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建設業に貢献するIT化
考える技術!

店主戯言(浅草的思考)060501 2006/5/1〜2006/5/10 "There goes talkin' MOMO"


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2006/05/10 (水)  
【もうすぐおしまいだ】

午前5時起床。浅草は小糠雨。

数式のニアリーイコールの書き方で悩む。

≒は、値の場合で、これは記号として実装されているので問題はない。
問題は式の場合で、それはなのだけれども、これは〜と_(HTMLのアンダーラインの組み合わせなわけで、テクストベースでは表現ができない。

つまり、Fx(a):Fy(b)=Fx(b):Fa-1(y)は、Fx(a):Fy(b)Fx(b):Fa-1(y) なんだけれども……、まあ、いいか。(笑)

http://www.momoti.com/blog/2006/05/post_517.html


(From http://www.paulsimon.com/index.php WARTIME PRAYERS

64歳、Paul Simonの創造性は涸れていなかった。
本気だね。
Surprise

Paul Simon

2006年5月9日
Warner Bros / Wea





2006/05/09 (火)  
【創造力と絶対信頼】
http://www.momoti.com/blog/2006/05/web20_7.html

2006/05/08 (月)  
【雑記】

午前7時起床。浅草はくもり。

今朝は、いまいち脳みその調子が悪いので、着火のための雑記。

当サイトに貼り付けてある一お連専用カウンターも、めでたく1111111を刻んだ。
きりばんゲッターは、大阪のねぇさん。ありがとう。(^O^)/

恒例の豪華粗品はこれから考えることとして、このサイトもそろそろ引越しの準備を本格的にしなくてはならないわけで、連休中にそれをやろうとしてなにもできなかったのは、想定外だった。

新しいサーバーの設定もやっていなければ、DNS切り替え日程も決めていない……。
引越しのスケジューリングぐらいは、今日中にやってしまおうと心に誓う朝なのであった。


13日(土)から始まる法政大学エクステンション・カレッジの申し込み状況は、予想通りなのだが、連休前の事務局からの中間報告によると、法大の学生さんも何人かおられる。それに社会人の皆様がパラッパラッと。(笑)

受講者が、ひとりでもふたりでも開催することは、前々から公言しているし今回もそれはかわらない。しかし、少ないよりは多いに越したことはないわけで(何よりも宴会が楽しい)、お申し込みは継続受付中なのである。

法政大学エクステンション・カレッジ 受講生募集中 ―人が生きる、組織が生きる「考える技術」講座―
 → https://www.hosei.org/kouza/S063001.php

毎年書いていることなので狼少年化してしまっているが、たぶん去年よりも数段面白い。そしてなによりも、はるかにフツーのことばで講義はできるようになったと思うのだ。


気になるニュース。
政府・与党に小・中教科書貸与論が浮上、文科省は反発
 → http://www.so-net.ne.jp/news/yomiuri2/headline/html/20060508i401.html

『4月27日に自民党本部で開かれた歳出改革に関するプロジェクトチーム(一般分野)の会合で、財務省は小中学校教科書について、「先進7か国で無償配布しているのは、日本とイタリアだけだ」などと指摘した。』

こういう比較に何の意味があるのだろうか。教科書を無償で配布している日本もイタリアもいい国じゃないか。国語教育はもっとなんとかしてほしいけれども……。

2006/05/07 (日) 
【Web2.0】

午前8時15分起床。浅草は曇り。

■アメ横
http://www.momoti.com/blog/2006/05/post_518.html
■Web2.0

http://www.momoti.com/blog/2006/05/sonetweb20blog_keyword_visuali.html

2006/05/06 (土)  
【画像は複雑性を縮減する……のか?】

午前6時45分起床。浅草は晴れ。
昨日は栃木市へイチゴ狩り&すみれを探しに行った。
http://www.momoti.com/blog/2006/05/post_522.html
帰りに浅草松屋でへぎそばを食べる。
http://www.momoti.com/blog/2006/05/post_523.html

おみや。たから寿司の栃尾のあぶらげ巻寿司。
http://www.momoti.com/blog/2006/05/post_524.html
それから「ちまき」と「笹団子」も調達。

夕方は曙湯で菖蒲湯。
http://www.momoti.com/blog/2006/05/4_3.html
脱力した日。
すみません。

2006/05/05 (金)  
【ブリコラージュ】

午前6時起床。浅草は晴れ。

■La pensee sauvage

国家の品格

藤原正彦(著)

2005年11月20日
新潮社

714円(税込)




5月1日の【左脳で虫の音を聞く】でふれた都合もあり、『国家の品格』を読んでみた。

私は〈合理性/非合理性〉のバイナリーコードを用い、合理性を突き詰めれば合理は破綻するといい、非合理性へ合理を上書きするといい、そのため(ハイブリッド)に直感・直観の実装が必要だ、といっている。

藤原は、『すべての先進国で社会の荒廃が進行している。その原因は、近代のあらゆるイデオロギーの根幹を成す「近代的合理神話」が限界にぶつかったことにある。』といい、「情緒」の必要性をいうわけで、なにか驚くほどに違和感は少ない。

つまり日本人の直感・直観の実装とは、「情緒」の必要性とほぼ同意と考えてもらってもよい。

その違和感の少なさは、たとえば、Amazonの目次を見て、「これって岡潔が書いても不思議じゃないよな」と書いたとおりに、岡潔にふれた部分が確認できるという具合だ。そしてその部分は、とても示唆的であった。

『新聞記者からある時、「先生がおっしゃる情緒というのは何ですか」と訊かれ、岡先生は「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えられました。』(『国家の品格』,p141)

これに対して藤原は、『私たち数学者にとっては、非常に分かり易い話です。野に咲く一輪のスミレ、その可憐さに愛情を感じ、その美に感動する。これれが数学の研究をする上で重要ということです。』という。(『国家の品格』,p141)

私は当然に、情緒の必要性には同意できる(つもりでいる)。
じゃなかったらこんな絵は描かない。

 
「情緒」とは、日本人による「対象性の知性」であり、「野生の思考」である。

「野生の思考」は、きめこまやかな網目のような目を必要とする。

これがバイロジックの、合理性・論理(非対称性の知性)の対極にある対象性の知性である。仏教の言葉で言えば「微細知性」だ。

それを実生活でどう実装しようか、というのが「考える技術」と私がよんでいるものに他ならない。

野生の思考

クロード・レヴィ=ストロース(著)
大橋保夫(訳)

1976年3月30日
みすず書房

5040円(税込)





■BATTLE FUNKASTIC

BATTLE FUNKASTIC

HOTEI vs RIP SLYME

2006年1月25日
東芝EMI

600円(税込)




13日から始まる、法政大学エクステンション・カレッジの教材として『BATTLE FUNKASTIC』を選んでみた。この曲は、布袋寅泰の「新・仁義なき戦い」とRIP SLYMEの「FUNKASTIC」のマッシュ・アップだ。(この二つの元歌もそろえておかないとないといけないだろうな。)

公(おおぴらに)に使えるマッシュ・アップはほとんどないので(私のPCにはたくさん詰まってはいるけれども……)非合法でなく分かり易いものとしてこれを選んでみた。

マッシュ・アップは典型的なデータベース化の賜物であって、そこでは新しい音楽も古い音楽もスーパーフラット(等価)である。そしてデータがデジタルであるが故に可能となったブリコラージュだ。

ブリコラージュは「器用仕事」と日本語訳されているけれど、これもレヴィ=ストロースから学んだことだ。

詳しく書いている時間もないので、松岡正剛の千夜千冊『悲しき熱帯』レヴィ=ストロースをご参照いただきたたいのだが、松岡のことばは今という時代の創造性を的確にいいあらわしていると思う。

『これはぼくの言葉でいえば「編集」だ。編集というのも、だいたいこんなことをしている。/つねに「全体」と「部分」の関係を有機的に動かしていて、どこかで決着をつけていく。その決着のときに、あとから入ってきた部分がするする育って「超部分」となり、それが「全体」の様相をがらりと変えてしまうこともある。』

そしてこれ(ブリコラージュ)は、たとえば工程管理であり、施工の実際であり、現場を預かる方々が実装してきたことなのだ。それを合理で塗りつぶしてはならないと私は考えている。

それは、論理や合理性を知っていて、いつでも使えるけれども、「あえて」それだけには依存しない、という態度だ。

2006/05/04 (木)  
【それはイカフライ。】

午前5時55分起床。浅草は曇り。

さて今日は栃木県南部に出かける予定だったのだけれども、家人体調悪し、で延日。
昨日はお昼過ぎから寒かったのだ。

昨日は、気の置けない方々との、恒例のバーベキューであった。
場所は、その昔、まにあ・1号氏が昼寝をしていた浜町公園である。

内容は昨年同様。
http://www.momoti.com/myself/self050402.htm#050430

ただ今年は旦那さんが一名増えた。
その方は広島のご出身で、見事な手さばきで広島風のお好み焼きをつくってくれた。
 

下町に住むようになっても、お好み焼きはこれしか食べないのだそうだが、これがシンプルでじつにうまい!
全体的に甘いのだが、黒霧島の二十馬力もすすんだ。おたふくソースで味付けされた焼きソバもうまかった。

私は隠し味を教わった。それはイカフライ。(笑)
すごい発想だなと感心しながら、入手先を確認していた。


自宅に戻ると、会田誠の第二作品集が届いていた。

三十路―会田誠第二作品集

会田誠(著)

2002年11月30日
ABC出版

1680円(税込)






私は、某所で「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズをみて、この妖しい作家を知った。


これの最初の印象はヘンリー・ダーガーぽいな、であった。
ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で
だが、会田は東京芸術大学大学院修了という経歴だし、アール・ブリュッドからみれば究極の対極である。

しかし、この両極が生み出すものには、内包する共通点が感じられるわけで、つまりこの両者のイカフライはなにかと。(笑)

この作品集には、案の定、会田自身による解説にヘンリー・ダーガーの名前があった。

『僕の中にもヘンリー・ダーガーや沼正三のような"空想の王国に逃避したい願望”が、彼らほどではないが少し存在するらしい。』

してやったりなのだが、なんだか余計にわからなくなってしまった。

"空想の王国に逃避したい願望”は、どこかイカくさい。しかしそれが創造への足がかりになっているのはたしかだろう。

しかし、そこから「おたく的才能」を語るのも安易過ぎるのかもしれないと思うわけで、このあたりは、まだ私の中にもやもや感がある。ショート・サーキットができていない。

■参考

『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』
ジョン・M. マグレガー (著)
John M. MacGregor (原著)
小出 由紀子 (翻訳)
2000年5月25日 6825円(税込)

2006/05/03 (水)  
【快調】

午前6時30分起床。浅草は晴れ。

昨日は眠ってばかりいた。
大阪から戻り、遅い昼食は、菜苑でタンメンを食べた。それからヤフオクで落札した書籍の代金支払い等の雑用をしていたのだが、内臓的な疲れが「島皮質」に伝わっているのだろう、どうにも判断が鈍い。

夕方、雨は降っていたけれども、曙湯へ出かけた。銭湯の蛇口から湧き出る水を見ていると、『水の女』を思い出してしまう。そして頭の中では「浪曲銭湯道頓堀」がリフレインしている。

 あ〜 清めよ 流し合おう

 銭湯すたれば仁義がすたる 仁義がすたれば銭湯すたる
 銭湯すたれば人情すたる 人情すたれば銭湯すたる

しかし頭の中で、どうも雑音が入る。
どうにも耳鳴りがひどい。

湯上りに牛乳を飲んで、児玉さんへ出向き、晩飯。
どうにも食欲がわかない。

玉子とジャガイモのおでんを食べて、生ビールをグラスで二杯飲んで限界。
 
こんなときには寝るに限る。
自宅に戻り、即寝てしまい、そのまま朝を迎えた。

しかし人間は便利にできている。
今朝は、睡眠十分で快調なのだ。
耳鳴りもしない、こうして日記を書いていても、こころなしか脳みその切れも良く感じる。

アタマで考える内容は感情からの影響を受けるし、その逆もあるのだろう。
そして感情は身体に起きる変化に影響を受けるし、その逆もあるのだろう。
つまり思考は体調に影響を受けるし、その逆もあるのだろう。


■参考

水の女

監督: 杉森秀則
出演: UA/浅野忠信

2003年5月23日
東北新社

4935円(税込)






2006/05/02 (火)  
【また遊びましょう】

午前7時40分起床。大阪は曇り。
起床というより、なんとか起きた。つまりまだ眠い。

昨晩は美々卯本店でうどんすきを食べた。
 

美々卯のうどんすきは二年ぶりぐらいだろうか。

凍結酒を飲んだせいか、途中の記憶はごちゃごちゃしていて、今、私の手許には「おはぎ」があったり、なぜか「借金妻」という言葉が脳みその片隅にあったりするが、……途中経過は端折って、最後は、こんなワンタンメンだった。

 

この塩味は独特で、どこかサッポロ一番塩ラーメンのスープっぽかった。
手帳には「小洞天」と店の名前がメモされている。
なぜかこの店の営業時間を覚えていて、午後6時から午前2時30分。
時計は短針がない方がよい、というはなしをしていたのも覚えていて、そのとき、この店の無粋なデジタル時計は、午前1時40分過ぎを表示していたはずだ。

カラオケで発散したせいか、二日酔いは軽症。
でも眠い。
かじやん、川原さん、ねえさん、ありがとう。
また遊びましょう。

2006/05/01 (月)  
【左脳で虫の音を聞く】

午前6時30分起床。浅草は晴れ。
今日はかなり暑くなるらしいが、取り急ぎ大阪に向かう。

先月の北海道遠征中、まにあ・1号さんが、日本人は、左脳で虫の音を聞く、ということが、『国家の品格』(藤原正彦著)に書かれていましたよ、と教えてくれた。

私は、『国家の品格』を読んではいないので、憶測で書くしかないのだけれども、Amazonの目次を見ると、これって岡潔が書いても不思議じゃないよな、と思う。

共通点はどちらも数学者である、ということだが、私のような凡人よりもはるかに理数系の脳みその持ち主であろうと思われる彼らが、「情緒」というものにこだわったり、日本という国のあり方を危惧してみせるのは、「直観」の世界に生きている数学者ゆえなのかなと思う。

第1章 近代的合理精神の限界
第2章 「論理」だけでは世界が破綻する
第3章 自由、平等、民主主義を疑う
第4章 「情緒」と「形」の国、日本
第5章 「武士道精神」の復活を
第6章 なぜ「情緒と形」が大事なのか
第7章 国家の品格


左脳で虫の音を聞くというのは、たぶん第4章、第6章あたりの「情緒と形」に関連したものだと思うが、これはジャック・ラカンが、日本人には精神分析はいらない、といったこことと同じことだと思える。

つまり日本語は漢字かなまじり文という〈漢ごころ/大和ごころ〉の二層構造であり、「音読み(漢字)が訓読み(かな)に注釈を与える」というハイブリドなわけだが、漢字は形であることで、左脳と右脳の両方を働かせる(言語はフツーは左脳で処理される)。

言語脳である左脳で形が動く、左脳が右脳と直結している、若しくは左脳が右脳化している(この辺りは全て憶測)。右脳は無意識に結合し、フロイト曰く、無意識とは象形文字なのである。つまり日本語(話し言葉において)は、無意識が露出する。

漢(から)ごころとは、漢字であり、外来語であり、合理である。
大和(やまと)ごころとは、本来の日本語とみなされている言葉であり、ひらがなで表現されてきた不合理であると。

このあたりの思考は、藤原先生や岡潔さえも、本居宣長ぽくしてしまうのだろうが、私はそれは興味深いことだと思う。

『国家の品格』が売れているのは、合理(つまり漢ごころ)が全てに優先するような時代の空気に疲れた方々のカタルシス(大和ごころの検索)が大きいのだろうとは思う。

私は、『国家の品格』について考える余裕は今はない。

けれども、〈漢ごころ/大和ごころ〉、「音読み(漢字)が訓読み(かな)に注釈を与える」という日本語のへんてこりんなシステムについてはもとっ知りたいと思う。

それは、私たち日本人(日本語で考える人を日本人という)の想像・創造のシステムと、日本語のシステムは、切っても切り離せない関係にある、という私の仮説、直観である。
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