店主戯言040702 2004/7/16 〜2004/7/31 "There
goes talkin' MOMO"
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2004/07/31 (土) ▲ ▼
【骰子一擲、まあ、たいそうなものではないが】
桃知@宮崎空港である。
結局、今日のわたしの骰子は、「帰る」に振られたわけで、11:30分発のJAL便に乗るべく、飛行場へやってきたわけだ。
既に明日のANA便の予約をしてあったので、ほんとうはANA便が使えれば、変更手続きだけでよかったのだけれども、残念ながら、12:00発のANA便は既に満席状態なので、JAL便の選択となったわけだ。
もっともANA便に関していえば、オープンチケットなので、また後から使えるわけで、さっさと予約キャンセルをした次第。
それにしても、JAL便は約20分遅れで出発の予定とのアナウンスなわけで、全体的にタイムテーブルは乱れているようで、であれば、ということで、時間ができたので本日二度目の更新なのである。
宮崎の空には、雲が増えてはきているが、まだまだ風は穏やかで、雨も降ってはいない。
これで、台風の進路がそれて、宮崎は台風の影響がなかったとしても、それはそれでよいのである。
骰子一擲、如何で偶然を破棄すべき。
選択−それは、骰子の一擲なのである。
【宮崎にて迷う】
宮崎にて5時に起床。
天候は晴れなのである。
久しぶりの切番(777777)の景品用に、ポロシャツを作成してみたのでご紹介。
とはいっても、納品予定が8月6日なので、今回はデザイン画の掲示である。
色は白、胸に「ももち どっと こむ」の桃色の刺繍があるだけの、とてもシンプルなもので、たぶん、8月7日の暑気払いでやるビンゴゲームにも、10枚程は景品として提供できるかと思う。(画像はクリックすると大きくなります)
それにしてもだ、問題は台風なわけで、ここ宮崎では、まだ雨は降ってはいないし、風邪も強くはないので、余計に悩ましい。
起床から今まで、各種台風情報をネット上で確認していたわけだが、情報を重ねあわせると、(こんなにいい天気なのにだ)今日は、午前中には雨が降り始めるようだ。
降水確率は50%程度。
まあ、お祭(まつりえれこっちゃみやざき)はなんとかなるじゃないだろうか、という楽観もあるので、せっかくだから参加したいな、という気持ちも強い。
しかし、わたしにとっての問題は今日ではない。
明日なのである。
つまり、わたしの帰京予定日である。
明日は、今のところの情報では、確実に今日よりも状況は悪くなる。
なによりも風が強くなるわけで、これは飛行機のフライトには致命傷なわけだ。
であればどうする、なのである。
骰子一擲
は、午前8時過ぎに。
2004/07/30 (金) ▲ ▼
【@宮崎でありました】
桃知@宮崎にて、午前7時に目覚めたのでありました。
台風はのんびりしているようで、ご当地には、まだ影響は全然ないようでありました。
ただ、朝からやたらと蒸し暑いのでありました。
さて、急遽、東京での講演会のお知らせなのでありました。
■東京独演会 【日時】 8月19日(木)13:30〜16:30 【受講料】 無料 【会場】 サイボウズ株式会社セミナールーム
〒112-0004
東京都文京区後楽1-4-14 後楽森ビル12階
TEL 03-5805-9035(代表) FAX 03-5805-9036
http://cybozu.co.jp/company/info/map_tokyo.html【定員】 20名程度 【概要】 「今日からIT化!」(詳細は未定)
イントラネット「サイボウズ」を利用した、より具体的なIT化手法を考えてみたく思います。
それは、「人を育てるIT化」、「信頼のIT化」へのアプローチです。【主催等】 主催:桃知商店
協賛:サイボウズ株式会社【お問合せ先】
【申込先】店主へメールでお願いいたします。
mailto:pinkhip@dc4.so-net.ne.jp
お名前
会社名
メールアドレスを明記の上、お申込ください。【懇親会】 未定です
昨日は、宮崎地区建設業協会さまのイントラネットが立ち上がったのを受けて、まずはIT推進委員会の皆様との勉強会でありました。
IT推進委員会は、其の名の通り、今回のプロジェクトの推進役なので、朝から晩まで、IT化理論と操作実習の勉強会なのでありました。
皆様ご苦労様でした。
そして今日は、役員の皆様との勉強会なのでありました。
3時間を予定しているので、操作実習を中心として、あせらずじっくりとやろう、と考えていました。
以上、朝食を取りながらの朝の更新でありました。
2004/07/29 (木) ▲ ▼
【「夏だ!ソラチだ!ムシ虫大作戦!」は大盛況だったようです】
午前4時20分起床。
浅草は雨。
今朝は、ANA 601 東京(羽田)(07:20) - 宮崎(09:00) で宮崎入りなのであるが、気になるのは台風10号の動きだ。
まずは、「今朝飛行機は飛ぶのか?」から今朝の心配は始まるのだが、今のところ「大丈夫」のようではある。
しかし、無事に飛んだとしてもだ、その後、わたしを追いかけるように10号(この呼び方は、どうもヘンだな、なにか2号さんとか、3号さんとかと一緒になりそうだ)は、四国・九州地方へ向かって移動するような予想なわけで、「喧嘩売ってんのか、われ」なのである。
特に31日には、隅田川の花火大会を諦めてまで参加するイベントがあるわけで、雨にでも降られたら、「いちど死んでみるか、われ」なのだが、台風はほっておいても死ぬわけで、こんな脅しが通じるようなやわな相手ではない。
さて、空知建協葉月会では、昨日、岩見沢にて、「夏だ!ソラチだ!ムシ虫大作戦」が決行され、大成功だったようだ。
次郎さんからの報告。
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7月28日は「全国建設青年の日」
昨年の全国建設青年会議で制定されました。
「地域に密着したニーズを拾い上げ、市民化をめざし建設産業を広くアピールする」という趣旨の日でございます。
北海道内では
札幌建青会:清掃活動、観光フォーラムの開催
道南建設二世会:公園に関するアンケート調査
小樽建青会:ヤマメの稚魚放流式
旭川二世会:清掃活動(2箇所)
留萌萌志会:新エネルギー子供見学会(風車見学)
宗谷建青会:稚内土木の日、重機の組み立てキット、パネル展
オホーツク二建会:U-10サッカースポーツ大会の開催
室蘭経営研究会:道路の清掃と緑化事業
帯広二建会:現場見学会
釧路建親会:釧路川の清掃事業
という大変、まじめな取り組みが多い中
わが空知経営研究会は「夏だ!ソラチだ!ムシ虫大作戦!」
ソラチ管内で捕獲したカブトムシとクワガタムシを子供たちへプレゼント。で勝負!でございます。
今日の午前中はあいにくの雨模様。
「用意した虫かご150個は全部はさばけないよなあ。」
「あまったらどうしよう?」と皆さん心配顔でございました。
ところが、どっこい、12時を少し過ぎた頃から、会場のソラチ建設業協会に子供たち、お母さんたちが続々と詰め掛け、開始時間の13時にはパニック状態で、あまるどころか足りなくなる始末でございました。
結局、3時間の予定が虫のプレゼント自体は5分くらいで終了。その後は、太田虫博士の育てた「ニジイロクワガタ」等の珍しいクワガタの大抽選会となりました。
業界紙はもちろん、北海道テレビの取材もありました。
そもそも、この企画、ソラチ桃塾の第一回目、深川の「南大門」で○○クン(注:桃知Jr.である)が持ってきた、「虫キング」のカードファイルを見せてもらっているときに発案された企画でございます。あの時、南大門でお肉を食べなければ生まれなかった企画でございます。
恐るべし「深川南大門」。
今日も、「虫キング」のカードファイルをもってきた少年たちがいっぱいいました。○○クンほどカードを持っている子供はいなかったなあ。
それに田端君が持ってきた100匹のカブトムシがなかったらどんなことになっていたか・・・・
(それでも当たらなかった子供さんもかなりいました)
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インスピレーション、イマジネーション、そして実践
(動き出したぜ!えぶり・ばでぃ)。
新たに振られた「骰子一擲」。
面白い。
2004/07/28 (水) ▲ ▼
【あわないもの】
7時30分起床
昨晩は「杉」にて一献。
お名前は伏せるが、たぶんあの時間、日本でいちばん暑苦しくも、すがすがしい方々との酒飲みであった。
自宅に帰って床につくと、なぜか持病である喘息がでてきてしまって苦しむ。
わたしの喘息は湿度に関係している場合が多く、湿気を含んだ空気に急に触れるとやばい。
それから、自分が喫煙者のくせに、マイルドセブン系の煙にも弱く、なんとも我侭な性格そのものの持病なのであった。
それから、どうも最近、麦焼酎が身体にあわなくなってきているようだ。
前回の二日酔のときも、考えてみれば、主に飲んだのは麦焼酎であり、じつは今朝は頭が痛くてラジオ体操をサボったのだけれども、昨日飲んだのも麦焼酎であったわけだ。
これだけで、麦焼酎があわない、とは断言できないだろうが、たぶん、この勘はあたりだろうと思う。
それから昨日は、今月二回目の散発で、かなり短めに髪をカットしてしまった。
まじでロン毛を目論んでいたのだが、やはり、どうにも暑苦しくて、ここで断念してしまったわけだ。
まあ、あわないものは、自然淘汰されるってか。(笑)
ということで、今日は、盛岡日帰り。
まだ、頭が痛い。
2004/07/27 (火) ▲ ▼
【トイレの住人】
6時起床。
今日も朝から暑いぞ、といいながら、しっかりとラジオ体操4日目。
なんだか、だんだん身体が軽くなるどころか、硬くなっていくように感じるのだが、気のせいだろうか。
たぶん、硬い身体を、「フン」とか、「ウッ」とかう唸りながら、ラジオ体操をしている己の姿は、限りなく不恰好で、滑稽なものだろうと思う。
しかし、それをわたしは見ることができない。
だから、それはわからない、ということだ。
だから、反省も改善のしようもない。
視点・パースペクティブという問題とはこんなことだし、わたしのいう「C」の問題(つまり情報をみる能力)とは、こんなメタファーでよいだろう。
この解決方法は、鏡を使うか、第三者の視点を借りることである。
しかしこれも、体操のように視覚で確認できるものであれば、問題は少ない。
ほんとうに鏡か、ビデオでも使えばよいわけだ。
だから問題は、見えないもを見る、ということである。
それは社風や組織文化とか呼ぶものであったり、山本七平氏が「空気」とよぶものであり、わたしが情報と呼ぶ「ミーム」であったりする。
『「空気」の研究』
山本七平(著)
1983年10月25日
文春文庫
460円(税込)
(これは、「空気」という「ミーム」の考察である)
見えないものを見ようとする。
この必要性が社会科学とか、哲学の存在意義なのだろう。
ので、この態度で使う「鏡」やビデオには、少々の工夫が必要なわけだ。
この文脈において、「イントラネット」とは、経営者が自らのミームを見る「鏡」なのである。
なぜかって?聞かれれば、
(笑)なのだが、ひとことで答えればだ、
インターネットの文化というのは、テクストの文化だからだよ。
さて昨日は、家族サービスとやらになるのか、お台場の東京ジョイポリスへ出向き、恒例のムシキング三昧(といってもわたしではなく息子がだが)。
帰りには、しっかりとセアカフタマタクワガタ(こんなの)を買わされてしまった。ムシキングだとレアカードの部類になるらしいこのムシ、当然に生き物であるわけで、わたしんちのトイレの住人がまた増えてしまったわけだ。。
しかし、こういうものをみていると、やはり気になるのは、生態系の問題だろうなぁ、と思う。
ムシがプロレスをやっていると子供が信じているのも問題だが、たくさんの外来種が日本に輸入され、若しくは国内でブリーディングされ、販売されている。
となると、中には日本の気候・環境に適応して繁殖し始める種もでてくるのじゃないだろうか。
ゴキブリのようにニジイロクワガタやパプキンがいたら爆笑ものだろうなぁ、などと夢想するわけだが、これをムシムシ・グローバリゼーションとでも名付けたところで、洒落にもならないだろう。
遺伝子はひたすら再生産をするわけだから、其の中では、日本の在来種が淘汰されてしまうこともあるのかもしれない。
この問題は以外にNaiveで、ことさら「日本」というものが強調されてしまうと、また胡散臭いものになってしまう。
ので、日本語で考える人間を日本人という、というわたしの定義に従えば、日本で繁殖していれば日本のムシでもよいのかもしれない。
しかし、このムシムシ・グローバリゼーション、もとはといえば、人間の仕業なわけで、たぶん、生態系に関していえば、あんまり余計なことはしない方が良いのだろうとは思っている。
だから、うちはトイレの住人は、死ぬまでわたしの家からでることはないのだ。
2004/07/26 (月) ▲ ▼
【景品募集中】
6時起床。
昨晩はスカパーでF1をみて、その後、焦点も定めず、ただうだうだと映画を眺めていたら、午前2時近くの就寝になってしまったので、眠い。
今朝も、ちゃんとラジオ体操にいってくる。
今日で3回目である。
益々関節は硬くなり、胸部は、焼いたするめのように内側に丸まっている今日この頃、それを思い切り伸ばすのは、かなり痛い。
だが、このわずか10分程度の運動、これがなかなか心地よいのである。
汗は吹き出るし、関節はぽきぽき鳴り、時々「うっ」とか声を出しているというお粗末さなのだけれども、身体が、この程度の負荷は毎日でもOKよ、とでもいっているように、喜んでいるのである。
ラジオ体操の会場で、ブラック師匠を見かける。
ラジオ体操をしている芸人というのも珍しいような気がするが、ちゃんと息子さんと一緒なわけで、子煩悩な一面拝見させていただいた。
最近は師匠の芸もみていないわけで、そういう生活じゃだめね、と反省している。
しかし、最近、立川流を近所で聴く機会はなくて、こうなりゃ、遠くてもよいから志の輔落語でも聴きにいこうか、と考えている。
こころは、オーラルな芸(話芸)を求めているのは確かなのだ。
それが欠乏している。
それでも、最近は浪花節(浪曲)をよく聴いているわけで、今は、広沢虎造(二代)の、清水次郎長伝をCDで聞いている。
「馬鹿は死ななきゃなおらない」である。
『江戸っ子だってねえ―浪曲師廣澤虎造一代』
吉川潮(著)
2004年6月1日
新潮文庫
620円(税込)
浪花節(浪曲)は、講談、落語と並ぶ、オーラル(声の文化)が生み出した至高の芸のひとつである。
その生い立ちから、講談師や落語家からは、大道芸と蔑まれた浪花節だけれども、日本の近代化の過程の中で、労働者層を中心に、大変に支持された芸であり、天皇を親とする"日本人"の民族意識を形作ったのは、近代的な法制度や統治機構などではなく、浪花節芸人の発する"声"だという研究もあるぐらいなのだ。
『<声>の国民国家・日本 NHKブックス』
兵藤裕巳(著)
2000年11月20日
日本放送出版協会
1019円(税込)
まあ、このあたりは、当然にわたしの研究対象のひとつでもある。
それは、このようなオーラルな芸(浪曲だけでなく、講談も、そして芸としても落語も)が、今やまったくといってよいほど、ミームシェアを失ってしまっているのはなぜか、なのである。
それは、声の文化−と文字の文化の二極対立からだけでは理解は難しい。
例えば、浪曲はラジオとレコードの文化であり、テレビの台頭と共にその力を失っていくのだが、声の文化と文字の文化の二極分けでは、ラジオもテレビも声の文化となっていっしょくたんなわけで、テレビの影響については、ちゃんと理解しておかなくちゃならないと思う。
TVが、我われにもたらした影響(意識志向、ミームビークル、ミームコントロールのようなもの)は、はかり知れないのだ、と感じている。
まあ、このあたりは、芸を楽しみながら、ライフワークとして、ゆっくりと考えていこう、とも思っているわけで、趣味の領域だろうね。
桃知さま
一昨日は主人が大変お世話になりましてありがとうございました。
さて、暑気払いでビンゴをなさるそうですが、何か景品を提供しましょうか??
私は残念ながらいけませんが、栃木や郡上のみなさまはじめ、桃知さんを
通じて知り合ったみなさんに、お会いした事がないのにオンライン、オフライ
ンで色々とお世話になっておりますので大したものは出せませんが、よろし
ければ何か出したいのですが・・・
実は先日みちプロ安比大会開催が決定しました
http://www.michipro.net/www/etinfo/t_detail.php?id=230
これのチケットを出そうか、と思ったのですが主人に「貰った人が困るだ
ろう!!」と叱られてしまいました(;_;)いや、確かに貰った方によっては交通費の
方が高くつくと思いますが、私の事を「みるきいというリングネームのプロレ
スラー」と思っていた方がいらっしゃった・・という話も聞きましたので(^^:
安比チケットはだめでも何かみちプログッズとか盛岡のものとかもし
出させていただければお送りするか主人に託します。
どうぞよろしくおねがいします。
みるきい
ということで、暑気払いでは、ビンゴゲームをやるのである。
只今、景品募集中なのだ。
今日は、予定キャンセルが入ってしまったので、ゆっくりと自宅で仕事をするつもり。
2004/07/25 (日) ▲ ▼
【公衆の面前で読んではいけない本】
熱帯夜は年寄りにはやっぱりつらく、午前3時30分に目覚める。
もうひと眠りしたいところなのだが、暗いリビングを眼鏡なしで歩いていたら、むこうずねをベンチ(型の椅子)の角にぶつけ、激痛に目が覚めてしまった。
昨日は、午後からの半日をほぼ錦糸町で過ごしていた。
息子のお付き合いなのだが、わたしは特にすることもないので、息子が遊んでいる間、一服しながら本を読んでいた。
『空中ブランコ』
奥田英朗(著)
2004年4月25日
文芸春秋
1300円(税込)
ご存知、直木賞受賞作品。
とにかく、精神科医伊良部のキャラクターは笑えるのである。
直木賞なのである。
難しく考えて読むようなものじゃない。
自分の脳味噌の中に展開される劇場で、思いっきり楽しむイリュージョン。
とにかく登場人物のキャラが普通ではない(小説だからそれでいいのだ)。
ただし、公衆の面前で読んではいけない。
突然、笑い出してしまうので、世間様からは神経症かなにかと間違えられる。
(わたしは、家内に、間違えられた)
『夢酔独言 他』 平凡社ライブラリー
勝小吉(著)
服部真長(編)
2000年3月15日
平凡社
1050円(税込)
勝小吉は、ご存知、勝海舟のパパなのであるが、典型的なオーラル(声の文化)の人間であり、あまりに清清しいその人柄に、笑うしかない!のだ。
すがすがし過ぎて笑うしかない、なんて、そんなに味わえるものではない。
小吉は武士階級にも関わらず、文盲であった期間がかなり長かったせいか、この口語体で書かれた「夢酔独言」は、文法的には、しっちゃかめっちゃかで、最初はかなり読みにくいのだが、一旦そのめちゃくちゃな語り口にはまったら、もう笑うしかない!のである。
その笑いもシュールなものじゃない。
ほんとうに、あまりに清清しくて、笑うしかない!のだ。
『所はわすれたが、或がけのところに其ばんは寝たが、どふいうわけか、がけより下へ落ちた。』
『岩のかどにてきん玉を打ったが、気絶をしていたと見へて、翌日漸々人らしくなつたが、きん玉が痛んであるくことがならなんだ。』
これで金玉が腫上がるのだが、勝海舟(麟太郎)も、犬(病犬)に金玉を食われた記述がある。
そのとき、小吉パパは、70日間、麟太郎を抱いて寝るのだ。
『「今度岡野様へ来た剣術遣ひは、子を犬に喰われて、気が違った」といゝおつた位だが、とふとふきづも直り、七十日めに床をはなれた。夫から今になんともなゐから、病人はかんびよやう(看病)がかんじんだよ。』
おお、清清しいぜよ!。
ただし、公衆の面前で読んではいけない。
突然、あまりに清清しくて、笑い出してしまうので、世間様からは神経症かなにかと間違えられる。
(わたしは、家内に、間違えられた)
2004/07/24 (土) ▲ ▼
【長谷川紀子かくかたりき】
暑くて、朝4時30分に起床。
折角早起きしたので、子供とラジオ体操へ出かけ、何十年ぶりかで、ラジオ体操第一と第二で汗を流すが、早速筋肉痛?
この町内会は、子供の数はめっきり少なく、ラジオ体操をしているのは、ほとんどがお年寄りである。
まあ、これも下町の現実だろう。
さて、昨日は、盛岡から帰って、東京ビックサイトで開催されていた中堅・中小企業IT化経営展2004へ出かけてきた。
当然に、長谷川紀子さまの講演を聴くためであるが、東京ビックサイトにわたしがいるなんて、何年ぶりだろうか。
長谷川さんの講演は、珍しく幾分緊張気味に始まる。
この程度のことで、緊張するような方ではないのだが、と不思議に思ったのだが、これがなぜかは、講演後明らかになる。
展示会場内に設置された、講演会場は、外部の音が、かなりうるさいけれども、長谷川さんの声は良く通る。
そして昨日の金言。
『管理職がサイボウズに書き込めなかったのは、決してやる気がないのではなく、管理職としての能力に欠けているのでもない。ただ、ただ、パソコンを操作する能力が欠けていただけである。』
その通りなのだ。
パソコンが嫌いな理由なんてたいしたことはない。
論理的、哲学的に嫌いだ、なんていえる人間は、世界中探してもドレイファス(米国のコンピュータ嫌いの哲学者)ぐらいなもので、多くの方々は、単純に日本語入力ができないからにすぎない。
つまり、キーボード・リテラルへの不慣れが原因なのである。
だから、IT化は、身体で覚えることから始まるのだ、とわたしはいうのだけれどもね。
キーボード・リテラル→キーボードを使った文字の文化。
わたしが勝手につくったことば。(笑)
ところで、なぜ、長谷川さんが緊張しているよう見えたか・・・。
PPTを開いたら、本来喋るものではなかったので一瞬ひいたらしい。(笑)
でも、それを感じさせずに喋り切ったのは、もうご本人の才能以外のなにものでもないわけで。
2004/07/23 (金) ▲ ▼
【覚悟のようなもの】
盛岡駅を、7時30分発にでる「はやて」にて、盛岡から帰る。
東京駅着は9時51分。
普段は上野駅で降りるのだが、今回はなぜ東京駅か、というと、この「はやて」、盛岡をでると、仙台にしか止まらない、というスーパーエクスプレスなのである。
つまり、上野駅は通過なのであった。
タクシーで帰ろうと、東京駅八重洲中央口からタクシー乗り場へ出たら、タクシープールにタクシーは一台もいない。
暑いので、みなさんタクシーを、つい、使ってしまうのだろう。
こんなとき、みなさんの頭の中の原価計算機には、数値で把握できる金銭的なもの以外の要素が入り込む。
つまり、暑い→身体がばてる→歩くよりは、電車よりは、涼しいタクシー。
この肉体から入力される要素は、数値化できるものではない。
経済の浮き沈みなど、考えてみれば、こんな不確定な要素に左右されているのだろう。
経済活動など、いうなれば共同幻想の再生産のようなもので、その実体はだれも見ることも触れることもできない。
ただ、そこに「貨幣」というものが介在することで、われわれは、経済が見えるような気がするのだし、その「お金」というものに、虫ピンでとめられているような人生をおくるわけだ。
昨晩、向井田さんと話していたこと。
仕事がつまらない、という人が多い。
そんな相談をされると、わたしは、さっさとやめれば!と答える。
でも、多くの方々は、住宅ローンがあるとか、借金があるので、やめられない、などとのたまう。
つまり、最初からやめる気はないのである。
住宅ローンがあるとか、借金があるとかいう理由を探し当て、今の自らを肯定しようとするわけだ。
その理由がもっともだ、と自分で思っていること。
虫ピンでとめられるとは、こんな状況のことである。
そんなのにつき合わされるのは、あまり好きではない。
今のわたしは、家とか住居地にこだわることはない。
どこで住んでもかまわないし、場合によっては、いつでも今の生活を捨てる覚悟がある。
今払っている家賃を考えれば、それなりの個建でも、マンションでも購入することは可能だろう。
でもいまさらそんなことをしようとも思わないし、今の状況がづっと続くなんてことは、これっぽっちも考えてはいない。
わたしは、生き方の選択として、なるべくなら虫ピンでとめられないことの方に価値観を感じているだけだ。
それは、わたしの思想の自由には絶対に必要な態度だと考えている。
当然に、お金に虫ピンでとめられてしまう生き方も、それは覚悟なわけで、自らの価値観の問題でしかない。
だから、ローンを組んででも、家を持つことが、人生の目標であることをわたしは否定はしない。
ただ、それが、いやいや仕事を続けている理由なのであれば、そんなことに何の意味があるのだろうか。
そして、虫ピンの理由で続けている今の仕事がなんらかの理由でなくなったとき、どんな風に、また自らを理由づけできるのだろうか。
そういうものから、自分を自由にする方法なんて、今じゃ、たくさんあるのにね。
昨年は、過去最悪の自殺者であった、という報道があった日に、そう思うわけだ。
2004/07/22 (木) ▲ ▼
【北海道はいいぞ】
札幌にて、午前6時起床。
相変わらず、部屋の中でも寒い朝なのである。
昨日のお昼は、今や岩見沢での昼食の定番とさえなった感のある、SEIZE THE DAY!(しーずざでい)の、とうふのスープカレー(辛さ4番)を食べる。
食べるたびに、辛さをひとつづつ増やしているわけだが、流石に4番は辛かったわけで、次は、5番である。
スープカレー、なぜか麻薬的に取り付かれている。
午後からは、空知建協にて、協会イントラネットの準・賛助会員さま向けの説明会。
つまり、準・賛助会員さまを、協会イントラネットへお招きしよう、という先進さである。
枯れることの無いイマジネーションとインスピレーション。
常に動き続けること。
すなわち、繰り返される骰子一擲。
終了後メロン(青)をご馳走になる。
そして昨晩は、おなじみの吉左門にて、一献。
この店のオヤジは創意工夫の塊のような方である。
昨日も、焼きりんごのカニのグラタン詰めとでも表現するしかない料理。
フルーツトマトのチーズベーコン巻き・・・などなどで我われを魅了してくれる。
そしてしっかりとした素材を生かしたもの。
海水うに。
アナゴのてんぷら。
ひらめのおつくり(昆布が敷いてあるこころにくさ)・・・などなど。
そして、昨日は土用の丑の日ということもあり、ちゃんと、うな丼が〆になってでてくる。
私は砂子さんの助言に従い、最後は、ひつまぶしのお茶漬け状態で完食。
デザートは、またまたメロン(赤)。
ああ、ご馳走さま、なのであった。
さて今日は、午前中、札幌市内で、とても大切な仕事をし、その後JAL2835便 札幌/花巻(13:40/14:35)で、花巻空港経由盛岡入り。
午後5時からは、某所でとても大切な勉強会を行う、という札幌、盛岡のWヘッダーの一日なのであった。
札幌の涼しさに救われているのも今日の午前中までだね、と思うとなにか残念である。
盛岡の予測気温は29度。なんかあつそーなのだ。
2004/07/21 (水) ▲ ▼
【「C」が足りない】
札幌で午前6時に目覚める。
エアコンは切ってあるのだけれども、なぜか寒い。
しかし、昨日は、ほんとうに暑かった。
東京は39度を越えたとのことだし、淡路島も関空も、かなり暑く、わたしのだぶついたお肉は、溶けそうなのであった。
まあ、ほんとうに溶けてくれれば、それはそれでうれしいのだが、そんなことは実際に起こるわけもなく、わたしは、ただひたすらポカリスエットを飲み続けていたので、むしろ水ぶくれの状態なのであった。
それにしても、今年の東京は絶対に40度を越える、というのが、わたしの予言なのではあるが(毎年言っている)、そのなんとも嘘っぱちな予言さえ、まんざら戯言でもなくなってきているのが、なんとなく怖いじゃないか。
さて、昨日は、洲本港から関空までは、予定通りフェリーを使ったのだけど、平成13年につくられたこのフェリーは、まだまだ室内も綺麗で立派だし、天候にも恵まれ、波は静かで、かなり快適なのであった。
快適だった理由はもう一つあって、それは、乗客が、4人しかいなかったことなのだが、それは確かに、快適なのであるが、なんともうら寂しい快適さなのであった。
聞くところによれば、このフェリーは(当然のごとく)大赤字らしく、廃止も言われているようなのだ。
まあ、儲からないけれども必要な仕事だから「公」なのだ、とわたしの立場では主張したいし、関空がある限り、廃止論者は、自らの主張を諦めるしかないだろうが、実際に船に乗ってみて感じた印象は、やっぱり、なんかまずいんじゃないのかい、なのであった。
しかし、この、なんかまずいんじゃないのかい問題の根源は、別にあることは、明らかであって、つまり、この問題の根源は関空の存在にあるわけだ。
関空を使う人が少ないから、フェリーを使う人もまた少ない。
そのことは、空港内で、うだうだと時間を潰すほどに、実によくわかってくる。
ほんとうに人が少ないのである。
(勿論、ぜんぜんいないわけではないが・・・)
わたしは、時間調整のため、空港内のイタリア料理店で1時間ほど過ごしていたのだが、その1時間の間、客は他店で働いている方2名(休憩時間)、外国からのお客様が3名、たったそれだけだったわけで、それはこの店が特別だからではなく、どこもこんな状態だったのだ。
もっぱら、羽田空港と新千歳空港をいったりきたりしている最近のわたしの感覚からいえば、あれほど立派な空港で、あれほど、人影のまばらな空港もないだろう。
さらに、当然のように飛行機も空いているわけで、昨晩の新千歳行きのANAも、余裕のよっちゃん、がらがらだった。
この問題は、新しい滑走路をつくっても解決のつくものではないわけで、必要なことは、マイナス方向にロックインしているレスラーの帯に、一旦、出口をつくりだすことなのだと思う。(この出口が即入り口となる)
つまり「C」を機能させる。
最初のボタンのかけちがい(初期値)が、正のフィードバックに乗って、拡幅されていっているようにしか見えないは、それは、負のフィードバックが効かないような負のフィードバックが機能しているからであり、その正体は、インフォーマルなものであり、文書化できないものであり、まさに制度・慣行というミームの支配なのである。
そして、それは内部からは誰も止められない。
個が種に溶けている組織に、個の変化に期待をかけるのは無理だろう。
外圧(環境)の変化と、自己破壊だけが変化要因となってしまっている。
本来の意味での、負のフィードバックが効かなくなってしまっているのは、まずなによりも、情報を見る目を持った「C」機能の欠如のせいである。
これは、官僚組織であろうと、会社であろうと、個人であろうと、とにかく良く起こる。
なぜだろう。
確かに、我われには経済的合理性は備わっていない。
けれども、欲望の塊であることに違いはない(からだろう)。
それはややこしいはなしなんで、今回はおいておいて・・・、まあ、国の「C」役とは、勿論「議員」のことなのだが、そんなことは、今や期待する方が無理!っていうものなのだ。
なぜかわかんない方は、(↓)の第三章でもよんでみませう。
全部が解ではないが、一部は解である。
『上司は思いつきでものを言う』
橋本治(著)
集英社新書
2004年4月22日
693円(税込)
しかし、『「正当にあきれられて、それで己の愚に気づかない人間はいない」と思うしかありません』(p154)というのも、悲しいものだぜ。>橋本さん。
問題は、己の愚に気づかない方々ばかりであることのような気がするけれど。
つまり、情報を見る目を持った「C」が足りないのだ。
※「C」とは、例のPDCAサイクルの「C」だよ〜ん。
2004/07/20 (火) ▲ ▼
【桃熊会のお知らせ】
午前5時15分起床。
浅草は、あさからどろどろと溶けている。
8月3日に開催の決定した、桃熊会の案内を、オープンセミナーのご案内に掲示した。
火の国で、細々とではあるけれども、綿々と続けてきたこの会も、今回で6回目を数える。桃熊会の方々のご尽力には、深く感謝申し上げる次第だ。
さて、今回の桃熊会だが、わたしの独演会としてみた。
しばらく、ゲスト・スピーカーの方々の講演を中心とした、時間調整的な講演が続いていたので、このあたりで、わたしのIT化論の最新の途中経過をお話しておきたく思うのだ。
曰く(オープンセミナーのご案内より)。
インターネット社会は、遅刻してやってきた近代(モダン)としての性格を益々大きくしてきている。
しかし、我われはまだ一度もモダンだったことはない。
では我われは、IT化というキーワードの中で、なにをしようとするのか。
それをひとことでいうならば、それは遅れてやってっきたモダンへのミーム的適応なのである。
しかし、その適応でさえ、表層的に取得し続けてきた西欧的な「科学的」(正解の思い込み)と、我われ日本人の心情に深く染み込んだ「声の文化」(浪花節的人生観)が邪魔をする。
・全ての組織的閉塞への「種の論理」からのアプローチ
・複雑系の経営視点としての「骰子一擲」
知的に広がるIT化漫談をお楽しみください。ISOの導入効果に疑問をお持ちのお方も、是非においでくださいませ。
というわけで、当然のように懇親会も準備されておりますので、多くの皆様との、一期一会を、全力をあげて全うさせていただきたく思う、桃熊会なのでありました。
さて以前、緒方さま@桃熊会からいただいていたメールなのである。
文化・記号のマーケティングを読んで
おもしろい箇所がありましたので、
桃知さんの感想を聞きたいと思います。
最後はミームに行き着く。
ミームは深いですね。
8月3日は楽しみにしています。
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実質主義化の議論は、ある意味で戦後日本企業が一環して続けてきた機能優先・精算優先の論理の相も変わらぬ再主張につながっているということができる。日本企業に対する国内外の批判が高まっているが、そうした批判のポイントは日本企業が「良いものを安くつくっていればそれでよい」という態度を変えようとしない点にある。「安くて良いもの」を消費者は望んでいるというのは一般論としてはそのとおりであるが、現在問題とされているのは、そうしたモノをつくるときの「つくり方」そのものであったり、その中に反映される企業の行動基準や価値基準であったり、いわば企業の「思想」が問われているのである。いい換えると「ダンゴがおいしければ文句あるまい」とばかりに、もっとおいしいダンゴ、もっとおいしいダンゴと、ダンゴのみに目を向けてきた日本企業が、「どのような花の下で食べるダンゴなのか」を問われているのである。「実質」重視の議論は、これまでの機能優先の論理を保証し、「さらにおいしいダンゴ」をつくり続けることの正当化に都合のいい議論になっている。1年先まで予約できるVTRなど技術や機能は無限に高度化していき、ほおっておくと、マーケティング的競争戦略の中で、生活や文化とかけ離れた「メタ機能」を次々と生み出していくことになる。こうした技術独走の論理が「実質主義」化の中で再び勢いを得ていることに注意が必要である。
「安くておいしい」以外の価値をどのように創造し、どのように具体的なカタチとして具現化するのかといったことこそが、議論されなければならないであろう。
「賢い消費者」論は、これまでマーケティングの世界においては「公式発言」に必ずつかわれてきたものでもある。「賢い消費者のニーズ」が錦の御旗のように使われ、「消費者が望んでいるもの」を発見し、提供することが社会の豊かさをつくっていくという楽観的な思考が企業側にもあった。こうした考えの背景には、経済学の「消費」観が存在していた。つまり、近代主義的・合理的・理性的個人としての消費者が、理性的に行う行為として「消費」がとらえられていていた。また、合理的な消費者が自己の欲求を満たす行為として「消費」が行われるという「欲求−充足」論も強く信じられていた。
しかし、「消費」がそのような表面的な説明では、説明しきれない問題があり、単なる経済学的行為というより、人間や文化の本質とかかわる「文化現象」であることの認識がまず必要である。そうした認識のもとで「安くて良いもの」をこえた「価値あるもの」を生み出し、社会や文化に働きかけていくことがはじめて可能になると思われる。
<「文化・記号のマーケティング」(1993.編著:星野克美)>−P65・66抜粋
これを公共事業的に表現すると、
近年の公共事業に対する批判は、ある意味で戦後公共事業が一環して続けてきた機能優先・精算優先の論理の相も変わらぬ再主張につながっているということができる。公共事業に対する国内の批判が高まっているが、そうした批判のポイントは公共事業関係者が「良いものを安くつくっていればそれでよい」という態度を変えようとしない点にある。「安くて良いもの」を国民は望んでいるというのは一般論としてはそのとおりであるが、現在問題とされているのは、そうしたモノをつくるときの「つくり方」そのものであったり、その中に反映される公共事業の採択基準や価値基準であったり、いわば発注者の「思想」が問われているのである。いい換えると「社会基盤整備が進めば質の高い生活ができるから文句あるまい」とばかりに、もっと質の高い生活が享受できる社会基盤整備、もっと質の高い生活が享受できる社会基盤整備と、社会基盤整備のみに目を向けてきた公共事業が、「どのような社会環境や自然環境等の下で行う公共事業なのか」を問われているのである。
「安くて質が高い」以外の価値をどのように創造し、どのように具体的なカタチとして具現化するのかといったことこそが、議論されなければならないであろう。
そうした認識のもとで「安くて良いもの」をこえた「価値あるもの」を生み出し、社会や文化に働きかけていくことがはじめて可能になると思われる。
『文化・記号のマーケティング』
星野克己(著)
岡本憲一(著)
青木貞茂(著)
福田敏彦(著)
1993年7月10日
国元書房
2854円(税込み)
そう、
これはミーム論であるし、
「能力対する信頼」に対する、「意図に対する信頼」という、信頼の対立問題でもあり、
わたしの最近のことばでは
「骰子一擲」(複雑系の視点)につながるものである。
消費のミームは、新古典主義者がいうような単純な「消費」観から形成されているものではないことは、このサイトの基本主張であり、『桃論』の基底に流れる重低音でもある。
しかし、『そうした認識のもとで「安くて良いもの」をこえた「価値あるもの」を生み出し、社会や文化に働きかけていくことがはじめて可能になると思われる』としてもだ、
その主体(「公共工事という産業」)が、
情報に埋もれることで、
個が種に隠隠れてしまうような集団、
つまり「種に溶けた個」の集団(種)である限り、
その働きかけは閉塞し続けるだろうし、
そのような種の普遍性は否定され続けるだろう。
それは、つまり、
「価値あるもの」の判断は<他者>に委ねられている、
からなのであり、
個の変化こそが種の普遍性の源、
だからだ、
という二極のハイブリッドこそが現実だからなのだが、
だから、閉塞の原因がなにか、といえば、
自らが骰子であることを認識できない、
または、骰子の振り方を知らない、
または、骰子は一旦振られてしまったら全てが偶然に支配されている
(振っているのではなく、振られた、なのだ)
というような、Naiveな価値観を基底にもった、自らの「思想」(ミームと呼んでかまわない)のためなのだだろう。
たとえ<他者>のことばで自らを語らざるをえないとしても、
すべての始まりと終わりは、
どのような環境下でも、
常に私の内にある。
環境が私に味方をするのもしないのも、
常に私自身の問題として存在する。
まあ、このあたりについては、今朝は、詳しく書く時間も気力もないわけで、たいした参考にはならないだろうが、5月5日の戯言でも読んでいただければ幸甚なのだった。
さて、今日のわたしといえば、これから、新幹線、高速バスと乗り継いで、洲本市%兵庫県(淡路島)へ向かい、兵庫建協淡路支部さまでIT委員会なのである。
終了後、洲本港からフェリーに乗って関西空港へ向かい、予定では、最終便にて、新千歳空港へ飛び、今晩は札幌泊、というような強行軍なのである。
タクシー→新幹線→高速バス→フェリー→飛行機→車、と交通機関の満艦全席のようなものなので、腰痛が出ないように、高温と、気温差にばてないように、注意しなくてはならない。(笑)
砂子さんから、コウジ黒酢をいただいたので、サプリメントマニアらしく、しっかりと摂取し、元気にでかけよう、と思うのだが、黒酢がなにに効くのか、をしらないでいる。
だが、わたしには、効かないサプリメントはないのである。
何でも効く。(笑)
そういうわけで、今朝も、こころは元気だぜ。なのである。
2004/07/19 (月) ▲ ▼
【ちりとてちん】
午前6時50分起床。
久しぶりの浅草の朝は、言わずもがなのどろどろの亜熱帯であり、エアコンを入れていても、空気に溶けそうな肉体なのだ。
朝から、金曜日に、植村真美さまからいただいた、ビデオテープ(北海道スペシャル「山陽・昇太 ふたりの笑劇場」赤平編−赤平雪女伝説−)を見ていた。
この番組、その昔NHKでやっていた「ふるさとの歌まつり」という番組を思い出させるところもある。
この歌まつりという番組には、いやな思い出があって、わたしの地元にあの番組がきたとき、もう既に数十年もやっていなかったお祭りを、無理やりでっち上げていた、というのを目の当たりにしていて、わたしはそれを見てから、子供心にも、TVの中の虚実(うそっぱち)の世界というようなものを感じはじめたわけだ。
いうなれば、今のわたの問題関心の始まりのような番組だったのだが、この山陽と昇太の番組には、そんなもの(いわゆる「やらせ」)はどうでもよいようだ。
そもそも、主題である雪女なんてどうでもよくて、まあ、雪女をネタにした赤平市内探訪、というところで番組が程よく収まっているのは、ご当地訪問番組としての、良い意味での抑制を感じさせるものだ。
この番組には、真美さまご本人と真美パパもしっかり出演していた。
真美パパとは、因縁あさからぬ・・・、なのだが(最近お会いしていないな)、テレビ映りは、なかなかよろしいし、真美さま登場の最初の言葉が、「雪女です」というシュールさは、親子そろって、なかなかなのであった。
その後は、演芸の時間。
だしものは昇太の「ちりとてちん」(山陽は残念ながらなかった)
これは、腐った豆腐を、いつも憎まれ愚痴をきくグルメ気取りの男(今回は虎さんになっていた)が、これは「ちりとてちん」という大変珍しい食べ物だといわれて、「ああ、知っております」よと、食べる、知ったかぶりは災難をまねくのよ、というはなしなのだが、通常は「長崎みやげ」のところを「台湾から送られてきた」にしていたり、昇太の小さな工夫が心地よい、ショートストーリーになっていた。
ということで、昨晩は、砂子さんから届いた「毛蟹」を食べた。
今朝は、長谷川さんから届いた、おさかな+昨日のカニの身の残りでつくったカニ玉を食べた。
これらは、当たり前だが「ちりとてちん」ではない。(笑)
とてもおいしかった。ごちそうさまです。
2004/07/18 (日) ▲ ▼
【マイレージ、若しくは、二兎を追うものは一兎をも得ず、にならないように】
午前6時30分起床。
北見は雨曇り。
滞在期間中の北見の気温は、避暑などと呼べるものではなく、蒸し暑かったのだ。
永田建設さんでの勉強会終了後、四条ホルモンという、魅力的な名前の焼肉屋で、一献したわけだが、店内には冷房はないらしく、炭火の熱と、煙で、まあ、ビールの消費量は増えるわけだ。
その後、何件かはしごして、最後はラーメンを食べ、踊りつかれたディスコの帰りではないが、夜道は、やけに爽やかではあった。
今朝は、曇り空で、天気予報を見る限り、今日、明日あたりから、北見の気候は幾分気温は涼しめになるようだが、20日の夜に入る岩見沢は、まだまだ夏の気候が続くようだから、昨年のような冷夏ではないことは確かなようだ。
やはり夏は暑いにこしたことはない。
さて、今日のわたしは、JAL1182便 女満別 10:20発 → 東京羽田 12:05着で帰路につく。
珍しくJAL便なのだが、まあ、これしかないのでしょうがないし、これはこれでよいのだ。
わたしの場合、ANAの搭乗回数は、既に四十数回を数えていて、来年度のプラチナメンバーを確保するまで、あとわずかなわけで、それは来月中ぐらいに達成したく、今月、来月の空路はANA便に極力集中しているという、なんともANAの思うがままの状況なのだ。
もっとも、50回乗ってしまえばよいわけで、それの最後が見えたら、今度はJAL便集中にしようと思っている。
JALも既に、十数回の登場回数はあるわけで、JMBのサファイアは、十分に射程距離だろうと・・・(ホントか?)。
まあ、二兎を追うものは一兎をも得ず、と世のことわざにあるように、二冠を狙うのはなかなか難しい。
そもそも、飛行機に乗れる乗れないは、そもそもわたしの決めるもではなく、お客様からのお呼びがあってのことだ。
しかし、今や国内に、全国的に展開している航空会社は、ANAとJALの二社しかいないわけで、このマイレージのシステムというやつは、規制緩和だろうが、新規参入だろうが、特にローカル便(とローカルに特化した航空会社)には、強烈な営業妨害として働いているわけだ。
これに立ち向かうには、ローカルに特化した航空会社は、低価格戦略がもっとも主流な方法なのだが(新古典経済学のいうところだ)、既に、そうしてできたAirDoはANAの傘下というか、ANAそのものである(ANAもマイレージが溜まる)。
規制緩和もよろしいだろうが、それにともなって実は減っていくローカル便も多いのである。(例えば、オホーツク紋別−札幌便はもうない)
ということで、帰る準備をしよう。
2004/07/17 (土) ▲ ▼
【ぼんち祭】
午前7時起床。
北見は晴れ。思いのほか暑いのである。
昨日は、北見着後、ホテルにチェックインをし、ホテルの近所の美容室で、髪の毛をカットした。
わたしは、くせっ毛なのだが、毛先を切りそろえて、シャンプー、ブローしてセットしてもらっただけであるのだが、少しはすっきりとするものである。まあ、気休めのようなものではあるが。
その後、網走建協さまのCALS/EC研究会の会議に出席。
網走建協さんのPCリテラシーは凄まじく高く、イントラネット運用4ヶ月で、そのアクセス率は限りなく100%に近い。
これは財産である。
この財産を如何に生かすか。
インスピレーションとイマジネーション。
北見は、お祭であった。
北見ぼんち祭というもので、なかなかの賑わいである。
会議後、そのお祭りの出し物で、ビア・パーティというか、露天でビールが飲める場所があったので、そこで皆さんとしっかり飲む。
空の下で飲むビールはうまし。オホーツクビールはうまし。
そして、ビールのうまい気温にしてくれた、ぼんち祭の神様に感謝したい。
(宮田さんがいて、雨が降らないことは、凄いことらしい・・・謎)
そこで久々にビンゴゲームをやったのだが、これが思いのほか楽しいじゃないの。
うちの暑気払いでも、やってみよう、と、即思ったわけで、明日帰ったら、上野に一式調達に行こう。
まあ、昨晩の結果といえば、我われは全滅ではあったのだけれども。
ということで、今日は永田建設さんで、午前中から1日中勉強会。
まにあ・3号さまも、おいでになる、とのことだ。
本日は色々とお世話になりますが、宜しくお願いいたします。
初心に立ち返り、師匠のお話を耳かっぽじって聞く所存です。
お会いできる事を楽しみにしております。
これから向かいます。
了解、なのである。
2004/07/16 (金) ▲ ▼
【ナベツネの思いのまま】
桃知@札幌にて午前5時20分に目覚める。
昨日のお昼は、最近の個人的はまりモノである、岩見沢市のSEIZE THE DAY!(しーずざでい)の、とうふのスープカレー(辛さ3番)を食べる。
辛さ3番は、私的過去最高値であり、辛いものがあまり得意ではない、わたしにとっては、まあ、「チャレンジ」なのであった。
もっとも、まにあ・1号さまは、以前10番を食して、噴水のように汗を噴出していたが、昨日は5番を平然と平らげていた。
わたしも、ちゃんと完食はしたのだが、食後は、当たり前のように、食べるサウナを実感したのであった。
ところで、この店名「SEIZE THE DAY!」の意味はわかる?
「この日をつかめ!」だよ。
その後、空知建協さまで広報・IT委員会。
この時代だからこそ、協会として活動する意義あるものがあり、それはますます重要性を持つ。
最近のわたしは、それを再確認させられているようなもので、だから、動いているぜ、そして、もっと動くぜ、えぶりばでぃ!なのだ。
空知建協は、それが自発的に、スパイラル的に、正のフィードバックとしてまわる回路とエネルギーを持つのだろう。
そして、この骰子一擲の、偶然を如何に破棄すべき。
そして、この骰子一擲の、偶然を楽しむぜ、えぶりばでぃ。
だから、ちっとも投げやりじゃない。
さて、晩飯は、百壷という北海道料理のお店。
「そい」という魚の煮付けがうまく、最後は、この煮汁をご飯にかけて食べる、という上品さ。(笑)
日本人に生まれてよかったな、と思う瞬間。
ところで、プロ野球の1リーグ制についてだけれども、なぜみんな大賛成しないのだろうか。
たぶん、巨人のオーナーの傍若無人ぶりへの反発なのだろうが、地方の切り捨てにOKサインを出し、地方を支える公共工事にノーという方々が、たかだか、ほんとうにわずかな、高給取りの集団である、プロ野球の球団が減るからといって、それに反対する。
「公共工事という産業」への反発は、それはたぶん巨人のオーナーの傍若無人ぶりと同じようなものを、「公共工事という産業」に感じている、という、同源的な心理的欲動からだろうが、たどり着く先は180度違う表現となるのは興味深い問題なのである。
プロ野球はOK。
「公共工事という産業」はNO。
プロ野球の選手会は、マスコミの話題にもなり、彼ら選手の都合が、ファンとうカオナシの代弁者としての役割を果たしている。
曰く、12球団の維持である。
1リーグ制への移行の中で、消え行く球団は、今や悲哀の対象となり、可哀相な被害者として消費のミームに認識されれる。
この浪花節的なストーリーの寛容さからみれば、「公共工事という産業」の受けている誤解と迫害(をつくりだしているもの)は、なかば犯罪的でさえある、とわたしは思うのだが。
まあ、この問題は今日は置いておいて。
報道を見ていると、そのような(選手会やプロ野球ファンという方々の)消費のミームを背景に、セリーグ5球団は、動き出すことを選択したように思える。
その選択自体にわたしの違和感はない。
ただ、その背景に違和感を感じているわけだ。
つまり、1リーグ制は、セリーグの既存球団の巨人戦を減らす結果になる。
それは、直接的には、セリーグ既存球団のテレビの放映料が減ることを意味し、阪神を中心にとした、セリーグ5球団の経営を圧迫するのだろう。
彼らが、2リーグ制の維持を言い出しているのは、自らと彼らの株主であるテレビ局の収益を考えての、ただのご都合主義ではないのだろうか。
たぶん、この結末は、セリーグ5球団の巨人への既存状態継続のお願いなのだろう。
彼らは、反巨人連盟ではなく、親巨人連盟でしかない。
二リーグ制を維持してくれと、巨人戦を継続させてくれと、お願いするしかないだろう。
そして、結果的には、セリーグにおける巨人の存在は益々絶対的なものとなる。
一方パリーグは言わずもがなであるわけで、結局、巨人あってのプロ野球、ナベツネさまの存在は、磐石なのだ。
だから、今起きていることに、ファンへの視点などあるわけもなく、球団の都合か、放映権を心配するテレビ局の都合が、消費のミームの不満の捌け口や、選手会の動きと、巧妙に重なっているのである。
つまり、ここに、巨人ファン以外のプロ野球ファン(わたしもその一人ではある)の、ジレンマがあるし、プロ野球からのファン離れの根源的な問題があるように感じている。
かくいうわたしも、たまに見るプロ野球といえば、巨人VS横浜だけなのだが、最近、はそれさえ興味の対象外になりつつある。
なぜなら、単純につまらない、からであり、それは、横浜が勝とうが負けようが、一喜一憂するほど、Naiveな消費者では、既にわたし自身がないからである。
たぶん、少なからずの方々は、単純に「つまらない」と感じているはずだ。
つまり、このまま2リーグ、12球団制を続けてみたところで、プロ野球がかつての繁栄を取り戻すことはないだろうし、テレビの視聴率が上がるわけでもないだろう。
だとすれば、今のわたしは、1リーグ制に賛成なのである。
巨人は、巨人以外の球団のファンにとっては、永遠の仮想敵国であっていいのだ。
1リーグ制への議論とは、その仮想敵を、全ての巨人以外の球団のファンに、直接的にシェアリングする機会なのだと思う。
だから、ナベツネさまは、この機会に、益々悪役度を増してほしい。
彼は、我われの及びもつかない世界の、永遠の代表であって、永遠の仮想敵であってほしい。
そして、彼がオーナーである巨人は、ますます金権球団化してほしい。
そこに、あるものはスマートに、あるものは浪花節的に、あるものは悲壮感を漂わせながら戦いを挑む、他球団。
それを真剣にやるプロとしての選手。
しかし、それは、所詮「嘘」の世界であることを百も承知で見る観衆。
「イリュージョン」である。
そうして巨人戦は、放送したいTV局は自由に放映すればよい。
同時に、複数のTV局が、それぞれ工夫を凝らして放映すればよいだろう。
そうすれば、巨人以外の選手の顔と名前も、少しは、消費のミームにいきわたる可能性もあるだろう。
しかし、1リーグ制になったからといって、わたしが、プロ野球の熱心なファンになるかといえば、それはわからない。
だって、(今の)プロ野球は限りなくつまんないもの。
・・・これと同じような感覚を、わたしは大相撲に対しても持っているが、相撲はそもそも1リーグなのでどうしようもないかもしれない。
確かに、「巨人、大鵬、たまごやき」は、死語でしかない。
ということで、昨晩は、早めの就寝で、今朝は目覚めすっきり。
今日はお昼の便で、女満別へ飛ぶ。
▼
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