宝誌和尚立像<顔>はひとつの現れである。「現われ」と言ったのは、<顔>は、ひとの頭部の前面、つまり顔面という皮膚でもなければ、ポートレイト写真のような映像でもないのだ。

<顔>のことを古の人は、「おもて」と呼びならわした。が、脳の面の「おもて」と言うように、「おもて」は素顔でもあり仮面でもある。つまり、本物かにせの覆いかという区別以前のある現れを、ひとは「おもて」と呼んできた。奇妙なことだが、同じことは「マスク」という西欧語についてもいえる。

唐代の僧、宝誌をかたどった彫像に宝誌和尚立像がある。平安時代の作だとされる。ロラン・バルトの『表徴の帝国』の「包み」という項の最後にこの写真が載せられている。中身のつつましさと比べて不相応な「包み」の重なり。開けても開けても別の包みしか出でこない日本の包装。無を包む衣とでも言うべき包みに惹かれたバルトは、そこに<顔>という現象をみた。


〈想像〉のレッスン 

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鷲田清一(著)
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