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建設業に貢献するIT化
考える技術!

店主戯言(浅草的思考)060301 2006/3/1〜2006/3/10 "There goes talkin' MOMO"


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2006/03/10 (金)  
【超合理性】

午前5時起床 札幌は晴れ

またしても
朝食をとりながら今朝の日記を書いている


非合理に合理は上書きできるが合理に非合理は上書きできない

と このフレーズをまた書こう


昨日は 栃木建協建青連CALS/EC委員会の皆様と砂子組さんを訪れた

予定されていない
 小さな講演

  → http://briefcase.yahoo.co.jp/pinkhip
 「講演用資料」フォルダ BD060309.ppt ファイル

合理を追求するマネジメントシステムは
次のふたつの非合理に上書きされる

 自己言及
 共同体性(第四象限)

つまり(今の時代は)
 「あえて」これをつくらないと 合理のシステムは動かない

ワンフレーズで表現すれば

ただ(イントラネットで)情報を発信すること
 若しくは 超合理性

始まりには 情熱もお金も必要なく
ただ一緒にいること
情報を発信すること

情熱もお金も後追いでついてくる 

2006/03/09 (木) 
【夜は眠るものだ】

午前6時30分起床  岩見沢は雪

非合理なほどに雪は降り積む中
わたしは
納豆と卵で朝ごはんをたべている

毎朝 日記を書くこと
朝御飯をちゃんとたべること

を 生活のリズム とし

このふたつの リズムからはじめることで
 脳みそに 火が入る


しかしこのはじまりのリズムの前リズムはなにかといえば

それは
   夜は眠るものだ  ということだろう

人間は夜に眠るものだ


このリズムを狂わしたのは 貨幣 である

貨幣は眠らない

だから貨幣に取り付かれた人は 眠れない

そして 夜を明るくしようとして

闇のつくりだす
襞の深みを 失ってしまう

  → http://briefcase.yahoo.co.jp/pinkhip
 「講演用資料」フォルダ modern.ppt ファイル

(一昨日の釧路 昨日の岩見沢の共通ターム 「クラインの壷」)

襞=魂

2006/03/08 (水)  
【非合理に合理は上書きできるが合理に非合理は上書きできない】

午前6時20分起床 札幌は曇り

昨日は 釧路建設業協会さんにて講演でした
その名も
「第二回桃知セミナー」 (ありがたいことです)

前半と後半の二部構成として
 前半は 協会イントラネットの理論的な説明
 後半は 企業が行うIT化の実践的なはなし

わたしの個人的な副題は
「市場主義との上手な付き合い方」 であり

基底を横切るのは
 「戦略」としての「円環」からの「ひねり」です

これは今日の地域再生フォーラムVにも通ずるもので
それは
非合理に合理を上書きすることです

これは順番が大切で
非合理に合理は上書きできるが 合理に非合理は上書きできない

ひねりにおいては
「円環」に足場をおいた「ひねり」の瞬間

円環は たとえば プレモダン(前近代)のモデルです

それは象徴を持つ (今は失われた) スタティックスな中景です
 それを(まず)仮想的に構築していくのがイントラネットであり

とはいえ
 協会も会社も リアルな世界で
 資本の運動(クラインの壷)の中にあることで
この仮想は 直ちに実態にかわります

それは前近代のモデルに遡り
そうした秩序の中へ這い戻るのではなく

 ただでさえ ひねりまくられた 資本の運動(クラインの壷)の中にあって
 <私>の独自性をたもつために
 加速度をくわえるためのひねりの足場です

「とりあえずは
 大きな動きの中で流れて
それ以上のスピードで流れていくことで独自性を保つ」(川俣正)


ひねりとは(IT化では)
 情報を発信すること
 コミュニケーション接続を試みること でしかありません

ひねりを持った円環は
 モダンのモデルとしてのメビウスの帯であり
 クラインの壷ですが

それはリゾームを目指さないことで また「中景」です

その中景はプレモダン(前近代)の円環とは違った

例えば 戦後の象徴なき時代に始まった
 非合理への合理の上書きでであり

非合理を塗りつぶさない 上書きです


『構造と力』,p236からの引用)

2006/03/07 (火)  
【バルネラブル】

午前6時50分起床 釧路は晴れ

釧路の朝は 凛とした青空が広がっています

 

昨晩は、小針さん、本田さんとご一緒させていただき
寿司「やちよ」でおいしい魚と お酒をいただきました 

 にしんを刺身でいただきました
 きんきを刺身でいただきました
 ぶどうえびをいただきました
 海水うにをいただきました
 つぶをいただきました
 白子をいただきました
 かれいを刺身でいただきました
 
ぜんぶ うまかった

(カメラを忘れたので写真はありません m(__)m)


今朝は ある方の mixi日記を読んでいて
久しぶりに「バルネラブル」ということばを思い出していました

 自ら進んで情報を発信する人
 自発的にボランティア活動を開始する人は そのことによって
 自分の立場を
 バルネラブル(他人から付け込まれたり 利用されたり 非難されたりしやすい状態)にする

 しかしバルネラブルな立場に自分の身をさらすことで
 そういった人たちは 情報を創り出し価値を生み出すことができる

                        (山岸俊男,『信頼の構造』)


バルネラブルを孕んだ情報の発信は
 「コミュニケーション接続」を容易とします

「コミュニケーション接続」を望むのなら

 情報を発信する

  ただそれだけ


古い日記をみつけました
2002/05/07 (火)  【わからないと言うこと,そして一筋の光明】

2006/03/06 (月)  ▲
【機械アルモノハ必ず機事アリ】

午前6時50分起床 浅草はくもり

今日は釧路へ向かいます
羽田-釧路間の所要時間は わずか1時間35分

人間の過剰は時間と空間を無にしようとします

うなぎのように雄大な時空をもって蒲焼になったりはしません

人間の過剰の本性は
 うなぎの養殖や促成を考えます

二クラス・ルーマンはそれを
 複雑性の縮減といいました (ちょっと違うか?)

  技術はそれを可能とし
  インターネットは時空を無にしようとしています

しかし現実のわたしは 

うなぎが海流に身をゆだね
南海から日本の河川へやってくるように
 
飛行機という機械に身体をゆだね
仕事に向かわなくてはなくてはなりません

 有機械者必有機事
 有機事者必有機心    (荘子)

 機械アルモノハ必ず機事アリ
 機事アルモノハ必ず機心アリ


機械があればそれに依存してしまうのは
 人の心的システムのサガであり
 それもまた複雑性の縮減です

飛行機があるから 
 わたしは北海道の仕事を引き受けることができます

北海道の仕事をするには 飛行機が必要です

そしていつのまにか
 技術に依存する(飛行機に身をゆだねる)わたしのこころはあたりまえのものとなります

船で行こうなんて考えません

技術に依存したわたしのこころは
 後戻りはできません   (だから原子力発電はなくなりません)

と同様に思考や創造にも技術を必要とします
つまり「考える技術」です

しかし機械には依存することができますが
思考に依存はありません

他者の思考に依存する思考は思考ではありません
考える技術は依存できない〈私〉のものです

つまり 係数a  Y=aX

それを他者に依存することはありません
どんなささいなことでも すべては「自分」が決めていることです

今の時代(神なき時代)には
他者の意見に依存することさえも
自分で決めているにすぎません

「考える技術」というのは そこからはじまります

しかし その技術を自らのものにするための
つまり習得のための複雑性の縮減はありません

(あるとすればそれは「コミュニケーション接続」にある)

2006/03/05 (日)  
【チキン・スキン・ミュージック】

午前6時44分起床。浅草は晴れ。

今日は、iPodに「チキン・スキン・ミュージック」を詰め込んで、ちょっと遠出です。
日帰りですが、日差しもあたたかそうなので、移動の供にはちょうどよいかと思いました。

チキン・スキン・ミュージック『チキン・スキン・ミュージック』

これは、ライ・クーダーの1976年のアルバムで、学生時代からの愛聴盤です(今手持ちのCDが三代目になります。最初は当然LPでした)。

ライ・クーダーという人は、職人的ハイブリッターで、このアルバムは、ゴスペル、R&B、ブルース、テックス・メックス、ハワイアン and etc.のハイブリッド(雑種)です。

まあ、このアルバムに限らず、ライはずっとハイブリッドでありつづけ、後には沖縄音楽にまで手を出すことになります(そういえば、喜納昌吉の「花」のオリジナルトラックのスライドギターはこの人でした)。

このハイブリッドは、外に開放される音なので、能天気に気持ちよいのです。様々な音楽を取り入れていく(ハイブリッド)ということでは、昨日のポール・サイモンと同じような志向を持っているのですが、ポールはどちらかといえば内向きですから、〈陰/陽〉のようなものでしょうか。


…と、今日も昨日も、音楽を戯言の題材に選びましが、わたしは、音楽について書くのは本当は苦手です。音楽というミメーシスについて書くことは、共有体験がないと、よほどのファン同士でもなければ書いている本人の思い入れほど他者に伝わるものもないですし、つまらないわけです。

ススト『ススト』

例えば、「一番好きなアルバムを一枚」といわれたら、それは菊地雅章の『ススト』になるのですが(これも古いなぁ〜)、そのジャケットの写真を貼り付けたところで、盛楼閣の冷麺や、弁天の天ぷらそばの画像のようなミメーシスはありませんし、書籍のように引用も要約もできません。

この音楽は、「迷宮若しくは円環とひねり」です、と書いてもなにか伝わるわけではありませ。

「迷宮若しくは円環とひねり」です、と書いて、それを理解してくれるのは(若しくは反論してくれるのは)、『ススト』を聞いたことのある方に限られるわけです。

その共有の体験は、コミュニケーションの複雑性を短縮してくれます。(コミュニケーションのエコノミー)
つまり、菊地雅章がなにものであるとか、どんなミュージシャンが参加していて、ジャンルは何とか説明する必要はないのですね。

つまり、コミュニケーションのエコノミー(円滑さ)は、ある共通の理解の下敷きを必要とします(それが「中景」であり「種」なのですね)。

ただ、わたしのようなものでも、「僕はこんなのを愛聴していますけれども、興味があれば聞いてみてください」的な表現は可能です。

これが誤配的であろうが、なんであろうが、〈他者〉の目にとまり、なにかしらのひっかかり(興味、賛同、違和感、拒否)をつくることができれば、そこにもコミュニケーションは生まれます。

つまり、コミュニケーション=〈情報/伝達〉の差異です。

そこには情報を発信することの面白さというか潜在性があります。(可能性ではなく潜在性です。なにがでてくるかはわかりませんから…(笑))
そして、情報を発信することだけが、コミュニケーション接続を可能とすることが理解できるかと思います。


しかし、音楽そのものをテクストで書くことの難しさはまた別問題です。(笑)
結局、音楽をWebサイトを通じて販売するときも、試聴という方法を取らざるを得ないように、テクストでの表現には限界があります。(マラルメの葛藤はここにあったのだと思います)

それはひとつの作品としての音楽というものは、流れであって、それを形成する要素が分解不可能な仕方で溶け合い連鎖するような連続性だからです。

流れとしての音楽(ひとつの作品)は、分解してしまえば質を変え、別のものになる(だからハイブリッドは可能なのね)という意味で、分解不可能なのです。

ことばは、区分をしますから、音楽のような連続性を、連続性のまま記述するには無理がありますが、音楽のミメーシスをテクストで表現できる人を、わたしは無条件で尊敬しています。
 → 骰子一擲(ステファヌ・マラルメ)

と同時に、ミメーシスを持つ表現(音楽、絵、画像、映像、芸、パフォーマンス)が、コミュニケーション接続を容易にしてくれるものであることは、永遠に変わらないのだと思います。

2006/03/04 (土)  ▲
【君の日常は僕の非日常】

午前6時50分起床。浅草は晴れ。

僕の確定申告は税理士先生にお任せしていますが、それでもなにかしら整理、準備しなくてはならないものはあります。

来週は北海道遠征なので(10日に戻ります)、この土日にそれをやってしまおうとしていますが、普段の行いがわるいので、なにやら苦労しています。


■君の日常は僕の非日常

 ひとりごと

ポール・サイモンの「ひとりごと/There Goes Rhymin' Simon」は、餓鬼のころから聞き続けている大好きなアルバムのひとつです。(この戯言の上のほうに書いている"There goes talkin' MOMO"は、このアルバムタイトルからのパクリです)

このアルバムの5曲目に「君の天井は僕の床/One Man's Ceiling Is Another Man's Floor」という曲があって、このところ、「君の日常は僕の非日常」みたいなことばかり書いていたものですから、ふと思い出して聞いていました。

この〈日常/非日常〉、〈天井/床〉のような二元論的図式は、前近代的であり、近代については成り立たないというのが、一般的な見解ですね。近代は「貨幣」というブラック・ホールに媒介された(浅田彰風にいえば)クラインの壷なわけですから。

 
 (浅田彰, 『構造と力』,p236)

確かに資本はそう動いていますけれども、それでも、僕は(ポスト・モダンといわれる今でさえ)この国には、「君の天井は僕の床」、「君の日常は僕の非日常」があることを確認し続けています。

それは近代化先進国(英・米)からみれば、近代化の遅れであり、個人の未成熟さのあらわれでしかないのかもしれませんが、僕は「それでなにが悪い」と悪党的に開き直りたいのです。

そして淡々と資本のシステムと接続することで、大きな流れにのりたい。
それは流れに飲み込まれることではなくしてです。

だから「君の日常は僕の非日常」であると同時に「僕の日常は君の非日常」を確認したい。
それにはやっぱり「外」から僕の日常をみることでしかないのだろうな、と思うのです。

2006/03/03 (金)  
【山鹿の日常は僕の非日常】

■昨日の講演のPPT

午前6時35分起床。浅草は曇り。

昨日は滋賀県建設業協会さんで講演でした。

いつものように、使用しましたPPTを公開いたします。
  → http://briefcase.yahoo.co.jp/pinkhip
 「講演用資料」フォルダ、BD060302.swf ファイルです(FlashPaperファイル)。

大津での講演は二度目で、前回は2002年の11月だったと記憶しております。

昨日の演題は「建設業のIT化について」というベタなものでしたが、80分という短い時間に、協会ベースと企業ベースのIT化のエッセンスは入れることができたかな、と思っています。(ただし、PPTは半分も使っておりません…)


■山鹿の日常は僕の非日常

Yahoo!フォトに、山鹿の遺跡をめぐりの写真をアップしました。
→ http://photos.yahoo.co.jp/pinkhip
 「山鹿の日常は僕の非日常」フォルダです。

 

山鹿は、縄文こそ地層の下にありますが、弥生から古墳時代は、日常として地表にあらわれているところです。

それは「圧倒的」な質と量を持つのですが、山鹿で育った方にとって、それは日常としてあります(しかしそれは、わたしの非日常です)。

今回は象徴的なはなしがありました。2月28日の夜は、051119「地域再生フォーラムin山鹿」の反省会を行いました。その席で、次回はゲストに中沢新一さんを招聘して開催できないか、というプランがでてきたのです。

それはわたしが言ったわけではなく、行政の方からのご意見でした。
わたしは正直驚きました。

先行して空知で行っている地域再生フォーラムでも、中沢新一さんは(暗黙の)候補であり続けているのですが、なかなか実現はできない(というか名前をあげづらい)のです。

わたしにはその経験がありましたから、まさかとは思ったのですが、それが山鹿ではあっさりと……。
それは「アースダイバー」なのだろうな、と思うのです。

アースダイバーアースダイバー

中沢新一(著)

2005年5月30日
講談社

1890円(税込)






山鹿に住んでいれば、2000年をさかのぼることは比較的簡単なことだと思います。その気になれば縄文までの1万年も、自らに繋がるパトリの歴史として想像することが可能なわけです。

それは意識しなくとも、無意識に堆積されたパトリの記憶として「ある」のだと思います。
そこには断層がありません。

この(わたしから見れば)非日常(山鹿の皆さんにとっては日常)の層の厚みというのはすごいなぁ、と思うのです。

右肩上がりの時代には、それは邪魔なものだったかもしれませんが、今となってみれば、この非日常の厚みはとてつもない安心感があります(部外者のわたしにでさえ…)。


北海道には歴史がないわけではありませんが、パトリとしてはたぶん断層があるのだと思います。

この違いは大きいかもしれませんが、いまさら歴史の薄さを嘆いていても仕方がありません。
今すんでいる自分の町を、いかにパトリとして認識できるのか、もんだいはそこなのだと思います。

3月8日 空地建設業協会「地域再生フォーラムVに向けて、そんなことを考えていました。

2006/03/02 (木)  
【西田式水門巻揚機】

午前5時起床。山鹿は真っ暗。たぶん雨。

本日の移動予定。
植木IC 07:46(高速バス)09:08博多駅交通センター
博多 9:35 ひかり 454号 新大阪 12:20
新大阪 12:34 東海道・山陽本線新快速 大津 13:07

大津で講演をしてから浅草へ帰ります。(途中でめげるかもしれませんが…)

今朝はとにかく植木IC へ行かなくてなりません。
なので、昨日の山鹿の日常(=わたしの非日常)めぐりの報告は、明日以降とさせていただきます。

…というのもなんですから、ひとつだけ。
西田式水門巻揚機。1956年5月製。わたしより二つ年上。
 

 

じゃ。(^O^)/

2006/03/01 (水)  ▲
【法大EC2006プランニング】

午前4時30分起床。山鹿は雨。

もう三月です。

■環境管理型

昨日のお昼は、羽田空港第2ビルの52番ゲートフードショップ(ANA FESTA)で塩ラーメン。
 
ここのうりは「ちばき屋」のラーメンが味わえる、ということなのだけれども、まあちょっと違うだろう、と。それにこれで800円はいくらなんでも高すぎやしないか、とは思う。

けれども、搭乗前の短い時間、麺好きのおやじの空腹を満たしてくれるところは他にはないわけで、この選択不可性はどうしようもないわけです。

この「選択せざるを得ない状況を作っている」というのは、環境管理型(権力)とでもいいますか、強制しない強制力のようなもので、特にそれが人間の基本欲求(食欲)と結びつくと、もうどうしようもないわけです。


一方これは、昨日の〆にたべた山鹿は「きまぐれ」さんのちゃんぽん。これをANA FESTAのラーメンと比較しても意味はありません。
 
ただ、このお店は味付けが「酒飲み向け」なわけでして、この馬のホルモンはニンニク強烈、ついでに塩辛いのでした。
 


■法大EC2006プランニング

法政大学エクステンション・カレッジ2006年度前期の予定をたててみました。基本姿勢は「世知辛い世の中に、こういう非合理な講座があってもよいではないか」です。

まあ、色々と書いてみましたが、最初のプランは、事務局から不評で却下(つまり集客できないということだと思います)。なので何度か書き直しをしています。

要は、「情報をみる能力向上講座」なのでありまして、そのベースとなる、社会システム理論と、ラカン派の精神分析の基礎を、あれやこれやと楽しく身につけていただこうとしています。

わたし的には(即実践使用可という意味で)とてもたのしい題材なのですが、問題は、わたし以外の方が、こんなものに興味を持つのだろうか(つまりニーズはあるのだろうか)、ということなわけです。(笑)

こんなもので、例によって集客にはまったく自信がないわけでして、毎年蓋を開けてみなければわからない法大ECは、今年もこうして準備は進んでおります。

皆さんの参加を心からお待ちしております。m(__)m
とはいっても、まだ受付は始まっておりませんでした。m(__)m

座名 人が生きる、組織が生きる「考える技術」講座
副題 伸びる会社は社風が違う・「考える技術」が社風を変える
概要 「私達は如何にして〈他者〉とつながるのか」この命題はビジネスの基本課題です。情報が氾濫する今という時代だからこそ、必要な情報を的確に捉え、自らの創造力と接続する技術が必要です。本講座はそれを可能とするための「考える技術」を学んでいただきます。

「考える技術」は情報を見る目であり、創造の技術であり、コミュニケーション力です。それは「物事の本質を見抜く能力(情報を見る力)」を高め、「創造する力(情報を発信する力)」を高め、そして「考えて行動する組織と人(自己活性化能力)」をつくります。「考える技術」はあらゆるビジネスに応用可能な現代社会の基本技術です。

講義は毎回モデリング(工作の時間)やITを実際に活用しながら、さらにはオタクや美術、そして社会における様々な事象を例題に取り入れ、またゲストを迎えるなど、楽しくかつ理解しやすく、より実践的な「考える技術」をお伝えできるものといたします。
サマリー 本講座は「考える技術」を学んでいただきます。
「考える技術」は情報を見る目です。それは
・物事の本質を見抜く能力を高めます(情報を見る力)
・創造する力を高めます(情報を発信する力)
・考える組織をつくります(自己活性化能力)
対象者 基本スキルとしてのコミュニケーション能力を高めたい方
基本スキルとしての創造力を高めたい方
自己活性化能力のある組織づくりをしたい方
定員 25名
受講料 一般 \40,000
卒業生 \35,000
本学学生 \20,000
1 2006/5/13 13:30 17:30 桃知利男 「考える技術」基本(1)
人間のもつ想像力、創造力の活動メカニズムの理解を通して「考える技術」の基本を学びます。
・簡単な精神分析入門(ラカン)
・美術作品やオタク的作品を事例にした創造のメカニズムの考察
・デコードとエンコード
2 2006/5/27 13:30 17:30 桃知利男 「考える技術」基本(2)
創造のための「ひねり」の理論とその実践を例題を用いながら理解します。
・「工作の時間」を使った三つのコミュニケーションモデルの考察
・社会学の基本としての簡単な「システム」論の理解
・区分すること(象限を使う技術)
・トポロジーについて(三つの輪を使う技術)
・「止揚」(ハイブリッド)の仕方(簡単な弁証法の使い方)
3 2006/6/10 13:30 17:30 桃知利男 「考える技術」の応用(1) 環境(市場)の考察へ応用
考える技術の基本型を使いながら、社会事象を読み解きます。事前に課題を出しますので、その課題を解きながら、考える技術の応用を学びます。
・〈システム/環境〉の区分を使ってみること
・「ひねり」を加えながら考えること
・ハイブリッドしてみること
4 2006/6/24 13:30 17:30 桃知利男 「考える技術」の応用(2) コミュニケーション応用
考える技術のコミュニケーション応用を中心に考えていきます。
・再度「工作の時間」を使った三つのコミュニケーションモデルの考察
・つながるということ(簡単なコミュニケーション理論の理解)
・「反省」(自己言及)の仕方とその実践事例
・閉じることの意味(閉じることでつながるのか?)
5 2006/7/8 13:30 17:30 桃知利男 「考える技術」の応用(3) マネジメントへの応用
考える技術を組織的な経営や政策に応用する方法としてのIT化を考察します。
・イントラネットの活用
・考えるIT化
・地域再生と地域SNSなど
  インデックス

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桃知商店 桃知利男
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