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2019年03月03日|お知らせ



人々は、暇な時間が出来ると、どのように過ごせばよいか考えざるをえない。

江弘毅午前7時起床。岩見沢はくもり。夕方の便で浅草へ帰る予定。遅めの朝食をホテルのレストランでとりながら、朝一番で江弘毅からの書簡をアップする。

いっつも消費者でおったら、しんどいやろ。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡

今回は、江がやっている京都精華大「まちづくり論」の生徒さんのテクストの引用があって、これが面白かったりするのは、街的なテクストというのは意外と世の中には無いからで――だからあたしは江弘毅のテクストを欲望しているのだけれども――、こういう若い人が書いた街的なテクストが読めることは素直に楽しい。

「人々は、暇な時間が出来ると、どのように過ごせばよいか考えざるをえない。」というのは、そこに書かれていた日本語で考えることのできるフランス人の書いたフレーズで、あたしゃこれを読んでハッとさせられたわけだ。それはへー、フランスって日曜日には店が閉まっているんだ、ってことなんだけれど、これはもう少し引用してみないとなんだかわからないだろう。

現代社会において、消費活動が、時間や場所などの外部の状況をものともせず、身勝手で、好きなときに、出来るようになった。(中略)フランスや他の国では、日曜日や休日に店が閉まっている。それだけで、人々は、暇な時間が出来ると、どのように過ごせばよいか考えざるをえない状況におかれている。つまり、消費者以外の立場に立つのは、社会に強制的に進められている体験である。一方、日本や米国などでは、日曜日や休日になると、少しでも暇な時間が出来ると、毎日のように、当たり前に、買い物しに行くことは多い。日本では、「24時間・年中無休」と書いてある看板が多いが、よく考えると、店側だけでなく、市民側も、一日・一年中、消費者という立場に閉じこめられている。

大雑把に云ってしまえば、あたしら日本人は、ウイークデイは労働主体、土日は消費主体として生きている。けれどフランス人には、労働主体でも消費主体でもない時間として日曜日があるわけで、「人々は、暇な時間が出来ると、どうのように過ごせばよいか考えざるをえない」を制度的につくりだしている。

なるほど、それであたしが参照している構造主義者とかポスト構造主義者というのがフランス人ばかりなのが合点がいくのだし、なんでベルナール・スティグレールの「街的」なテクストが、フランスで需要があるのかも了解できたりする。つまりそれらは、暇じゃなかたら需要が発生しないようなものであることはたしかだろう。

もちろん浅草は24時間営業中だけれども、それはフランス流に云えば、毎日が日曜日のようなものでしかないのは、ジャスコもヨーカドーもないこの街に、「買い物しに行く」というフレーズはないからで、浅草には何かを買うことで欲望を満たそうとする欲望そのものがない。

けれどもそれは欲望がないことではなく欲望はちゃんとある。この街は広義の自営業者ばかりであることで、じぶんちを使ってもらうことは大事なのだ。しかしそれが単なる売り上げを欲望していないのは、ようするにみんな知り合いの町内会だからで、あなたはあたしのお客さんだけれども、わたしもあなたのお客さんだったりする。

つまりあたしらは、利己的であるが故に利他的なのであって※1、そこで京都の寺町商店街の和菓子屋の娘さんのレポートに深く共感するのは、御所以外は全部下町の京都と浅草は、ほとんど周波数が一緒ってことだろうか。

私の商店街では、同じ商店街の人が買いに来ると、ときどき値引き、またはオマケをしてくれることがある。他にも、某店では同じ商店街の人が買いに来ると、Aランクの商品をBランクの値段で売ってくれるなどがある。別にこちらが値引きを頼んだわけでもなく、向も嫌々やっている訳でもない。けれどもこれが彼らの間では暗黙の了解のようになっているのは何故なのだろうと考えた。私の店でも、例えば同じ商店街の眼鏡屋が和菓子を買いに来ると値引きをし、次回、私が眼鏡を買いにあの眼鏡屋に行くと、値引きをしてくれる。ここで気付いたのが、「○○を買うならこの店」というのが決まっていることだった。つまり、値引きをするかわりに、○○を買うなら私の店を贔屓してほしいという、一種の契約だったのだ。ここまでの響きだけだと、裏で腹を探り合っているような、あまり良い印象を受けないかもしれない。しかしそれは商売上の作戦であり、同時にもっと大きなものが得られることを私は知っている。(中略)同じ商売人として、同じ町内の人間として、仲良くなることに越したことはない。またこうしたやり取りが商店街の雰囲気を明るくしているものだとも思う。

だからそんな街に住んでいるあたしも、毎日が日曜日のようなものでしかないのだけれども、だからこそその暇な時間をどのように過ごせばよいか考えざるをえないあたしは、いつもボーッとしながらも忙しいのである。

※注記

  1. 浅草は利己的な街なのである。だからこそ戦略的に利他的なのである。
Tags: 140B

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年12月13日 09:46: Newer : Older

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