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2019年03月03日|お知らせ
トークサロン「言葉が奏でる大阪人スピリット」 町田康&江弘毅。
午前6時起床。大阪は晴れ。昨晩は大阪府立文化情報センター主催のトークサロン 作家 町田康『言葉が奏でる大阪人スピリット』へ。
あたしは町田康さんの本を読んだこともなく、ただ江弘毅が大阪語について語る興味で参加してみた。
会場には200人ぐらいいただろうか。大入満員だった。若い女性客が目立つのは町田康さんの人気なんだろうが、あたしのようなオヤジもちらほらと見えるのは、江弘毅のおかげである(たぶん)。
ふたりの話はかみ合わない楽しさに満ちあふれ、江弘毅の面倒くさい問いかけは、あたしの近所の(ある程度若い)女性の皆さんにはほとんど理解不可能だったようだけれども、あたし的には町田さんのオタク的な部分をよく引き出していたなと思う。
そのおかげで、あたしはある結論のようなものには達することができたけれど、それは『言葉が奏でる大阪人スピリット』からはほど遠いもので、そのテーマなら、トークサロン後の番外編(つまり酒飲み)での、江弘毅と笑福亭遊喬の話の方が100倍ぐらいおもしろかった(写真)。
あたしは大阪語は反則だと云っている人だし、その大阪語を使ってイリュージョンを書いている町田康さんの作品は、先にも書いたように読んでいない。
けれど町田さんの話を聞いて感じたのは、彼の才能とは「オタク的才能」なんだろうな、ということだ(つまり今回のトークサロンでの収穫は町田康という作家の創造性エンジンの一端を垣間見られたことである。それも江弘毅の面倒くさい問いかけの賜である)。
町田さんは自分の文体をミックスだといっていた。ミックスとはハイブリッドでありマッシュアップのことである。
今や英語と日本語のミックスされた歌詞は当たり前のようにあるけれど、大阪語と標準語がミックス(ハイブリッド)されるのも(あたし的には)ありでしかない※1。それは、あたしが使っている創造性のトポロジー(元ネタはロラン・バルト※2)に忠実であるし、つまりは「オタク的才能」とあたしが呼んでいるものだ。
町田さんの象徴界には、大阪語(それも堺の泉州弁)がまずある。それは原初抑圧ではあるけれど、日本語は総じてそれが緩い※3。そこにまた標準語(のようなものが加わる)。さらには音楽も加えていいだろうし、彼のあらゆる人生経験もそこに加わる。
それらが彼の創造性のデータなんだろうと思う。もちろんそれは「オタク的才能」の流儀に従ってスーパーフラットに存在することで、つまり標準語と大阪語の間には、どっちが優位かなんてことはなくなっているのだ。その条件でしかマッシュアップは起こらないのである。
しかしこのデータを生かせる/生かせないは、つまり才能でしかなく、それは脳みそを含めた身体性のことだ。町田さんは話しながら考えるのではなく、書きながら考えると自分で云っているように、書く人なのであって、書く人の才能というのは、どこかで役者なのである。
役者というのはどういうことかと言うと、書いている自分をもうひとりの自分が見ている、つまりはコギトなのだけれども、それが反省の次元を経由しているのかというと、オタク的才能というのはそれをやらないのである。だから才能なのだ※4。
それはほぼPCM((偏執症的批判方法@サルバドール・ダリ)なのであり、呪術なのだ、つまりテクニックじゃなくて無意識の思想なのである。町田さんは擬音を多用するとも聞いたけれど、ある意味それは動物化なのかもしれず、あたしの中では町田康=オタクのハシリ説は大きくなっている※5。
しかしそれを反証するには彼の作品をあたし自身が読むしかないのだけれども、そこまでの興味はあたしにはなかったりするのだけれども。
※注記
- マラルメ詩が小さな帆船に乗り込んで漕ぎ出した、近代の荒れ狂う多様体の海は、百年後には比較的穏やかな乱流となって、表層の全域にそのカオスの運動を繰り広げるようになった。そのことは、もはや「高踏的」な知的エリートばかりではなく、インターネットを手にした多くの大衆の体験し、知ることとなったのだ。マラルメはその多様体の隅々にいたるまで意識のネットワークを張り巡らせ、大切な接続点でおこっていることのすべてを言語化しようと努力した。これに対してネットワーク化した社会を生きる大衆は、小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象を、反省に送り返すことなくイメージ化することによって、現実の表現をおこなっているに過ぎない。それはとりたててすばらしいことではないが、かといって陳腐なことでもない。ハイブリッドの氾濫、それはまぎれもない現実であり、十九世紀にマラルメのような人物がはじめて意識した問題は、いまや今日の大衆の実感になっている。from 中沢新一:『フィロソフィア・ヤポニカ』:p365
- 宗左近さん。(『表徴の帝国』 ロラン・バルト) 参照。
- 日本語の構造。(縦に書け!) 参照。
- オタクの三世代分布表によれば1962年生まれ(あたしよりも4歳若い)町田さんは第1世代ということになるだろうが、あたしが感じたのは、彼の話し方、身のこなし、醸し出す雰囲気は第3世代のもつものに近いなということだ。
- あたしのような才能の無い者はがそれをやろうとするとコギトに近くなる。だからあたしの文体は恐ろしくつまらない。
Written by : 2009年03月26日 07:54: Newer : Older
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コメント
私も見に行きましたが、江という人が何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。それこそ江という人こそ岸和田出身ということを全面にだして、実は大阪のこてこて感を体現しているような人だなと思いましたが。
もっともっと町田さんの、いろいろな話が聞きたかったのに…。
投稿者 sinn : 2009年03月27日 21:35
sinnさんと同感。質問を簡潔にまとめられない江という方をなぜキャスティングしたのか疑問。逆に,あんな意味不明な質問にあれだけの返しができる町田康は頭の回転のいい人だと感心した。進行役のおばさんもまったくフォローに入らないし,会場全体が「もう江はしゃべるな」と心の中で言っているのをひしひしと感じた。あれなら,一時間半ずっと観客と質疑応答をしていたほうが楽しかっただろう。とにかくマーチダさんに同情したイベント。
投稿者 seo : 2009年03月30日 21:44
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