[店主戯言00104 2001/04/01〜2001/04/30 "There goes talkin' MOMO"

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2001.04.018更新!→【桃知利男の現場IT化戦略 KEN-Platz 建設現場情報局連載コラム】


2001/04/30 (月)  
【今日はお休み】

今日で4月も終わり。せっかくの休みだというのに雨が降っている。
私は,5月のスケジュール調整をしていた。

やりたいことは沢山あるのだけれども,できないことも沢山ある。

午後からは,久しぶりにマッサージの予定。

明日から,私は美濃加茂,郡上とシステム設定の旅。
帰りは3日の夜か4日の日中か。

TVでは半田市の市営住宅建設に絡む贈収賄のニュースが流れている。
発注者が悪いのか,受注側がわるいのか。

今のご時世では,このような事件は致命傷になりかねないと,今年初めの半田商工会議所の講演で話してきたのになぁと思う。
まあ,私の話で変化するような業界ではないことは百も承知だが。

公共工事は本当にコアを無視した発注方法と,それに伴うコアの無い建設企業の集合体と成り果てた。
こういう市場原理が強くは働く世の中では,そのこと,つまり公共事業(それは発注者も受注者も含む)の時代錯誤感が,特別国民には奇異に写ることだろう。

だから,今,小泉なのだろう。
国民は変化を求めている(しかし,自分は変わりたくないのだから手におえない)。

2001/04/29 (日)  
【今週の読書】

『デジタルな経済』,伊藤元重,2001年2月23日,日本経済新聞社

市場主義者である伊藤元重教授によるIT革命論入門である。
平易な言葉でわかりやすく「デジタルな経済」を説明しているので,経済書はどうもイマイチ苦手と言う方にも問題なく読めるであろう。

要はコア・コンピタンスの話である。

『デジタル革命とは,ようするに,より多くの人がITにつながるということであり,デジタル技術がより簡単に使えるようになるということです。だから,ITができるだけという企業や個人では,その希少価値は急速に低下していきます。いま世間で騒いでいるITバブルの崩壊の本質はそこにあります。』,P23

そして,伊藤教授はITにできないことをやって,それをITにつなげてこその企業戦略だとする。

これは,竹中平蔵大臣(だな,もう)の主張である,サプライ・サイド政策と同義である。

『マクロ経済政策の運営を考えるとき,減税や金融政策によって経済を刺激しようとする手法をディマンド(需要)サイド政策といいます。需要を喚起することで景気を刺激しようというのです。それに対して,税制改革や規制緩和,あるいは技術開発す指針や教育改革によって生産能力や資源配分の効率性を高め経済を活性化しようとする手法を。サプライ(供給)サイド政策といいます。』,P361

『デジタル革命を推進することによって経済能力を高めようというのは,典型的なサプライサイド政策です。今の日本経済にとって景気対策か財政構造改革化かときびしい二者択一の政策選択から抜け出し,より選択の幅の広い状況にもっていくためには,こうしたサプライサイド政策の助けがぜひとも必要なのです。』

この意味で,今の平成不況からの脱出のために,変化しなくてはならないのは自らの企業,我々個人そのものであることに気が付いている方々は幸せなのである。

それさえ気付かずに,ソフトランディング待望的他律的な姿勢(淡い期待)を持ちつづけることは,水から茹であげられた海老(変化に気付かず,気が付いたときにはもうおしまい)になりかねないのだろうなぁと,最近また思うようになってきた。

問題は,この国の成功体験を背負った方々に,果たしてその覚悟はあるのか,ということなのだとも思う。

2001/04/28 (土)   
【For The Lonely&39】

家人を迎えに大宮駅へ。
大宮駅の改札内ののショップで,埼玉の英雄,小柳ゆきの新しいシングルを2枚購入。

それと,何処の誰だかはわかんないのだが(笑),本当にまぐれでDESTNY’S CHILDというグループの「SURVROR」と,Seetboxの「Classified」を購入。
Seetboxの方は,関空から千歳行きの機内で聞いた(これが記憶が定かではない,もしかしたら岩見沢のホテルでかもしれない)「For The Lonely」がなぜかお気に入り。

その後,これもなぜか改札内にあるスポーツグッズの店で桜庭Tシャツを2種類購入。
3rdバージョンの39と,最新版のバージョン5である。って,これで理解出来る方って,私の読者の皆さんでは何人おられるのだろうか?(笑)

ThinkPad240Zのセットアップは,肝心のMS-OfficeへのSR-1のインストールがうまくいかない。
原因不明なので,放っておくことにした。(笑)

他はいたって順調。
しかし,この小さなディスプレイで1024×768の表示ではいかにも文字が小さいなぁ。
私はあまり目がよくないので,SVGAの方がよいかもしれない。



【リカバリーから】

ThinkPad240Zのセットアップをしている。
私のセットアップの仕方は多分変わっていて,まずリカバリー用のCD起動デスクの作成から始める。

私は現在 PanasonicのUSB CD-R/RWであるKXL−RW20ANを使用しているので,これからリカバリーのCDが起動できる環境を作るのである。これにはMS-DOSの知識は不可欠である。

ご存知のように,240のようなB5版の持ち運び重視のモバイルPCには,内臓のCD-Rはない。
セットアップ時にさえ,何が起きるかわからないというのが私の考え方なので,とりあえずDOSからUSBのCD-Rが起動できる環境をつくってしまうのである。

そして,当然のようにリカバリーしてしまうのである(笑)。
つまり,一度再インストールを体験してしまう。これが大事なのだ。

今回も見事に成功。これで,なにやっても安心なのだ。(笑)
つまり,流行の言葉でいえば,私は新しい240に関して最低限のセーフティネットを持ったことになるわけである。

但し,リカバリーには1時間程度かかることも発見したのだがねぇ。(T_T)

人生のセーフティネットもこんな簡単に構築できるといいのだが,そうはいかないのが人の社会の難しさなのである。

2001/04/27 (金)   
【蕨に帰る】

市ヶ谷の法大エクステンションカレッジでの打合せを終え,ようやく蕨に帰ってきた。
が,家人は留守なので,今日は一人である。

宅配の牛乳が沢山溜まっていた。
宅配便の不在通知も沢山。う〜電話しなくてはならない。。。面倒くさい。

新しいThinkPad240Zも届いていたようだ。
私は,モバイルでの使用が多いので,半年に一台ぐらいのペースで交換するようにしている。

いままでの240Xは予備機として,待機することになる。
いままでの予備機である240はお役御免である。

私は30日まではお休みをいただくので,この期間に溜まっている原稿書きと,新しい240のセットアップをするつもり。

しかし,自宅だというのに何が何処にあるのかわからない。(T_T)
晩飯は一人寂しくてんやものか。。。(T_T)



【小樽ヒルトンホテルにて】

昨日は,小樽建設業協会様にて講演。
熱心に受講いただきました。ありがとうございます。

セミナー終了後,鮨処小樽でも屈指の名店(らしい)蛯政寿司さんで懇親会。
とにかく,すべての肴がうまい。

今年はニシンの出来がよいそうで,マリネと地物の数の子をいただいたが,ゼッピンであった。
もちろん,毛蟹も味噌だけいただいた。(^o^)丿

その後2件ほどはしごして小樽の夜を満喫。
しかし,午前3時に起きたのが効いていて,早めに退散。(笑)

今朝は5時起床。
ヒルトンの17階の部屋から見える石狩湾は穏やかで,そしてとてもよい天気である。

私はこれから千歳空港まで移動。
11時発のANA便12時5分発のJAL便で帰路につく。(チケット見たら予定と違うことに気が付いた)

午後からは,法政大学エクステンションカレッジでの打合せを予定している。
なかなか家には帰れないのである。

2001/04/26 (木)   
【空知で考える】

午前3時頃目が覚めてしまいそのまま起きている。
TVでは,サッカーの日本代表VSスペイン戦が流れている。

昨日は,空地建協さんで,四時間ほどの講演。
裏演題は例によって「時代は変わる」である。

それは例えば次のようなことだ。
小泉自民党総裁は,組閣に際して,財務に竹中平蔵慶大教授の起用を考えていると朝方のニュースが伝えていた。

それが実現するのかしないのかは,私の知るところではないが,竹中平蔵教授を財務に起用しようというところで,小泉政権における経済政策の方向性が窺い知ることはできるだろ。

例えば,竹中平蔵+東京財団・政策ビジョン21の『「強い日本」の創り方』,PHP研究所,2001年4月4日,によれば,その特徴は「サプライ・サイド政策」にある。

竹中教授は,経済再生に必要な方向性を次の四つの提言としている。

1・バランスシート調整を早めること。
  →『潰れるべき企業はちゃんと潰すということだ。』,P26

2・IT革命の推進
  →『IT革命という機会を活用して,IT関連資本を拡充するための圧倒的な政策』,P27
  →NTTをどうするのかという問題。

3・公共事業ビックバン
  →『現在の公共事業のやり方を改め,公的な資本をもっと効率的に使うことで資本のインプットを増強する。』,P28

4・人材大国を目指した高等教育改革
  →『問題は人的資本のクオリティの問題で,日本はいま,世界の中でじわじわと後退しつつある』P29

全ての項目が建設業に深くかかわることは説明の必要がないであろう。ましてや,3の「公共事業ビックバン」は,そのものズバリである。

それでは,公共工事ビックバンとはなにか。前掲書において西村清彦東京大学教授はこういう。

『新しいかたちの公共事業を考えるうえで,一つネックになることがある。それは日本には,そのために必要なソフトがあまり蓄積されていないということだ。これを打開するには,まず最初に,公共事業はいまの方法では維持できないということを認めるべきだろう。』

『先に述べたように現在の公共事業は,雇用を維持するためのシステムである。これを新しい方法に変えていかなければならない。』

『ところが,公共事業は現在の配分システムを前提として,すべてなされている。これによって,既得権益の恩恵に浴している人も少なくない。そこで何かを変えようとすると,必ず邪魔が入る。』

『この状況を変えるには,すべてを完全にひっくり返してしまうようなシステムを,最初から決めておかなければならない。そこで私が提唱したいのは,金融ビックバンならぬ「公共事業ビックバン」である。』

つまり,多くの中小建設業が依存している「地場経済の活性化と雇用の確保」を目的とした公共事業から「社会資本形成の効率性の向上」への公共事業の原点回帰である。(これについて,詳しくは私の「Being Digital」を参照していただきたい。)

自らが依存している市場(公共事業)は,永遠に湧き出る魔法の泉だと信じたい方々は,勝手に信じていればよいだけのことだ。しかし,確実に時代は変化する。問題は変化の方向性なのである。

私は変化の方向性について語っているだけである。それが正しいとか,好ましくないとかは実は問題ではないのだ。いっておくが,私は竹中平蔵教授の支持者でもない。それさえも実はたいした問題ではないのだ。なぜなら,変化の方向性とは,個々の経済主体を超える「経済鉄則」としての「神の見えざる手」なのだから。

それに対して,少しでも危機感をお持ちの方は,危機感を危機感として感じて,自社のシフトチェンジを真剣に考えるべきである。つまり,それが供給側の変革とてのミクロ的な「サプライ・サイド政策」にほかならないのだ。

2001/04/25 (水)   
【空知】

昨日は,立売堀の建設交流会館で2時間ほど講演をし,終了後,タクシーで関空まで。
運転手が出発口への入り方がわからず,貝塚まで逆戻りするハプニングはあったものの,まあ,搭乗便には余裕でまにあう。

飛行機の中ではビールを飲みながら,メールへの返事を書いて,午後8時過ぎに千歳着。
千歳空港には秋野さんと吉川さんがお迎えにきてくれていた。

秋野さんの車で,岩見沢入り。ホテルへチェックイン後,市内で晩飯。
そこでだ,黒龍の一八号という吟醸酒を飲んだ。岩見沢に黒龍があること自体驚きだが,一八号というとんでもなくうまい酒があることにも驚き!。

日本は,人生の喜び(笑)を享受すると言う意味では,本当に地域格差のない平等な世界だなぁと思う。
ただし,空知のお酒は今日におあずけだけれども。

さて,本日は,午後から空知建協で講演。
北海道の特徴は,多くの中小建設企業が,他の都府県の中小建設業と違って,旧北海道開発局(つまり今の国土交通省だな)からの受注を結構大きな割合で受けているという点にある。

この文脈でいえば,国道交通省の政策は,北海道の地場型中小建設業を直撃することになる。
それは,建設CALS/ECさえその例外ではないということである。

空知建協は,建設CALS/ECに対して早くから熱心に取り組んでいると聞いている。
問題は,そのようなモチベーションの高い中小建設業者の取り組みを受け入れ伸ばせる発注者ということになるのだが(つまり,経営と技術に優れた建設業の実現である),道庁関係は昨年の談合問題以降,自己保身に傾いているようだし,果たして旧北海道開発局は自らが国土交通省の一部になったことを自覚しているのかという問題があるかもしれないなぁと思ったりしている。

そういうことも含めて,今日は夜まで空知でコミュニケーションである。
それは,すべからず私自身が「勉強しなくちゃ」なのである。

2001/04/24 (火)   
【談合っていうやつ】

ホテルにて,準備していたおかゆとバナナとゆで卵という,至ってシンプルな朝食。

朝食を取りながら読んだ,大阪版朝日新聞の社会面には,堺市発注の配水管施設工事で談合があり,入札に参加した11社が3ヶ月の指名停止,そのうえ近く談合容疑で堺北署へ告発するとの記事がある。

それから,同じく堺市発注の下水道工事監理業務の入札8件でも,談合の疑いが非常に強いということで,入札を無効として,入札に参加した計75社を3〜6ヶ月の指名回避処分としたとの記述もある。

多かれ少なかれ,どこの地方でも談合の話題は尽きない。
が,それこそ談合は「入札契約法」の餌食である。指名停止はまだしも刑事告発となると,当該企業へのダメージは相当に大きいだろう。

でもなぜ,談合はなくならないのだろうか。それは,談合は究極的な結果平等な取引手法であり,今までの日本式パラダイムの中では,決して間違った手法ではないからである。

官公需法に守られた,地域振興,雇用確保を目的とする公共工事が,その目的を有効に達成するためには,機会平等よりも結果平等が有効に機能する。

そういう意味では,地場向けの公共工事において談合批判は,決して論理的な根拠を持たないと私は考えている。

だが,問題は,今,日本の規範(個々の経済主体を超える「経済鉄則」)が,結果の平等から機会の平等へと,パラダイムシフトしていることである。もちろんその推進エンジンがIT革命である。

昨日紹介した週刊東洋経済で,IT革命推進論者の竹中平蔵教授はこういう。

『IT革命によって不平等が拡大するという論議は,それによって社会不安は広がらないと答えたい。これだけフロンティアが広がっている時代,資本主義がそれに反応すれば不平等は生まれる。しかし,問題はその不平等が固定されない仕組みをつくることだ。結果の平等ではなく,機会の平等を論議すべきだ。』,P51。

談合の正当性を主張できる論拠は,その結果平等を重視したシステムに拠らざるをえない。
しかし,我々は,竹中教授の言葉を待つまでも無く,機会平等への社会へのシフトを目のあたりにしている。

ここにおいて,談合はその正当性の論拠を失ってしまっているのだ。
こうなると,官公需法さえ,機械平等論の前では,風前の灯火でしかないだろう。



【大阪にて】

大阪はどんよりと曇り空。午後から雨の予定です。
昨晩は太田さんと,西原さんとで,ホテルの近くの「双葉」という,うなぎやで,なぜかうどんすきで一献。

美々卯系だが,うどんはちょっとコシが足りない。しかし,気の置けない友人との会食はいとたのしなのだ。

朝起きて,福岡独演会の懇親会の案内メールを出す。
福井コンピュータの田辺さんにご足労願って会場を探していただいた。

若しメールが届いていない方がおられましたら,また,独演会はどうでもいいが,懇親会は出てもいいぞという方がおられましたら,以下のとおりですので,私までメールで参加表明をしてください。

           記
       
懇親会会場 「あんざ」 福岡市博多区博多駅東2-4-14 
            第二ヤマトビル1F
            TEL:092-483-1955
時間  午後5時30分より
会費  時価(笑)5000円程度でしょうか?

今日は,午後から立売堀の建設交流館で講演。
講演終了後,関空から千歳へ飛ぶ。

寝ることができるのは何時ごろだろうか?

2001/04/23 (月)   
【大阪着】

大垣の仕事を終え,岐阜羽島発16:47分のひかりで新大阪へ。
その後御堂筋線に乗り換えて,大阪で唯一泊まり慣れている天王寺都ホテルへチェックインしたところだ。

岐阜羽島駅で本日発売の週刊東洋経済を購入。今週のお題は「それでもあなたはIT革命を信じますか?」である。この特集はお勧めなので,機会があれば端から端まで読んでいただければと思う。

IT革命をどう見のかというのは,非常に面白く興味を駆り立てられる部分なのである。
それは,論者の知識的な背景がもろに出る。

本サイトで私のいっていることも,所詮,「見方」の話なのだ。

ということで,私はこれから気の置けない方々とご夕食。


【プロフェショナル】

昨日は18:21分東京発の「ひかり」で名古屋へ。
名古屋から東海道線快速で大垣入り。ホテルにチェックインしたのは21時を過ぎていた。

昨日,「ひかり」に乗る前に東京駅構内で弁当を買いに行ったら,大阪近鉄の中村選手に会った。
茶髪というか金髪というかの,ごっつい,いてまえ打線のオリンピック代表は,自分で弁当を買っていたのだ。

そういえば,昨日はロッテと誰も想像しなかった首位攻防戦だったのだなぁ。
さすがに人気者で,沢山のファンからサインをねだられていたけれど,嫌な顔せずにそれに応じているのはさすがプロだなぁと思っう。

ところで,何で読んだのかは覚えていないけれど,私のお気に入りのプロの定義がある。

『プロとは,何かの差で勝負する人だと思う。それは知恵の差であり,努力の差,タイミングの差,心の差,忍耐力の差,負けず嫌いの差であると思う。そうしたちょっとした差を積み重ねていくことが,プロフェショナルへの道なのだと思います。』

ところで,昨日触れました,電子納品に関して,土工協CALS検討部会のHPに『電子化文書作成の手引き(初級編) 』が掲示されています。

これをテキストに自社の現場のIT化を推進されればと思いますのでご紹介しておきます。
つまり,結果としてのデジタルデータの標準化とは,標準化されたデータを創出するという意味で,自社の業務プロセスの標準化を図るということです。

CALSの標準は,こんな形で自社内で活用することで,経営に対しても少しはプラスになれるかもしれませんが,問題は,先のプロの定義じゃないですけれど,「何かの差」なのですね。

標準は標準でしかありませんから,誰でもできること(つまり標準)は「差」ではない。それは競争力ではないのです。
競争力としての「差」,つまり差別化の要因(コア・コンピタンス)を生み出す要因は自社内にあり(つまり全ての社員),その推進エンジンとしてIT化は存在していることをお忘れなく。なので,(外注可能,つまりアウトソーシング可能)な電子納品に対応できるということは,CALS文脈では決して必要不可欠というものではないのですねぇ。

でも,社員の質的向上には,電子納品対応を目標とした現場のIT化はいいことだと思います。
私の心配は,社員諸君の自助努力で頑張れ,なんていう無責任な経営者が多発しそうなことですねぇ。

というところで,今日は朝から大垣市内で仕事。
夕方に大阪移動。

2001/04/22 (日)   
【今週の読書】

『IT革命の虚妄』,森谷正規,2001年1月20日,文芸誌春秋

IT革命というよりは,ニューエコノミー批判であろうか。
ニューエコノミー論については,私も誇張であると考えるが。

森谷氏のIT革命への疑問というのは,ITがどこまで労働生産性を向上できるのかという疑問に尽きている感もあるが,このあたりは私的には一応の解決はついている。

特に建設業の場合,旧来のメトリックの中でITが労働生産性を向上させるとしてもそれは微々たるものであろう。
ITは,市場の変革,それに伴う企業自身の自己改革の推進エンジンとしてしか存在し得ない。

つまり,今までの右肩上がり的なメトリックで考える限り,IT革命などは『単なる情報通信技術の発展』以外のなにものでもないのである。その旧来のメトリックの中でITを利用しても,ITはたいした利益を自社にもたらさない。つまりIT革命など虚妄に過ぎないのである。

問題はメトリックの変更,つまりパラダイム・シフトにあるのである。
それは,人間の意識革命としてのIT革命を意味する。その文脈でIT革命は革命であり虚妄などではないのだ。

私がこの仕事を始めた当初,IT革命は2005年ぐらいまでの急激な変化と思い込んでいたところもあったが,現在ではそうは思わない。IT革命のスパンは長い。それは産業革命当初を見ても明らかである。

なぜなら,変革しなくてはならないのは人間そのものだからである。しかし,人間は容易には変われないのだ。
ゆえに,むしろ,IT革命は始まったばかりなのであると私は思う。



【今週のスケジュール】

連休前,今週のスケジュールは何時もにまして凄まじい。
ので,いただきますメールへの心配りとか,きめこまやかな対応等はできそうにもありませんので,あらかじめご了承ください。

ます,今日は夜に大垣に入る。大垣泊。
23日は朝から大垣で仕事をして夕方に大阪へ移動。大阪泊。

24日は大阪で講演っていうか勉強会。終了後,関空まで行って千歳へ飛ぶ。北海道だよ。岩見沢泊。
25日は岩見沢で講演。岩見沢泊。

26日は小樽で講演。小樽泊。
27日に千歳から羽田へ飛ぶ。

スゲ-移動距離だなぁ。。。。と思う。



【読者からのメール】

次のような質問メールが届いた。

HPやメールマガジンに「建設CALS/ECにおける中小建設業者の立場は明確ですそれは建設CALS/ECの為の情報インフラを使う立場だということです」と書いておられますが,4月から開始された国土交通省の工事完成図書の電子納品は,現場施工の片手間では大変なような気がします。

当社でも一人一台体制・メール・インターネットと社内の情報インフラ整備は進んでいますが,対応するには個人のスキルレベルが相当高くないと対処できないと思います。

いかがお考えですか。
ぜひ,ご回答を。
お願い致します。

同じような質問が多いので,ここで電子納品に対する私の立場を明らかにしておきたい。

以下,この質問に対する私の回答である。

電子納品については,私は自社で対応できなければ外注でよいと言う立場です。電子納品という部分を見れば,それは経営にとってコアの部分ではありませんし,電子納品を仕事とする会社さんも沢山おられるようです。

それは,例えば,完成図書の黒表紙の金文字製本を自社で行う会社が無いこととたいして変わりはないのではないでしょうか。

ただ,コストと人材育成という面から見れば,全ての現場担当者が,自ら処理できることは,コストは低く,人材は優秀であるということであり,経営にとってはプラス要因となります。しかし,それはマネージャーが,IT化を通じて自社をどのような会社にするのかという経営戦略の部分でのはなしだと思います。

なので経営者がその必要性を感じれば社員を教育するか,対応可能な社員を採用(できない社員を切る?)しかないのですし(それもあまり利口な経営手法とは思えませんが),現時点で,その必要がないと判断すれば,外注すればよいだけのことだと思います。

こんなところで失礼します。
ももち

つまり,私は電子納品とか電子入札とかには,自社のIT化という文脈(つまり私のコンサルテーション)では,ほとんど興味はないのである。

それは,現時点で,建設CALS/ECがいう電子納品とか電子入札とかへの対応は,決して自社が生き残るためのコアにはなれないからである。

CALS文脈でいえば,電子入札へのプロセスは,発注者にとっての調達プロセス,受注者にとっての受注プロセスという最も重要なコアの部分,つまり受注できる能力にほかならない。

しかし,今の建設CALS/ECがいう電子入札では,その電子入札までのプロセス部分はないがしろにされている。建設CALS/ECのいう電子入札よりも,むしろ他の法律,例えば「入札契約法」に注目していないと,この部分は読み切れないだろう。

2001/04/21 (土)   
【適正化への多元的アプローチ】

昨日は,小田急で新宿着後,小田急サザンタワービルで待ち合わせをしていた,日経コンストラクションの高橋氏と打合せを兼ねながら,17Fのシェンロン・トーキョーで少し遅めの昼食。

その後,同ビル内で別の打合せ。
これはどこと打合せしているかは,勘の鋭い読者なら直ぐわかるだろうか。(笑)

午後6時過ぎに四ツ谷へ移動。麹町口で待ち合わせをして,東京出張の太田さんと,埼玉の兄弟である高橋さんと,うちの家人とで,私的に日本一穴子がうまいすし屋である「後楽」で晩飯とする。

私は鮨屋のカウンターというのは,寿司を食うところではなく,時間を買うところだと思っている。
その時間に彩りを添え,時間を共有するものたちの共通のシンボルとして寿司が存在しているだけである。

つまり,こういう気の置けない方々と酒を酌み交わしながらうまいものを食うのは実に楽しいということであるが(笑),それは,私の鈍重な脳味噌がたちどころに活性化し,いろいろなアイディアが頭の中を錯綜しはじめる時間でもある。この時間を私はお金を出して買っているのである。

ところで,日刊建設通信新聞,4月19日付けの建設論評は「適正化への多元的アプローチ」という私のコラムである。(全文はダウンロードのページをご参照願いたい。)

これは,この4月から施行された公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律(以下「入札契約法」という)の「適正化」という概念への一元性への危惧である。
 
例えば,入札契約法の指針はISOの活用に関することに関して「公共工事の品質確保に効果的なISO9000シリーズの認証取得の促進を図ること。」と一元的な性格を露にする。それはつまり,こうである。

<(2)入札及び契約における国際標準化機構(ISO)規格の活用に関すること
公共工事を施工する建設業者による品質管理の取組は、公共工事の適正な施工を確保する上で、発注者にとってもメリットが大きいことから、各省各庁の長等は、公共工事の品質の確保を図る観点から、それぞれ受注者のこうした取組の促進を図るものとする。特に、国際標準化機構の定める規格ISO9000シリーズについては、国際的な品質マネジメントシステムとして社会的認知を得ており、ISO9000シリーズの認証取得を競争参加資格の一つとして活用すること等により、その取得の促進を図ることが適切である。なお、ISO9000シリーズの認証取得は、公共工事の品質確保に効果的であると認められるが、それのみにより公共工事の施工能力が判断されるものではないことに留意するものとする。>

この文脈を我々はどう理解できようか。というよりも,この文脈では,発注者としての国土交通省は,ISO9000シリーズの認証取得を公共工事の品質確保に有効であるとお墨付きを与えたとしか読みようがない。それゆえに,「入札契約法」の文脈では,発注者を問わず(受注者も問わず)広く公共工事においては,「ISO9000シリーズの認証取得」は,一元的な応札要件として機能せざるをえないであろうということだ。はたして,「適正化」とはそういうものなのであろうか。

2001/04/20 (金)   
【ロマンスカーで移動中】

桃知@小田原から小田急ロマンスカーで新宿へ移動中である。
しかし,車窓から見える風景は,美濃太田-郡上間のようであるなぁ。(笑)

流石に,昨晩の酒(というか連日の酒か?)が効いていて,脳味噌に切れが無くなっている。
先ほどからevianがぶ飲み状態。すなわち水腹。

近くに有閑マダム(死語じゃないよねぇ)の団体あり。小旅行の帰りのようだ。
うちの息子は○○銀行でとか(つまり息子自慢だなぁ),旦那の仕事の自慢(仕事の自慢というよりは会社の自慢だなぁ)とか,そういう話をしているわけだ。

世の中には,まだこんなにノー天気で幸せな方々も沢山いるんだろうなぁと思う。
右肩上がりの時代,いい時代を生きてきた人たちなのであろうし,貯金も沢山お持ちなのかも知れない。

平成デフレ不況も,公共事業の削減も,それこそCALSも,この方々には関係のない世界なのだろうなぁと思う。
多分,こういう方々が世の中の大多数なのだろうし,私は,この方々と多分,まともな話題をもって話すことができないであろう。

そう考えるとですね,私の周りにおられる方々っていうのは,私のとって本当に大切な方々なんだなぁと感じるのだ。


【スパウザ小田原にて】

昨日は小田原で講演。いつもと勝手が違うのは,主催者の二見小田原市議を始め市会議員さんや,近隣の町会議員,市の職員様等が多かったせいか。

話の内容には技術論は一切無い。
例によって,「IT革命とは何か」だけである。

IT革命とは情報技技術の発展に支えられた社会全体としてのアメリカリズム化の過程であり,資本主義の原点に帰る革命であり,同時にその推進エンジンである。

今の日本に起きていることはそういうことである。
故に,昨今のIT革命は終わったという短見的な主張は,論者の経済学的メトリックの違い故であり,今起きている変化に対する感性の温度差だけの話しである。

変化は確実に起きている。
同じ時代は二度とないのである。要はその時代変化を読むことである。

IT革命について考えるということは,政治経済について考えることである。
これを理解しない限り,IT革命もCALSも電子政府も理解し得ないというのが私のスタンスである。

講演終了後,本日の宿泊先である「スパウザ小田原」へ移動。
怒涛の施設である。凄い。。。。

チェックイン後,小関さんが準備してくれた,地元の「丹沢山」“たれ口の酒”と新潟の「禄の越州」で宴会。
いやはや,うますぎて飲みすぎ。★\(^^; へろへろに酔っぱらって,小田原宴会を終了。

ということころで,今朝は7時起床。
頭は痛いし,気分は悪い(笑)。相模湾は静かで良い天気ではあるが,眩しくて外を見ることができない状態。

今日は,午後から新宿で打合せ2件。その後四ツ谷で宴会。★\(^^;

2001/04/19 (木)   
【公共事業予算見直し】

桃知@あさひ4号である。
例えば,今日の日本経済新聞「経済1」13版をみると,以下のような記事が掲載されている。

『経済財政諮問会議 公共事業予算見直し』『IT関連などに重点配分』

これは,政府の経済財政諮問会議が18日の会議で「社会資本整備のあり方」について話し合ったら,『国の一般会計予算に占める道路や港湾の予算が,毎年同様な比率になっていることに批判が集中。大深度地下の有効活用や情報技術(IT),光ファイバーなどに重点配分することにより硬直的な公共事業予算を抜本的に見直すことで一致した。』という内容である。つまり,2002年度の予算編成の方向性はこっちだねってことだ。

臨時議員として出席した扇大臣の発言も紹介されている。曰く,
『国際空港や港湾は全国で幾つ必要なのか。現在は各県単位で整備を競っているが,国のグランドデザインが必要だ』だそうである。ここでも,入札・契約適正化法みたいな話をしている(笑)。

一方,その下段には『公共投資削減で財政再建遅れる』『国土交通省が報告書』という記事が載っている。

これは,上の経済財政諮問会議に対して,『「急性な公共事業投資の削減は経済を悪化させ,かえって財政再建を遅らせかねない」とする報告書を提出した。」という内容である。

『公共事業の拡大が巨額の財政赤字を生んだとする批判に反論。今後も計画的に社会資本整備を進める必要があるとの考えを強調した。』

確かに,「急性な公共事業投資の削減は経済を悪化させ,かえって財政再建を遅らせかねない」という意見は正論ではあろう。が,問われているのはその内容と質(つまり効率性)なのだなぁ。ここを国土交通省は,どう国民に納得させるのか(まあ,それが国土交通省の言う「アカンタビリティ」の正体であろうが)が,問題なのだ。

戦後の日本経済を支配してきたケイジアン・パラダイムでは,「急性な公共事業投資の削減は経済を悪化させ,かえって財政再建を遅らせかねない」という文脈で全てを収斂させようとする。しかし,今やそれで納得するのは公共事業における既得権益者意と熱烈なケイジアン意外には存在しないであろう。

ケイジアン的思考によれば,財政にしろ,金融にしろ,弱った経済にガソリンを注入するだけなのであるから,外見は元気が戻ったように見える(ガソリンがどう使われるのかは問題ではない)。また経済の具合が悪くなれば,ガソリンを撒けばいい,それを繰り返しているだけなのである。それが90年代そして2001年も続いている政府の経済対策の正体である。

しかし,一向に景気は「回復」などしていないではないか。これが国民の偽らざる気持ちであろう。
つまり,何かが間違っているのである。誤謬があるのは確かなのだ。

この文脈をもって,扇大臣の言葉ではないが,公共事業のグランドデザインをし,公共事業の目的,存在意義のパラダイム・シフトを国土交通省自身がしえないと,公共工事に携わる建設企業そのものの存在意義さえ疑われる結果になる。

それを成し得ない故に,『経済財政諮問会議 公共事業予算見直し』『IT関連などに重点配分』などという意見がでてくるのだろうし,この意見は広く国民の指示を得る事になってしまうのだろう。

つまり,「急性な公共事業投資の削減は経済を悪化させ,かえって財政再建を遅らせかねない」等という短見的な意見では,かえって,公共工事の立場を悪くするだけである。というのが現時点での私の考えである。

だったら,どうするんだって,いわれれば,予算は確保しながら,本気でCALSをやることだっていうのが私の答えだ。(都合のいい話だと,我ながら思う)(笑)

そして,付け加えるならば,『建設CALSはCALSである。CALSは情報化ではない。CALSは情報技術ではない。CALSは標準ではない。CALSは環境ではない。CALSは電子政府を官と民で作る戦略である。CALSは世界共通である。CALSは全産業共通である。CALSは全行政サービス共通である。CALSは関係者全員がシステムのライフサイクル全体を常考える(LifeCycle-Support),これが循環型社会の創生である。CALSはライフサイクル全体にわたって常に全員改善する(Continuous-Aquisition)。建設CALSはCALS世界で認められなければCALSにならない。』(『電子政府と建設CALS/』増田久之,水田浩,溝口忠顕,香川大学経済学論叢 第73巻 第3号抜刷 2000年12月,P72-73)なのである。



【桃知利男の現場IT化戦略 KEN-Platz 建設現場情報局連載コラム更新】

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ご好評いただいております,KEN-Platz 建設現場情報局での連載コラムが更新されましたのでお知らせします。

今回は,社内標準化における,経営トップの情報化ベクトルの問題と情報化推進チーム,情報化キーマンについての記述です。IT化とは結局,ハードの問題よりも,極めて人間的,組織的な問題に収斂するものです。IT化による効率性とか合理性とは,集計や転記やつまり手作業が自動化されるというなものではありません。
 
それは,デジタルという極めて合理的な媒体を使いこなすための,人間的,組織的な合理性への意識改革活動にその根拠をもつのですが,この意識改革に対する合意形成がうまくいっていない中小建設企業が多いのではないでしょうか。それは兎にも角にも,経営トップの意識変革ができていないところに問題の根源があるというのが私の意見なのです。

この文脈において,問題は経営を取巻く環境環境要因としての発注者の意識なのです。それは,発注者としての政府・自治体の役割・機能そして意識の問題です。

今後数年の間は,平成デフレ不況へのマクロ的な対策として雇用対策,地域振興対策としての公共事業を中心とした財政の発動は不要となることはないででしょう。その意味では地場型中小建設企業の市場は決して収縮はしないかもしれません。それは,平成デフレ不況の根源問題である「資産デフレ」不良債権の完全処理を行えば,強烈な課し渋り,すなわち急速な信用収縮化を伴わざるをえないからです。

しかし,デフレ経済への対応は,マクロ的な対応だけでは不十分であることは言うまでもないのです。それは斉藤誠一郎氏が,『「現代デフレ」の経済学』で述べるように,ミクロ面からの企業のアンチ・デフレーション戦略を必要とします。

つまり,公共事業は何らかの戦略を持って,その受注先にアンチ・デフレーション戦略を課してくるというのが,「経済鉄則」ということであり,地場型中小建設企業は,かつての右肩上がり時代の経営思考からの脱却を要求されるとということです。

それは財政として単純にカネを使えばいいというものではなく,斉藤の言う,デフレ第七鉄則・「競争鉄則」=優勝劣敗の法則を根底とした,(斉藤の別の言葉でいえば)「積極的な対応」ということになると思います。つまり公共事業への市場原理の導入です。

『独創性を生み出すには創造的な企業経営のあり方(クリエイティブ・ウェイ・オブ・ビズネス)を模索することが今後の企業経営者にとって最大の課題になってくるし,これがデフレからの脱却のミクロ戦略の王道なのである。』

独創性・創造性の根源がイノベーション(革新)にあるとすれば,その根源は資本主義の精神に求められることでしょう。

総量としての財政出動を達成できれば,その使われるプロセスはより効率性の高いものである方がよいに決まっているということです。つまり,政策として効率性の高い公共事業を行うということですが,この文脈でCALS化は正当化されるでしょう。問題は,このような政策が果たして今の政府・自治体に可能なのだろうかという問題なのであり,つまりは,政府・自治体自らの改革,つまり行政改革が不可欠だということですなぁ。

と,このあたりを今日の小田原の講演では話すつもりです。

2001/04/18 (水)   
【まもなく180,000170,000HIT】

新発田へ行って帰ってきた。
お昼に,石井@新発田建設さんと,新潟県屈指のラーメン店吉相で,ねぎチャーシュー(こってり)を食べる。
大変な繁盛店で,午後1時過ぎに行ったにかかわらず,行列。

味は,背脂たっぷりの醤油味。私には少し塩辛すぎるが新潟ではこのあたりがネイティブ・モードなのかも知れないなぁなどと思いながら食べた。
麺はやや太めのすこし縮れ,チャーシューはやわらかくとても美味しい。ねぎ,もやしたっぷり。なぜかメンマなし。メンマラーメンというのが別メニューにある。

ところで,まもなく1817万HITなんですね。
18万GETerはメールを下さいな。例によって豪華粗品を準備しております。(って,これから考えるんだけれども)



【デフレ鉄則】

『「現代デフレ」の経済学』,斉藤誠一郎,によるデフレ時代の基本鉄則は以下の7つである。

第一鉄則・「賃金鉄則」=賃下げの法則
第二鉄則・「雇用鉄則」=失業の法則
第三鉄則・「債務鉄則」=借金重圧の法則
第四鉄則・「現金鉄則」=金湯資産増加の法則
第五鉄則・「土地・設備鉄則」=実物資産減価の法則
第六鉄則・「「購買鉄則」=消費・仕入れ先送りの法則
第七鉄則・「競争鉄則」=優勝劣敗の法則

斉藤は,デフレーションの本質を「物価の長期的低下過程」とするが,これは,政府が,従来、デフレの定義を「物価下落を伴った景気後退」としてきたが、今後は、景気の押し下げ効果のある「持続的な物価下落」であれば認定することとしたことと矛盾しない。

個々の鉄則については,少しでも「経済」をかじっている方々にとっては当然のところ(容易な理解)と思われる。
問題は第七鉄則・「競争鉄則」=優勝劣敗の法則だといえるだろうが,これを斉藤は,『デフレ経済における,最も基本的な経済法則で,この鉄則からの回避は窮乏化さらに破綻そして淘汰を意味する。個人生活においても企業経営にとっとも同じだ。』とする。

『パイが増えないデフレのもとで,企業や個人は優勝劣敗の法則に従って,生存競争に駆り立てられる。勝者の条件は「賢い企業」や「賢い消費者」,「賢い労働者」そして「賢い投資家」になるしかない。』

『それには知恵,情報,知識はのを総動員することだ。このことはこれまでのウェイ・オブ・ビジネス(経営のやり方),ウェイ・オブ・ワーク(仕事のやり方),そしてウェイ・オブ・ライフ(生活のやり方)の革新(イノベーション)が不可欠だということを意味する。』

つまり,デフレ経済下での企業戦略やそれに伴うIT化はそれに(イノベーション)に向かうということだなぁ。
問題は,地場向けの公共建設投資にはデフレ圧力がかかっているのかということだろうか。



【まだまだ新潟】

桃知@まだまだ新潟です。
新潟は晴天快晴。東京は今日の夕方は雨らしいですなぁ。

今日は午後から新発田まで。それまではホテルで仕事です。
今日も新潟泊。そして明日は新潟から小田原まで移動です。

『「現代デフレ」の経済学』,斉藤誠一郎,1998年11月4日,PHP新書,を読んでいる。
日本経済の持つ問題が「デフレーション」にあることは,この3月ようやく政府も認めたところであり,その認識前提の上で,ミクロ次元での対策を考えていくことが経営ということになるわけですなぁ。

つまり,デフレとはいかなる経済圧力を企業に課してくるのかについて考えることが必要なわけである。
それは,競争市場とは縁遠いと思われている公共建設市場のおいても必要なことであろう。

なぜなら,『経済学とは個々人の意思や行動を超えた大きな流れにも近い力を個々の企業や個人に作用させることを研究する社会科学である。多くの群像のなかの個人が自分の行きたい方向に動こうとしても,群集全体がある方向に動いていれば,それには個々の人間はほとんど逆らえない。そうした経済の潮流とか経済全体が向かう大きな力の方向を解明するのが経済学であり,それは個々のミクロ次元の経済主体の企業経営者や消費者,労働者などの力を超えた客観的な力なのである。』(P146)である。

例えば,戦後の右肩上がりの時代の「個々の経済主体を超えた経済主体の力を超えた客観的な経済のベクトル(これを斉藤は「経済鉄則」という)とは,「土地神話」であり,「終身効用神話:であり,「銀行不倒神話」であり,「大蔵省誤謬神話」である。

それでは,我々が今直面している「平成デフレ」では,個々の経済主体を超える「経済鉄則」とは何であろうか。
それを考えることことこそ,ミクロ的な経営実践の基本であろう。

なぜなら,経営とは環境変化への適応プロセスなのであり,究極のコア・コンピタンスとは,経営環境変化への適応能力にほかならないからである。

ということで,続きはまたあとで。

2001/04/17 (火)   
【引き続き新潟】

昨日に引き続き,新潟電設業協会さんのイントラネット勉強会。
しかし,会場である新潟ソフトウェアセンターのインターネット接続環境は最低。(T_T)

とにかく,スピードが出ないので,実際に画面操作しながら勉強するという今回の目的は1割も達成できなかった。
ストレスの溜まる会場である。ぷんぷん。(ーー;)

ということで,早々に勉強会は終了。事務局側の設定を終えて,近藤さんと異人池の「トラットリア・ラ・ベントラッチャ」で昼食。イタ飯屋である。

とにかくここは量も多いし,味もよい。
なかなかお洒落な店なので,問題は,女性客とアベックの客が多いことで,男が二人なんていう客は私たちだけであった。

その後,新潟駅まで送ってきていただいて,移動チケットの購入。
19日の小田原行き(新潟から行くんだよ),27日の千歳からの帰りのJAL便のチケットを購入。

途中,駅の中にあるマツモトキヨシで,小物を購入してホテルへ戻る。
これからちょっと休む予定。

2001/04/16 (月)   
【新潟】

新潟電設業協会さんのイントラネット勉強会のため,新潟に来ている。
会場の新潟ソフトウェアセンターの回線は非常に細いので,とても20人が一度にインターネット接続しながら勉強するのはしんどいなぁ。岐阜のドリーム・コアが恋しかった(笑)。

ところで,これは実は17日の朝に書いているのだが,なぜかというと,昨晩は書けなかったから。
なぜ書けなかったのかというと,ずっと新潟のお酒を飲んでいたから。★\(^^;
うぅ。。頭が痛い。

2001/04/15 (日)   
【高山祭り】

昨日は,午後2時12分に高山着。田口さんが駅までむかえに来てくれていた。
ホテルは,関与先である窪田建設さんの関係で取っていただいたカントリーホテル高山

4月初旬にオープンしたてのほやほやである。
ホテルの曾我さんからご挨拶を受ける。

チェックイン後,3時過ぎから,田口さんのご案内で,まずはテディ・ベアー博物館へ。
何故に高山にテディ・ベアーなのかという部分はあるが,それなりに面白い。
さるぼぼベア-を一つ購入。

その後,「やよいそば」で飛騨高山ラーメンを食べる。
高山ラーメンは,チキンラーメンのような縮れ麺と,真っ黒い醤油のスープが特徴。
私は大好きなラーメンの一つである。

ラーメンを食べ,市内をぶらぶらしているころから,天気予報は見事に的中し雨が降り出してしまった。
雨足は益々激しくなるばかり(つまり屋台曳き揃え,夜祭は中止)なので,仕方なくホテルへ戻って,夜の会食に備えることとする。

ホテルで休んでいると,フロントからの電話。
雨も上がりましたので屋台曳き揃え,夜祭は行われることになりましたとの内容。

なんというサービスのよさ。
急遽,田口さんへ電話して,屋台曳き揃えを観に出かけることにした。

田口さんは流石に地元の方だけあって,屋台が何処にあるかを熟知していらっしゃる。
ので,私たちは非常に効率的に屋台の準備作業から,曳き始めまでを数個所の町内で見ることができた。

夜祭は突然の開催が決まったようで,各屋台は準備におおわらわ。
おかげで,滅多に見れない提灯の準備作業から見ることができた次第である。

しかし,高山祭りは,ロマンチック且つ雄大な夢のような祭りである。
秋もまたこようと決心せざるをえないなぁ。

その後,朝日町の魚魚(とと)まで移動し,会食。
富山湾特産のしろ海老を始め,日本海の海の幸が美味しい。飛騨萩原の天領酒造の「飛切り」がすすむ。

ああ,人生は複雑で,雑多で,多種多様で,素晴らしい。

2001/04/14 (土)   
【四日市。。高山】

昨日中にどうしても書かなくてはならない原稿(日刊建設通信新聞の建設論評)があったのだけれども,結局,夜は夜で,私が四日市に来た目的である,「天六」で日本一うまいてんぷらなんぞを食らう(店主戯言2000年5月13日【移動そして食べる】を参照),をやってしまったものだから,帰ってきて,パソコンに向かうも,ワインがかなり効いていて鯨の缶詰ズが9回表にジャイアンツを逆転したのをTVを見ながらいつの間にか気持ちよく眠ってしまった。

目覚めたのは本日午前0時30分。
我に返り,原稿がまだ出来上がっていないことを思い出す。なので,執筆を始める。(おまけに,鯨の缶詰ズは,松井のさよならホームランで玉砕したことをネットのニュースで知る。天国から地獄とはこのことである。)

さて,原稿のお題は「適正化への多元的アプローチ」として書いてみた。
これは,この4月から施行された公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律の「適正化」に対する一元論的アプローチへの批判。2時30分頃脱稿して,メールで飛ばしてみたけれど,まあ,遅いわなぁ。ということでまた寝る。

本日は6時30分起床。
私はこれから飛騨高山まで移動する。勿論目的は春の高山祭り。
問題は今日の高山の天気予報,夕方から雨が降りそうなのである。

2001/04/13 (金)   
【食いつづける】

岐阜から四日市へ移動。
昨年の萬古焼祭り以来だから,約一年ぶりの四日市である。

ちょっと遅い昼ご飯に,これも一年ぶりで,近鉄四日市駅近くの天下一品ラーメンを食べる。
私は,ここの天一が一番口に合うのだ。(天一はチェーン店でありながら,店によってメニューも味も違うというへんなチェーン店なのだ)

天一の麺はストレートでなくてはならない。麺のコシなんかは無い方がよい。
あのスープと一体化させて,糊のようになってこそ天一なのである。

ところで,郡上のうどん星人(笑)よりメールが届く。

おはようございます。桜満開の郡上よりうどんネタに反応あり。

うどん人の私と致しましては、田毎が登場したら一言・・・状態ですね。
田毎のうどんは好きですね。おつゆまで飲んじゃうランク。

美み卯(だったかな?美が先か後か?)の、うどんすきは好きですね。あの赤い重に入ったたった一匹のエビの、なんか虐待っぽいのが好きかも・・・
新大阪の駅で、岐阜に向かって帰る途中に、くたびれた体には、いいカンジですが、家人には受けが悪いです(何故か解らないんですが)。

おじいちゃんが、四国の人なのでトーゼン讃岐うどんが大好きです。あのしこしこつるつるはたまりません。
お手軽な、もちもちの白玉うどんは、我が家では、買ってはいけないものの一つです。

四国のおばちゃんによると、加ト吉(地元観音寺)の冷凍麺がお勧めとのことで、我が家の常備品です。
冷やしてよし・煮てよし・焼いてよしです。夏場でも大活躍、そうめんは絶対に近いくらい食べませんよ。(買ったこともないです)

ミョウガ・ナメコなどのキノコ系の薬味でざるはたまりません。
本場は、もっといいですね。気取ってなくって。法事かなんかないかなぁ・・・
ちなみに、川福がおすすめです。

食べ物ネタその2
先日、焼き鳥のネタありましたけど、建設業協会の割と近くに、たか陣とゆう焼鳥屋さんがあります。
ここの軟骨はなかなか。つくねもいいですよ。ここのすぐ近くに大八とゆうよく雑誌やテレビで紹介されている高級店もありますが、リーズナブルでいいですよ。もし未体験でしたら挑戦してみてください。 
 

私は,こういう方々に支えられて,日夜食いつづけているのである。^^;



【総会】

昨日は午前中から岐阜県建築士事務所協会で仕事。
お昼ご飯は,近くの「たごと」といううどん屋で,カレーまんまをご馳走になる。

向井会長と5月22日と10月26日の滋賀県と愛媛県での予定確認。
午後から,向井会長の車で大垣の建設CALS/EC研修センターまで移動。
そこでSGSの大月さんと合流。

私の仕事といえば,掘所長へ法政大学エクステンション・カレッジでの招聘講師のお願いと確認。
午後5時にセンターを後にする。

さて,問題はその後だ。総会である。
なんの総会かというと,桃知組岐阜支部総会。(笑)

住吉町の「肴や岸」にて,総勢15名が参加して,賑々しく行われた次第。
今回は,金沢からお二人,横浜から一名が新規参加である。飯田からは,トライネットの熊谷社長も来てくれた。

気が置けない方々と過ごす時間はとても楽しい。
至福の時でさえある。

みなさんどうもありがとう。
また,よろしくお願いします。m(__)m

私が岐阜で仕事をするようになって三年。
「石の上にも三年」なのであるなぁ。。。。とつくずくと思う。

・・・・しかし,なんていう文章だ。我ながら嫌になってくる。
・・・・実は頭が痛いのだ。体もだるい。

といっても風邪ではない。
なんか,暫くぶりの二日酔いなのである。★\(@_@)

2001/04/12 (木)   
【桃知利男の現場IT化戦略 KEN-Platz 建設現場情報局連載コラム更新】

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ご好評いただいております,KEN-Platz 建設現場情報局での連載コラムが更新されましたのでお知らせいたします。

今回のお題は「経営トップのリーダーシップ」と「IT化は建設業の味方である」です。経営トップのリーダーシップはもう,当り前の話なのでそれほど触れてはいません。あえて「私は,社員のボトムアップを重視するというきれいごとで,自らの責任逃れをする経営者をたくさん見てきたが,そのような経営者の率いる組織が良い結果を残せた例はめったにない。」と皮肉を込めて書かせていただいた程度です。

今回強調したかったことは「IT化は建設業の味方である」という部分です。それは,「ほとんどの中小建設業は,その経営組織において官僚制的な要素がほとんどなく,経営トップによる意思決定が全てであることが多い。それがむしろIT化には好都合なのである。」と言う部分です。ご一読いただければ幸甚です。

2001/04/11 (水)   
【郡上-大垣,そして岐阜】

郡上で午前中仕事。ちょっと行き詰まる。連休中の仕事は決定か。
お昼ご飯に出前していただいたラーメンが物凄くうまかった。

お昼ご飯を食べた後,タクシーで大垣まで移動。
1時間程度で着いてします。そして,夕方まで会議。

夕飯は大垣市内のブランチ ヒロノヤで。
飛騨牛を工夫して料理してくれる店で,ボリューム,味とも申し分なし。うまいなぁ。

その後,大垣でうだうだ酒飲みをして,岐阜のホテルに着いたのは午後11時。
明日も岐阜で仕事。そして岐阜泊。



【郡上二日目】

今日は5時30分に起床。朝7時に出勤。
宿泊先のホテルで,タクシーを頼んだら,ホテルの系列でもあるタクシー会社は8時からの営業ですとか言われて焦る。が,別のタクシー会社さんにお願いして事なきを得る。

郡上建設業協会の事務員さんに朝7時に事務所の鍵を開けてもらう約束だったので,遅れてはまずいのだが,途中サークルK(東海地方ではお馴染みのコンビニだな。関東には無いかもしれない)に寄って食料を調達し,7時きっかりに協会へ到着。

協会では約束どおり鍵を開けて待ってていただいた。
早速,仕事に取り掛かり,現在はプログラムのダウンロード中。(推定残り時間28分)(笑)

本日は午前中は郡上でしっかりと仕事をして,午後から大垣で会議。
移動はタクシーだなぁ。夜は岐阜泊。

2001/04/10 (火)   
【郡上にて】

郡上にてサーバーの設定に失敗。いらついた時間を過ごす。
そういう私の苦悩にもかかわらず,郡上建設業協会の幹部の皆様は,きちんと勉強会をされていた。

協会事事務所に並ぶ研修用のシステムは,その辺の付け刃的IT研修施設をはるかに凌駕している。
この協会は本当に凄いなぁ。

点を確実に捉えながら,面の展開をしていく。
これも会長のリーダーシップの凄さなのだなぁとつくづく思う。

私は,やけ酒的に鯨飲して,結構壊れています。
明日は午前7時から再チャレンジ。なので早く寝なくては。

ところで,こういう面白い知恵の輪みたいな(↓)メールが届いていたけれども,とりあえず深淵な思考は後回し,私は眠い。

では,えぶばで・ぐんないだ。(^o^)丿

建設現場における建設CALS/ECという部分が、どうもうまく馴染みません。

現場事務所の事務作業的なIT化という点では、ある程度の方向性を示すことが出来ると思います。
しかし、「現場作業(肉体労働)」と「建設CALS/EC」という関係においては明確な提案はされていないように思います。

先日、当社のセミナーにおいてゼネコン勤務の方から「建設CALS/EC」をはじめとする建設業のIT化は、現場の労働力の低下にどのように対応できるのかというような質問がありました。

建設現場の作業というものは机上の理論だけでは到底満たされるものではないと思います。また、建設現場としては労働力不足・高齢化といった部分に対する対応が「建設CALS/EC」をはじめとするIT化で何が出来るのかという部分がいつまで経っても見えてきていないのだと思います。

ある講師の方は「建設業自体がいつまで経っても同じ状況であると考えること自体がおかしい。」というようなことを言っていました。

でも、そんなことを言ってる間はいつまで経っても「建設CALS/EC」なんてものは建設業(現場)には浸透しないのではないかと思います。

IT化が建設業にとって必要であるということや現場作業所からIT化をはじめていこうということは解るんですが、やはり「IT化」や「建設CALS/EC」というキーワードからは、現場労働力の確保という部分には繋がっていかないのでしょうか?

みなさん「ITは道具である」と言いますが、現場作業(机上以外の肉体的部分)については具体的方策を提示できずにいるように思います。

建設業のIT化が発注者や設計者、現場管理者止まりのものとならず、現場作業者にも効果的な側面をもっとPRしたいと思っています。突然長々とした脈絡のない文面を送付しまして申し訳ありません。

IT化(建設CALS/EC)と現場労働力という部分ではももちさんはどのようにお考えですか?
お忙しいところ申し訳ありませんが、参考までに聞かせてもらえるとありがたいと思っています。



【Wake up】

昨晩は,新宿は鳥茂で一献。
ここの出し物は全て毒である。

ほとんどレアのレバー焼きを始め,一皿1000円もするレバ刺も,霜降りの牛刺しも,体にいいわけが無いようなものがテーブルに並ぶ。しかし,えてして体に悪い物は基本にうまいのだからどうしようもない。

つくねは馬鹿みたいにうまい。軟骨は,歯が弱い私にはしんどいけれどきちんとうまいのだ。
なぜか出てきたハラミは,その辺の凡百の焼肉やを軽く凌駕する。

南部鉄瓶に入って出て来くる日本酒は,ほとんど切れは無く,鈍重に重いのだが,脳下垂体を麻痺させるには十分な威力を発揮する。

つまり,私は酔っぱらって帰ってきました。★\(^^;

というところで,今は午前5時。
今日はこれから,郡上へ向けて出発です。

2001/04/09 (月)  ▲ 
【開発主義】

3月17日の今週の読書にも書いた,村上泰亮,『反古典の政治経済学要綱 -来世紀のための覚書-』,1994年8月25日,中央公論社を読み直しながら,『反古典の政治経済学(上,下)』1992年8月25日,中央公論社,を読み始めている。

目的は言うまでもなく村上の言う「開発主義」の徹底的な理解である。その文脈で地場型中小建設業と公共事業を体系化して理解することが今の私にはどうしても必要なのだ。

村上による開発主義の定義はこうである。

『開発主義とは,私有財産制と市場経済(すなわち資本主義))を基本枠組とするが,産業化の達成(すなわち一人当たり生産の持続的成長)を目標とし,それに役立つかぎり,市場に対して長期的視点から政府が介入することも容認するような経済システムである。その場合,議会民主主義に対して何らかの制約(王制・一党独裁・軍部独裁制など)が加えられていることが多い。』(『反古典の政治経済学(下)』,P6。

ここでもう一つ重要なキーワードは「産業化」という概念であり,産業化には政治と経済の相互作用が常につきまとうということなのだが,今回はそれには触れない。

私は,地方の中小建設業は,戦後の開発主義的な経済政策の中で,その基盤をつくってきたという経過を,今の地場中小向けの公共事業の問題をとりあげる場合認識する必要があると考える。

地方への公共事業投資は,国をあげての産業化政策の中で,地方の農村部から都市部へ人口が大量流出する中で,地方の衰退を最低限に止めた(開発による地価の上昇→農家の資産価値の上昇と,兼業農家化→同じ土を扱う仕事としての雇用の確保)いう意味で,配分の機能をきちんと果してきたと言えるだろう。

それは戦後のすべてが貧しい時代には決して誤りではなかったと思うし,地方に対する公共投資は,結果の平等を目指す中では,誤った政策では決して無かったとは思うわけなのだ。

確かに,村上の言うように,生産に連動した形で補助金を与えようとするような配分政策(非新古典派型の政策)は,生産に連動するため資源配分上の歪みを発生させることにる。

『しかし生産と連動することで,農民を生産活動に向かわせる誘因を維持し,防村の生活様式を急激な崩壊から守ることができる。農民は無気力化せず。安定した生活様式の担い手でありつづけ,産業化への少なくとも消極的な支持者でありつづけるだろう。都市に出てきた人々も故郷を心理的基盤とすることができ,その安心感を支えとして,産業化の果実への挑戦を続けることができる。』(『反古典の政治経済学要綱』,P201。)

『しかし,振り返ってみると,もし日本が戦後の高度成長期に,非新古典派型の配分政策すなわち価格維持政策をとらなかったとすると,農村の疲弊が加速し,産業化への不満が倍化し,心理基盤を農村に置くかなりの数の都市住民がそれに呼応して,社会は騒然としていたことだろう。また,価格維持でなく一括補助金型の政策をとったとすると,農業という労働基盤を奪われた農民は,たとえば所得を保障されたとしても,無気力化して産業化から脱落し,農民の生活様式自体が崩壊して,やはり大きな不満層が形成されていただろう。』(『反古典の政治経済学要綱』,P206。)

つまり,公共工事依存型の地場型中小ゼネコンは,間違いなく我が国の戦後開発主義政策の文脈において,農村部への資源の再配分機能として存在を確立してきた。それはあたかも毛細血管のようにである。

問題は,開発主義がその役目を終えたとき,『とりわけ,離農が事実上ほとんど完成した後も,様々の既得権益のため,この政策を日没させることが難しいという問題に直面せざるを得ない。』(『反古典の政治経済学要綱』,P205。)ことであろう。

今の公共事業(特に官公需法に守られた地方向けの公共工事)が直面している(しようとしている)問題とは,このことだと私は捕らえている。そして,開発主義的経済学のアプローチからこの問題を考えてみることに暫く時間をかけることにしたいと思うのだ。

2001/04/08 (日)   
【おいしい関係】

また漫画にはまってしまった。^^;
『おいしい関係』,槙村 さとる, 集英社 である。文庫版で1〜7巻までを一気に読んだっていうか,見た(漫画は読んだでいいんだろうか?)。

なんか前回の『悪女(わる)』といい,今回の『おいしい関係』といい,わたしゃレディ・コミック系立身出世漫画に弱いということを発見して,自分自身あきれ果てている。

はなしの内容は陳腐である。つまらないとさえもいえる。
が,タダひたすら漫画を読むに没頭している無駄な時間が心身をリラックスしているように思えるのだ。

しかし,少女漫画系は本当に虚構の世界だなぁ。
何よりも現実はもっと複雑なのが,漫画を読み終わった後,洗面所の鏡で自分自身をみて,「ぎょ」としてしまうのは,その虚構の世界に少なからずはまり込んでいたせいであろう。

現実逃避だなぁ,こりゃ。



【ふむ3】

日刊建設通信新聞2001年4月9日(月)のトップ記事には,思わずあんぐり。

『国土交通省 市場原理に沿った大規模工事発注方策』
『金融再生に対応した建設業再編促進案』『付保割合,前払い保証料率引上げ』

つまり,こうである。

『国土交通省は6日,金融再生に対応した建設業再編促進(案)をまとめた。市場原理に沿った大規模公共工事の発注方策として,企業の信用力が低い場合に,金銭的履行保証の付保割合(契約金額に対する保証金額の割合)を通常の10%から引上げること。前払保証料率の引き上げを前払保証会社に要請することを検討する。企業の信用力の基準は技術評価でなく財務内容とし,具体的指標じゃ今後つめていく。』

「市場原理に沿った」っていう文脈の解釈は難しいのだけれど,つまりは市場(極端に言えば民意)はそう(企業の信用力が低いか高いかで公共事業受注についての差別を行う)考えているってことなんだろう。

もっと具体的にな,何らかの理由で,市場が「失格の烙印」を押した企業を公共事業市場からオミットしようとする力を導入することだと考える。

しかし,公共工事に市場原理を持ち込もうとしているのが今の国土交通省の方向性ですよと常日頃言っている私でさえ,信用力の無い企業(つまり財務内容が悪い)というメトリックで具体的に公共工事入札時点で区別(差別)する姿勢を出したということには驚きを隠せない。

それは,「市場原理に沿った」というよりも,「市場を操作する力」を持つからだ。

市場が「失格の烙印」を押した企業をどう評価するのかが(つまりメトリックが)明らかでない時点で,このような新聞報道がされることで,「市場」はどう反応するのだろうか。逆説的ではあるが,この「報道」をきっかけに市場による「失格の烙印」押しは本格化するのだろうと思えてしかたがない。

それは市場とは空気,雰囲気以外のなにものでもないからである。
これはフライングなのか英断なのか。

建設通信新聞は,秋山寿徳氏の記名記事で,『緊急経済対策のなかで,企業の信用不安をあおりかねない施策に踏み込んだことは,“技術力重視”による再編促進施策の効果を半減しかねない。』としているが,緊急経済対策自体が,不良債権処理を大前提としている現状を考えるとその論拠は弱いようにも思える。

さらに注目しなくてはならないのは,労働者の流動化促進策の記事である。
これを読むと,ますます国土交通省の政策の方向性が理解できるだろう。

『他産業への入職促進策として,新たな労働需給調整システムも構築する。建設産業団体による求職者バンクシステムを構築し,厚生労働省で稼動している企業間労働需給調整システムと連携させる。業種間での労働異動を促進させ,人材のマッチングをめざす。』

今回の「市場原理に沿った大規模工事発注方策」は大手ゼネコン向けのものだと理解してよいだろうが,この「労働者の流動化促進策」はむしろ中小建設業をターゲットにしたものだと私は考えている。



【なんだかおかしい】

今週の読書である。
『「弱者」とはだれか』,小浜逸郎,1999年8月4日,PHP研究所

この本のプロローグで述べられているところを,私は学生のころに勉強していた。
それは,つまり,なぜ私たちは「なんだかおかしい」と感じたことに対して,それを口に出して言うことをしないのだろうかという問題の考察である。

私たちが,「なんだかおかしい」と感じながらも,それを表明したり追求しない理由を,小浜は三つ挙げる。

1・はっきり口に出して言うのは,はばかられる。
2・言ってみても,変わるはずがない。問題解決の難しさが何となく直感的にわかる。
3・やり過ごしておいても,自分がそんなに損害を被るわけではない。

つまり,私たちは安住してしまっているのである(というよりも,安住していると自らに言い聞かせているのかもしれない)。

向上心を失いその境遇、立場に満足している限り,人々は,その時代の持つ「正しさ」(小浜はこれをイデオロギーとよぶ)の観念に支配されているので,あえてその「正しさ」に対して異を唱えるこちとが非難と孤立を招くことを私たちは知っているのだ。

→分離-不安,古い言葉でいえば村八分か(笑)。

さらに,近代文明社会の原則である「個の自由」に基づく社会は,『多様な欲望の自由』の表出を前提とした社会である。

『そのことを前提とした上で,それらの多様性をいかにコントロールして利害の摩擦をすくなくするかというところに政治的なルールの取り決めや運用の主眼がおかれるわけである。』,P16。

『このことは,反面,「何かおかしい」という感覚をだれかが抱いたとしても,それを政治的な意志にまで一般化しようとしたり,それを実効性のある形で全体に行き渡らせようとしてもなかなか難しいという現実になってあらわれる。』,P16。

そして,大多数の人々が明日食うものに困らず,それぞれが適当に自由を享受することができる社会では『切実さの減少』ゆえに,『思想や言論の価値は希薄な不鮮明なものとなり,別にあってもなくてもどうでもよいものとみなされてしまいやすい。』,P21。

『だれかが,「この考え方はおかしいから,こういうふに考え直そう」とか「ここには社会矛盾が集中して苦しんでいる人がいるから,しゃかいの仕組みをこのように変えてみよう」といった提案をしても,その提案が強力な支持基盤を獲得するということになかなかならないのだ。』,P21。

『その「おかしさ」や「苦しさ」を切実に感じていない人々が,本音のところでは「別にどっちでもいいや」「まあ自分は,今のままでも死ぬわけじゃないから,やる気のある人がやってくれれば」という気分に支配されているからだ。』,P21。

つまり私たちは『空虚な心』を持ちつづけている。そして,現代のような情報過多の社会がそれを後押ししている。どこでどんな事件が起きようが,それが報道され私たちの手元に届いても,当事者で無い限り,『私たちは,それらのテーマを本気で考えようなどとしていないのだ。本気で考える必要性を自分の日々の生の中に感じていないからである。』,P24

それじゃ,どうしたらよいのか。
小浜は,こう言う。

『私たちがある「正しさ」の観念やシステムを何だかおかしいと感じ,その「感じ」を何らかの解決にまでもたらしたいと思うならば,なぜおかしいと感じるのかをつきつめると同時に,その「正しさ」の観念がなぜ根拠をもつのかも客観的に捉え直してみなくてはならない。奇妙な表現になるが,虚偽を支える真実といったものをきちんと洗い出す必要があるのだ。』,P16。

2001/04/07 (土)   
【ふむ2】

朝の新幹線で蕨へ戻る。蕨は暖かいなぁ。

4月5日に書いた【2001年版日本産業地図】なんて読んだら,こいつ(つまり私のことだ)は中小建設業に対しては,甚だ危険な思想の持ち主なのではないかと思われても仕方がない。

今回の私の発言は,地場の中小建設業の皆さんの無関心さに対する危機感の表出である。

つまり,『「技術や経営に優れた企業が生き残る」ことを目標にするのであれば,その選択を市場に任せるべきである。規制や保護を行うのではなく,完全自由化の阻害となっている官公需法撤廃などを行うことの方がベターである。』(大谷洋司,週刊エコノミスト4・16臨時増刊『2001年版日本産業地図』の「ゼネコン」編)のような意見が,決して少数派の意見ではなく,今や多く世論の共感を得るに至っていることを無視しようとしてている(若しくはそのようにしか見えない)現状への危機意識なのだ。

規制撤廃(官公需法の撤廃)をしたら,間違いなく地場の中小ゼネコンの多くは消えてしまうだろう。
建設CALS/ECに代表される市場原理重視の公共事業政策は,官公需法の市場とはトレードオフの関係にしか存在し得ない。

でも,そういうことに対して,地場中小ゼネコンは日光の三猿よろしく,見ざる,聞かざる,言わざるを通していらっしゃるのが実情であろう。

例えば,私がお邪魔している地方では,地域のGNPの4割が公共工事に頼っているというところもある。
そこで仕事をしていらっしゃる方々の生活もある。確かに,建設業は毛細血管のように地場に張りめぐらされているという実情も理解している。

しかしだ,多分この風潮(公共建設市場の市場化)は加速度は付きこそすれ,弱まることは無い。(このあたりの根拠はアメリカリズムとかグローバリズムとか,それの推進エンジンとしてのIT革命とかね,わたしがここでぐちゃぐちゃ思考の遊びをしている題材そのものなのだが)。

それは,自らの市場変化であり,最優先の取り組み課題であるはずである。
しかし変化(の兆候)に対して今まで通りの横並び的対応しか思い浮かばない方々のイマジネーションを私は疑わざるを得ないのだ。

多分,答えが分からないから何もしない。
どうしたらいいのか分からないから何もしないのであろう。

確かに,公共事業依存型の地場の中小建設業の問題は発注者としての政府・自治体の問題ではある。
政府,自治体は今までの工業化への開発主義的パラダイムからの脱工業化のパラダイム転換に時間がかかりすぎているきらいもある。

しかし,時代は確実に変化していく。

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。(中略)朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。』(方丈記)である。

2001/04/06 (金)   
【ふむ】

昨日夜の新幹線で郡山へ移動。お見舞い。
郡山の駅前も整備事業が終わってだいぶ綺麗にはなったようだ。

西武デパートが撤退した跡のビルは,なにかテナントが決まったのか,改修工事中であった。
デパートが撤退すると,抜けたままの建物が廃墟のように残されるか,建物が取り壊されてしまって,跡地が歯抜け状態になってしまうことが多いので,こういうのはよいことなんだろうなぁとは思う。

しかし,全国何処へいっても代わり映えのしない風景なのだ。
特に新幹線のある街は,大きいか小さいかの違いしかない。

確かに,そこに住む人々が便利になって文化的な生活をおくれるという目標は,戦後の開発主義的な公共投資を軸に達成されてきたのだろう。そして,確かに我々は豊かにはなった。

しかし,我々が今抱えている閉塞感というのは,豊かになった後のビジョン無きゆえではないだろうかと,最近つくづく思うのだ。駅前やロードサイドの店舗をみる度にね。

結局,私の思考はそんなところの興味で溢れかえっている。
机上の論理が何になるのかと言われればそれまでかもしれないが。

2001/04/05 (木)   
【2001年版日本産業地図】

週刊エコノミスト4・16臨時増刊『2001年版日本産業地図』の「ゼネコン」編のお題はこうである。
『押し寄せる淘汰の波 競争原理が導入されれば大乱必至』

書いているのは,クレディ・スイス・ファースト・ボストン証券,ヴァイスプレジデントの大谷洋司氏であるが,ここにかかれている指摘はまったく正しいし,中小建設業にとっては耳の痛い指摘でもある。

それは,「中小ゼネコン擁護が自由競争を阻害」しているとう意見である。
大谷は,アナリストらしく,建設セクターの労働分配率が上昇しつづけているところに注目をする。

労働分配率→生産性の低下。この比率は高ければ高いほど「ヒト」による仕事が多いことを示す。「ヒト」の力で仕事をする部分が他業界に比べて大きい場合、たいていは生産性があまりよくないという評価をする事になる。

この建設セクターの労働配分率の高さの原因を,大谷は『地場中小ゼネコンの影響であろうと考えている』とする。
つまり,上場ゼネコンに限って言えば『上場ゼネコンは従業員数を減少させ,販売管理費を削減してきている。確かに,付加価値の減少に比べれば,少ないかもしれないが,統計の数字が示すほどではないはずだ。』

『では,統計が示す労働配分率の上昇(生産性の低下)はどこから生まれてきているのであろうか?』

『それは,地場中小ゼネコンの影響であろうと考えている。強いて言えば,政府の方針であったとも言えるであろう。なぜなら,官公需法により地場中小ゼネコンに優先発注することや無理にJVを組ませることは,すべて建設業の労働生産性を低めることにほかならないからだ。』

『公共事業投資を雇用創出のために活用することを主眼に置いている現状では,生産性が向上する可能性は低い。換言すれば,公共投資を雇用創出の目的にするのであれば,生産性は向上してはならない。生み出した付加価値を多くの雇用者で分けることが重要だからだ。』

ここからの指摘は私が展開している,公共工事の二重性,つまり,官公需法的「地場経済の活性化と雇用の確保」という主義の存在と,国土交通省のいう「技術や経営に優れた企業が生き残る」ことを目標とした「建設産業再編促進案」との矛盾である。

つまり,『その目標は至極当然のことであると思うが,その意味で矛盾を感じる。なぜなら,「技術や経営に優れた企業が生き残る」ということは,すべてではないが,多くの地場中小ゼネコンが生き残れないことを意味している。』

しかし,一方で,地場中小ゼネコンは官公需法に保護されている。
私はCALSの持つ「競争性」から,建設CALS/ECと官公需法はトレードオフの関係にあるとしているが,それは大谷の指摘のところと同義である。

そして,大谷の答えはこうである。
『「技術や経営に優れた企業が生き残る」ことを目標にするのであれば,その選択を市場に任せるべきである。規制や保護を行うのではなく,完全自由化の阻害となっている官公需法撤廃などを行うことの方がベターである。』

このような考え方が,この国の現在の趨勢であることを地場型中小ゼネコンは肝に銘じなければならない。
おそらく,IT革命やグローバリズムは,公共事業市場を自由と自己責任で決まる市場に変革をしていくことだろう。
→これが私のいう「建設CALS/ECとはIT革命による公共工事システムの変革作業である」にほかならない。
→だから,私は,建設CALS/ECを理解するには,その根本部分である経済システムの変革やIT革命の本質部分でもある「アメリカリズム」を理解しなくてはならないといっているわけだ。

それは,大谷が言うように,『完全自由化になれば,大手ゼネコンが有利となるであろうが,常に勝つとは限らないのである。事実,地域密着型である住宅建設を行う地場工務店は生き残っているし,大手スーパーや百貨店の進出があっても,影響を受けない小売店がある。』という部分に対する,地場型中小ゼネコンの今後の経営戦略を考える最初の(まったく基本的な部分としての)理解なのである。

この文脈に自社のIT化は存在するのだが,そんなことも理解せず(しようとせず),官公需法に頼り切った経営戦略(そういうのを戦略と呼ぶのは問題があるとは思うが)しか持てない企業が生き残れるほど,日本の経済システムが堕落してしまっているとすれば,公共投資そのものが大幅に減少せざるを得ない状況を招くだろう。
つまり,この国の経済システムの破綻とともに,公共工事依存の建設会社はだれも生き残れない結果を生み出すということだ。

正しく社会資本整備を目的とした公共工事が存続できるためにも,「中小ゼネコン擁護が自由競争を阻害」している現状をどこかで打破する必要があるだろう。マスコミや田中長野県知事が言うような,公共工事=大手ゼネコンの図式は既に古いパラダイムだと理解すべきなのである。問題は,もっと身近な足元にあるのである。このあたりを理解しないと,脱ダム宣言のような不毛な論議を繰り返すだけになるだろう。



【桃知利男の現場IT化戦略 KEN-Platz 建設現場情報局連載コラム更新】

■更新されたページ
  URL http://info.nikkeibp.co.jp/genba/hightech/010404.html

■建設現場情報局トップ
  URL http://info.nikkeibp.co.jp/genba/index-kenplatz.html

ご好評いただいております,KEN-Platz 建設現場情報局での連載コラムが更新されましたのでお知らせいたします。

今回のお題は「合意形成」です。
社内IT化推進にともなう合意形成部分の難しさについての話です。これは,私自身がサラリーマンとして組織に属していたときも感じていたましたし,現在この仕事をしていて,つくづく感じるところでもあります。

総論賛成各論反対的な社風における社内合意形成の難しさゆえに,IT化は進展しないのであり,うまく機能しないのです。IT化の取り組み成功には,社内の合意形成が大きな鍵を握っているのですが,実はこれが非常に難しいのです。トップダウンだけでも無理だし,ボトムアップだけでも機能したりはしないのです。

それは,人は誰しもがそうであるように,今,自分が置かれている環境や条件が変化することを好まないし,ましてや既得権を放棄する勇気をもってはいないからだといえるかもしれません。

私はこのあたりでIT化を語れる方々とはなしをするのが好きです。
それは,経営に対する真摯な姿勢がそこに見て取れるからです。

それに対して(これは実際にメールでいただいたご意見例ですが)こんなのもあります。

「会社には秘密がたくさんあるのだからオープンなネットワークなんてナンセンスだ」
「社長が呼べば部長はすぐ飛んでくるんだからメールなんていらない」
「投資を押さえてじっとしてれば他の業者がつぶれる。それまでのしんぼうだ。イントラネットなんかに投資しないほうが良い」

私の個人的な想いでは,このような会社が沢山あることを喜ばしく思っています(逆説的ですが)。
それは,私の関与先の会社さんが益々強くなれる可能性が大きいということですのでね。(笑)



【法政大学エクステンション・カレッジからのお知らせ】

先にお知らせしておりました,法政大学エクステンション・カレッジでの講座開設に伴うオピニオン記事が公開されていますのでお知らせいたします。

お題は「IT革命による公共事業システム変革と中小建設業経営戦略序論」です。お読みいただき,このあたりに興味をお持ちの皆様が是非に受講されることをお待ちしております。

■私の講座のオピニオン記事
  URL http://www.hosei-ec.org/lecturer-opinion/momoti-1.htm

■私の講座は(↓)
  URL http://www.hosei-ec.org/lecture/010522.html


■法政大学エクステンション・カレッジ専用ポータルサイト
 URL http://www.hosei-ec.org
 サイトからの受講申し込みも可能です。

資料請求・お問い合わせ 
 法政大学エクステンション・カレッジ(略称:HELP)
 TEL:03-5261-5104
 FAX:03-5261-5106
 e-mail: mailto:help@hosei.ac.jp



【昨晩と今日】

昨日,バスは少し遅れて新宿着。その後,家人と四ツ谷で待ち合わせして,上智大学付近で花見を兼ねて散歩。
花は最後の見頃とあって,ウィークディにもかかわらず結構な人手ではある。

その後,最近すっかりいきつけになった「後楽寿司」で晩飯。
調子の乗って,冷酒を結構飲んだ。

結構,グダグダになりながらタクシーで帰宅。
その後,爆睡。

本日は5時起床。
今日は自宅で仕事。夜には移動予定。

2001/04/04 (水)   
【In a Bus】

桃知@飯田から帰りの伊那バス(いなばす=In a Bus)です。
昨晩は,熊谷@トライネット社長と,主税町の上海楼飯店で,中華そばで酒を飲んだ。

飯田の中華そば(飯田ラーメンというジャンル分けができると思う)は,麺はストレート。比較的やわらかめで量が多い。スープも見た目はあっさりしているのだが,口にしてみると意外と濃厚でおいしい醤油味である。

ラーメンを肴に酒を飲むというのは,意外といけるのである(できれば作業服とかジーンズとか,できるだけ活動的な格好で食べるのが好ましい。昨晩の熊谷氏はスーツにネクタイであった。わたしゃジーンズに開襟シャツにツイードのジャケット)。

しかし,決して上品なものではないので,お嬢ちゃん,お坊ちゃんは好んで真似をしないように。

その後,古時計で北沢@北沢建設社長も交えて,ワインを飲んで,もう一軒寄り道して(どこかは教えない),そろそろ帰えりましょうかと思ったら地震があった。

結構大きな揺れで,また広島か?と思いきや,ホテルへ戻ってTVで確認したら,今回は静岡とのこと。

今朝は7時起床。比較的ゆっくりとおきたわけだけれど,メールのチェックと返信だけで2時間費やす。
シャワーを浴びて,9時30分頃に遅い朝ご飯を食べに食堂へいったら,流石に私しか食べている人間はいなかった。

10時から~北沢建設さんでシステムメンテナンス。
対スパム対策。最近スパムがとても多いと感じているが,皆さんのところはどうであろうか。

お昼を北沢社長と一緒に食べて,来月暫くぶりの勉強会を行うことにした。
反復的な勉強会は意外と効果があるし,大事なこと。

さて,バスは順調にいけば午後5時15分には新宿着予定。
今日は晩飯は,四ツ谷に寄って食べていく予定。

2001/04/03 (火)   
【飯田着】

駒ケ根でお昼ご飯。
羽場@窪田建設さんに連れて行ってもらったのは,なぜかバングラデッシュのカレー屋さん。つまりベンガル・カレーね。

焼きカレーと言うのを食べた。まあ,ドリヤみたいなもんだな。
結構おいしかった。

その後,飯田線で飯田まで移動。
今はシルクホテルにチェックインしたところ。

飯田は,めちゃくちゃ寒いですよ。
わたしゃ,暖かい格好できたので,結構つらいです。風邪引きそう。

ところで,(↓)の非常識女(笑)の処分ですけれど,優しくメモを渡すことにとどめた。
「思考の迷惑なので,次の電話からはデッキでお願いします」と。

車内で私が凄むと,結構しゃれにならないですからね。

そしたら,ムッとして,後はタヌキ寝入りしておったぞ。
あやまることもできない公認会計士か。くだらん。



【嫌いなタイプ】

うるさいなぁ。さっきから。
桃知@あずさである。

グリーン車に乗ると時々勘違いしているヤツにお目にかかれるのだが,今も,堂々と仕事の内容を携帯電話で話しているやつがそばにいる。

今,私の後ろにいる女がそうだ。外務省とか,韓国とか,会社の名前から部下の名前まで,わたしゃ全部覚えているぞ。
危機管理能力は限りなくゼロだな。私が上司だったら即刻クビだ。

たぶん仕事のできるキャリアウーマンを気取っているのだろうが,自分の部下にああしろ,こおしろと命令口調で話している。
報告書の書き方が悪いとかね。(ああ,この会社はいまだに紙ベースなんだ(笑))

そんなことはぁ,たまたま同席した我々には全然関係無いことだし,なにか,土足で私的スペースにオフィスを持ち込まれたようで,極めて不快なのである。

そんなことよりも,車内では携帯電話は使わないというのが,今や一般常識であることをこの女は知っているのだろか。

多分,知ってはいるのだろうが,どこかに「私は特別なのよ」というのがあるんだろう。
そういうのがミエミエなんだなぁ,この女ときたら。浅はかでさえある。

そういう常識のない上司に,ああしろ,こうしろと言われている部下も可愛そうだだけれども,こういう常識のないやつの近くに座った私はもっとかわいそうである。

今度電話でしゃべったらとっちめてやるつもり。
>公認会計士(笑)



【取り急ぎ】

今日はこれから,長野県駒ケ根市へ移動。
朝方から急な仕事が入ってしまい予定していた「あずさ3号」をキャンセル。

夕方には飯田へ移動。飯田泊。
なので,この戯言は「あずさ」でまた書くつもり。

2001/04/02 (月)  
【はひ へほ】

今日は,「はひ へほ」状態である。
つまり”ふ”抜け。ふぬけ。←午後に再放送されている「お水の花道」を見ていたら出てきたネタ。^^;

今日はひたすらに,「日本一おいしい ラスクフランス」を食べていた。
これは本当においしい。ラスクってこんなにうまいのかと思ってしまう。

山形県山形市蔵王の麦工房さんというところのものなのだが,先月ある方からいただいて食べたら,非常においしかったのでネットで注文してみたもの。実においしい。

プレーン(砂糖)とガーリック味があって,お茶請のお供にはプレーン,お酒のお供にはガーリックってところだろうか。

『おいしい水と住んだ空気,そしてたっぷりのありが糖』
ああ,しあわせ。



【先週の読書】

桃知@今日はお休み。
今日は雑用だけで仕事は一切しないつもり。^^;

昨日,和歌山から帰ると,BOLに頼んでいた『悪女(わる)』が届いていた。
それで,11巻から19巻までを一気読みしていたら,結局F1の放送が終わってしまった。^^; 
そんなものだから,今週の読書を書くのを忘れていた次第。

しかし,『悪女』の10巻は在庫切れだそうで,現在取り寄せ中。
こないとなると,やたらその内容が気になる。

さて,先週の読書。
『<対話>のない社会 -思いやりと優しさが圧殺するもの-』,中島義道,1997年11月4日,PHP研究所

私が自らの仕事を通じて訴えていることとは,デジタル・コミュニケ-ジョンの必要性である。
そして,その目指すところは中島のいう<対話>に他ならない。

中島は言う,『<対話>とは自分の人生を背負って語ること』だと。

『みずから生きている現実から離れた客観的な使用法はまったく<対話>ではない。<対話>とは各個人が自分固有の実感・体験・信条・価値観に基づいてなにごとかを語ることである。』

『わが祖国は数々の美点を備えていると私は思う。しかし,どうしても嫌いなところがある。それは,「言葉を尊重しない」文化とでも言えようか。』

『学生たちは私語をまき散らし,それでいて何を聞かれても押し黙っている。上に立つ物は,因習的・定型的・非個性的な言葉しか発しない。みんな言葉の「裏」を読むことに汲々とし,言葉で真剣勝負せず,腹を探り合い,自分の言葉に責任を取らない。』

『集団で平然とルールを破り,しかもいかなる不正を目撃しても注意することをしない。<対話>はどこにも見当たらず,朝から晩まで,コウしてはいけません・アアしてはいけませんという定型バカ放送が街中ガナリたて,街角にはコウしましょう・アアしましょうという管理アホ標語が林立している。こうした祖国の一面が私はひどく不快である。』

そして,こう言う。『「思いやり」が<対話>をつぶす』と。

中島によれば(竹内靖雄の言葉を借りて),「思いやり」は「相手に立場,感情を想像して攻撃抑制的な態度をとること」で(純粋に働くこともあるのだが)ほとんどの場合「利己主義の変形」として機能してしまうとする。

そして,これはもう一つの美徳である「勇気」とは合致しない。
『勇気の無い人も容易に実行できるような「思いやり」が,われわれにとっての「思いやり」なのである。』

 →無条件の「思いやり」には「勇気」が伴う。

『この国では「他人を傷つけず自分も傷つかない」ことこそ,あらゆる行為を支配する「公理」である。したがって,われわれ日本人は他人から注意されると,その注意の内容がたとえ正しいとしても,注意されたそのことを激しく嫌う。その他人は私を傷つけたからであり,「思いやり」を書いたからであり,日本的行為論の「公理」に反する暴挙に出たからである。』

私にとっても耳の痛い指摘である。

2001/04/01 (日)   
【和歌山から帰る】

和歌山駅を7時48分に出て,日根野で乗り換えて関空へ。
切符を手配していなかったので,早めに行ってみた。10時発のJAS便をGET。

関空10時発のJAS便は,水平尾翼のところにエンジンがついている小さなやつ(MD-87か81)。
私はこの機体が大好きで,後部の窓側の座席(非常口座席)を要望。希望どおりGET。

この機体の後部座席(エンジンの隣だな)に座ると,離陸時のエンジン音と振動とGがたまらなくいいののである。暴力的でさえもある。今日も期待通りの凄まじさ。(笑)

この非常口座席は,離着陸時はアテンダントさんとお見合いで座れるという特典が付くが,じろじろと見るわけにもいかず,本でも読んでるふりしてチラリと見るしかないところが,小心者の悲しさか。

今日は昨日と違って,天候もよく,飛行中富士山もきれいに見えた。
羽田からの帰り道,途中東京駅で降りて,久々に京橋の美々卯まで「うどんすき」を食べにいく。

京橋交差点にあるさくら銀行の看板が三井住友銀行になっていた。
その三井住友銀行の前に日の丸自動車の6輪の観光バス(ネオプラン)が2台止まっていた。

美々卯で観光客が昼飯かなぁと思ったら案の定そうであった。それも外人さんばかりが二階のテーブル席でうどんを食べていた。壮観である。

美々卯で「うどんすき」をビール1本と越之寒梅一合を頂きながら食べた。酔い覚ましに,天気もよいので銀座を歩いてみた。おだやかなよい日曜日で,人出も多い。

途中,木村屋であんぱんを購入して,タクシーで蕨へ戻る。

momo
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