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店主戯言050802 2005/8/16 〜2005/8/31 "There goes talkin' MOMO"


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IT化を通して建設業に貢献する
考える技術を伝える
2005/08/31 (水)  
【8月の終わりに】

午前6時起床
 浅草は くもり

8月の終わりに
 雷おこしの製作体験をしてきました
 
 mixiメンバーの方は(↓)のフォトアルバムをご覧ください
 http://mixi.jp/view_album.pl?id=125320

我が家の隣は 雷5656会館ということもあり
 灯台下暗しとはよく言ったものです
 どうでもよかった雷おこしも

自分でつくってみることで
 これはじつに奥深いものであることを知ります

雷神様の好物だなんて 知らなかったし(笑)
 できたての まだ温かい雷おこしの
 さくさくとした歯ざわりも 知ることはなかったでしょう

そう 明日は9月1日
 2005年9月1日(木) 桃熊会  『考えるIT化〜工作の時間』です

体験してみて はじめてわかることも あるわけです (笑)

8月の終わりに
 空に POCARISWEATの文字を見ました
 ポカリスエット スカイメッセージ

11時過ぎ 西の空に
 それから 東南から南西にかけて 三連発

上空の風が強かったのでしょうか
 このデジタル記号は

浮かび上がっては ただ消えてゆく シャボン玉
 刹那的な文字でした

カーッと照る太陽の下で
 汗をしたらせ ポカリスエットを飲もう とは思えませんでした

過ぎ行く 夏の刹那を象徴するように
 ただ消えてしまいました

8月の終わりに
 橋本治を読みました

ちゃんと話すための敬語の本

橋本治(著)

2005年1月25日
筑摩書房

714円(税込)







敬語には「距離感」があります
 人と人との間には 「距離」があります

コミュニケーションは その距離をはかりながら
 その距離を埋めようとするものです

そもそもその「距離」があることを理解できないのなら
 敬語は使われません

その距離を一跨ぎにしようとするなら
 敬語は使われません

距離とは つまり 多様性であり
 ちがいの理解です

敬語とは ことばである前に
 その距離感を察知できる能力であるのでしょう

2005/08/30 (火)  
【ちょとした違い】

午前7時30分起床
 浅草は 晴れ

24日に開業した つくばエクスプレスに乗ってみました
  
午後2時35分発
 浅草駅は 人であふれ
 車両も 東京から つくばへ向かう人々で一杯でした

たぶん わたしのような
  ただ乗ってみたかった方が多かったようです

しかし つくばへ着いても なにもすることがないのはたしかで
 わたしは 駅前の西武の書籍売り場で 本を購入し

珈琲を飲みながら クリームあんみつを食べ
 読書の時間を 楽しみました
  
しかし あんみつの添え物?
 赤と緑の「ふにゃふにゃ」はなんでしょう

けして おいしいものではありませんが
 ないと寂しい でも なくともどうでもよいような 不思議な存在感です

さて そのとき読んでいたのが この本です
 偶然に 書架でみつけたものであり
 柳田邦男さんの著作は (恥ずかしながら)初めて読ませていただきましたが

『見えないものを見る力というものを、今ほど求められている時代は、かつてなかったと思う。』
 という問題意識と思考は とても興味深いものです

壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別

柳田邦男(著)

2005年3月30日
新潮社

1470円(税込)







表題が 『壊れる日本人』―ケータイ・ネット依存症への告別―ですから
 これがたぶん  IT化批判の書であろうことは簡単に予想がつくかと思います

柳田先生は 携帯・インターネットへの依存が
 効率主義に支配された現代社会の最も象徴的な現象と指摘し
 日本人に悪影響を及ぼしている と言います

それは 別役実氏が言われる
 近景と遠景を媒介するはずの中景が抜けてしまって
 近景と遠景がネットワークを通じていきなり接続される という指摘と
 同じような響きをもっています

たしかに IT化批判の書としての 体を成しています

柳田先生は
 「ノーケイタイ・ノーインターネットデー」を作れといいます

わたしは
 「ITを使って 毎日自分のことを自分のことばで書く」を実行していますし
 それを 推奨さえしています

その意味では 柳田先生は IT化推進論者のわたしとは
 意見を異にしているように思えますが

この『壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別』という本は
 ただその一点をのぞいては 『桃論』そのものなのです

柳田先生は ―ケータイ・ネット依存症―を
 「効率主義の支配」の 「象徴」として扱い
 効率主義批判の立場で IT化を批判していますが

それは わたしのIT化論が 合理化と効率化というIT化を批判した上で
 IT化に 「考える」というスパイスをふりかける
 「考えるIT化」であることと 同じ問題意識の線上にあります

さらには 柳田先生は
 日本は元来 黒か白かの二者択一でなく
 中間の曖昧な領域を許容する文化であったことを指摘しており

そして今こそ 曖昧ゆえに豊かだった
 日本文化を甦らせるべきと訴えているように
 その上「ナショナリズムとは郷土愛」だというように

つまり これは 「種の論理」(勿論このことばは使われていませんが)であることで
 社会を認識する基本的な ものの見方は わたしとは同じものなのです

では なぜ柳田先生が IT嫌いであり
 わたしが  IT化推進論者(ただし考えるIT化ですが)なのかといえば

柳田先生は 「ゲーム脳」説を支持しているのに対して
 わたしは 「ゲーム脳」説を批判している立場だ ということです

しかし 柳田先生が 引用されている
 小此木啓吾氏の著作(『「ケータイ・ネット人間」の精神分析』)は読んでいませんので
 その著作を読んでから この違いについては再び考えてみたいと思います

浅草に戻り
 久しぶりに まるごと北海道でジンギスカンを食べました
 
一階のテーブル席は 満席状態で
 わたしがいた間も 客は面白いように 回転していました

この店ができたとき 正直 いつまでもつのかな と思ったのですが
 まだまだ ジンギスカンブームなのか
 それとも ジンギスカンが 焼肉の定番として根付いたのか
 まるごと北海道 浅草国際通り店は 好調のようです 

2005/08/29 (月)  
【マイブーム 短歌】

午前8時起床
 浅草は 晴れ

最近 短歌が マイブームになっています
 笹公人の 『念力図鑑』がきっかけでした


念力図鑑

笹公人(著)

2005年7月25日
幻冬舎

1260円







笹公人さんの短歌には
 軽々とした跳躍感を感じます

 自転車で八百屋の棚に突っ込んだあの夏の日は 緑まみれの
 目をこすり何度見たって船長の方のオウムは死んでいるずら
 ラーメンの湯気の中にはいつだってシャワーを浴びるメーテルがいた

これらは近景と遠景の直結のようなもので
 イメージとことばが直結されています

若い人たちの創出システムの典型をみることができると思います
 それは「オタク的才能」とわたしが呼ぶもので
 「反転と3分の1切断」です

しかし この軽やかさは
 わたしがあれこれ思索を繰り返して乗り越えようとするものを
 ひょいと一跨ぎしそうな そんな脱力感と跳躍力をもった力です
 その可能性を わたしは否定したくはないのです
 (昨日も 同じようなフレーズを使いました)(笑)

一方 ネット上で こんな短歌をみつけました

 廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て  (東直子)

東直子さんと小林久美子さんの
 「直久」という サイトに掲載されていたものですが
 ここにあるのは 笹とは対極的な 一点に張り詰められた緊張感です

その緊張感は
 「来て」という ことばに集中しています

廃村を告げる記事 その新聞(?)の上で桃の皮をむいている
 桃の皮が 新聞紙に落ち 活字をにじませていく日常

その何事もないかのような情景に
 何事でもない日常であると同時に
 その日常が なにものもの意味を持たないような
 強烈な「さみしさ」が わきあがってきます

そして 遠くにいる 誰かに向かって発する 「来て」

この「来て」 という「ことば」にある集中力は
 「反転と2分の1×2」モデルのものです

短歌って 凄いなぁと思います

ところで わたしの作品は…
 まだ ありません (笑)

2005/08/28 (日)  
【今朝も目覚める】

午前8時起床
 浅草は くもり
 あいかわらずの二日酔いです

昨晩は mixiのコミュニティのオフがあり
 若い人たちと一緒に 過ぎ行く夏の夜を楽しみました

その中のわたしは ずば抜けて 年寄りです
 でも 彼らと一緒にいるのは じつにたのしいのです

こうして 外に向かう 若い人たちは
 その身体に 力があります

それは わたしが あれこれ思索を通して乗り越えようとするものを
 ひょいと一跨ぎしそうな そんな軽やかさと
 跳躍力をもった力です

その力に 少しでも ふれることは 年寄り的楽しみです
 その力を感じていると
 郵政の民営化なんてどうでもいい と思います

問題は こういう若い力が その可能性を
 存分に 発揮できる
 そんな 国でなければならない ということです

とかいいながら
 酔っ払って帰宅し TVをONのまま寝てしまいました
 
そのTVから
 朝方 ジミ・ヘンドリックスのギター
 「星条旗〜」が流れていて 例のウッドストックのアレだな なんて

夢うつつでそれを それを聞きながら
 DOB君が 融解していくのを見ました
  
その瞬間に 狂喜しながら
 そこから また深く眠ってしまいました

 ああ 「二重螺旋反転」 買っておけばよかった

エアコンを 目覚めてから消しました
 喉が痛いです 

2005/08/27 (土)  
【盛岡から帰る】

午前6時起床
 盛岡は はれ

飲みすぎて あまたのいたい朝です
 今朝は 7:30発のはやて2号で 帰ろうと思うのです

これから帰り支度をします
 続きな 浅草に戻ってから書きたいと思います


ということで 10時50分に浅草に戻りました
 7時30分発の はやて2号は  上野を通過してしまうので
 7時53分発に乗りました

浅草は 湿っぽい空気に満ちたくもり
 今日は サンバカーニバルです

昨日のお昼は 向井田さんと 下川原さんと一緒に
 お気に入りの 盛楼閣の冷麺大盛でした
 写真

その後岩手建協さんへ
 感謝状をいただきました
 写真

夕方 懇親会
 鈴徳さんで 刺身を肴に 飲んで語りました
 写真

その後もう一軒経由して 盛楼閣へ
 銀河高原ビール
 写真
タン塩
写真
   〆は またしても 冷麺(こんどは普通)
 写真
盛楼閣の冷麺 大好きです

2005/08/26 (金)  
【今日は盛岡へ】

午前3時起床
 浅草は 雨
 台風11号は 東京湾にいます

こいつは でんでんむしみたいな台風で
 そののろさが
 今日 盛岡行きを予定している わたしには とても恨めしいのです

上野駅 10:02発 「はやて9号」を予約していますが
 さて どうなることやら (笑)

ウィークタイズな友人より メールをいただきました

 お久しぶりです。四国の○○です。
 もう少しで1000000カウントですね。
 最初のころとレイアウトも変わり、先生の
 PPTの中身もだいぶ変わって来てますし、
 時代の流れ(社会、企業)もかなり変わったように思います。
 
 あのころ、10年先、業界はどう変わるんだろうと
 思ってましたが、今までの長い歴史の中で
 変わったほうでしょうね。
 あとはこれからどうなるか興味あります。

 いつまでもお元気で、200万、300万目指してください。

ありがとうございます

たしかに「変わる」という事実は
 人間社会の理解においては 疑いようもなく

わたし自身の 一番の変化は
 「わかりやすい」 から 「わかりにくい」
 への変化だと 自覚しています
 (なぜ そうなのかは 文末にちょっとだけ触れます)

「公共事業という産業」も 変わってきました

今 「公共事業という産業」におきている変化は
 正のフィードバック
 もしくはS時波の突破段階と説明できるでしょうが

しかしそれが 自己否定的変態というよりは
 外部圧力によるものであり 常に受動的な変化であることで

まるで 「突然の災害」のように
 迷惑なものと感じられることでしょうし
 自らの力では どうしようもない「環境」として感じられているのだと思います
 
この外部圧力が ネットワークを結び付けている力よりも強ければ
 「公共事業という産業」の 円環(クラスター)は
 外部からの力を 吸収できず 崩壊してしまいます

このとき わたしを救ってくれる「誰か」が
 民意と称して 生まれてきたりするものですが

誰もが考えないことで生まれる そんなものにすがっても
 破滅だけが待っているのは
 ファシズムの歴史が示していることです

しかしこの変化は今にはじまったことではありません

わたしは 5年ほど前に
 「もう間に合わないかもしれない」と書きました

しかし そんなわたしの焦燥感とは裏腹に
 一部の極端な自治体の公共建設政策を除けば
 その外部圧力は 比較的ゆるやかなもので あったため

多くの「公共事業という産業の構成員」は
 その圧力に 気づいていなかったのだと思います
 (ソフトランデングという中の「慢心しきったお坊ちゃん」)

しかし それはS時波的変化の前触れ
 突破段階の兆候だったと考えたほうがよさそうです

突破の段階は すでに始まっています
 それはいまさら わたしが指摘する必要も無いでしょう

「公共事業という産業の構成員」は
 肌で感じている 変化であり 事実でしょう

その総仕上げのはじまりが
 今回の選挙になるのかもしれません

しかし  その外部圧力が 人為的なものであり
 無意識を素手でつかまれるような気持ち悪さを孕んでいることで
 わたしは まだまだ 抵抗をあきらめてはいないのです

『私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない。』(オルテガ・イ・ガセット)

そして 「環境」と「私の生の可能性」のために
 「考えるIT化」を 構築しています

それは 圧力への直球勝負ではなく
 圧力をうけても そのエネルギーを外に逃がすものであることで
 わかりにくいのです

それが 今は 「反転と2分の1×2」モデルとなっています

2005年9月1日(木) 桃熊会  『考えるIT化〜工作の時間』
2005年9月6日(火) 東京独演会  『考えるIT化〜工作の時間(その1)』

2005/08/25 (木)  
【尾道から戻る】

午前5時起床
 尾道は 晴れ

今朝は 台風の影響を考慮し
 福山発6時48分の
 のぞみ42号で帰路につき
 自宅には 午前11時過ぎに戻れました

写真人影まばらな 早朝の尾道駅のホーム
 かがやきはじめて まもない光をみていました

この光はどこかでみたなと
 たぶん 昨晩うろついていた 夜の小路
 写真

昨晩の〆は
 中華風お食事処 クラウンで
 ラーメンを食べました
写真
 写真



しかし 問題は 中華風の 「風」なのです
 なになに風って
 つまりは「なんちゃって」なのだと思いますが

たしかに 日本の中華料理は
 正確には 中華料理ではなく
 中華料理風なのでしょうから
 この表記は とても「正直」なのかもしれません

だんだん 尾道ラーメンにはまってきました
 魚くさいのが 好きです(笑)

2005/08/24 (水)  
【今日は尾道へ】

午前6時起床
 浅草は くもり

さて 当サイトの 一お連カウンターですが
 100万の大台に近づいてまいりました

今年から 「ももち どっと こむ」は mixiにも 支店をおいてあり
 本店である当サイトのアクセス数は
 mixiの足あと分だけ ちゃんと減ってはいます

それでも 本店は本店なわけで
 毎日 たくさんの皆様に アクセスいただいております
 変わらぬご愛顧 深く感謝申し上げます

mixiは 会員制のSNSです
 参加希望があれば わたしから招待状をお出しすることも可能です)

さて 恒例の切番祭りは
 100万の記念すべきお祭りですので
 なにか記憶に残るような景品を 準備したいと思います

今回は 前後賞も含めて
 3名の方に 景品を準備したいと思いますので
 お楽しみに!

さて オープンセミナーのご案内
 2005年9月1日(木) 桃熊会  『考えるIT化〜工作の時間』を掲示しました

開催まで時間がないのですが
 なんとか 沢山の皆様に おいでいただければと思います

今回は ネットワークにおける
  メビウスの輪の「ひねり」についてのおはなしです

閉じた円環の欠点は
 兎にも角にも 外部とつながらないことにあります

社内IT化は 閉じたネットワークを構築しますが
 そこに 内部への視点・意識しかないなら
 そのネットワークは 閉じた円環とならざるを得ないでしょう

その島嶼的欠点は
 私たちの稼ぎの原点は 社外にある
 という 商売の原点を忘れてしまうことです

今回の セミナーでは
 現場のIT化の基本中の基本

外とつががる ネットワークのあり方について
 そして「ひねり」の正体である
 「考える技術」について
 モデリングを行いながら 詳しくご説明したいと思います

ということで 今日は これから 尾道まで移動いたします
 話題の広島六区ですが
 選挙関係でいくのではありません(笑)

東京駅 8:13発の のぞみ 9号で 出発です
 ちょととだけ 忙しい朝です ^^;

2005/08/23 (火)  
【原稿草稿】

午前4時30分起床
 浅草は くもり

今朝は 本日〆切の原稿を仕上げていました
 とても短いものなのですが 短いものほど じつは難しいのです

この原稿の最初のかたちは
 20日の【慢心しきったお坊ちゃん】にあります

今朝は この日記から 原稿への展開を行っていましたので
 その途中経過を載せておきます

この途中経過 かなり かたちにはなってきていますが
 問題は このままでは字数をオーバーしていることです
 あと65文字ほど減らさなくてならないのですが
 これが 一番難しいことなのですね


 地域を支えてきた「公共事業という産業」が崩壊の危機を迎えている今、スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットの警鐘に耳を傾けてみることは無駄ではないだろう。

 『私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない』

 「私」とは第一に「私の生(ライフ)」であり、第二に自我としての「私」である。そして「環境」とは「私の生」の可能性のすべてである。しかし「私の生」の可能性が、あたかも当然にあるもの(自然)として感じられるのなら、それが人間の努力によって構築され維持されていることを忘れてしまう。つまり、「私」が、自らをとりまく社会というシステム(環境)を、あたりまえのものと感じ、それを享受することが当然の権利であると思うとき、「私」は考えることをやめてしまい、自由であるはずの「私」は、思考の自由を失い、常に未来に向けられて開かれているはずのエネルギッシュな生を失ってしまう、とオルテガはいうのだ。

 私たちが今ある「環境」とは、先人たちがとても長い時間をかけて作り出したものだ。日本は、第二次大戦の崩壊的な敗北から、飛躍的な経済・技術面での大国化と裕福化をなしえた。例外というべき半世紀以上におよぶ平和の享受もえた。それは構築するのに大変な努力を要した途方もない文明であり、そこには「非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる発明と構築」がある(オルテガ)。オルテガは、このことを忘れた(つまり考えることをやめた)「大衆」を「慢心しきったお坊ちゃん」と呼ぶのだ。それは、先人たちがつくりあげた快適で安全な文明の単なる「遺産相続人」なのである。

 そして「今という時代」(インターネット社会)とはなによりも豊かな時代であり、市民社会がかつてないほどに政治的な力を持った時代である。と同時に、地域という土地的な制約をもった「種」的文化が意味を失い、大都市型の文明の可能性が極限までに強調されている時代でもある。そこでは個人も社会も「慢心しきったお坊ちゃん」になりきり、新自由主義的な空気が充満している。そこにナイーブな公共事業批判は生まれているのではないだろうか。

 公共のサービス、公共の交通、公共の病院、公共の学校、それらと一体となって構築されてきた地域社会、そしてそれに裏付けされるように繁栄する大都市、こうしたことはすべて、構築するのに大変な努力が要ったまったく途方もないものなのに、それらが当然にあるものとして感じられるとき、それが構築された意味を、それが「非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる発明と構築」であることを忘れてしまっているのだ。
 
 しかし翻って我が身を見るとき、「慢心しきったお坊ちゃん」は、「公共事業という産業」(発注者、受注者)にもあったのではないだろうか。私たちが、公共事業をすることの単なる「遺産相続人」であるとき、思考はとまってはいなかっただろうか。「今という時代」に思考をやめることで「公共事業という産業」は「存在する」意味を失ってしまってはいなかっただろうか。

 「公共事業という産業」が、「私と私の環境」を省みずただ受身であるだけでは、エネルギッシュな生は生まれない。私たちは「私と私の環境」を思考し、地域と公共事業には、「非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる発明と構築」があることを自ら理解し、そのことを主張できるだけの思考と努力をやめてはならないのである。

2005/08/22 (月)  
【ビンゴゲームの景品】

午前7時起床
 浅草は くもり
 湿度の高い朝です

一昨日の夏の宴
 恒例の ビンゴゲームでの収穫です
 
  
東北建設の熊谷さん 作成の
 ももちゃんフィギャです

毎回 工夫を凝らしていただいて 楽しみなのですが
 もう 名人の領域ですね

遊びのスパイスも ばっちりと効いています
 
今回は 三体ご提供いただいたのですが
 我が家では 二体ゲットでした

そしてもうひとつ
 
日立建機の森下さんご提供
 HITACHI ZAXIS200 1/40モデルです

重機マニア 垂涎の的です
 じつは ふたつ いただいてしまいました(すいません)
 
いくつになっても
 こういうものを ながめているときは
 幸せな時間なのです

2005/08/21 (日)  
【御礼】

午前9時起床
 浅草は 晴れ

今年の暑気払いも無事終了いたしました

ご参加いただいた皆様
 ビンゴの景品をご提供いただいた皆様

そして 大阪からの特別ゲスト
 笑福亭遊喬さんご夫妻

いつも 我々を受け入れてくれる
 浅草の街に 感謝申し上げます

今朝は 3時ごろ迄 飲んでいました
 嘘のような でも リアルな時間でした
 とても短くて 刹那的な時間でした

そしてまた それぞれが
 みずからのテリトリーへ戻ります

さて今日のわたしの 脳みその状態は最悪で
 二日酔いのまま 一日が過ぎてしまいました

なによりも胃の調子が よくないのですが
 まあ このゆるさは 嫌いではありません

また明日から
 しっかりと生きられる そんなゆるさです  

2005/08/20 (土)  
【慢心しきったお坊ちゃん】

午前6時起床
 浅草は 晴れ

駒大苫小牧は 今年も快進撃ですね
 今日の決勝戦も いい試合を期待しております

さて 彼らが戦っているころ
 わたしのところは
 暑気払い第一部「演芸会」の時間の真っ最中です

この不景気の最中
 このわけのわからない選挙戦の最中
 そして このくそ暑い中

浅草に集い
  なんだかわからないけれども考えますか…

という 脱力しながらも 無意味に前向きな
 そんな 「演芸会」なのです

わたしは 考えることを あきらめない方が 好きです

考えることとは
 それは 「環境」を考えることであり
 「私」を考えることです

「私は 私と私の環境である
 そしてもしこの環境を救わないなら 私をも救えない」
(オルテガ・イ・ガセット)

大衆の反逆

オルテガ・イ・ガセット(著)
神吉敬三(訳)

1995年6月7日
筑摩書房


924円(税込)





今の社会 というシステム(環境)が
 まるで自然のように あたりまえにあり

私たちは 当然のようにそれを 享受するものだ
 と それを権利のように 感じ始めたときから
 私たちの思考は とまってしまいます

私たちが今ある「環境」は
 先人たちが とても長い時間をかけて作り出したものです

「構築するのに大変な努力が要ったまったく途方もない文明」(ブルデュー)であり

「非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる発明と構築がある」(オルテガ)
 のだと思います 

オルテガは
 それを忘れた「大衆」は
 「慢心しきったお坊ちゃん」でしかない といいます

先人たちが つくりあげた文明は
 何よりも快適であり 安全です

しかし 私たちがその快適な文明の
 単なる「遺産相続人」となったとき

すべての思考は とまってしまうのです

面倒な説明は省きますが
 ここに ナイーブな 公共事業批判は生まれます

公共のサービス 公共の交通 公共の病院 公共の学校など

こうしたことはすべて
 「構築するのに大変な努力が要ったまったく途方もない文明」なのに

それを 忘れてしまったところから
 思考の停止は 始まります

しかし ことを 厄介にしているのは
 その 「慢心しきったお坊ちゃん」が
 「公共事業という産業」にも ある(あった)ということです

「公共事業という産業」を支配した思考が
 ナイーブな公共事業批判と同根であることで

「公共事業という産業」が
 考えない 「慢心しきったお坊ちゃん」であることを
 「環境」は許してはくれないのです

しかし 長く「慢心しきったお坊ちゃん」であったことで
 多くの方々は
 どうやって「考える」のかを
 忘れてしまっているのだと思うのです

2005/08/19 (金)  
【ほりえもん】

午前7時起床(8時間 爆睡しました)
 登別はくもり

今日の宿は 登別温泉です
 今ほど 温泉をゆっくりとたのしんでまいりました

今日は 浅草に帰るだけですから
 朝食はゆっくりといただくつもりです

ライブドアの堀江貴文社長が出馬する方向で
 それも広島6区からの立候補を希望している
 というニュースが流れています

なるほどなぁ この手があるか と思いました
 たしかに 堀江さんは 新自由主義者なのでしょうし

その意味では
 今の小泉さんと表面的な違和感はないと思いますから
 立候補したいのであれば
 立候補すればよいのだ と思います

堀江さんは 三十代を代表する
 ニュー・リーダー(へんなことば) だといわれていますが
 リーダーなのか といえば そうではないでしょう

皆さんは 堀江さんのような 三十代を
 何人ご存知でしょうか

小泉改革で ほりえもんが 生まれたというのは
 一理あるかもしれません

しかし 小泉改革で
 ほりえもん はいったいなんにん生まれたのでしょうか

みんな「ほりえもん」のようになったのでしょうか
 そうではないのだろう と思います

わたしは 堀江さんは
 同世代に対する アジテーターだと理解しています

いつも 扇動しようとしているのです
 君らも うごけ といいつづけているのだと思います

しかし 現実は ほりえもんになれない
 なれなかった方の方が 圧倒的に多いのです

この現実を見るのが 政治だと思います

2005/08/18 (木)  
【多様性】

午前3時起床
 浅草は 真っ暗

今日は 室蘭建設業協会さまへおじゃまいたします
 ANA 055 東京(羽田)(0900) - 札幌(千歳)(1035)のフライトです

今朝は 早朝から 20日の暑気払いの準備をしていましたが
 きりのいいところで終えて
 出発の準備をしたいと思います

写真は ままかり の刺身です
 先日 尾道におうかがいしたときに いただきました

写真は たこのうすづくりです
 昨晩 清司にて いただきました

毎日 毎日 いろんなものを食べられることは幸せです
 いろいろなものが あることで

食の彩りも豊かになり
 また 日々の生活も楽しくなります

いくら冷し中華が好きだからといって
 毎日三食 冷し中華だったら 食べたくなくなります

日本人は米だ! といっても
 たまには パンも 麺も食べます

食に限らず 多様さは 豊かさなのだと思います
 多様な生物の棲む自然は豊かです

思想の多様性は
 その国の 文化の豊かさ 多様性につながるものだと思います

思考する自由 それが自由です
 その自由を抑圧するものは
 どんなものでも 気持ちがわるいのです

それが「考えるIT化」の基本姿勢ですし
 わたしの知っている自民党は
 その多様性を持ち合わせていたと思うのです

2005/08/17 (水)  
【わかりにくい】

午前6時起床
 浅草は はれ

昨日
 「わかりにくい表現で、自己満足な形表現が多すぎる、
  改善するべきである」
 というご指摘をいただきました

ありがとうございます
 「わかりにくい表現」
 まさにそのとおりだと思います

特に ビジネスおける わかりにくさは
 致命的だと思います

わたしも 一応商売人ではありますので
 わかりにくさは
 わたしの抱えている課題だと 理解しております

テクストでの表現の未熟さは
 わたし自身も認めているところです

わたしは ウェブログ(日記)を書き始めて 8年目になりました
 40歳から初めています

それまでは 日記は書いたことはありませんでしたし
 テクストを書くことにも無縁の生活をしていました

そんなもので 文章のセンスは ありませんし
 語彙も持ち合わせていません
 ウイットに富んだ しゃれた文章も書けません

ただ 可能な限り 毎日 気合を入れて書こうとしていますし
 (心の中にあるものを含めた)自分のことを
 実直に書こうとしています

昨日の 戯言も 前日の夜から書き始めています
 元々は 法大ECの講義での
 パロール(はなし言葉)であったものを テクスト化しています

朝方 今の形の3倍ぐらいあった テキストを
 可能な限り減らしていきました

こんな 馬鹿みたいな作業をしていますが
 今 わたしが 「考える技術」の 基底にしているものが
 とにかく わかりにくいものなのです

それを なんとか 分かりやすくしようとする努力を続けていますが
 (たとえば 講演における「工作の時間」など)
 わたしの能力不足は いかんともしがたいのが現状なのです

そんな わたしの行為に
 おつきあいいただいている皆様には 深く 感謝申し上げます
 日記書き冥利につきます


さて 本年度の 法政大学エクステンションカレッジも
 8月5日の第7回講座をもって無事終了いたしました
 講義資料は 以下からダウンロード もしくは閲覧可能となっておりますので
 ご利用ください

※ 各講座の資料は、→ http://briefcase.yahoo.co.jp/pinkhip へ移動しました。「法大EC2005」フォルダです。2005/12/08 更新。

また各回の反省は 店主戯言の以下のページにてご覧ください

第1回講座(5月14日) 
 http://www.momoti.com/myself/self050502.htm#050516
 http://www.momoti.com/myself/self050502.htm#050517
第2回講座(5月28日) 
 http://www.momoti.com/myself/self050502.htm#050530
第3回講座(6月11日) 
 http://www.momoti.com/myself/self050601.htm#050612
第4回講座(6月25日) 
 http://www.momoti.com/myself/self050602.htm#050626
 http://www.momoti.com/myself/self050602.htm#050627
 http://www.momoti.com/myself/self050602.htm#050628
 http://www.momoti.com/myself/self050602.htm#050629
 http://www.momoti.com/myself/self050602.htm#050630
 http://www.momoti.com/myself/self050701.htm#050701
第5回講座(7月9日)
 http://www.momoti.com/myself/self050701.htm#050710
 http://www.momoti.com/myself/self050701.htm#050711
 http://www.momoti.com/myself/self050701.htm#050712
第6回講座(7月23日)
 http://www.momoti.com/myself/self050702.htm#050724
 http://www.momoti.com/myself/self050702.htm#050725
第7回講座(8月5日)  
 【今頃 法大EC最終回の反省 ^^;】

2005/08/16 (火)  
【今頃 法大EC最終回の反省 ^^;】

午前6時机上
 浅草は くもり 時々雨が降っています

昨晩 なにげにテレビのスイッチを入れたら
 例によって 今回の選挙について 喧々諤々……

その中で 猪瀬直樹さんが こんな発言をされていましいた

ベルリンの壁の崩壊から15年遅れて
 日本はようやく
 郵政民営化に:賛成 = 構造改革推進派 = 小さな政府
 という 選挙ができる
 日本は 西欧から 15年遅れて いる
 小さな政府を実現しなくてはならない

それは 大きくなりすぎた「官」つまり「公」の領域に対する
 批判的な意見だと理解しています

「官」 「公」の領域の問題は
 開発主義の終焉の問題であり
 わたしも 変化を 否定するものではありません

しかし 日本は 西欧から 15年遅れて いる
 という 猪瀬さんの背景にある思考は

一神教的(一の魔力)と結合した
 「剥き出しの経済力に施された新自由主義的な粉飾」(ブルデュー)だな
 と感じました

それに対して 福岡政行さんは
 聖徳太子の「和を持って貴しとなす」を持ち出しておられました

それは そもそも <一>の原理をもたない日本人に
 剥き出しの経済力に施された新自由主義の圧力がかかることの
 問題をいっているように理解しました

聖徳太子を持ち出したことが
 よかったのか悪かったのかは わかりませんが

福岡さんがいうのは 交換の原理がものをいう
 <一>の原理とは 違う
 「贈与の原理」の働く
 <多>の原理の 存在なのだと思います

たぶんそれは バイロジックに通ずるものであり
 多様性を認める思考であることで
 わたしは 福岡さんの意見に 共感を持ちましたが

しかし この類の議論は
 テレビにはむかないのでしょうね

深い議論はないまま 番組は終わってしまいました


さて 8月5日の法大EC最終回のPPTを ようやくまとめました
 http://www.momoti.com/HELP0507.zip

※ 各講座の資料は、→ http://briefcase.yahoo.co.jp/pinkhip へ移動しました。「法大EC2005」フォルダです。2005/12/08 更新。

今回の法大ECの目的は
 「考える技術」をみにつけていただくことでした

それは わたしが「狡兎三窟」的思考と呼んでいるもので
 経済的活動においては
 贈与と交換の二つの原理の バイロジックです

その理解は ちょっと厄介だったと思いますし
 その理解が 不十分であれば
 その責任は 無論 わたしにあります
 
しかし それはたとえば 猪瀬直樹氏が言うような
  「剥き出しの経済力に施された新自由主義的な粉飾」的思考とは
 一線を画すものであり

そのようなナイーブな言説に対抗できる
 日本語を使って思考する 日本人としての
 「考える技術」なのだと考えています

そのまとめは 「まくら」的に また 実例的に(?)
 ギャル文字についての考察からはじめました(笑)

ギャル文字の例
 
 原文: おつかれさまです
 ちょっと:ぉ⊃かれさま?〃す
 そこそこ:ぉ⊃ヵゝれ±ま?〃す
 とことん:ぉ⊃ヵゝяё±ма?〃£

(ギャル文字変換: http://mizz.lolipop.jp/galmoji/ による)

わたしは これは ことばによる虚勢の
 不十分さによるものではないのか と考えました

それは単純には
 日本語教育(つまりは「教育」)の機能不全
 とでもいえるようなものです

ことばによる虚勢の不完全さとは
 象徴界の不完全な発達 (中景の喪失)であり
 反省の機能を失うことです

文字は単なる象形となり
 それはデコードされ データベース化され

そして そのデータベースの エンコード
 シミュラークルとして表出してきたもの
 それが  ギャル文字ではないのでしょうか

しかしこのことは
 もっと深遠な問題を孕んでいると考えています

それは ギャル文字のもつ
 親愛の情とでもよべるものを孕む性質です

虚勢の不十分さは
 欲望の芽生えも 不完全にせざるをえないでしょうから

そこでは
 倫理も 自由も 自主自律も
 生み出せないでいるのではないか と考えています

そこにあるのは 鏡像段階にあった「私」の
 おっぱいを飲みながら うんことおしっこ垂れ流しの
 幸せな「私」の記憶の残滓であることで

しかし  そこには 「私」と一体化した 母もいなければ
 虚勢する父もいない ことで

ただ つながる 鏡像を探し続けています
 そこでは
 欲望―欲動が生まれていないのだと思います

そこにあるのは ただ 「つながりたい」という
 動物的な 欲求なのではないのでしょうか

というのが わたしの ギャル文字への考察でした

 

つまり 問題は ギャル文字が生まれていることの理由を
 単純に ケータイや インターネットの普及に
 求められるものではない ということです

それを表出させた 別の理由があるのだ と考えています

つまり 今 おきていることは
 別役実氏のいう
 近景と遠景を媒介するはずの「中景」が抜けてしまって
 近景と遠景がネットワークを通じていきなり接続される という
 理解でいいのだと思いますが

しかし その原因を 単純に
 ケータイやインターネットの普及に求めてはならない ということです

問題は中景が喪失してしまったことの 本質的な原因です

それを 簡単にいってしまえば
 無邪気かつ 無意識に 「強くあれ」とあおる
 新自由主義の空気(マーケット市場主義)ではないのか
 と考えているのが わたしの立場です

その空気を
 精一杯吸って 生きねばならない 彼女たちが見つけた
 つながりの場は

多様性と 自主自律の基体である 種(中景)ではなく
 インターネットだった というのは当然のことだと思います
 そこに鏡像を見ているのではないでしょうか

しかし そこには多様性と 自主自律は希薄です
 新自由主義の空気は 画一化の力です

ですから みずからを  抽象化し 画一化して
 しまいがちになります
 そして 永遠に繰り返される 自分探し

しかし つながりたいという 残滓だけが 一人歩きしながら
 <一>の魔力に 自己を失う

その同一化は 表裏として差別を見ることになります
 <一>の魔力は 白黒思考の圧力です

内と外 仲間と仲間以外 といういうような 差別が生まれます
 そして それは 被差別者に対する
 攻撃性を いつも孕んでいます

ここに 別役実氏の指摘する問題は あるように思えます
 つまり 中景の喪失とは 多様性に対する
 寛容な精神の喪失であると同時に

自主自律的な「個」の喪失であり
 その自主自律的な「個」の活動の場である
 <多>の原理の喪失でもあるのだと思います

この文脈において
 地域(<多>の原理としての種)とともにある
  「公共工事という産業」は
 その活動の基体と 存在理由を 失ってしまっているのだと思います

わたしは 自らの IT化の課題として
 自主自律的な「個」の活動のあり方を考えてきました
 そして その活動の場である 「種」について考えてきました

自主自律的な「個」は  「私」が「私」に向かって
 「自由であれ」と命令する「個」であり

「他者を手段(自然)としてのみならず
 同時に目的(自由)として扱え」と命令する「個」です

たとえばそれは 田邉元の 「種の論理」における「個」の概念や
 ライプニッツ的「個」を想定したものであることで

わたしは バイロジック的な「考える技術」として
 「反転と2分の1切断×2」モデルを提示し

IT化による 中景の再構築を提案し
 その実践をいってきました

つまり 「動き出せ! えぶりばでぃ!」です

しかし その実践は <一>の魔力によって
 とても難しくなっていることも事実です

その支配下では 「個」も「類」も
 抽象化され 自己の喪失に陥ってしまいます
 そして 自主自律的な「個」の活動の場(種=中景)を失ってしまいます

わたしはあえて
 「動き出せ! えぶりばでぃ!」といい続けていますが

しかし ニートの文脈は
 この命令を 自らにできないことなのですから
 ことは単純ではありません

つまり 今のわたしのIT化の課題は
 このような <一>の原理が支配的な環境において

「私」が「私」に向かって
 「自由であれ」と命令することの原動力はなにかなのでしょうが
 それが なにかは わかるはずもありません

ただ みずから 悪党的な生き方を選択してきた わたしは
 自分の欲望に忠実であれ ということだけは
 実践してきた ということができる だけなのです
  インデックス

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