民主党の全販売農家への所得保障制度は「負の所得税」ではないのか?

農業政策

自民党と民主党は大して変わらない、というのが私の基本的な理解だが、先の参議院選挙で、自民党と民主党の最大の政策的な違いは、農業政策にあった、といっていだろう。

自民党は大規模農業促進政策を打ち出し、それは官主導の産業政策でしかないことで、農業関係者の支持を失った。(贈与から見放された公共事業という産業。公共事業と得票数―2007年8月5日 テレビ朝日 サンデープロジェクト。

一方、民主党は、全販売農家への所得保障制度を打ち出し、これがある程度の支持を受けた、と考えていいだろう。

全販売農家への所得保障制度

問題は、この全販売農家への所得保障制度って、なんなのだろうか、とうことなのだ。(民主党のサイトにも詳細な説明を見つけられなかった)。

ネット上にある批判的な意見では、これを称して、「ばらまき」とか、古い自民党への先祖帰り、という表現が多い。

しかし、「ばらまき」では官僚の仕事を増やすだけであって、小沢さんはネオリベ(小さな政府)の人だし、単なる「ばらまき」政策はやらないだろうな、と(私は)考えてきた。

日本の農業予算の使われ方案の定、「民主党が政権をとれば 日本の農家は生き返る!!(農業政策ビラ)」には、日本の農業予算の使われ方がグラフと漫画で描かれていて、そこでは、公共事業(間接的な配分政策)を批判している。

つまり、公共事業を批判しながら、所得の再配分を行う、と民主党はいっているわけで、それはいったいなんなのか、というのが私の疑問であったわけだ。

負の所得税

それでふと思ったのだが、これって「負の所得税」(ミルトン・フリードマン)じゃないのか。

負の所得税
(引用:駿河台大学の皆様へ-負の所得税

負の所得税は、各種福祉制度を統合した公的扶助(生活保護)と所得税を統合化したものである。図の横軸には、課税前所得yをとり、縦軸には、課税後所得ydをとるとする。45度線は、横軸のyを縦軸で表したものである。負の所得税の税体系は、貧困線ともいわれるM線により示されている。yd’は、y=0のときの最低保障所得である。y=0のときは,このyd’が支給される。A点は、税金を払うか負の所得税として扶助を受けるかの分岐点である。y1より所得が多ければ、45度線とM線の差だけ所得税を払わなければならない。もし、y1より所得が小さければ、M線と45度線の差だけ負の所得税を受け取ることになる(図の斜線部分)。したがって、課税前所得yと課税最低限所得y1との差の一定割合αを保証するのが、負の所得税である。

負の所得税の長所は、yの増加が必ずydの増加につながり、勤労意欲が阻害されないということである。また、所得水準に応じ、負の所得税が自動的に給付されることになっており、行政的な裁量が働く余地がない。(引用:駿河台大学の皆様へ-負の所得税

たぶん全販売農家向けの負の所得税体系をつくる。これだと、複雑なお役所仕事はなくなる(行政的な裁量が働く余地がない)、ことで、小さな政府を志向することが可能となる。

税務はものすごく単純になるはずだし、緑資源がなくとも、族議員がいなくとも、関係ないのである。

つまりネオリベ的に小さな政府を望む方々にも、生産性の向上を最優先にする方々にも(勤労意欲が阻害されない)、公共事業が大嫌いな方々にも、受け入れ易いものとなる。

財源は、18年度の農林水産予算2兆8310億円から公共事業費1兆2000億円をまわしただけでも、実現可能なのかもしれない。

小沢さんはこのあたりを狙っているのではないだろうか。

そして、これが従来の「ばらまき」と呼ばれるものと決定的に違うのは、もらったお金は、各自が自由に使える、ということだ。

つまり、お金(現金)は差し上げますと。でも、あとは市場を通して、自分でがんばってね(自己責任)、なのである。(そこに役所は手が出せない)。

経済財政白書

さらに興味深いのは、内閣府が7日に公表した2007年度の年次経済財政報告(経済財政白書)も、格差是正のため低所得者層を支援する新たな制度(負の所得税)が必要だと提言していることだ。

日本経済が成長し、所得水準が上がっても、格差は拡大傾向にあると分析し、具体策として、所得税を直接減額する「税額控除」と社会保障給付制度を組み合わせた「負の所得税」と呼ばれる仕組みを挙げた。税と社会保障を合わせ、高所得層から低所得層に所得を移していく必要性も指摘した。(格差是正 新制度を提言…経財白書 : ニュース : ジョブサーチ : YOMIURI ONLINE(読売新聞

お役所からしてみれば、自己否定のような「負の所得税」の提言なのだが、まあ、なにか(勝算)はあってのことなのだろう。

それにしても「負の所得税」かよ、と私は落胆してしまう。

「負の所得税」はとてもわかり易い。そして現金給付なので、貰う方もうれしかったりするだろう。

しかしこれは、それだけ、なのである。

あとはもらったお金を使って(つまり市場を通して)自分でがんばってね(自己責任)、なのであって、政府も役人も政治家も、責任をとらなくてもよいのである。

フリードマンは、極端に政府の介在を嫌う人なので、(フリードマン流に考えれば)こうなってしまう。

役人アレルギーと金魚論

それは役人がやる似非マーケット・ソリューション(例えば一般競争入札のこと)よりはまだましかもしれない。

しかし、小沢民主党のいう、全販売農家への所得保障制度が「負の所得税」であるなら、日本の農業はやっていけなくなるだろう、と(私は)思う。

そしてなによりも、こういうもの(負の所得税)が表に出て来るのは、格差問題だけではなく、日本中に蔓延しているのは官僚アレルギーだ、ということだろう。

だから、自民党が提案する役人が書いたような「改革」を、国民は受け入れない(ことで自民党は参議院選で大敗した)。

役人の信用は破綻しているし、そのことで、開発主義は、まったく機能不全に陥っている。w

ついでに書けば、公共工事の問題は、日本の官僚制の問題であることが、よりはっきりしてきたと思う。(だから受注者の片務的な努力は報われないのだ)。

地方の、地場の中小零細建設業は、その官僚制の被害者のようなもので、〈経済学が生み出した既存の問題解決方法では中小建設業が救われることはない〉のである(金魚論)。

参考

選択の自由

選択の自由―自立社会への挑戦 (日経ビジネス人文庫)

M&R・フリードマン(著)
西山千秋(訳)
2002年8月1日
日本経済新聞社
1238円+税