純粋消費ってなに?
ところで、普遍経済学のトポロジーにある純粋消費ってなんですかね、とたずねられ、ああそういば純粋消費のことを何も書いてこなかったよねと。それはたぶんに片手落ちだと思うのでこのエントリーを書くことにした。
一生遊んで暮らしたい
純粋消費は「一生遊んで暮らしたい」という欲望のことだ。それは象徴界に「交換の原理」が居座る消費社会では第一義的な欲望だ。それはまた、我々の人生に現実にあったある時代への渇望でもある。
桃知利男の浅草的ブログ
「構造」なとどいっているテクストは疑ってかかったほうがよい。自虐的なものいいだが、そう思ってもらったほうがよいのは、本文を読み進んでいけば理解できるかと思う。※このテクストは前述の「アール・ブリュット」の補足のようなものである。
ギャル文字(ギャルもじ)とは、携帯電話のメールなどで文字を分解・変形させて文字を表現する遊び・手法、またそれらの文字そのものの呼称。 「へた文字」とも呼ばれる。 変形対象となるのは主にひらがなやカタカナであるが、一部の漢字も偏と旁を分解して表記したり、ラテンアルファベットも変換するなど、その表現は多岐に渡る。(Wikipedeia)
これを露出させる問いは「なぜ私はアナタではない私なのか」や「なぜここが他ならにここであるのか」である。
それは〈私〉や〈ここ〉の根源的未規定性を露呈させる。それは〈私〉や〈ここ〉が入替不能である理由の、その未規定さの露呈である。
セクシャルなことのメタファーに満ちた暮らしが、日本人にとってふつうのことだったのかもしれません。(三砂ちずる:『オニババ化する女たち』:p167)
図:ロラン・バルト:『表徴の帝国』:p53
「公共財ゲーム」は桃語的には使われてはいない。しかし今後多用しそうな言葉なので、あらかじめ「桃語」に登録しておくことにした。
公共財ゲームは皆で力を合わせて仕事をすれば大きな成果が得られるが、誰もが他者の働きに期待して怠ける(フリーライドしようとする)誘因がある状況をつくりだし、人間の行動をみようとする実験(ゲーム)で、「囚人のジレンマゲーム」の多人数版であり、より社会的なゲームである。
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