恐慌型経済とは何か?

構造改革 恐慌型経済の復活とは、何を意味するのか? 端的に言えば、ここ数十年で初めて、経済の需要サイドにおける欠陥――つまり利用可能な生産能力に見合うほどの十分な個人消費がないこと――が、世界経済の繁栄の明らかな足枷となっているということである。

  われわれ――エコノミストだけでなく、政府当局者や教養のある一般の人々――は、このような事態を予想もしていなかった。「サプライサイド・エコノミックス」と呼ばれる、経済の供給サイドを重視する経済学は従来からあった。だが、この馬鹿げた考え方はあきらかに破綻した教義であり、裕福な人々や偏見を抱くマスコミ以外には、ほとんど影響力のないものだった。とはいえ、ここ十数年、経済学の考え方は需要サイドよりも供給サイドへと徐々にその重心を移してきた。


 その重心の変化は理論的な論争の結果だったのだが、それは次第に――いつもそうなのだが――幾分曲解され、少しずつ一般に広まっていった。手短に言うなら、理論的な論争の発端は次のようなものだった。すなわち、原則として全体的な需要不足は、失業に直面して賃金と価格が急速に下落することで自ずと解決する、ということだ。from ポール・クルーグマン:『世界大不況への警告』:p256-257

 もっと言えば、景気後退を経済の「構造的」問題の結果だと考え、それが解決されなければ回復できないと見なすことは、完全に間違った態度なのだ。需要を刺激して回復を促進することは、変革への圧力を弱めてしまうと考えるのは間違った見方だ。日本の経済モデルは失敗したといわれている。その経営者はあまりにも偏狭で、企業はマーケット・シェアばかり重視して利潤を十分に考慮せず、銀行はあまりにも顧客と緊密すぎた。これでは景気が低迷するのも当たり前である。不況は日本のシステムを変えることになり、実際に日本の未来にとってよいことであるという(いつもは思慮深い日本のあるエコノミストが「あなたの提案は、連中がやっと変わろうとしている時に、また連中にいつもの通りやらせるだけのことだ」と私に言った)。けれども、すべての大きな問題が構造的であるわけではない。立ち往生してしまった自動車が、ほんの少し押してやればまた走り出すこともある。また一方、すべての経済が構造的問題を抱えており、恐慌時よりも繁栄下のほうがそれを是正する環境としては適している、という議論も成り立つはずである。from ポール・クルーグマン:『世界大不況への警告』:p265

 ポール・クルーグマン:『世界大恐慌への警告』

世界大不況への警告


ポール・クルーグマン(著)
三上義一(訳)
1999年7月31日
早川書房
2000円+税

2008年10月14日追記:クルーグマン、ノーベル経済学賞受賞。
「金融危機、世界恐慌に類似」とノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは語る。 from モモログ