ハードルはいらない。

たまにはこういうのもいいだろうと、ねえさん日記の「ハードル」にTBします。

夢や希望に対する障害を、ハードルとかというような比喩を用いて表現してしまうと、追随するのが、飛び越えるとか破るという動詞になってしまい、それは多大な運動量を必要とするイメージがあって、年寄りにはなにか最初からつらいわけです。

私は、飛び越えることも破ることも体力的にはつらいので、まずひねります――キアスムですね――。つまりひねるという動詞を先にもってきてしまいます。そうすると、この動詞には、壁もハードルもありません。壁やハードルをひねってどうしましょう。(笑)

ひねりにあるのは現在と交叉点と将来だけです。神話のアルゴリズムが機能していれば、その交叉点を中心に状況が反転します。その交叉点にいるのは(外部要因=環境)もありますが、それさえも孕んだ「」であることで希望も夢も生まれます。そしてひねりのエンジンは、年寄り的したたかさ(笑)なのだと思っています。