「ももち どっと こむ」より

還暦祝い!平成30年9月15日(土)桃組「小さな勉強会」と「暑気払い」のご案内。山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)。

2018年08月01日|イベント



Lesson1 本書の立場(1)―金魚論

金魚論と本書の立場

本書は地場型中小建設業のIT化について書かかれたものです。本書では地場型中小建設業という言葉を、公共工事依存のローカル色の強い中小建設業という意味で用いますが、本書がIT化の対象として想定している中小建設業とはこの地場型中小建設業のことです。

この明確な定義や、はたしてこの実数がどのぐらいのものなのかなどといった議論の必要はありません。直接公共事業を元請受注できる方々なのか、それとも二次三次下請や専門工事業、さらには建設関連業までを含めるのかは、時間を割くに値するような議論ではありません。それは読者の皆様がそれぞれに考えて決めればよいことです。当社もそうだと思うかもしれませんし、当社は違うと感じてもいいのです。そんなことよりも、

 〈この国ではたくさんの方々が公共工事に関係しながら暮らしている〉

という認識が大切なのです。

この業界をめぐる問題は、「中小建設業はまるで水槽の金魚のようなものだ」という比喩で表現できるでしょう。水槽の中の金魚は野生の魚のように自ら餌をみつけようとすることはありません。いつも天上(水面の上)から降ってくる餌をじっとまっているだけです。

今日ありつける餌があるのかないのか、多いのか少ないのかは、自らの意志の及ぶところではありません。せいぜいできることといえば、ご主人様(餌を与えてくれる人)に嫌われないように時々なにかしらのご機嫌伺いをすることぐらいです。それから、同居しているほかの金魚に嫌われない、いじめられないというのも大事なことでしょう。餌をめぐる余計な争いはなるべくならしたくはないものです。

傍目からみれば、なんともお気楽な世界で暮らしているように思われますが、しかし、これは恐ろしい物語と同居していることでもあるのです。つまり、「餌はいつまで続くのだろう」という不安が首をもたげてきた時、だれもが疑わなかったこの世界の永遠性は静かに崩壊をはじめるのです。

この「中小建設業は金魚だ」という比喩は、「公共工事は悪だ」と考えている方々には賞賛されるものかもしれません。

「世の中飼い慣らされた金魚ばかりだから餌がたくさん必要になって国の財布はすっからかん、その上借金までしなくちゃならない」

そう思っている方々は意外に多いものです。そして挙句の果てに「建設業はもっと自助自立しなきゃいけない」とかなんとかいいだすのでしょうが、残念ながら本書はこのような方々が喜ぶようなIT化論ではありあません。本書は、そのような「自助自立」信奉に立った底の浅い議論こそが問題なのだ、という立場で中小建設業のIT化を考えるものです。ですから、本書は明らかに中小建設業を応援する立場にあることを最初から明らかにしておきましょう。

本書は、中小建設業は「政策的に生み出された産業でしかない」という見解に立っています。この立場は明らかに「金魚論」を反映しています。そして、この立場は「金魚論」が抱える閉塞の問題(これを「公共工事という問題」と呼びます)の解決方法を考えるアプローチに影響を与えています。

それは、第一に「マーケット・ソリューション」と呼ばれる、それこそ何でも市場で洗濯(選択)してしまうのが大好きな方々のそれとは明らかに違った方法で中小建設業の抱える問題の解決方法を考えようということです。それどころか、その対極に位置するなんでもかんでも権威に頼ろうとしている方々、権威の介在ですべてを解決しようという「ヒエラルキー・ソリューション」の動きにも疑問を呈します。そして挙句の果てにこういってしまうのです。

 〈経済学が生み出した既存の問題解決方法では中小建設業が救われることはない〉

 本書は、「今という時代」に「中小建設業は地場の重要な産業だ」と最初からいい切ってしまいます。しかし、これは必ずしも「公共工事はなにがなんでも必要なのだ」ということを意味してはいませんし、既存の中小建設業や公共工事のあり方を単純に擁護しているわけでもありません。

本書は、中小建設業が地域社会との関係の中で自らの居場所を再編集できる枠組みを、IT化を通して見つけることが可能なのかを考えてみようとするだけのものです。そういう意味では、最初からなにかに偏っているのではないのか、という指摘があるかもしれませんが、その指摘に対する私からの答えは「そうかもしれない」です。

本書の立場は、「中小建設業とは中小建設業と中小建設業の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら中小建設業をも救えない」というようなものです。(※「私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない」という、オルテガ・イ・ガセットの言葉を借用)。

つまり、中小建設業は自らを取り囲む環境が生み出した存在なであり、そうであれば、その環境を救うことでしか中小建設業は救われない、というところから出発するものです。ただし、環境を救うことが、単なる既得権益の擁護を意味するものではないことは、本書を読み進めていくうちに理解することになるでしょう。

本書は「中小建設業のIT化」について書かれたものですが、と同時にとても私的な経験を基にしてIT化を考えているものです。それは、「IT化ってなに」という問いへどう答えるのかを、私がインターネットを実際に使うことによって得た経験をベースとして考えているということです。

そういう意味では、本書は、個人的な経験の自己解釈とその体系化をおこなったものだということができるでしょう。これに対する批判はいくらでも考えられますが、そもそも、私たちは、日々の経験から多くのことを学習し、その学習の中から人生を送る上での知識や知恵を体得して生活しているものでしかありません。そう考えることができれば、私の経験則は、私だけではなく、この本を読んでくださる皆さんとっても何がしかの参考になれるかもしれないと考えるのです。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2007年08月02日 23:36: Newer : Older


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