「ももち どっと こむ」より

還暦祝い!平成30年9月15日(土)桃組「小さな勉強会」と「暑気払い」のご案内。山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)。

2018年08月01日|イベント



Lesson14 信頼ってなに?(4)―信頼と安心

信頼と安心

本書では、「なんだかよくわからないけれども人を束ねる力を持った情報」を「ソーシャル・キャピタル」だというのです。それは、金子郁容の言葉では、

ミームによって運ばれる感動と人間性に対する信頼感の伝承がコミュニティ・ソリューションの秘密である

となり、村上泰亮の言葉では

社会的交換を成立させているのは、まさに時間と対人関係の両面において「粘っこい」蔓の情報に他ならない。
村上泰亮,1994,p141)

ということです。

ただ、本書が使っている「なんだかよくわからないけれども人を束ねる力を持った情報」を「ソーシャル・キャピタル」だと理解するには、今までの「ソーシャル・キャピタル」という概念の描写が、かなりあやふやなものであったことは確かです。そこでここでは、「信頼」という概念を整理することを通して、その輪郭を明確化することにしましょう。

信頼の二分類

山岸俊男によれば、信頼はふたつに分類して考えることができます。(山岸俊男,『信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム』,東京大学出版会,1998年,p35)

  1. 相手の「能力」に対する期待
    たとえば、ふぐの調理免許、1級土木施工管理技士や1級建築士というようなもの
  2. 相手の「意図」に対する期待
    たとえば、夫は浮気しないというようなもの(夫に浮気はできないという「能力」がないことは意味しない)。

この「信頼」の二分類は公共事業に対する昨今の問題を理解するには好都合なものでしょう。例えば、ダム建設に対する推進派と反対派の対立問題を考えてみます。

近くにダムが建設されるという計画が発表されれば、住民の中にはその必要性について疑問を持つダム建設反対派の方々が出てきます。それに対して、ダム建設推進派は治水の問題や、建設による地元経済への貢献期待など、ダム建設による効用のPRを行い、ダム建設反対派を説得しようとします。この場合、ダム建設推進派は、問題はダム建設の効用という「能力」であり、建設反対派の不信は、「能力」に対する不信に基づくものであると考えているわけです。これに対して、建設推進派がいくらダム建設による効用をPRしても、建設反対派の不信はあまり解消しない場合が多いのです。これは建設反対派には、自治体や政治家や建設会社なのどの建設推進派の「意図」に対する不信があって、自治体や政治家や建設会社なのどの建設推進派は、本当のことを住民には知らせないだろうと思っているからです。(山岸俊男,『信頼の構造』の中の「原子力発電所」のはなし(p36)をモデルとしています)。

信頼と安心の分類

山岸は、さらにこの相手の「意図に対する期待」を「信頼」と「安心」とに分類しています。ここでいう「信頼」とは相手の人格的なものへの信頼です。これは相手が強力な「良心」を持つ人間だと確信できることで、相手は自分をだまそうという意図を持っていないことを期待できる場合です。一方、「安心」は、相手は自分をだまそうという意図を持っていないという期待が、相手の「良心」に基づくものではなく、相手の行動により生み出される相手にとっての自己利益に基づくものです。

たとえば、先の談合を例としてみれば、本書のいう本来の意味での談合は、ここでいう「信頼」をベースとしたもの、ということができます。そもそも談合は、社会的不安の多い環境を前提としています。それは、談合が成立するには、談合参加者が決定事項を必ず守る、という前提が必要だということですが、相手が嘘をつくような人間ではない、という相手に対する人格的な信頼を、メンバー同士が互いに持てる場合にしか成立できるものではありません。

一方、官製談合のように、談合のシステムに政治家や行政が加わることは、相手に対する人格的な信頼を前提とはしていいません。つまり、談合参加者が決定事項を必ず守る必要を談合参加者の良心に委ねるのではなく、政・官という権限と強制力に委ねていることを意味しているのです。

つまり、官製談合は「安心のシステム」でしかない、ということができます。この「安心のシステム」には、談合参加者が約束を守らない場合、指名から排除される等の何らかのペナルティが違反者に対して課せられる仕組みが存在します。このけん制装置の存在は、相手は嘘をつくかもしれないが、嘘をつけば相手は自己利益を損なうだろうから、たぶん嘘はつかないだろう、という相手の意図に対する期待を持つことを可能とします。ここで違反者が損なう自己利益とは、経済的な損失の実ならず、村八分のようなものも含まれる、と考えればよいでしょう。

私は本来の意味での談合を「コミュニティ・ソリューション」のひとつと考えていますが、この意味での談合が成立できるのであれば、そこには「ソーシャル・キャピタル」が存在している、と理解するのです。そのことは、本書で扱う「ソーシャル・キャピタル」が「安心のシステム」を維持するためのものではないことを意味しています。

「信頼」はそもそも社会的不確実性を前提として必要とされるものですが、「安心」は、そもそも社会的不確実性を、政治家や行政を巻き込んだ「ヒエラルキー・ソリューション」で排除した上に存在しようとするシステムである、と理解できるでしょう。そこにあるのは旧来の開発主義の文脈における「公共工事という産業」の閉塞でしかないのです。

本来の談合のシステムさえも正しく機能しないコミュニティでは、そもそも「信頼」が存在していないがために、権限と強制力による「ヒエラルキー・ソリューション」が必要とされる、と述べましたが、その意味では、政治・自治体・中小建設業という地場型公共工事複合体というコミュニティが立脚する「安心のシステム」には、私たちが考える「ソーシャル・キャピタル」は存在していないのです。

「安心のシステム」が依存している「ヒエラルキー・ソリューション」が、インターネット社会では機能範囲が限られるものであることはすでに概観したところです。「安心のシステム」という「ヒエラルキー・ソリューション」こそが、「公共事業ダメダメミーム」を生み出しているひとつの原因であることを忘れてはなりません。「ミームによって運ばれる感動と人間性に対する信頼感の伝承がコミュニティ・ソリューションの秘密である」という文脈から、「安心のシステム」ははるか遠くにあるのです。つまり、「公共工事という産業」は、市民社会との「ソーシャル・キャピタル」を持てないことで、「公共事業ダメダメミーム」にさらされているのです。

本書は、経済的交換社会的交換の特殊ケースとして扱うことで、経済的交換に流れる重低音が社会的交換にベースを持つ「ソーシャル・キャピタル」だといいます。ここでは、その理解に、意図に対する期待を「信頼」と「安心」というふたつの分類枠と、「インターネット社会」の特性という枠を与えることで、その理解の輪郭をかなりしぼりこむことができたのではないかと思います。

つまり、本書がいう「ソーシャル・キャピタル」とは、中小建設業が依存してきた集団主義社会で機能してきたような、既存の秩序を意味するものではない、ということです。例えば官製談合が中小建設業における既存の「ソーシャル・キャピタル」だとしても、それは「ヒエラルキー・ソリューション」を前提とすることで、私たちがいう「コミュニティ・ソリューション」の推進エンジンである「ソーシャル・キャピタル」とはあきらかに違うのです。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年01月18日 21:18: Newer : Older


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