辺境ラジオ

辺境ラジオ

内田 樹(箸)
名越康文(箸)
西 靖(箸)
2012年9月25日
株式会社140B
1500円+税


辺境ラジオ

午前5時25分起床。浅草ははれ。あたしが「辺境ラジオ」を読んだのは一昨日の事で、140Bから送られて来たこの本を、どうせ暇な病院での待ち時間を、文字を眺めて過ごそう、と持ち込んだのだ。しかし、この本、なかなか良く出来ていて、なかでも笑いながら読ましてもらったものに、「うめきた大仏構想」があった。

しかし、「うめきた大仏構想」と書かれても、大方の人は理解は出来ないだろうが、まあ、浅草の浅草寺のようなものを大阪に造ろう、という話なのだ(たぶん)。しかし、いちいちそれを説明するのも面倒なので、ここに「うめきた大仏構想」をスキャンしておくことにするので、見て頂戴(やや斜めだけど、クリックすると大きくなる)。

うめきた大仏

こうしてこの本の一部を見ると、漫画なのか、と思われるかもしれないが、それは全然違っていて、この本は、内田樹、名越康文、西靖という3人の鼎談になっており、MBSラジオ(て、どんなラジオか知らないのだ)で、深夜に不定期放送中の番組の記録なのである。

そして、「辺境ラジオ」という題名も、「アメリカ・中国ではなく日本の、東京ではなく大阪の、テレビではなくラジオの、ゴールデンではなく放送休止枠での、つまり中心ではなく辺境だからこそ見えるニュース、物事の意味を考える」、という企画意図に基づき、内田樹、名越康文、西靖が問いかける、とあるが、あたしには、この本を読む限り、なにが「辺境」なのかが、全然伝わってこないのも確かだった。

しかし、本を読む、ということは、他人の考えを自分の頭を使って考える、と昔(あたしが)云っていたことを思いだし、3人分の話だから、3人分頭が良くなるのかね、とほくそ笑むが、やっぱり「なるわけねーだろう」、と思い直し、さらには内田樹さんだけしか読まない癖のせいで、一人分かもしれないし、そもそも、ただ読むだけなので、頭は使っていないかも知れないな、と思うのだ。

ただ、なぜ内田樹さんを追いかけるのか、というと、彼の「ことば」がまるで、日頃、テレビという日常に慣れ親しんだ自分自身への、「正義の一文」となっていることに気付くからだが、なるほど、これが「辺境」の考え方なのかもしれず、しかし、その「辺境」も、浅草に住むあたしから見ると、本当に「辺境」のものなのか、とちょっと穿って思うのだ。