蕎麦屋はおかみさんで持っているようなものです。祖母など「蕎麦屋じゃ男の子はいらない。あたしなんか、おじいさんが三年うちに帰ってこなくとも、店をビクともさせなかった」と申しておりました。確かに倅より養子の方が頼りになります。倅の言い分は、初代はその商売に適正があったからはじめたんで、倅には選択権がない、ということです。ひとりでに遊び人ができます。養子は好きでその商売に入っていますから問題はありません。


 昔から、「世帯」というのは女が作り、女が出て行くと「世帯崩し」といわれました。

まま事の世帯崩しがあまへて来 柳多留 初・四

 江戸時代には、男女の人口比率が男二、女一という享保年間の資料もあるぐらいですから、女将さんをもらうのも容易ではありません。だから、吉原や岡場所が繁盛したわけです。昭和初期でも「八百屋のおっかあと魚屋のおっかあ、蕎麦屋のおっかあにはなり手がなかった」と巴町のおじさんも言っておりましたくらい、なり手はなかったことでしょう。

 それだけに、蕎麦屋のかみさんには、男まさりの、気の強い、チャキチャキした人が多かったし、苦労人ばかりでしたから、お愛想も達者で、「内づらと外づら」はまるっきり違いましたし、外ではお客様を大切にして、内では使用人をあごで使います。

 おかみさんの城は「ご内所」です。「内」の責任者ですから、「私儀」「その方儀」のように亭主からは「内儀」となり、客からは「お上」ではないので「女将」と当て字されたり「お内儀」と声を掛けられ、「お内儀さん」とも呼ばれます。「使用人」や「出入り」からは「お上さん」です。ちなみに武家の「内」は「奥」ですから、「奥様」です。

form 藤村和夫:『蕎麦屋のしきたり』:p43-44 

蕎麦屋のしきたり

蕎麦屋のしきたり (生活人新書)

藤村和夫(著)
2001年11月10日
日本放送出版協会
640円+税