「ももち どっと こむ」より

還暦祝い!平成30年9月15日(土)桃組「小さな勉強会」と「暑気払い」のご案内。山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)。

2018年08月01日|イベント



Lesson9 開発主義と中小建設業(2)―ヒエラルキー・ソリューションの問題点

[表1] 開発主義政策のプロトタイプ・モデル

  1. 私有財産制に基づく市場競争を原則とする
  2. 政府は、産業政策を実行する
  3. 新規有望産業の中には輸出指向型の製造業を含めておく
  4. 小規模企業の育成を重視する
  5. 配分を平等化して、大衆消費中心の国内需要を育てる
  6. 配分平等化の一助という意味も含めて、農地の平等型配分をはかる
  7. 少なくとも中等教育までの教育制度を充実する
  8. 公平で有能な、ネポティズムを超えた近代的官僚制を作る

(村上泰亮, 『反古典の政治経済学 下 二十一世紀への序説』,中央公論社,1992,p98-99)

ヒエラルキー・ソリューションの問題点

しかし今や、公共工事はさまざまなパッシングにさらされています。この公共事業パッシングを、私は「公共工事ダメダメミーム」と呼んでいますが、「公共工事ダメダメミーム」が世論における主流のミームとなっているのが「今という時代」の特徴だといえます。では、それはなぜなのでしょうか。

それは、開発主義という制度・慣行を支える環境と原理が、すでに変化しているからだ、と考えられるはずです。端的にいえば、「開発主義はその役目を終えたのにまだやっている」という感覚が市民社会の主流のミームになっている、ということに尽きるのです。開発主義の問題点は村上の次の言葉に収斂されています。

とりわけ、離農が事実上ほとんど完成した後も、様々の既得権益のため、この政策を日没させることが難しいという問題に直面せざるを得ない。(村上,1994,p205)

村上は開発主義政策のプロトタイプ・モデルとして 8項目を挙げていますが[表1]、特に「公平で有能な、ネポティズムを超えた近代的官僚制」に期待をかけていたようです。確かに、戦後の廃墟の中からの復興には、公職追放を逃れた優秀な国家官僚たちにより見事に高度経済成長が達成され、日本は世界に冠たる経済大国になったわけです。それが昭和の経済の歴史です。しかし、この「統制的な経済システム」にも限界があったのです。(堀内光雄,文芸春秋2002年8月号「年金保険料30兆円を廃止せよ」)

私は、今起きている公共工事批判は、戦後の官僚主導型の開発主義(いまや私たちはそれを典型的な「ヒエラルキー・ソリューション」だと理解できるでしょう)のシステム的な限界への批判だと考えるのです。つまり、「今という時代」に、開発主義はその役目は終えてしまっているのです。必要なのは開発主義に変わる次なる政策ですが、でもそれがなかなかでてきません。これは開発主義の日没がきわめて難しいものだからなのです。開発主義の流れの中でわが国の国家公務員は増殖し続け権限を拡大してきました。現在国家公務員は 109万人ほどおりますが、公平で有能な、ネポティズムを超えたる官僚が 109万人もいて、今の日本の混沌とした状況をつくりだしているとすれば、本当は、期待はずれどころではありません。

スティグリッツ(ジョセフ・E・スティグリッツ 米国の経済学者、2001年ノーベル経済学賞受賞)は、「官僚は何を最大化するのだろうか」と問うのですが、そのひとつの答えは、「官僚は自分の属する省庁のサイズを最大化しようと努める」というのです。(佐和隆光,『経済学の名言100』,ダイヤモンド社1999,p132)これを「スティグリッツの法則」といいますが、まさにそのとおりの状況をみることができるのが、今の日本の状況ということができるでしょう。

さらには、日没できずに生きながらえている既得権益が問題になっています。これも「スティグリッツの法則」の文脈上で考えることができますが、これは官僚ばかりではなく、政治と産業界が絡む問題として、最近益々批判の対象となっているところです。でもこれもそう簡単にはなくなりはしません。なぜなら、とにかく開発主義は日没が難しいのです。

いってみれば、これら「ヒエラルキー・ソリューション」の文脈で行われている公共事業こそが、公共工事の信頼を失わせ、批判を生み出している張本人でしかないのです。
このような状況は、「ヒエラルキー・ソリューション」が解決方法としての力を失いつつあることを意味しています。私たちが想定しているインターネット社会では、この解決方法の効果は薄れてくることは、先に見たように当然のことでしかありません。

さて、これらのことを意識すると、中小建設業を次のように見ることができます。

  • 中小建設業は開発主義における地方への配分政策(ヒエラルキー・ソリューション)において毛細血管の機能を果たしてきました。
  • つまり、中小建設業は開発主義的な産業政策が生み出した政策的な産業です。
  • しかし、開発主義がその役目を終えると同時に、本来、毛細血管としての役目も終えなくてならなかったはずです。
  • でも、開発主義が生み出した既得権益は、その日没を拒み続けています。
  • この既得権益と、その行き過ぎが生み出した巨大な財政赤字が、公共工事パッシング(公共工事ダメダメミーム)を生み出しています。
  • それでも、この国ではとにかくたくさんの人々が公共工事に関係しながら暮らしているのです。

本書では、このように、普通の「IT化の本」では絶対に立ち入らないであろう中小建設業が抱えるネガティブな問題(公共工事という問題)にまで立ち入ります。ここに違和感をもつ方々もおられるでしょうが、それでも、本書は「IT化の本」でしかないのです。それは、本書が企業の行うIT化を、制度・慣行とする立場にいるからであり、制度や慣行について考えるということは、それらを生み出している環境と原理を理解しないことには、何も本質的なことはわからない、と考えるからです。なぜなら、IT化も制度・慣行であり、環境と原理の乗数としてしか機能できないものだからです。そして「今という時代」は、

〈中小建設業は毛細血管以外の存在価値を自ら創出するしかない〉

ことを要求しているのです。これが本書が「中小建設業のIT化」の考察を通して中小建設業に投げかけるメッセージなのです。つまり、このような立場で、中小建設業のIT化を考えるということは、

  • このような文脈でIT化を考えること自体にいったい、どんな意味があるのだろうか
  • それははたして、現状打破への解決策になるのだろうか
  • もしそれが解決策であるならば、それを可能とするIT化とは。具体的にはどんなものなのだろうか

ということを考えてみようということです。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2007年10月15日 18:13: Newer : Older


このエントリーのトラックバックURL

https://www.momoti.com/mt/mt-tb.cgi/1461

Listed below are links to weblogs that reference

Lesson9 開発主義と中小建設業(2)―ヒエラルキー・ソリューションの問題点 from 桃論―中小建設業IT化サバイバル論

トラックバック