幸福論人間の幸・不幸とか、人生の目的はなにかというのは、若いときに考えることです。
長い周期で「人生」なんて言うんだけれど、年とってから「人生の目的は何か」なんて言って、それは知ったこっちゃないよというか、老い先短いんだからもうどうしようもないじゃないか、と。
だから、僕の実感からは、年をとったら長い周期でそういうふうに考えるのをやめることではないか、と思っているわけです。そういうことはごくごく短い周期で考えればいい。
そのかわり、もし、抽象的に、あるいは論理的に、死とは何かとか、老人とは何かということを考える場合には、とことんまで考えるべきだと思います。また、考えればいいと思うんです。でも、それは実感として日常にある幸・不幸とか、嬉しいとか嬉しくないということとは関係のないことです。関係ないこともないかもしれませんが、それは、頻繁に移り変わってしまうことです。
from 吉本隆明:『幸福論』:p23~24


桃知の戯言

若い頃は長期的視野を持てと言われて育った。しかしこの歳になると、たしかに時間は限られていて、むしろ短期的視野でその都度を楽しむ方が「こころ」的(いや身体的にも)合理的かもしれない。