店主戯言00206 2002/06/01〜2002/06/30 "There goes talkin' MOMO"


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2002/06/30 (日)  
【お疲れ状態】

昨日までで総文字数66,943文字。
昨日作業量2,344文字

昨日は横浜からお二人の来客。
そして本日の午前中は,長野県から。

なにか私自身がお疲れ状態なのだ。

2002/06/29 (土)   
【今週の読書もしくは『正解の思い込み』】

昨日まで総文字数64,599文字。
昨日作業量1,101文字。

ほとんど何もしていない状況。
とにかく昨日は疲れていたのだ。

久しぶりの連泊から帰り,そのまま歯医者さんへいったのだけれども,歯医者さんの診療用の椅子はとても寝心地がよかったわけ。

なんだか連日飲みすぎたせいか体はだるいし,眠いし,いまいち気力は充実しない。

それで肉でも食って元気を出そうと,帰り際上野の「太昌園」でレバ刺+豚足+ビールなんてやってしまったら,これはもう本当に気力はどこかに飛んで行ってしまったわけだ。

さて,それでは久しぶりに今週の読書としよう。
今回は田坂広志の本を2冊ご紹介。

『知的プロフェショナルの戦略』,2002年3月18日,講談社。
『まぜマネシメントが壁に突き当たるのか』,2002年4月25日,東洋新聞経済社。

田坂広志はとても難しい話をとてつもなく簡単に第三者に伝えることができる人である。
そしてそこで伝えられるものとは何かといえば,人生の難しいことなんか「本なんか読んでもわかんないよ」ってこと。

でももっと大事なことは,確かに,凡人は(田坂はこういう書き方はしていないが,私はそう解釈する)本読んでもわかんないだろうけれども,でもね,徹底して本を読まなきゃ(理論を追及する),その先にあるものは決して見つからないって言っているわけだ。

この本を読むっていうのは私の比喩なわけで,つまりは徹底した理論の追求の先に(突き抜ける)見えるものが答えなわけだ。

ご存知の通り,私は「答えはない」にこだわり続けている。
「ない」から勉強をしている。そしてわかったようなふりは決してしない。

わからないものはわからない,と自分の馬鹿を公開している。

答えが最初から存在すれば,人生は自分の選んだアルゴリズムの結果を返すだけだ。
でも,そんな人生を送っている「人」にはお目にかかったこともないし,仮にそんな「人」がいたとしても,私はひきつけられるものはないだろう。

答えがあるとすれば,人はなにもする必要はないのだ。
人生のレールを滑り落ちていけばいい。

でも確かなことは,人はもがいているってことだ。
なにかにいつももがいている。

「答えは存在している」という「思い込み」こそがマネジメントを壊す。
私は「答えは自分で作り出すもの」だと考えている。

以下,今回の原稿からその部分を抜粋。多分見直しをしていないままなので文章がぼろぼろなのはご勘弁を。できればご意見をいただけると嬉しいです。

 IT化のパラドックスは実感するものの,なぜコンピュータへの投資が業績の向上に結びつかないのかを深く考え分析する経営者も悲しいかなほとんどいやしない。それは,公共工事の場合,「市場のルールによる障害」が多くを包み隠している,ということもあるけれど,多くの民間工事はそうでもない。でも,建設業じゃコンピュータはやっぱり役にはたたないんだ程度で自らを納得させ,この疑問を深く考えないということも,なんとも不思議なことじゃないだろうか。

 この「不思議さ」は,多くの経営者が陥っているある「思い込み」がつくりだしたものでしかない,というのが私の結論である。その「思い込み」とは,経営には既に「正解」はあるという「思い込み」(以下,「正解の思い込み」と記す)なのだ。

 これは,経営戦略のようなものは,どこかで(たとえばコンピュータソフトのように)販売されているもので,それを買えばうちにも立派な経営戦略が出来上がる,というような,なんともお気楽で他人任せな精神に支えられているものなのだけれども,それが「ベスト・ソリューション」とか言われている制度を導入すればうまくいく,という妄信的な行動とその結果とての失望を支えている。

 そして,「正解の思い込み」は,その「正解」が失敗に終わっても,深く反省することもなく次なる「正解」探しを始めるだけの結果をもたらすだけだ(こんどはちゃんと説明を聞いてから買おう)。だから,コンピュータへの投資が業績の向上に結びつかなかったのかを深く考え分析することも必要なかったのだ。

  『全てに関して「正解」と思えるようなものがもう存在している−これが当たり前になった時,人は競って「正解」の方へ走る。それが「正解」であるかどうかは別にして。「あっちに正解がある」の声があがれば,とりあえずそちらの方向へ走る。走った後で,「なんだ,違うのか」という落胆が一時的にあったとしても,「正解を求めて走る」という習慣だけは崩れない。それが,「正解はどこかにある」と信じられていた時代のあり方である。』(橋本 2001)

橋本治はこう言い切る(偉い!)。

 IT化が遅れている原因は,IT化は情報化・コンピュータ化とは何が違うのか,ということを売る方も買う方もわかっちゃいない,ということがまず一つ,そして,その深層にはコンピュータ投資も,このような「正解」探しの一つだと考えられていることから生じる,効果の見えない不信感が存在する,ということがもう一つの原因だ。

 ついでに書けば,この「正解」探しの堂々巡りは,IT化に限らず最近流行のISO9000'sを筆頭とする経営におけるさまざまなマネジメントツールの妄信的な導入に関してもみることができるわけで,それは「正解の思い込み」と,その「正解」(のようなもの)がどのよう業態,経営環境でも等しく効果をもたらす,という本当に単なる「思い込み」がもたらし続けている喜劇でしかない。

2002/06/28 (金)  ▲
【札幌は今日もいい天気らしい】

昨日までの総作業量は63,498文字。
昨日の作業量は2,873文字。

今の作業っていうのは,沢山のパーツを作り上げているような状態なわけで,書きあげたものを通して読んでも,つながりが悪い。

まあ,今の状態ではそれでいいだろうと思う。
しかし,これをまとめる作業に意外と時間がかかりそうな気がする。

昨日は,札幌市内でニューカントリー21さんの総会で講演。

この会は農業土木をやっておられる会社さんが多いわけだけれども,どっちかっていえば事業者団体というよりもNPOのような性格を強くしたいっていう指向をもっておられるようだ。

私の話は,今の時代の建設業には信頼の構築こそが肝要であり,それはGC象限のC領域で行われるべきだろうって話。

つまり,地域社会というコミュニティを顧客と認識をした活動をする必要があるだろうって話をしたわけだ。

北海道は日本最大のC領域なわけだ。
ここからGやG+Cで活躍する企業が出てくるにしても,それはCがつくりだすものだろう。

このC領域で生きるのは,なにも地場型中小建設業だけじゃなくて,北海道開発局も同じだろう。だからこそ北海道開発局も建設業界と同じ視座で地域社会を考える必要があることを強調した。(当然に,北海道のすべての自治体は同じ文脈で生きなくちゃ意味がないんだけれどもね。)

この北海道開発局っていうのは,今は国土交通省に飲み込まれているわけで,本来は国という立場なのだろうけれども,北海道においては国土交通省(北海道開発局)は自治体のように振舞う。つまり私は北海道開発局とは自治体だと理解している。(沖縄は行ったことがないのでわからいが多分似たような状況じゃないか?)。

講演後の北海道開発局の農水部長さんからの挨拶で,開発局をコミュニティの一部として認識してくれてありがとう,という発言があったが,それはまんざらサービス・トークだけじゃないだろうって思ったわけだ。(どうやら私の講演を聞いてくださったらしい)

私は経済学的な思考では,地場型中小建設業は救われないというところまできてしまった。それを打開するために,最近は社会心理学的な考え方にウエートを置いた考え方を展開している。

それとIT化がどう結びつくのかっていうのは,私の部分ではインターネットの精神文化,特にボランタリーの部分で結びついている。

今日はまにあ1号さんにお世話になって,ANA 052 札幌(千歳)(0930) - 東京(羽田)(1100)で帰京。午後から歯医者の予定だ。

:追伸
昨晩もシメは「信月」の塩ラーメン。
ホームページを発見したので紹介しておきましょう。

http://www.iibeyahokkaido.co.jp/tabedokoro/ra-men/sapporo/shingetsu/

2002/06/27 (木)  
【札幌にて】

昨日までの総作業量60,625文字。
昨日の作業量は3,753文字。

移動中だけの作業量としては上出来だろう。

昨日はANA 057 東京(羽田)(0850) - 札幌(千歳)(1025)で札幌入り。
まにあ1号さんの運転で岩見沢入りし,「らい久」にてもやし山盛りのみそラーメンで昼食とした。

以前に食べたときには途中で挫折した程の量だったのだが,今回はほぼ完食。
私は元気だ。

その後,カツイさんでお勉強会。
皆様,ご苦労様でした。

夜は札幌で気の置けない方々とお酒のみ。
けっこう飲んでしまった。

しめに「信月」でシオラーメンを食べて,ホテルへ戻りそのままま爆睡した。

今日の私は,午前中はホテルで原稿書き。
夕方,近くのホテルで講演である。

ところで札幌は東京よりもずっと暖かい。
湿度もなくさわやかである。

2002/06/26 (水)  
【今日は北海道まで】

昨日までの総作業量56,872文字。
昨日の作業量は6,635文字。

まあまあの作業量だわね。

実はお恥ずかしいのですが、G+CのPPT拝見して何か目から鱗状態でご報告だけでもとメールしました。

県職員になった時から5〜6年程はCの象限のみの発想で 生きてこれました。しかし、梶原さんが平成元年に知事にな ってから劇的にGの発想をたたき込まれました・・・。というか引っ張られたというのが正解かもしれませんが、地方自治体レベルでここまでやって良いの?という疑問を持ちながら暮らす日々が続きました。そしてさすがに10年もどっぷりと浸かっているとGしかない!なんて思いばかりになって、いたところへMSさんとのコラボレーション。自治体にとってCありきだと再認識させられたなぁ〜と今更ながらに考える次第です。

これは岐阜県職員さまからのメールなわけだけれども,GC空間の考え方っていうのは,IT社会とかポスト工業社会とかインターネット社会とか,つまり工業社会からの脱皮先をどう想定しようか,という未来学というか予想みたいなところもある。

つまり(未来は)保証はしてくれていないわけで,実はこのどうなるかわからないから,私たちは生きていられるんですわね。

明日がどうなるかわかっちゃったら,たぶんつまらなない,でしょう。

まあ,その未来予想みたいなものの確率性を上げるために社会科学(他の学問もそうだろうけれど)は存在しているわけです。

G+Cもそんなものです。
でもGよりは,確率は高いでしょうね。

さて,私はきょうは,日本最大のCの国,北海道へ参ります。

2002/06/25 (火)  
【今日原稿をは書くぞ!と朝に誓う】

昨日までの総作業量50,237文字。
昨日の作業量は1,471文字。

これは午前中だけの作業量だから仕方がないのかなと思う。
でもようやく5万文字を超えることができたわけで,全体の三分の一まではきたかというところだろうか。

昨日は午後からは,宇都宮までお出かけして,栃木県土木学会の総会にて講演を1時間。
お題は栃建協IT化戦略なわけだけれども,とにかく時間がないので概要だけの話に終始する。

これじゃ絶対に私の真意は伝わんないよなぁと思ったら,やっぱりね,某Sゼネコンの方から,あんなことをしてなにになるんだ,とのご指摘あり。

つまり,私の中小建設業IT化論っていうのは,地場型中小建設業擁護論の色彩が強いわけだけれども,そのところを鋭く突いてきたわけだ。

それは説明が足りなかったわけで,しょうがないので懇親会の時に飲みながらご説明。
そしたら,ますますけしからんと思われたようだ。(笑)

そしてお約束どおりGC空間の説明はやってみたわけで,これはけっこう「元お役所さん」という方々には評判は宜しいようだった。

要は,地域社会(コミュニティ)と地場型中小建設業が対立関係を強めれば強めるほど仕事は減るんだよって考え方なんだけれども,これは確かに受けた。

その部分のPPTは(↓)からダウンロードできますので興味のある方はどうぞ。
→GC空間説明用PPT [gc.zip](zip形式 20Kb)

さて,皆さんからのメールシリーズだよ。

久しぶりのA木さま。

桃知さんの講演を活字で伝えようと七転八倒した
苦しみを、桃知さん自らが味わっているのだなあと思い、
心中をお察しします。
モモチワールドは声、身ぶり、PPT…などを総合的に駆使
して、創り上げた世界ですが、活字だけでモモチ
ワールドをどう伝えていくかは至難の技です。
ただ、講演を聞いて「分かった!」という人たちは、多分
桃知さんがこれでもかと繰り出す「例」あるいは「例え話」
により、心の中にすとんと落ちたのではないかと思います。
五感を駆使したモモチワールドとは決別し、活字の中で新たな
モモチワールドをどう築いていくか?
でも、それも簡単に乗り越えて、またまた桃知さんは進化
してしまうのですね。
梅雨入りでうっとしい日々が続きますが、頑張ってください。
北海道にも「蝦夷(エゾ)梅雨」があり、はっきりしない天気が続いています。

昨日,そのSゼネコンの方と議論していて,今までの私ならやたら熱くなるところなんだけれども,妙に冷静に対処している自分が見えるわけですわ。

これはね,相手が何を言ってくるのかが,ほとんど予想通りなわけで,なので,私も予定通りの答えをするのです。そうするとね,相手さまは本当に予想通りの反応を示すのです。

これは,私自身のソーシャル・キャピタルの余裕だなって自分で感じていたのでした。
ソーシャル・キャピタルっていうのは,ロバート・パットナムがいっているような意味での「社会資本」なわけでね,これはコミュニティ関係のメモリーであるし,その意味でミームなんだけれども,なに言っているかわかります。(笑)

そして,これも久しぶりのHさま。

●中田英寿は日本チームの問題点として「リスクテイクしようとしない」ことを指摘したそうです。ゴール前でドリブルで切り込めばバックスにつぶされるかもしれない。そのリスクを承知で突破を試みる。シュートレンジの外からシュートを放てば、ゴールの枠内に入る確率は一段と低くなる。そのリスクを承知でシュートを放つ。

そのような意味でのリスクを積極的に背負って攻撃に出ない日本の選手のひ弱さを突いた指摘のようです。(韓国はその逆)
また中田はトルコ戦でゴールを外して、うな垂れた選手に対して「バカッ!」と怒鳴ったそうです。ゴールを外したことに対してではなくて、下を向いた行為に対して怒りを覚え「下を向くな!」と叫んだそうです。

●ジャック・ウエルチを持ち出すまでもなく、リスクテイクしないものにリターンは有り得ないというビジネスの基本を思い出しました。どのリスクを背負うのか?そのことでどのリターンを狙うのか、というスリリングな状況を受け入れるということを。

中田の言う「下を向くな!」というメッセージは「次のリスクを探せ!身を投じろ!リターンをゲットしろ!」というものだと思います。リスクを背負っていることを鋭く自覚すれば、うな垂れている暇は無いだろうと言う事だと思います。


●建設市場に対してリスクテイクを試みない私自身に対する、中田英寿からの痛烈な批判と受け止めようと思います。

あはははは。なのだ。

私自身は非常にリスキーな人生を送っている人なので,中田英の言っていることはよくわかります。

でも,世の中に私のような人間ばかり,っていうのもなんとも暑苦しいんじゃないでしょうかね。
そして,世の中に私のような人間ばっかりの世界がよい時代なんだとも,私にはとても思えないわけです。

このメールが言うことをGC空間で考えると,中田英の言っていることは「Gの象限」の精神なわけですが,でも同じ時代にもその表裏として,もう一つの空間はちゃんとあるわけです。それが「Cの象限」です。

私はリスキーな人生ではありますが,居場所は「Cの象限」にあります。
つまり,G+Cのような生き方なわけですね。

勿論Gの領域では商売はしていませんが,精神的なバックボーンはG+Cの象限にあるってことです。一つ言える事ですが,人間っていうのは,Gの象限だけで生きれるもんでもないってことでしょう。それはかなりしんどいっていうのが本音です。その精神的な故郷はCにしかありませんね。Gにはない。

2002/06/24 (月)  
【今日の私】

昨日までの総作業量は48,766文字。
この二日間で1,993文字。

これは如何にも少ないとお思いでしょうが,さにあらず。1万文字ぐらい削除してのこの結果なので,本人的には結構な作業量をこなしているのだ。

その上,6月27日に札幌で行われる講演に向けてPPTを大幅に修正する作業も同時進行していたので,本人的にはげっぷが出るほど仕事はしているわけだ。

まあ,表出する第一種情報(つまり数値だ)はその本質的なところを表現できないのだけれどもね。

個人的に問題になっていたのは,地場型中小建設業の顧客が地域社会であることの理論的な説明なわけで,この部分にやたらと文字数が費やされていたわけだ。

どう読んでもくどすぎるので,この説明部分には金子郁容氏の「GC空間」の考え方を援用することにした。

これは,元々コミュニティ・ソリューションの考え方を説明するためのものだけれども,さすが元々算数の方だけあって「象限」で説明しちゃうわけだ。多分これは画期的にわかりやすい。お披露目は今日の栃木県の土木学会での講演(1時間だぜ)っていうことになる。

ジオさんからのメール。いつもありがとうございます。

執筆お疲れさまです。

こういうときは横から茶々入れられた方がきっと思考が柔軟になるんじゃないか
と勝手に思いこんで「意見のある人」になってみましょう。

「縮減」っていうのは、橋本内閣の時に財政再建のために公共事業費を減らそう
としたんだけれど、各省庁の組織防衛のため、「削減」でも「縮小」でもはなく、
「効率化(?)により工事費を下げるが、総予算は減らさずより多くの事業をする
(焼け太り思想)」からでてきた造語なので、私はとてもこの言葉が嫌いなんで
す。まあ好き嫌いなんかどうでも良いんですが。

なので、「仕事量のパラメータが縮減される」というのは、「単価は落ちるが総
事業費は維持され、実は焼け太ってしまうのよ」「困った振りしているけど実は
ホクホクなのよ」に感じてしまいます。私だけかも知りませんけど。

橋本内閣の時の「縮減」は,その後の小渕・森政権での景気対策目的の公共工事増への大幅なゆり戻しがありましたから,「総事業費は維持され」っていう感覚があるのだと思います。

でも,今度はどうやら本気で縮減されてしまうようですね。
(裏情報は沢山集まってきています)

そしてスーさま1号@Fe関係者さま,毎度お仕事の合間の励ましのメールありがとうございます。
感謝しております。

#執筆ってシンドイですよね。

  話をするのであれば・・ 身振り手振りや話題の流れ、
 その場の雰囲気などから「何となく判った/判ってもらえた」
 ような気になるんですが・・・・
 (後で思い出せないのも多い=あるつはいまーだからでしょう)

  一方、文字列にする場合、読み手は理解できない箇所が
 あれば何度か当該文字列の前後を行ったり来たりして理解
 しようとする。 しかし、ある程度の省略記述を行った
 「文字と文字の間」に込めた著者の意図に到達できるとは
 限らない。 かといって、著者が補助的説明まで詰め込もう
 とすると、文字量が増えるだけで論旨はぼやける・・・

 #その意味で、前もって曝し賛否を問う進め方はお得かも?

そうなのです。結果的にお得のような気がするのですがね。
でもその情報を開示しながら進めるという作業は,是非試してみたいですよね。

その結果販売部数にどのような影響が起こるかなんかも調べると,バルネラブル的なものがどう仕事に結びつくのかなんかを実証できるかもしれません。

というところで,今日も午前中は執筆。
午後から宇都宮へ出かけ,夕方1時間ほどの講演をして,その後,気の置けない方々と懇親して帰る予定です。

2002/06/23 (日)  
【今日は】

やっと下界に戻ってきました。
後は明日。

2002/06/22 (土)  
【隔離環境】

昨日までの総作業量は46,773文字。
昨日の作用量は5,572文字。

講演の合間の移動と夜の作業量としては立派なもんであろう。

ところで,私は穴原温泉というところにいるのである。

まあ,それはどうでもいいのだが,この地はPHSのケータイもダメという,まあ前代未聞の地なのであって,昨晩から世間様とは一切の通信が途絶えている。

さすがにブロードバンド率日本最下位のところだけはある。

若し本文が本日中にインターネットにアップされたとすれば,それは多分下界に舞い降りた際にアップしたからだと思っていただいて結構なのである。

2002/06/21 (金)  
【今日は講演】

昨日までの総作業量は41,201文字。
昨日の作用量は4,992文字。

なかなか思うようには進まないものです。

今日は11時ごろの新幹線で宇都宮まで向かい,日光線に乗り換えて鹿沼へ参ります。
鹿沼では神谷建設さんの安全大会での講演を予定しています。

終了後,なぜかもっと北へ移動しなくてはなりません。

今朝の浅草は昨日とはうってかわったよい天気です。
今日は暑くなりそうです。

2002/06/20 (木)  
【店主へメール】

昼飯を食べに外へ出たら,雨が降り出してきたし,お目当てのヨシカミは休みときたもんだ。
しかたなく入った店でカツ丼を食らうが,まずい!

帰宅するとメールが届いていた。

6月19日午後4時34分 鈴木宗男逮捕。

夕方、テレビのニュースを見てました。
釧路の建設会社に勤めてる人がテレビでインタビューされてました。
「(鈴木宗男議員は)地元に工事を取ってきてくれたので、
 正直、将来に不安を感じてます。」
と答えてました。
これが、今の地場型中小建設業者の実態なんですよね。
「自分の会社に仕事を取ってくるのは、自分の会社の営業職であり、
 将来に不安を感じる本当の原因は、あなたの会社にコア・コンピタンスが
 ないからだよ。」
と、そっと教えてあげたいと思いましたが、そういえば、自分もまったく他人の
ことを言えない会社に勤めてるなぁと思い、ちょっと落ち込みました。
自分も会社組織を構成するミームの一部だと分かってはいるのですが・・・
ニュース見て、少し悲しい気持ちになりました。

これは,最近の私の講演でも相当コアなところでしかやっていない,「安心の担保」っていう話しに引っ掛けたもので,なかなか良い理解だわね。

ついでだから,今回の執筆作業でこれはどう書いているかっていうと,こんな按配。
しかし,その反論が提示できる広義の技術のミームっていうのは,きっと,営業力って呼ばれているもので確かに他社との差別化の要因にはなってはいるだろうけれども,例えばそれはこんなものじゃないだろうか。
 ・所属団体
 ・OBさんの数(有無)
 ・政治的な活動
 とか,まあ,そんなものだ。

 確かに,配分のルールが支配する公共建設市場では,これらはあたかもコア・コンピタンスとしての広義の技術のミームのように,若しくは信頼というメタ情報のように機能する。しかし,これらは技術のミームではないし,信頼なんて呼べるものでもない。それじゃなにか。答えは,これらは「集団主義における安心の担保」でしかないっていうことだ。

まあ,前後の文脈が意味不明なので,多くの方々にはなに言ってんだかわからないだろうけれどもね。

これから来客予定。
執筆の方は言えば,相補均衡論の説明で煮詰まっている。



【執筆は窮屈な思考だ】

執筆作業をしていて気が付いたことなんだけれど,私は普段,ここにメモ(若しくは備忘録)のように自分の考えを書き留めている。

それは,決して正しいものであるとは限らないし,解釈的な間違いもあるかもしれない。でも誰の目にも触れるような状態においてある。

そのことは,いろいろな方々からの(賛否両論の)意見を呼び込むことにつながる。
そして,そのような意見を受け入れることで,私自身は自分の考え方が確認できたり,修正を行ったりする。そしてまた私の備忘録的な思考は続く。

そうすることよって,私の今までのIT化に対する理論的なバックボーンは出来上がってきていることに,こうして黙々と執筆なんていうことをやっていると気が付くわけだ。

出版予定の原稿は,ここに開放することができない。
つまり,私の思考法が閉塞を感じている。

なのでちょっとだけれども確認の意味で。

 『前者のやり方の典型的な例としては,公共工事の参入に際して不確実性を低めるためには,企業間で談合を行ったり,特定の代議士の後援会に加入して地域ボスと密接な関係を保つ建設業者のやり方があります。』(山岸)

 私はこれらの良し悪しをいっているのではない(ここが肝要なのだ)。翻って考えてみればわかることなんだけれども,このような集団主義的行動原理が建設業の特徴であるのは,公共工事における請負契約の内容が一方的に発注者に有利になっているという片務性「請負制度が請け負け(うけまけ)とよばれていること」や,公共工事の参入に際して不確実性が存在するという環境への受注側からのミーム的な適応の結果であると私は理解している。

 このような行動を,一方的な見解から,建設業が皆一応に持っている業界の体質とか遺伝的情報によって決定されているものだって決め付けるのはどう考えても間違いだろうし,ましてや,建設業に従事している方々が生まれながらにして体質的にとか遺伝的これらの行動を行う特性を持っているわけではないってことを強調したいのだ。

 しかし,ここで山岸が指摘しているような建設業が持つ組織行動原理が,仕事量という環境パラメータの増減によって機能できたりできなかったりすることは指摘できるはずだ。つまり仕事があるという環境ではこの集団主義的行動原理は機能するが,仕事がないという環境ではこの集団主義的行動原理は機能しない。なぜなら,集団構成員が構成員足ろうと(自発的に)思えるのは,自らが構成員であることに満足できる仕事の配分を受けることが可能な状態(もしくはそう思える状態)が継続されている場合にしかありえないからである。つまりこの集団主義的な集団の存続は仕事があることを前提としているっていうことなんだ。確かにかつては十分な仕事量の確保さえこの集団が自ら可能とした特殊な時代があったかもしれないが,今という時代の仕事量という環境パラメータは「縮減」であり,そのパラメータを集団が操作することはほとんど不可能になってしまった,ってことだろう。その意味では,山岸の指摘する集団主義社会の組織原理に建設業は確かに依存してきたけれども,この集団主義社会の組織原理も,市場という環境と原理から導きだされた制度・慣行っていうことができるだろう。

こんな部分なのだけれども,意見のある人は頂戴な。



【今日も執筆】

昨日までの作業量は36,209文字。
昨日の作用量は2,246文字。

やっぱりね,昨日は半日出かけていたので,筆(っていうかタイピング)は進まないわけだ。
でも,ちょっと文章で表現するのに苦労していた部分,それは狭義の技術ミームと広義の技術ミームが,村上泰亮のいう経済的交換と社会的交換とどう関連付けられ,広義の技術ミームの何処に信頼っていうものが存在するのかをなんとかうまく書くことができたわけで,それはそれで嬉しいわけだ。

今日は午前中から24日に予定されている栃木県の土木学会での講演用のPPTを作ってしまう予定。午後から来客があり,そして今日も一日中執筆中。

2002/06/19 (水)  
【ちょっと中休みっていっても休んでいるわけじゃない】

昨日までの作業量は33,963文字。
昨日の作業量6,309文字。

今日は原稿書きはちょっと中休み状態。
午前中に午後からの霞ヶ関行く準備をして,午後2時には霞ヶ関でなにやらごそごその予定。

帰ってきてから,また原稿書きができるかなかな。

原稿は,まだ経済的な相互作用あたりをうろうろしている,つまりミーム学から市場を見て,今までの情報化とかコンピュータ化がいかに市場という人と人との相互作用では,限定された情報しか扱おうとしなかったのかを書いている。

そうそう,W杯,日本代表は残念でした。でも,十分の楽しませてくれたわけで,それはそれで素晴らしい。そして夜の韓国の試合,これもとても素晴らしい。

ということで,今日もなにか忙しいぞ。

2002/06/18 (火)  
【完全執筆モード】

とにかく簡単な言葉で書こうとしているいるんだけれども,これが意外と大変。
昨日は,思い切って今まで書いた最初の部分から文体を変えてみた。

まあ,こんな感じ。

 例えば,世の中にはなんでも市場に任せることが最良だと考えている(幸せな)市場原理主義者はまだまだ存在しているようで(むしろ勢力を伸ばしているっていうほうが当たりだろうね),配分のルールの対極として,横須賀市の電子入札や各地で導入が進んでいる制限付き一般競争入札制度がにょきにょきと台頭し始めている。これは市場を支配し続けてきた配分のルールの崩壊を意味しているのだけれども,この競争性が強いといわれる制限付き一般競争入札制度というルールにしても,個々の建設企業に対するIT化のインセンティブは持たないばかりか,むしろIT化を遅らせる要因にしかなってないありさまなのだ。

まあ,これが以外に調子がよくて,学術論文風に書くのに比べれば,まだ自分の意見は伝えやすいなぁとは感じている。

もっと,わたしゃ学術論文を書こうなんてさらさら思っちゃいないわけだし,ハウツーものを書いているわけでもない。

建設業界に読んでもらってナンボのものを書いているわけだから,読んでもらえるような努力は何でもしなくてはならないわけだ。

ということで昨日までの到達点は27,654文字。
17日の作業量は6,017文字+文体変更。

今日は1万文字は書く予定。

2002/06/17 (月)  
【目覚めれば32万】

■32万

目覚めれば,小林さま@北海道より32万ゲットメールが届いておりました。
おめでとうございます。

早速,ハードロック・カフェ上野駅へ参りまして,物色して参ります。
少々お待ちください。

それから,30万ヒットの皆様,ようやく景品のタオルは出来上がってきました。
順次お送りいたしますのでもう少しお待ちください。

■執筆の結果

さて,昨日までの成果,21,637文字。
15日の朝は12,287文字だったので,二日で9,650文字しかかけていないことになる。

先は長いぞ!

2002/06/16 (日)  
【原稿を書く日】

今日はひたすら原稿を書きますので,ここに書くのはお休みします。
またのお越しをお待ち申し上げております。

2002/06/15 (土)  
【浅草で遊びましょう】

■いただきもの→ミームのごはん

岩手の向井田さまより,ぴょんぴょん舎の冷麺とごますり団子。
新潟県新発田市の新発田建設さまより,聖籠のさくらんぼ。
うどん星人2号さまより,へぎそば。

皆様ありがとうございます。

これで当家のエンゲル係数も小さくなることと思います。そうすれば私に宿るミームは,その増殖のために余裕ができたお金を(私をして)自らのために使うことでしょう。

こうして私に宿る不思議なミームは生きながらえるのです。
いただきものは,私が食べるのではなく,私に宿るミームが食べているのです(本当か?)。

■暮六つにて一献

昨晩は,比留間さんとうどん星人2号さまがおいでになり,日本代表も勝ったことだし,「杉」のうどんすきでも食べながら一献,と思ったら,杉は予約で一杯で急遽場所を変更いたしました。

その場は「暮六つ」
うどん星人2号さま曰く。

帰りに入り口の前をみたら、しだれ柳に井戸.....
そのままお化け屋敷にもなりそうな趣があるお店ですね。
焼いたキンキが美味しかったです。

しかし,「すさまじいうどん」こと「杉」のうどんすきを,うどん星人2号さまに食べていただくことができなかったことが心残りなのです。

なので,決めました。
「おじやうどんの会」に倣って,「すさまじいうどんの会」を行いたいと思います。

予告:「すさまじいうどんの会」
    日時 未定
    場所 浅草 「杉」 

ということで詳細は後日。

■今日は栃木からお客様。

今日は栃木からお客様がお見えになります。
総勢8名さま。

お昼から神谷バーで電気ブラウン,夜は「杉」でうどんすきの予定です。
その間はいったい何をしているのでしょうか?

■市町村合併

健太さま@北海道よりのメール。

先日、市町村合併講演会に参加してきました。
北海道日高支庁の門別町・平取町・日高町の3町の主催です。
この3町は去年に合併調査会が発足しました。
講演の先生は北海道大学大学院教授の 宮脇 淳先生でした。
この講演会には町民もおよそ300名出席し、かなり関心が高い
ようでしたが、先生の話が始まると会場の人たちは背筋が凍りました。

まず国の危機的な財政状況の中平成18年度には
現在も行われていますが地方交付税が大幅にカットされるということです。
その額は、現在よりも2〜5割ともいわれています。
そして、平成17年度までに市町村合併を行うとそのカット額が優遇されるということです。

しかしここで先生が言っていたのは、優遇されるために
合併をしたのでは何も意味がないということです。
それは、一時的に良くてもいずれ5〜10年後は他の町村と
同じ削減率になってしまうからです。
ですから合併をして少しでも余裕があるうちに合併に対しての問題点の解決、
役所経費・体制の構造改革を行わなければならんという言葉でした。

具体的には戦後50年の公共投資は人口が2億人に将来はなるという見通しの下で
行われてきたというものでした。
しかし、当然今後は人口は減少します。100年後には6000万人になるそうです。
その予想が狂ってきたと国がようやく気づいたわけです。
そういう背景の中で現在の日本の状況があるわけです。
よく話を聞くと当然だなと思い聞いていました。

だから市町村は合併して住民とコミットメントして体制の強化をするのか
または、その地方独特のブランド(天童市や夕張市等)を強化して自給自足の道を選ぶか
ということを話していました。

そんな中ある議員さんがこの期に及んで「そんなことは北海道や国がもっと補助するべきだ」
と自己防衛的でいまだに状況をわかっていない発言をしたので
先生は穏やかな中にもちょっとあきれて返答していました。
国にそんな体力がないからこういう事になっているのにこんな阿呆な議員がいるから進む話も
進まんなと思いました。

つまり僕が感じたのは、桃知組長の「水槽の中のペット」発言でした。
自分たちで生きていけるように農耕民族から狩猟民族に町民全員がなればいいんだと・・・

私たちを取り巻く環境変化の背景は深いわけです。

ここでの環境は,人口は将来2億人ではなく,100年後には6千万人にしかならないという環境なのです。

→ここには遺伝子とミームは実は仲良く動いているわけではないということが隠されています。

そして,原理はなにかといえば,人口が減れば(生産人口が減れば)国の総生産高は減るのが当たり前という原理でしょう。

この当たり前を,戦後の高度成長の怨霊に取り付かれた皆さんは理解できないでいるのです。

相補均衡(環境)はその不可逆性をもって真としています。
つまり,昔にもどることなど誰にもできやしないのです。

その真を否定しようとするとき,人は悲しいほどに醜いものです。

■そして原稿は・・・

昨日までの総文字数は12,287文字。目標とする総文字数は15万文字なわけで,先ははるかに遠いなと思うわけです。

11日が5,897文字だったわけですから,この3日間で6,390文字。。。(T_T)

そんな時に図ったような編集さまよりのメール。

ご執筆大変ご苦労さまです。
また、今回、ご執筆の時間をとっていただきまして
本当にありがとうございます。

長い原稿を書かれるのは、講演とはまた違った
産みの苦しみがあることと思います。

キザな言い方をさせていただければ、
講演が聴衆の反応を直に肌で感じながら、ぐいぐいと引きずり込み、引っ張っていく
短・中距離走のような力強い動きとすれば、
1冊のまとまった本を書き上げるのは、
自らのペースを計りながら、未来の読者に向けて時に静かに、激しく、語りかけていく
いわば長距離走のような静と動が混ざり合った動きでしょうか。
たぶん、走り切った後は非常な疲れ、脱力感とともに、
長い距離を走り終えた後の、なんとも言えない爽快感が待っていることと思います。

たぶん、今までの建設業本とは全く違った、新しい視点の本が出来上がることと思っ
ています。
私も、第一番目の読者として、原稿を読ませていただくのを楽しみにしております。

ご執筆の途中で、もし給水ポイントが必要な時には、恐縮ですが、ご連絡ください。
馳せ参じます。

給水ポイントっていうのは給酒ポイントって読み替えればよいのでしょうか。★\(^^;

2002/06/14 (金)  
【32万挑戦者現れる】

現代日本では今や絶滅種といわれる狩猟民族さまからのメール。

原稿執筆モードですか、息抜き必要なら遊びに行きますよ(笑)。

今日の戯言は分かりやすかった。まにあ1号さんも
良い読みをされていましたね。さすがです。

今日は、チュニジア戦、画面に張り付き応援しましょう!。

前回は300009でした。今度は32万ゲットします!。
ノベルティー商品持ちに参ります(^0^)。

さすがに狩猟民族だけのことはありますね。
是非遊びにおいでくださいな。

というところで,今日はW杯,対チェニジア戦ですね。私も画面に張り付いて楽しみたいと思います。

サッカーというのはなんだかよくわからないスポーツなのですが,とにかく沢山の国が戦争のように戦える,という意味ではスポーツ・ナショナリズムが高揚させられるものです。

そもそもよくわからないものなのですから,こまかいことは抜きにして,勝てばいいのですよ。
わたしは。



【32万】

32万ヒットの告知を忘れていました。
32万ヒッターの方は恐れずに(笑)店主へメールです。

今回は台東区の新しい名物,ハードロックカフェ上野駅(笑えるねこの名前は)から,通販では絶対に手に入らないノベルティ商品をプレゼントしましょう。



【目覚めれば,まにあ1号】

目覚めれば,まにあ1号さまから6・6岐阜の感想が届いておりました。

ショックでしたよ・・・まったく・・・
「いったい自分は何を見て何を知ろうときたのだろうか・・?」と
思い知らされた約1時間半でした。
最近の桃知さんが「相補均衡論」に傾かれているのは
「経済学は建設業を救えない」とすでに結論付けられていたからなのですね。
全く気づけない・・・というより、考えもしなかったですね・・・
ミスター・ケイジアンのリチャード・クー氏すら、
「中小建設業を見捨て、大手ゼネコン擁護」に走った・・・・事も
いわれてみてはじめて、「そうだったのか!」と気づいたしだいです。
そうして、「経済学からの中小建設業を救う理論」に見切りをつけて
「社会科学からのアプローチ」に活路を見出されようとしていたことも
言われるまでは全く気づけませんでした。
今、振り返るとちょうどその中間期(経済学→社会科学への転換期)に
過渡的に「ミーム理論」が登場したのかなあ・・・という気もします。

結局、小泉さんが民主党鳩山さんに代わっても、「公共事業は30%カット」
自由党・小沢さんに代わっても「小泉以上の市場原理主義」
まかりまちがって、石原さんが首相になっても「公共事業より、空母を作れ!」
となってしまうわけで、結局、中小建設業を救う視点はどこにも無い。

さらに、とどめのフレーズは
「お役人は平気で建設業者を裏切る!」という「吠え」でしたね。
これは迫力がありました。
「松阪市のくじ引き価格決定方式」のどこに「技術と経営に優れた」業者を
はぐくもうとする視点があるのか!
役所と大手ゼネコン(土工協)、Jacicは「同じ穴のムジナ!」
とまで言い切られました。
「もう、黙っていちゃだめだよ地場の建設業は!」と結論されました。
積極的に「モノを言え、主張せよ!」ということですよね。
地域・地場に本当に必要な存在であることを、しっかりコミットメントする。
その対象は当然地域社会・地域住民であり、さらには地域の発注者でもある。
そして、その最終兵器・手段として「インターネットを用いなさい」と、ですね?

社内向けにイントラネットでしっかり「よい社風(ミーム)を醸成」し、それを積極的に
社会向けに自社HPなどで「発表・主張」してゆくことで自社の「文化」を
「自分たちで作り出そう」とすることにつながるわけですね。
ただし、これは「自分たちで作り出そうとし、それを外へ積極的に発表しようとする」点で
非常にリスクを抱えることになります。
しかし、この「リスク」をあえて負いながらも進むことが実は生き残りのための、
「唯一無二」の手段なのだ!・・・・と。

公演のメモを振り返ると、まだまだ「聞き逃した点」が多い事に改めて
愕然とする思いです。一週間たってもまだ整理し切れてないです。
今までの、どの公演より痛烈にインパクトのあるものでした。
とにかく、まずは動き出せ!ですね。がんばります!!!

ここで,若干の補足をせていただきます。理解が全然足りません。
それは(↓)の部分です。(これは時間が足りなくて6・6岐阜では話していないのだからしょうがないですよね。6・12宇都宮はこの部分に言及していましたが,参加された皆さんは気づかれていたでしょうか?)

社内向けにイントラネットでしっかり「よい社風(ミーム)を醸成」し、それを積極的に
社会向けに自社HPなどで「発表・主張」してゆくことで自社の「文化」を
「自分たちで作り出そう」とすることにつながるわけですね。
ただし、これは「自分たちで作り出そうとし、それを外へ積極的に発表しようとする」点で
非常にリスクを抱えることになります。
しかし、この「リスク」をあえて負いながらも進むことが実は生き残りのための、
「唯一無二」の手段なのだ!・・・・と。

手段としてはインターネットだけじゃ無理なのです。
ここにはありとあらゆる人と人との相互作用の場が必要なのです。

ただそれを理解するきっかけとして,インターネットの持つ精神文化は欠くことのできないものであることを私はいいたいだけです。

→私自身がバーチャルをきっかけとして,実際には講演とか懇親会とかを活用しながら桃知ミームを振りまいていることに気づかれよ。

私がIT化に対して期待しているものとは「時代との同化作用」という部分でのみです。
その「同化」とはなにかといえば,時代のエトスとでもいうべき「インターネットの持つ精神文化」です。

→市民社会とのコミットメントという視座は,この文脈上で初めて可能になります。

しかし,この時代のエトスは,それ(インターネット)を自らが活用してみないかぎり,絶対に己のものにはできないという命題が存在しています。

そしてそれには時間が必要なのです。

さらに踏み込めば,インターネットやイントラネットのようなミーム・プールは,人と人との接点,相互作用の機会を増やすきっかけであることには違いはありませんが,結論としては今我々が抱えている問題を解決できるのは「人間の組織の力」だけなのだと考えています。

その「人間の組織の力」はミーム複合体としての技術ミーム(社風とか組織力を含む)なのですが,それが今の時代に地場型中小建設業に必要とされるコア・コンピタンスと同義であるということです。

イントラネットとは自社のミームを育てる培地には違いありません。しかし,何故そうなのかといえば,それは自社のミームをある程度の客観的な距離をもってみることのできる眼鏡だからということです。(ミームは問題発見のツールであり,ポチである)

つまり,経営者にとってのイントラネットとは,自社の技術ミームの何処に問題が存在しているかを知るためのツールなのです。

この文脈上でイントラネットは機能し始めるものです。

と,これ以上は秋に発売される私の著作を読みましょう(笑)。★\(^^;


【ミーム・マシーンとしての私(スーザン・ブラックモア)】

スーさま2号さまより。

前半部は私も後ろから観察していて、ひやひやしておりました。
一転、後半部は目に見えて聴衆の様子が違いました!
その様子にほっと、胸をなでおろす私。
なかなか経験できない講演の様子に得した気分でした。

(ばっさり)

今講演の結果はアンケート実施してみまして、
会の方にフィードバックしたいと思っております
昨日の簡単な聞き取りにおいては
皆さん、かなり満足した様子でしたので、
また、先生に講演をお願いするかも知れません(W
先生の範疇に建築製造業というジャンルを構築してください(w←勝手なやつです

そうなのです。講演はまるで生き物のようなものなのです。

それは学術論文の発表会とは違いますから,己の理論に自己陶酔しているようなマスターベーション的なもの,身内の発表会のようなものではあってはならないと私は思っています。

それは不特定多数に対して己の想いをつたえるという行為です(つまり,個人普遍主義(山岸)における適応課題でしかありません)。

そして,己の想いとはミームです。

私はお金をいただいて講演をするようになって四年ほどのキャリアしかありません。
最初の講演は今から4年前の7月10日,千葉県の幕張で行った富士ゼロックスさんがらみのものでした。

当時の私のプレゼンピッチはロータス・フリーランスで作ったもので,今と比べればはるかに貧弱な内容で,1時間の講演時間も,かなりのプレッシャーがかかっていたことを思い出します。

その最初の講演が終わってからの反省会で,千葉の販社の社長様より,私のプレゼンテーションに対して,せっかくプレゼンピッチを使うのだから,文字だけではなく,もっと絵を使って聴衆の注意をひきつけるような工夫が必要だよ,という指摘を受けたことを今でもはっきりと覚えています。

その最初の講演で使ったPPTは今の講演の中でもしっかりと生きております。それはコア・コンピタンスのところとインターネットの精神文化のところです。

私のPPTは何度かの劇的な大変化は行われていますが,基本的には今から4年前のものをそのまま使っているのです。

ある時(’98PCワールドエクスポにおけるCALSセミナーでの講演の際です),あるきっかけで,フリーランスのファイルをマイクロソフト・パワーポイントで強制的に読み込むという作業をしてからは,パワーポイントが私の最良のパートナーであり続けていますが。

こうして場をこなしながら,経路依存(歴史的に)の結果として私の講演スタイルは形になってきた(といえるのならばですが)といえるでしょう。

その経験が私に与えようとしてきたもの(若しくは獲得するように仕向けてきたもの)とは,「場の空気」を読み掴み創るという能力なのだと思います。それは自他間の高度な相互作用であり,俗な言葉で言えば「プレゼン能力」ということだと思います。

それを私は「芸人」の世界に学ぼうとし続けているわけです。(注:芸能人ではなく芸人です)
→講演という狭い世界にはそれと同等の能力を見ることは稀なのです。

そしてこれらの能力とは,良いミーム(注:ここでいう良いミームとは伝播力の強いミームという意味でその内容の問題ではありません)が共通で持っている適応課題であり続けているのだといえるでしょう。

つまり私を乗り物にしているミームをして私にこの能力を身に付けさせようとしているのだな,と考えられるのです。

私の講演は,それを話芸と呼ばれようが芸人風と呼ばれようが,それは私にとってはほめ言葉にしかならないことは,なんとなくわかっていただけましたでしょうか。

という私の精進の成果が認められたか(笑),昨日は建設業向けの研修等の企画運営をされている会社の社長さまがお見えになり,私の講演の場を提供くださるはなしがまとまりました。

こうして私を乗り物としているミームはまた伝播の機会を増やしていくのです。
しかし,このそもそものきっかけは何かといえば,4年前に作ったこの小さな小さなホームページなのです。

インターネット,この不可思議なミーム・プール。

2002/06/13 (木)  
【講演芸人としての私は】

昨日は,栃木県鉄骨業協同組合青年部会さんでの講演でした。4時間枠でしたので,前半部分は,6・6岐阜用のPPTを使って,IT化の基本的な考え方である「制度・慣行=環境×原理」から入り,市場を見る眼鏡としての「ミーム論」を使った市場の原理,そして私たちがIT化で扱う情報とはミームのことであり,それは村上泰亮のいう「第二種情報」が主体である,というようなことをお話ししたのですが,反応はいまいちでした。

それは無理もないのです。鉄骨業というのは,建設業というよりは製造業に近い業種であり,私が専門としている地場型中小建設業の文脈で物事を捉えるにはかなり無理があるのです。

→つまり,IT化は生産効率の向上に寄与するという製造業におけるIT化の文脈が成立する。

それで10分間の休憩の間に講演方針を大幅に修正することを決め,後半の2時間はPPTを極力使わない講演をしました。それは,顧客を指向したIT化の実践パターンの紹介を中心に,ほとんどアドリブのもので,私の思考の引き出しを,受講者の皆さんの反応を確かめながら開けるというような,とてもスリリングで私自身も楽しめるものでした。

この方針変更による相互作用はかなり強力な変化をもたらしました。私自身が楽しんで話していると,お聞きになっている皆さんの目の輝き(この言葉,書いていて恥かしくなる語句であることに気が付きました)が前半とは違ってくるのがわかるのです。

→講演は生き物です。

こうして講演芸人としての私は,実践を通してその話芸の幅を広げいくのでございます(笑)。
栃木県鉄骨業協同組合青年部会皆様,今回は大変いい勉強をさせていただきました。どうもありがとうございます。

さて,講演の前にスーさん2号さんの運転で佐野市へ参り,念願の佐野ラーメンを堪能させていただきました。

連れていっていただいたお店は「山銀本店」さん。
柔らかな手打ち麺(食べているうちにどんぶりの中で溶けそうなのです),澄んだスープ,やわらかくて大きなチャーシューと,どれをとっても私の好みにぴったし。このミームはかなり強力です。→つまりうまかったってことです。スーさん2号さんどうもありがとうございました。

講演後懇親会に参加させていただき,宇都宮発21時45分という臨時のやまびこに乗って帰りました。しかし何故臨時のやまびこなのか?,それは車内に乗り込んでわかりました。

この列車,乗客はといえば,アルゼンチンとスウェーデンのサポーターの方々ばかりなのです。昨日仙台で行われたアルゼンチンVSスウェーデン戦の観戦を終えられた方々のための臨時の新幹線なのですね。

私は終点の上野駅まで爆睡して帰りましたので(カクテルなんぞを飲んだら眠くてしょうがなくなってしまいました),車内状況は把握しきれませんでしたが,上野駅構内では,スウェーデンサポーターの皆様が元気に歓声を上げられておられました。

さて,今日の私は朝から蕨の歯医者さんへ参ります。
その後は原稿書き。夕方来客予定です。

2002/06/12 (水)  
【今日は講演】

昨日書いた文字数は5897文字。400字詰め原稿用紙換算で15枚です。
→これは相互作用における第一種の情報です。

→第二種情報は書いた原稿そのものかもしれませんし,その原稿を書いて疲れた私自身かもしれません。

しかし一日中書き物というのは結構しんどいのでした。
一日中(といっても結構中休みあり)書いた原稿は,PPTでいうとLesson1も終わっていないのです。

わたしゃ喋るほうがやっぱりいいです。
ということで,今日は宇都宮でFe骨関係の皆さんと勉強会です。(^O^)/

スーさん2号さんが佐野ラーメンを食べさせてくれるとのことなので,なぜか早い列車で古河まで出かけます。

2002/06/11 (火)  
【さすがにドラッカーさま(長生きしてね)若しくは私は眼鏡屋である】

(↓)で【省エネ】と書いておきながら,どうしても書き留めておきたいものがあるので追加なのです。

それはP.F.ドラッカーさまの最新著作『ネクスト・ソサエテイ』(上田惇生訳,2002年5月23日,ダイヤモンド・グラフィック社)に記された以下の言葉です。

『日本では誰もが経済の話ををする。だが,日本にとっての最大の問題は社会のほうである。』

『本書は,いかなる国のリーダー,組織の幹部,政治家,公僕,学者,メディアに対しても,何を行うべきかを言おうとするものではない。それらの方々が,何が問題であり,何が脅威であり,何がチャンスであるかを知るうえでお役に立とうとするものである。』

『本書が言わんとすることは,一つの組織,一人ひとりの成功と失敗にとって,経済よりも社会の変化のほうが重大な意味を持つにいったということである。』

『本書には企業経営に関わる章もあれば,そうでない章もある。しかし,1980年代,90年代のベストセラーに見られた万能薬の類は一切論じていない。それでも,本書は事業と組織のマネジメントのためのものであり,働く人たち一人ひとりのためのものである。』

私は,今回のドラッカーの著作を読んで,狂喜乱舞しました。

○ドラッカー(私の神様の一人である)は,確かに経済学的アプローチの限界を指摘し,社会学的な視座からのアプローチを取っている。
→『一つの組織,一人ひとりの成功と失敗にとって,経済よりも社会の変化のほうが重大な意味を持つにいったということである。』

○ドラッカーは「答え」がない経営コンサルタントであることの再確認できたこと。
→『万能薬の類は一切論じていない』,なんとすがすがしい言葉か。

ドラッカーの著作は日本の経営者にとってはバイブル扱いされていますが,果たして何人の経営者さまが,この「答え」のないコンサルタントのいう「マネジメント」の本質を理解されているのだろうか,と考えると疑問が残るのです。

橋本治はこう言います。『全てに関して「正解」と思えるようなものがもう存在している−これが当たり前になった時,人は競って「正解」の方へ走る。それが「正解」であるかどうかは別にして。「あっちに正解がある」の声があがれば,とりあえずそちらの方向へ走る。走った後で,「なんだ,違うのか」という落胆が一時的にあったとしても,「正解を求めて走る」という習慣だけは崩れない。それが,「正解はどこかにある」と信じられていた時代のあり方である。』(橋本

このような正解探しの堂々巡りはIT化に限らず,ISO9000'sや様々なマネジメントツールの導入(つまりツールとしてのマネジメント)に関して見ることのできる現象です。

それは,制度慣行としての「正解のようなもの」が環境と原理の考察の結果なしに導入された結果でしかないと言うことです。

そしてそのような経営には矛盾しか存在していないのではないでしょうか。

私は(工学的な)経済学アプローチが地場型中小建設業を決して救えないという立場に至っていることはこの戯言や最近講演で述べているところです。

→それはA・センのいう「道徳哲学としての経済」への開眼でもある。

そして私自信が「答え」のないコンサルタントであることも,公言しているわけです。
まあ,これを書き始めると切がないので(とにかくドラッカーは偉い!ってことです),スーさま2号よりのメールを紹介して終わりにしましょう。

桃知さんウォッチし続けて、3年9ヶ月・・・
経営的な情報化スキルを勉強しているつもりが
生物・遺伝学、ミーム仮説、社会学・認知心理学
事象の不可逆性をといたエントロピー解釈
もちろん経済学も、まことに学際的に縦横無尽に
突っ走っていただいて飽きさせてもらいません。

とみに最近は論調も哲学的・思想思索的な
傾向をつよく感じています。
(なんといっても答えはない、ですから)

そう,我々は今や『本書が言わんとすることは,一つの組織,一人ひとりの成功と失敗にとって,経済よりも社会の変化のほうが重大な意味を持つにいった』ことを知っているのです。

それであれば,環境と原理としての「社会の変化」を見る目(眼鏡)が必要であることは自明の理なのです。私は眼鏡屋に過ぎないのかもしれません。


【省エネ】

■ジオさまからびわが届く

最初に御礼。
ジオさま,淡路島産のびわありがとうございます。m(__)m

最近関西方面から足が遠のいておりますが,今の仕事がひと段落しましたら,また遊びに参りますので遊んでやってください。

うちの近所にはびわの木がありまして,そこにはたわわにびわの実が実っているのですが,誰も収穫しないままで,いつも,もったいななぁ,と思っておりました。

そのせいか一昨日は松屋でびわを買ってきて食べておりました。
そこへ,ナイスタイミングでございます。

早速いただきたいと思います。

■省エネ書き込み

さて,執筆中というのは,エネルギーは物書きに集中し,その他のことはなるべく省エネルギーに徹することだと理解しています。

なので,私は他人様のメールを引用して省エネするのです。★\(^^;

まずは,よしたに一寸よむさまから。

オルテガ・イ・ガセットさまの
「私は私と私の環境であるそしてもしこの環境を救わないなら、私も救えない」

なるほどと私は思いました。

自分は連鎖反応的で自社と、環境と言うことを考えていましたが、きちんとした
根拠を醸し出せるまでは至りませんでした。

勉強不足と言うよりも、私が0からその根拠にたどり付くとしたら、どのくらいの時
間を費やすことでしょう。
そう思うことの根拠を探す事は非常に難しい事だと、思っています。

いつもながら勤勉な師匠にかないません。

師匠の戯言は、私にとってデスクトップのショートカットのアイコンと同じなんで
す。
「自分で考えろ」と言われてしまうかもしれませんが、今後とも是非我々の?
ショーカットコマンドとしてご利用させてください。(笑)

益々のご活躍をお祈りし、また体調など崩しませんよう願っています。
それでは!

なんにでも使ってやってください。
この戯言に関して言えば,他人様の役にたとうなんてことは最初から念頭にはなく書いているのですが,何かのついでにでも使えるものがあるとすれば,それは嬉しいかぎりです。

続きましてスー様より。

 小生、何かを考えるとき、図解法で考えようとします。
 その方法のお師匠さま(・・と勝手に思いこんでいる)、
 久恒さんを御紹介します。

 http://www.hisatune.net/

 その中で、インターネットの精神文化を表現されている箇所
 http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200005051900000000033275000
から引用

<引用>

  1999年2月1日にホームページを立ち上げてから大袈裟に
 言うと人生が一変しました。以下は最近の私の感慨です。

 ホームページは、成長する自分史である。
 ホームページは、自己啓発のツールである。
 ホームページは、自分そのものである。
 ホームページは、人生の経営を考えさせる。
 ホームページは、サロンとリンクが重要である。
 ホームページは、自己表現の最高の道具である。
 ホームページは、ライフスタイルを一変させる。
 ホームページは、世界への窓口である。
 ホームページは、重層的な関係の中に浮かぶ開かれた自分そのものである。
 ホームページは、情報への感度を飛躍的に高める。
 ホームページは、豊かな時間を演出してくれる。
 ホームページは、コミュニケーション能力を高めてくれる。
 ホームページは、出会いと感動の宝庫である。
 ホームページは、巨大なデータベースである。
 ホームページは、巨大な渦巻きの中心である。
 ホームページは、どらえもんの「どこでもドア」である。
 ホームページは、生きる喜びを与えてくれる。
 ホームページは、家族の関係を豊かにする。
</引用>

 ももちさんがコメントされた事柄と留字の意味合いを伝えた文章では?

私は絵解きをしない人(ひたすら頭の中で接点を考えていく思考法が一番好き,だって新幹線の中でも,飛行機の中でも,タクシーの中でもトイレの中でも,思考はいつでもできるものだから)なので,図解法の効用は知りませんが,インターネットというのは,多分(↑)のように感じるものなのでしょう。

我々一般大衆(オルテガの言葉では「慢心しきったお坊ちゃん」)にとって,インターネットが与えてくれたものは,自己を「さらす」ことのパラドックなのだと理解しています。

自発性(ボランティア), 草の根(グラスルーツ),開放系(オープン)というインターネットを支える精神的な基盤は,我々の既成概念のなかでは,かなり「はずかしい」ものかもしれません。

この文字ベースのコミュニケーションの中では,確かにメッキをしたい方々はいくらでも厚くメッキをすることは可能なのでしょう。しかし,そこから芽生えるもの(共振)はなにもないでしょう。

一方,さらけだす(バルネラブルな)方々は誤解と批判にさらされながらも,でも,さらけだすことにおいてのみ得られるわずかな共振の波動を感じ,さらにネットワークはその共振をそれこそくもの巣のようにつなぐことができることを,我々は実感しているのだろうと思います。

インターネットは「慢心しきったお坊ちゃん」が慢心しきったままに利用しても,なにも得られるものでもないことは確かでしょう。そこに既得権益のパラドックスは存在し,自らを既得権益の鎖から解放できたできた方々のバルネラブルは益々その力を得ることになるのでしょう。

最後にお久しぶりのHさまより。

●当時のFENの記憶がよみがえって、思わずメールします。
この思いを伝えたくて。
チャーリー・ツナが大好きでした。
「テレフォン・コール!」と言ってリスナーと話して、その後にイーグルスの「デスぺラード」を一番良い曲順でかける。そんなチャーリー・ツナがたまらなく好きでした。(「ホテル・カリフォルニア」なら誰でもかける)
曲と曲の順番と組み立てに、彼らは独特のイマジネーションを発揮するから、日本のラジオなんか足元にも及ばない、きらめいた特別な世界でした。
ウルフマン・ジャック・ショーも良かったなあ。
恋人にふられて悲しい気持ちなのかい?じゃ、元気出してこの曲、オーティス・レディング「ザ・ドッグ・オブ・ザ・ベイ」イエイ!てな感じで。

●FENといえば村上龍。
彼の最近のメールマガジンで素晴らしい視点が展開されていました。

代表には、中田英寿や小野や稲本という海外でプレーする選手がいて、彼らと、国内でプレーする選手が連携する形で戦術が考えられている。(中略)
 海外で競争に晒されている選手と、そうでない選手が連携して、外国勢と戦っている日本代表は、ある意味で現在の日本国を象徴している。だが、日本国との歴然とした違いもある。いかなる意味でも代表の中に「既得権益層」は存在しないということだ。
W杯を観戦して、「よくやった」とか「今度は必ず勝て」とか、偉そうなことを言う政治家もいるが、あの代表選手たちが、当の政治家の何万倍もの勇気を国民に与えているのを知らないのだろう。

●文芸春秋五月号の「2007年『合衆国日本州』誕生す」(水木楊著)はリアルなシナリオでした。欧州統合が対等な企業合併とすれば、アメリカは破産企業である日本を吸収合併するというシナリオです。これまで私が読んできた数少ない未来予測シナリオ論のなかでこれほど説得力のあるものはありませんでした。
自主独立して再生能力がないのなら、マネジメント能力に長けた組織体に吸収されて生を延ばすか、いやなら死か、という企業存続の明快なロジックです。

多分、既得権益層にとって、最も正視しがたいシナリオなのではないでしょうか?
それほど「真実」を含んだシナリオに思えます。

文芸春秋五月号の「2007年『合衆国日本州』誕生す」(水木楊著)に関しては,時間に余裕があるような講演で時々話しをしています。

結局,地場型中小建設業が依存している政治的な期待とは,小泉首相が失脚しながら自民党が政権与党であり続ける方法なのですが,そんなことどうすれば実現できるのでしょうか。

だからと言って,与党が政権をとれば,公共工事は更なる削減方向に向かっていくわけで,例えば石原新党ができて政権を取れば,公共事業よりは空母や戦闘機じゃないでしょうか,というような話なのです。

これについては,詳しく書く気はないので,私の講演を聞いてもらうしかないですね。(笑)

それでは,今日のBGMは,朝からうだうだしていてもしょうがないからね。
「ゲロッパ」でいこう。
朝から,J・Bの「セックス・マシーン」,血がたぎりますね(笑)。

2002/06/10 (月)  
【ミームについての戯言】

引き続き「今夜はブギ・ウギ・ウギ」ネタで始まります。
この曲を始めて聴いたのは,多分1978年のことだったと記憶しています。
→今から24年程前ということになりますか,年を取ったものです。

この年は,私が某大学に入学した年なのですが,(以前にも書いたとは思いますが)私はその当時FEN(米軍極東地域向け放送)を聴くのを常としておりまして,中でもTOP40は毎週楽しみにしていたものです。

そのTOP40(ビルボード)に3週連続1に君臨した割には評価の低〜い曲がこれなのですが,私にはこの「今夜はブギ・ウギ・ウギ」はミームとして潜んでいたようです。

実は最近FM放送を良く聴くようになったのですが,そこで最近耳につく曲がDOUBLEの「Driving All Nigiht」だったのです。

それを聴いていて私はこう思ったわけです。
こりゃ「パクリだ」。
→「今夜はブギ・ウギ・ウギ」のベースラインがそのまま使われていました。

この場合,パクリであるかどうかは問題でなくて,ある曲のベースラインがそのままに(20年以上を過ぎて)別の曲となってあらわれたことと,それに気が付いた自分に驚きを持ったのです。

つまり「今夜はブギ・ウギ・ウギ」のベースラインはミームなんだろうということすす。
→24年の歳月を経て再び曲となってあらわれた。
→そしてそのことに気が付く人間が存在した。

こうなると気になってどうしようもない性分なものですから,早速Amazon.comで検索して,「Driving All Nigiht」(6月6日発売だったものだから先行予約,楽曲を先行予約したのなんか生まれて初めてです)と「今夜はブギ・ウギ・ウギ」を注文したのでした。

「Driving All Nigiht」が届いて,最初にしたのは作曲者のクレジット確認だったのですが,なんとがっかり,そこには「今夜はブギ・ウギ・ウギ」の作者の名前が確りと書かれておりました。

つまり,「Driving All Nigiht」と「今夜はブギ・ウギ・ウギ」は違う曲ではなくて同じ曲だったわけですが,ミームからしてみればそらはたいした問題ではないのでしょう。

ミームは自己複製子として生き残り拡散することが大切なのです。
ここに今しっかりと生き残っているこのミームはその役目をまっとうしているといえるかもしれません。

これで「Driving All Nigiht」がヒットすることにでもなればこれはよいミームなのです(このミームはDoubleの悲しいお話とのミーム複合体としてかなり強い伝播力を持つように思えますのでヒットするでしょう)。

2002/06/09 (日)  
【今夜はブギ・ウギ・ウギ】

日露戦争は日本の勝ち。
素晴らしい!&嬉しいねぇ!

嬉しいので今夜のお仕事のBackGrandミュージックはDOUBLEの「Driving All Nigiht」で軽快に飛ばすことにしました。

ついでに原曲である,テイスト・オブ・ファニーの「今夜はブギ・ウギ・ウギ」とシンク・トワイスの同曲のカバーを一緒にMDに詰め込んで,エンドレス状態で,今夜はブギ・ウギ・ウギ若しくはDriving All Night とすることにしました(なんて内向的な喜びの表現なのでしょうか)。

さて,ついでに(どうでもいいのだけれども)今日の私について。

お昼ごはんはヨシカミにてハヤシライスをいただき,そのまま「ごふく安藤」さんにて,作務衣を一着新調してきました。

ヨシカミのハヤシライスは絶品と評するに値するものです。
世の中にはそういうものが時々存在します。

例えば,野田岩のうなぎの白焼きとか,後楽の穴子鮨とか,美々卯や杉のうどんすきとか,そういう存在です。

毎日数量限定で提供されていますので,運が悪いとありつけないのですが,今日は運がよかったのか無事食べることができました。

ごふくの安藤さんは,今日は娘さん(?)がお店番でした。
彼女は楽天ショップの店長さんで,私がお伺いしたときにもノートPCを目の前にしてなにやら作業中のようでありました。

今日も勉強してくださいましてありがとうございました。

私の作務衣愛用法は,くつろぎ着というよりは,ご近所用の外出着というような感じです。
綿麻混紡のものを,糊付けをきつくして着ています。そして,外出するときは,インナーはTシャツではなくて,綿の作務衣用の下着を愛用しています。これは襦袢のような感じで,なかなか雰囲気がよいものです。

浅草界隈をうろうろするときには,こういう格好も違和感がないのでした。

帰ってきてメールチェックをすると,6・6桃知会に最も遠いところから参加されていた滝田さんからメールが届いておりました。

たきた@なかしべつです。
岐阜の講演、桃知組全国総会お疲れ様でした。

岐阜の翌日からいろいろ寄り道をして、本日中標津に帰ってきました。
ジョルナダ持参でしたがメーラーの調子が悪く、メールが遅くなって
しまいました。

そして、岐阜へのお誘いをして頂いたにもかかわらず、ろくにご挨拶も
せず大変失礼いたしました。m(_._)m
全国の桃知ミームの熱さを感じ、札幌勉強会の懇親会のトイレでの
お誘い頂いたことに感謝です。

同じミームを持った集まりだからでしょうか、話しするにつれ、初めて
お会いするのにもかかわらず、初めて会った気がしないのは不思議
なものです。
私の場合、こういう機会でもなければこのような方々とお会いしてお話
するということもありませんので、岐阜に来たことは大変な収穫で、この
ミームがこんなにもアグレッシブであるのを改めて実感しました。

「夜の飲み会だけでも出るといい」と言った意味が実際に出席してみた
ことで判りました。

このような場所にお誘いいただき、桃知さんに改めて感謝致します。
そして、そこで熱く語り合った皆さんから知らず知らずのうちに「バルネ
ラブルの芽」を植付けられた気がします。

これから気温差の激しい移動が多くなりますが、お身体に気をつけて
ください。

遠いところからのご参加,心から感謝申し上げます。
ご活躍の地が,なにかとネガティブな話題の多い処ではありますが,中標津発の情熱が我々に届くことを期待しております。

そして私は原稿執筆中なのでした。


【決戦の日曜日です】

■インターネットの精神文化

インターネットの精神文化をキーワードにGoogleを回してみると,検索結果はわずか35件しかないのです。

そのほとんどが「私がらみ」なのですが,二つほど興味深いサイトを発見いたしました。

一つは広島大学のサイトにある村上崇さんの「情報教育の可能性」と題された論文です。
学校教育におけるインターネット教育に関しての意見ですが,非常に共感する部分が多いのです。

わたしは、インターネットを用いた情報教育の可能性は、インターネットの中で共同体を構築し、その共同体に積極的に関わりを持ち、そしてその共同体を発展させていくことにあると考える。「市民」の発想のもとで製作されたPC、それはconvivialityなツールとして誕生した。古瀬・廣瀬は、この「conviviality」という訳語が従来は「自律共生」と訳されていたが、本来的な意味を考えれば「共愉」が適切ではないかと述べている(22)。情報教育も、共同体に関わり、「共に愉しむ」場にしてこそ、豊かなものになるとわたしは考える。

こういう先生から,「インターネットを愉しむ」ことを教わった子供たちが大人になっていくことで,この国の閉塞も変わっていくのかもしれません。是非に一読を。

http://www.fine.lett.hiroshima-u.ac.jp/ethica/1uemura.html

もう一つはyosshaさんのHPです。
→http://members.jcom.home.ne.jp/yossha/index2.htm

隠れ桃知ファンの方のようですね。

■オルテガ・イ・ガセット

そして,はまりまくっております。>オルテガ・イ・ガセットさま。

オルテガさんっていうのは,例えば,『私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない。』などという(私にはたまらない)ことをさらりと言ってしまう20世紀前半を代表するスペインの哲学者さまなのです。

現在,オルテガ・イ・ガセット,神吉敬三(訳),『大衆の反逆』(1995年6月7日,筑摩書房)を読んでおります。これもたまりません。

『世論に反して支配することはできない』

『支配とは一つの意見の,したがって一つの精神の優位を意味することであり,支配権力とはつまるところ精神力以外の何ものでもないということに気づくのである。』(P183 世界を支配しているのはだれか)

だからと言って,オルテガは大衆に媚びろとは言わないのです。彼ら(当然に私もですが)は「慢心しきったお坊ちゃん」なのだからです。

『大衆の反逆』における「慢心しきったお坊ちゃん」の章は,爆笑ものの面白さがあります。
いちいち「そうだそうだ」と相槌を打ちながら読んでいます(本当はそんな笑えるものではないのでしょうが,今の私には笑えるのです。これは私のことだし,私の周りに沢山存在する方々のことなのですもの)。

時間があるようでしたら皆さんも読んでみましょう。

それでは,今日は頑張れニッポン!!ですね。
愉しみましょう。

2002/06/08 (土)  ▲
【ファンレターとボランティア(自発性)】

以前、京都・大阪で先生のお話しききました。
もう一度、ききたいなあと思っていたところ、
岐阜のセミナーを知って行ってみました。
昨日は先生も一層早口で、内容も濃く
正直難しかったです。
でも、やっぱしよかったです。
これからもがんばってください。

追伸:
当日のセミナーの模様を画像として
私のHPに掲載することを許可ください。
先生のHPにリンクすることを許可ください。

と,京都府亀岡市の旭建設さんからメールをいただきました。
早速自社のHPに講演への感想を書いていただいたようで感謝申し上げます。

→旭建設株式会社
http://www.asahi-kensetsu.jp/
→「朝令暮改」(笑) 6月7日。

私の周りの地場型中小建設業の方々には(まだわずかではありますが),こうして自ら(自発的に)情報を発信される方々がおります。

これらの行為は,私がIT化を言うとき(それを「時代との同化作用」と言いますが),その意味であるインターネットの精神文化を身に付ける,ということにおいて,その第一歩の行為なのだと思います。(後述するステップ1に該当するもの)

→しかしこの「身に付ける」という言葉も概念が曖昧であって様々な誤解を生んでいるのも確かですが。

インターネットの精神文化とは,自発性(ボランティア),草の根(グラスルーツ),開放系(オープン)というなんともあやうく面倒なものに支えられたものですが,この理解とは,理論的な追求とと実践的な追求の同時進行の先(対極)に位置しているように感じています。

それは理論的・実践的な追求の「突き抜け」の結果だということです。
だから突き抜けるまで,理解できるまで自発的に動くことがなによりも大切なのだと思うのです。

→つまり机上の空論はいつまでもむなしい。

それを表現するのに,私は「体で覚える」という表現を使っていますが,この表現もまた曖昧なため,勝手な思い込みのような解釈をされて嫌になることも多いのも事実です。

私は,特に自発性であるボランティアという概念に強く惹かれ続けているわけですが,ボランティアと言うと,慈善的(偽善的?)な報酬を伴わない(無償の)活動と言う狭義の解釈をされる方々が多いのですが,ここでいうボランティアとはそのような閉塞的な解釈のものではありません。

例えば金子郁容はこう表現します。

『ボランティアとは,困難な状況に立たされた人に遭遇したときに,自分とその人の問題を切り離して考えるのではなく,相互依存性のタペストリーを通じて,自分自身も広い意味ではその問題の一部として存在しているのだという,相手へのかかわり方を自ら選択する人である。表現を変えるなら,相互依存のタペストリーのなかで,「他人の問題」を切り取らない,傍観者でいない,ということである。』(金子,P111)

『しかし,「ボランティアとしてのかかわり方」を選択するということは自発性パラドックスの渦中に自分自身を投げ込むこと,つまり,自分自身をひ弱い立場に立たせることを意味する。ボランティアの選択する,この「ひ弱い」,「他からの攻撃を受けやすい」ないし「傷つきやすい」状態というのをぴったりと表す「バルネラブル」・・・。この言葉を使うなら,ボランティアは,ボランティアとして相手や事態にかかわることで自らをバルネラブルにする,ということになる』(金子,P112)

私は,地場型中小建設業の抱える問題とは,安心の構造の崩壊に伴う,新たな信頼の構築(市民社会とのコミットメントの確立)の問題だと理解していますが,それは自らをバルネラブルにすることで達成できる「つながりが形成されるプロセス」(金子)であるとも理解しています。

その「つながりが形成されるプロセス」を成立させるための基本的な三つの行動ステップを金子がまとめたものを以下に記します。

前提条件−相手との関係を平面で切り取らず,球体として捉える

ステップ1 「まず,自分から動く」−勇気をもって
・・・・・結果や評価の保証を確保しようとせずに,展開と結果に対するリスクを引き受ける
・・・・・自らをバルネラブルにすることで,そのようなかかわり方をしたいという意思表示を提示する
・・・・・「ふさわしい場所」を空けておく

ステップ2 「評価は相手に委ねる」−ゆったりと
・・・・・相手やプロセスを支配しようとしない
・・・・・働きかけ,呼応してもらう
・・・・・相手の旋律を聴き

ステップ3 「相手が動いたら,タイミンよく対応する」−恥ずかしがらずに
・・・・・センサー全開にしてモニターする
・・・・・タイミングよく,相手に合わせて自分もジャンプする
・・・・・相手もバルネラブルになっているのだから,そっと手渡しで
(金子,P120-121)

『この「つながりをつけるプロセス」は,実は情報を発生させるプロセスでもある。そしてボランティアは,ネットワーカーである』(金子,P121)となるのですが,このあたりは前後の文脈を理解しないと表層的な理解になってしまいそうな部分なので,是非,金子郁容,『ボランティア もうひとつの情報社会』(1992年7月20日,岩波書店)をお読みください。

そして,最後に大切な考え方を一つ書いて終わりにしましょう。

『(静的情報は枠組みの中で,効率的にことを処理するには寄与する。しかし,既存の枠組みを変化させる力にはならない。)それに対して,情報に関し重要なことは,隠すことではなくて,進んで人に提示し,それに対して意見を言ってもらい,つまり,人から情報をもらい,相手から提示されたその情報に対して,今度はこちらから自分の考えを提示する・・・・・というやりとりの循環プロセスを作り出すことであるというのが,動的情報の考え方だ。情報は,蓄えられているだけでは,力を発揮しない。やりとりを交わす過程の中ではじめて,情報に意味がつけられ,価値が発見され,新しい解釈−ものの新たなる理解や,新しいやり方−が生まれてくる。その,やりとりの中で生まれてくるものが,動的情報である。世の中の既成の枠組みを動かし,新しい関係を切り開き,新しい秩序を作っていくのは,動的情報である。』(金子,P122−123)

私はこの文脈において地場型中小建設業のIT化の可能性を信じ模索しているだけなのです。

つまり,ここにベストソリューションはない,ということなのです。そして必要なものとは,己をバルネラブルにする勇気ということになるのでしょうか。


【休む間もなく】

■変更等

主観リンクにマイルストーン・コミュニケーションズさんを追加。
建設CALS/EC研修センターさんのURL変更に伴う変更。

■今日は大宮まで

本日の私は大宮まで出かけまして,新発田建設東京支店の皆様へのミーム散布作業です。(笑)

以前,蕨に住んでいたときには大宮は直ぐ近く(京浜東北線で17分)のところでしたが,浅草に住んでからはずいぶん遠くなったように感じていました。

しかし,高崎線で上野から移動しますと25分程度のところななのです。
そんなに遠くになってしまったわけじゃないのです。

■ボランティア もうひとつの情報社会

最近私が頻繁に使うようになった「バルネラブル」ということばのおおもとは,金子郁容,『ボランティア もうひとつの情報社会』(1992年7月20日,岩波書店)にあります。

金子はこう言います。

『企業が,社会の中の多様な要素と,動的情報を発生させようとしてかかわりをもつということは,必然的に,自分が,社会におけるさまざまな関係から織り成される相互依存のタペストリーの中に存在しているのだということを,しっかりと認識することを意味する。そして,相互依存性のタペストリーを意識するということは,とりもなおさず,われわれが自発性パラドックスと呼んでいるところの「つらさ」−自ら課した課題を背負うことの「つらさ」である−を引き受けるということである。』

『企業が社会の中で「よき市民」であるというのは,企業が,社会とそのような関係性を意識し,そのためにもたらされる応分の課題とそれに伴うリスクを自ら引き受けることであり,そうしようという意志と,実際の行動を,社会のほかのメンバーから認知してもらい,評価してもらうということではないかと思う。』(P232)

私は,地場型中小建設業の生き残り策をマクロとミクロ両方の経済学的アプローチで考え続けてきましたが,その答えは暗澹たるものでした。

結果的にはリチャード・クーが言うところの「規制緩和」に収斂してしまうのです。
→ケイジアンは地場型中小建設業を救えない。
→新古典学派は当然に地場型中小建設業を救えない。

そして今,第3の道は経済学的アプローチの外にあったと確信しています。
→といっても,これは経済学的なアプローチをした対極に存在しているわけで,突然湧き出てくるものでないことも確かなのです。

それが「バルネラブル」という考え方です。

現在の私のアプローチは,この視座から地場型中小建設業の在り方を模索していくものとなっていますが,私の考え方に興味を持っていただいている方々には是非この本を熟読してください。

多分,私が事業者団体ベースで行っているIT化がなにものであるのかが,(なんとなく?)理解できるかと思います。

2002/06/07 (金)  
【酔っ払いはグダを撒き桃知ミームはねずみ講のように蔓延する,のだろうか】

昨日の6・6岐阜講演は盛況のうちに無事終了いたしました。
ご参加くださいました皆様に心から感謝申し上げます。

そして,遠く北海道からおいでいただき,見事なプレゼンレーションをしてくださいました坂田副会長率いる空知建協の皆様,ありがとうございました。

今回の講演会開催に奮闘してくださいました森所長率いる建設CALS/EC研修センターの皆様,ありがとうございました。

講演会終了後,宿泊先のホテルにて「桃知会」を開催しました。
こちらにも全国から沢山の皆様のご参加をいただきまして深く感謝いたします。

主催の労を買っていただきました,前田会長をはじめとする郡上建協の皆様,ありがとうございました。

司会の平井様,ありがとうございました。

遠く中標津からご参加の滝田様,新冠からご参加の逢坂マサキ建設様,そして空知建協の皆様,北海道ゼロックス様,ありがとうございました。

栃木からお越しいただきました,川上様,阿久津様,八木沢様,鈴木様,ありがとうございました。

千葉組の石井様吉谷様,ありがとうございました。

長野県飯田市からおいでいただきました,北沢様,熊谷様,ありがとうございました。

岐阜桃知組の寺田様,中島様,田口様,ありがとうございました。
内藤建設の皆様,ありがとうございました。

堀様,砂防大会のご盛況おめでとうございました。

マイクロソフト平野様,福井コンピュータ様,ゼロックス各社の皆様,ありがとうございました。
SBS様,ありがとうございました。

そして,うどん星人様,ありがとうございました。

この集まりは,別に会則があるわけでも入会条件があるわけでもなく,ただただおいしいお酒を飲むことだけを目的に存在しているだけです。参加するのもしないのもまったく自由な集合体として存在しています。

これは個々の構成員が信頼を解放することで初めて存在が可能なものであり,特別な内集団ひいき原理が働いているものではありません。

でも,このようなつながりを可能とする組織は強い存在なのであり,それは個々の構成員の皆様の強さによって担保されているといえるでしょう。→バルネラブルの芽

私が講演で話したこととは,このようなコミュニケーションは如何にして可能なのを考えること,それをIT化というロジックの中で考える。そういう話なのでした。

今日はぼちぼちと帰ります。

皆さん本当にありがとうございました。

2002/06/06 (木)  
【今日は岐阜で吠える】

空知建協の方々が岐阜入りされ,昨晩は前夜祭(?)を柳ケ瀬でおこないました。
本日の私の講演の中で,空知建協のIT化の取り組みのお話しをしていただくことになっております。

目的は「不特定多数」の方々に自分を売り込むということです。
この当たり前のようなロジックが地場型中小建設業には必要なのだと考えています。

それは,建設業における「2・第二種の情報的相互作用,解釈学的な蔓の情報→2・相手の意図に対する期待としての信頼」の構築への第一歩です。

北海道の各建協さんには広報を担当する委員会が存在していないところが多いのですが,それは,現在までの公共工事の文脈では,建協(構成会員)はその取り組みを広報する必要もなかったからです。

つまり,「不特定多数」に自分を売り込むという「必要要件」が市場文脈に存在していなければ,その必要は無い,ということです。そのマーケッティングの対象が「不特定多数」ではなく,「特定な内集団」に対して行われてきたのが公共建設市場ということができるかもしれません。

つまり,公共建設市場は内集団ひいき原理が働く集団主義による安心の構造体であっただけのことです。(そう考えれば気が楽です)

しかし,我々はその安心の構造の崩壊と同時に,公共建設市場のマーケッティングの対象が「不特定多数」にあることを理解してきました。

それは真の発注者としての市民社会の存在です。

この国は長い間「公共」という概念の曖昧さとともに市民社会の存在をないがしろにし続けてきましたが,我々が今目にする,この国のポスト工業社会化における顕著な変化とは市民社会の台頭だということができます。→NPO,NGO,個人(普遍)主義の台頭。

そして,この変化は,我々は如何にしてこの市民社会(勿論我々はその構成員です)とコミットメントできるのか,という命題を顕在化しています。

ミーム論からみれば広報やマーケッティング活動は,ミーム活動の中でも重きを置かれるべきものとなるでしょう。その目的は取引のメタ情報としての信頼の構築でしかありません。

信頼は信頼が溢れている時空では必要とはされないものなのです。今信頼が必要とされるのは信用・信頼できない事柄が多すぎるからです。(そう考えれば気が楽です)

自社の技術のミームが消費のミームに届かないことには相互作用としての経済取引(exchange)は起こりえないのは当然のことです。

消費のミームの持ち主は「不特定多数」であることを理解する必要があります。

これと同じ文脈で発注者のアカンタビリティの必要性が語られるものであることは今や説明不要でしょうし,私が強調したいのはむしろそちらなのです。

ということで,今日の私は岐阜で(↑)のようなことを吠えます。
しかし,最近の私にとっては4時間の講演も結構しんどいものになってきました(私も年をとったのかもしれません)。

そこで,先日の札幌独演会へのA木さまのご感想。

 今日付の建設新聞1面に29日のセミナーの記事が
掲載されました。桃知さんの“名人芸”を何とか
活字で表現したいと土曜日と日曜日に、家で悪戦苦闘
しましたが、あきらめました。
 よく考えてみると、円生の落語を活字で読んでも
ちっともつまんないですよね。残念ながら…、桃知さんの
全身全霊を込めた講演内容を活字で伝える術(すべ)
をわたしは身に付けていません。力不足です…。
 ここからが開き直り→ならば、今後はそれを聞いた人たち
の反応や引き込まれる様を表現していくことで、読者
に「一度聞いてみたい」と思わせる手法に切り替えます。
 講演が終わった後、空気を飲み込んで食事がのどを
通らないという桃知さんの様子を拝見して、本当の
プロの仕事を見せてもらいました。そういえば、最近
テレビのインタビューで世良公則(旧ツイスト)が
ステージが終わった後、舞台の袖でおう吐したという
話を聞き、惜しみなくパワーを力を出し切るからこそ
人に感動を与えられるのだと感じました。
 普通、答えのないコンサルなら「金返せ!」という
ことになりますが、「それでいいんだ」と思わせるのは
すごい!これから、わたしも記事を書かない新聞記者で
飯が食えたらいいなあ〜。ジャンジャン。。

私を乗り物としているミームは,私をしてそう(↑)させているだけなんだと私は理解しています。つまり,我思わなくとも我あり。なのです。

講演会終了後は,桃知ミーム複合体の集会(酒飲み)が予定されています。
参加者は50名程に膨れ上がりました。

確かにミームは自己複製子であることを感じます。

2002/06/05 (水)  
【穴子リズム】

エル・高橋さまからのご指摘。

ところで、アナゴリズム→アルゴリズムではないでしょか・・・
アナゴの握りを無性に食べたくなりました ★\(^^;

この指摘は全く正しい。

ミームは複製に失敗する。★\(^^;



【インスピレーション−体が反応する−】

昨日は日本代表も韓国代表も良い試合を提供してくれました。
W杯は私の内なるナショナリズム(スポーツ・ナショナリズム)を高揚させてくれますが,私の「心の道具箱」(山岸俊男)にそんなものがしまってあることは確かなようです。

近代サッカーは極めてシステマティックなもののようです。
私はサッカーにはズブの素人ですが,観戦していて感じるのは,これはシステムなのだな,ということです。

昨日の話の続きで書けば,点を取る(試合に勝つ)というアナゴリズムは存在するわけです。
つまり,それは「理論的には」という部分でです。

しかし,そのアナゴリズムは100%確実に機能することはないのでしょう。
感じるのは,アナゴリズムは常に破綻する。その時,プレイヤーの一瞬のインスピレーションだけがその破綻を超越する。というような感覚です。

イマジネーションと言ってもよいかもしれません。

しかし,このインスピレーションにも限界は存在しています。
それはプレーヤーのフィジカル的な限界だといえるでしょう。

つまり,どんなにインスピレーションを磨いても,体が反応しなくては意味がないということです。いやむしろインスピレーションはそれだけを磨くことはできないものだと感じています。

それはむしろ,理論の追求からしか得ることはできないような気がしています。
サッカーであれば,理論を頭に詰め込み,そしてひたすら練習する,ということです。

体で覚えたその先に存在するインスピレーション,と言うことができるかもしれません。
→対極へ突き抜けるという感覚。

あまたに存在するハウツーもののセミナーやビジネス書は,このインスピレーションが簡単に手に入りますよ,と喧伝しているわけですが,そんなことはありえるのでしょうか。私の理解ではありえないと言うことです。

→だから言い訳がましくまた書きますが,私には「答え」はないのです。
→私もまだ対極には突き抜けてはいませんので。

6・6岐阜用PPTの最後に私はこう書きました。
「IT化教育とは体に覚えさせるものである」

私はインスピレーションというのはビックリ箱のようななものだと理解しています。
→自分が考える間もなく反応する。

体で覚えたインスピレーションの種は,「心の道具箱」(山岸俊男)にしまわれているはずです。私たちのトライはこの時代変革に反応できる「心の道具箱」の道具の充実とその整理だと言うことができます。

しかし,その道具も教育・訓練・経験からしか得ることはできないでしょう。

さて,私は本日岐阜入りいたします。
午後2時30分頃から会場で明日の講演のセッティングの確認を行います。

2002/06/04 (火)    
【リラックス】

■ゲルマン魂

今日はW杯日本の初戦(対ベルギー戦)。これを楽しまない手はございませんので,一日中作務衣でうだうだとリラックスして過ごすことにしました。つまり休みです。

作務衣は,昨日ご近所の「ごふく安藤」さんにて,店のオヤジさんの見立てで2着ほど調達した綿麻混合のものですが,大変に着やすく気に入っております。

さて,午前中にデュースブルグ大学(ドイツ)地理学研究室のT.フェルトホフ氏(研究員、文学博士)がお見えになりまして,日本の公共事業について私からいろいろとヒヤリングをしていかれました。

ドイツでただ一人日本の公共事業についての研究をされているとのこと。
まあ,お国では変わり者扱いなんだろうねぇ,とは思うのです(なにしろ私をたずねてくるわけですから)。(笑)

約2時間程,私のほうから一方的に喋り捲らせていただきました(事前にメールでヒヤリング内容はいただいておりましたので)。

要は,昨日掲示しましたPPTの内容に沿った話なのですが,つまり,現代日本の抱える問題として公共工事依存型の地場型中小建設業を考える視点からは,経路依存的な考察は避けれるものではないこと(つまり地場型中小建設業は政策的な産物),その問題解決作が新古典主義的な競争原理に置かれること(競争原理の洗濯機)の不具合,そして,相補均衡としての自らを取り巻く環境,という考え方(自らが環境を構成している一部であるならば,自らの変化は環境を動かせる)をお話ししました。

そしてその文脈において私はIT化の実践をコンサルテーションしていると(ついでに私には答えは無いと言う話をしました)。

フェルトホフ氏は大変な作業を行っているのですね,と感想を仰っておりましたが,まあ,変なヤツだということでしょう。(笑)

ヒヤリング後の遅め目の昼飯はひさご通りの米久で牛鍋をご一緒しました。
話題は,当然にドイツVSサウジアラビアの試合結果について。

私は,なにもあそこまで徹底的にやっつける必要もないでしょう,という話をしたのですが,何事も徹底的にやるのが「ゲルマン魂」らしいのでした。なるほどね。

■答え

A木さまの某MLリストへの投稿を無断引用いいたします。

普通、答えのないコンサルなら「金返せ!」ということになりますが、「それでいいんだ」と思わせるのはすごい!これから、わたしも記事を書かない新聞記者で飯が食えたらいいなあ〜。ジャンジャン。。

私は答えのないコンサルタントを自称しております。
そしてそれを「逃げ」だと非難されることも多々あります。

しかし,私に言わせれば「ベストソリューション」(つまり答え)といわれるものこそが「逃げ」に過ぎないわけで,それを理解できない方々が不思議でしょうがありません。

「ベストソリューション」(つまり答え)といわれるものは,「アナゴリズム」なわけで,それは完璧に心を欠いたものです。

『もしあるシステムが与えられた手順に従うように設定されていれば,それを作動させるためには内部にいかなる小さな心,あるいは余分な何かを必要とすることもない。それはまさに心なしに起こらなければならないのだ。』(スーザン・ブラックモア『ミーム・マシーンとしての私(上)』2000年7月18日,草思社,P52)

『アルゴリズムは同じ地点から出発すればつねに同じ結果を生じなければならない。これは,もし進化が一つのアルゴリズムに従うならば,その結果はあらかじめ決定されており,予想可能でなければならないということを示唆しているように見える。』(ブラックモア,P52)

これが「ベストソリューション」(つまり答え)といわれるものの正体でしょう。
しかし,世の中というものはそう単純なものではないのです。ブラックモアは続けます。

『これは事実ではなく,そうならない理由はカオス理論が説明してくれる。水滴をたらす蛇口や流れる気体,あるいは振り子が描く軌道のように,単純な過程でカオス的なものがたくさんある。これらの過程は単純で心をもたないアルゴリズムに従うが,その最終結果は複雑で,カオス的で,予想不可能である。美しい形やパターンが現れることもあるが,そのパターンの種類は予測できても,細部はその手順を正確に動かさないかぎり予測できない。』

「ベストソリューション」(つまり答え)といわれるものの逃げ口上がここにあることに気付かれましたでしょうか。つまり『細部はその手順を正確に動かさないかぎり予測できない。』というところです。

答えのあるコンサルタント(ベンダー)の常套句を思い返してみてください。
彼らは決まってこう言うのです。

あなたの会社が私どもの「ベストソリューション」を導入された結果が芳しくないのは,『手順を正確に動かさない』からです。

そしてそれは永久機関のように繰り返されるものとなっていきます。
→ISOを思い浮かべてください。

つまり最初からアナゴリズムとしての答えなどこの世界には存在してはいないのです。
私が言う「答え」はない,ということはこのことです。

その理解を前提として地場型中小建設業に対してIT化のコンサルテーションを行っているのが私なのですが,それは「私には逃げがあるよでない」ことを意味していることが理解できますでしょうか。



【6・6岐阜用PPT】

6.6岐阜用のPPTが出来上がりました。今後講演当日までに細かな修正は入るかと思いますが大きな変更は行わない予定です。

ただし,講演資料として当日印刷配布されるものとは大幅に変更されておりますので,講演前ですがこのPPTを事前にダウンロードができるようにしておきます。

→圧縮しても3.25Mbもあります。
→申しわけございません。

今回のPPTは表紙等も含めて157枚あります。これを全て話すことはとても無理な作業ですので,全体としてかなり概要な講演とならざるを得ないと考えています。

さらにはLesson5,Lesson6そしてLesson8の「CALS/EC批判」はさらに要約のみのお話しとし,Lesson7は一切の説明を省くつもりでいます。

→そういう意味では,かなり上級者を対象とする講演となります。

ですので,できれば一度お目通しをしておいていただければ,当日の私の話しも理解しやすいかと思います(初めて私の講演をお聞きになる方は特にです)。

ミーム論と相補均衡論,そして内集団ひいき原理(集団主義)を地場型中小建設業のIT化を考察するときの基礎概念にする部分は,かなり深い理解が必要だと感じています。

今回の講演では,途中に空知建協の坂田副会長による「空知建協におけるIT化の取り組み事例発表」を準備していることでもおわかりのように,結論部分では事業者団体ベースのIT化と自治体CALS/ECの持つ「意義」へとたどり着けるような構成を考えています。

それは「IT化とは時代との同化作業である」,そして「IT化教育とは体に覚えさせるものである」という部分に収斂するものです。

それから,札幌独演会で使用したPPTを置いていたYahoo!ブリーフケースが大量のアクセス数のため悲鳴をあげてしまい,一時的に公開が中止されている状況になっていまっているようです。皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしております。

今回のPPTは札幌独演会の延長上に存在するものですので,ダウンロードできなかった方は,こちらをご利用いただければと思います。

→ダウンロードのページ
 →6・6岐阜用PPT

2002/06/03 (月)  
【6・6岐阜のPPT調整中です】

更新をしないでおりましたら,ご心配のお電話までいただいてしまったので,近況報告だけを書きます。

現在,6・6岐阜用PPTの最終的な調整をしていますが,これが思いのほか大幅修正となっておりまして,その作業に没頭しております。

今晩中には終了予定ですので,作業が終わりましたら,また書き込みたいと思います。

2002/06/02 (日)  
【延岡はチキン南蛮の発祥の地らしい】

疲れている私を気遣って,南延岡駅に迎えに来てくれていた伊藤さん@上田工業が私を連れて行った場所はかどがわ温泉心の杜でした。

大変に塩辛い温泉なので海水かと思うほどですが,効能書きによれば,庵川の地下一千数百メートルから湧き出た天然温泉の成分のナトリウム泉だと説明されておりました。

これでこころもからだも大変にリラックスできました。

そしてお昼ご飯は,「おぐら」にて,延岡が生み出したおいしい食べ物「チキン南蛮」をいただきました。今回はちゃんぽんとのセットです。

この「おぐら」についてWebで見つけたコメント。
ホークスの寺原の大好物である「チキン南蛮」発祥のお店。量が多く、完食すると強烈な満腹感のために、その後の機動力がなくなる。

このことばの通り,午後からの私は機動力がなくなっていました。★\(^^;

もっとも,温泉に入って,おなかは満腹だし,その上睡眠時間3時間で移動してきた体は,やはり悲鳴を上げていたわけです。

このチキン南蛮なる食べものですが,大変に気に入ってしまいまして,夜の居酒屋さんでもオーダーしてしまいました。当然に本格芋焼酎ともよくあいます。

そして,上田工業の皆さんの熱いお話も焼酎をおいしくしてくれました。

ところで,昨日のANA便では私の座席(3A)の前二つは国会議員のものでした。

そのひとつが森前首相でした。そのお姿を拝見したときに,あなたの時代はまだよかったのかもしれませんね,と心のなかでつぶやいたのですが,相補均衡は不可逆なんだよね,なんて思いながら爆睡してしまいました。

宮崎空港には,YANASEがドイツ車とスウェーデン車の展示をしていました。
そうです,ここ宮崎はW杯のドイツとスウェーデンが合宿しているのです。

→昨晩のドイツの大勝は驚きました。
→4日に私はドイツの大学の先生と面談をするのですが,最初の話題は決まってしまいましたね。

羽田空港にも外国人の空港案内の方の姿が目立ちましたし,浅草にも沢山の外国人サポータの方々が(ついでの観光に)おいでになっているようです。

W杯は始まりました。そして世界からの沢山のお客様が日本においでになっています。
そういう方々が日本という国を気に入っていただければ,と思うのです。

さて,本日の私は延岡発8時29分のひゅうが1号で宮崎空港まで移動し,11時30分のANA便で帰宅予定です。

空港で待ち時間がかなりあるので,なにかお土産を調達しようと思います。

  2002/06/01 (土)  
【今日は宮崎へ】

昨晩遅く盛岡から戻ったかと思えば,今日は今日で,早朝より宮崎へ移動します。
ANA 601 東京(羽田)(0720) - 宮崎(0855)

これで疲れないわけはありませんし,現に大変に疲れております。
でも,もうひと踏ん張りです。頑張りましょう。

PS.盛岡でのお話し(ぴょんぴょん舎リベンジ)は,明日にでも書かせていただきます。
  向井田さんは益々お元気でした。

momo
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