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店主戯言050402 2005/4/16 〜2005/4/30 "There goes talkin' MOMO"


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2005/04/30 (土)  
【バーベキューで楽しんだ】

午前4時起床
 浅草は 暗い(笑)

連休初日 昨日は とてもよい天気だった
 私たちは 浜町公園に出かけ
 気の置けない方々とi一緒に バーベキューをしながら
 初夏のような 日差しを 楽しんだ

飲み物は 各自持参
 わたしは 宮崎からいただいていた 霧島の 20馬力を持ち込む

これを たくさんの氷と ボルヴィックで 薄めにつくり
 のんびりとした 時間を楽しむ

濁れる 大川に 浮かぶ ヒミコ

男性は わたしを含めて 二人だけ
 もう一人の旦那さんも 霧島はお気に入りのようで
 二人で ゆっくりと 一本を空けた

飲むと言う行為は
 流動化する 時間を楽しむようなものであり
 そこには 時計の秒針のような 正確な時を刻むものはなく
 ただ わたしと一体化していく
 風景 日差し 風 時間 友の声

肴は バーベキュー ということもあり なんでもある
 ただ 今回知った 魔法のようなスパイス
 「ゆずこしょう」の粉末


ここでは
 誰が 何をするか という 明確な役割分担もなく
 各自が 自発的に 火を起こし
 調理をし 子守をし 後片付けをして
 そして 食べて飲む
 
すばらしい コミュニティ・ソリューションの時間を 楽しんだ

2005/04/29 (金)  
【4・28東京独演会の反省】

午前8時起床
 浅草は 晴れ

さて いつものように 昨日の東京独演会の反省から

昨日は 自宅を 2時25分に出て タクシーで会場へ向かった
 通常なら 十分に余裕のある 時間なのだが
 昨日は月末 道路が混雑していて 10分遅刻していまった

失格である
 とても恥ずかしいことだ
 ただ 頭を下げて お詫びした

セミナーのお申し込みは 10名さまおられなかったのだが
 会場には 13名さまほど おられ
 初めて参加されたのは 3名さまだった
 
東京独演会 は わたしの勉強会でもあり
 通常の講演としては 成立しないような 話を
 意図的に 試している場でもある
 
昨日は それが より強かったと思う
 それは 参加されている方々の 力量に
 甘えていることで 可能なことだろう
 
昨日の わたしの主題は 「場のマネジメント」の再構築であり
 それは 個々の企業の行うIT化であり
 「場のマネジメント」と「IT化」のハイブリッドとしての
 「IT化マネジメント」の展開への 切り口を探す というものだった

「IT化マネジメント」は 既にわたしの中では
 ほぼ出来上がっている
 これをどう 皆さんに 理解してもらうか を模索している

昨日は 先日の熊本とは まったく逆の方法を 使ってそれを 試みている
 
 非常にわかりやすくはなすことで 50%の理解を得る
 やや面倒な理論を展開することで 50%は理解ができない

昨日は 後者に近い
それが 講演としては 失敗している ことは いうまでもないのだが
 ただその失敗は わたしの中で フィードバック されることで
 次の 骰子一擲につながる(と思っている)

そして それを踏まえて 今朝 PPTを まとめ直し
 そこまでを含めて 反省の行為 としようとしている

地場型中小建設業における
 経営 への 「情熱」 という言葉が
 少しでも 機能している限りは
 この行為を 続けていきたいと 思う
 
昨日の講演内容をまとめたPPTはダウンロードのページにおきました

2005/04/28 (木)  
【藤の花も咲く モツもうまい】

午前7時起床
 浅草は晴れ

浅草の銭湯 曙湯の 藤の花が咲き始めた


昨晩は 喜美松さんにて ちょっと飲んだ
 喜美松の天才  レバーのたたき


喜美松のレバーは 豚のレバーであるが
 総じて レバー系は 抜群にうまい
 串焼きも 刺身も 文句なくうまい
 腸を食らう 野蛮人にとって
 こういう店が近所にあることは 手放しでうれしい
 
昨晩は 店の娘さんから
 「桃知さんのご紹介で おいでになった方がおられました
 大○建設の方だそうです」 とのこと

まあ 誰に 紹介したという 記憶もなく
 たぶん このサイトを見ていただいたのだろう
 ありがたいことだな と思いながら
 誰かなぁ と思いをめぐらす それも楽しい
 
さて 今日は東京独演会
 開催時期が悪いのか 集客には失敗しているけれども
 だからと言って わたしの テンションが下がるわけもなく
 今日も 一生懸命 演じさせていただきます

2005/04/27 (水)  
【ふと思うことありて蟻ひき返す】

午前6時起床
 浅草は 晴れ

東京では 昨日 蟲だしの雷 があったそうだが
 仕事で 三重県津市にいた わたしは
 突然の雨と 突風で 小さな携帯用の傘は 飛ばされ
 濡れてしまっていた


ふと思うことありて蟻ひき返す    橋 間石
                      (間の字は正しくは門の中に月)

この句を どこで知ったのかは よく覚えてはいない
 ただ これが 人間の思考の方法 なのだろうな と感じることがあって
 覚えていたものだ

忙しく動いている蟻が 突然ときびすを返す姿を見る
 まさしく「ふと思うことありて」のしぐさを そこに感じるのだが
 ほんとうに 蟻が「思う」のかどうかは じつは わからない

しかし 人間は その蟻のしぐさに 「ふと思うことありて」と思う
 それは 自らの思いを <他者>のしぐさに 重ねあわせている

<他者>のしぐさから <他者>が思うことを 思う 
 これが 人間の 思考方法であり
 私たちが行う コミュニケーションを 成り立たせているものだ

面倒な言葉を使えば
 <他者>のパースティクティブに <私>のパースティクティブを上書きしている


経営や マネジメント というとき すべての社員が
 相手のしぐさから 「思う」 ができることは 経営の「場」の形成にとって
 基本中の基本 である

この<他者>が思う が <私>の思うと 円環的に重なり合うことを
 信念や 目的の共有の過程と よんでいいのだろうが

これを可能にしているのは 人間の場合
 相手の目を「見る」ことで
 相手が自分を「見ている」ことを理解しているということだ

この お互いに 見る=見られる の関係が 動的な意味での
 コミュニケーションと  組織(種)を形成する 基本である

つまり フェイス ツー フェイス(F2F)は いつでも 組織の基本である
 (その弊害があることは承知しているが 今回はふれない)

ただ 建設業や 事業者団体のように
 いつもF2Fができないような 組織では
 <他者>の思う が <私>の思うと 円環的に重なり合うことが 難しくなる

つまり <他者>の目が見えない=<他者>も<私>の目が見えない
 動的な コミュニケーションも 組織も 形成できない

IT化は この問題に対する ひとつの解決手段である
 つまり IT化=イントラネットの持つ
 距離的な障害を越えた 双方向性は
 あなたのことを いつも見ていますよを 可能とする
 (監視と言う意味ではない)

ただし 既に お気づきのように
 バーチャルとは言え そこに<私>が 存在していることが
 <他者>に理解されなければ
 <私>の「思う」は 永遠に <他者>の思う とは重なりあわない

まずは 「情報を出す」 からはじめる理由は ここにある

2005/04/26 (火)  
【ミームエージェントとしての私】

午前6時起床
 浅草は 曇
 今日は 津へでかける

尼崎で起きた 列車脱線事故は なんとも やるせない思いがする
 少なからず 列車を利用する身には 他人事ではなく
 なにか 昨日から 気分は重いままであり
 報道される度に なくなられた方は増えるばかりで
 なんとも くやしい

事故原因は 今後の調査であきらかになるだろうが
 飛行機といい JRといい
 安全という もっとも基本的な部分で
 緩み始めたねじは どこにでも  ころがっているようで
 なにか 怖い


さて 4月22日 熊本でのセミナーのまとめを
 第一建設の橋邉さんが 自社のサイトに掲示してくれたので そのご紹介から

http://www.daiichi-kensetsu.jp/fotodehoy/foto0504_02.html#050425_momokuma

非常によく まとまっていると思うし
 喋っている わたしが わすれているような ことも ちゃんと書かれていて
 すばらしい 反省の行為だと思う
 橋邉さん ありがとうございます

4月28日のセミナーに向けて 今日は少し書こう

繰り返しの 主張になるのだが 最初の認識は
 「場のマネジメント」がいう
 経営の手段 設計変数と呼ばれるマネジメント手法と
 組織の「業績」には 深い溝がある ということだ


つまり 組織の業績は マネジメント手法 だけでは達成できない
 もし 達成できたとすれば
 そこには 「場」が プラスのベクトルを持って働いている
 ということを 逆説的に意味しているに過ぎない

その「場」については 「IT化論」では
 「種の論理」を用いて 説明してきた

つまり
 「個は種のミームの中で育ち
  また種は個の変化によるミームの変化を内包している」

最新の「ミーム論」では この「種の論理」における「個」のことを
 「社会的な知的エージェント」(ロザリン・コンテ)と 呼んでいる

これは「限定された自律的エージェント」であり
 「限定された」とは 
 「信念」と「目標」という
 ふたつの 内部フィルターを持つ 個人 ということであり
 それは なによりも 外部(「種」)からの影響を 受けやすい
 
つまり ミームの伝播には
 ダーウィン的な 進化アルゴリズムは働くが
 その変数として (人間の組織の場合)
 個人の持つ 「信念」 と「目標」という ふたつの 内部フィルターが
 機能する ということだ (模倣だけではない)

ダーウィン文化論―科学としてのミーム

ロバート・アンジェ (編集)
ダニエル・デネット他(著)
佐倉 統, 巌谷 薫, 鈴木崇史, 坪井 りん(翻訳)

2004年9月7日
産業図書

3780円(税込)


それは 難しく考えることはなく 経営においては
 組織の アジェンダ(信念と目標)を 最低限共有し
 社会的知性(山岸俊男)
 係数a (養老猛)
 マリアビリティ や流動的知性 を備えた
 自律的な 個人で形成された 組織であれば よい だけのことである

IT化は そのような 自律的な個人と 組織をつくろうとする 運動である

それらは 今という時代の 個人観 組織観に 大きく依存しているものなので
 できることなら 例えば
 浅田彰が 「構造と力」で行っている 時代認識のようなものを 知りながら
 ポストモダンでさえない 非モダンとしての 「種の論理」を理解できれば
 それに越したことはないのだが それも必要ないかもしれない


むしろ 「社会的な知的エージェント」 と呼ばれるような
 自律的な「個」の 集合体 としての 組織や 「場」の形成 の
 実践的な 運動として 「IT化」はあり

つまり 組織の業績の 基底としての「場」の生成のために
 「IT化」はある という理解だけで 十分であろう

急がば回れ なのであり
 この 「場」の生成を経ない経営(つまり正解の思い込み)は
 「アキレスと亀」のパラドックス(ゼノン)に 自ら  はまり込むようなものである
 
即効のIT化とは
 このパラドックスに 「場」をもって 時間の流れる空間をつくりだすことだ

2005年4月28日(木) 東京独演会 「桃知利男の実験的勉強会」
 この部分を より実践的に お話しようと考えている 

2005/04/25 (月)  
【悪党・クレヨンしんちゃんをみてきた】

午前7時起床
 浅草は 曇

昨日は 休日ということもあり
 浅草東宝で  「クレヨンしんちゃん」をみて
 大勝館の食堂で  浅草で食える 黒亭のラーメンを食べ
 浅草ボールで  ボーリングを2ゲームやり
 ボウリング場のビルの1F で  ムシキングをして
 その斜め向かいで  スマートボールまでしてきた
 (当然に こどもの お供である)

浅草は まあ その気になれば それなにり遊べる

今回の クレヨンしんちゃん (http://www.shinchan-movie.com/)は
 テーマは「正義」なのかなんだかは よくわからないが
 かなりオタクが入っているし 構造的には深いものがあり
 テーマを「欲望」と読み替えてもよいのかもしれない

ただ そんな深遠さを
 クレヨンしんちゃんで表現しよう なんていうスケベ心が災いし
 (意識的でも無意識にでも)
 エンターテイメントとしては つまらない と感じた
 (わたしは かなり ものたりなかった 1800円)

帰ってきてから「幼児化するヒト」を一気に読んでしまう

幼児化するヒト - 「永遠のコドモ」進化論

クライブ・ブロムホール(著)
塩原道緒(訳)

2005年4月30日
河出書房新社

1890円(税込)




46歳のわたしが
 いまさらクレヨンしんちゃん や ムシキングもないだろう とは思う

でも わたしの心の中には
 クレヨンしんちゃん や ムシキングも 
 中沢新一の本や ネットワーク論どうように
 面白い と感じる 幼児性の部分は たしかに存在していて
 (例えば ガメラやキカイダーのフィギャの収集なんていうのも)
 そこでは 成熟しない 自分 というものを  ずっと自覚してはいた

ただ それを 特段 悲観することはなく
 ただ 当たり前のものだ と 思っていたし 今もそう思っている

つまりそれは ネオテニー(幼態成熟)の理解であり
 人間が 無意識を持てた
 それゆえに 遊戯として 創造性を持ちえたことは
 そして 個の多様性を 持ちえたことは
 幼児化 と 密接な 関係がある と考えていてる
 
ブロムホールの「幼児化するヒト」
 ネオテニー(幼態成熟)進化論への 一考察のようなもので
 人間 は先祖である 類人猿のコドモのときの特徴を
 オトナになっても保持している
 つまり 野生的には 成熟しない サルのようなものだ という
 そして その幼児化は 今も続いている と

人間には 本能は ない 
 ただ 壊れた本能をもっているだけだ とわたしは 考えていて
 それは 人間は 自然から ズレている ということだが
 これが
 パンツをはいたサルである ヒト の進化の秘密だと考えているし
 わたしが オタク的知性を 褒め称える ひうとつの理由でもある

進化は ネオテニー進化の方が スピード的に
 つまり 環境変化適応では 有利に働くことがある
 (付け加えるなら 「劇的」 にである)
 それは 幼児的行動を伴うものだからだが…
 そして 創造性の多くは 幼児的な 戯れと
 無意識的な 対称的知性 流動性知性 にあるからだ

 (幼児化の問題点も 当然に あるが…)

わたしが  「ネオテニー(幼態成熟)」という言葉を 知ったのは
 浅田彰の「構造と力」を読んでのことなので かなり以前のことだ

構造と力―記号論を超えて

浅田 彰(著)

1983年9月10日
勁草書房

2310円(税込)




『自然からのこのよなズレは、一体どうして生じたのだろうか。最近援用されることの多いボルクのネオテニー(幼態成熟)説やボルトマンの早産説が重要なポイントのひとつを突いていることは疑いない。』(「構造と力」,p35)

そして 中沢新一は 「対称性人類学」でこう書いている

『無意識が豊かに発達するためには、長い未熟期間が必要です。現実生活への敏捷な対応を求められる環境では、外界の現実からある程度自由になった知性活動の領域が、無意識系として形成される余裕を残しません。』

『無意識に支えられていない言語というものを想像してみましょう。(中略) しかし、そこにはないものがひとつだけあります。それは詩的な言語です。無意識に支えられていない言語には、詩的なるものは生まれようがないからです。』(「対称性人類学」,p69)

対称性人類学 カイエ・ソバージュ

中沢新一(著)

2004年2月10日
講談社

1785円(税込)




無意識的なもの 戯れ 遊戯 遊びは
 創造性 の根源なのかもしれない

2005/04/24 (日)  
【悪党・熊本での講演の反省をする】

午前6時起床
 浅草は晴れ

22日のセミナー内容をまとめたPPTを
 ダウンロードのページ に掲示した

「まとめた」というのは 今回のセミナーでは このPPTを使ってはいなくて
 ホワイトボードを併用して講演を行ったからだ

特に PPTの最初の部分の「内と外」や
 現場状況報告
 →「私」を「見せる」
 →見せる=見られる=書く=見る
 のようなはなしの展開は ほとんど
 その場でのインスピレーションで行っている

今回は シンプルな主張をした
 
    (画像をクリックすれば大きな画像が開きます)

それは「場のマネジメント」において
 経営の手段 設計変数と呼ばれるマネジメント手法と
 「業績」には 深い溝がある という認識からはじまる

その溝として ある 「目に見えないもの」を 見ようとし
 マネジメントしようとするのが
 企業の行う 「IT化」だ ということだ

つまり イントラネットを使った IT化 とは 伊丹啓之氏のいう
 「場のマネジメント」にほかならない

それは 経営の手段や設計変数を否定するものではなく
 ただ それだけで 業績が生まれるという 一元論的な思考を否定し
 経営の手段や設計変数を生かすは
 「場のマネジメント」を 経営に加えることが必要だ ということだ

     (つまりハイブリッド)

そのための三つの実行(基本)

 ・スケジュールを書く
  →自分は忙しい(若しくは暇) という自己表現

 ・現場状況報告
  →「私」を「見せる」
  →見せる=見られる=書く=見る

 ・入金状況報告
  →すべての部署に現場はある 

これは 自分を 「見せる」という行為であるが それは
  コミュニケーションの基本であり
 情報的相互作用 つまり 目に見えないものを
 唯一可視的にするものとして存在し (ミーム)
 「見せる」ために「見る」ということを 意味する

そして 基本ということは
 これがなくては 応用もなにもない ということだ
 多くのIT化の失敗
 経営の手段や設計変数の導入の失敗は
 基本のなさに つきる

次回は IT化におけるリーダーシップの役割
 平らな言葉で言えば マネージャーの仕事ついて
 解説してみたいと思う

2005/04/23 (土)  
【悪党・熊本から戻る】

午前8時起床
 熊本は晴れだった

大村さんに 熊本空港へ送っていただき
 11時発のANA便で帰路についた

九州からの帰りのフライトは 追い風になるのか
 正味1時間ほどのフライトで羽田空港へ着き
 タクシーで上野まで移動した(たったの15分)

家族と待ち合わせをし
 久しぶりにスピガでパスタで昼食とし
 アメ横で アロハシャツをながめ
 (黄色の五重塔柄に心がときめいた)
 韓国海苔と 筋子と たらこを たくさん調達して帰ってきた

熊本の花 と上野の花

(熊本市 龍峰 の餃子)

(御徒町 スピガの トマトサラダ)

2005/04/22 (金)  
【悪党・あし湯につかる】

午前8時起床
 熊本は 晴
 21度の温度設定で 自動運転になっているエアコンは
 冷房で運転をしている
 ひんやりとした風が わたしに ふりかかる

昨日は 桃熊会の皆様と
 山鹿を訪れ 7月9日の打合せ
 山鹿の皆様からは 大変な歓待を受けた
 
そして 帰る間際に あし湯につかってみた


熊本に戻り
 また飲んで 午前1時ごろホテルに戻り
 なにもせず ただ 眠り込んでしまった

今日は午前中に ご挨拶にお伺いすることろがあり
 午後は 桃熊会の皆様と
 昨日の山鹿での協議事項を受けての打合せ

ただ 会議だといっても
 だれが参加されるのかはわからない
 ただ その時 参加されている方々と
 みんなが楽しくなれることを 探そうとする努力をする

2005/04/21 (木)  ▲
【悪党・今日は熊本へ】

午前5時50分起床
 浅草は 曇

今日はお昼の便で熊本へ飛ぶ

幸福の小さな哲学幸福の小さな哲学

ベルトラン・ヴェルジェリ(著)
原章二+岡本健(訳)

2004年6月18日
平凡社

1890円(税込)



『繰り返そう。すべては習うのである。人生の意味は、無意識のいのちが目覚めることにある。それはこころとからだにおいて、すべてを繰り返すことによってなされる。見ること、聞くこと、触れること、呼吸すること、感じること、歩くこと、すべてはそのようにして習う。話すこと、読むこと、表現すること、物語ること、考えること、それもまたそのようにして習う。』(幸福の小さな哲学,p018)

上はたいした意味はない
 ミーム的だな と考えただけだ
 ただ このような わかりやすい言葉にも 不安はつきまとうわけで
 それは 端的にいえば 壁の崩壊であり
 この言葉が力をもつには
 ある程度 クラスター的なものが必要なのだろうな ということだ
 ただ それはこわれつつあるが
 壊れたとき 習うべきものはあるのだろうか

わたし達の感覚では
 なにか外部よりも内部の方が大きく感じられる
 例えば 今日は飛行機に乗るのだが
 飛んでいるときの機内と機外の関係は 不思議なものだ
 窓ガラスから見える空は 現実の景色なのだろうが
 その現実性は 壁(窓)に仕切られることで 消えている

それはまるで 窓というスクリーンに映された映像のように
 その外気の冷たさや
 風の強さも 感じることはない
 そう 窓から見える景色は まるで虚構なのだ

 これは自動車も同じだろう

わたし達は ある空間に閉じこもるやいなや
 外にいたとき以上に 「中にいる」という感覚を味わう
 そこには外部との連続性とか均衡はない
 
なぜなら 不均衡(「外部」に対する「内部」の余剰)は
 内部を外部から隔てる壁そのものが
 必然的にもつ構造的効果だからである(ジジェク)

閉じたクラスターが 幸福であるように見えるのは
 なによりも 壁の存在ゆえであろう
 子宮的な安心感がある
 しかし 壁が壊されようとしているのが 今なのであるなら
 わたしたちは何を「習う」のだろうか

2005/04/20 (水)  
【悪党・場のマネジメントを 再構築していた】

午前6時10分起床
浅草は 曇

天気予報では  午後からは雨 とのことだ

さて2005年4月22日(金) 熊本 と 2005年4月28日(木) 東京 用の準備をしていた

この二つの講演は じつは とてもよく似ていて どちらもわたしの「IT化論」の基本的なものへ戻ろうとしている(ただ それぞれの表現型は 違うものとなる=対称が異なる)

(伊丹啓之,「場のマネジメント」 1999年,p29)

それは具体的には 伊丹敬之氏の「場のマネジメント」論の
 発展的再構築のようなものだ

場のマネジメント―経営の新パラダイム

伊丹博之(著)
1999年1月30日

NTT出版
1890円(税込)





わたしは いわゆる 経営の手段と 業績に間には
 断層がある といい続けてきた
 (それが ナイーブなISO信仰への批判とつながっている)

経営の手段と 業績の間にある断層(のように感じられるもの)が
 上の図で 伊丹が表現しようとしている
 「場」であり「情報的相互作用」である

つまり 「場のマネジメント」が 教えてくれることは
 以下に要約されているだろう

『こうして、行動、学習、意思決定、心理的エネルギー、この四つが人々が組織の中で行なっていること、発生させているものであり、その全体としての組織の協働があるのである。その組織の協働を経営はなんらかの形で統合しようとする。』

『その統御のために経営が直接的に働きかけられるのは、人々の意思決定と心理的エネルギーという「外からは見えない」部分だけである。彼らの事業行動と学習は、最終的には彼らに任されざるをえない。彼らが実行者だからである。したがって、この二つには直接的には働きかけられず、意思決定と心理的エネルギーを通して間接的にのみ働きかけられる。』(「場のマネジメント」,p34)

つまり 一生懸命やっているふり が起きるのは
 「個」のものである 意思決定と 心理的エネルギーに 経営が
 間接的に 働きかけができていないからである

「個」を生かし 「種」を生かし
 「個」の自律が
 組織のまとまりと エネルギーを生む のが
 「場のマネジメント」であるなら
 
さらに
「組織の中の人間は、自分の行動を自分の利益にために選択する自律性をもつ一方で、周囲の人々との関係の中で協力的に全体をも考えた行動する」(「場のマネジメント」,p52)

という ハイブリッドな人間観を「場のマネジメント」がもつのなら
 それは「種の論理」であり
 そして そのような 人間の 情報的相互作用場である 組織における
 情報のキャリアとして イントラネットを据え
 なによりも 「種の論理」である わたしの「IT化論」は
 まさに 「場のマネジメント」である

わたしのIT化は 第一義的には
 経営の手段と 業績に間に横たわる
 断層にかける 橋 としてある

(故に 経営の手段を批判はしない
 ただ ナイーブなその一元論的な 信仰を批判する)

ただ わたしが寄り道してきた「ネットワーク論」では
 それが 閉じた組織(クラスター)内だけのものであるならば
 そこには「外部」( <他者>)からの信頼を生まない という 限界を見るだろうし
 それはすなわち「組織」(さらには その「種」に属する「個」)の
 信頼の欠如を意味することを 明らかにしている

特に 地場型中小建設業にとっての 環境との断絶は
 致命傷になりかねない
 つまり 「個」が 環境を 見ずにおこなう(環境に適合できない)
 行動も 意思決定も
 結局は 個人にも 組織にも たいした意味を持たない ということだ

(自己満足ぐらいには なるだろうが)

 つねに 「私」は 環境との相互関係の中にある

わたしの「IT化論」は
 クラスター内での 「場のマネジメント」に収斂することなく
 外部要因 つまり 「環境」 との関係の構築に動き出すことで
 「種」の普遍性を可能とすることを 目指す

それは伊丹啓之氏が掲示した 経営の方程式
 つまり 「経営=環境 × 原理」
 の 環境からの要求でしかない

このとき わたしの「IT化論」は より「個」の能力である
 「情報を見る能力」を強調するだろう
 見ることは 見られることであり
 それは 他者との関係の中にある 「私」である
 ただ その個の能力を育てるのも 「場のマネジメント」ではあるが

2005/04/19 (火)  
【悪党・の4・28東京独演会について】

午前6時5分起床
浅草は 晴れ

4・28東京独演会 「桃知利男の実験的勉強会」のご案内を掲示した
http://seminar.cybozu.net/associate/seminar.bsp?id=558

■4・28東京独演会 「桃知利男の実験的勉強会」
開催日時:2005/04/28(木) 15:00〜17:00(14:30 入場受付開始)
会場  :サイボウズ株式会社セミナールーム
住所  :東京都東京都文京区後楽1-4-14 後楽森ビル12F
     定員  :20人
申込締切:2005/04/28(木)

■対象
 イントラネットを使ったIT化に興味のある方 
 イントラネットの導入をご検討中の皆様
 イントラネットを導入したが うまく動いていないとお困りの皆様

■プログラム
 ミーム論 を中心に
  ミーム概念の再構築と IT化における動機付け(意思決定)について
  どうしたら みんなが  イントラネットを有効に使ってくれるのだろか
  
■費用 無料
■協賛 サイボウズ株式会社
■備考
 終了後懇親会があります
 セミナーにお申し込みいただいた方に別途ご案内申し上げます
■お問合せ 
 店主へメールでお願いいたします。
  pinkhip@dc4.so-net.ne.jp
■申込方法
 下記URLからお願いいたします
 → http://seminar.cybozu.net/associate/seminar.bsp?id=558
 
 # 申込みサイトは、サイボウズ・セミナーストリートで作成しています
  # http://seminar.cybozu.net/


わたしの提唱する「IT化」は 非常にシンプルなものだ
 イントラネットを中心に据えた 「現場のIT化」 である
それは 社内LANであり 社内LANでもなく
 情報の共有化であり 情報の共有化でもない

ただ 個人の「反省」の実践と 全組織的な「反省の共有化」の場であることで
 「種の論理」を機能させる

 ミーム・プール

それは 組織と個人の相互作用に 弾性を持たせ
 フィードバックループを動かす

それは 環境との相互作用に 弾性を持たせ
 フィードバックループを動かす

そしてそのフィードバックは 正でもあり 負でもあり
 そのハイブリッドこそが 弾性 であることを理解しようとする


弾性とは つまり マリアビリティと 同義であるが
 では その原動力は なにか である

2005/04/18 (月)  
【悪党・マテ−ブランコを読む】

午前5時25分起床
浅草は曇り

昨日 尾道からの帰り道 読んでいた本

無意識の思考―心的世界の基底と臨床の空間

I.マテ−ブランコ(著)
岡 達治(訳)

2004年11月30日
新曜社

5400円(税込)




例えば わたしは講演で こんなフレーズをよく使う

「私は 他人(ひと)を見たら泥棒と思っているし 他人(ひと)から泥棒と思われている」

(講演で使われているのは 正確には 「他人(ひと)を見たら泥棒と思っている私は 他人(ひと)からは泥棒と思われている」だが)

これは 「信頼の能力の低い人は信頼性も低い」ことの たとえばなしである
 だが これは普通 あやまった論理である
 つまり
 「私は他人(ひと)を見たら泥棒と思う」とは
 非対称の関係の考え方であり
 主語と目的語という
 (動詞に媒介された)関係である

更にその関係の逆である
 「他人(ひと)は私を見たら泥棒と思う」は
 「私は他人(ひと)を見たら泥棒と思う」とは 
 同一ではない (つまり非対称)

しかし 非対称の関係では 反則技的(非科学的)表現である
 「私は 他人(ひと)を見たら泥棒と思っているし 他人(ひと)から泥棒と思われている」 では
 「私は他人(ひと)を見たら泥棒と思う」 = 「私は他人(ひと)を見たら泥棒と思う」
 が成立しており 対称原理が働いていることがわかる

更には 対称原理の特徴である
 何かの"部分”は"全体”と同等である
 という作用が行われているので
 部分を 全体から区別することもできない

つまり a がAの部分で 対象原理が成り立てば
 Aは a の部分であり
 他人 は 私であり 私 は 他人 なのである

「他人(ひと)を見たら泥棒と思っている私は 他人(ひと)からは泥棒と思われている」 というような
 情緒的な体験とその表現は
 我々の日常では 普通におこなわれている

それは 我々の日常の思考において
 非対称的関係を対称的関係として取り扱うことがある ということであり
 その対称論理は 「無意識」にみられる思考の方法なのである

マテ−ブランコの「無意識の思考」を読み始めている
彼の「無意識」の研究は 非常に興味深い

無意識が 非対称的関係を取り扱うことができる方法が
 マテ−ブランコの研究の要なのであるが
 それは
 私たちが 公共建設政策 や 地場型中小建設業のIT化 において
 その拠所としている 徹底した中間性の哲学である
 「種の論理」であり
 ハイブリッドな思考方法だからである


この中間性の思考につては
 おりをみて このサイトでも紹介しているが
 例えば 4月15日の店主戯言に書いた 「白黒思考」もそのひとつである

「人生は黒か白かだけではなく、
 黒と白の間にある灰色の部分に面白さがある」

実は これは 池波正太郎氏の言葉なのだが
 出展を確認しないで使っていたので
 気になって 昨晩「男の作法」を読んでみた

新編 男の作法―作品対照版

池波 正太郎 (著)
柳下 要司郎 (編集)

2004年5月25日
サンマーク出版

1785円(税込)



たしかに ここにも中間性の思考がある
それはこんな按配である

『それは、感覚的にだんだん人間が鈍化している、ということがあるから。その一つの表れとして、パッと見た瞬間にいいなあと思う、俗にいうひとめ惚れ、そういうことがなくなっていますね。どうしてこんな世の中になってきたかというと、白か黒か、そういう決めつけだけがあって中間色がないから。』

『人間とか人生とかの味わいというものは、理屈では決められない中間色にあるんだ。つまり白と黒の間の取りなしに。そのもっとも肝心な部分をそっくり捨てちゃって、白か黒かだけですべてを決めてしまう時代だからね、いまは。』

『人間という生き物は矛盾の塊なんだよ。死ぬがために生まれてきて、死ぬがために毎日飯を食って……そうでしょう。こんな矛盾の存在というのはないんだ。そういう矛盾だらけの人間が、形成している社会もまた矛盾の社会なんだよ、すべてが。』

『矛盾人間のつくっている矛盾社会なんだから、それに適応したやりかたで人間社会というものは進歩させていかなきゃならない。科学的に、理論的にすべてを律してしまおうとしたら、人間の社会というものはすごく不幸なものになっていくわけですよ。必ずしも白と黒に割り切れるものではない。その中間色というものがあるということですよ。』

池波 正太郎氏は
 徹底した中間性思考の人だったことが わかるだろうし
 無意識=流動的知性の高かった人だったことが わかるだろう
 だからこそ 読みつがれる作品を残した といってもよいだろう

2005/04/17 (日)  
【悪党・生の鯖を食べる】

午前7時頃起床
尾道は 晴れ

尾道 福山 岡山 東京 上野と
列車を乗り継ぎ 午後3時過ぎに浅草に戻った

昨晩は
たくさん飲んだし
たくさんしゃべった

 尾道の飲み屋街は
 浅草のうちの近所に似た街並みで
  小さな店が 立ち並び
  人々の伝法な雰囲気も また よく似ており
  初めての店であることを忘れるぐらいに
  不思議に 安心して飲んでいられるところだった

昨晩の勉強会後の一献 の一品
鯖の刺身  つまり生である
 
鯖(生)を刺身で食べたのは 二度目のことで
 最初は なぜか 海のない 人吉でだった
 
昨晩は 尾道の上高地という ひとをくったような名前の居酒屋で
それを いただいた
  
鯖を生で食べてはいけない というのは 親の教えだが
 教えにはむかうのは たのしい 賭けである
 賭けに負けた場合 その代償は大きいが
 勝てば また喜びも一入である

 今のところは なんでもない
 ので 喜びもまた大きい (笑)

鴻池さん 新田さん 遅くまで おつきあいいただき ありがとうございました

それにしても 尾道の夜は いたるところがライトアップされていて感心させられた
中でもこれ(↓)

上の写真は JRの駅ではない
 市役所なのである
電気の無駄遣いと 環境にうるさい方々からは言われそうだが
 こうした 無駄遣いもまた 決して 意味のないことでは ない

2005/04/16 (土)  
【悪党・生きて行くにもっとも大事のことは……】

午前5時起床。
浅草は曇り。

 つまりは、人間というもの、生きて行くにもっとも大事のことは……
 たとえば、今朝の飯のうまさはどうだったとか、
 今日はひとつ、なんとか暇を見つけて、半刻か一刻を、
 ぶらりとおのれの好きな場所へ出かけ、
 好きな食物でも食べ、ぼんやりと酒など酌みながら
 ……さて、今日のタ銅には何を食おうかなどと、そのようなことを考え、
 夜は一合の寝酒をのんぴりとのみ、疲れた躰を床に伸ばして、
 無心にねむりこける。このことにつきるな。
 
 以上は わたしの言葉ではなく 鬼平こと長谷川平蔵の言葉である
 (鬼平犯科帳7「寒月六間堀」)

昨日は ぶらりとおのれの好きな場所である 浅草演芸ホールへでかけ
お目当ての こぶ平改め正蔵の襲名披露を見ようとしたのだけれども
あいにく 座る場所もないほどの盛況とのことで
では日を改めることとし 隣の大勝館の食堂にてお茶とした

すれば なんと渋谷の大勝軒のつけ麺があるというので
早速食すると それは確かに 大勝軒のそれであった

つけ麺を食しながら では 今日のタ銅には何を食おうかなどと 考えれば
なにか身体の切れもわるく刺激のあるものがいいかなとなり
ベトナム・タイ料理、いつもの クロープクルア にしようとなった

いつものように いろいろと食べたが どれもが水準以上であり 
思わず唸ってばかりいたのだが
最後に かみさんとシェアした 屋台風 チキンライス は絶品だった

この 米の 輝きを見よ! 
 まずいわけがない

さて既に酒は飲んでしまっていたので
 「タイガー & ドラゴン」を見て
 あとは 疲れた躰を床に伸ばして、
 無心にねむりこける このことにつきるな という一日だったのだ 昨日は

今日は 
東京 8:13 のぞみ 9号 福山 11:54
福山 12:03 山陽本線 東尾道 12:15
で 尾道へ向かう
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