一お連専用カウンター

 
店主戯言0030501 2003/05/01〜2003/05/15 "There goes talkin' MOMO"


About桃知利男インデックスSelf Talking INDEX | 今日の戯言 | 2003年4月後半へ| 2003年5月後半へ著作権店主へメール


2003/05/15 (木)  
【違いを認めるという共通了解は文化なのである】

今朝の浅草は雨。
この調子だと週末の三社祭も雨かもしれない。

北海道のA木さまより

今朝の個性ってなんだろう、を読んで「個性」とは遺伝子と文化子の融合だと感じました。つまり、ジーン&ミーム、あるいはデジタル&アナログによって形成され、個性は遺伝子よりもむしろ文化子に大きな影響を受けるのではないでしょうか?

現在、個性重視の組織マネジメント論が幅を利かせ、従業員がやりたいと思う仕事だけやらせればいい、という極論もあります。

ただし、そこには外的環境の影響を受ける個性を「マネジメント」するという視点がありません。

自分自身を考えると「面白い仕事(やりたい仕事)」と「つまんない仕事(やりたくない仕事)」があり、前者はどんな忙しくても時間をつくり、後者は出来ない理由を探している自分に気付きます。

そこには顧客が何を求めているのか、という視点が欠落しています。そこを律して自らの行動をマネジメントする難しさを常に感じています。

私は、まず、個性とは身体的なものに由来するが、それを認めるのが文化でしかない、と考えている。

そして、そのような違いを認める文化が存在することで、その文化における個性はさらに個性となりえる、と考えている。

ミームは文化の遺伝子であり、文化はひとりの個人だけでは生まれ得ないので、個性的なミームという表現があれば、それはそもそも自己矛盾していることになる。

∴ ここでは、個性とは、そもそもは個体固有の違いであり、それはジーン(遺伝子)が司るもの、ということになるが、それを個性として認めるのはミーム(文化子)だよ、という厄介な解釈が必要となる。

つまり、まず最初の理解とは、人は身体的・肉体的に(姿・形・機能)すべて違う、ということである。これが個性の源である。

例えば、優秀なスポーツ選手は、肉体的な運動機能と脳の命令系統のつながりが、多くの方々と違うのだろうし、優秀な芸術家や芸人は、脳における反復的思考能力と外部出力装置(手か喉(声)か身体すべてか)の機能が、一般の方々とは違うのだ。

ただ、その出力を変化させる、文化的(後天的)な変数はあると考えてもよいだろう。

つまり個性とは、個々の人間が、外部(五感)からの入力に対して、脳内で情報処理し、その処理結果が、何らかの運動として生み出される(つまり外部出力結果が生み出される)その外部出力の結果若しくはそのプロセスのことである。

これを一次方程式で書くととこうなる。(『バカの壁』、養老孟司、2003年4月、新潮新書、p31)

Y=aX

Y=出力 X=入力 a=脳の中で掛け合わせる係数 

この係数「a」を、養老孟司氏は「現実の重み」と言っているが、ここには、先天的な肉体的機能の問題、そして後天的な「学習・訓練」の問題、つまりミームの問題があると考えてよいだろう。

そして、なによりもこの違いを認める文化(共通了解)があって、初めてその違いは「個性」として認められることになることに気づかれるだろう。

例えば、野球というスポーツを楽しむ文化がなければ、イチローも松井もなにものでもないのである。

この違いを認めるという共通了解が文化なのである。
→ただこの違いを認めるという共通了解にはタイムラグがあるのも確かだ。(例えば、コンドラチェフ波動における革命的新技術革新の大衆化の問題や、ゴッホの作品が認められたのは彼の死後だったりすること)

ということで、(私の)機嫌がよければ、明日もこの続きを書こう。

2003/05/14 (水)  
【個性ってなんだろう】

昨日は、結局午後5時まで、システム設定。
東京での約束の時間には2時間も遅刻。

ただし、家人が私の代わりを務めてくれたので、お客様はその方がよかったみたい(?)

システム設定の方は、12日はNT4のオプションパックをあてる作業段階で、ことごとくエラー(OS不明・・・?)が出て、失敗が続いたので、13日はWin2KServerで設定(正確にはSBSの2KServer部分だが)。

これはうまく行って、さすが新しいだけあるなぁ、と感心したら、最後の最後、トレンドのServerProtectのインストールがうまく行かない。

そして厄介なことに、このインストールが失敗すると、「アプリケーションの追加・削除」での削除も失敗してしまい、再インストールができない。

つまり、結局はOSのインストールからやり直しなさい、ということだ。
で、これを3回繰り返し、結局原因がわからない。後ろ髪をひかれる思いで岐阜を後にしたのである。


■個性を美化するのは嘘じゃないか

昨晩、Mさんとお会いしたら、今日(13日)のミームのまとめはわかりやすい、と褒められた。
いと嬉なのである。

最近、このミーム論を突き詰めていくと、社風や企業文化も「共通了解」としてのミームなのであって、そのミームビークルとしての社員に、(私のPPTにもあるように)人間の「個性」というものを(無理解に)強調し求める視点は、どうも自己矛盾であるなぁ、と気になっていた。

個性を求めなくてはならない理由は、昨日書いたように、ビジネスにおける市場適合課題は「差異」だからであるが、しかし、「差異」は「差異」だけでは直接的には商売には結びつかない。

その「差異」が、最大の「共通了解」されることで、市場(消費のミーム)は形成されるのであり、そこに業績は生まれる。

違うことが共通理解される。
つまり、「求められている違い」・・・これがそもそも矛盾しているのである。


養老孟司氏曰く、「わかる」ということは「共通了解」と「強制了解」であって、例えば言語は共通了解であって、数学的な証明、自然科学における「実証」は「強制了解」である。

この「わかる」の広がりをもって人間の脳は進歩を続けてきた、つまり、共通了解を追及することが文明の自然な流れ(脳は社会生活を普通に営むために個性ではなく共通性を追求する)だとすれば、「個性」とか「自己」とか「独創性」とかを重宝する傾向というのもなにか変なのである。

つまり、個性豊かな人間ってなんだろう?という疑問である。

今、単純に(というか何も考えずに、というか馬鹿みたいに)世の中が言っている個性豊かっていうのは、もしかしたら、ものすごく迷惑な存在なのではないだろうか。

勝手な言語で勝手なことを喋っているようなものであり、私は私なのだという、自己同一化の理解だけで存在しているようなものだ。

この手のお騒がせな方々は、毎日報道に出てくるので説明の必要はないだろう。
でも今行われている個性の議論は、彼等こそ個性豊かな人間だ、になってしまいかねないのだ。

でも、私たちが求めている個性とはそんなものじゃない、とすれば、ではなんなのか?

この続きは、(私の)機嫌が良ければ明日にでも・・・

2003/05/13 (火)  
【@岐阜】

桃知@昨日から岐阜に来ておりまして、システム設定中でございます。
今回は、古いサーバーのリフレッシュ的再構築作業をしておりますが、OSがWindowsNTServerであったりしているもので、NTも、一からつくろうとすると(今となっては)かなり扱いにくいなぁ、というのが正直なところでございます。

今晩は浅草で一献の予定がございますから、本日中に作業を終え、帰京予定です。


■50万ヒット

さて、50万ヒットは、昨日昼頃、めでたく達成され、次の皆さんが切番ゲッターとなられました。

50万-1 勝井さま(北海道)
50万   次郎さま(北海道)
50万+1 川上さま(栃木県)

おめでとうございます。m(__)m
景品が出来上がるまで少々お待ちくださいませ。


■ミームにつて

太田ジオさんのトピックスにミームの話が取り上げられていたので、補足的に書いてみよう。

ミーム(文化子)は自己複製子であり、『「やる気」「工夫の自発的発案」など「雰囲気(≒文化子?)」に関するもの』ではない。

複製子なのだから「自発的」な必要性はない。ただの文化の遺伝子であり、文化を継承していくものである。心理的エネルギーのエンジンにはなるかも知れないが、エネルギーそのものではない。

だから、市場原理云々とは直接関係はなく、例えば、新古典主義(市場原理)もマルクス・レーニン主義も、ケインズ経済学もミームである。この理解が大切である。

そして、従来型の公共工事システムもミームである。一方、長野県のような斬新な公共工事システムもミームである。建設技術そのものもミームであるし、経営のシステムもミームである。

つまり、法人とか官庁とかの組織とは、ミームの一時的な乗り物なのだし、当然その組織を構成する人間もミームの乗り物なのである。

つまり、例えば一個の建設会社が潰れても建設技術は廃れない、ということだし、ある人間の肉体が消滅してもミームは残る(ジョン・レノンはもういないけれども彼の歌は残っている)ということである。

そう考えれば、そもそもミームとしての建設技術が廃れば、ミームの乗り物としての組織(建設会社)はいらなくなる(つまり潰れる)ということがわかるだろう。

つまり、「公共工事という産業」のミームが廃れれば、「公共工事という産業」というミームの乗り物はいらなくなる。

私がミーム論を通じて言いたいのは、そもそも「公共工事という産業」は模倣容易なミームで構成されているのであって、だからこそ大きな産業として構築されてきた、ということである。

つまり、この産業に携わる限り、技術(ミーム)的には、たいした差異はない、ということだ。公共工事はこの特性を利用した産業として、国家的に機能できる配分のメカニズム(配分の経済学というミーム)を構築してきたのである。

問題は、新古典主義的な市場原理(マーケット・メカニズム)というミームの勢力が大きくなってきていることで、「公共工事という産業」のメタ・ミームである「配分の経済学」というミームの勢力が弱まっている、ということである。

この「配分の経済学」というミームの乗り物としての「公共工事という産業」の衰退は、つまり、その産業を構成する企業や最小単位のミーム・ビークルである人がいらなくなる、ということであり、これは単純な問題ではない。つまりそこには人の生活があるからだ。

ちなみに、構造改革論者のいう新しい雇用とは、「公共工事という産業」に代わる模倣容易な技術のミームで構成された産業ということであるが、これがサービス産業とか介護産業とかに移行できるかどうかは、技術のミーム的な模倣容易は問題ないとしても、それは(500万人の)人の生活を支えるだけのものか?という問題がある(メタ・ミームである「配分の経済学」との違い)。

マーケット・メカニズムの正体とは、差異を利用した商業資本主義に他ならないのだが、それは、メタ情報のところで、地場型中小建設業が依存している「公共工事という産業」の配分の経済学というミームとは構造を異なものとしている。(ここに私が経済学的なアプローチにこだわる理由がある)

つまり、マーケット・メカニズムというミームの勢力が大きくなってきていることで、「公共工事という産業」のメタ情報である、配分の経済学というミームは勢力を失いつつあるのである。

ここで重要ことは、ミーム論的には、どちらが正しいのか、間違いなのか、というのは大して問題ではない、ということである。生き残ったミームがよいミームなのだ。

つまり、それは適合と淘汰の結果なのであるから、生き残ったミームがいいミームとしか言いようがないのである(ここに問題は山ほどあるが、だからそこ議論は起こる)。

しかし、であれば、我々は、市場原理主義を当然のものとして受け入れる必要はない、ということに気が付かなければならない(市場原理主義は勝者ではない)し、市場原理を信奉する方々にとってはその逆も然り、ということである。ここが重要。

ここに、私がいう「ミーム力」の問題がある。つまり、常に、ミーム同士の適合と淘汰、競争が起きている。そしてそれがどの方向に向かうのかはカオス的なのである。(答えはない)

しかし、私たちは、ミームが情報的相互作用によってその勢力を拡大することだけは知っている。(そこにITやインターネットの可能性を語る理由がある)

そしてそこに、コミュニティ・ソリューションの可能性がある。

と、ミーム論的に産業論を書いたが、ここまで書けば十分だろうか?

産業は如何にして生まれるのかといえば、それは先端的技術の大衆化、つまり(狭義)技術ミームの模倣によってである。

個々の企業は、己の属する産業のミームの一個の乗り物でしかない。だから、その産業のミームが淘汰されれば、乗り物として企業はいらなくなる。

∴ある産業に属する企業群の(狭義)技術のミームに大差はない。

個々の企業は、この産業論の中で、わずかな違いを競ってもがいているだけなのである。
新規参入の障害も既得権益も、たいした違いがない中での競争であるからこそ起こる。

そのわずかな違いの競争の本質が、私が(広義)技術ミームと呼ぶものであり、それが市場における適合条件であることは、規制で守られている産業であろうが、市場に晒されている産業であるが、同じことなのである。

しかし、大切な視点はこうである。
今、「公共工事という産業」で行われているミームの動きは、メタ・ミームである「配分の経済学」と「マーケット・メカニズム」というメタ・ミームの争いであり、技術のミームレベルの争いではない。

つまり、建設技術というミームが今すぐに廃れることはないが、「配分の経済学」というミームの勢力縮小は、そのビークルである多くの地場型中小建設業の勢力縮小を意味する、ということだ。

→つまり、狭義の技術のミームを強化することが問題解決につながらない。
→正解の思い込み。

ここでこう気が付けばよい。

地場型中小建設業は「配分の経済学」のミーム・ビークルであり続けてきた。
では、このまま配分の経済学のミーム・ビークルでいることはできるのだろうか?

答えは分からないのである。
なぜなら、ミームは我侭であって、私たちの意志とは無関係であるからだ。

消滅してしまうかも知れないし、細々と生きながらえるかもしれないし、再び隆盛を極めるのかもしれない。

それを左右しているのは、「配分の経済学」というメタ・ミームのミーム力と環境との相互作用の結果であって、カオス的なのである。

そこで私はこういうのである。
地場型中小建設業は、「配分の経済学」のミーム・ビークル以上の存在理由を勝ち得られるのか、と。

再び書くが、その可能性を、私はコミュニティ・ソリューションに見つけた、ということだ。

私が、ミームを学び、経済学を学び、コミュニティ・ソリューションを研究しているのは、その可能性を模索しているからである。

そしてそれは、「配分の経済学」と「マーケット・メカニズム」というメタ・ミームの争いの閉塞を超えることができるのではないか、と考えているのだ。

とりあえず、ここまで理解していただければ幸甚なのである。

2003/05/12 (月)  
【10日の講義のまとめ(若しくは、なぜ企業は人也なのか、へのアプローチ)】

受講生からのメール 桃知による訂正的解説?
■マニア・1号さまのまとめ

さて、初めて聞いた「場」の理論ですが。
予想をこえて深かったですね。
(以下私のメモより抜粋です)


企業とは人の集まりという組織である。

組織における「業績」とは何か?
組織を構成する人のお互いの「情報的相互作用」の結果として導き出されるもの。と、定義する事ができよう。

つまり、それぞれの人(個人)が自らの意思に基づいて(または身近な人から直接間接に影響を受けて)行動した結果の束が「業績」となる。
ここでいう「行動」とは「情報的相互作用」のことをさす。

そして、経営者は組織の業績を直接マネジメントは出来ないものなのである。

従って、経営者が「業績」をマネジメントする場合、各人の意思決定は自分を取り囲んでいる環境との相互作用

組織をマネジメントするという事は「人々の意思決定」をマネジメントする事なのである。
または、人々の情報的相互作用をマネジメントする。

※人間の意思決定というものは、自分自身で決めているようで実は意外と自分を取り巻く環境に影響されているものである。(赤信号みんなでわたれば怖くないに代表される)

イントラネットというものは実は
・人々の情報的相互作用をマネジメントする
・人々の意思決定をマネジメントする
事を助けるための「ツール」・「場」なのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうも、まだ理解としては少し足りないような気もしまね。
これは、要復習かもしれません。(笑)

ただ、「ミームプール」「ミーム醸成装置」「ミームのメトリック」
としてしか位置づけようのなかったイントラネットを
「経営のマネジメントをする場」という風に位置づけ
その意義を再構成されたのには、正直少し感動しました。

桃論、早くも「改訂」されたくなって来られてませんか?
・ITで扱う情報とはミームのことである。

・ミームは情報的相互によって伝播される。

・企業とは情的的相互作用の束である。

人間を独立して意思決定する個人として考えるか、それとも情報的相互作用の結果として意思決定をする個人と考えるかで組織観は異なり、その組織観の違いがマネジメント理論の違いとなって現れる。



企業の業績というものを考えてみよう。(上の図を参照)

企業の経営とは、企業の業績の最大化を目的としている、と考えることができる。

しかし、企業の業績は、経営者自らが直接的にコントロールできないところにその特長がある。つまり、ここに組織のマネジメントの必要性がある。

では、企業の業績(現在と将来)を左右する要因には何があるだろうか。

企業内部的(内部要因)には、個々の社員の行動(現在)と学習(将来)が要因だと考えることができる。

これらは社員が自らの身体を使って行うことであり、経営者が目で見ることができるものである。

(補足:10日の講義では触れなかったが、その他の要因としては「外部要因」つまり「環境」をあげることができよう。そして、「環境」と内部要因が相互作用の関係にあることは、指摘するまでもないだろう)

では、この人々の行動と学習を行わせているものは何か、といえば、それは、個々の社員の意思決定と心理的なエネルギーであり、これは目には見えないものと言われてきた。

この時、この意思決定や心理的エネルギーが、個々の社員が独立して行っている、生み出している、と考えると、マネジメントは、この意思決定を独自にしている個人を対象としようとする。

しかし、情報的相互作用の結果として意思決定をする個人の束として組織を見る、つまり情報的相互作用の束としての組織観では、マネジメントは、その人々の意思決定と心理的なエネルギーを生み出している情報的相互作用と、その情報的相互作用のあり方を左右する、「いれもの」としての「場」をマネジメントすることになる。

場をマネジメントを意識することの一番の重要性は、経営のシステム(図の一番下に存在している経営の手段、設計変数:戦略、組織構造、管理システム、インセンティブシステム、経営理念、リーダーシップなど、例えばISO等のマネジメントシステム)と、企業の業績の間には、情報的相互作用の場としての人間の束(組織)が存在している、ということである。

つまり、これは私がいうところの「正解の思い込み」の理解につながる。

ベスト・プラティクスとわれるような経営の手段を、単純に導入することがマネジメントなのであり、それが業績に直結する、という思い込みが「正解の思い込み」であるが、そこには、経営手段と企業業績の間には、情報的相互作用としての場が存在している、という視点が欠如しているのである。

我々は既に、インターネットがミーム・プールであるように、イントラネットが自社のミーム・プールであることを指摘してきた。そして、そのミーム・プールが情報的相互作用の場であることも同様に示唆してきた。

つまり、イントラネットを使ったIT化とは、見えないものといわれてきた、個々の社員の意思決定と心理的なエネルギーを生み出す情報的相互作用を(すべてではありえないが)、見る(若しくは感じる)ことのできるものとしようとする作業である、ということができるだろう。

つまり我々は、イントラネットのような、ミームを扱うことを主眼としたIT化を通じて、自社のミームを知ろう、若しくは感じようとしているのだ。そしてそれはなによりも、場のマネジメントのためになのである。ここにこそ、IT化が企業マネジメントにおいて機能する第一義的理由があると言えるだろう。
■ゲスト:A木さまから

昨日、話された「場のマネジメント」について、まだ十分消化していませんが、今朝のサンデープロジェクトに出演していた日産のカルロス・ゴーン社長の話しを聞いて、ぼんやりと見えてきたような気がします。

そして、桃知さんが一貫して主張されてきた「社会心理学的なアプローチで地場の中小建設業を救いたい」の延長線上にある考え方であることが分かりました。

社員の動機付けをしっかりと行い、組織のモチベーションを高め、同じ方向に向かうように「場」をマネジメントしていくことが経営者の重要な役割である。

つまり経営者は業績をマネジメントできるという錯覚に気付くべきだ・・・こんな解釈でいいのでしょうか?

2003/05/11 (日)  
【50万】

スーパー桃知君まもなく一お連カウンターが50万となります。

そのお祝い用に、北海道の熊谷さんがスーパー桃知君をつくってくれました。

相変わらず見事なつくりでございますが、今回の50万ヒットの景品は当然これになります。

そして、結構評判のよい、ももち どっと こむ 特性ポロシャツのグレーバージョン(L)も準備いたしました。

このポロシャツは前後賞も含めて差し上げます。

※ポロシャツに関して

昨日の法大に、私は黒のバージョンを着て行きましたが、本当に評判は宜しいのです。ただし、レアものという意味では白のバージョンでして、これは存在自体がかなり少ない。そして、今回のグレーも5枚しか作っていないませんので、存在は超レアものでございます。

どうぞ狙ってやってくださいませ。

2003/05/10 (土)  
【右肩・首が痛い】

■法大エクステンション・カレッジ

本日は法政大学エクステンション・カレッジ初日ですので、なにやら朝から気合が入っておりますが、昨日から、私の右肩から首にかけての部分がなにやら破壊されているようで、キーボードをたたくのも往生している状況と、肉体的にはどうもいけません。

エクステンション・カレッジの受講者は、総勢14名さまに増えましたが、今日はご都合で2名さま欠席、1名さま大幅遅刻ですから、11名さま+本日の飛び入りゲスト1名の計12名さまでのスタートを予定しております。

本日の講義の内容は、一昨日、山形の講演で使用しましたPPTを使用しながら『桃論』を話します。

 昨日の講演は、たいへん勉強になりました。残念なのは、やはり・・
  「もっと聞きたい!!!」
ということでしょうか。4時間て、長いようでいて、実は短いのですね。

という感想も、山形講演の感想として届いておりましたが、たしかにあのPPTで、4時間の講演時間はあまりにも短すぎます。

でも、エクステンション・カレッジのいいところは、6回シリーズということです。今日は午後1時30分から6時30分ぐらいまで、つまり5時間ほどの講義を予定しておりますが、当然本日だけでは『桃論』は話しきれませんので、複数日にわたってお話ししたいと思います。


■お嬢・2号さまの主張

ももちさん、お久しぶりです。
お嬢・2号です。
今日は、とてもすごい充実した日となりました。

というのも、S組さんから
「岐阜で研修会をします」というお話を聞き、「参加してみますか」と
いうことで、岐阜ならなんとか自腹で行けるぞと、参加することを決めたのですが、
同胞ねえさんに話したところ
「私も参加したい」ということで、しかも「会社にちゃんと行く目的を話して行こう」
と、言われ、ここからものすごい(自分では)ことになるのです。

まず、ねえさんは私がいないときに建築部長に、私が会社のいわゆる「IT化」に対して
なんか一人で動いているなどということを、おおまかにまとめて話してくれたのでした。
そして、今回、岐阜の3社と北海道の1社が「IT化」に対する取り組みを発表する場があるので
参加させて欲しいということも、話してくれていたのでした。
なので、あとは私がくわしく、参加要請することを
聞いてほしい、というようなことを、言ってくれたのでした。

すごい、驚きでした。
まさか、会社に「出張申請」を自分が出すとは思っていませんでした。

しかし、やはり一人よりは二人。
ほんとに、まさか岐阜へ「会社経費」で勉強しに行けるとは、数ヶ月前には考えられない
ことでした。
ほんとに、「出張申請」を作成するにあたってN建設さんやS組さんには
ほんとうにお世話になりました。
私は大阪二人会に行ったことで、こんなにも、
いろんな人に、力になってもらうことができて、
ものすごく感謝しています。
今日の研修会は、自分にとっても会社にとっても、大変に勉強になる内容で
また、この研修会のことを今月の工事部会で発表することも決まっているので、
ねえさんと、この研修会のことを、まとめたいと思います。
そして、なによりももちどっとこむが、発端なのですね。
ももちさん、おおきに。
まだまだ、がんばります。
では、寝ます(^O^)/

この(↑)メールは5月8日25時頃にいただいていたものです。
ご苦労様、ってしか言えないか(笑)。

しかし、とにかく動いていることがこうして伝わることはよいことだろうと思います。

この先に何があるのかはわからないけれども、何かに対して、知覚し運動する、というボトムアップの過程と、解釈・認知する、といったトップダウンの過程がぶつかりあうところにしか「何か」は生まれないわけで、つまり自ら動かないところはつまらない。

それは好奇心的に「もがく」こと、とでも言えるのでしょうが、この「もがく」は、人の持っている特権だと思います。
つまり、獣はそれをしない。

中には、そういう野生を見て、それが人の生き方としてはよい、というようなことを言われる方も居ますが、私は、好奇心的に「もがく」ことこそが人の自然だと思うので、身体に悪くない程度に、皆さんにはもがいて生きていただきたく思うのでございます。

2003/05/09 (金)  
【山形講演感想三題】

昨日、山形講演、いやあ 感動しました。
初対面の時は、(失礼ながら)観察させたいただいた と書きましたが、その時の感動とは がらり 違った、感動を受けました。

あれだけ、ばっさりと切って捨てると、聞いている私たちも楽しいですが、話している先生ご自身も楽しいだろうなあ と。

帰りの新幹線の中で、「桃論」Lesson5まで すぐに読み進みました。

セミナー聞かないと、私には難しかったかもしれませんが、セミナーに参加した後でしたので、それはそれは、わかりやすく、読み進みました。本当に楽しかった。

それにしても、4時間なのに、一人も寝てませんでしたね・・・

せっかくの酒の席でしたが、子持ちの働く女性には、ここがつらいところで後ろ髪引かれながら、帰宅しました。

また、お会いできる日を楽しみにしております。

山形講演お疲れ様でした。
私は、生の桃知節に触れて少々頭が朦朧としています。
自分なりに危機感を持っているつもりでしたが、方向がずれている事に気がつきました。又、危機感の甘さも痛感しました。
しかし、準備はしていたつもりですが、今回の桃知先生のライブは、あまりにも時間が短すぎたように思えます。
又の機会を待つのではなく、作っていけるよう動きたいと思います。
まずは、お礼と言う事で、お身体を大切に頑張ってください。
(懇親会では見事な飲みっぷりでした)

今日、初めて山形でのセミナー聴講させて頂き、改めて、IT化の意味深さに驚かされました。

『桃論』は、一読してはいたのですが、まだまだ理解不足でした。
4時間だけでなく、まだまだ聞いていたかった気持ちです。

過去のセミナーで、4時間がこんなに短く感じたのは初めてでした。
是非、またセミナーと、次回は、懇親会にも参加したいです。

浅野知事のだめだめミームが蔓延している宮城県は、これからどうなるんだ?
一般競争入札に加えて、今度はオープンブック方式なるものが登場!(以下参照)
http://www.pref.miyagi.jp/keiyaku/
これで、何をしようとしてるんだ?

こんな宮城県での桃知先生のセミナー開催は可能でしょうか?

早速のご感想をありがとうございます。m(__)m

また機会がございましたら是非にお越しくださいませ。


【行儀】

朝一、午前6時26分発の新幹線で山形から帰京。
9時30分には自宅に戻り、なぜか肩と首が痛いのでお風呂に入り、昨日雨で順延となった、ちびっこ三社祭をちらっと観に浅草神社へ行き、納税やらなにやらで銀行へ行って、戻ってきたら午前11時30分を過ぎていました。


■うどん星人1号の主張

(ざっくり)

うどん★人2号様の、机を叩くを読んで・・・こちらでも机を叩いておりました。

例の白い人たちが、動くにつれてざわざわも移動中。
恐怖感が移動するだけで、問題は何も解決しない。
思想の自由はもちろん尊重すべき事でしょうが、自分たちさえよければ何やっても良いのかなぁ。地元旅館やホテルで潤った方達もおいでですが、生活水として使っている山水の経路付近に白い団体がいたりされる住民の恐怖。
去った後も、水が恐いと言っております。(何もしていないのでしょうが、それでも恐い)
またそれを見に来る、野次馬。
何せ、皆さまTVでご覧になったように岐阜の現場はホントに山の中。
生理現象はどうしたのかなぁ・・・
困るのよね。そっちの水質汚染も。

なんだかなぁ・・・もっと周りのこと見てくれないと。
やっぱり群衆現象・・伝染するんですね。

これとは別ですが、GW後半うどん★人2号さんが大阪で沸騰されている頃我が家は、京都の夜を沸騰しきっておりました。
根元はマンションの隣人。
元々このマンション学生専用で、壁が薄っ!
お腹も一杯になったし、今日は疲れたからとみんなでゴロゴロしていた時、隣が騒がしくなった。10時半頃から調子に乗ってきた。推定6人。
大音量で音楽鳴らす・叫ぶ・暴れる・歌う。

11時頃、眠たくても眠れない・・・怒ることがほとんどない息子が切れる。
「よし、お姉ちゃん行くぞ!」とお隣へ。
チャイムを鳴らしたら出てきたので「すみませんもう少し静にしてください」と伝えて撤収。ほんのしばらくはボソボソになったが、すぐに激しい。
「じょっしだいせい!いぇーい!」コール。
ベランダからこちらへ向かって歌う。覗く。壁を叩く。

12時半、頭痛くなってきたので子供達の要請に出陣。(夫は焼酎がぶ飲みでヘロヘロで役に立たない!)
「あの〜遅い時間なんで静にしていただけませんか?眠れないのです。」
バカ者「えっと、今日は東京から友達来てるんで〜」(そういえば駐車場にボコボコのきったない八王子ナンバーの車があったなぁ)と思いつつ。

おばさんは、この言葉に切れました。
「先にすみませんだろ!このばか」と心でつぶやき「そんなことは、関係ないの。これ以上うるさいので有れば警察呼ぶけどいい?」と聞いたところ。
「うるせ〜お前ら出ていけ!」って可愛いこと言うから「じゃぁ」とドア締めて帰って来ました。
酔っぱらいのガキ相手に喧嘩しても仕方ないからと思い眠る努力をしてみましたが、2時近くの時間を確認したのが最後ですが、そのころベランダでへたくそな口笛かオカリナ吹いてたのです。

躾が出来ていない。
翌朝、正座をして子供達に「いくらお勉強が出来て偏差値の高い大学行ってても、人の迷惑とか常識が判らない大人いなってはいけない」と小さな子に話すように話しました。

羽目を外すことがあってもいい、でも人に迷惑かけてはいけません。
大きな声で歌いたければ、カラオケボックスにでも行けばいいのに親切に採点もしてくれるし。
小さな芽が出ているのです、これが「でたな妖怪」へと育つのです。
親としても、「明日は我が子」にならないよう・・・気を引き締めた夜でした。

風邪引きさんが多いです。
師匠もくれぐれもご自愛くださいませ。

文部大臣は、(教育のため)行儀の悪いガキ(年齢的には大人も含む)は、ぶん殴ってもよい、と通達をだせぇ。

2003/05/08 (木)  
【おとなの主張?】

■うどん★人2号の主張

こんにちは、GW後半、灼熱の大阪出張ですっかりのびてしまった
うどん★人2号でございます。

久しぶりに、机を手でドンドンと叩いて、「そーだ、そーだ!」と叫んでしまったので、メールをお送りします。
といきなり書いても何のことやら、でしょうが。

私、以前より椎名誠のファンで初期の頃から氏の著作を読んでいました。
「さらば国分寺書店のオババ」などはその頃の代表作ですが、なぜ好きかといえば、常に「タタカイ」があったからです。(笑)
自分の身の回りで次々起きるバカバカしい事を、著作の中で、次々自分のかわりに「切って、貼って、はり倒して」いくその文章を読み、毎度「そーだ、そーだ!」と机を手でドンドンと叩いて居たわけですが、(これはまたプロレス観戦にも近いものがあります。)
氏も年を重ねたせいか、最近の著作はめっきり感傷的美学かつオトナのオジサン化してしまい、私も机をドンドン...の機会を逸していました。

そんなところに、本日の店主戯言「■生理的に嫌いなもの」。
「そーだ、そーだ!」ドンドンとやらせていただきました。
重なる出張の中では、私も止まれぬ事情でグリーン車、スーパーシート、ビジネスクラスを利用する事があります。
(たとえば、乗りたい便の禁煙席がグリーン車しか空いていないなど....)
そして、その場合は驚くべき百発百中の確率で、「真性の馬鹿」に遭遇しています。携帯バカ、イチャイチャバカ、泥酔バカ、ブランドチャラチャラバカ、芸能人気取りバカ...
さまざまな種類がありますが、数年前まで、まだ私が血気盛んなOL
............office Lady、old ladyではありません、念のため(^x^)..........
だった頃は、相手が(▼▼メ)風だろうが、(-Φ-)風であろうが、某バッヂをつけていようが、例外なく相手の目を見つめ、目を背けた途端にはり倒しにいっていました。
(目を見返された場合、勝ち目無しと判断し、引き下がりました。)
しかし、最近私もその気力が失せ始め、これはイケナイと思った矢先に、桃知さんの戯言で、なんだか再び再燃しそうです。(笑)

ちなみに、「バカはうつる」そうです。
SARS以上の感染力を持つようで、同じ車内・機内に1時間上いると感覚が麻痺して感染しやすくなります。
もちろん、同じ社内でもです!
「出たな、妖怪」と最初から見破る事ができる桃知さんのような方の場合は、一切感染いたしません。
皆さんも出張の際、降りる頃になって「あれ?この人バカだった...」と気づいた場合は、感染しているおそれがありますので、大至急桃論を読むか、店主戯言にアクセスして原始ウイルスを追い出しましょう。

(あー、今日はなんだかスッキリして気分いいです。)


■長野のタクシードライバーの主張

善光寺は御開帳中でございました(?)。

県庁からJR長野駅へ向かうタクシーで、ドライバーは、まず私が東京の人間であることを確認した上で、「今の知事は前野知事よりもずっといいですよ。でも今回の選挙で県会議員は変わりませんでした。私は(反知事派には)入れなかったんですがね。」と話しかけてきました。

私は特に過敏に反応することもなく、「それは残念でございましたねぇ」と、杓子定規な答えを返すと、後はタクシードライバーが前の知事の悪口やら、何処かで聞いたような県職員の悪行の数々を聞かせてくれるのですが、私は特に興味もなく、馬耳東風的聞役になっておりました。

そこでふと感じたことは、このドライバー、若し私が地元の人間ですよ、って答えたら、同じことを言うのだろうか?という疑問でした。(多分言わないでしょう)

どうしたら、自分の県の悪口を、県外からのお客様にこうもべらべら喋ることができるのでしょうか。対立する方を非難することで、自分の正当性を主張するのが田中知事の良く使う方法ではありますが、これが県民の皆さんにいきとどいているのでしょうか。そして、県外の方はみんな田中知事のファンだとでも思っているのでしょうか。うすら寒い印象を受けました。

さて、長野県庁と言えば、良くも悪くも(つくられたように)解放的であり、役所特有の重苦しさは確かに薄いな、と感じました。

そして長野県庁一の名所である知事室は、上野動物園のパンダの部屋のようにガラス張りであって、昨日は田中知事が在席しておりましたので、観光客の皆さんが沢山お集まりでございました。

ということで、長野までなにしに行ったのかは、そのうちにでも。


■本日は山形講演です

本日はウェルサンピア山形にてセミナーです。
セミナーも楽しみですが、その後の懇親会も、旧友が集いますので、とても楽しみです。

では、行って参ります。

2003/05/07 (水)  
【グリーン車の憂鬱】

■禁煙の話

午前4時起床。
桃熊会MLから。

○○です。
禁煙7日目です。
16才でハイライトより始まり
32年間ほとんどピースでした。
22〜23才の時 3日間の禁煙以来です。
○ン○ラと桃知先生に感謝!!
禁煙したい方、桃熊会事務局まで。
身をもって教えてくれます。

私の禁煙のキッカケは、4月10日にいった「○ン○ラ」という熊本のお店らしいのです。

このお店にいった翌日、私と、同行された皆さんは、激しい喉の痛みと発熱に襲われました(私はこれを熊本SARSと名付けております)。

私を除いた方々は、数日で快復されたようですが、私はこれをこじらせてしまい、以後タバコが吸えなくなってしまうほどひどい目にあったのでございます。

つまり、私の禁煙は、禁煙というようりも、「吸えない」というのが正解なのです。
そういう私と、(↑)のメールの方は、○十万円の禁煙の賭けをしております。

ですから「○ン○ラと桃知先生に感謝!!」なのですが、私は、吸わないのではなく、吸えないので、この賭けに負ける予定はないのでございます。


5・8 山形講演懇親会会場

5月8日は、後援会終了後、七日町ワシントンホテルの2階、三十三間堂で懇親会を行います。時間は午後6時を予定しております。

桃知先生 ○○です。きっと、ケータイに転送かな と思いますので長く書きます。
今日は、お会いできて本当に嬉しく思いました。
○○会長の話しの中に、いつも登場する先生に、興味があって、サイトはよく覗いていましたが、実際にどんな風にどんな声でどんな話をされるのかよ〜く観察!!できました。
教育の分野でどれだけ、岩○建協の力になることができるかわかりませんが、私にとっても、新しい分野の教育なので、よく勉強させていただきます。
あさってのセミナーの時に、また。○○より

このメールの方は、昨日岩手建協さんを訪問した帰りに寄った某社の方なのですが、盛岡から明日の山形のセミナーに参加されるとのことで、感謝なのです。

ところで「ケータイに転送かな」とのことですが、これは違います。
移動中の私は、正確には「PHSでメールを読みにいっている」でございます。

詳しくは、4月27日の戯言【AirH"PHON】をご覧くださいませ。


■生理的に嫌いなもの

新幹線のグリーン車に乗っていると、座席にふんぞり返って、大声で電話をしている人にお目にかかる時がありますが、私は、この手の輩が生理的に嫌いなのです。

だいたいグリー車に乗るなんてやつは、(私も含めて)そもそも性質(たち)がよいわけはないのです。

私なんか、移動中に仕事をするだとか、身体をゆっくりと休めるためだとかの理由をつけてはG車に乗っていますが、本当にそうなのかというと、まあ、なんだかよくはわからないのですが、最近は、問題解決を安易にお金でしてしまっている後ろめたさのようなものを、感じてはおります。

それで、今回のお約束は「車内でケータイは使わない」なのですが、この簡単な約束も守れない方に限ってグリー車に乗っていたりすのも確かで、このあたりの相関関係を調べてみるのも社会学的には面白いかもしれません。

私は、G車で我が物顔で電話をしているような方々を、「育ちが悪い」(生まれはどうしようもないが、育ちは、大人になれば−自律できれば−何とかできる)、若しくは単純に、「行儀が悪い」といっていますが、これがどうも生理的に受け付けられないのです。

さて、昨日の盛岡行きの「はやて」でお目にかかったのは、久々の真性の馬鹿(男)でございました。

なによりも、持ち物が最初からそれらしいのが笑えます。

ルイ・ビトンのボストン・バック&ハンティング・ワールドのポシェット。眩しくてダイアルの見えないような腕時計、時計ほどの金ぴかのブレスレッド、そして締まりのない巨体・・・出たな、妖怪、でございました。

これが大宮から乗り込んできまして、私の斜め前の席に座ったわけですが、座るやいなや電話をはじめたのです。曰く・・・

「テレビ電話でちょうだい」

ふいに予想もしない一発くらってしまい、めまいがしました。
(ところで、テレビ電話ってFOMAのことでしょうか?)

まあ、テレビでもラジオでも何でもよいのですが、あまりにも期待通りに、どうでもいいような話を、大声で、延々とやってくれるわけで、期待通りであることで、ある意味これもステレオタイプとよんでいいのだろうな、などと、迂闊にもくだらない思考をめぐらしてしまったのでした。

しかし、とにかく生理的には全然ダメなわけで、どうにも我慢がならない。(しかし我慢)

それでも一通話終わったようなのでホットしたら、また何処かへ電話をかけて、今度はなにやら車の話をはじめたのでした。そして曰く、

「アクセル踏んでもスピードの出が悪いんだよねぇ・・・」

私は心の中で思った(というよりも笑った)のです。

「それはお前がデブだからだよ!」


といいうことで、今日の私はグリーン車に乗って長野県長野市へ行ってまいります。

2003/05/06 (火)  
【法政大学エクステンションカレッジ初日(5月8日山形講演)用PPTの掲示】

■法政大学エクステンションカレッジ初日(5月8日山形講演)用PPTの掲示

法政大学エクステンション・カレッジの初日及び5・8山形講演で使用しますPPTを、ダウンロードのページに掲示しましたのでお知らせいたします。

 ダウンロードのページ

昨日も書きましたように、このPPTは現時点での『桃論』(中小建設業IT化論)最新版ともよべるものです。

170ページを越えるものですから、すべてをお話しようにもとても4時間枠のセミナーでは収まりません。8日の山形講演では大切なところをピックアップをし概論とし、法政大学エクステンション・カレッジでは、毎回の時間を延長しながら、数回にわたってご説明する予定です。


ということで、私は上野 8:58 はやて 7号 盛岡 11:22の新幹線(はやて)で岩手へ日帰りの出張です。朝はばたばたしておりますので、ここまで。

2003/05/05 (月)  ▲
【PPTをつくろう】

早起きをして、子供と、近所の富士公園にでかけ、キャッチボールのようなことをしてきました。

富士公園は浅草警察署の隣にありますが、この「富士」は、お富士さん、つまり浅間神社の富士です(ここの縁日が有名な植木市です)。富士小学校と幼稚園も隣にあります。

朝から公園などというのは、まあ、たまには、というやつです。
私の肩は既にボールを投げるようには最適化されておらず、遠投機能は劣化してしまっていますから。


■法政大学エクステンションカレッジ初日(5月8日山形講演)用PPT

5月8日(木)の山形での講演は、旧友、朝日測量設計の小林社長にもサポートしていただいており、大変感謝しております。

9日(金)の予定が延日されたこともあって、8日は山形市で宿泊となりましたので、懇親会付のセミナーとなりました。

そのセミナーのPPTの編集作業をしていたのですが、一日おいて10日(土)は、法政大学エクステンション・カレッジの初日がありますから、これは10日用にPPTを編集して、それを二日前の山形に使うという方法を取ることとしました。

PPTは、現在作成中であり、明日にでもこのサイトに掲示できるかと思いますが、このPPT、現時点での、『桃論』概論最新版ともよべるものです。

ですので170ページを越えてしまう予定ですので、とても4時間では終わりません。
8日は大切なところをピックアップをし、10日は時間を延長する予定です。

2003/05/04 (日)  
【たっぷり】

さて、昨日は5656(ごろごろ)会館ときわホールで行われました、題して「浅草名人伝説、談志・ブラック・ミッキー亭」を楽しみました。知っている人は知っている通り、私の家は、この5656会館の隣なのです。

5656会館というのは聞きなれないネーミングでしょうが、この5656(ごろごろ)という名前の由来は、ここのオーナーを知ると、なるほどなぁ、と思われるはずです。

ここのオーナーは、浅草名物「雷おこし」で一身代を築き上げた常盤堂さんなので、つまり、雷→ごろごろ→5656という洒落なのです。

さて、昨晩の出演者と演目は次のようなものでした。

開口一番  快楽亭ブラ房 時そば
ミッキー亭カーチス      野ざらし
(中入り)
梅田佳声          (紙芝居)ポンチ・国性爺合戦・黄金バット
立川談志           わからない・・・★\(^^;
快楽亭ブラック         英国密航

本当は、中入りの前が家元の出番だったのですが、例によって(?)、家元、時間通りには会場入りしませんから、おかげさまで、時間調整役のミッキー亭たっぷり聞けました。

それも得意のロカビリー入り(念のため書いておきますが、ミッキー亭カーチスは、あのミッキー・カーチスです)の野ざらしは、オリジナリティ十分に楽しめまして、とても64歳という年齢を感じさせず、立派なものです。さすが高田文夫と並ぶBコース真打なのです。

しかしいつまで延ばしても談志は来ないようで、ミッキー亭が終わったところで、突然の中入りとなりました。まあ、予想通りの展開に(?)会場は爆笑なのでしたが。

そして、本日のめっけもんは、中入り後に出てきました梅田佳声でした。

この人の芸は、紙芝居をベースとした話芸といってよいのでしょうが、私自身が、現時点で、この芸を、どうことばで表現していいのかわからない(つまりなぜ面白いのかが消化できていない)くらいに不思議に素晴らしいのでした。

紙芝居は、プロジェクターでスクリーンに大写しにして演じるのですが、これは私の講演スタイルにそっくりなのでであり、私は時々(自虐的にですが)、自分の講演を「電気紙芝居」と呼ぶ時がありますが、まさにそれなのです。

そして、梅田佳声が生み出す笑いは、とてもシュールです(あの古い紙芝居の絵にその秘密があるように思えます)。常識を超えてしまっているのです(つまり、私たちの次の予想をいい意味で裏切る)。しばらくの間はマイブーム的に追いかけそうです。

佳声が終わって、ようやく家元が高座に姿をみせたときには、時計は午後8時20分を少し過ぎていたでしょうか。6時半の開演ですから、ここまでの約2時間弱は素晴らしく短く感じたのでした。

昨日の家元ですが、遅刻は、本人は場を盛り上げるための演出だといっておりましたが、多分忘れていたのでしょう。しかし、この人が出てくると会場が締まります。会場がいっせいに姿勢を正すのです。

談志が、最近ますます声がでなくなっているのは皆さん承知のことなので、とにかく集中します。うちの子は、邪魔になるといけないので、ブラック師匠のお子さんと一緒に別部屋に隔離してもらいました(折り紙+グラタン付。ブラック師匠のおかみさんに感謝でございます)。

昨晩の家元はいわゆる「お楽しみ」で演目は事前には知らされておりません。
私はそこそこのメジャーな落語は知っているつもりですが、昨日の家元の演目はなんだかわかりませんでした。

家元は、枕をウォーミングアップのように使います(昨晩は本人がそういっておりました)。それで演目を探しているようにも見えました。家元を支配しているのは「好奇心」であって知性ではございませんから、「退屈」こそが行動エンジンなわけで(つまり好奇心を知性で止めることはできない)、ご本人が退屈されないように話を紡いでいくようなものを感じました。

昨日のテーマは、「女は優しさで男を支配している」というもので、まあ深いし難しい。それで一席終わってから、家元からの解説がついてくるという素晴らしさ。こんなのがあると、やっぱり談志はいい!と思っちゃうのです。

トリは、地元在住の快楽亭ブラック師匠。この人の高座は、放送禁止用語が連発されるため、下品な芸と思われがちですが、どうして話はしっかりとしています。

先日の木馬亭の毒演会での「HIROHITO」に続き、今回も「英国密航」という歴史物の演目。
「HIROHITO」が試作段階だとすれば、昨晩の「英国密航」はかなりこなれていました。

途中新歌舞伎的せりふ(というか節回し)があるのだけれども、これはかなりいけたし、講談や浪曲的センスも感じました。正直うまいなぁ、と感じたわけです。そして終演は午後9時30分。

ああ、たっぷり。

家元の遅刻のおかげで、なにか得した演芸会でございました。

2003/05/03 (土)  
【人吉から帰る。】

人吉のホテルから高速バス乗り場まではテクテクと歩く。
街の匂いを少しでも感じようと思うのだが、私はまだまだこの地では新参者なのである。

街の歩き方を知るよしもなく、表面だけを大雑把な見方をしている。

高速バスの待合室で、途中のコンビにで購入したおにぎりを二つたべて朝食とした。
土地の言葉が疲れた脳みそになんとも心地よく響く。

高速バスは、人吉−鹿児島空港間を一時間弱で結んでいるのだが、連休の影響か途中で渋滞。約30分遅れで鹿児島空港へ到着。

渋滞しても特段あせることもない。
とくに予約もしていなかったので、遅れても別になんともなかったのだ。

ANAご自慢の自動発券機で30分後に飛ぶ飛行機のチケットを購入し、ついでに幕の内弁当も購入して、帰りのフライトは食べたら寝るという子供パターンで、羽田へは午後1時30分に到着。近いものだ。

今日の羽田は政府専用機の日の丸がまぶしい五月晴れである。
日の丸機が羽田にいるということは、小泉さんのお帰りか、とふと思うが、そんなことはどうでもよい。早く家に帰りたい。

帰りのタクシーも、上野方面へ向かう高速道路はがら空き。
個人タクシーだし、いつもにもまして快適。

家につくとさすがにほっとする。

今日はこれから、ちょっと休んで、夕方から隣で、立川談志、ミッキー亭カーチス&快楽亭ブラックという方々の高座を拝聴する。久しぶりの談志である。楽しみ!

2003/05/02 (金)  
【本日は人吉へ】

昨日の桃熊会の講演会は、沢山のみなさまにおいでいただき、盛会のうちに終了することができました。おいでいただいた皆様、そして主催の桃熊会の皆様に深く感謝申し上げます。

昨日の会場、くまもと県民交流館パレアは、桃熊会史上(というか私の講演会史上)、最もおしゃれな会場でした。

1Fはカルチェとかグッチとかのブランドショップが並んでいて、その前を通って、エレベーター乗り場へ行き、9階の講演会場へと向かうわけで、おしゃれな桃熊会にはぴったりの素晴らしい(笑)シチュエーションでした。こんな会場を選ぶ桃熊会のセンスには脱帽なのです。

さて、昨日の私の話は、準備したPPTはほんの少〜しだけしか使わず、時々やりたくなる大脱線話を中心に、マーケット・ソリューションとヒラルキー・ソリューションの限界、そして、ソーシャル・キャピタルを核としたコミュニティ・ソリューションの可能性について。

それから、伊丹敬之先生の「場のマネジメント」理論を用いて、「正解の思い込み」の正体と、ミーム論からみるマネジメントが、情報的相互作用の場としての組織をマネジメントするものであり、その情報的相互作用をみるための眼鏡としてのイントラネットの効用について話したつもりなのだが・・・★\(^^;

さて、今日の私は、熊本交通センター 10:30 → 人吉産交 11:56という高速バスで、人吉市へ移動。熊本建設業協会人吉支部さんで、IT化のスタートアップセミナーを行い、そして本日は人吉泊の予定。

明日は、人吉から鹿児島空港へ移動して帰京予定である。

2003/05/01 (木)  
【毎日の小さなつみかさねのようなもの】

午前5時起床(昨日に引き続きである)。

さて、今日はこれから熊本へと向かわなくてはならないの。
ANA 641 東京(羽田)(0835) - 熊本(1015)というフライトなので、今朝はなにかと気ぜわしい。

羽田までは、浅草の自宅からは車で25分程度(これは時間が読める)だから、少々余裕を持っても、7時30分ごろまでに家を出ればなんとか間に合う。

だから、6時30分ごろまでは仕事をして、その後、出かける荷物の準備をし、さらにはお風呂にはいってきれいにして(?)、準備万端で出かけるぞ!と段取りはしているのだか、いつもこんな算段は何処かへ消えてしまうのが常で、出掛けには、これがない、あれがない、と毎回大騒ぎをしては家人を困らせているのが私なのだ。

ところで、私の大切な仕事に旅費清算書を作るというのがある。
例えば昨日の出張旅費の精算書はこんなものだ(詳細のところだけ)。

浅草(事務所) から タクシー \900 現金
JR上野駅 まで
JR上野駅 から 新幹線+ \14,830 現金
JR名古屋駅 まで
JR名古屋駅 から 近鉄特急 \1,850 現金
近鉄津駅 まで
近鉄津駅 から 近鉄特急 \1,850 現金
JR名古屋駅 まで
JR名古屋駅 から 新幹線 \1,410 現金
JR岐阜羽島駅 まで
JR岐阜羽島駅 から タクシー \2,710 現金
CALSセンター まで
CALSセンター から タクシー \2,870 現金
JR岐阜羽島駅 まで
JR岐阜羽島駅 から 新幹線+ \14,280 現金
JR上野駅 まで
JR上野駅 から タクシー \900 現金
浅草(事務所) まで
\41,600

まあ、実物はエクセルでつくった計算表なのだが、こうして清算書を作成し、印刷したものに領収書を添付して会計資料とする(各項目についている※印は領収書の有無である)。

会計処理は、税理士先生がやってくれるが、この旅費清算書をつくる仕事だけは私が自分でやるしかない。

そして、これはためるとダメなのである。後でやろうとすると、すぐやったときの何倍も労力を必要とする。

出張から帰って来て即作成すれば、領収書はまずすべてそろっているし、領収書がなくとも出費したものも覚えている。

後でまとめてやろうとすると、困るのが、領収書なし(最初からないのか何処かへいってしまったのかも忘れてしまうときがある)の出費なのである。これが結構抜けてしまうのだ。

かつて旅費清算書を作らない頃には、この領収書なしの出費を経費計上していない(1年間だと大きい)、というまことに太っ腹な模範的納税者になってしまっていたのだが、最近の私はせこい。

というか、この歳になって毎日こつこつと整理したり、勉強したりすることの面白さに目覚めてしまっている。(小学生の頃に目覚めればよかったのに)
このホームページを更新し続けたことで、継続する力のようなものを体感してしまったのだ。

なので、現在の私は、過去のどの時期の私よりも几帳面ではある。
ただし、几帳面ではあるが、お金の使い方はぜんぜん几帳面ではないのである。

ということで、本日の私はくまもと県民交流館パレア で講演。(当日受付ありだよ)
事前申込は70名さま。桃熊会の講演は、毎回当日に増える、という傾向があるので、今日もそれを楽しみにして熊本へ行くのである。


momo
桃知商店謹製
(c) Copyright TOSIO MOMOTI 1998-2003.All rights reserved.


About桃知利男インデックスSelf Talking INDEX | 今日の戯言 | 2003年4月後半へ| 2003年5月後半へ著作権店主へメール