店主戯言0031102  2003/11/16〜2003/11/30 "There goes talkin' MOMO"


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2003/11/30 (日)  
【すごいなぁ、みんな】

今日は完全休養日にする予定だが、なるわけがない。

昨晩はTBSで「人間とはなにか?」という番組を見ていた。
最近のわたしの講演では不可欠になってしまっている養老先生が出ていたからだ。

事例中心でわかりやすい内容だとは思うが、養老さんの本「バカの壁」に感じていた、なにかことばにできないような物足りなさのようなものを感じたのも事実ではある。

まあ、民放がスポンサーつけて流しているわけだから(視聴率という足枷)、娯楽性のようなものが強いのは致し方ないのだろうとは思うが。

この番組が強調していた、感情、愛情というものがないと人間じゃない、そして、そのベースは共感なのよねぇ、というところは、ミームと遊んでいるわたしには当たり前すぎるはなしなのだけれども、それで、その共感の根源というのは、親子の愛情なわけで、それがわたしが11月25日に書いた分離不安からの悩ましい問題も生み出す。

振り返って考えてみれば、昨日の事例は、全てビジネスとは全く関係のない世界であった。
アマゾンの原住民、ウイリアムズ症候群、ことばのない少女のような方、and etc.

つまり、あの番組の中には、人間が人間らしく生きようとするとき、そこには経済的な交換の必要性をまったく持ち出してはこなかった。つまりビジネスへの指向は余り強くない方がよいのかもしれない、という示唆が隠されている。

それは当然で、ビジネスという交換のシステムは、人間社会における膨大な社会的な交換でいえば、たかだかひとつの特殊形態でしかないからだ(by 村上泰亮)。なので、本来ビジネスいう経済的な交換も、社会的な交換ではもっとも大切な信頼がメタ情報になっていなくてはならないのだが、新古典主義者はそれを無視する。効率性、合理性の妨げになっていると考えるわけだ。

我々は今という時代に、このビジネスという社会的な交換の一変態の中でいやがおうにも生きなくてはならないのは確かだ。そのとき、キャパが足りないと、単純な二者択一になってしまい、人間が人間らしく生きるための視点を忘れてしまうか、新古典主義者のように、わざとそういう人間の根本の部分を無視しようとする。そこに今という時代の閉塞があるのだと、わたしは指摘し続けている。それは「公共工事という問題」の問題解決方法においてさえである。

まあ、今日はそこから先を書く気はさらさらないけれど、いまのわたしの思考がそんなところにいることは理解していただけているだろう。


マニア・4号さまよりのメール。
桃知師匠ご無沙汰いたして居ります 桃毒が切れ掛かってきているおがわで御座います

>昨今、いわゆる桃組は、あらゆるセミナー、講演会に講師を輩出し続けているわけで

上記戯言に思わず反応してしまいました 私 実は昨日恐れ多くも
次郎さん神部君の地元 滝川にて1時間枠のプレゼンを終わらせてきました
空知地域中小企業支援センター様・滝川商工会議所様共催で何とお題は
「新分野進出・多角化への挑戦」と私にはかなり荷の重いお題でした

幸いにも皆さん熊本遠征と東京遠征でお留守でしたので助かりました
9月の郡上は惨敗でしたので今度こそと力んでみたのですが 底の浅さが
バレてしまうような何とも不完全燃焼の講師姿であったと思います
何とか時間だけは1時間ちょうどで終わりましたが?

桃知師匠・太田ジオさん・吉谷さん・西原さん等のPPTでかなり勉強させて貰っている
筈なんですが中々上手にはいきませんです・・・・ハイ

それから桃知師匠にお詫びを申し上げなければなりませんです
「山と山とは会えないけれど、人と人とはまた会うことが・・・・・・・・・・・・」
最後に使ってしまいました・・・・このフレーズが気に入りまして 一度人様の前で
言ってみたかったんです、無断使用ですいませんでも終わった後なぜか自分の気持ちが
爽やかでした・・・・

また 桃毒の補充に何処かの会場でご指導頂ける日を心待ちにチャンスを狙う
所存で御座います その節は宜しくご教授下さいます様お願い致します!
来週は北海道のご様子ですが 寒いですよ お気を付けて来道下さい

PS 宅ファイル便にて昨日使用のPPT送りますので暇潰しにでもご笑覧下さいませ

はい、PPTもよく出来ておりました。

自分の思いで関係できる世界を切り開くこと、それが今という時代に必要なキャパシティのひとつなのだと私は思う。

小川さんはそれを実行されているわけで、敬服に値するのだ。


熊本で大西先生と酒飲みながらはなしていたことだが、マリアビリティを考えることの必要性に気がつくことが、すでにキャパシティが大きくなっていることである。しかしそれも、自分の思いがなければ出来ないことだと思う。

つまり、伝えたい思いがあることがまずは大切なのだ。

それを自分のことばで、自分を偽らず語るしかないのだろうと、そうわたしは思う。

そこには現状に甘んじない、己への問題意識がなければならない。

伝える技術の幼稚さや伝えたい思いの幼稚さは、自分に学ぼうとする意識さえ養っておけば、経験が解決してくれる。(そのためには、自分はわからない人間であることを認識していないとダメだろうけれどもね)

そういう意味でいえば、それを実践してしまっている桃組はすごいよなぁ、と再び思うのだ。


いとうさまからのメール。
桃知さん、伊藤です。

すごいですねぇ桃知さん。私が、知っているだけでも26.27.28と連チャンですものね。
昨夜は、昨夜で、大いに盛り上がっているのが、受話器の向こう側から、ガンガン響いてきましたよ。
私なんか、建て坪40坪の自宅に、家人が外出する前に作っていた「おでん」を、つまみながら、2杯目の焼酎のお湯割りと、パソコンを前に、日々読み書きの更新中でした。もちろん、ひとりで。
私も、ほんの瞬間だけど、桃熊会の懇親会に参加したような錯覚になりました。

でも、ほんと、行きたかったなあ。昨日は、一日中バタバタして、今朝は8時には会社を出なければならないので、じっとしていたような次第であります。

 桃知さん、アンプルもウコンもいいけれど、ほんと、体だけはご自愛くださいね。今、入院とかなると、全国で困る人がたくさんいますよ。
では、失礼します。

今回の桃熊会での心残りといえば、伊藤さんとお会いできなかったことだ。
でもね、「山と山とは会えないけれど、人と人とはまた会える。」だから、2004年1月24日の新年会でお会いいたしましょう。

フライング気味に書けば、この新年会は午後7時から、例によって浅草ビューホテルで行う。
時間つぶしに、午後3時から5時ぐらいまで、浅草公会堂で、トークショウ(内容未定)を無償で行う。

というような段取りを考えております。

じゃ、11月最後の日曜日、みなさまもまったりとお過ごしください。

2003/11/29 (土)  ▲
【ひとを育てるIT化】

初夏のような熊本から浅草に戻るもあいにくの雨で熊本との気温差に身体が悲鳴をあげている。
さて、今年最後の九州ツアーは桃熊会で締めさせていただいた。

まずは謝辞から。

今回の講演会を準備くださった、桃熊会の皆様、そしてご参集の皆様には深く感謝申しあげたい。
ありがとうございました。

昨日の出し物は、建設CALS研修センター(岐阜県)浅井係長から、岐阜県の取組み。空知建設業協会広報IT委員会、秋野さまから、空知建設業協会の取組みの講演をいただいた。遠路、そしてお忙しい中、熊本までおいでいただいた浅井さん、秋野さん、神部さんにも深く感謝申しあげたい。
ありがとうございました。

大変レベルの高い、しかし、聴く者の心に響くとてもよい講演だった思う。

そして、私といえば、「公共工事という産業」のマリアビリティをどう引き上げるか、というお題で一席やらかしていただいた。

マリアビリティ(malleability : 可鍛性、可塑性、適応性がある、融通が利く、従順な、という意味)、を考える、というのは、地方経済の重低音になっている「公共工事という産業」の縮小の中で、そこで働く方々の職業(生活の基盤)の転換を考える、ということである。それは、地方自治体の政策の転換も意味する。

構造改革派の論点は、このマリアビリティが全ての人間に完璧に備わっていることを前提としている。
つまり、構造改革は500万人の雇用を生み出すとか、公共工事のソフトランディングといわれている農業や林業やサービス産業への転業というのは、人間は簡単に職業を転換できる、という視点にあるのだ。

しかし、人間はそのようなものではないことは証明の必要はないだろう。
特に「公共工事という産業」に従事する方々のマリアビリティは低い。

この視点に立つとき、社会資本整備と公共事業ということばのもつ意味の差は歴然となる。

ゆえに、この「公共工事という産業」のマリアビリティをどう高くしていくのか、というところにわたしのいう「ひとを育てるIT化」(マリアビリティを高める=キャパシティを大きくするためのIT化)を持ってくるということは、産業構造の変革という長期的な視野の中で、公共建設政策、雇用政策等々、「公共工事という産業」が越えなくてはいけない「公共工事という問題」を、IT化がどこまで解決できるのだろうか、という、自治体の行うCALSが電子入札と電子納品だけだと思っている人には、まずは考えもつかない政策的な、そして本音のIT化のはなしとなる。

多くのIT業界の方々は、なにを馬鹿なことを言っているのだ、そんなことがITにできるのか、とか、(一応PPTはダウンロードのページに置こうかと思うが、たぶん、これを見ても)いつものやつと変わんないじゃないか、という批判を持つはずである。しかしわたしのビジネスモデルはそれを織り込み済みなわけで、つまり、そういう方々ばかりだからわたしが存在できるわけだ。(笑)

ところで昨日の私の講演はかなり即興的なものであった。それも当然であって、私の芸とは即興的電動紙芝居なのであって、決まりきったはなしを朗読しているわけではない。

それは講演会場という場の雰囲気を感じながらアドリブ的にはなしを組み立てていく作業であって、同じPPTでも、はなしは場の雰囲気によって何千通りもできあがる。つまり、昨日の講演とは、わたしが一人でつくりあげたものではなく、当日あの会場にいらっしゃった全ての方々とわたしとの相互作用の賜物なのである。

そこで講演内容の一部でもあなたの脳の皺にひっかかれば幸いなのである。

つまり、情報はただ流れている。
それが見えるのか見えないのかは、あなた次第なのである。

あとはあなたの係数 a の仕事であって、わたしの知るところではないのかもしれない。

わたしとの関係を保ち続ける、ということは、ある意味あなた自身がわたしとの相互作用の中で思考を継続していくこによって、係数 a つまり、キャパシティの向上をすることを意味している。それがコンサルタントとしてのわたしの仕事ではあるのだが、この意味がわからない、つまり、脳の皺にひっかからないとなると、わたしと関係の継続は難しくなる、ただそれだけであ。

つまり、情報はただ流れている。
それが見えるのか見えないのかは、あなた次第なのである。

昨年の12月、『桃論』出版記念パーティの後、A木さまよりいただいたメールを再掲しておこう。
A木@札幌です。
昨日はとても素敵な時間を共有させていただきました。ありがとうございます。
みなさんが地元に帰られ、月曜日からまた厳しい現実に向かって戦うことを考えた時、桃知さんは「心の楔(くさび)」なんだと感じました。

出版パーティーに出席された方々はそれぞれ感度の高い人たちばかりで、真剣に「今という時代」を考えておられますが、これが日常に戻ると感度の鈍い人たちや、「志」も何もない人々と一緒に何かをやっていかなければならない状況に身を置くときに、段々と気が萎えてくると思います。

そんなときに、桃知さんを含めた「薄い関係」に身を置くことで、ずり落ちそうになった自分を奮い立たるため、「桃知さん」という楔を心に打ち込むのでしょう。
(勿論私もそうですが…)。

なぜ、中小建設業の経営者たちが桃知さんに心惹かれるのか?その謎を解くカギが日本経済再生のカギなんだ、とあらためて感じました。

(ざっくり)

2003/11/28 (金)  
【午前8時過ぎに目覚める・・・】

人吉で焼酎のかほりとともに目覚める今日この頃、気がつけば既に午前8時を過ぎていて、朝飯は食えないかも・・・うぷ・・・。

昨日は、熊本建協人吉支部さまの第2回建設業IT化セミナーであったわけで、ゲストスピーカーは空知建協から秋野さんと神部さん、それから鹿児島県阿久根市から阿久根建設の井之上社長を招聘し、事業者団体ベースのIT化から企業ベースのIT化まで、わたしなんぞ出る幕もないような講演をいただいたわけだ。

こうしてわたしの関与先の方々の講演を聴いていると、まあ、うまくなったものだと感心する。
そして喋るたんびに考え、理解が深くなっていっているのがわかる。たいしたもんなのだよ。本当に。

昨今、いわゆる桃組は、あらゆるセミナー、講演会に講師を輩出し続けているわけで、わたしゃこれのマネジメント会社でもたちあげてやろうか、とも考えてしまったわ。(笑)(ほんとにやるかもしんない)

ということで、今日もいただいていたメールの紹介から。
まずは、平和建設の長谷川さまより。
「店主戯言」ありがたく読みました。(桃知注:11月26日のはなしだね)
あっ、今の私はもちろん毎日必ず読んでいます。
先日の△△のメール以来、朝晩、欠かさずに・・・「店主戯言」だけは読んでいるのです。
サイボウズを開いている社員に(仕事の邪魔はしないように気をつかっているけれども???)
「○○さん、桃知先生の『店主戯言』読んでいる?先生のHPはここよ〜。△△さんのメールが・・・。」
と言って、マウスをちょこちょこ・・・と。そしてトップページにmomoti.comを出しています。
「ここはこれから毎日読んで下さいね。」と一言。(←これは自主性は伸びないかも??)

↑のことは先生がうちの勉強会でちゃんと指導して下さったのですが・・・。
なにしろインターネットを初めて経験する社員が多いので・・・ほんと申し訳ないのです。
「IT化」って何?「PC」て何?えっパソコンのこと?
インターネットって?
メールはちゃんと届いているのか心配だぁ?テスト!テスト!
「横スレ」って何ですか?「スレでなく横レスですよぉ(笑)」
写真に文字を入れるのはどうするの?
アップするって?字を大きくすること?じゃ削除はダウンか???
ところでサイボウズっていったい何ですか?
初めは分からないことばかりだったのですから・・・何?何?の大騒ぎで。(笑)

最近では先生のおかげさまで平和建設でも「店主戯言」の読者が増えてきているらしいのです。
私にはそれがとっても嬉しいのです。
うちには短い文章を打つのにも苦労している社員もいるのですから・・・もう感動ですよ。
今、サイボウズを使いながらインターネットを体感して学んでいる毎日なのです。

桃知先生に出会う前の私は、会社を取り巻く環境の変化に戸惑いながらこれからうちの会社にはいったい何が起こるのだろうか?
とインターネットの巡回とアマゾン代引きの毎日でした。
インターネット社会に平和建設は何をどうしたら勝ち残っていけるのだろうか?
ITに対して知識のない私は分からないことばかりでウロウロしていました。
今年の初めに「桃論」を読んで、繰り返して何回も読むうちに先生の考え方(とくにミーム)に共感しました。

イントラネットを使ってミームの強化を始めたい!やろう!と決めて先生にメールを出したのです。
先生にうちのIT化のコンサルテーションをお願いしてからも分からないことはもっと広く深く増え続けているのですが(アマゾン代引はまだ継続中)私はもうウロウロすることはなくなりました。

今は「平和建設が進化すること」を目標に自分と社員を信じて「IT化」を進めていこうと思っています。
毎日、立ちあがる掲示板にフォロー(たとえ一言でも)を書くことを続けているのです。
回転木馬も開始してから3日坊主でしたが先生に背中押されてまた動き出しました。
桃知先生にはいろいろとありがとうございます、心から感謝をしております。

今日は長々と書いてしまって申し訳けございませんでした。
先生の風邪のことを心配してメールを書き始めたのになんだか書いているうちにいろいろと伝えたいことが溢れてきて違う展開になってしまいました。

お見舞いが最後でごめんなさい(笑)お風邪は大丈夫でしょうか?
こじらせないようにくれぐれも気をつけてくださいませ。
狭い日本とはいっても、北から南の気温はだいぶ違いますから・・・。
今度はなにか、喉をまもる良いうがい薬があったら探しておきます。

では、ごきげんよう。
お身体をご自愛してご無理をなさらない様にして下さいませ。

今回の九州遠征では、ずっとハイアンプルと葛根湯のお世話になっているわけで、おかげさまで、体調悪化は大事にいたらず、長谷川社長には感謝・感謝なのである。

しかし、この店主戯言に書いていることって、一般的には理解できないことが多いのだろうなぁ、と考えている。長谷川さんのように、わたしの関与先(つまり、いわゆる桃組)の方々ならいざ知らずである。

たとえば、『イントラネットを使ってミームの強化を始めたい』という文脈を読みきれる方々が、桃組以外におられるのだろうか。ふとそんなことを考えさせられたメールである。


次は砂子組の熊谷さまより。
昨日の戯言(桃知注:11月24日の【バルネラブルの効果はスパイラル的に展開する】11月25日の【わたしが学生時代にたどり着いたところからは、一歩も先には進んでいない(本当は少しは前進している、とわたしはおもっているのだが・・・)】のこと)、かなり深いです。
私の脳味噌のキャパでは、深すぎて理解不能に陥りました。
しかし、文字ではなく、直接聞くことができるのなら、理解できるのかもしれない。
などということを考えていました。(ちょっとずるい考えですね。)
だから本を読み、少しづつキャパを広げなくてはいけないと、つくづく感じます。
気づくのが遅すぎたよなぁ。と思う今日この頃ですが、始めるのに遅いことは無いと自分に言い聞かせおります。

(ざっくり)

始めるのに、おそするぎるということはありえない。
なぜなら、海馬は年齢とともに発達し、大きくなるからだ。さまざまな物事に関心をもち、頭を使うことをやめなければ、記憶も失われず、思考能力の老化もそれほど心配はない。

年をとったというのは、記憶が衰えるというよりも、記憶がたまり過ぎて、新しいものに関心をもてなくなるということなのだろうから、別に海馬が衰えているわけではないのだ。


それで、うどん☆人・1号さまだ。
昨日の戯言より
>そしてなによりもわたしに起きた現実は、ITの持つ合理性や効率性以外のものの存在とその可能性をわたしに考えさせずにはいなかったわけだ。それは、わたし自身がITを合理性や効率性とは違った使い方をしながらも、まがりなりにもこうして飯を食っていることの不思議である。

そうなんですよね、不思議なんです。
平井さんややぎさんがどこかの板に書いているように、何も初めから「求めて」ではないのです。
気付いたら…なのです。

人との関係は、計算で図る物ではないと思っています。
下ゴゴロは、本人が気付いていないだけで結構周りにはプンプン匂う物です。
商売上のお付き合いの中にだって、心がないと人間関係は生まれてきません。
お役所の方とのお付き合いだって誠心誠意、力を出せばコミュニケーションもスムーズにいって、よりよい仕事ができると思います。
F2Fは基本ですが、それだけでは生まれてこないものもあります。

文字の羅列の中に、「こころ」や「人となり」は十分現れるものだなぁ〜と、何故かしみじみ思う今日この頃でございます。

『文字の羅列の中に、「こころ」や「人となり」は十分現れるものだなぁ〜』
それがバルネラブルにつながっているのだと思う。

どんな人でも自分で書いた文章を公にしたとき、それは本人が意識しようがしまいがバルネラブルの始まりなのである。

つまり、ことばは「言霊」(ことだま)なのだ。
毎日生きていれば、いやなことも、つらいこと、かなしいことも、そして楽しいこともある。

そんな自分自身の感情の中で、毎日なにかしらの「言霊」を発していれば、わたしのことばにわたしの感情が乗り移ることなんて当然のことのようにさえ思う。

それはだれでもそうなのよ。
だから、自然体でいいのだ。

親しい方々とのF2Fは安心の確認の作業である。
これはソーシャル・キャピタルのさらなる強化を可能にする。

しかし、濃すぎる紐帯におけるF2Fだけでは、不特定多数に自らを認知させる、という今の時代が要求している適応要件を私達に与えてくれることはないだろう。

そこには信念とも呼べるようなミームが必要なのである。
心の癒しではない。それがわたしのいう「楔」のお仕事を可能にしているに過ぎない。

わたしの心が必要としているF2Fは、あたらしい出会いなのである。
それは、今現在わたし自身をビークルにしているミームの仕業であるのだろう。


追伸
今しがた、朝飯を食べる時間がなくなってしまったなぁ・・・(9時までなのよ今日のホテルは)、と思っていたら、親切にも電話があって、「飲みすぎましたか、朝食はお部屋にお持ちしましょうか」ということで、朝飯が部屋に届いてしまった。

2003/11/27 (木)  
【店主戯言の書き方、その2 再びメールの転用でお茶を濁す・・・】

最近では珍しく本日二発目の更新。
新潟の山口さまより、先日の中企大三条校での講義の感想をいただいていたので掲載。

桃知先生おはようございます。

本当に3日間、中身の濃い、また、価値ある研修を有り難うございました。

先生とは、県行協で小川先生が桃知先生を講師にお連れしたのが縁で私ども4人の研究会にまで三条の地(リサーチコアのマルチメディアホールだったと思います)までおいて頂き、先生の一ファンにならせて頂いておりました。

それ以来、早寝早起きのため、毎朝(4時頃)欠かさず一番に戯言を中心に拝見させて頂いております。

その後、自分なりにと、毎朝、「所長の独り言」コーナーを書いております。


今回の研修に、当事務所を代表して3名のスタッフが参加させて頂きましたが、そのうちの一人(教室では窓側の列の○○という女性です)が昨日の業務日報で次のように書いておりました。

『3日間の研修はとてもすばらしい研修でした。桃知先生のすばらしさ、建設業者をとても大切にしてくれていることやがんばれといっている研修でした。やはり志ですね。この研修を無駄にしないようお客様に伝えて行きたいと思いました。』

今後ともご指導のほど、よろしくお願い致します。

火曜・水曜は、この中小企業大学校三条校でお恥ずかしながら、わたくの講義の時間です。内容は「キャッシュフロー」。桃知先生のようには行きませんが、楽しく進めることを心がけたいと思います。

今後とも、ご指導のほど、よろしくお願い致します。

今回のセミナーには、当事務所の関与先が2社参加させて頂いておりましたので、その後のフォローが必要なときはよろしくお願い致します。


追伸、小川先生もそうですが、私も、アメリカの独立記念日が誕生日であります。

私の縁ある方は、桃知先生を含め4名が7月4日が誕生日であります。自身7と4が大好きであります。

(ざっくり)

以上は、月曜日に書いたのですが、何故か調子が良くなくつながりませんでした。

本日、改めて送信します。
おかげさまで、無事、大学校の講義、本日終了であります。

では。

「所長の独り言」コーナーを拝見し、私の日々巡回コースに追加したわけで(WWWCへ追加しただけど・・・)

山口さんとは、本当に薄い紐帯の仲でつながっていたのだなぁ、としみじみと実感しながら、毎日書いているひとはやっぱりすごいなぁと思う。



【店主戯言の書き方、その1 メールの転用でお茶を濁す・・・】

わたしときたら、性懲りもなく毎晩飲んでいるわけで、昨晩は何次会やったのかわからないぐらい、宮崎地区建設業協会IT委員会の皆様にはお世話になってしもうた。

それで、その後、わたしはなぜかこの人と一緒にホルモンを食べ(ものすげーうまかった)、なぜかついでに最後は珈琲を飲んでホテルへ帰還したのである。

我が家からすぐそこで床に着いておられる桃知さんへ!
 
本日は長丁場のご指導をありがとう御座いました!

デジタルからリアル、そしてダレヤミ(ただひたすら飲む)コミュニケーションによって、この宮崎の実態が少しは把握して頂けたのではないかと思っております。ここは本当にいい街なのです。

本日は最後のコーヒーのお陰でこのメールを打っています。ありがたいヒーコです。

このメールの前に3件のイントラと会話をして来ました。
我が社の情報=「金」を今晩見れたことはやはり大きいのです。明日になり(もう明日ですが)目が醒めてからでは、現場の皆さんはもう、戦場に行っているのです。戦場に行く前に気持ちを伝える、これは大事なことだと思いました。

PS:「ふくや」のモンホルは最高でしょう!豚産県のMの国ではモンホルは豚です。

「おぐら」のチャンポンとチキン南蛮のミックスはヘビーです。機会がありましたら私も挑戦したいと思います。

浅草を8時前には出て、約12時間のお付き合いをして頂き心より感謝、感謝申し上げます。

おやすみないさい!

大変にお世話になりました。
ありがとうございます。m(__)m


早速いただいた受講者さまからのメール。
ピンクヒップ 様

今日は、大変面白いお話をお聞かせ頂きましてありがとうございました。
私は、先ほどご講演いただきました宮崎地区建設業協会会員 ○○と言うものです。
はっきり申し上げて「建設産業のIT化」に対してあまりにも無知・無関心であった自分に大変なショックを受けています、これから地場の中小企業の未来は黙っていたら悲惨な事になるんだなぁ〜もっと色んな事を特に先生の言われた「情報」に積極的に目を向けていかなければならないとつくづく思いました、今日は本当に有意義な時間をありがとうございました、後はゆっくり飲んでください。(^^)

はい、ゆっくりと飲ませていただきました。(笑)
ありがとうございました。m(__)m


ということでこの段階で、うどん☆人さまのメール、それから平和建設の長谷川さまのメール、砂子組の熊谷様のメールはストックできているわけで明日もこのパターンが使えると・・・★\(^^;
そしてここまで10分かからず・・・。

さて、今日のわたしは高速バスで人吉まで。

2003/11/26 (水)  
【反省はサルにはできない】

初に、12・8 東京独演会【僕とミームと東京で】情報。
あと4 、5 名様の枠ありです。(^o^)/

11月28日桃熊会も余裕有 (笑)。


どうやら体調は最低である・・・という今日この頃、わたしといえば、ANA 603 東京(羽田)(0940) - 宮崎(1125)で宮崎へ飛び、午後1時から宮崎地区建設協会さんで講演会なのである。

目覚めに平和建設の長谷川さんからいただいていた、葛根湯とハイアンプルを飲み、ちょっと気合を入れてみた。(笑)

まあ、体調が悪かろうがなんだろうが、喋りだせばわたしのアドレナリンは沸騰するわけで、今日の4時間は、しっかりと努めさせていただくつもりなのである。

ただ懸念材料があるとすれば、それは喉の調子の悪さであって、通常であれば、少々の喉のがさつきも喋っているうちによくなってよくなってしまうのだが、これが1時間を過ぎて調子が悪いときは、相当に体調がよくないのである。

実は昨日の三条がそうであって、乗り切れない、というか疲れたセミナーをやらかしてしまった。
土田さんにお昼はしっかりとヘギそばをご馳走になったにもかかわらず、それも鴨せいろ状態のてんぷら付きという御大尽さまコースだったにもかかわらずだ。反省。

もっとも喋ったのは2時間、わたしのいうIT化についてだったけれども、何度もやっている内容にもかかわらず、なぜか言葉が流れない。とちる。。。おかしい、変だ、と思っているうちに2時間が過ぎてしまった。そして後の1時間は実技講習。う〜ん。なんか不完全燃焼の感はぬぐいきれず。再び反省。


それで今日のお題の反省なのだが、その昔、反省だけならサルでもできる、というフレーズがあったが、あれは間違いである。んなぁことはねぇ(いいぞ江戸弁)。「反省」はサルには出来ない行為なのである。なぜならサルには文字がないからだ。

いや、そんなことはない、サルも反省するとおっしゃる方々へ一言。
私が「反省」というとき、その意味は次の通りである。

『「経験」を振り返り、徹底的に「追体験」することによって、そこで学んだ「智恵」を可能な限り言葉にしようとする方法。「反省」を通じて、そこで学んだことを言葉で表そうと極限の努力をするとき、「言葉で語れる知識」だけでなく「言葉で語れない智恵」も掴みやすくなる』(『これから知識社会で何が起こるのか』 田坂広志(著) 東洋経済新報社 2003年7月17日)

こうして田坂先生の言葉に照らし合わせてみると、この店主戯言は「反省」の実践のあであることがわかるだろう。そしてこれがわたしのいっているIT化なのである。

わたしはわたし自身で人体実験をしているようなものなのだ。

とここまで書いて、めざましTVの「今日のうらない」を見て・・・わたしゃ最下位じゃないか・・・沈没。(T_T)

2003/11/25 (火)  
【わたしが学生時代にたどり着いたところからは、一歩も先には進んでいない(本当は少しは前進している、とわたしはおもっているのだが・・・)】

最初に、12・8 東京独演会【僕とミームと東京で】情報。
あと5、6名様の枠ありです。(^o^)/


さて、「わたしが学生時代にたどり着いたところからは、一歩も先には進んでいない」と昨日書いたのだが、それが何かを書くのを忘れていたので、ここで書く。たぶん長文だろな。

それは、「分離不安」の壁なのである。(唐突に何を言う・・・)

分離不安は親子関係(親離れ、子離れ)だけではなく、それはどこでも起こっているように私には思える。
それは子供は親(とは限らないが)の保護の下でしか生き延びれないという人間の生物学的な限界であって、人はそもそも親離れが遅い生物なのである。

そして最近はますますその傾向が強くなっている。
→モラトリアム期の長期化

私達は常に理解者を求めている。村八分が今でも十分に有効な針千本マシーンであるように、私達はいつでもだれかからその存在を認められながら生きていたいのである。

しかし、それはなぜか、と問えば、人間は一人じゃ生きられないから、というつまらない答えにたどり着いてしまうだけで、マズローの欲求5段階説なんかも、まあ、それに限らず人のさまざまな感情や欲求なんかも、結局はそれだけに支配されているんじゃないかと思うときもある。(それを分離不安と呼ぶべきじゃないのかもしれないが・・・)

わたしは学生の頃、分離不安を根源とするような人の感情や欲求のようなものが、組織における悪玉コレストロールのように、意思疎通の障害になっていると感じていた。それは社会人になってからもずっと続いていたし、独立してこの仕事を始めても続いていた。

しかし、それがなにものなのかが、その正体がわからなかったのである
なぜ私達は合理的ではないのか。それがなぜのかが理解できないでいたのだ、というよりも思考をあきらめていたのである。

新古典主義がいくら合理的な意思決定をする個人を想定しようとも、私達は必ずしも合理的には動かないものであることを知りながら、わたしが新古典主義的である合理的な人間を想定しているCALSに惹かれたのも、そして生まれたばかりのデジタル・コミュニケーションの表層的可能性、つまりIT革命の表層的可能性を過大評価していたのも、そのせい(わからないから、というか、あきらめか・・・)であったように感じている。

私は、日本でIT革命がいわれた頃、ITの必要性を合理性や効率性に求める論調に違和感を感じてはいた。

多くのIT革命論は、なぜ合理性や効率性をITはもたらすのか、なぜそれが人間に、組織に必要なのか、という部分の考察が端折られていたままだったからなのだが(曰く、時代の流れ・・・)、人の感情のようなものが、組織における悪玉コレストロールのように、意思疎通の障害になっていると感じていた私には、むしろそれは好都合な展開だったので、短絡的にIT革命を肯定していた。

しかし、いくら人間観を合理的な個人にしたところで、そしてIT革命を肯定したところで、現実はなにも変わらないことに気が付くのに時間はかからなかった。

そればかりか、誤った眼鏡をかけることで、歪んだ現実を無理やり正しいものだと見ようとするだけで、なんの問題解決にもなっていないのじゃないのかとさえ思い始めた。

そしてなによりもわたしに起きた現実は、ITの持つ合理性や効率性以外のものの存在とその可能性をわたしに考えさせずにはいなかったわけだ。それは、わたし自身がITを合理性や効率性とは違った使い方をしながらも、まがりなりにもこうして飯を食っていることの不思議である。

わたしのいう「IT化」が、『今という時代(インターネット社会)に登場した、デジタル・コミュニケーションという新しいコミュニケーション方法の可能性を追及することと、そのことによる人の変化(新しい時代への適応要件を身に付けること)』であるのは、そのためである。

ここで起きていることは、合理的な意思決定をする個人というよりは、なにか組織における悪玉コレストロールのように感じていたものが、使い方によっては善玉コレストロールのように存在できるのではないか、というパラダイムシフトである。

ここで、わたしの思考は20年前にいったん戻るのである。
双六でいえば、ふりだしに戻る、である。

しかし、20年前のわたしは、ドラッカーとフォレットと分離不安とアノミーぐらいしか知らなかったわけで、つまり、圧倒的にキャパが足りなかった。だからやたらと本を読むことから始めたのである。

最初に必要なものは圧倒的な量だ、という確信がなぜかわたしにはあって、それはなぜかはわからないのだが(じつは知っている。量から質への変化。マル経をかじった方にはおなじみのフレーズである)、とにかく量をこなすように読んだ。

読書というものがおもしろいのは、それは著作者の頭を使って考えることと同義だからである。

ただ、著作者と己の圧倒的なキャパの差は、著作者の脳細胞を使った思考さえ許してもらえず、最初は点でしか存在しない(つまり、わからない)。その点として点在する様々な著者の思考が、量をこなすうちに線と線とで結びついてくる瞬間がある(質的変化)。それはやがて面を作り出し、思考として体系化できてくるようにわたしは感じた。

今、わたしの興味の対象は、『今という時代(インターネット社会)に登場した、デジタル・コミュニケーションという新しいコミュニケーション方法の可能性を追及することと、そのことによる人の変化(新しい時代への適応要件を身に付けること)』にあるのはいうまでもない。

その理解のために、わたしはミーム論を身につけ、ソーシャル・キャピタルの効用と問題を語れるようにし、コミュニティ・ソリューションの可能性が何者であるかを考えている。

それは確かに、わたしが学生の頃に感じていた、『人の感情のようなものが、組織における悪玉コレストロールのように、意思疎通の障害になっている』を越えられるかもしれない。

研究テーマ的に書けば、「IT化がもたらすソーシャル・キャピタルの可能性-ミーム論からのアプローチ-」が私の今取り組んでいるものである。しかし、これも学生の頃に感じていた組織活動に対する違和感がなければ、結局はここにはたどり着かなかったのも事実なのである。

しかし、、「分離不安」の壁を越えていくのは難しい。
そこにはソーシャル・キャピタル功罪が潜んでいるわけだが・・・。

今はIT化によって広めそして薄めていく、という表現しかできないのである。

ということで、本日の私は三条法人会青年部さまで講演。建設業というドメインからは離れたIT化のはなし。講演終了後帰路につき、今晩は浅草で面談。

2003/11/24 (月)  
【バルネラブルの効果はスパイラル的に展開する】

結局、わたしが学生時代にたどり着いたところからは、一歩も先には進んでいないなぁ、と思う今日この頃、今のわたしはといえば、福島から帰宅途中の「やまびこ」車中である。

この連休中、沢山の親戚の方々とあって感じたのは、親戚コミュニティにおける、わたし自身のソーシャル・キャピタルの欠如である。つまり全然信頼されていない。

これは、ソーシャル・キャピタルに関するある定理を、ある程度は実証した結果になった。
その定理とは以下のようなものである。

「あるグループ内での信頼が、別のグループで通用するとは限らない。」

つまり、信頼というのは個人に帰属するものではあるけれども、それを認識するのは、コミュニティやグループなのであって、本人が「わたしは信頼できます」といったところで、本人以外がそれを認めなければ、それは信頼とは呼べない、ということだ。

つまり、信頼は、必ず複数の人間の間に存在するのであり、その構成要因が異なれば、その場における信頼のもつ意味合いも異なる。

それも当然で悩むような問題ではない。
信頼とはミームであり、人々の情報的相互作用でしか形成されないものだから当然なのだ。

つまり、世の中「独り善がり」程、見苦しいものはないのも、たしかなのである。


宮崎の橋邊さんからおもしろいメールが届いていたのでご紹介しよう。

 しかし桃組の皆さんは驚くくらいに日々情報の発信し、巡回書き込みを実施しいますね!
凄いっと思います。きっと彼らも「PC」ばかりいじっているはずがないので、時間を見つけ更新を実施しているのでしょうが・・・なかなか真似が出来るものではないですわ!

 朝方に桃知さんの戯言もほとんど更新されていますが、いつ作業を実施しているのですか?
昼間は講演や打ち合わせ、夜は毎晩飲んでいる。移動時間と言っても集中出来るのは1時間も無いのではないでしょうか?
 
 また、毎日沢山送信されてくるメールに平均して何通返信を書いているのでしょうか?その他、イントラ等への書き込みもありますよね!
PPTの作成も移動時間にちょっちょっ!と作ると言われますよね・・・不思議だ。

 戯言でご自分の文章が長い時がありますよね、考えながらタイプするのには結構な時間を要しますが(私は)、これが出来るのも「芸・技」だと思います。桃知さんも不死身ではない訳ですから、事前に「ネタ」のまとめはされていて、それを一気にやる抜くのだと思います。

 オバー・キャパを自分の物にするには色々な事を体験し考えなければなりません。大抵の方は自分の殻の中で考えるだけに終わりますが、その考えた結果(=バルネラブル効果の反応)を「毎日書く・更新」のですから、やっぱり凄〜いです。! 私なんかたったこれだけの事を書くのに約1時間も費やしています。

 まだまだ何をやっても未熟ではありますが、日々前進を目標に今後も頑張って行きたいと思います。


確かにわたしの稼働時間の短さは特筆に価するだろう。
とにかく夜はまったく使い物にならない、ただの酔っ払いのオヤジであることは、皆さんよくご存知のところである。(笑)

じゃぁ、こうしてホムペを毎日更新するのは無理なのかといえば、そうではない。
ちゃんと毎日こうして書いている。

これはサラリーマンの頃のわたしだったっら、絶対に出来ない芸当であることも確かだ。つまり、タイピングと思考のラップを含め、わたしのキャパは少しは上がっている結果だと考えてもいいだろ。

それは何ゆえか、といえば、つまりはこの戯言を毎日書いているからであって(笑)、宮本武蔵の言葉が正しいとすれば、千日の訓練を「鍛」といい、万日の訓練を「錬」という、つまり、継続することは力なのだ、ということだろう。それは、「覚える」ということが身体で覚えることだからなのだと思う。

やらなかったら、いつまでたってもできない。
ただそれだけだろう。


それから、最近のわたしは思考「おたく」気味なので、暇さえあれば考えている。(かつては考えること自体を否定していた・・・ぐらいバカであった)

ただ単純にそれ(考えること)が好きなのだ。なにもしていないようなときでも、じつは何か考えているわけで、それを忘れないように可能な限りメモをしている。

その結果は「わからない」ということがほとんどなので、またまた考える。勉強する。その思考のプロセスは自分がバカであることがわかるプロセスである。つまりバカを再確認してしまうプロセスなのだが、バカを自覚することで、だから勉強しよう、考えようと思う力が沸いてくる。それがじつに楽しいのだ。

その備忘録が、じつはこの戯言だったりするので、わたしのPCでは、ホームページ・ビルダーがいつも起動しっぱなしなのである。


それからなによりも、わたしには年がら年中なにかしらのメールが届いている(それもバルネラブルの相互作用の結果だが)ので、その日の気分で心に引っかかったものをここに転載できる。

これは言うなれば、「手抜き」と「発想のきっかけ」の二つの機能をもっていて、今回もこうして橋邊さんのメールを手がかりになにやら書き始めることができるのである。

つまり、バルネラブルの相互作用の結果とは、始めなければ何も生まれない。生まれたものは継続的にさらすことで、スパイラル的に発展する、ということである。

2003/11/23 (日)  
【頭が痛い】

昨晩は、久しぶりに顔を合わせた弟さまたちと痛飲をしてしまい、今朝は二日酔い気味で頭がいたい。

金曜日に、こんなメールが届いていて、三条での惨状の中(笑)、ほっとすることができたという、癒し系のメールであった。

桃知先生へ
社会福祉法人クピド・フェア 杉山です。

ご無沙汰しております。
IT広報委員会でもお会いしましたが、お話する機会がなく残念でした。

突然メールさせて頂いたのは、久々に「ももちどっとこむ」の「今日の戯言」を読ませて頂いて、”くうけんねっと”リニューアルについての記述があり、私どもの仕事にお褒めの言葉頂き、ありがとうございます。

一言お礼が言いたくメールさせていただいた次第です。
ありがとうございました。

そういえば、くうけん・ねっと(空知建協)オリジナルキャラクター名称募集中は、11月28日までなのであって、急げ!がきども。もとい、少年少女たち、なのであった。

ということで、今朝は頭が痛いのでここまで。

2003/11/22 (土)  
【3日間ご苦労さまでございました】

中小企業大学校三条校、昨日の午後のお茶のラインアップ。
すべて冷たいおしぼり付き。

お昼ごはんの時には緑茶、その後、珈琲にりんごが付いた。
3時の一服にはアイスコーヒーがでてきて、講義終了後には、一見緑茶かと思いきや飲んでみると昆布茶。思わず、うまいと声をあげてしまった。これにはやられたなぁ、と感心。見事な予想裏切り作戦。

しかし、このお茶のラインナップはただ事ではない。きっと講師をびっくりさせてやろうという意思がどこかで働いているに違いない。ドアの影でほくそ笑むお姉さま方の顔が思い浮かぶ。

聴くところによると、講師の好き嫌いデータベースがあるらしい。
なんでもバクバクと食べたわたしはきっと、「桃知利男=なんでも食う」と記録されたのだろうな、と思う。

しかし、あんまり講師を甘やかしちゃいけないような気もする。
居心地がよいのはいいけれども、年中あんな環境にいたら、自分はダメになるだろうな、と思ってしまったのも事実ではある。


昨日の午前中は、実際にサイボウズを使った実地講習。
わたしが協会ベースのIT化でやる、実地講習+企業ベースを少し、といった内容だったけれども、これは、国領次郎氏が、「ときめくパーソン」でいっていた「手法以前」の問題に対する解決方法なのである。

国領氏曰く。
『ただ、建設業界で問題なのは、手法以前のことなんですね。建設業界のITリテラシーは、全体で見ると思っていたよりも全然低かったんです。コンピュータでファイル交換ぐらい、どの会社でも平気でやるのかと思ったら、そんなことはない。』

『ですから、今私が言ったような業界の慣行とか、建物の建て方の考え方とか、リスク分担の考え方とか、そういう難しいところでひっかかるかと思ったら、むしろその入口よりも手前のところでひっかかっちゃっていて、大変だと思っていたところに到達しなかったというのが実際のところですね。』(http://const.nifty.com/ 「ときめくパーソン」 CMnetが思ったような結果になっていないことに対して)

IT化に対するアプローチは、建設業に限らず「手法」つまり技術論をもって論ずるのが正しいような風潮があるが、こと建設業に限っていえば、問題は「手法以前」のところにあると考えた方がよい。

そのためには、ここから始めるということだ。

ここで誤解のないように断りを入れておくが、情報化やコンピュータ化と呼ばれているものと、私がIT化と呼んでいるものは明確に違う。

わたしが情報化やコンピュータ化というとき、それはOA化、事務処理の効率化のことをいっている。つまり、通常の意味での情報化である。

一方IT化とは、今という時代(インターネット社会)に登場した、デジタル・コミュニケーションという新しいコミュニケーション方法の可能性を追及することと、そのことによる人の変化(新しい時代への適応要件を身に付けること)をいっている。

だから、建設業のIT化の問題が手法以前のところにあるとすれば、ここから始めるるしかない、というのが今のわたしの結論なのだ。

昨日の吉谷さんの講演は、自社事例+ブレイン・ストーミングのはなし。
イントラネットがミームプールであり、脳神経の延長上にあるものであることを理解できないと、出来ないはなし。(笑)

つまり、ミームという概念を理解していないと理解も難しかったかもしれない。
とはいえ、ますますパワーアップする「よしたに一寸よむ」。皆さんのどのように感じたのか興味深い。

ということで、皆様三日間大変にお世話になりました。また、どこかでお会いいたしましょう。
そして吉谷さん、日帰りで申し訳なかったけれども、どうもありがとう。m(__)m

それでわたしは今日は私用。
祖母の法事だ。

2003/11/21 (金)  
【@中小企業大学校%三条】

中小企業大学校三条校はすこぶる快適なところである。

講師専用の宿泊所があって、ここはちょっとしたシティホテルよりも部屋は広いし、ちゃんとディスクワークができるように机と立派な椅子とスタンドがついている。ベットの羽毛布団も申し分ない。

授業の合間合間の休憩時間も、講師専用控え室に行けば、冷たいおしぼりとお茶でも珈琲でもなんでも出てくる。恐るべし、中小企業大学校。

受講生さまより。
岐阜桃塾から一年。地元新潟で桃論以後の進化系を聞かせていただきたく参上した次第です。

(昨日締切りの原稿間に合いましたでしょうか?風呂には入れましたか。
エッジの接続もあまりよくなく少し心配いたしました。)
ご自愛ください。

今日(もとい昨日)のミーム論、相補均衡論、やっしーくんの話、
私にとって1年ぶりのライブ(やっぱり生はいい!)ですが、先生のお声が少し高めのように感じます。べらんめぇ調にドスが聞いて、まさに、立川談志のような語り口と抑揚に感じられるのです。
ふと立川談志の漢字を調べようとyahooで探したら、中毒ドットコム http://www.chudoku.com/ すごいところ入ってしまいました。糸井さんのほぼradioは一服清涼剤でしたが、ここは、まさにミームの総合商社ですね。

吉谷さんのライブも楽しみです。     まにあ1号さんの知り合いより

このメールにもあるように、わたしは昨日の懇談は早々に切り上げ、昨日〆切りの原稿作成に励んでいたわけだ。そいつを何とか形にしたのが午前1時なわけで、それでメールチェックをしたら、上のメールが届いていた。出塚さん、ありがとう。

それでだ、今日はゲストスピーカーとして、吉谷さんをお呼びしている。
岩見沢に引き続き、師匠にこき使われる「よしたに一寸よむ」なのである。


自分は株式会社 砂子組の 広上伸二 です。
(バス停リフォームの現場担当者)
火曜日の夜は、忙しいところ付き合っていただきありがとうございました。
いままでに先生の講演を4回参加していますが、工事を施工するのにはとても役に立ちます。
もらった情報を若手社員に間違いなく発信して、指導していきます。

食つうではありませんが、3日間、東京に居て食べのもので美味しかった思えたのは、杉さんのうどんと清司さんのおすしだけでした。
工事と同じようですね、良い物を造るとまたお願いしたいと思う気持ち。
〜外見じゃないんですね、心が大切なんですね。

自分はうまく書けないのでヤフーのメモ帳を利用して、今日の出来事を毎日書くようにしています。
それをサイボウズに添付しています。これも先生の講演から教わったことです。

12月12日、栃木建協が会社にきます。その時、自分が現場プレゼンを披露することになりました。今までに3回しかプレゼンしていませんが(少人数)場をかさねてステップアップします。

自分はフジフィルムのフォトコレクションを現場HP風に使っています。
今すぐ見てください。
http://collection.photosquare.jp/open.php?ad=27563

これからも先生の講演に参加し勉強します。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

「自分は株式会社 砂子組の 広上伸二 です。」といういきなりの書き出しはただ事ではない。思わず身構えてしまったではないか。

それと「今すぐ見てください。」もただ事ではない。思わず見ちまったじゃねーか。


まにあ・1号の舎弟さま(つまり長谷川さんだ)からのレポート。
建設フォーラム2003

砂子組 熊谷氏 講演
「VE活動やIT化で何をえるのか」

・砂子組のBPR(業務改革)への取り組みは5年前から始まる。
 当時、本州で公共事業の下請けをしていた際、砂子社長は「公共事業が今後減っていく」最新情報を手にいれる。当時北海道では、うわさはあるものの、危機感はまだ薄かったにもかかわらず、砂子社長より意識改革を実施しようと呼びかけがある。

・5年前は、PCも個人所有であり現場職員も「自分の情報は自分のもの」といった風潮があった。

・その中で実施したのが「PCD(プロジェクト・コスト・ダウン)活動」であった。
 当時は活動名が最初につきあとから実施方法を検討。まずは、1グループ7〜8現場にて4グループをつくり、各グループにて話し合った内容をグループ長同士で情報共有する仕組みを作る。
 しかし、最初はうまくいかなかった。情報を共有できなかった理由は「自分の言葉で自分のことを書く(しゃべる)ことができなかったこと。今までは、現場の数字にいくら強い職員が集まった「砂子組」と言えども「フォーマット」された世界でのこと。「フリーハンド」で書く大変さに現場の職員は大変戸惑ったとのこと。
 当時社内には「くれない虫(・・・・してくれないいだよ)」と「べき虫(・・・・すべき)」が発生したという(PPTではイラストがあったのですが伝えられない・・・)。
 これはグループのリーダが動かないとやらなくなるということがわかった。(社内の熱血先生の必要性の認識)

・その中で、少しずつ努力をしていき作成していったのが、「CD報告書」である。
 CD報告書は、@各現場の工夫していることの報告(工事資材をつかった環境にやさしいバリケードなど)Aロス、ミス、失敗例といった内容を各グループが報告するようになっていった。
 ただ報告するだけでは現場のモチベーションがさがるところを、年に1回「全体研修会」という良い事例の発表会と、表彰式を 実施することにより「翌年もがんばるぞ!」と年配の職員がいうようになったという。(表彰式のビデオを会場で流したのですが、本当に喜んでいる職員の姿が多く映ってました。)

・いろいろな取り組みを実施し、失敗することもあるが、熊谷さんは「バカになって一生懸命がんばること」を ポイントとしていた。(このミームは社長のミーム?)

・こういったBPRをさらに速度をつけ情報を共有する手段としてIT化に取り組み、さらなる加速がついていったことが 述べられている。

*とにかく熊谷さんの熱意が伝わってくる講演でした。
 バックにあるのは砂子組の社風であり「社長のミーム」だったことが伝わってきました。
 職員のリテラシーの高さ、そしてIT化を仕事につかながら、周りから見ると楽しげに見える本当に良い内容の講演だったと思います。

以上

なんだかただ事ではないな、砂子組。


わたしはちゃんと覚えている○井さまからのメール。
桃知さん、お久しぶりでございます。北関東から○井でございます。

数年前に、請求〜入金(の消し込み)ウンヌンカンヌンで何度かメールを送らせていただき、「被爆」した者です。
桃知さんは、(私のことは)もう記憶の彼方かもしれませぬが、あれからも毎日毎日「戯言」を拝見しております。桃論も読んで、会社の机においてあります(笑)。☆\(--;)
それにしても、お体もお脳もお疲れのようで、大切になさってくださいませ。

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さて、先日の【IT化についてのごゃちゃごちゃしたはなし】に感激しましてメールを書いています。
(ワードにコピーして、大事なフレーズに色をつけるくらい感激しました。)

桂さま)ゼネコンの職員は、このようにもともと母体である会社に対する、
     関係性が希薄な面があります。・・・F2Fのコミュニケーションが
     保障されないまま、IT化に走っていくわけです。

↑そうなんですよね。いろんなメディアで解説されている経営論みたいなものって、「会社=人生」的な構図が前提になってるよーな気がします。
現場代理人の場合、「現場=俺」みたいな感覚が第一で、会社の存在って薄いのかも知れません。

なので、「現場が収まる」ためのコミュニケーション(つまり施主の担当者とか、業者さんとか)は必死でやるけど、社内では知らんぷりなんだ。。。

桃知さん)しかし、多くの方々は、情報を発信する、ということさえ出来ないのだ。

↑目から鱗です。。。お仕事のお話しをキチンと(ある程度論理的に)声に出してお話しできないヒトが、キーボードだとジャンジャン喋り出すってのも不自然ですわね。(話し下手のヒトは除いて)
要は、「自分をさらしたら損だ」って文化があったら、キーボードだろうが音声認識だろうが、完璧なまでに「自分を隠す」んですねぇ。。。

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私も(遅まきながら)部内のイントラを勝手に立ち上げて、メール+イントラで社員へのお知らせとか、資料とか、社員の面白い写真とかを掲示したりしています。
勇気を振り絞って、「内勤者の戯言」でもやったろかとも思ったりしますが、桃知爆弾の被爆者は私一人なもんですから、なかなか勇気が出ないでおります。\(_ _)

桃知さん)しかし、少しでも自分の生き方に疑問を感じるようになったら、
      IT化の持つ可能性を考えてみてほしい。
      それは、あなたにお金を運んでくるわけでも、幸せを運んでくる
      ものでもないかもしれない。

お金も幸せも欲しいです。でも、その前に自分を自分にしたいと思います。
今回の桂さまの「声」で、「もしかしたら建設会社ってどこも同じ?」って思えて、少し勇気がでました。
(これでボーナスの査定が良かったら、もっと元気になるのに。。。笑)

また、皆さまの声を紹介してください。

それでは。

それでは。寝なくちゃいけない。

2003/11/20 (木)  
【新しいであい】

中小企業大学校三条校にて二日酔いっぽく目覚める。身体の調子がよくない。喉が痛い。
乾燥しているのだまぁ、とスチームをいれた。

昨日の講義は「あらすじ」をお話した。私のIT化に対する考え方の基本的な部分を話した。
PPTは大阪三人会用のものを使い、しかし芸としてではなく、私のIT化に対するものの考え方の概要をお話したわけだ。皆さん熱心にお聞きいただいた。目の輝きが違う。

授業が終わってから懇親会が準備されていたのだが、そこでしっかり飲んでしまった。
新潟は日本酒がおいしいので、ついつい飲みすぎてしまう。日本酒は気をつけなくては思ってはいるのだが、どうしてもダメだ。意志が弱い。でもまた新しい出会いがあって、とても楽しかった。感謝である。

12・8 東京独演会【僕とミームと東京で】は順調にお申込みいただいているけれど、それでも残席はまだ10人様分ぐらいはある。建設業界からの申込みは極端に少なく、知っている方も極端に少なく、でもまた新しい出会いの場になりそうで、本人はけっこう嬉しかったりしている。


ところで、今日〆切りの原稿は中途半端なままである。それは当然で、毎晩飲んでいたら原稿書きなんてやっている暇がない。私は極端に稼働時間の短い人間なのである。ほとんどお天道様と同じである。でも今日は午前零時まで今日なわけで、今晩がんばってみようかと思うが・・・どうなるかはわからない。★\(^^;


砂子組の熊谷さまからメールが届いたので追加。

おはようございます。桃知さま。
砂子組 熊谷です。

建設フォーラム、なんとか40分乗り切りました。
伝えようと考えていたことが、本番では言葉がでてこなかったりするものですね。
会場の雰囲気を感じる余裕など、まったくありませんでしたが、プレゼンが終了した後は、とても気持ちのいい感覚が残りました。
これも全て、前日の導き地蔵お参りのおかげでしょう。
そして、憧れの浅草、杉、清司にて、桃知先生と共に時間を過ごしたことが、間違いなくプラスに転じているのです。(かなり酔いが回り失礼いたしました。)

全国から桃組みの方々が、応援に駆けつけていただき、とても心強かったです。
広くて薄い紐帯を実感し、まだお目にかかったことの無い、熱い人達とお会いでき感激でした。そして、夜は桃組み恒例のF2Fの、熱き芋掘り大宴会。(最高!)
みなさんありがとうございました。

まずは、フォーラムプレゼン終了の報告まで。

2003/11/19 (水)  
【IT化についてのごゃちゃごちゃしたはなし】

昨日は、盛岡から帰宅後、北海道から遠征してこられた砂子組の方々と、今日のプレゼンが上手に出来るようにと、導き地蔵をお参りし、久しぶりの「杉」にて一献やらかし、その後清司に寄り道して蛸を食べて帰った。今日のプレゼンターの熊谷氏は相当くたびれていたみたいだが大丈夫だろうか。

さて、今日は仙台の桂さんからのメールの引用から始めよう。
桃知さん、大阪では大変ありがとうございました。
大阪の未知の世界も垣間見てしまいましたし、、(^^)
大阪三人会の後、感じたことなどは、ちらっとですが、ここにまとめてましたので、一応お知らせまで。
  ある建設技術者のメモ http://d.hatena.ne.jp/ka2don/20031113


ところで、本日の戯言で紹介された本 『人と人の「つながり」に投資する企業 ソーシャル・キャピタルが信頼を生む Harvard Business School Press』ですが、実は、大阪の紀伊国屋で見つけて読み始め、ちょうど私も読み終わったところでした。

そして、「ITによって人間関係が希薄になる」というものに対して、納得しながら反論していたのでした。

というのも、私が企業で生活していたときの体験では、「ITは(会社内の)人間関係を希薄にする」ものであったからです。私の場合、会社外の人間関係はこの逆になり、現在に至っているわけですが・・。

これは、会社における妙な効率性追求で、ITによるリストラが間違った形で進められているためだと思っています。(たとえば、同じフロアにいる人間に対して電子メールで連絡をしなければいけない仕組みの強制など)

特にゼネコンの現場職員は、「所属会社」というものにデスクを持ちません。
彼らの会社は、「現場」であり現場事務所にしかデスクがないのです。

私は、以前の会社の本社には数回しか言ったことがありませんし、所属する支店でさえ現場をやっているときには、年間に数度しか行く機会がありませんでした。

ゼネコンの職員は、このようにもともと母体である会社に対する、関係性が希薄な面があります。
そこへ、IT導入で、すべての業務連絡は電子メールとイントラネットの掲示板で行われることになります。F2Fのコミュニケーションが保障されないまま、IT化に走っていくわけです。

本に書いてあるとおりに鵜呑みにすると、私が、いつも酒を飲みながら口論になる某ゼネコンの部長さんと同じように、「だから電子メール(IT)なんてだめなんだ!」って解釈をしてしまう危険をもつ本ではありますが、ゼネコンなどの大企業は、もともとF2Fの企業内コミュニケーションが希薄だった上に、ITに偏りすぎたコミュニケーションを強制してしまうので、この本の指摘するように「企業内の人間関係を希薄にする」のだと思いました。

企業内のネットワークの運営者や、経営者の方には、「使い方を間違えるとこうなる」ひとつの警告として読んでいただけると良いのかなと思いました。

ITを導入したけど「会社内のコミュニケーションが思うように活性化していないな」というお悩みを持つかたには、ちょっとしたヒントがあるかもしれない本だなとも思いました。

以上、大阪の御礼と本の感想まで。

#明日は東京に、熊谷@砂子組さんと太田@ジオさんに会いに行きます。
  http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/NCR/forum/

さて、桂さんの指摘のように、比較的大規模な経営を行っているゼネコンにおけるIT化が、会社内の人間関係を希薄にするものであったとすれば、それは哲学不足の栄養失調状態のIT化をしているからに過ぎない、というのがわたしの立場である。

つまりそれはIT化ではなく、機械化をしたのである。機械論的な労働者の集合体としての会社組織を前提にOA化を行い(つまりリストラに伴う効率化だな)、その結果、自らの会社組織がそもそも持っている特徴(ミーム)がフォーマットされ、表面化しているに過ぎない。なぜなら、桂さんの指摘にあるように、この会社は、IT化以前の問題として、もともとF2Fの企業内コミュニケーションが希薄(できない)だったらしいからだ。

そもそもコミュニケーションが未熟な人間に対して、情報の機器を与えたところで、自ら情報を発信・処理できるわけでもなく、そこには、人々の長い沈黙が存在するだけだろう(Sound of Silence)。情報の機器はますますコミュニケーションの欠如を助長し、それをフォーマットするに過ぎない。

わたしが「現場の情報化」と言うとき、桂さんのいう現場の疎外感、帰属意識の薄さ、という状況を理解した上で、そこにコミュニケーション・レベルの情報化の必要性を提言している。それはわたしがこの仕事を始めてから一貫して変わらない主張なのである。

なぜなら、IT化においては、コミュニケーションを重視する視座の必要性、その精神的な拠り所としての哲学の存在の必要性があるからだ。人間組織には、ソーシャル・キャピタルが必要なのである。

仕事をしているときでも人間は機械にはなりきれない。
そしてソーシャルキャピタルは人間の情報的相互作用からしか生まれない。

そして哲学とは、わたしが創業以来主張し続けている「インターネットの精神文化」なのだが、それはけっして難しいものではなく、まずは自ら情報を発するところから始めればよい、というだけのものである。

しかし、多くの方々は、情報を発信する、ということさえ出来ないのだ。

だから、情報的相互作用は行われず、すなわちコミュニケーションは欠如する。
そして関係性はいつまでたっても構築できず、希薄であり続けるののは当然のこととなる。

自ら情報を発信し、自ら情報を取得し、自ら情報を活用するという、そのようなIT化における読み書きそろばんのようなものの訓練もされず、それがなぜ必要なのかの哲学もなく、いきなり情報の機器を与えられるのだから、すべてが閉塞して当然なのだ。わたしは、ただそれだけのことだと思う。

そして考えてみれば、ITどころか、アナログでさえ、情報なんてそもそも発信していない自分がいる。それに気づいたところで、それがなぜか、と自問する力もなく。

それがなぜかといえば、(情報を発信する必要のない)「安心」の世界に住み着いているからである。そして安心は己の視野を狭め、それだけのキャパシティ(現実の重み)しか、己に与えない。だからスパイラル的に状況は悪化する。

桂さんはかつての自分の勤め先を、ソーシャル・キャピタルの薄い会社のように書いておられるが、ある面それは正しいが、じつはそうでもない。

もともとF2Fの企業内コミュニケーションが希薄な状態で飯が食えていたというのは、建設業という、狭くて濃い紐帯にどっぷりと会社ごと漬かっていたからに過ぎない。会社自体は、濃い強すぎるソーシャル・キャピタルの中にいたのである。ただその環境にに気がつかないだけだ(魚は水が見えない)。

つまり、そこは「安心」の世界なのだ。
(この思考に届くためには「信頼」と「安心」の違いを知る必要がある。それは昨日指摘したことだ。)

「安心」の世界にどっぷりと漬かっていれば、当事者はおのずと視野を狭める。
井伏鱒二のオオサンショウウオのように、情報はさほど必要がないのである。

狭い視野の中で知っている方々と最低限の情報交換をすればよいのだから、コミュニケーションなどそもそも必要はなくなってしまっているのだ。

わたしは、ここに建設業界のIT化の必要性をいうのだ。


こんなふうに、わたしの言っているIT化は、ある意味複雑で包括的なものになってしまう。
ある程度の理論理解をするには、それなりのキャパを要求するし、だから難しいと感じる方もおられるだろう。

しかし、少しでも自分の生き方に疑問を感じるようになったら、IT化の持つ可能性を考えてみてほしい。
それは、あなたにお金を運んでくるわけでも、幸せを運んでくるものでもないかもしれない。

しかし、昨日よりは確実にキャパの上がった自分を見つけることができる、ただそういうものなのだ。


長野県からのメール。

排除勧告でました。長野県は他の事例と違って勧告前に崩壊しているわけですが、官製談合を認定しなかった事で、これまで敵対していた業界と地元マスコミのベクトルが一致しそうな雰囲気です。(告発)信頼なんてはじめからなかったんですよ。本当に実感しました、たった一年ですけど。県民との信頼回復なんて無理です。県と刺し違える人がでるでしょうね。土木部壊滅 知事のシナリオ通り我が将軍様は私費でフランス買物ツアー 私費だって税金です。やっと第2ラウンド開始です。終了のゴングが聞こえますように。

公正取引委員会は長野県内の測量・設計業者が、長野建設事務所の発注事業で談合を繰り返していたとして、独占禁止法違反(不当な取引制限)で、長野県内に本社を置く45社に対し、行政処分の排除勧告を行ったわけだ。ただ、公取委は、発注機関である県に対しては十分な証拠が得られなかったとして官製談合防止法は適用しなかったと。

信頼回復は確かに無理だろう。
なぜなら、信頼ははじめから存在していないのだから回復するわけはないからで、正しくは信頼の構築である。

しかし、それをあきらめたらうかばれない。
それは業界や会社の問題として考えるのではなく、あなた個人の問題として取り組まなくてはならない、ということだ。

ということで、今日のわたしは11月19日20日21日 中小企業大学校三条校の講師をしなくちゃいけないので、新潟県は三条までいくのだ。桃論は29冊送ったので、たぶん受講者さまは29名様ということだろうか?

2003/11/18 (火)  
【ソーシャル・キャピタルについて】

昨日の二戸は寒かった・・・。

cover『人と人の「つながり」に投資する企業 ソーシャル・キャピタルが信頼を生む Harvard Business School Press』

ドン・コーエン (著)、ローレンス・プルサック (著)
沢崎 冬日 (翻訳)
ダイヤモンド社
2003年11月7日

『桃論』にも出てくるロバート・パットナムのことばからはじめよう。
『信頼や規範、社交ネットワークといったソーシャル・キャピタルの蓄積は、自然に強化され累積されていく傾向を持っている。ある取組みにおける協力が成功すると、それによって人脈と信頼が構築される。これがさらに、将来、別の無関係な取組みんいおける協働を促す社会となる。従来の資本と同じように、ソーシャル・キャピタルを持つ人々は、ますますそれを蓄積していく傾向を示す。』

アメリカのビジネススクールには、ソーシャル・キャピタルを企業に応用する方法の研究をしいているところがあって、これもそのひとつである。ソーシャル・キャピタルがなにものかを知るには、わたしが知っている範囲ではもっともわかりやすい書物である。特に「信頼」の考察はおもしろい。なので紹介している。

ただし、はっきり言って、これだけ読んだらソーシャル・キャピタルについての理解は半端なものになるだろう。なぜなら、これはもしかしたら日本的な経営そのものだもの。(笑) 多くの方々は自分のやっていることの正当性を書いてくれていると思うかもしれない。そしてIT嫌いを勇気付けるかもしれない。しかし、それは甘〜い。

はっきり言おう、この本でソーシャル・キャピタルを知ろうとするなら、その前に、山岸俊男のいう「安心」と「信頼」の違いを知るべきだろうし、玄田有史のいう「ナロータイ」と「ウィークタイ」の本質を知るべきだろう。じゃないとこの本は読みきれない、というか勘違いしてしまうはずだ。

戦後の日本的経営はきわめて狭い紐帯で出来上がるソーシャル・キャピタルを内在している。建設業界というナロータイにはソーシャル・キャピタルがそれこそわんさかとある。しかし、そのソーシャル・キャピタルは「安心」としての存在なのであって、「信頼」でむすばれた人のつながりから出来上がっているものではないのだ。「安心」は視野を狭める。(だからこの国の建設業界は閉塞しているのだ、というのがわたしの主張なのである。

そこで、信頼の構築に向けて、IT化を利用するというのがわたしの考え方なのである。IT化がもつ「ウィークタイ」と信頼の関係性を、「ナロータイ」を薄めるように注ぐと・・・(これについては@Nifty C-PAS「ときめくパーソン」に「桃知利男氏 その2」でふれているので再読してほしい)

つまり、ソーシャルキャピタルが大切だ、と主張するこの本には、安心と信頼を区別する視点がないことに注意しなくてはならない。それがなぜなのかは意外と簡単で、これは米国の研究者が米国企業におけるマネジメントについて書いたものだからだ。つまり、環境(魚は水が見えない)が違う。

その環境とは、『「自立」や「個人」をめぐる神話の影響や、組織を機会やプロセスのの集合体のように考えたり、あるいは社会的な有機体ではなく個人のゆるやかな集合体のようにとらえる経営書の影響もある。多くの企業はあいかわらず、一九世紀〜二〇世紀初頭の仮説や原理氏したがって運営されている。企業としての富を生み出す源泉として、土地・労働力・資本しか考えられていなかった頃に開発された仮説や原理だ。』(p294)

このような環境を前提として、ここにソーシャル・キャピタルの必要性を説いているのが本書なのであるが、「公共工事という産業」はそもそもナロータイであり、ソーシャル・キャピタルのようなもの(安心)はたっぷりと蓄積されている。つまり、出発点が異なる、ということだ。そこに、「信頼」でむすばれた人のつながりから出来上がっているソーシャル・キャピタルを、再構築していこう、というのが『桃論』なのだ。


岩手の熊谷さまより。

600kmの旅は、いかがでしたでしょうか?

昨日、用事があって街に出たので本屋さんで『中央公論』を買い、大石久和技監の「本当に公共事業は悪役なのですか?」を読みました。

大石さんは、マスコミによるムード先行の「公共事業ダメダメ論」に対して、冷静かつ的確に、客観性をもって反論されていました。是非、多くの関係者に読んで頂きたいと思います。

ムード先行の批評・批判がマスコミをにぎわす昨今、「考えない」癖のついた我々一般人は、例えば同じ『中央公論』のP.46にある精神科医の先生のお話に『何も考えずに』ウンウンと頷いてしまう。

でも、桃知先生の毒牙にかかった人なら(笑)
「情報化が関係性を希薄にしている」ってホントかな?って思うだろうなぁ。

脇道にそれましたが、「店主戯言」を読んでいてよかったと思うのは、こんなものがあるよ、読んでみたら? 見てみたら? って知る機会が断然増えていること。

所詮、自分の知り得る範囲は限られているし、本屋さんに行くたびに、読みたい本のオンパレードで、いつもパニックになるし、私の住んでいるところには本屋さんはないし(全国約3,400市町村の3割に本屋さんがない)、いろんなネットワークが提供してくれる本の情報は、本当にありがたいものだと思います。

桃知先生、今日もウコン飲んで頑張って下さい!
それでは、またです。

ウコン忘れた・・・(T_T)


最後に反応そのものが嬉しかったメールを。
桃地さんこんにちは。 いつもは店主戯言のROM(Read Only Member)なんですが、14日の文におっ。と反応しまして思わずメールしてしまいました。

そう、中部地方整備局の職員「目が死んでる」ってのに。
私も職員だし・・・不幸なことに研修対象じゃなかったんですけど。

昔、○○さんの部下だったもので、2年くらい前に岐阜で話を聞かせてもらって、私はめちゃくちゃ面白かったんですけどね。 あのあと 反古典の政治経済学(要綱ですけど)も買って熟読したし、桃論も買ったんだけどなぁ。

私は技術系なのですけど、確かにこういう話って職場じゃしませんね。
そもそもその手の本を誰も読まないし、周りを見ていると、技術の人って「俺らの仕事は、与えられた枠内でいかにいいものを造るか。それ以上は考えない」っていう人が多いように感じます。まして民間みたいに自分の飯の食い上げに直接は関係ないなら、なおさらでしょう。

それに我々は(整備局の人大半)は役人であっても官僚(政策を考える人)ではないと思います。(多分入口が違ってて)決してなれないと思います。

最近は上から新しい入札方法とか試案がやたら降ってきて、自分らは何とかそれを回してるってのが大半の人の偽らざる状況でしょう。

となると、後は個人的に問題意識があるかどうかになっちゃう気がします。
研修は上司から伝えられるから、本人にその気があるか分からない。
だからまさに「興味がない」 のでしょう。
言われるとおり、「公共工事という産業」の未来は、我々にもかかっているんでしょうけど。今のところ少数の変人が憂えてるだけの気が・・・

いいな、本音で。

2003/11/17 (月)  
【人はパンのみにて生きるにあらず。ご飯も食べるし、麺も食べるし…哲学も食べる。】

今日も11月28日  『地場建設産業IT化戦略セミナーinくまもとPart5』と、12・8 東京独演会【僕とミームと東京で】の宣伝から ^_^;

■第5回桃熊会 『僕とミームと熊本で』

第一部(13:00〜13:50)
演題「岐阜県における建設業IT化戦略」
(財)岐阜県建設研究センター建設CALS/EC研修センター研修課係長浅井圭二氏

第二部(13:55〜15:25)
演題「空知建設業協会のIT化のあゆみ」
北海道空知建設業協会株式会社岸本組秋野裕幸氏

第三部(15:35〜17:00)
演題「建設業爆裂四方山話」
桃知商店店主桃知利男氏

【お問合せ・申し込み先】桃熊会事務局
 momotikumamotokai@hotmail.com  Fax:096-387-2231

詳しくは(↓)
 → http://www.momoti.com/gyoumu/semi_annai.html#031128


■12・8 東京独演会 『僕とミームと東京で』
【日時】 2003年12月8日(月)
【時間】 午後2時00分より午後5時00分頃まで。
【料金】 無料
【会場】 サイボウズ株式会社 セミナールーム
     東京都文京区後楽1-4-14 後楽森ビル12F
【定員】 25名さま程度
【懇親会】 予定あり

詳しくは(↓)
 → http://www.momoti.com/gyoumu/semi_annai.html#031208
申込フォーム
 → http://www005.upp.so-net.ne.jp/momoti/mailtoasamojuku01.htm


一昨日、昨日と、二日連荘でスカパーで寅さんを見ていたのだが、やっぱり渥美清の啖呵売はすばらしい、と思う今日この頃、本日は、岩手建協二戸支部さんでイントラネットの実地講習をおこなう。(これが啖呵売にならないように気をつけなくてはいけない・・・。) 約600Km、はやてで2時間50分の移動である。

このような事業者団体ベースのイントラネットの勉強会でも、わたしは極力顔を出そうと努力をする。そこには「人間はそのようにしかできていないのだ」としかいえないような、さまざまな事実が存在しているからなのだが。

昨日脱稿した依頼原稿にわたしはこう書いている。(現在二つほど原稿執筆をかかえていて、ようやくひとつ仕上がったというところだ。もうひとつの〆切りは20日。間に合うわけはない。★\(^^;)

 事業者団体における「組織的なIT化への取組み」は、具体的には、事業者団体イントラネットの構築による、事業者団体と会員間のネットワークインフラの整備と活用(インターネット、電子メールの活用を第一義とした)を中心とした活動となるのだが、それは、会員へIT化の扉を開けることと同義である。この取組みは次の二つのスキームの同時進行で始まる。

(ざっくり)

 (事業者団体ベースの)イントラネットの成功は、メンバーの情報リテラシイと密接な関係がある。時折見られるイントラネット導入失敗は、初期段階から高度過ぎるアプリケーションをスタートさせ、利用者のスキルが追いつけず、プロジェクトが立ち往生するケースがほとんどだろう。つまり、重要なことはシステムを構築することではなく、全ての会員の参加を目標に、イントラネットへの積極的な参加を促しながら、段階を踏んで情報リテラシイを育てていくことなのである。そのためには、このプロジェクトの必要性と重要性(哲学)を全会員に対して啓蒙し、手厚い教育活動を継続的に行うことが重要なのだ。システム構築後の具体的な活動は以下の通りだが、この活動がスムーズに遂行されるには、IT化委員会やサポートチームの献身的な働きが必要であることは言うまでもない。そのためには事業者団体幹部自らのIT化に対する前向きな姿勢が必要であることは、企業ベースのIT化と変わるものではない。

事業者団体によるIT化には、会員のIT化対応を前提とした啓蒙活動と教育(哲学と教育の必要性)が不可欠なのである。多くのIT化にこれが欠けるのは、マネジメントにおける哲学の軽視故だろう。人はパンのみにて生きるにあらず。 


11月14日の岩見沢建設協会さんの勉強会に関して芦別の熊谷さまよりメールをいただいていた。
昨日のお話を聞いて心のもやもやがすっきり晴れました。

八木沢さんの究極のさらしに参りました。自分にここまでできるか考えましたが、ん〜、難しい・・・まだまだ修行が足りませんね。^^;

それから「社員に頭を使わせる」、「ここで一人前になってよその会社に行っても通用する人間になれ」という言葉、なるほどなぁ、ひたすら感心しました。これは師匠の言う「可愛い子には旅をさせろ」と共通する物がありますね。

HPを作らせようと思った時、みんななかなか作ろうとしなかったとPPTには書かれていましたが、どういうきっかけで作り始める様になったかというお話も聞きたかったなぁ・・・

吉谷さんの考え方には正に脱帽。発注者に有益なイントラの構築というのもさることながら、それをそのまま地域貢献や公共工事ダメダメミーム排除にまで発展させる発想は凄いの一言ですね。他社のイントラと相互乗り入れも興味があります。

是非とも当社に来て頂いて、社員全員に聞かせたいと思いました。(必ず来てくださいねと言っちゃいました。笑)

話は変わりますが、当社でイントラ構築して4ヶ月。実は最近自分で書き込みができなくなってたんです。これを書いたらみんなどう思うだろうって考えるとなかなか送信ボタンを押す勇気が出なくて、書くには書くんだけどそのまま消去しちゃったり・・・

そんなとき師匠の「自分はバカだと自覚しろ」「情報は垂れ流し、人がそれをどう受け止めるかは相手次第」という言葉を再認識して自分が間違ってたことに気付かせてもらいました。
何でもいいから書かなきゃダメですね。
正に目から鱗でした。
ほんっっっっとに自分はバカなんだなぁと1人でニヤニヤしながら聞いてました。

そして北見の板倉さまから。
岩見沢からの帰りの汽車で・・・・・
今頃は、師匠は焼酎呑んでるのかな?
ウコンは飲んだかな?と思い思い北見まで4時間の車中でした。
(途中、鹿に衝突。無事走ってくれましたが)

八木沢様の、『反省』の数々を聞かせて頂いてHPの重要性、イントラによるスキルアップ。
又、どうだ、見てくれ!という社員を作る教育する必要性を熱く語って頂きました。

吉谷様には、これからの岩見沢、北見がまさに進むべき道を示して頂いたと思います。
イントラ−広域ネットワークを用いて、他社の技術の学習、新しいアイデアを生む可能性・・・
要は、キャパを増すと言うことですよね。

たくさんの岩見沢建協、空知建協の方々に圧倒されながらも、次回もできれば参加させて頂きたいなと強く思った次第です。

沖縄まで制覇された師匠ですから、全国制覇は間違いありませんね。(≧∇≦)
北海道は、当然寒いです。
ミームで風邪をひかない対応をして下さいませ。
では、又会える日を楽しみにしております。

岩見沢建設協会が今なにをしているのかといえば、今回のプロジェクトの哲学を理解し、熟成させているところだと言ってもよいだろう。システム構築はこの後の仕事にもってきてしまっているのだが、今われわれに必要なものとは「信頼」に裏づけされたソーシャル・キャピタルという哲学なのだ。目先の即物的な目標ではない。

わたしはソーシャル・キャピタルの重要性を説く人である。簡単に言ってしまえば、ソーシャル・キャピタルとは、何を知っているか、ではなく、誰を知っているか、という価値である。それは人と人との「信頼」を基軸にしたつながりにおいてそうなのであり、そのつながっていることと信頼の価値こそが、情報社会での資産になると考えているわけだ。

そこにIT化は存在している。それも狭くて濃い紐帯ではなく、広くて薄い紐帯における可能性において(この紐帯の広さは距離である必要はない)。それは、不特定多数に自らを売り込む、という、わたしが建設業界に対して要求している適応要件につながる。この時、バーチャルとリアルという二つの相互作用は1+1を3でも4にでもしてしまう。だから八木沢さんと吉谷さんは、14日に岩見沢にいたのだ。

ソーシャル・キャピタルを資産とできるということは、本来シチズン・シップを持つことにも等しい。人と信頼によってつながってこそ一人前なのである。それは狭い紐帯で得られる狭義の「安心」のなせるものではない。

しかし、この国は、ソーシャル・キャピタルをシチズン・シップの要件からはずそうとし続けてきた。そして昨今その傾向はますます強い。が、この国の競争力はそれに反比例して弱くなっていることに気がつけばいいだろう。(これについては明日にでも最新の書籍でも紹介しよう)


というところで、今日は夕方から盛岡にて大切な打ち合わせ。当然盛岡に宿を取っているわけで、明日は、午前中岩手建協にて管理者講習。午後から岩手県庁にて「建設業いきいきステップアップ委員会」。終了後帰路に着く予定である。

2003/11/16 (日)  
【僕とミームと東京で】

今日もしつこく2003年12月8日 12・8 東京独演会の宣伝をしなくちゃならないなぁ、と考えていて思い立ったフレーズが、『僕とミームと東京で』なのだ(笑)。もちろんこれは『僕とフリオと校庭で』のパクリであってなんにでも使える。『僕とミームと熊本で』であれば桃熊会だものね(笑)。安直なのであるが、わたしのキャパ(現実の重み)は、この程なのである。

それで東京独演会なのだけれども、土曜日の告知にもかかわらず、既に5名の皆さんから申込みをいただいたのは心から嬉しいとしかいいよいうがない。感謝なのである。懐かしい方々もおられるので、懇親会の準備をしたいと思う。


cover 『若者が《社会的弱者》に転落する』
宮本みち子(著)
2002年11月21日
洋泉社


昨日の帰りの車中、まにあ・1号さんが、大阪三人会でわたしがほざいた言葉である「シチズン・シップ」の意味がよくわからない、というはなしをしていたのだが、わたしのはなしの中での意味合いは「一人前」という程度のものである。この「一人前」という概念は社会がそう認めるということなのだが、それを考えると、まずは、それがその時代の社会構造によって変わることに気がつこうと。そして、一個の人間が社会から「一人前」と認められるとはどういうことなのだろうか、ということを考えよう、ということである。

つまり、モラトリアム期を経て、社会から「一人前」と認められる、社会の一員であると認められる、とはどういうことなのか、と考えるということは、それはたとえば、就職しない、家を出ない、結婚しない。社会に参画するチャンスが永遠に持てない(つまりシチズンシップの欠如)膨大な層を生みだしている「今という時代」とはなにものなのか、という視座をもてるということである。(詳しくは宮本みち子のすばらしい著作を読んでくれ!)

つまり、「シチズン・シップ」という言葉そのものが問題なのではなく、「シチズン・シップ」という言葉をフックにしたとき、そこに社会構造の変化を見る目をもてれば、われわれ個人事業主(には限らないが)が行う新しいビジネスモデルの可能性は、マーケットソリューションの支配する第3象限ばかりではなく、GC空間のコミュニティへの方向性である、第2象限や第1象限にみつけることも可能だろう、というはなしをわたしはしたのだ。

そして、そこでのビジネスモデルは、効率や合理性を追求するばかりでなく、「一人前」という概念から疎外された層、いうなれば「今という時代」に社会参画できないでいる方々に視点を向ける、という方向性をもったものでもいいだろうと、それはなにも若者に限ったことではない、ということだ。ただ、このビジネスモデルが成立できる絶対要件としてソーシャル・キャピタルは必要なのである。

つまりわたしのビジネスとはそこにある、というはなしが大阪三人会でのはなしだったのだが、経済用語スライドショーというサブタイトルの通り、ほとんど用語解説なしのマシンガントーク。それがわかりにくかったとすれば、それはわたしのせいではなく、聞く側にある、というのが、最近のわたしの立場なのだわ(笑)。だた、情報として質の悪さがあるとすれば、それはわたしの反省材料であり、芸の浅さ故である。


cover『庶民の発見』講談社学術文庫
宮本常一(著)
1987年11月10日
講談社


ついでに。もう一人の宮本、つまり宮本常一の『庶民の発見』をまたまた紹介しておこう。宮本は「社会生活における一人まえ」をこう書いている。

『一人まえは、以上のような作業能力だけではなく、社会生活の上にも認められた。それは社会人として調和のとれた人になることである。親は子を社会人として一人まえにするために、できるだけ子の教育を世人にまかせようととした。子供のけんかに親の出ることことを笑ったのもこのためであり、「可愛い子には旅をさせ」といたのもこのためである。』p218

これから続く宮本の観察によるコミュニティによる子供を一人前へとする機能が、11月3日に「NOT FOR SALE」について書いた以下の戯言につながっている。

「包括的」青年政策の目標。
・「自立」 社会、国家はそれを支援する。
・社会(コミュニティ)への参加。発言する機会と決定への参画。
・若者のコミッメント、創造性、批判的思考は、社会的な資産として生かす。

つまりわたしとは、これの可能性を、建設業について考えている人、それでお飯(まんま)にありついているというだけの存在である。そのときIT化はなにができるのだろうかと。ただそれだけである。


さて、辛辣な意見を書いた中部地方整備局での研修ではあったが、ホッとするようなメールが届いていたので紹介したい。救われた気持ちである。(三輪さん、うれしいなぁ)

昨日、中部地方整備局で桃地先生から講義を頂いた者の一人です。本日、1週間の研修を終え帰宅したところです。
昨日の講義、大変に興味深くお聞きしました。お世辞とかではなく、今回の研修の中で一番興味を引かれた内容でした。外部の方の刺激的(おそらく先生のお話は、普通の方よりもっと刺激的なのでしょうか。)なお話をお聞きする機会はなかなか無いため、私はお話にずいぶん引き込まれました。最後に頂いたお叱りについても同様です。ただ、研修カリキュラムの企画にご腐心頂いた三輪専門職に申し訳なく思っています。
早速、ホームページも拝見しました。昨日のことについても書いて頂いていて、ちょっとうれしいような、恥ずかしいような・・・。
中央公論の件、男らしくありませんが言い訳です。私は、大石技監の論文の件は全く知りませんでした。普段から中央公論などという本を目にすることはありません。でも、外部の方から掲載されていることを紹介され、私は国土交通省職員として自分の不勉強さをとても恥ずかしく思いました。反応しなかったのではなくて反応できませんでした。先生の講義の内容についても決して無関心というわけではありません。残念ながら、あの場にいた全員が興味あるとは言い切れませんが。
まとまりの無い内容になってしまいましたが、昨日の講義、中には大変興味深くお聞きした者もいる事だけでも知って頂きたくてメールをした次第です。またどこかでお話をお聞きする機会に恵まれればと思います。未熟な文章で失礼しました。

感謝申し上げます。m(__)m

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