「ももち どっと こむ」より

還暦祝い!平成30年9月15日(土)桃組「小さな勉強会」と「暑気払い」のご案内。山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)。

2018年08月01日|イベント



Lesson6 ミーム論(2)―なぜ社長の車は高級車なのか

なぜ社長の車は高級車なのか

では、「ミーム」についての理解をはじめる前に、ひとつの問いを持ちだしましょう。それは、「なぜ社長の乗る車は高級車なのか」という問いです。会社で社長用の車を購入する時、皆さんの会社でも、それが新車であれ中古車であれ、高級車とよばれるものを例外なく選択するはずです。その行為の良し悪しはここでは関係がありません。問題は「それはなぜなのか」ということなのです。

この問いに対する私からの答えはこうなります。

 〈社長が乗る車が高級車であるのは、買い手が高級車に対して持っている信頼とか偉そうに見えるミームを購入しているからです〉

なんだこのふざけた答えは、と思ったことでしょう。でも、ミーム論からの回答はこれでいいはずです。肝心なのはこの答えが正しいのか正しくないかなのではなくて、ミーム論はなぜこのふざけた答えを導きだせるのか、ということなのです。

それでは「なぜ社長の乗る車は高級車なのか」という問いを、まずは自動車の基本機能や性能という側面から考えてみましょう。

自動車が人やモノを目的地まで運ぶ機能や性能という面で社長が乗る車と平社員が乗る車に大きな差を見つけること、つまり差別化する理由を見つけることはむずかしいことです。それは排気量が 4000ccの高級車でも、660ccの軽自動車でも、運転手と社長という二人の人間と何がしかの荷物を目的地まで運ぶには十分な機能と性能を発揮するにちがいないからです。

そもそも自動車という商品は、車輪が四つあり、エンジンが付いていて、ハンドルはひとつです。そのハンドルを左にきれば自動車は左に曲がり、右にきれば右に曲がります。アクセルペダルを踏めば走りだし、そして加速し、ブレーキペダルを踏めば減速して止まります。あらゆる自動車にこの機能の違いはありません。

つまり自動車は、それらの個々の機能が集合しあった商品でしかないといってしまえるでしょうし、その基本的な機能と性能においては特別に差のあるものではないはずです。排気量が4000ccでも 660ccでも、自動車という基本機能に関して差はありません。最高スピードのような性能の部分や安全性という部分で差があるという反論もあるでしょうが、日本の法律が許す範囲の中で、それを云々いうこと自体たいして意味はないはずです。つまり、「なぜ社長の乗る車は高級車なのか」という問いに対して、自動車の基本機能や性能から答えを導き出す作業はたいして意味のないものでしかないのです。

そこで、ミーム論から答えを引っ張りだせば、社長が乗る車が高級車なのは、買い手が高級車に対して持っている信頼や偉そうに見えるミームを購入しているからです、となるのです。ミーム論で考えるということはこのようなものです。

社長の車を買うというのは、盗んでくることでもしない限り、市場という経済的交換の場を通して行われるものです。経済的交換では、私たちは単純に機能や性能という価値をお金で買っているような気になっているはずです。でもミーム論から市場を見るアプローチは、車を買うという経済的交換が、機能や性能とその対価の交換という行為だけでは成立してないことを理解する眼鏡を私たちに与えてくれるはずです。すなわち、ミームという眼鏡は、信頼や偉そうに見えるミームを見ることを可能にしてくれるのです。でも、疑問は益々大きくなったはずです。

 「買い手が高級車に対してもっている信頼や偉そうに見えるミームって本当になんなの」

Written by 桃知利男のプロフィール : 2007年09月19日 08:21: Newer : Older


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