「ももち どっと こむ」より

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2018年08月01日|イベント



Lesson18 発注者と市民社会(2)―何が公共工事の方向性を決めているのか

発注者と市民社会のエージェント問題

本書はすでに、公共工事に対する最大の「消費のミーム」の持ち主は市民社会である、と指摘していますが、ここでは基本に立ち返り、公共建設市場を構成する「技術のミーム」と「消費のミーム」の確認から、この市場の本当の買い手(顧客)を確認しておきましょう。

消費のミームと技術のミーム 

ここで公共工事の「消費のミーム」にこだわるのは、「公共工事の顧客は誰なのか」を本気で意識してほしいことと(顧客を知らないのであれば商売ができるわけもありません)、思考のあきらめ、たとえば「既存のヒエラルキー・ソリューションとマーケット・ソリューションのどっちを択肢しても、もはや中小建設業は救えない」という思考の閉塞こそが、「公共工事ダメダメミーム」をつくりあげていることに気付いていただきたいからです。

先に概観したように、公共工事の「技術のミーム」とは、建設業許可、技術職員、経審、営業年数、ISO9000's・14001の認証取得等々(お役所さんから言われたモノ)に収斂してしまっています。

これらは、能力に対する信頼を形成しようとしてはいますが、それは受注者が「発注者」である国や自治体(以下「発注者」と呼びます)へ、自らの能力の信頼情報を提供することが第一の役割です。そして二義的に市民社会に対する「発注者」のアカウンタビリティ(説明責任という「意図に対する信頼」)を担保しようとしています。

つまりこれは、公共事業の「技術のミーム」で、市民社会に対する「発注者」のアカウンタビリティを担保することが、二義的な役割で十分であった時代(それが開発主義の時代)の残像です。

開発主義の政策目標は、国土の均等ある発展というスローガンに基づく「配分」なのですから、発注者は公共工事複合体の一員として、工事量の十分な提供を背景に、「発注者」が発信元である(誰でもできることが前提の)「能力に対する信頼」を担保する「技術のミーム」で、中小建設業という「産業」を束ねることができました。そうしなくては、地場経済の活性化も地域雇用の確保も達成できなかったのですから、それは開発主義的な大義名分として機能できたのです。

しかし「今という時代」では、多くの受注者(中小建設業)が(未だに)顧客(つまり「消費のミーム」の主としての買い手)だと理解している「発注者」は、市民社会に対しては、サービスの提供者としての「売り手」の立場にあります。

つまり、市民社会が公共サービスの「買い手」としての立場を鮮明にしているのが「今という時代」=インターネット社会の特徴なのですが、この「発注者」が持つ市民社会向けの「売り手としての意識」と、中小建設業への「買い手としての意識」にはトレード・オフの関係があります。

発注者の売り手としての意識と買い手としての意識のトレード・オフ 

(A)公共工事において、「発注者」が市民社会へのサービス提供者としての「売り手としての意識」を大きくすれば、彼らは市民社会のエージェントとしふるまいます。つまり公共工事でさえ(市民社会に代わって)「モノを買う」視点を大きくし、市民社会との「意図に対する信頼」を構築しようとします。このことは、市民社会の「消費のミーム」が「発注者」の「技術のミーム」を規定することを意味します。つまり、「発注者」の「技術のミーム」は、市民社会の「消費のミーム」をより反映するものとなり、「発注者」が市民社会の代弁者(代理人)として中小建設業の「技術のミーム」を形成することになります。

(B)逆に市民社会へのサービスの提供者としての「売り手としての意識」が小さい時には、「発注者」の立場は、何らかの「安心のシステム」が担保していることを意味しています。この場合、自らの意図を市民社会に対して証明する必要がありませんから、「発注者」は「お役所的」に振舞うということができます。そして中小建設業に対しては「公共工事という産業の構成員」として振舞い、発注者の持つ「技術のミーム」は≒中小建設業の「技術のミーム」となります。これが(A)と決定的に違うのは、その「技術のミーム」が市民社会の「消費のミーム」を反映させる必要がないことです。

これを市民社会側から見れば、

(A')市民社会がサービスの「買い手としての意識」を強くすれば、発注者は「売り手としての意識」を大きくせざるを得ない。よって(A)が成立する。

(B')市民社会にサービスの「買い手としての意識」が弱ければ、発注者は「お役所的」に振舞う。つまり「売り手の意識」は小さい。よって(B)が成立する。

これを相手の「意図に対する信頼」の担保という観点からみればこうなるでしょう。

(A'')「発注者」の市民社会に対する「売り手としての意識」が大の場合、「発注者」の「意図の信頼」を担保するのは、市民社会の持つ「消費のミーム」に規定される度合いが高くなる。その「意図の信頼」を担保するものを「発注者」自らが持ち得ない場合、発注者が自ら持っている「意図の信頼」を証明する方法以外のモノ(例えばISO等の外部制度)に、自らの「意図の信頼」の担保を依存する傾向が強くなる。

(B'')逆に「売り手の意識」が小さければ(お役所的に振舞うことができるのであれば)、「意図の信頼」の担保に対する〈他者〉依存は小さい。

マーケット・ソリューションへのブレ

たとえば、小泉政権における反公共事業(公共事業予算の縮減を"よし"とする)という時代の空気(エートス)は、今まで行われてきた"景気対策のため"といわれる公共投資が財政赤字を膨らませ続け、そしてそれが景気回復につながらなかった(五十嵐敬喜の指摘,『市民の憲法』,早川書房,2002年,p209-212)という国民(それも都市部)からの機会費用・取引費用の問題意識を背景に構築されてきたものです。

これは強烈な「公共工事ダメダメミーム」ですが、このような状況下では、市民社会へのサービスの原資そのものが緊縮してしまうことで、市民社会が「サービスの買い手としての意識」を強くします。そのことで「発注者」は、市民社会に対して(サービスの)「売り手としての意識」(納税の対価としての公共サービス)を大きくせざるを得ませんし、中小建設業に対しては、公共工事という産業の構成員の一員というよりも、市民社会の代理人として「買い手としての意識」(サービスを買う)を強くせざるを得ないのです。

ここに、昨今「発注者」に対していわれる「モノをつくるから買うへの発注者視点の変化」があります。この視点変化が強調される背景には、(市民社会からみた)機会費用・取引費用の問題が存在しているのですが、しかし、いくら視点を変えたところで、肝心の「買う能力」が不足していたり、発注者が「公共工事という問題」から自らを切り離す、つまり自らの保身が最優先なら、短絡的な「似非マーケット・ソリューション」が繰り返されるだけでしょう。

「発注者」が市民社会に対して、「意図に対する信頼」を構築する必要から(A'')の状況は生まれます。昨今は、市民社会が「マーケット・ソリューション」を「よし」とする「消費のミーム」を持つために、公共工事がマーケット・メカニズムを導入せざるをえない状況へと押し流されています。

市民社会がマーケット・ソリューションを優先する風潮から、民間技術力の導入を大義名分にした「性能規定発注方式」の採用や、制限付き一般競争入札が導入されている状況を私たちは目のあたりにしているわけですが、公共建設市場のIT化のシンボル的存在である「CALS/EC」にしても、それがCALSである限り、本来はこの文脈で機能するものでしかありません。

公共工事の顧客は市民社会である

かなりややこしい話をしてきましたが、「発注者」に内在する相反する性格(「売り手としての意識」と「買い手としての意識」)の二極間の振れ具合によって、公共建設市場の性格(市場規模や市場が持つ目的)は簡単に揺れ動くのです。そして、受注者としての中小建設業の「技術のミーム」は、この市場の性格の振れ具合によって左右されます。

「今という時代」の「消費のミーム」は、市民社会がサービスの「買い手としての意識」を強くしている方向に振れています。「発注者」は市民社会にはサービスの「売り手としての意識」を大きくせざるを得ません。よって(A)が成立してしまうのです。つまり 〈公共工事の顧客は市民社会である〉ことが理解できるはずです。

この発注者の意識の振れは、初期値が100/0というような極端なものではないでしょうが、これも頻度依存的な行動によって相補均衡が成立するとなれば、変化は一挙に極に振れるものだと理解しておかなくてはなりません。さらにここで注目すべきは、自治体という不可思議な発注機能の存在です。彼らはまるで主義主張がないかのように振舞います。

GC空間それは、彼らもまた信頼のない社会で、なにかしらの安心に頼る存在でしかないからですが、ここでは先に紹介した友人からのメールを思いだしてほしいと思います。

ただ、ここでいえることは、公共工事の実施主体である「発注者」、そして中小建設業が、「今という時代」で生きるために選択できる象限(居場所)とは、インターネット社会の第Ⅱ象限である、コミュニティを指向したところでしかない、ということです。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年05月16日 18:50: Newer : Older


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