――12月15日に出された新著のタイトルが興味深いですね。『資本主義はなぜ自壊したのか』という……・。
懺悔の書です(笑)。
(略)
――中谷さんの責任ではないですけど、弟分みたいな竹中平蔵が、小泉純一郎と郵政を民営化した。(中略)「郵政改革」で地域の郵便局がなくなるなど過疎が進んでいますよね。
コミュニティという考えが竹中氏にはないんです。
from 週刊金曜日 2008・12・19(732号):P16:聞き手は佐高信さん
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中谷巌(著) |
桃知の解説
あたしはIT革命の意味を中谷巌さんから学んだ。そして地方や、地域の建設業とIT化の取り組みを考えていくうちに、中谷さんのいっていることは嘘パッチだと感じた。そして中谷さんからも中谷さん的な方々(つまりネオリベな方々)からも距離を置くようになった。そんな中谷さんが「私の考えは間違っていた」と、突然あたしの近くにやってきたということなのか、なんなんだこれは。以下、2003年1月4日のあたしの日記からの引用である。
『桃論』の「私の身の上ばなし」にあるように、私にとってIT(特にインターネット)は革命だと理解していますが、「IT」がもたらす変化、つまり「デジタル革命」(当時はそう呼ばれていました)が日本でも起こるとすれば、その革命は、日本という国に、そして私自身にどんな変化をもたらしてくれるのだろうか、そしてそれがどうしてなのかをただ知りたいと思ったのです。
そこから、私の読書は始まったといってもいいでしょう。
そこに最初に現れたのが、中谷巌や竹中平蔵等のIT革命論者でした。彼等の主張は明快であるがゆえに、ITは革命だと信じている私を単純に魅了していったのです。
その主張のコアは、成功している国である米国の経済的な繁栄の推進エンジンはITである、だから日本も米国に倣うべきだ、というものです。今考えれば馬鹿みたいな論調なのですが、当時米国経済は成功の絶頂期におりましたし、ニュー・エコノミーもそれらしく聞こえる時代でしたから、私は彼らの単純素朴なIT革命論に惹かれてしまったわけです。
→今では、それがバブルであったことがはっきりしています。
ですから、この店主戯言の2000年以前を読めば、私が単純な市場原理信奉者(というよりもアメリカリズムの影響を受けた単純な人間)であることがわかるはずです。(その陰は相当後まで尾を引いていますが・・・)
しかし、単純に市場原理を信奉しながらも、実際の活動で日本国内を旅するなかで、「地方」という存在、そこに生きる人々の生活が、「IT革命論」や単純な市場原理の文脈だけでは捉えきれないものであることに気付いてくるようになってきます。それは公共工事に依存した地場型中小建設業において特にです。
私は今現在、中谷巌や竹中平蔵等を批判する立場にいることは、皆さんご存知の通りです。それは、「分析視角を変えれば、同じものが違って見えるのは当然のことでしかありません」ということでしかないのでしょうが、その変化をもたらしたものが何者かといえば、それは、地方の中小建設業の方々との、リアルなコミュニケーション、つまりヒューマン・モーメントと、その頃に出会った、グローバリズム批判である『市場主義の終焉』という本なのでした。