「ももち どっと こむ」より

還暦祝い!平成30年9月15日(土)桃組「小さな勉強会」と「暑気払い」のご案内。山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)。

2018年08月01日|イベント



Lesson3 私の身の上ばなし(2)―私の革命

私の革命

それでも私は、インターネットは「革命」だというのです。

確かに、マクロ経済学の見地からは、私の仕事のスタイルは、旧来からあるやり方そのものなのです。ただ、インターネットという安くて手軽で爆発的な普及効果を持った情報伝達手段を、それも早い段階で利用することで、ちょっと合理的で効率的に、そして「さきがけ」的に形成されてきたものでしかありません。つまり、私の行動は「さきがけ」としての勇気は賞賛されるでしょうが、そこには革命と呼べるような「新奇さ」はないということです。

しかし、私がインターネットを使って「これはすばらしいことだな」と感じたのは、私はそこで「職業」を見つけたということです。それは言葉をかえれば「失業しなかった」ということです。

そんなことは、別にインターネットがもたらした恩恵ではない、と指摘する方もおられるでしょう。私の能力をまがりなりにも認めてくださる方ならば、「インターネットがなくても君は職にありつけたよ。これは君の能力の賜物だ」といってくれるかもしれませんし、口の悪い方なら、「それはただの偶然だよ。君は運がよかっただけだ。」というのかも知れません。

私は、現在IT化について考えることを生業としていますが、それは何かそこに向かって努力をしてきた結果なのかといえば、実は努力らしい努力をした覚えはないのです。私はただインターネットの中でうごめくことで、多くの方々と知り合うことができたこと以外にはなにもしてはいないのです。(ただし、私自身のインターネットでの存在位置である、「中小建設業のIT化」について考えることを除いては、という注釈はつきます。)

私の今の生活はインターネットがもたらしたものであることは間違いなのです。インターネットがなければ、だれも私の存在を知ることもなかったはずですし、こうして私が「中小建設業のIT化」についての本を著し、本書が世に出ることもなかったでしょう。インターネットがない時代であれば今の私はが存在することなどありえないのです。

もしも、四年前にインターネットがなければ、私には「失業者」というレッテルが貼られていたことでしょう。バブル崩壊後の日本経済は、四十を超えた求職者にはかなり冷たかったはずです。失業の問題は私個人にとっては大変重要な問題でした。しかし、たとえ私一人が失業したところで、それは国の経済全体に占める失業率を表す 五%とか 六%とかの数値を構成する、ほんのちっぽけな無視してもかまわないようなものでしかないはずです。

その意味では、インターネットのおかげで私が失業せずに済んでいることなど、マクロ経済に与える影響などと呼べるものではありませんし、多くのマクロ経済学者にとっては、インターネットなどというものは、ファックスの延長上に考えれば十分なものであるかもしれません。クルーグマンならきっとこういうはずです。

「君のやっていることなど革命でもなんでもないのだよ!ただの運がよかったのさ」

半分はあたっているのかもしれません。しかし、私がインターネットを信じたおかげで失業しないで済んでいることは、それは私にとっては「革命」であったのです。生きるためには稼がなくてはならないひとりの人間にとって、「失業していないこと」はなによりも大きな意味を持っても不思議ではないでしょう。つまり、私はサラリーマン時代とは全く違った方法で生活の糧を得る方法をインターネットから学び、そしてインターネットの可能性を考え始めるようになったのです。
 
しかし、学んだといってもインターネットが直接なにかを教えてくれたわけではありません。独立開業支援サイトを熱心に巡回したわけでもありませんし、求人サイトで職を検索していたわけでもありません。当時、決してインターネット上級者とはいえない私は、ホームページ作成アプリケーションを購入し(HTML文なんて今でも書けません)、自分のホームページをせっせと作成し、そのサイトの更新を、キーボードのタイピングの練習を兼ねてやっているという毎日を過ごしていただけなのです。「きっと誰かが私のことをみつけてくれる」というミもフタもないような期待だけがその行動のエンジンでした。

これはある意味「開き直り」としかいいようのない行動でしかありません。サラリーマン生活に終止符を打ったころ、私はある意味「焼け跡」のような存在でした。つまり「ストック=ゼロ」(橋本治,『「わからない」という方法 (集英社新書)』,2001,p33)の状態からリスタートだったのです。

リストラに遭って再就職を求め、職安(ハローワーク)に行って、「あなたはなにができますか」と問われた時、「前の会社では部長でした」などと答える人がよくいるといいます。問われているのは「あなたはなにができますか」であって、「あなたはナニサマでしたか」ではないのです。(橋本,p36)

まさにこの指摘は私のためにあるような状態でした。

自分が「なにものかである」というところから、「なにものでもない」というところに居場所をずらすと、人間はかなり虚脱するものです。そこでやることといえば、「なんだかわからないけれどもやる」というような、ミもフタもないような行動しかないのも事実のようです。私の場合、それがなぜか、ホームページを立ち上げてみようという「なんだかわからないけれどもやる」行動だったのです。

そうして、日々ホームページへの訪問者が増えることを唯一の楽しみに、ただサイトの更新をしながら、私は一日を過ごしていたのです。ホームページのアクセスカウンターが増えていくのは今でもとても嬉しいものですが、しかし、なんともミもフタもない行動なのでした。

しかし、そうこうしているうちに、ホームページを訪れていただいた方から、感想のメールなどをいただけるようになるわけです。当然に私も電子メールで返事を書きましたから、双方向のデジタル・コミュニケーションがよちよち歩きながらも始まったというところでしょうか。それがささやかな私の革命の始まりだったのです。

インターネットで知り合えた方々は、インターネットがなかったら、そして私がサラリーマン生活を続けていたのなら、絶対に関係を持つことはなかっただろうという方々でした。それは私のどうでもいいようなホームページに、そしてなにもでもない私の考える「中小建設業のIT化」に、何かしら共感し積極的に私とコミットしてくださった方々です(その方々の多くは今でも私の最大の理解者です)。

インターネットが私に教えてくれたものとは、なにものでもない私(の考え方)への共感という人間の行動の存在です。少なくとも、ホームページを介して私にアプローチしてくださった方々は、私という人間の判断を、資格とか、学歴とか、所属団体というような、既存の権威のようなものを「ものさし」にした方々ではありませんでした。

なぜなら、私のホームページには一切そのようなものは記載されていないからです。私のホームページにあるものは、「中小建設業のIT化」に対する誰にも負けない(と私が勝手に思っている)情熱のつまった文字だけなのです。私がホームページだけを媒介とした仕事をしていて、それ(ホームページ)がなにがしかの仕事を私に運んできてくれるのは、私のホームページにある情熱への共感の結果なのだろうと考えています。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2007年08月24日 11:46: Newer : Older


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