだけ報告しろ」という方がいます。社長だからこそ「大事なこと」に気がつくのであって、それを部下にやらせるのは、能力のなさの証明ではないか?

 私は、部下だからこそ、「大事か大事でないかわからない」から情報を無加工でUPし、その上司がちゃんとしたフイルタをかけ、その中から社長が「社長にしかできない判断をする」のが社長の責務と考えます。

 実際には、「社長は忙しくて社員は話すきっかけがない」、事が起こってから「なんでそんな大事なことを報告しないんだ」で、進歩がありません。

 よって「社長に漏らさずに報告をあげる」「情報の中から社長に重要な物を判断してもらう」「それをすべてオープンにする」ことがISOの条件を満たすと悪用してグループウェアを導入しました。

 ついでに、消える回覧を防ぐためのグループウェア回覧板、コピーに赤書きが好きな管理職のためのグループウェア文書管理、口頭承認が好きで、そのことを忘れる管理職のためにグループウェアワークフロー、現場単位の管理報告用のグループウェアコンタクト、メモをなくす方たちのためのグループウェア電話メモ+携帯へのメール送信、どこかに消えるクレームのための専用会議室、「言われたとおりのそのままを」脚色も要約もなしでUP・・・とISOの基本システムは、グループウェアになりました。

 ワークフローだけは、難しかったのか動かなくて、会議室になりました。提案や改訂をUPすると、これをその権限を持った方が「承認」と書けば、提案実行、またはISO事務局が改訂作業にはいるという、さらにシンプルな物になりました。

 残る問題は、「ちゃんと動かすこと」です。桃知さんの影響もありましたが、ISO9000を動かすためにグループウェアを活用という形になりました。

 ミームの前の、前置きが長くなりましたが・・・自分なりの解釈です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

1.遺伝子は生物学的な要素を伝えるが、親子を基本とした家系のなかでしか伝わらない。しかし、言語や生活習慣等の文化的要素は、遺伝子の中には含まれておらず、親子であっても、後天的な物である。この文化的要素は、親子や家系だけでなく、その外部にも広がることがある。

2.この文化的要素が伝わる基本素子を文化子(ミーム)と呼ぶことにする。たとえば、「小泉ミーム」は、前回の総裁選におけるTV等のマスコミの媒介によって、全国にまき散らす力を与えられ、それを受け入れる素地のあった国民によって受け取られ、拡散・増殖した。ミームが拡散・増殖する結果としては、団体ができたり、組織ができたり、ベストセラーが出たり、牛肉や雪のマークに対する拒否反応等の様  々な社会的反応を起こす。

3.ミームは「広がるか、広がらないか」という視点以外に、相互作用をもつミームの組み合わせが存在する。相互作用は、固定的関係でなく、ミーム同士の微妙な変化によって、可変性を持つ。(微妙でないと・・別のミームになってしまうような気がする)

4.経済における「技術の文化子」(物を売る)と,「消費の文化子」(物を買う)は、対の関係にあり、その相互作用が引き合う方向に働くことが、物が「売れる」ということである。よって、特定のミームを広めることが、必ずしも「いいことになる」訳ではない。ミームの相互作用(時代の空気)が反発の方向であれば、「時代に合わなかった」となりかねない。

5.「売れる物」を作ると言うことは、すでに存在する「消費の文化子」と相互作用を持つ「技術の文化子」を持つ製品を作ること、あるいは、自分の「技術の文化子」に対応する「消費の文化子」を作らせる、持たせる、気づかせるという2つのアプローチ(他にもあるかも)がある。

6.建設業においては・・・・
 といっても、我々電気設備業と建設業は、同じ展開にならないので、ここで頭もヒートしてきたので中断です。ここまでの展開がいいのか悪いのか、この辺がわかってから、さらに踏み込んでみたいです。

ということで,今日はこれから亀岡へ向かうわけ,なので,このメールについての議論はまたあとで。
それから,本日の講演終了後は明日の講演予定地である鶴岡へ移動するので,ちょっとしんどいな。


【真夜中に戯言】

真夜中なのだけれどもね,昨日の反省に立って今日の講演内容を変える作業をしていた。
つまり,昨日は完全に失敗した,という認識からの作業だ。
→昨日の講演を行ったことによる相互作用ということだろう。

失敗点は二つ。まずは「京都ミーム」を甘く見た。それから,内容的には入門編の割には論点(切り口)が多面的すぎた。
その反省に基づいて,入門編の入門編のようなものを構成してみた。

それはかなり単純に公共建設市場の市場メカニズム化とその対応策としてのIT化を言うもので,最近の私の思考からいうとかなり単純化されたものとなってしまう。

私は私自身の仕事に対しては市場主義支持者だ(じゃなかったら,こんな前例も,何の保障もない,まったく不確実な仕事を自分で作りだそうなんて思わないわけ。→私の仕事を私の発明品だと認めてくれたのは大田ジオさんだが,彼が市場主義者なのも当然なのである)が,社会全体が(経済問題にとどまらず)市場主義化することを好まない。例えば価格競争至上主義的な考え方には大いに疑問を持っているし,横須賀市の電子入札を支持しているわけではない。ましてや国交省のCALSは軽蔑さえしている。だからといって,地場型中小建設業が依存していた公共工事システムもすでに時代遅れだと認識している。

私は,そういう視座で物事を考えている。それは私の関与先さんが生き残るための知恵と勇気を(たとえほんの少しであろうとも)作り出す作業だと私自身は思っているわけだ。私の作業とはそんな言葉に収斂される程度のものだろう。→講演に来ていただけるお客様も,公演中は私の関与先さんに他ならない。

なのでまだ迷いはあるわけだ。こんなんでいいのだろうかと。せっかく来ていただいた皆様に失礼じゃないかと。
そんなことを考えながら,あれこれ考えていたが,なんか阿保らしくなってきたのでもう寝よう。

2002/01/28 (月)  
【なるほど】

書くの忘れてた。。。
今日は千葉から吉谷さん,京都からは一お連のぴぴさんが参加してくださいました。

一緒にお茶のみしたのよねぇ。
楽しかったよ。

さて,早々に【京都はつまらなかったが,明日もがんばろうと自分自身に気合を入れている,というような話】に対するメールが届いてしまいました(笑)。

以前,京都三連戦が決まったころ,
○○さんと,桃知さんも京都で面食らうだろうな,
と話したのを思い出しました
(私は学生時代,京都にいたもんで。。。)。

CALS知ってますかの問いに,
休憩のときに文句言ってきた人,
さもありなんという感じがします。
私からみると,「伝統的な」京都人の反応みたいに
思えます。

桃知さんも「京のぶぶづけ」の話をご存知かと思います。
帰り間際にお客に対して
「ぶぶづけでもいかがでしょう」と言う,あれです。
で,「それじゃ,お言葉に甘えて」とかいって,
ぶぶづけでも食べようものなら,
かげで「なんて礼儀知らずな。。。」
というのが伝統的,典型的,京都人の反応です。
言葉はかけるけど,本心は違うというやつです。
表と裏の使い分けですね。

そんな話は過去の話と思ってましたが,
いまでも,いるんでしょうね。一部には。
建設業やっている人には,多いのかもしれませんね。
こういう「トラッド」は困ったもんです。

このメールの件名は「京のぶぶづけ」なわけで,最初は何かと思いましたよ。
なるほどね,これは「京都ミーム」なわけですか(笑)。

で,わたしゃ思うのですけれどもね,この京都ミームが存在するとすれば,IT化の先行者メリットは確実ですね。
京都限定ということにはなるでしょうけれども,確実に頭一つ抜け出せますねぇ,これは。チャンスですよ。

そこから派生的に考えると,どこか他県にアグレッシブな会社がいて(当然強力な企業ミームを持ってですね)京都という地域に進出すれば,チャンスかも。。。だけれども,「京のぶぶづけ」というかなり理解不可能な消費のミーム(笑)を理解しているのはやはり地元に利があるだろうからね,地元企業でその気があれば,横並びから抜け出すのは容易なことだな,と思いました。以上(笑)



【京都はつまらなかったが,明日もがんばろうと自分自身に気合を入れている,というような話】

桃知@京都です。
京都三連戦の初日を終わってホテルで仕事をしていました。

本日の率直な感想は,「つまらなかった」です。糠に釘のような感覚を持ちました。これは会場に漂う空気なのです。
私は,だてに全国を講演して回っているわけではないので,このあたり(会場を支配する空気)には非常に敏感なわけなのです。

→反論のある方もおるでしょう,確かにそれは数人の方の目は輝いておりました。
→私はそういう方々を見て話しておりました。ありがとうございました。

さらに私の気分を害したのは講演の休憩の時間に起きたちょっとしたことなのです。
私は講演中にCALS/ECは皆さんご存知ですか?という質問をしたのですが,その反応(挙手)は極少数なのでした。

それで,みなさんがCALS/ECを知らないという事の問題点について批判的に話しをしたたわけです。なんで,今頃皆さんこれを知らないのか,とね。良い悪いは別としてね,建設業を営む方はこのぐらい知っておかなくちゃどうしようもないじゃないの(つまり自らの事業が存在する業界で起きている変化を知らないでどうするの),とね。

そしたら,休息中にこんな話を私にしてきた人がいるわけですよ。
「CALS/ECなんてみんな知ってますよ。でも手を挙げないだけですよ。みんな危機感持っていますよ。それを危機感がないなどと言わないでほしい」と。

私はかなりカチンときましたね。私は真剣に話をしているわけです(どこで話しても手抜きはありません)。それこそ酸欠になりそうになりながら話しているわけですね。でも,そんな私の質問に対して,みなさんは正直には答えませんよ,とこの方は言っているわけで,当然に,この方も知っているけれど挙手はしなかったそうだ。

私はみなさんの反応を見て話の展開を考えているわけで,知らない方が多いのであればそれなりの話をするのは当然です。
それを「みんなそんなことは知ってるけれども,あなたの質問には答えない」ということと私は理解しました。

→こんな方々が聴衆者のほとんどだとしたら,私はいったい誰に向かって何の話をすればいいのよ?
→知っていれば知っているとちゃんと意思表示してくれればいいだけじゃないか?

私はかなりあほらしくなりましたね。本気で明日からの講演をキャンセルしようかとも思った。
まったく失礼千万な話でね,IT化について知っていれば(私以上の含蓄をお持ちならば)私の講演になんか最初からこなきゃいいのだ。→お役所さん主催だということでいやいやおいでになったのでしょうかね。

→なので,後半戦のはじめに,もう一度「CALS/EC」をみなさんは本当は知っているのですか?と質問したのでした。
→そしたら,知っていると挙手された方は,5分の1位の方々でしたね(確かに,最初に聞いた時よりも増えてはいましたが,無視できる範囲でした)。なんだかなぁ,です。

それで,後半は気を取り直して(予定を変えて)ミームの話をしました。
そういう,業界の体質こそを私は問題としているのですわけです(つまり公共事業の市場を縮小化している根本原因はみなさんが自分で作り出しているってことね)。

このあたりは,北海道A木さん(笑)が見事にまとめてくださいましたので,引用させていただきましょう。

この土、日で「ミーム」の読解作業に取り組みました。
新○記○の職能の一つに、難解な事象・問題を、だれにでも分かりやすく説明することがありますが、これに関しては自信がありません。

 ただ、現在の地場建設業者の抱える問題に照らし合わせて考えると、より分かりやすい内容になるのでは思い悪戦苦闘しました。

 @消費のミーム側に「安ければいいのだ」というミームを作り出しているのは何かという問題ですが、
 これは建設コストに対する消費者の不信感があるためだと思います。

 エンドユーザーはユニクロやマクドナルドのハンバーガーと同じように国内の建設コストも努力すればどんどん下がるモノ、下がらないのは建設業者が「怠けているからだ」「不当にもうけているからだ」という「ミーム」が出来上がっているからです。

 この原因は@建設コストをユーザー側に不透明にしたツケで、いろんな部分で「利益」を出してきた業界体質の問題A建設工事のプロセスを明らかにしてこなかったツケーの2点ではないかと思います。
 従って、ITを活用してエンドユーザーに対して建設コストを徹底的にガラス張りにして、どこでもうけているのかを明らかにしていく情報開示(内訳のすべてを一式工事で丸めることでは納得しない)が必要であり、建設工事のプロセスもエンドユーザーに情報公開し、多くの職人や作業員が手作業で造り出している過程を消費者に伝える地道な努力が必要です。(現在は仮囲いで覆い生産プロセスを開示していない)

 地場建設業者は発注者(官公庁)が当然、顧客だと思っていましたのが、突然、建設省が建設産業政策大綱で「エンドユーザー」(国民=納税者)を持ち出してきました。しかし、業者の生殺与奪を握っておいて今更、エンドユーザーは国民です、と言われても分かるはずがありません。

 また、
> →結局,役所は金銭のメトリックを唯一のアカンタビリティ要因にしよう
> →としているのではないだろうか?
 という問題についても、役所の保身的な対応によってエンジニア・ジャッジを放棄し、建設業の業態を無視した価格競争を強いているのが実態です。

 これまでの官公庁=発注者と地場建設業者の関係は直営時代の名残が強く、発注者と業者が同じベクトルに向かって造り込んできた歴史があり、その意味では買い手と売り手の関係ではなく、むしろ「ものづくり」を共有してきた「同志」です。ですから、ある面では官庁技術者は「業者が困っているのを、黙って見ていられない」(これが発注行政の正体、政治の関与は別として…)というミームを作り上げたのです。

 ですから、技術のミームによって消費のミームの色を変えていくためには、ITを使って徹底的に情報開示・情報公開を進めていく必要があると思います。コストとプロセスをガラス張りにして消費者の理解を得ていけば、太田さんが例を示した京都の「神戸ビーフ」になるのではないでしょうか。

 これは現在の建設業者にとって非常に難しい行為であり、コストを明確にすることによる痛みも伴います。しかし、この勇気を持った建設業者が真の「技術と経営に優れた企業」として認められるのです。

80点あげます,合格です。(って,この方プロじゃないかねぇ,失礼しました。m(__)m)

補足的に書けば(多分,この部分の説明は不足していたと思われるので),消費のミーム(国民の皆様)に支配的な公共工事は「だーめ,だーめ」は,公共工事そのものに対してではないと,私は思うのです。雪が降れば除雪をしてくれるし,災害が起きれば真っ先に現場に駆けつけてくれる。そんな建設会社の皆さんに対しては国民の皆様も感謝の気持ちで接してくれるているのではないでしょうか。当然に生活道路の整備も必要だし,下水道も必要ですよね。そういうシステム・機能に対しては,消費のミームは「いらない」という烙印は押していないと思うのです。

私は批判の対象になっているものが,(広い意味での)公共工事そのものにあるのではなく,国民の皆様がイメージする「公共工事のシステム(公共事業複合体というシステム)」にあると考えています。そしてその思いは,最近の事件(山形の事件とかね)で益々大きくなっているのだと感じるのです。

ところで,市場を形成するものは相互作用(つまり交換)ですが,それには2種類ありますね。
一つは社会的交換。
一つは経済的交換。

経済的な交換は当然に貨幣をつなぎとした情報の束で,端的に言えば価格とか量とかという「第一種の枝の情報(村上泰亮)」が支配的です。一方社会的な取引は,お金じゃない情報が多く含まれていますね。金銭的なやりとりのない世界で「第二種のつたの情報」が支配的なものです。

社会的交換と経済的な交換は,その両極が際立って存在するのではなく,実際にはお互いに複雑にからみあって,社会を形成していると考えられます。

例えば,米国流の市場原理が支配的な社会とは,「経済的交換>社会的交換」であり,日本的,欧州流とよばれるものとは「経済的交換<社会的交換」なものだといえるのではないでしょうか(これも短絡的すぎるかもしれません)。

そこで経済的な相互作用,交換(つまり市場)のメトリックにいて考えれば,そこには「価格の情報」と「信頼の情報」のふたつのミームが存在していて,そのトレード・オフが絶えず行われていると考えます。

旧来の日本的な商取引においては,価格は二次的なメトリックでした。つまり,安ければよい,と考える前に,その前提部分を尊重します。それが信頼の情報です。取引に対する信頼(安心感→品質というのはあたり前としても,「社会的な交換」という部分にあるもの)が存在してこそ,「より良いものをより安く」という矛盾だらけの価格のメトリックの取引が可能になるのだと思うのです。

昨今の公共工事批判とは,その信頼のミームが壊れてしまっている,ということじゃないでしょうか。
→そもそも公共事業に信頼のミームがあったのか?と言う問題は,今回は触れません。

つまり,公共建設市場の場合,価格情報が重視されたと言うよりは,信頼情報の自滅的な欠落の結果として(他に頼る情報がないのでね)価格という情報・メトリックが重視されてきたと考える訳です。

→外務省を見てごらんよ。
→雪印なんて,信頼のミームが崩壊して価格のミームも機能しない状況になっているじゃないか。

→つまり,市場において信頼のミームを失うことは致命傷なのだ。
→だから,まだ価格のメトリックを使ってもらえるだけ多くの建設業者は幸せかもしれない。

なので,問題は,その信頼のメトリックをどうして得るのか(回復と言う言葉が使えれば回復させるのか),という部分に収斂してしまうわけです。それは,A木さんの言われる情報開示ということでしょうし,つまり建設業界が持つ技術ミーム(技術・経営・組織・社風・企業文化)を如何に変革していくのか(つまり文化の革命),という作業でもあるわけです。

私がミームを最近持ち出してきているのは,この「文化の革命」という文脈からです。文化を形成するものはミーム(文化子)でしかありませんから。そして,文化子の培地(プール)は人の脳みそのネットワーク(それはいまやデジタルの世界である)でしかないからね,私はITとしう視座からそれを言うのです。

ということで,明日の話の内容を再考しなくてはなりません。
桃知@京都で苦労する,と言うところでしょうか。

では,京都のみなさん今日はありがとうございました。
明日は亀岡です。全力でぶつけますから,全力で聞いていただければ幸甚です。よろしくお願いします。

2002/01/27 (日)  
【東京で講演会】

久しぶりに東京で講演会を行うこととなったのでおしらせ。
詳細は,本日発行したももこむ通信167号を引用しましょう。

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ももちどっとこむ通信 通算167号    2002/1/27 ==========================
============================================================================
《オープンセミナーのご案内》
 http://www.momoti.com/gyoumu/semi_annai.htm

■明日から京都3連戦,みんな来てね。
■それから,2月5日は,太田ジオリサーチの太田社長と岐阜のCALSセンターで講演。
 私は,中小建設業におけるコア・コンピタンスについて話します。
 →中小建設業のIT化を語る方は多いでしょうが,前人未到の分野ですのでお楽しみ
  に。多分,まだ申し込みは受け付けてくれると思います。
詳しくは,オープンセミナーのご案内をご覧ください。
 http://www.momoti.com/gyoumu/semi_annai.htm
----------------------------------------------------------------------------
昨年末に,お尻の病気で入院手術を行いました(詳しくは闘病記をごらんください)。
 http://www.momoti.com/myself/self00112.html#01/12/18
まじめに治療に励み(?)なんとか無事退院いたしまして,現在は通院しながら仕事
をしている状況です。入院中は沢山の皆様からお見舞いメールをいただき,大変元気
付けられました。改めて御礼申し上げます。

■東京でセミナー
さて,久しぶりに東京にて講演をする機会をいただきました。
■建設業の生き残りにおけるITの効果的活用法
【日時】 平成14年2月13日(水)13:30〜17:00
【料金】 無料
【会場】 富士ゼロックス ナレッジスクエア(国際新赤坂ビル東館3階)
     →地下鉄赤坂駅上1分
【定員】 先着50名様限定
【主催等】 主催 :富士ゼロックス(株)
お問合せ・申し込み先 申込については下記のURLを参照してください。
http://www.fujixerox.co.jp/event/seminar/dw2050/3seminar.html

久しぶりの東京での講演なので,ウルトラ上級者編をやろうと思っています。と言っ
ても私の講演はあくまでも大衆芸能ですので,決して難しい話はいたしません。
主催者様がつけてくれたタイトルは「建設業の生き残りにおけるITの効果的活用法」
なのですが,このあたりの話を本当にできる方っているのでしょうかねぇ?
→電子入札・電子納品が生き残り策だと思っている方は,なんて「しあわせな方」な
 のでしょう。
ということで,今回は「中小建設業という産業」の生き残り策,その本質を考察する
ものとします。なので,IT技術論を期待される方は期待はずれに終わりますので,あ
しからず。
定員が先着50名ということです。多分すぐに定員になってしまうと思います。お早め
にお申し込みください。特に情熱ある熱き経営者の方々を歓迎いたします。

では,2月13日は赤坂でお逢いいたしましょう。
________________________________________________________________________
CALS/ECにおける中小建設業の立場は明確です。
それはCALS/ECの為のITインフラを使う立場だということです。
必要な事は「いつでも大丈夫ですよ」と言えるだけの社内のIT化と体質強化,
そして効率的な社内ITインフラ整備のための選択眼です。
============================================================================
ももちどっとこむ通信通算167号(2002/1/27)
(引用転載はまったく制限ありません)
■桃知商店■ 発行人 桃知利男  
       mailto:pinkhip@dc4.so-net.ne.jp
     URL: http://www.momoti.com
============================================================================
(c) Copyright TOSIO MOMOTI 1998-2001.All rights reserved.
============================================================================

以上,引用終了------------------------------->8

まあ,ベンダーさんの都合もあるだろうけれどもね,たとえば今まで建設業界でIT化と言えば,社内内部の業務の効率化云々に終始してきたはずだ。

それを私はOA化というわけだが,それはITを以下のようなものだ,と勘違いすることから始まっているわけだ。

・集計,転記が早くなる?
・事務処理が早くなる?

つまり,御社のIT化は内向きな業務に偏っていないか?
つまり,御社のIT化は仕事があることが前提となっていないか?ということなんだ。

この議論に終始する限り,ITは建設業の味方にはなってくれることはないだろう。
つまり,これらの視座でIT化を考える限り,上の講演の演題で言えば,「建設業の生き残りにおけるITの効果的活用法」にはなりえないのだよ。

コンピュータを使って,原価管理するのもいいだろう,CADで絵を描くのもいいだろう,でもね,考えても見てごらんよ。今問題になっているのはそんなことじゃないんだ。つまり,原価管理をしたくとも,CADで絵をかきたくとも,そうするためのの前提である「仕事」がない,ってことだ。皆さんはその核心部分に目を背けているんじゃないだろうか。

なのでね,ずばり,私の言うIT化とは「仕事を取るため」のIT化なわけだ。
この部分を知りたければ,2月13日に赤坂へおいでくださいな。決して損はさせません。ただし,これ先着50名なんだと。お申し込みはお早めに,ということですな。

それから,参加者の皆様(もしくはこれから申し込む方々)へ。
多分,講演時間は3時間程度(途中に休憩が20分あります)で,時間が多分足りない可能性が大です。なので大急ぎで喋ると思うのです。ですから,基本的な了解事項,例えば,公共建設市場の市場メカニズム化とか,IT革命とグローバリズムと言うような部分は簡単に済ませてしまいますので,そのあたりはこのHPを端から端まで読むと,なんとなくわかることになっていますので,予習しておいてくださいね。

それから,このセミナーは建設業界の方に聞いてほしいわけ。なので個人的にはベンダーさんお断り!でお願いしたいのですね。
では2月13日は赤坂でお逢いいたしましょう。

2002/01/26 (土)  
【じゃじゃ麺とはなにか】

桃知@やまびこ16号です。
盛岡から帰る道すがら,これを書いています。

さて,昨日は,岩手県四団体青年部交流会にて講演をさせていただきました。
岩手県内で初めての講演ということもあり,話の内容は,桃知講座,超初心者編というようなものでしたが,強調した点は,以下のような部分なのでした。

こと,公共事業に関する限り,お仕事が天から降ってくる,もしくは地から湧き出るような時代は二度とやってはこない。ということを前提として物事を考えよう,ということ。つまり,臭いところに蓋をするような(業界おべんちゃら)話ではなく,臭いところに手を突っ込んで,その臭いの発信源を探る,というような大変臭い講演をやらかしたわけだ。

岩手県の建設CALS/ECのご担当職員様もお見えだったので,当然に国交省のCALS/ECへの自治体キャッチアップがどのような問題を持つのかも話すことは忘れなかった。

つまりだ,国交省のCALS/ECは,国交省とゼネコン(この場合,大手,中手程度まで,つまり官公需法を疎ましく思われる方々)の戦略であり,地場型中小建設業の幸せのための道具ではない。といいうことだ。

→聞くところによると,(地方における)国交省の電子入札の説明会は,わざとわかり難いように説明されている,という話である。
 →電子入札は難しい。という印象を持たせるのが狙いではないかとみんな勘繰っているぞ!
 →つまり,だから,私たち(国交省,JACIC)がやらなくてはだめなんだ,と。

正に,スティグリッツの法則のとおりである。
今の骨抜きCALSでは,電子入札なんてどうでもいいことなんだ。

それで,業界(こう書くと各々の会社という意味ではないと取る方がおられるが,業界に属する各々の会社ということである)が抱える問題は何も解決しやしない。

そんなものをありがたく拝聴に出かける皆様は悲しいほど惨めだ。

さて,講演会終了後,懇親会で歓談をして,終了後,今回の世話役の工藤さんと向井田さんと,やっと会えた大ちゃん(でかいぞ,この男は!)と,ホテルの近くの「ぴょんぴょん舎」で,お目当ての「盛岡冷麺」を食べる。

この「ぴょんぴょん舎」はね,店自体がすばらしい。
勿論,味もすばらしい,の一言であったぞ。今回はからみ抜きで食べたので(お尻がね。。。),次回はきっちりと真っ赤にして食べようかと思うのだ。(大ちゃん曰く,冷麺は辛いほうがうまい!)

帰りに,工藤さんの奥様から,グラン浜田の「親父魂」Tシャツとみちのくプロレス携帯ストラップをいただいた。
工藤ママは,みちプロ者なのでしたねぇ。

で,この工藤ママは,ニフティの東北フォーラムのシスオペさんでね,その上だ,じゃじゃ麺ファンクラブの名誉会長という趣味人。こんなホームページまでつくっている。

ということで,一夜明けた本日はね,向井田さんのご家族とご一緒させていただいて,盛岡市内観光をしてきたのでした。

最初は岩山展望台から市内を一望。気温は低い(0度ぐらい)のだけれども,雲一つない快晴で,岩手山が雄大にその姿を見せていた。今日はとてもすばらしい絶景にめぐり合えたのだった。日頃の行いが悪い私にしては珍しいことではあるが,向井田さんの神通力かもしれない。。。

ただね,盛岡市内を一望すると,街中には,やたらとマンションが多いことに気づく(それで,ホテルの6階にある私の部屋の窓からも岩手山はマンションの陰で見えなかったわけだ)。盛岡は私の住んでいる蕨や川口や浦和と同じような町にしかみえないのだな,これが。もったいないなぁ,と思う。

それから小岩井牧場に連れて行ってもらって,家人は雪遊びに興じていたが,私はお尻第一なのでした。

で,今日のお題の「じゃじゃ麺」について。
じゃじゃ麺ファンクラブ名誉会長&向井田さんのご両人のお勧めもあって,元祖である「白龍(パイロン)」(分店の方,本店のすぐ隣にある)でじゃじゃ麺初体験となった。この店,土曜日とあってか行列のできる繁盛店であった。なので席に着くまで少々待つが,関東人はそれは日常茶飯事。

早速,食べ方を向井田さんに指導してもらいながら食べる。(食べ方はこちらを見てね。)
チータンも,しっかり作って飲んでみた。

さて,このじゃじゃ麺,うどん(暖かい,こしなし,昔給食で食べたソフト麺を思い出した)を味噌ダレで食べる,というものだが,私には,なぜこんなに盛岡の人に人気がある(つまりファンクラブのサイトがあったり,行列ができたりする)のかが,いまいち理解できない代物なのであった。

つまり,はっきり言えばだ,「それほどうまいとは思えない(なぜに熱狂的なファンがいるのかが理解できない)」のだ。
名誉会長によれば,じゃじゃ麺を最初に食べた10人中7人は「まずい」と思うのだそうだ。

そして,しばらくすぎて,そのまずいと思った7人の中の半分ぐらいが,なんだか知らないがまた食べたいなぁ,と思うらしく,それを何度も繰り返していく行くうちにその魔力に引き込まれてしまうという,かなり麻薬性のある食い物らしい(その意味では天一のラーメンに似ているかもしれない)。

なので,向井田さんがじゃじゃ麺を送ってくれるというので,それを楽しみにしている。
じゃじゃ麺の麻薬性は,果たして私を虜にできるのだろうか?(しかし,どう考えても変な食い物なのである!)

ところで,尾道の朱華園のラーメンはうまいのか?というメールが沢山届いている。
私は先に,こう書いたわけだだが,どうもそれがお気に召さないらしい(しょうがねぇなぁ,と私は思っているんだよ)。

食ったことを自慢していい店である,と思う。
尾道ラーメンというオリジナル(技術の文化子)を生み出し,それを持ってお客さんを捕らえている(消費の文化子の確保)。

尊敬しよう。
(味のほうは他のHPを参照されたい)

これは,じゃじゃ麺にもいえることだなと思うのだが,まあ,そんなことはどうでもいい,お前は朱華園のラーメンを,うまいと思ったのか,それともまずいと思ったのか,それをはっきり言いなさい,というのを求めているのだと思う。

なので,はっきり言おう。
「まずい!出汁が効いておらず,やたらと醤油くさい」。これが私の素直な評価だ。満足したかい?>ALL。

2002/01/25 (金)  
【補足】

桃知@「やまびこ」だよ。
今朝書いた内容をちょっと補足しておく。

つまり,『「コミュニケーションツールとしてのイントラネット」の域を抜け出せてない』という表現についてだけれども,それをいうならば,「コミュニケーションツールにもなっていないイントラネット」の方が適切だろう。

何度でも書くが,イントラネットとはコミュニケーションツール以下でも以上でもない。
つまり,大切な認識はなにかといえば,商売っていうのは人と人とのコミュニケーションの上に成り立ている,つまり文化子のexchangeである,という事実だけなんだなぁ。

(この先は,脱線話なのだけれども)するとね,このコミュニケーションとiいうのを短絡的に捕らえて,それは,お役所とのコミュニケーションとか,なんとか先生とのコミュニケーションとか,やれ市長だ,町長だ,村長だと,そういうものしか思い浮かばないのが建設業だったなわけ。

つまりそのパターンの繰り返しの結果として,(公共事業の)消費の文化子の真の保有者である国民の皆様から,公共事業はダメ,ダメとレッテルを貼り付けられたのが今の状況であるということを,建設業界は学習しなくてはならない,ということだ。

ということで,1月20日に書いた【公共建設市場変革のパラメータと企業のミーム】における,公共事業にかかる真の消費ミームの保有者のあたりを再読してほしい。



【70点】

昨日の大垣でセミナーを北海道から受講においでくださった方のメールを紹介しよう。

桃知師匠、本日は本当にお疲れ様でした。

ミーム(文化子)の話は、衝撃的であり、
自分の勉強不足を反省するばかりです。
(スティグリッツの入門経済学を熟読中です。)

私たちの関与させていただいている顧客へは、
まだまだ、「コミュニケーションツールとしてのイントラネット」の
域を抜け出せてないと思い知らされ、同時に自分の力不足を
反省するばかりです。
ミームの概念をトップが理解しない限りつまり、IT化(イントラネットの利用)を
「メールをつかったおもちゃ」と考えているかぎり、現状況からの脱出は
難しいのですね。
IT化(イントラネットの利用)は技術ミーム(技術、組織、経営、社風といったもの)の
プール(培養地)でなければならない、つまりIT化は営業の道具と把握していくことが
とても大切であり、大変なんだと思いました。

「コミュニケーションツール」から「仕事をとる営業ツール」、
つまり技術ミームの作り出しができている企業の強さを
実例にて思い知らされました。
そしてまだまだできているところが少ないことも実感しております。
技術ミーム(技術、組織、経営、社風)を利用して消費ミームを自社色に
染めれる(○○建設はいい会社だ!)企業はそうはなく、桃知師匠の
関与先からは、それが見えてくる・・・ トップがそれを理解してるからと
思います。

今回は上級編だったように思います。
回りの方の反応が少し弱かったような感じがしました。(私の勘違いかも・・・)
(空知は、勉強している方が多いんで、あの話はかなり反響をよぶと思いますが)
とにかく私は大変満足してます。本当に有難うございました。

今後とも宜しくお願いします。
それでは、お体には十分お気をつけて。

追伸:ミームの説明の際の「モモ父」「モモ母」のたとえがわかりやすかったです。
    ホワイトボードでの説明も新鮮でした。

よろしい,私が何を語ったのかを,そして今回のセミナーの目的を的確に把握し,且つ表現できている。
良い報告書である。70点。(笑)

ただ,『「コミュニケーションツールとしてのイントラネット」の域を抜け出せてない』という表現は適切ではない。多分このあたりの誤解が多いかもしれない(それは昨日の私の説明不足だろう)ので補足しておこう。

はっきりと断言しよう。イントラネットはコミュニケーションツール以外のなにものでもない。
そして,それでいいのだ!

なぜなら,ミームを伝播するのは人間間のコミュニケーション以外のなにものでもないからだ。
このあたりを理解できるだろうか?

新しい技術のミームは,多分,ちょっとしたひらめきとか,アイディアとか,インスピレーションとかね,そういうたぶんに(外部的刺激という要因が加わることの)偶発的な産物なのだろうと思う。→つまり進化というやつだ(これを経済学的に言えば「創造的破壊」というやつだよ)。

ここにコミュニケーションがなければ,このミームは広がることなく消滅してしまうだろう。つまりゼロだ。
なので,ミームはコミュニケーションを基盤に持たなくては育ちもしなければ,進化もしないのだよ。

だから,イントラネットはコミュニケーションツールであり続けなくてはならないということだ。
それが営業のツールに変わるというのは,その新しいデジタルというミームのプールを持つことによって,新しいミームの生成・伝播が活性化され,つまり(そういう意味での)新しいミーム(つまり組織の文化だ!)が社内に出来上がってきたということなんだなぁ。。。わかるかい?

というところで,私はこれからお尻を消毒に病院へ行って,それから新幹線で盛岡まで吹っ飛ぶ。
日本唯一の座布団持参講師は今日も忙しい。。。

2002/01/24 (木)  
【ミーム不発?】

19:00東京着ののぞみで帰ってきたのでした。
やはり,疲れる。それはしょうがないことだな。

今日は,午前中内藤建設さんで打ち合わせ。その後,ソフトピア・ジャパンまで車に乗せていただいて,午後1時から講演。
今日の話はイントラネットの話なんだけれども,要は,イントラネットっていうのは,地場型中小建設業の唯一つのコア・コンピタンス(かもしれない?)企業文化,つまり企業のミーム(文化子)のプールだという話をしたわけだ。

このあたりになると,内容的には難しかったのかもしれない。
堀さんからこんなメールをいただいてしまった。

桃知様
本日は体調十分でない中、ありがとうございました。
アンケート結果も好評でした。
ミームの話は、一部の方が理解できなかったとの回答がありましたが
正直な回答だと思います。
多くの方が、今後聞きたい講演を尋ねると、「情報共有概念や実例」を
求めており、まだまだイメージできない方が多いと感じました。
ところで先ほど、(18:18頃)NHK東海地方のニュースで、電子入札を
放映しました。今回は、向井さんの方に参加できなかったですが、
テレビ放映しただけでも成功したと思います。
今日は我センターも忙しかったですが、充実した1日でした。
次回を楽しみにしております。

ちなみに,NHKで放映された向井さんの方,っていうのは,1月18日に書いた【岐阜県における民間住宅工事の電子入札公開実証実験】のことだ。
こちらにも,ちょっと顔を出してきたけれども大盛況でしたよ。岐阜はやっぱり面白いぞ!

さて,ミームの件なのだけれどもね,(↓)の【ばたばたしている】で紹介したメールの主のA様にも難解だといわれているし,私の弟子を自認するY様のメールもこんな感じ(↓)なのだ。まあ,おおよそのところは掴んでいるかな,と言うところだが。

「ミーム」という「概念」がどうしてもしっくり来ず、
戯事を印刷し、何度か読み返してました。

>公共事業依存型の地場中小建設業が
>自らの市場(つまり、自らを取り囲む環境)変化の根元が
>(たかだか?)時代の「空気の変化」つまり消費の文化子の
>変化(進化)にあると理解することである。

極論すると、
現在、我々が置かれている厳しい環境変化の根元が
たかだか「イメージ」に支配されているにしかすぎない。
という理解でいいんですよね?

>そして経営とは、自らのミームをもって、消費の文化子のシェア
>獲得量を増やす作業である。

とは、
つまりは国・県・市民(住民)の心をつかまえろ!
「建設業は価値のある事(物)を提供してくれてる」という
心情的理解を得よ!
という事でいいんですね。

少〜しわかってきたかな?と思います。

ということで,ミーム話はもう少しわかりやすくしないといけないと痛感。私だけが自己満足してほくそえんでいてもなんにもならないわけで。
なのでね,まじめな(?)私は,早速,帰りの新幹線でミーム説明用のPPTを作っていたのでした。

これは2月5日の太田ジオさんとのコラボでお披露目できるようには仕上げるけれども,2月5日に出席予定の方々は,なにぶん(多くの方々には)わけのわかんない話になるとは思いますので(なるべくそうならないように努力はしますが)ね,こころしてこられよ(笑),ということですな。

ところで,尾道の方々からもメールが何通か届いておりました。
尾道でのセミナーは桃知講座では超初心者コース(入門編)だったわけですが,非常によろこんでいただいているようでなによりなのです。

先生はじめまして。
先日尾道で講演を聞かせていただいた者です。
遠いところ寒い中を「来てくれちゃって」(おいでくださって)
本当にありがとうございました。朱華園のラーメン
を召し上がったと聞き、アッチャーと思ったけど…。 

正直言って、尾道市主催の入札参加資格申請書の
説明会だっていうので、渋々出かけたわけです。

講演をしてくださる桃知先生と言うお名前も田舎者の
おばさんには全く初めてで、
尾道市から送付された予定表を見て、
2時間半も退屈な話を聞かなきゃならんのかいと、
行く前からウンザリしていたわけです。

でも、お話を聞かせていただき、時間が足りないと思うくらい
刺激的で面白かった。
ずっと気がかりで、でも調べても(実は調べ方も)
わからなかったことを、いろんな角度から説明していただき、
胸のつかえがおりたようなすっきりした感じです。

早速先生のページをお気に入りに
加え、少しずつ勉強させていただきます。

仕事でいろいろな説明会、研修会に出席の機会がありますが
もっと面白い講師はおらんのかと常々(17年余)感じておりまし
た。

尾道市の管財課も先生のような方を引っ張ってくるとは
「やるもんじゃ」と見直しました。
どうか、広島県を嫌わず是非また「おいでて」ください。

そうですね,広島県にもたくさん私のお客様ができると,私はとてもうれしいわけですね。
是非また「おいでて」いけるようになりたいものです。

ということで,皆さん,どうもありがとう。
明日は,盛岡で一発かましてまいりますが,ネタは何にするかは,会場の皆さんの顔を見てから決めようと思うのでした。



【ばたばたしている】

桃知@岐阜です。
北海道のA様(笑)より,下記のような楽しいメールをいただきました。これはとても大切なはなしなので,あれこれ書きたいのですが,今は時間がありません。私の話は後回しにして,そのメールを紹介しておきます。
みんなも考えてみてね。

 毎日、店主の戯言は興味深く読ませていただいております。
 最近はお尻の話題から、桃知さんの真骨頂である地場建設業者や公共工事市場メカニズムの話題に移っているところを見ると、大分良くなったみたいですね。

 ミームの話はかなり難解で、また桃知さんの講演で頭を揉み解してもらいたいと思っています。
 地場建設業者と発注者の関係は、官庁が直営でインフラ整備をやっていた時代を引きずり、業の成り立ちから言えばインハウスエンジニアのアウトソーシングであり、公共工事の調達という概念から遠い存在です。

 例えば、よく「建設省が建設を進めている○○ダム…」という表現がありますが、これは正確に言えば、建設省が発注して○○組に造らせているダム…となりますが、世間ではそうは言いません。
 今後、公共工事調達の概念が変われば、国土交通省は国民=納税者に代わって○○組製のダムを購入しました、となるのでしょうが…。
 このとき、地場建設業者が生業としている地域内のインフラ整備の場合、果たして○○組製の道路を買いました、○○建設製の側溝を買いました…となるのでしょうか。やはり、地場型建設業者の拠って立つところは官庁技師のアウトソーシング先であり、そこに教条的な市場原理を導入しようという考えには無理があります。

 そうなると、建設業法でスーパーゼネコンから町場の大工さんまでを同じ許可制度でくくる矛盾も見えてきます。(個人的には建設業許可を「ゼネコン法」「地場型建設業法」「サブコン法」の3つに分類するほうが、もっとすっきりすると思いますが…)
こうした矛盾は、わが国に本当の意味で「建設業行政」が存在しなかったことの表れです。

 ただ、これは単に行政(旧建設省)の責任だけでなく、発注行政には従うが業行政には従わないという業界の体質にも問題があったと思います。
 業行政を「疎ましい」と思う業界と、三度のメシさえ与えていればいいという発注行政の悲しい関係を打破するためには、エンドユーザーを味方につけた「新・建設産業」の台頭ではないでしょうか? 

2002/01/23 (水)  
【食った食ったで,さらば尾道】

昨日の昼飯は,尾道ラーメンの代名詞,「朱華園」で叉焼麺と餃子を食べる。
実は,朱華園は全国区で名前の知られた行列のできる店ということなので,ちょっと敬遠して「一番館」へ行ったのだけれども,あいにく休業。その近所にある「つたふじ」が定休日なのはネットで調査済み。

困ってしまって,タクシーの運転手さんに相談したところ,やっぱり朱華園でしょう,ということで朱華園に連れて行ってもらったわけ。まあ,結果的にはこれが大正解だったわけだ。

店に着いたのは午前11時30分という時間なのだけれども,店内は満員状態で,既に行列は6,7人。
だけれども,前金制と混雑店の鉄則,「食べたらさっさと出て行く」が徹底されていて,驚くほど客の回転は速い。

なので,さほど待たなくても済む。
で,この朱華園だが,はっきり言おう。

食ったことを自慢していい店である,と思う。
尾道ラーメンというオリジナル(技術の文化子)を生み出し,それを持ってお客さんを捕らえている(消費の文化子の確保)。

尊敬しよう。
(味のほうは他のHPを参照されたい)

ということで,次は晩飯の話だよ。晩飯はずっと前から「割烹青柳」に決めていたので予定どおり青柳へ向かう。
お目当ては「オコゼの唐揚」だけれども,オーダーは予算だけ言ってお任せとした。

で,はっきり言おう。
この店,物凄〜く,うまいぞぉ!

青柳で飯を食ったことを一生誇りにしてもいい店である。

特に,お目当てにしていたオコゼの唐揚は絶品!なんだなぁこれが。
毎日食べたいぐらいにうまい。からっと揚がっていてね,バリバリと頭から尻尾まで全部食べる。

そのほかの料理もしっかりしていてね,メバルの煮付けなんて涙チョチョ切れものだし,変わり茶碗蒸し(卵はまるのまま,餅入り)は,思い切りぐちゃぐちゃにして食べるとうまい。

そしてとどめは,うに飯だぁ。
なんだ,このうまさは。。。

うに+卵黄というシンプルな組み合わせである。
これをざくざくとご飯と軽くかき混ぜて,すばやくかっこむ。→うますぎである。

四谷の「後楽」のうにで(それも山盛りにして),これを作らせたら,強烈にうまいだろうなぁ,と阿保なことを考えながら尾道の夜は過ぎていった。

それから,箸休めに出てきた,干し柿と柚子を巻いたお菓子。
これがね,天丼では,てんぷらになってご飯の上にいたのよ。

これはうまいのよぉぉぉ!
ということで,はじめてきた尾道はうまい処だ!ということを確認した。

ところで,食い物の話ばかりで,昨日の講演会はどうだったかって?
早速,受講者の方からメールが届いていたのでそれを紹介しておこう(昨日は亀田尾道市長とも対談の時間があったので,その時の話はまた改めて)。

桃知様
はじめまして!
尾道で講習を受けた○○といいます。
○○株式会社という○名ほどの
小さな会社のニックネームは専務です!
ピンクヒップ先生は物足りない講習だったと思いますが
専務は感動いたしました!やはりこれからは
自分の経営を心掛けなければならないと、強く思いました。
家電製品からの流れでメーカーに頼りきりの経営でしたので
新築電気工事や増改築工事の請負の仕事を始めて
このままではいけないと考えてばかりで行動力に欠けている毎日でした。
今日から思い切って真剣にITを含めた経営を心掛け行動いたします!
本当にありがとうございました!

ということで,今日の私。
新尾道 9:25 こだま 614号 福山 9:34
福山 10:03 ひかり 116号 京都 11:32
京都 12:15 近鉄特急(京都−伊勢志摩) 松阪 13:59

松阪では,丸亀産業さんで会議。
終了後,岐阜に移動して岐阜泊。

門倉組の桑山さんと合流する予定になっている。

2002/01/22 (火)  
【袋小路なのかね】

午前6時起床。ホテルの窓から見える(はずの,目の前なのだ)尾道水道も真暗闇で見えず。
日の出が遅い。

さて,入院騒動でペンディングしてしまっていた質問の回答をぼちぼち考え始めようかと思うのだった。
これらは昨年に行った某社での講演後にいただいたもの。

Q:CALSによって、本当に建設業界は自己変革できるとお考えですか。先日のCALSの解釈では、官民のもたれあい、堅固なピラミッド構造は存続しつづけるのではないかと思います。

A:国交省のCALS/ECについては,電子入札,電子納品という局地的,小手先部分での話しに終始しており,おっしゃるとおり,「官民のもたれあい、堅固なピラミッド構造は存続しつづけるのではないかと思います。」という指摘は正しい。

しかし,竹中大臣や先日の荒井”抵抗勢力”広幸議員が言うような,横須賀市方式による(つまり一般競争入札を前提とした)電子入札制度の説得力と破壊力の前では,その存在そのものも霞んでしまっているのが実情だろう。

この考え方の背景にあるものは,『インターネット入札の長所は,従来の手続きを変えてしまうから,談合排除で透明,加えて税金を節約することになる。担当職員を減らすなど,行革プラス財政再建につながるわけです。』『小泉総理の赤字財政再建と景気対策効果の二兎を追うIT(一兎)なのです。』(荒井広幸,『ワレ抵抗勢力ト言ワレドモ・・・』,2001年10月14日,EVIDENCE GROUP 情報センター出版局,201項)というような,きわめて市場原理に忠実なガラポンシステムに公共事業を打ち込まないと,公共事業はどうしようもないぐらい「悪い」ものなのよ,という空気の支配によるものなのだろう。

たしかにねぇ,最近の加藤紘一議員秘書にかかる問題なんか見たら,いくら私でもめまいがする。
昨日の中国新聞の夕刊には,「加藤王国崩壊の危機 山形」という刺激的な見出しが強烈だ。

その一文を紹介しよう。(中国新聞,2002年1月21日夕刊)

『国税幹部は「九三年のゼネコン汚職で,それまでのゼネコン幹部が努めていた仕切り屋が空席となったところに入り込んだのが国会議員秘書,法改正で秘書ができなくなっても,今度は役所のOBが同じことをするだろう。公共工事受注のシステムそのものを変える必要がある」と指摘する。』

『ここ数年,売り上げが毎年20%ずつ落ち込んでいるという地元の中堅土木会社社長は「目の前に仕事があって,確実に取れると誘われれば,どの業者だって金を払うよ。おれもだ。」』

『ある地元首長は「加藤さんは党内の権力闘争に巻き込まれただけ。秘書が選挙区の工事に口利きするのは永田町の常識だろ」と話していた。』

こんなのがマスコミを通じてがんがんと世間一般に流れるわけだもの,そりゃ抵抗勢力を自認する荒井先生でも(著書を読む限り,荒井議員は反グローバリズム,反アメリカリズム,反市場原理ではあるが),公共事業は極めて市場メカニズムに忠実な「横須賀市方式」で,となってしまうだろう。

彼ら(抵抗勢力)にとっても,公共事業は擁護すべき対象から外れているのだ(荒井議員は郵政民営化問題に関しては,反対の立場からその持論を展開するが,公共事業に関してはそのかけらも見られない)。

そりゃ,こんな汚職の構造に下手にかかわれば,自らの政治生命さえ終焉させなくてはならないどころか,自らのキャリアの終わりを汚点を持って閉じなくてはならない可能性が高いのだから(加藤紘一氏はこれまでだな),まっとうな精神の持ち主はそう考えるだろう。→荒井広幸議員はその意味まっとうな精神の持ち主と言えるかもしれない。

つまり時代の空気(ミームって考えていいんだよ)は,確実に今までの公共事業システムを追い詰めているってことだ。
それもガラポンに向けてだな。

問題は,公共事業(正しくは既存の公共事業システム,公共事業がいらないなんて本当に思っている方々は少ないはずだ)は,多くの国民を敵に回してしまっている,ということなんだ。

だから,私はCALSを信じたのだよ。そもそも私がCALSに興味を持ったのは,いずれ(こんなに早くそうなるとは思っていなかったが)公共建設市場は,今抱えているような(構造的な)問題で立ち行かなくなってしまうことは目に見えていた,という部分からだ。つまり業界で働いていながらもかなりの違和感を感じていたということだ。

→多分このままいつまでもすべてがうまくいくとは思えない。
→が,解決策も見つからないだろう。
→であればCALSの持っている市場原理重視のガラポン浄化作用に期待しよう。
→まあ,正直に言えば,当時の私の考え方は今の荒井議員と同じような考えだったわけだ。

しかし,人間,同じことを5年も考えていりゃ,少しは利口になってくるらしくて,以下のように考えるようになったわけだ。
桃知の転向でる。

その(ガラポンの)最終的な結果として,多くの建設産業従事者は自らの雇用を失うような事態に見舞われるだろう。そして,一度失われた生活基盤としての雇用は(建設雇用という特化した雇用という意味での不熟練雇用ゆえ)回復すること(他産業への雇用の移動)は困難だろう。それは貧困層の増大をもたらし,国の経済を確実に弱体化する。

→というような反市場主義的見解と(多分建前だけだろうが)+自分とこの省益を,公共事業批判と天秤にかけながら(って省益重視だろうな)で止まっているのが国交省のCALS/ECなわけ。
→なので,横須賀市方式の肉食人種的ノリに比べたらインパクトは弱い弱い。

なので,私の提唱しているCALS(つまり自治体CALSだ)は,自治体ベースによる情報化政策(産業構造の変更視点)と結びついた建設産業再構築政策としての可能性を目指す作業となるのである(それは既にCALSの概念を大きく逸脱していることは認めるし,そのために国交省のCALSのキャッチアップに過ぎない,今のCALSの地方展開に忠実な行政担当者の理解の範疇を超えている。つまり理解できない。)。

その背景にあるのは,建設業界の自己変革能力(つまり環境変化に対する適応能力)の欠如という認識である。これは市場メカニズム化における,コア・コンピタンスとしての業界(企業)ミームの欠如という問題であり,その問題解決の答えは自己変革でしかないことも確かなわけだ。

しかし,私はそこ(自己変革)には外圧が必要なのだと理解しているのである。つまり,思考停止,イマジネーションの欠如がはなはだしいのがこの業界の特徴なのだが,その閉塞の打破には外圧はどうしても必要なのである。悲しいかなではあるが。

そこで,その外圧の問題となる。それは,本来,公共事業の真の発注者としての国民(つまり,公共工事はだめというレッテルを貼り付けているミーム,空気の主)なのであるが,このことさえ,当事者の方々は理解困難な事実なのか,知っていても知らない振りしいているわけだからどうしようもない。

→しかし,その空気を変える作業こそが公共工事の変革作業としての自治体建設CALS/ECの役割でしかない。

なので,私は,公共建設市場の当事者の皆様は,空気の存在を知らない(知ろうとしない)という事実の認識から出発するのであり,私の考える自治体建設CALS/ECは,開発主義(村上泰亮)的アプローチを持って,ネポティズムにとらわれない官僚主義(つまりCALSだよ)を想定することになる。

だが,この部分に対する批判は既にあきらかなのだ。
つまり,ネポティズムにとらわれない官僚主義を想定すること自体が無意味(期待するほうが無理)だということだ。

この意見は悲しいかな正しい。

→なので私のアナログな活動は,ほとんどこの部分に費やされているといってもよい。
→なぜなら,ネポティズムにとらわれない官僚主義を担う方々(つまりお役人さまだよ)は,このサイトを読んだりしないのだ。デジタルはお嫌いらしい。アナログに付き合うという作業が必需なのである。

→ついでに,私の事業者団体ベースのIT化とは,個々の企業の変革の機会の提供や業界団体の役割の変革にとどまることなく,受注者側の変革か発注者側の変革を試みる作業でもある。ということを理解されたい。

しかし,それでも,今回の質問にある「官民のもたれあい、堅固なピラミッド構造は存続しつづけるのではないかと思います。」という指摘は正しいのかもしれない。

それは,最終的には,地方公共団体の官僚(つまり地方公務員)の危機感,「公共」意識の欠場ゆえだろうと思う。

たとえ横須賀市方式を採用しても,競争の荒波(私はこれを「競争の洗濯機」と呼んでいる)に投げ出されるのは受注者だけなのである。電子入札が採用されて担当職員が減ったとしても,そえれはその職員が職を失うということではない。彼(彼女)は別の部署に移動して別の仕事をするだけである。つまり,職を失うかもしれないというリスクは発注者側にはなく,常に受注者側に働くということを理解すれば,発注者側の無気力を理解するのは十分かもしれない。

しかし,私は相互作用を信じる。
ミームは複製子である。変わろうとするものが一人でも存在し,そのミームを発信している限り,その複製の可能性はゼロではないのだ。

そういう意味でも,荒井広幸議員,貴殿の著書は,「まあまあ面白かった」だったぞ。
でも,もう少し建設業のことも考えてくれ!
なので,評価は60点だ(大甘だよな)。

2002/01/21 (月)  
【尾道着】

朝から,肛門科でお尻の消毒をし,尾道まで移動。
ホテルへチェックイン後,尾道駅北側にあるコラッジオという伊太飯屋で晩飯を食べた。

うまいぞ!ここは。

とにかく尾道は遠いのよ。自宅を出てからホテルまでの所要時間は約6時間だもの。
お尻は限界近いしねぇ。

ということでわたしゃ寝るのだ。

ああ,今日福山駅で,尾道行きの鈍行新幹線待ちの時間調整をしている時間に発見した,RailStarのポスターに書いてあった歌。

いつまでも
絶えることなく
ともだちでいよう

今日の日は
さようなら
またあう日まで

つい,口ずさんちまうんだよな,この歌。
気分はウィーン中年合唱団で,しっかり歌ってきたぞ。

しかし,ああ,眠い。。。

2002/01/20 (日)  
【公共建設市場変革のパラメータと企業のミーム】

『市場とは,貨幣を媒介としつつ,右で述べた経済的交換が一つの束を形成したものである,と定義しても異論はないだろう。市場交換とは貨幣的交換なのである。だが,問題はその束ねる力の源泉である。一つの源泉はたしかに貨幣の存在で,貨幣が存在すればこそ,互いに相似たさまざまの経済的交換(正確にはその可能性)を一つの尺度(貨幣との交換比率という尺度)で表現して利益不利を比較し,最も有利な交換を選択してことが可能になっている。しかし,貨幣だけが束ねる力であるというならば,およそ貨幣経済に属するすべての経済的交換が束ねられる(同じ尺度で比較できる)という以上の結論は得られない。たとえば鉄鋼業とか,化学産業とかいった個別産業が成立してくるためには,それらを各々束ねるもう一つの力がなければならない。それは,広くいえば文化子であり,典型的には技術という名の文化子である。』

『経済的な問題に関するかぎり,文化子としては,技術の文化子と,それに加えて消費の文化子の二つを挙げれば十分だろう。』(村上1994.143項)

ということで,これを公共建設市場で考えて見ればどうなるのか,というアプローチはどうだろう。というのが今回のテーマだ。

→ここでいう「技術の文化子」とは,『たとえば,技術の文化子は,科学理論という大範囲のレベルの文化子からはじまり,基礎技術の文化子,応用技術の文化子などの形をへて密画化しつつ,ようやく商品化のレベルにたどりつくのであり,最終的な形ではノウハウ,関連する組織の形成などと一体化しているだろう。』(村上1994.144項)というようなものである。

たとえば,私の公共工事の定義に「誰でもできるから公共事業」というのがあるけれども(これは,関係者各位にはあんまり評判はよくないのだ。→まあ,あたりまえだけれども),ここにも当然に技術の文化子は存在する。つまり「誰でもできる」という技術の文化子が存在するわけだ。

でも,こと地場型中小建設業がターゲットとするような公共建設市場における技術の文化子というのは,発注者が発信元のミームであることが特徴であるといえるだろう(この部分をくどくど説明しなくても理解可能ですよね)。→これは,公共事業という公共性の高い経済取引をする場合に,成果品の品質をある一定のレベルをクリアするようにする手段としては有効な手段ではあろう。

(地場型中小建設業がターゲットとするような公共建設)市場を形成する技術の文化子の発信元は,受注者側,つまり地場型中小建設業側にあるのではなくて,発注者側にあるということで(技術の文化子が消費の文化子の発信側に存在してしまっているように見える),その市場に立脚する地場型中小建設業(というかなり巨大な産業)は,民間企業(民間企業なのだよ)としては,きわめて特異な存在である。という問題が表面化してくるだろう。

つまり,これはなんか変だ,と皮膚感覚的に感じるのが,多くの方々(国民の皆様)の率直な感覚だと思うのだ。本来,技術の文化子の発信元は,個々の経済主体としての企業(個人の場合もある)でなくてはならないじゃないか,と普通は考えられるわけだから。

この考え方は,国民の皆様を覆う「空気」に,市場メカニズムのミームが支配的であればあるほど説得力を増す。つまり,じゃなかったら企業なんて成り立たないはずじゃないか,という意見が多数を占めるわけだ。

たとえば,企業のコア・コンピタンス(この概念も「競争」を前提としたものであることに注意)というのは,各々の企業の技術の文化子の差異が市場にどの程度受け入れらるのか,というところを,購入側がメトリックとなることによって成立する考え方である(つまり,技術の文化子を基にした消費の文化子のシェア獲得能力だということだ)。

しかし,公共建設市場を別の視点から見ると,こうは考えられないだろうか。つまり,発注者は常に,対国民に対するサービスの提供者としての売り手と,そのサービスを実現するための手段を購入する購入者としての性格を有していると。

多くの受注者(地場型中小建設業)が顧客(つまり消費の文化子の保持者)だと理解している発注者とは(対国民に対しては),実はサービスの提供者としての売り手でもある。そうだとすれば,発注者が技術の文化子の発信者であることも理解できなくはないだろう。

この場合,この両極の間には以下のようなトレード・オフの関係を見て取れないだろうか。

1・サービス提供者としての「売り手意識」が大きくなれば,建設業界に対しては,発注者というよりも「買い手」としての性格を大きくする。

2・逆にサービスの提供者としての「売り手意識」が小さい場合,建設業界に対しては「従来型の発注者」として振舞うと。

これを技術の文化子という視座で見れば,

1・発注者の国民に対する売り手意識が大の場合,技術の文化子は自己以外の他者に依存する傾向が強くなる。

2・逆に売り手意識が小さくなれば,技術の文化子の他者依存は小さくなる。

つまり,この相反する性格の二極化の振れ,つまり,売り手としての立場に重きをおくのか,それとも買い手としての立場に重きをおくのか(100:0というのはないだろうから),というパラメータのゆらぎによって,地場型中小建設業がターゲットとするような公共建設市場の性格(市場規模・市場が持つ目的)は揺れ動くのではないか。(ここで「市場が持つ目的」という言葉を使ったが,それは,公共建設市場が極めて政治的・政策的な目的の産物であるからである。)

これらはどういうことかというと,たとえば,小渕政権下での地場経済の活性化と雇用の確保を目的とした財政発動を(極端な)例とすれば,この状況下における市場の「気分」の振れとは,技術の文化子は二次的な問題でかまわないのだ。つまり,発注者は建設業界に対しては従来型の発注者としての性格を大きくし,発注者が発信元のミームである「誰でもできる」という技術の文化子が支配的なミームが地場型中小建設業という「産業」を席巻する(村上の言葉で言えば「束ねる」)。

一方,小泉政権下における緊縮財政という状況下における市場の「気分」は発注者側の買い手の性格を大きくする,ということだ。たとえば,民間技術力の導入を大義名分にした「性能規定発注方式」の採用などを例にだせるだろうし,CALSはそもそもこの文脈で機能するものでしかない。

→ものをつくるから買うへの発注者視点の変化。

それじゃ,この発注者の振れのパラメータを変化させる(左右する)根源とは何かといえば,それは,その時代の「空気」,つまりその時代に支配的な消費の文化子に他ならない。ということであろう。

つまり,地場型中小建設業がターゲットとするような公共建設市場(大雑把に言えば,官公需法の範疇にある工事だな,国交省直轄工事はいうに及ばずだ。)でさえ,(広義な)消費の文化子が,その市場形成にいおいて支配的な役割を占めている,とは言えないだろうか。→私はそう考えている。

この文脈の理解とは,公共事業依存型の地場型中小建設業が,自らの市場(つまり,自らを取り囲む環境)変化の根源が,(たかだか?)時代の「空気」の変化,つまり消費の文化子の変化(進化)にあると理解することである。

→つまり,地場型中小建設業の本当の顧客とは,国民なわけ。というのが私の主張なわけ。

ここまで理解できて,それじゃ,その(というよりも今の時代だな)公共建設市場を形成している消費の文化子ってなんなの?っていう話がようやくできるわけでね,それはたとえば,今現実的に公共事業関連予算を削減しているものが,実は今という時代の「空気」(つまり今の時代の消費の文化子)であるということを意識するということになる。ということだ。

またまたコア・コンピタンスを引っ張り出すが,これを,この文化子を視座として考えると,ふつう,コア・コンピタンスっていうのは企業固有の技術的な文化子だと解釈するのだろうが(その解釈は間違いではない),私が「コア・コンピタンスは市場の要求にしかない」という言葉を使うとき,それは消費の文化子の獲得作業,もしくは消費の文化子の創造作業ということを意味しているということなんだ。

そして経営とは,自らのミームをもって,消費の文化子のシェア獲得量を増やす作業である。
ゆえに,その根源(エンジン)こそが,御社の技術の文化子でしかない。ということでもある。それは単に技術力というような狭い理解のものではなくて,そこには社風とか会社文化と呼ばれるようなものも含まれる。つまり『最終的な形ではノウハウ,関連する組織の形成などと一体化している』ということだ。

すなわち経済主体としての御社のミーム(文化子)は,どれだけ,消費の文化子のシェアを創造しているのか,という命題こそが経営の本質である。

→つまり,地場型中小建設業としての御社としてのコア・コンピタンスとは御社のミームでしかないのよ。

このミーム(が何でもいいわけではないのは理解しましたね)が,御社に存在するのかというのが,次のステップなわけ。
つまり経営理念とかなんとかいうやつだと思ってもらってもいい。

そして,そのミームのプールは,人間の脳味噌とデジタルなわけで,社内におけるミームの形成はコミュニケーション(リアルでれデジタルでもあれ)でしか行われないことを理解しなくてはだめなのだよ。

→つまり,それがIT化の必要性を担保しているということだ。

P・F・ドラッカーの有名な言葉「経営とは顧客の創造である」も,この消費の文化子を視座として理解すればわかりやすいだろう。

2002/01/19 (土)  
【進化の本質(草書その1)】

もう土曜日だよ。全く一週間なんてあっというまに過ぎてゆく。「光陰矢のごとし」とはよく言ったものだが,今じゃ矢なんてね,だれも持っちゃいないよ。たとえばボーガンなんか持ってあるいていたら,あっというまに「危ない人」のレッテルを張られてしまうだろうね。

まあ,矢なんてね,今じゃ弓道部員ぐらいしか射ることはないだろうから,それがどれぐらいのスピードで飛んでいくのかなんていうのは想像の世界でしかないわけだ。

だから,たとえばね,光陰シューマッハのごとしとか,光陰ADSL(遅いときもあるなぁ)のごとしとかいうのが今風かもしんない。と馬鹿みたいなことを考えていた。

こういん(クワウイン)【光陰】
〔「光」は日、「陰」は月の意〕再び元に戻ることの無い、時の流れ。
用例・作例
―矢の如(ゴト)し

Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

さて,今日は昨年亡くなった婆の法要があるので,お尻の処理をしてからちょっと行ってくる。
光陰矢のごとしだなぁ。

さて,昨日の【繁文縟礼(はんぶんじょくれい】の続きを書こうかと思うのだが,つまり,進化の本質と言う部分だ。
ここで文化子(ミーム)と情報の話が出てくるのね。

たとえば環境変化への適応力っていったら何かといえば,わたしゃミームの持っている複製能と,その突然の(それこそ予想不可能な)複製の失敗にあるんだろうなぁと思っている。

これが変化の根源て言うか,進化の根源だろう。
なので,以下,村上泰亮の反古典的方法によってこの部分をまとめてみよう。(以下 『反古典の政治経済学要領』「第五章 反古典的方法序説下」を参照してね。)

村上の生物学的アプローチは,産業化を「社会的交換」という視点から再構築するのだけれども,まず,これは「自己」,つまり自分てなにね,と考えるわけ。

ここで(なぜか)「自然」という言葉の使い方を約束してしまう。

それは,自分は自分の心 mind と身体 body とを区別できるものとし,身体の方を「内的自然」,他方,他人の身体と事物とを「外的自然」と約束してしまう,というもの。

さらに,『個々の人間は,自分と,他人と,それ以外のもの(これを以下では「事物」と呼ぶとに働きかけ,それらに働きかけられることによって生きているといっていい。』(村上1994,129頁)と解釈するわけね。

つまり,『個々の人間は,自分と,他人と,それ以外のもの(これを以下では「事物」と呼ぶとに働きかけ,それらに働きかけられることによって生きているといっていい。』っていうのが「相互作用interaction」なわけで,つまり,相互作用っていうのは,「自己」自身、「自然」,「他人」の三者と相互に作用し合うものとするわけ。

さらに(やや強引気味にだな),ここで扱う相互作用の範囲を決め付けちゃうわけだ。
それは,村上泰亮の反古典的方法では,自分と他人との間の相互作用の関係を考察の対象とする,と言うことなんだけれども,つまり,『主体と主体の間の「結びつき coupling 」の関係,つまりネットワークである。』(村上1994,130頁)ということになるんだ。

まあ,これは当たり前といえば当たり前のことだよね。
たとえば,ビジネスって結局は人間同士のものじゃない,ってことだ。

で,この相互作用(ネットワークと言ってもよいのね)には,二種あるとしちゃう。
A・物的相互作用(直接的身体交渉:性行為,手を貸す,殴る,殺す。事物のやりとり:交換の主要素)
B・情報的相互作用(言語のやりとり,表情,身振り,画像,音楽)

さらに情報的相互作用は,
第一種の情報(手段的・部分的情報・科学的・専門的・超越論型,密画的:超越論的な枝の情報)
第二種の情報(本質的・総括論的情報,生活史的・歴史的,解釈学型,略画的:解釈学的な蔓の情報)
に分類される。

『手段的情報とは,何か他の目的のために役立つ情報を,
本質的情報とは,それを持つこと自身が値打ちを持つ情報』(村上1994,133頁)ということ。

→このあたりは,私も理解に苦労したところなので,詳しくは『反古典の政治経済学要領』「第五章 反古典的方法序説下」を読んでね,としか今の私の能力では書けない。

つまり,ネットワークとは,複数の主体(個人や複合主体)が相互作用で結びついたものなのだけれども,このネットワークの特性を読み解くには,相互作用が,少なくとも3種るある理解してね,と村上は言うわけだ。

A・物的相互作用
B・情報的相互作用
    第一種の情報,超越論的な枝の情報
    第二種の情報,解釈学的な蔓の情報

で,この相互作用が束となって一つの具体的な行動の型を形作り,『そのような行動が遂行されたとき,ふつうそれは transaction と呼ばれる(したがって,これを取引と訳するのは実は狭すぎる)。』(村上1994,137項)としているんだ。

つまり,村上は,社会を支えているのは自発的な相互作用(の束)だと言い,その中で最も重要なのは「交換 exchange」であるとするのね。で,この交換を二種類挙げる。

つまり,「社会的交換」は「情報的相互作用で第二種の比重の高いもの」であり,「経済的交換」は「情報的相互作用で第一種の比重が高いもの」と定義しているんだ。

より直接には、後者が貨幣価値(価格・数量)で表示される債権・債務関係とすれば,前者はそのような「特定化されないunspecified返還義務によって定義されるのが普通である」(村上1994,140頁)としているんだけれど,ここが肝要なんだけれどもね,実際の社会では第一種情報と第二種情報の性格を混合させてもつ中間的な交換形態が多いだろう。と言うわけだ。

と,ここまで書いたところでタイムリミットだ。
なので,これは(草書その1)なわけね。

ここまでの記述でも,我々が情報化と言うときの情報には,「超越論的な枝の情報(第一種)」「解釈学的な蔓の情報(第二種)」と出てくるわけね。

で,私がIT化というときには,実は「解釈学的な蔓の情報(第二種)」を重視していくのだけれども(それもデジタル情報に置き換えられないものだったりする),それは例の分化子 meme の存在が意味を持ってくるからだよ。

会社,組織っていうのは「複合主体」なわけ。
で,結論からいうと,「文化子が市場を作る」(村上1994,143項 第十八のお題だ!)のだね。

このあたりは,(草書その2)で多分書くのだろうと思うが,忙しいと書かないかも知れない。
このあたりに興味のある方は,(時間が許せばだろうが)24日に大垣までおいでください。

2002/01/18 (金)  
【岐阜県における民間住宅工事の電子入札公開実証実験概要】

岐阜県建築士事務所協会の向井会長より,「岐阜県における民間住宅工事の電子入札公開実証実験概要」の案内が届いたのでご紹介。

               岐阜県における民間住宅工事の電子入札公開実証実験概要
                            −ご案内−

各位                                     (株)向井建築事務所  代表取締役 向井征二
                                      (社)岐阜県建築士事務所協会 会長 向井征二

 我々建築士事務所は、かねてより建築主の利益保護を目的として、改正建築士法にある設計、工事監理の充実に誠心誠意努めているところです。
 しかし、私共も、設計・工事監理の内容・建設費の内容等、建築主に対する説明義務の遂行が必ずしも充分とは言えない部分もあり反省しております。
 このように、従来ややもすると実践し難かった「公正で対等な競争」と「透明性の確保」を通じての「建築主の満足度達成」と言う課題に対して、ITを活用することによる改善が可能となってまいりました。
 この分野でのIT活用とは建設CALS/ECに代表される仕組みの導入であります。
 この建設CALS/ECの実施については、県発注の公共土木工事の電子入札実証実験、建設CALS/EC運用の重要な基盤となる岐阜県建築士事務所協会や建築工業会を初めとする業界諸団体や関連企業各社でのイントラネットの活用、また、建築現場コラボレーション・ツールの実証実験などがなされ、建設産業のIT化では岐阜県は最先端を走っていることは周知のとおりであります。
 このような、素晴らしい岐阜県建設産業界ではありますが、民間建築工事のプロジェクトでは「公正で対等な競争」と「透明性の確保」を担保した電子入札を活用する場が存在せず、建築関連企業はその有効性が理解できない状況にあります。
向井建築事務所では、全国に先駆けてIT化の充実した岐阜県建築士事務所協会の会員にも「公正・対等・透明性の確保」による電子入札を広める為、民間の建築電子商取引市場である「CMnet<http://www.cmnetcorp.com>」の場を利用して、実際の木造住宅案件「尾崎の家」の電子入札を公開の場にて実施する事とし、建築主に対するサービスの向上に寄与したいとおもいます。

 当日は公開入札に先立ちまして、
  @電子入札までの経緯と設計マネージメント方式について、
  A民間の建築電子商取引市場である「CMnet」の概要について、
  B電子認証の概要とその必要性について、
  C今後の岐阜県民間版建築CALS/ECの運用について、

のご説明を通してご理解をいただいた後、実際の「電子入札」をプロジェクターで投影して公開する予定です。
 今回の公開電子入札は、岐阜県のみならず民間建築工事全ての施工業者選定方法の改善に対する提案でもあり、この方式を通じて優良な建築士事務所や施工業者、技術者/作業員個人を発掘し、高い品質の建築を目指そうとしています。

                                                                    以上
                               記

              日 時   平成14年1月24日 14:00〜16:00
              場 所   ソフトピアジャパン・ドリーム・コア内
                     全国マルチメディア専門研修センター 実習室4

この日は,私もドリーム・コアにいるので(岐阜県建設CALS/ECセンターさんのセミナーだよね),ちょっと顔出しをしたいと思う。



【繁文縟礼(はんぶんじょくれい】

〔「縟」は飾りが多い意〕規則・礼式などが、こまごまと決まっていて、めんどうなこと。

Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

例えば,こんなふうに使う。

『進化を進歩とみる理由はあるのだろうか。改めて検討してみよう。よく聞くのは,「組織の新奇さ,多様さの増加が生じる」のが進化だという言い方である。しかし,単なる複雑性の増大は進歩ではない。繁文縟礼という言葉もあるように,複雑さそれ自体に意味がないことは明らかである。』(村上泰亮,『反古典の政治経済学要綱』,1994,117頁)

と,いうことで,その(上の文の)続き。

『この議論を補って普通言われるのは,複雑性の増大は環境への適応力の増大を意味する。という議論です。しかし,生物個体の生命は短く,その経験する環境は小範囲である。ある時代,ある地域に適応した生物は,その適応のためにあえって次の時代には失敗するかもしれない。複雑性と適応能能力とで最高だと自認してきた人間は,今や動物的能力の点では多分多きく衰退している。それを補うと期待されているのが知力だろうが,人間の知力の視角(世界観)が肝心の点で見当違いであれば,人間の次の時代への適応は怪しげなものである。』(村上1994,117頁)

その時代の環境への過度の適応は環境変化への適応能力をむしろ弱めていると言うことなんだけれども,地場型中小建設業に代表される衰退産業というのは,この文脈の中で(今という変化の中で),「次の時代への適応は怪しげなものであ」りつづけているということだろう。

→だから大事なことはその変化の本質を理解することだろう。
 →この変化の本質とはなにかはここではふれない。答え(というか私の見解)はこのサイト中にに溢れている。

→そして,地場型中小建設業が自ら進化しようとするならば(あきらめている方々と遊んでいる程,私は暇ではない),進化というものの本質を理解する必要があるかもしんない。

こういう作業を皆さんはしているのだろうか?
陳情しようが,泣き付こうが,誰も助けてくれないのが今の時代の空気なのにねぇ。。。

話は横道にそれるのだが,高橋さんとこ(羅針盤)に,面白い話題が載っていたので拝借させていただく。
高橋さんによれば,荒井さんという国会議員(自民党・抵抗勢力と自分で言っているらしい)が,あるTV番組でこういったそうだ。

「何も,公共事業がこのままで良いとは私も言っていない。例として・・・(この間,用意したプレゼンボードを出す)小泉さんの出身である横須賀市は,電子入札等で事業費が15%も削減された。これを公共事業費(合計37兆円)に当てはめると5兆円削減できるんです」

「私達はこれをやっていこうと思っているのですよ。だから抵抗勢力は何も考えていない訳じゃないんだ」

この発言だけでみれば,この方は自らを抵抗勢力と呼んでいるようだが,とてもそんなものではなくて(私から見れば)立派な小泉シンパサイザーである。
※ シンパサイザー
〔sympathizer=同情者〕 特定の政治運動・労働運動などに共鳴し、陰で後援する人。シンパ。〔狭義では、左翼的・急進的な運動へのそれを指す〕

Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

例えば,自民党内でこういう方々が抵抗勢力の実体であり,今,抵抗勢力と呼ばれる方々が,皆さん,この荒井さんが言うように,「公共事業は横須賀市の電子入札に限る」という意見で一致しているのだとすれば,自民党はニューライトだらけの本当の保守政党だということにならないだろうか。

→ここでいう保守とは(例えば田中角栄を代表とするような,自民党の一般的イメージである)「ケイジアン保守」ではないのだよ。
→田中角栄のいうような「財政を発動して,雇用を守れ」というような政策は,例えば欧州であれば社民の政策なのね。自民党はそれを保守の中で作りあげたことで特異な存在だったわけ。

『小泉純一郎というのは,表裏のない本当に素朴なニューライトで,時代錯誤で融通がきかないという,その二つが重なっているから始末におえないんです。』(金子勝,佐高信,『誰が日本経済を腐らせたか』2001年11月15日,毎日新聞社,41頁,金子のことば)

私は抵抗勢力とはケイジアン保守の方々だと思っていたのだけれどもねぇ。。。
これじゃ,ケイジアン保守VSニューライトという自民党内部対立の図式がかけないじゃないの。

→荒井さんの言っていることはきちん理解して反論したいと思うので,とりあえず,『ワレ抵抗勢力とイワレドモ・・・』という本をアマゾンに注文してみた。なんかもったいない気もするが。。。

つまりだ,地場型中小建設業の頼みの綱である自民党のセンセイ方が,皆さん(つまり抵抗勢力と呼ばれている方々も含めて)ニューライト路線に同調しているとすれば(まあ,同調しているふりというのもあるか),「私達はこれをやっていこうと思っているのですよ。だから抵抗勢力は何も考えていない訳じゃないんだ」という荒井さんの文脈で,公共事業はひたすら悪者に仕立て上げられている。ここでの公共事業は,国民を貧乏にした格好の(仮想)敵役となっている。

こういう時代の空気とも呼べるものを,抵抗勢力(といっている方々)も,マスコミと一緒になって作り上げてしまっている。
小泉内閣はいまだに支持率が70%を超えているなんて,私には信じられないのだが。

この状況(環境とよんでもよい)は,多くの地場型中小建設業から,食物を奪い取っているようなもので,これこそが変化の正体であろう。(変化の正体は書かないと書いたのだけれども,つい書いてしまった。おかげで話が長くなってしまった。)

つまり,私の言い方だと,経営が上手くいったとか失敗したという時の差というものは,たかだか,環境変化(単なる環境ではなく環境変化であることに注意)への適応能力の差であるということなのだが,強調したいのは,それ変化への適応という部分なんだけれでも,今回の変化は食物の変化若しくは減少のような気がしないかい。

つまり,今まで公共事業依存という草食動物が,草がなくなったので,なにか別のものを食べなければ生き続けることが出来なくなってきた,というような状況を想像して欲しい。

だからといって,肉食(民間建設工事)動物になるのか,雑食にでもなるか,といわれれば,食べるに値するお肉はまだ数も少ないし,多くの餌の皆さんも(設備投資能力という意味で)やせ細っている。つまり自ら(民間工事を出してくれる餌の皆さんね)の餌も足りないので餌探しに外国へいっちまったか,その元気もなく死期を待っているというところだろうか。

つまり,これってデフレスパイラルだよね。
だから私はデフレは嫌いだと先日書いた。

と,ここまで書いて疲れた。
これから二日ぶりに肛門科へ行かなくてはならない。肛門が痒くてしょうがないのだ。(笑)

なので進化の本質論は次回。

2002/01/17 (木)  
【病人の忙しい日々】

午前4時に目覚める。昨晩は午後9時には床に就いたので,7時間は眠っているのだから,まあ,問題はないだろう,とは思っているが,そろそろ本格的に体調を整えていかないといけない。

病み上がり(というよりもまだ立派な病人である)というのに,私の予定表は,今月後半からは「とまらないよ〜」状態になってしまている。

多分,病状は相当に回復しているだろうという,甘い読みがあったのは確かだ。
それから昨年末のキャンセルの穴埋めも急ぎやらなくてはという焦りもある。

ということで,来週21日(月)は尾道へ移動する。22日(火)は尾道で講演。初めての広島県での講演なのだなぁ。
しかしだ,尾道は蕨からはかなり遠くて(九州や北海道へ行くより時間的には遠いのだ)結局二泊することにした。

23日(水)は尾道から松阪へ移動し,松阪の丸亀産業さんで会議。
これは暮れの入院で先延ばしになってしまっていたもの。。。ご迷惑かけっぱなしなのである。

松阪での会議が終わればすぐさま岐阜へ移動し,岐阜泊となる。
岐阜で門倉組の桑山さんと合流し,24日(木),午前中は内藤建設さんで打合せ,その後岐阜県建設CALS/ECセンターで桑山さんと一緒に講演(私の演台は楽しいイントラネット)という段取り。

→ところで,この講演会,まだ申込は大丈夫だと思う。
→イントラネット構築で迷っている方は是非参加しましょうね。

→講演の順番なのだけれども,私が先にやろうかなぁ,と思っている。
→メインは桑山さんだもの(桑山さんどう思う?)。

24日の講演が終われば急ぎ蕨に戻る。
25日(金)は盛岡へ向い,午後から岩手県の業界の方々向けの講演3時間。

→ようやく大ちゃんとも会えるようなので楽しみにしているぞぃ。
→当然に盛岡泊。冷麺を食べる予定でいたが。。。お尻には大丈夫なのだろうか,という不安がある。

→ということで,この週,肛門科へいけるのは21日の朝と25日の朝ということになる。
→旅の間の処理については病院で相談しないとけいないなぁ。

週があけて27日の夜には京都へ入る。
28日から30日までは京都三連戦(この頃には,お尻は全快の予定だったのよね,個人的な想いでは。。。しかし,本当に大丈夫か?)

月が替わって2月になっても流れはとまらないというよりも,止まりようがないのだ。
入院前からのお約束が目白押しでやってくる。つまり入院のツケはボディブローどころか強烈なパンチとなって効いてくるのだ。

まず,2月1日2日は,岐阜へ移動し,内藤建設さんでイントラネットの勉強会を開催。
4日は鹿島建設さんの名古屋支店で講演,5日は岐阜県建設CALS/ECセンターで太田ジオさんと一緒の講演。

と,その後は。。。まだまだ続くのだぞ〜。おい(って誰に話しかけているのだ)。

こうなるとね,泣き言は言ってられないわけよ。
アドレナリン全開でやるべ。

ということで(どういうことだ?),今日は朝から阿久根建設さんでイントラネットの勉強会。
終了後鹿児島空港まで移動して,15時55分発のJAS便で帰路に着く。

ところでタバコが切れた。
このホテルタバコの自販機が見当たらないのだ。

しけもくでも吸うか,って侘しい。。。なぁ。

追伸:朝食を食べに1Fに降りたら,奥の方にタバコの自販機を発見したのだった。
    いとうれし。

2002/01/16 (水)  
【男の焼肉「うしわか」】

久しぶりの遠出で鹿児島県は阿久根市までやってきたのだ。
鹿児島はとってもあったけーのだよ。防寒着っていうかコートを着ている人なんか皆無だもんねぇ。

午前中は雨が降っていたとのことでしたが,私が鹿児島空港に到着した頃には,すっかり雨も上がっていて,タイミング的にはGoodだなぁ,と一人喜ぶのであった(たぶん,東京は午後から雨じゃないかい?)。

1時間30分ほどかけて,お迎えの車で鹿児島空港から阿久根市へ移動。
お尻の調子は絶好調とはいかないが,機嫌が悪いわけでもなく,まあまあといったところか。

座る角度によっては時々痛みがあるのは,なにせお尻に(通常以外にもう一つの)クレーターがあるわけだから,それは擦れれば痛いわけで,本日の勉強会にもダンロップ製の円座(と言っても四角形なんだけれどもね)を持参した次第。

午後2時から5時まで阿久根建設さんで最初のイントラネット勉強会。
皆さんなかなか手馴れたもので,思いのほかすんなりと進んだんじゃないかと思うのだ。

日本語入力の出来ない方はいないしねぇ(笑)。
Goodである。

勉強会終了後,本日の宿舎の「グランビューあくね」にチェックイン。
部屋の窓には東シナ海が広がっている。わたしゃ不審な船がいないか探してしまった。(笑)

ホテルのシャワーでまずはお尻の処理をして,それから皆さんと阿久根市内の肉料理店「うしわか」で夕食。
なんと,ひれ肉を焼肉で食べた。(生まれて初めてだ)

この店,ものすごく大雑把というか要するに肉がでかい,そして安い,当然にうまい。かといって肉質は良い(鹿児島黒毛和牛)。
狂牛病騒ぎなんか関係ないぐらいにお客さんがきている。

つい立の向こうからはチンチロリンと懐かしい音まで聞こえるし,元気な声もする。という今までにないワイルドな店なのである。
そして,私らはキャベツを青虫のように食べながら,がつがつと肉を食ったわけだ。

久しぶりに男の焼肉といった感じでね,それはものすごく嬉しい店なのである。
そして,肉を食らいながら,これでお尻のクレーターが埋まれば嬉しいのにと思うのだった。



【鹿児島へ行ってくる】

午前5時に起床した。9時30分羽田発のANA便で鹿児島へ飛ぶ。
昨年暮れの入院でキャンセルせざるをえなかった阿久根建設さんでのイントラネット勉強会を本日と明日の2回行う予定だ。

しかし,まだ手術痕の具合は完治はしていないので無理は禁物状態なんだな,これが。
嫌いな言葉だけれど,私のお尻は「痛みを伴う構造改革」をやってしまったわけで,その回復にはやはり時間は必要なわけ。

ということで,朝は忙しいのでまた夜にでも。

2002/01/15 (火)  
【ゴジラを見てきた】

午前中に歯医者と肛門科へ行く。
歯医者は歯磨指導と歯垢の除去作業で1時間30分ほど時間がかかってしまった。

先に歯医者さんから薦められた歯ブラシと歯間ブラシ持参で,ゴシゴシとやってきたわけだ。
まるで小学生みたいなのだけれども,だいたい使っている歯ブラシが,なぜか学童用なのだからね,まあこれでいいのだろう。

私はブラッシングの際の力加減が強すぎるということ。歯ブラシを使い始めて五日ほどなのだが,既に歯ブラシの毛がばらけている。2ヶ月は持たせるようにとのことで,優しくブラッシングする方法を教わったわけ。

そのコツは,歯ブラシの柄をね,鉛筆持ちするという単純なことなんだけれど,これでだいぶ力加減が変わるから不思議。

それから,私は愛煙家なので,歯の裏真っ黒(スモーキング・ブギ)なわけで,今日は,下の前歯3本のヤニ取りをしたのだが,うーん,何十年ぶりかで真っ白の己の歯を見て感動した。舌で触るとつるつるしている。

もう遅いのだろうが,まじめに歯磨きしなきゃだめだなぁと痛感した日である。
「後悔先に立たず」ねぇ。

その後,肛門科へタクシーで飛んでいって,消毒,ガーゼの交換をして,その足で,浦和の映画館にゴジラを見に行ってきた。

今回のゴジラは,立花泰三役の宇崎(スモーキング・ブギ)竜童が結構いい味を出してたと思う。
なんか(私が想像する)軍人らしくなく,なんとなくよかった。

それから,この手の映画(平成ガメラとかミカヅキにも出ているね)には欠かせない,蛍雪次郎もしっかり出ているし,天本(死神博士)英世の怪演も,私ら世代には嬉しい限り。

まあ,金子ゴジラは,個人的には好みじゃない。
スペシャル・エディションのパンフレットの金子監督の話を読むと,(初代)ゴジラが戦争の影をひきづっていると指摘しているが,その辺りがわかっていれば,もう少しSF怪獣映画にしていただければもっと楽しめたのでは思った次第ではある。

多分,今回のゴジラは子供受けは悪いはずである。マニア受けはいいだろうけれども。。。
なにせ,同時上映のとっとこハム太郎が終わると半分ぐらい帰っちゃうのよ,これが。

平成ガメラも似たようなところがあったよなぁ。
昔の円谷プロだったら子供が喜ぶことだったら何でもやるぐらいの気持ちがあったけどもねぇ,と思うのは年のせいか。

私が初めてゴジラを見たのは「南海の大決闘」(ゴジラ・モスラ・エビラ)なわけで,それはなにかディズニーがつくったファンタジー映画のようだったもの。

そもそも円谷英二のつくった(初代)ゴジラは東京大空襲であるという解釈は正しいとは思うけれども,今回は,その原点に戻ったということだろう。破壊のカタルシスは,それこそストレスの溜まった中年受け狙いのような気がした(ということは私はその部分は結構面白がっていたということだ)。

しかし,時代経路を無視した話の展開というのは,見る側のゴジラ・ミームがしっかりしていればしっかりしているほど,話の展開に無理を感じるのだ。

アメリカゴジラをおちょくる余裕は見せながらも,初代ゴジラから,今回の金子ゴジラに突然話が飛ぶ(つまり今回のゴジラは初代から50年ぶりに日本に上陸した設定なのであって,今までのゴジラは全てなかったことになっている)のは,何十年もゴジラを見てきた身にはかなりつらいものがある。

そうしなければ,大和の国の守護神として出てくるバラゴンもモスラもキングギドラの設定も出来なかったのは理解するが,私はその設定事態にどうもなじまない部分を感じていたし,なまじ神話がでてくるとね,ややっぱし平成ガメラを思い出してしまうわけだ。ああ,いつもの手ねと(落胆してるのよ)。

私はバラゴンという怪獣は知らないが,(私の中では)モスラは南の島の守り神であり,キングギドラは宇宙(金星だっけか?)怪獣で,それは例えば究極の悪役(WWFで言えばアンダーティカー)なのだ。

ゴジラより小さいキングギドラなんて。。。
悲しくておじさん眠れません。

ということで,同時上映のとっとこハム太郎は主題歌を(ガキどもと)一緒に歌って,後は爆睡。
3時間以上も座っていたので,お尻の傷が痛い。



【村上泰亮とミームの関係】

まずは,昨日のミームねたの続き。
→昨日の戯言を読んでいない人はそっちから読んだほうが解りやすいと思う。

私がミームに興味を持ったのは,(このHPにはよく出てくる)村上泰亮氏の遺作,『反古典の政治経済学要綱』にその考え方が出てきたから,という単純なものだ。

→村上本を持っている人(これが意外と存在していることは確認済み,本棚の肥やしにしている人は引っ張り出せ),は,第四章 反古典的方法序説 上,第五章 反古典的方法序説 下,をよく読み返してみよう。

『人間社会において進化を支えているものは,生物学者の多くも(例えば正統派進化論の衣鉢を受け継いだジュリアン・ハックスレーも)認めるように,遺伝子 gene の機構だけではない。世代を通じて人間が受け継いでいくものには,遺伝子だけではなく,広い意味の文化がある。文化はさまざまな構成要素から成るが,そのような要素を「文化子ないし模倣子 meme」と呼ぶ人が最近少なくない。』(村上1994 122頁)

→わたしゃ,このmemeを,ずっと「メメ」って呼んでたことをここで白状しておくけれどもね。

村上は戦後日本の産業化の進化を開発主義の進化としている話は,散々ここで書いたから省略するけれども,開発主義を考慮する際の方法論として,経済的交換と社会的交換の峻別、進化論的アプローチとネットワークアプローチを採用するんだ。

→ついでに書くが,村上は産業化と資本主義をイコールとしない。
→『国民国家システムと資本主義は,実は近代進歩主義の理念的・制度的支柱であり,産業化は近代進歩主義の一つの政治・経済的な表出であった。』(村上1994 65頁)

村上は、産業化を「社会的交換」の視点から再構成しているわけで(第十八条 文化子が市場を作る,あたり。。。),従来の市場システムに依存した交換行為は「経済的交換」として社会的交換の特殊ケースと言い切っちゃう。

つまり,反古典な政治経済学なわけ(すまん,強引に書いてしまう。(笑))。
それは,単純バカボン的に単純化された,弱肉強食的進化論を思想的背景とする古典的な経済学への反発なわけだ。

私がこのあたりにこだわり続けるのは,よい経営と悪い経営の差なんて,たかだか市場環境変化への適応能力の差に過ぎないという想いがあるからで,経営は信仰じゃないということだし,市場が文化子によって作られるとすれば,市場の変化とは文化子の変化の表出なんだろうと考えている。

『企業の変貌,そして産業の変貌は,技術あるいは消費の文化子の−とりわけ前者の−保存と変異のダイナミックスを軸とし,文化子間の勢力の交代から新たな弾みと方向を与えられる形で進行していく。』(村上1994 170頁)

こんな考え方を背景に,地場型中小建設業を取り囲む市場と適応能力ってなに?ってことを,うだうだと考えているわけなんだ。

そして,そこでIT化ってなにが出来るのかなってね,その可能性を模索している。
つまり,文化子って情報なわけでね,文化子のことを考えていくと,(広義な)情報化(IT化)に収斂するところもあるわけだ。

勿論,全部じゃないが。

それから,昨日書いたフレーズについて。
「つまり,IT化はミームのプールの変革だともいえるかもしんない。」

インターネットに代表されるデジタルという記憶方法(媒体)をミームのプールの変革と書いたわけ(言うまでもなく,今までは紙主体だったわけね。デジタルは,ミームの新しいプールとして追加された)。

2002/01/14日(月)  
【ミームはポチである】

入院中に(暇に任せて)発注しまくっていた書籍で,お取り寄せ状態だったものが,それこそ毎日毎日,ぽつんぽつんと到着しては,ああ,こんなものも頼んだんだねぇ,と己の健忘症ぶりを再確認している。

そんな中,佐倉統,『遺伝子VSミーム』,2001年9月1日,廣済堂出版,がようやく昨日届いて,ああ,そうだった,ミームだよ,ミームと,一人はしゃいでいたりするのだ。

私は,この本の主役である「ミーム」という概念にかなり惹かれている。
最初に「ミーム」を想定したのは,例の「利己的な遺伝子」の先生であるリチャード・ドーキンス教授。

「ミーム」というのは佐倉によればだいたい以下のようなものだ。

『人間のさまざまな活動や,人間そのものを,遺伝子とミームという二つの情報系の複合体としてとらえることができるということだ。』
『あらゆる生き物は,基本的には遺伝子の乗り物である。だが人間は,遺伝子以外にミームという文化の複製子の乗り物としての機能も持っている。』
(佐倉,P14)

この本は,ミーム概念を用いて「教育・環境・民族対立」についてまじめに考察しているわけで,著者の佐倉さんも東京大学大学院情報学環助教授という(たぶん立派な)肩書きを持ってらっしゃるのだけれども,この「ミーム」っていう概念は多分にSFぽくってね,「とんでも学」っぽいところもあったりして,それがまた,嬉しいところなわけだ。

このあたり,佐倉自身もわかっていて「あとがき」はこんな一文から始まっている。

『ミームは,進化理論や心理学の専門家の間ではどうも評判がよくない。興味をもっている研究者は,どちらかといえば少数派だ。多くの人たちは,ミームの実体としてのあいまいさを批判し,ミーム概念を導入したからといってさして目新しい結論が導かれるわけではないとして積極的に擁護しない。いや,批判する。』(佐倉,P212)

だが,これでめげていてはなーんにも始まらない。

『ぼくはミームという概念の有効性は,定量的な記述や予測などではなく,比喩やアナロジーにもとづく問題発見能力にあると思う。問題「解決」能力ではない。問題のありかを発見し,すばやく警報を発する。ここ掘れワンワンと教える。ミームとは,ポチのようなものなのだ。実際に掘って問題を解決するのは,別の人であり,他の理論であり,違う学問である。』

これは,全く正しいとは言わないまでも,かなり真っ当な考え方だと思う。

私のIT化理論は,人間のコミュニケーションにスポットをあてたもの(重視しているということ)となっていることは先刻ご承知のことだろう。

それゆえに,人と人との共同体としての組織の存在(例えば地場型中小建設業という集団)と,その組織固有の文化的な問題を,IT化の問題として引っ張り出してくる。

それは,企業レベルで言えば,社風とか企業文化というようなもの,地域社会で言えば,地域社会固有の風習や習慣,方言,例えば地場型中小建設業界で言えば,その業界に固有の慣行や習慣,そして精神文化なんだな。

それらは明文化されているわけでもなく,目に見えるものでもないのだけれども,(環境による相互作用を受けながら)そのコミュニティを維持するために(若しくは滅ぼすために)間違いなく(人間の脳みそをプールとして)存在している。

私はそれらをミームとして理解している。
つまり,IT化はミームのプールの変革だともいえるかもしんない。

→このあたりは,佐倉が「メディアのミーム学」でインターネットとミームの新しいプールとしてのデジタルについて述べている。

こうして考えていくと,(仮に)私が中小建設業のIT化という分野で,それなりの評価を受けているとすれば,それは,ミームの概念が,佐倉が言うように,『問題のありかを発見し,すばやく警報を発する』ことを可能としている,という部分にあるのだろうと自己分析ぐらいできるわけだ。

つまり,ITだったらITというような縄張り意識的な専門化・細分化した視点では発見できない,領域を越えた大きな視点を持つゆえに発見できる問題を理解できているということだろうなぁ,と思う。

(こういう自画自賛的な書き方はは私自身好きじゃあない。買いかぶりすぎなのも解っている。のであまり責めないように。)

ミームという概念の導入で可能となる利点は,広い視野の確保ということだろう。
そして,『実際に掘って問題を解決するのは,別の人であり,他の理論であり,違う学問である。』ということになるのだが,なにも,私が別な人になって悪いということではないのだ,と勝手に解釈しているのが,それこそ私自身のやり方にほかならないわけだ。

私の基本はデジタル野郎以外の何者でもないことは確かなのだが,まあ,思い過ごしっていうのも,時には役に立つということなんだろう。(笑)

2002/01/13(日)  
【北の空から】

今日は,北海道から吉川さんがわざわざ蕨まで来てくれた。
空知建協さんの事業者団体ベースのIT化(システム構築,勉強会スケジュール等等)の打合せ。

本来なら,昨年中に私が北海道へ出向いていって打合せをする予定のものだったのだが,昨年末のお尻の入院騒動で先延ばしになっていたもの。
吉川さん,ご苦労様でした。

しかし,この(↓)メールを見てわたしゃ驚いた。

吉川@千歳空港です。

予想外の高速「除雪渋滞」(!)で空港到着が
大幅に遅れました。

蕨じゃ雪なんかかけらもないのだが,北海道じゃ高速道路の除雪作業が行われていたというわけなんだ。
吉川さんによると,日曜日は除雪の日らしい。

ということは普段は雪の上を走っているってことなんだろうか。
雪の高速道路。想像するだけでも怖い。

北海道経済にとって,雪はけっしてプラスではないわなぁ,と思う。
それから,北海道ネタをもう一本。

北海道建設新聞の荒木さんが,同紙の新年1日の新聞を送ってくださったものが本日手元に到着した。
ありがとうございます。

これに正月早々私の特集が載っているのです。
しかし,私の過激なセミナー内容をよく伝えていて,恥ずかしいたらありゃしない。

例えばだね,こんな調子なわけ。
『ある建設CALS/ECセミナー会場。「みんなは『おぼれる者は藁をもつかむ』心境で,きょうの話を聞きに来たと思うが,おれは藁じゃない。あんたたちと一緒に沈んでたまるか。」』

我ながら,なんて嫌味なことを言うやつなんだろう,と思う。
考えてみれば,私は己のセミナーをVideoで見たこともないしね。

リアルな口語体で自分の言葉を書かれると,これは結構恥ずかしいもんだなぁ,と思う。。
でも,多分,Videoなんか見たら恥ずかしくて二度と演台になんて立てないだろうなぁ,とも思うのだ。

ということとで,今日は北海道の日なのだった。



【クラシアン3】

クラシアンネタのメールが新潟より届いていた。

先生、ご無沙汰してます。○○です。ご闘病日記見てますが大変ですネ。どうぞお大痔?に。
2月の講習会○○さんと協議しながら進めています。講師をお願いしてますが、お体大丈夫でしょうか?。無理をなさらないで下さい。
先日先生のお宅のトイレ詰まりでクラシアンの記事大変当社にも参考になりましたので、私の掲示板に活用させていただきました。
新潟にもクラシアンありますが評判はよくありません。でも、ビジネスへの戦略・戦術は見習うものが多く、先生のご指摘の通りです。
今後とも、宜しくお願いいたします。

ということで,クラシアンからアンケートはがきが届いたので,その全文を紹介しよう(笑)。

まず,「サービス内容をご確認ください」ときた。
作業日 1月5日 領収・ご請求金額 12,600円。
作業内容 トイレ詰まり除去

その他作業担当者名と支店,それらのコード番号が記入されている。
これらは,ドットインパクトプリンターで印字してあるのだが,この印字,妙に懐かしく感じる。

で,お客様アンケートである。

1・電話窓口の対応はいかがでしたか?
■よい, □普通, □悪い

2・サービススタッフ到着までの時間はいかがでしたか?
□よい, □普通, ■悪い

3・サービススタッフの第一印象はいかがでしたか?
■よい, □普通, □悪い

4・サービススタッフの身だしなみはいかがでしたか?
■よい, □普通, □悪い

5・サービススタッフの態度・言葉遣いはいかがでしたか?
■よい, □普通, □悪い

6・作業前の見積もり説明はわかりやすかったですか?
□わかりやすかった, ■普通, □わからなかった・説明がなかった

7・サービスの仕上がり具合はいかがでしたか?
□よい, ■普通, □悪い

8・サービス料金はいかがでしたか?
□安い, ■普通, □高い

9・次回もまたクラシアンを利用したいですか?
□ぜひ利用したい, ■利用してもよい, □利用したくない

10・クラシアンに対するご意見,ご希望などがございましたらお教えください。

ちなみに■は私の回答である。
で,このアンケートに答えると,毎月抽選で100名様にクオ・カードがあたるというインセンティブも忘れてはいないのだなぁ。

私の興味は,このアンケートの回収率と,このデータを持ってどのような分析をするのかなのだが,それはクラシアンに聞かないとだめだわね。



【公にコミットする】

世の中3連休中らしいですが,皆さん休んでいますか。

昨日岐阜から帰りましたが,岐阜は正月早々大雪に見舞われたということで,地場の建設会社の皆さんは,正月二日の日から除雪に動員されたとのこと。

つまり正月休みを返上していたわけで,ご苦労様でした。
その分,この連休に遅い正月というのはありなのでしょうかと思った次第。

今回の岐阜の例というわけでもないけれど,こういう自然災害に対する,地場型中小建設業の役割というのは,確実に地域にコミットして存在している。

つまり,本当に「公」な空間の仕事を担っている。

雪が積もったからってね,自衛隊が出動するわけもないし,消防署がやるわけでもない。
役所職員総動員でやるわけもなく,各家庭は自分ちの庭先の雪かきして道路を雪だらけにして交通障害の原因になっているだけだろう。

結局,なんだかんだ言われても,現実的に地元の建設業者しか,その役割を担うところはない。
ついでに言うが,大手,準大手クラスにはこれができない。

こういうことって,最近の公共工事パッシングの中ではすっかり影が薄くなってしまっているけれど,いくら経済性や効率性云々が優先される空気が充満していても,必ずだれかがやらなくてはならないものとして永遠に必要なものなのだ。

この必ず必要なもの(その時期は毎年なのか,2年に1度なのか,10年に1度なのかはわからないけれど)としての「公」には,地場型中小建設業はちゃんとコミットすることができる。

つまり「公」の部分になら自らの居場所があるという事実を,地場型中小建設業はもう一度考えるてみるべきなのだ。
それは「公」とうものがなにかを理解することだろう。

その答えは「公」=「官」ではないのだよ。

ところで,このHPのインデックスページもなんだかんだで26万ヒットを達成。
毎度ありがとうございます。m(__)m

でも,26万ゲッターからは連絡はまだないですなぁ。

2002/01/12 (土)  
【岐阜から】

まずは,インデックスページの一お連カウンターが26万ヒットになりますねぇ。
26万ゲットの方は,忘れずに店主へメールです。

景品は,ももちどっとこむTシャツ,背番号26です。
と言うところで,岐阜からおはようございますです。

お尻はちょっと機嫌が悪くて,久しぶりのホテルのベットのせいか昨晩はなかなか寝付かれなく,お尻は痒く,かといってぼりぼりとかくわけにもいかず,何度もウォッシュレットで尻を洗う作業をし,なんとも悶々とした夜を過ごしておりました。

さて,昨日の岐阜県建築工業会,互例会での講演,終了後の懇親会までちゃんと出席。
講演終了後,安田会長さんから,桃知さんが経営についてこんなに明るいとは思いませんでした,との感想をいただいた。

なるほど,安田会長は初めて私の講演をお聞きになられたわけねぇ,と納得。
IT先進県を標榜する岐阜県といえど,まだまだ経営者レベルで私の話を直接聴いておられる方は限られているのですね。

懇親会の席で,早速,安田会長から自分の会社の営業社員向けのセミナーのリクエストを受ける。

互例会後,宿泊先の岐阜キャッスルホテルへ移動し,そこで,本日の2回戦目。
こちらは実際にコンサルを開始する会社さんとの打ち合わせ。

私の情熱を沸き起こしてくれる方々なので,私もついつい力が入る。
しかし,夜の打ち合わせを珈琲で過ごしたのは初めてだなぁ。

互例会も烏龍茶だったたし。。。

さて,今日はこれから美濃加茂市建設業協会さんのサーバーメンテナンスを行い,そして帰路につく。

メールを沢山いただいていましたが,返信が遅れています。
多くは自宅に戻ってからの返事となりますので,宜しくご理解ください。

2002/01/11 (金)  
【国際化,サービス化,情報化】

例えばこんな使い方をよくみるんじゃないだろうか。

『安定成長期の働き方や勤労者生活の変化は、国際化、サービス化、情報化の進展などの経済構造の変化、高齢化、女性の職場進出、高学歴化といった労働力供給面の変化、労働市場や労働条件に関する制度の変化を背景に進展した。 』
http://www2.mhlw.go.jp/info/hakusyo/980707/980707-2-1-1.htm

この「国際化,サービス化,情報化」って言葉なんだけれども,かなり安易に使われているような気がしないかい。

例えば,建設業の国際化ってなんだろう。
特に,超ドメスティックな産業である,地場型中小建設業における国際化なんてあるのか,と私は常々思っていたりする。

例えば,外国人の作業員の雇用なんて話は出てくるかも知れないが,めちゃくちゃ人件費の安い中国あたりから中小規模の建設業者が自治体発注の公共事業に参入なんて話はないじゃないか。

例えば,建設業のサービス化ってなんだろう。
発注者の言うとおりの公共事業で,地場型中小建設業はサービスってなんだろうって考える必要があるのだろうか。

サービス工事ってのはあるかもしれないが(笑)。

そして,建設業の情報化ってなんだろう。
CALS/ECでないのは確かだな。

CALS/ECは誰に幸せをもたらすためのものなのかを考えて見てごらん。
地場型中小建設業のことなんかなーんにも考えてないことがすぐにわかるよ。

ね,こうやって普段なにげに使われている言葉でも,地場型中小建設業には関係のない話であり続けているんだと思わないかい。
それはね,実はこれらが何のことだか,一体自分にはどう関係するのかが,みんなわかっちゃいないからなんだ。

みんなわかったようなふりをしているだけなんだよ。
私もわかったようなふりをして講演なんかで「国際化,サービス化,情報化」を説明しているけれどもね。

このHPを見ていくと(それと私の3時間を越えるような長ーい講演会に参加すればだな)「国際化,サービス化,情報化」に対する私の解釈はある程度みつけることができるだろうが,それはあくまでも私の理解の範疇ということなので,興味のある人は勿論自分で勉強するのが一番いいわけだ。

って言うだけじゃ不親切だろうからね,今日は教科書の紹介をするのが最初からの目論見。

ポール・クルーグマン,(山形浩生:訳)『クルーグマン教授の経済入門』,1998年11月5日,メディアワークス

ジョセフ・E・スティグリッツ(薮下史朗,秋山太郎,金子能宏,立木力,清野一治:訳)『スティグリッツ入門経済学第2版』,1999年4月15日,東洋経済新報社

この2冊だろうなぁ。
前者は山形浩生氏の口語体の訳もすばらしく,読み物としてしても飽きることがないだろう。
後者は経済学教科書の定番だね。

ということで,私はこれから病院(肛門科)へ行ってねお尻の消毒をしてくる。
そして,久しぶりに新幹線で移動である。

岐阜県建築工業会さんの互例会で講演。
お題は「元気のでるIT化」。

元気に行きましょう。

2002/01/10 (木)  
【病人のひそかな楽しみ】

昨日,私は不器用でだと書いたが,そういう私が最近自分で作っているものがある。
それはブックカバーである。

例えばこんなもの。
(画像がはっきりしてなくてすいません)

材料は,それこそ紙だけである。
Web上にあるブックカバーデザインをいただいてきたり(左),例えば右側のドット模様のものはラッピング用の紙だったりする。

で,包んでしまうとなんの本だかわかんなくなっちゃうので,本の表紙の画像(多くはWeb上の書店にある)を印刷して,表紙と背表紙のところに貼り付けている。これが発明工夫展みたいなところ。

まあ,これもこうして自宅にいるから出来る作業なわけで,つまり,今の時期限定の楽しみと言うことになるだろうなぁ。
しかし,今日も午後にはお客様がお見えになる。

事務所を構えない仕事をモットーにしてきたのだが,打ち合わせ場所ぐらいは欲しいのかなぁと思ったりしている。
そろそろ執筆モード(夏には本を出したい)にも入らねばならないし。

ということで,今日はこれからいつものように歯医者と肛門科へ行ってくる。
それから伸び放題になっている髪の毛もなんとかしなくてはなるまい。

2002/01/09 (水)  
【馬鹿全快】

浦和のPiattinoでランチを食べ,ゴジラを見に行ったら,既に立ち席しか空きがないとのことで,不本意ながら本日は映画鑑賞は見送りとなった。
いくらなんでも私は病人である。立っての映画鑑賞は辛い。

ということで,突然時間が空いたのでお買い物の時間とした。
以下本日の調達品。

宇宙ビートル復刻版キット (ユザワヤ浦和店)
京本コレクション02 ウルトラマン (ユザワヤ浦和店)
キングギドラの塩ビのフギャア (ユザワヤ浦和店)
ポピニカプラス ジェットビートル (ユザワヤ浦和店)

宇宙ビートルはプラモデルなのであるが,作る予定は今のところさらさらない。
というか私は不器用だ。PC以外のものはさっぱりいけない。(最近はPCさえもあやうい)

なので,どこかに作成依頼する可能性っていうのが高い。
しかし,昔の円谷ウルトラシリーズはいいなぁ。

最近の私といえば,自宅いるときにはウルトラマンのDVDばかり見ているのだ。
ピアノ線が見えようが,理論的に変だろうが,そう思ってみれば全てそう見える。

これはとても大切なことで,何処でコミットメントするのかという問題なのだが,このあたりの感覚が理解できないと特撮モノなんか阿保らしくて見てられないだろう。

キングギドラは,2002年版である。→なぜかゴジラより小さい設定になっている。それが不満。
我が家には既に2002年版のゴジラがいるので,大黒様に対する布袋様のような感覚。

京本シリーズのウルトラマンは昔から欲しかったもの。
たまたま目の前に存在してしまったので購入。

ポピニカプラスのジェットビートルは,ジェットビートルと言うよりも,流星マークのバッチに惹かれてしまったわけだ。
何考えてんだか。。。

というか,所詮心を惹かれるものなんていうのはこんなものだ。


【合成の誤謬とメネシス】

昨日は午後3時から栃木から二人の客人がお見えになり,秘密会議。
その後,皆さんと備長の焼肉で晩飯とした。

本当に久しぶりの備長なので,私も少しだけアルコールを体内に入れてみた。
が,今朝起きたらお尻の傷口が腐ってしまったような気がする。(笑)

そこで(焼肉を食べながら)話した話。
私はデフレは嫌いだ。

そこで本日の表題の一つの話である。
つまり合成の誤謬

合成の誤謬っていうのは,経済学でいうと1年生(小学生ではない)でも知ってる(はず)なんだけれども,なんかこのあたりを理解しない(出来ない?)論議が多いのではないかと思うのが,最近のよいデフレ論である。

よいデフレなんて存在しない。
まずこれを頭に叩き込もう。

例えば,家計にとっては,家族が雇用され安定した賃金を得られる限り,物価(消費者物価)の下落は勿論好ましいことである。
そうなれば,確かに実質購買力が増え,より豊かな消費が可能となる。

しかしだ,考えても見て欲しい。
経済全体にとって,それはそのまま成り立たない。

現状からも十分に理解できるように,デフレ進行は失業者を増加させ,家計の所得を減少させる可能性がある。

家計にとっては安い価格は好ましいだろうが,売り手にとっては業績を悪化させ,企業活動そのものの縮小・破綻要因となりかねない。
デフレは不況を深刻化し,雇用を減らし,社会全体の総需要を減らすこととなる。

つまり,個々の家計にとって,デフレによる消費者物価の下落による利益の享受の幸福は,経済全体においては成り立たない。
これすなわち合成の誤謬である。

私の経営に対する基本的なスタンスは,よい経営と悪い経営の差は,たかだか環境変化に上手く対応できたか否かの差でしかない,という(とても簡単な)ものである。(これはM・P・フォレットの相互作用の法則,つまり「状況の法則」から教わったのだけれども。)

しかし,これさえも,デフレ経済下では非常に対応困難な定理でしかない。
右肩下がりの状況では,右肩上がりにある失敗のための「あそび」(自動車のハンドルの「あそび」を想像してもらえばよい)がないからだ。

そのため経営者はさらに臆病にならざるを得ない。
その心理がまた社会全体の需要不足を生み,銀行家,起業家の精神を萎縮させている。

→こうなっては資本主義の精神どころの話ではないのだ。
→資本主義の危機である。

さて,これを特にドメステッックな産業である地場型中小建設業について考えてみよう。

地場型中小建設業は,環境に自らをあわせると言うよりも,環境そのものが生みの親,育ての親みたいなところがあって,それは別の言葉で言えば,与えられたある一定の環境でしか生きられないということだ。

つまり,公共事業依存型の地場型中小建設業にとって,本来デフレ気味,不景気な経済状況は自らに有利な環境をもたらすものであり,それこそが自らの生存環境であり続けてきたわけだ。

その環境は,つい最近,少なくとも,小渕,森政権の頃まではそう(存在していた)であった。
つまり,バブル崩壊後の不景気に対する景気浮揚策としての公共事業,財政発動が行われてきた。

→つまり,公共工事依存型の地場型中小建設業はその環境に適応してきたに過ぎない。
→じゃなかったら,60万社近い許可企業,700万人近い雇用者なんて存在するわけがないのだ。

その環境こそが公共事業依存型の地場型中小建設業が生き残る十分条件なのである。
しかし現政府はそれとは全く逆の政策を行っている。(その理由は1月7日に書いた

この不景気のさなか,もだえ苦しむ公共事業依存型の地場型中小建設業なんて,かつては想像も付かない事であったわけだ。
→本来は,この不景気を喜び享受する産業でなくてはならない。

しかし,これが,例えば突然景気が好転して右肩上がりの経済状況になったとしても,多分公共工事は増えることはないだろう。

バブル崩壊後の反省(って,なんの反省だ?)に基づいた経済学の処方箋によれば,好況時(つまり税収の多いとき)にこそ,公共工事は控えて財政赤字を削減しましょう,ということになっている。

こうなると,公共工事依存型の地場型中小建設業の将来はメネシスをみた恐竜のようなものだ。
つまり,生き延びられる環境のキャパシティは限りなく(そしてだんだんと)小さくなる。

多くは滅びるか,生き延びるにはその体を小さくする必要があるかのしれない。
→メネシスとの遭遇から生き延びた爬虫類のように(っていうか別の種かもしれない)。

では,「よい経営と悪い経営の差は,たかだか環境変化に上手く対応できたか否かの差でしかない」という定理をここに持ち込むと,果たしてどうなるのか。

一つは縮小する環境での生存,もう一つは今までの環境を脱出(若しくは両生)しての生存ということだろう。
前者においては,生き延びられる環境の扶養ケイパビリティそのものが小さくなってしまうわけだから,おのずと限界を露出することになる。

つまり,その多くは,存在しない神様を信じながら死んでいく哀れな宗教人のごとくである。
→現況がまさしくそうであろう。

一方,窮屈になった環境から這い出ようとするものが現れるだろう。
例えば魚類が水から這い出て両生類になるようなものをイメージしていただければよい。

→なかには(稀にだが),鳥類になったり,一足飛びに哺乳類になろうとしたりするものもあるかもしれない。
→好きな言葉じゃないが,自己改革とか変革っていうやつだろう。

その時に必要なものとはなんだろう。
両生類にとっては空気(酸素,つまり肺呼吸)であったはずであったように,空気としてのチャレンジを受け入れる経済環境である。

その時,デフレ経済は酸素の薄い大気のようなものである。
それは。経営者,起業家らの,自らの努力を受け入れがたい経済ということもできる。

その環境(つまり現状は)地場型中小建設業の変化の胎動を阻害しかねないのだ。
つまり,今必要なのは,なによりもデフレを止めることなのである。

でなければ,せっかくの変化のチャンスをみすみす見逃しかねないし,この国の経済的な再生はありえないこととなってしまうだろう。

ということで,今日は病院に行ってそれから映画(ゴジラね)を見てこようと思う。
もちろん,円座と携帯用のウォシュレット持参でね。

2002/01/08 (火)  
【けだし】

誤字の指摘メールが届く。

「中小建設業情報化の為の5つのポイント」
<序説の最後の部分>
けだし、情報化すべきは、御社のフロントライン(最前線)の部分に他ならないと
いうことです。←ただし
情報化失敗の要因は技術的なものでることはあまりありません。←ものである
要因の多くはは御社の組織と業務に関するところに存在しています。←多くは

<その1>
経営トップ自らが提示する情報化ベクトルとは、自社のコアコンピタンスは常に
「市場の要求」の中に存在すると理化し、顧客指向の情報化にコアコンピタンス経
営の確立を行うという「経営の指針」です。←理解し?

ご指摘ありがとうございます。
早速訂正いたしました。

ただし,ご指摘にある「けだし」は「ただし」の誤り,と言う指摘はそうではありません。
「けだし」は「けだし」なのです。

けだし【蓋し】
(副)
次に述べる判断は十中八九まちがいが無いだろうという主体の見込みを表わす。〔成人男子の用語〕
用例・作例
―〔=思うに〕最適任者と言うべきだろう
―〔=確かに〕名言だ

Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997


ということで,予告どおり改ページ。
それそろ銭湯,もとい戦闘モードにはいらねばなるまい。

今日はこれから打ち合わせ。
非常に珍しく自宅に客人というスタイルである。

なぜ珍しいかと言うと,(こうして病気でもしない限り)ほとんど私は自宅にいないというのと,私の自宅は客人を迎える程広くはないのだ。(笑)

それから,そもそも私は自ら出向くという仕事のスタイルを前提として商売してきたので,お客様においでいただくというのは,最初から想定外なのである。

しかし,来ていただくというのは非常に楽なのであるなぁ。
肉体的にも精神的にも。

これからはそうしようかなぁ,などと思ったりしているのである。(笑)

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