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2019年03月03日|お知らせ


2007年08月28日(火) 

小泉チルドレンは何の役にもたたない。

新内閣で地域活性化に全力、改革は続行する=安倍首相

[東京 27日 ロイター] 安倍晋三首相は27日夜、内閣改造後の記者会見で、参院選での与党敗北を受け、新内閣では地方などの声にも耳を傾ける姿勢を強調するとともに、地域の活性化のためにも新経済成長戦略を推進していく重要性を訴えた。(略)

安倍首相は「先の参議院選挙の結果は、中央と地方に存在する格差の問題(があった)。もっと政治は格差に配慮すべきだということが参議院選挙の結果、私どもが受け止めた教訓だ」と指摘。その上で「今回の改造人事においては、地方の知事を経験した増田(寛也)さんに総務相として参加していただいた。新しい内閣において、地域が活力を回復するように全力を尽くしていきたい」と語った。

ただ「もちろん改革については続行していかなければならない。人口が減少していく中、あるいは経済がグローバル化していく中、改革を行っていかなければ残念ながら日本はやっていくことができなくなってしまう。私たちは将来の世代に対して責任を持っている。そのための改革は厳しくとも続行していく決意だ」とも付け加えた。(以下、略)。(asahi.com

安倍さんは、二兎を追うことにしたらしい

  • 「先の参議院選挙の結果は、中央と地方に存在する格差の問題(があった)と安倍さんが認めたこと。
  • いわゆる改革と地方の疲弊は表裏(バイナリー=二項対立)の関係にあることを安倍さんが認めたこと。

つまり、〈地域活性化/改革〉は矛盾したものであることを認識した上で、その二兎を追う、といっている。「地域の活性化のためにも新経済成長戦略を推進していく」のは相変わらずで、それは言語矛盾でしかないのだけれどもね。(トリクルダウン理論のレトリック

「二兎を追うものは一兎をも得ず」という。

けれども、それ(二兎を追うこと)は、マネジメント(何度も書いているが、このマネジメントは会社の経営という狭い意味ではなく、ドラッガーのいうような組織の経営の意味)からすれば当たり前のことでしかない。というか、組織は絶えず矛盾を孕むからこそ「種の論理」は機能し、進化する。

小泉さんの時代の自民党は、原理主義(一兎を追う)に支配されていた。対立する者(抵抗勢力)を追い出してしまうと、その後、組織は(矛盾を抱えないことで)弱体化したのは見ての通り。

つまり自民党はその内部に(政治経済学、政治哲学的に)対立項を失ったことで、つまり、白黒つけてしまったことで、組織的としては、弱体化してしまったのだ。

なので自民党支持者としての私は、この二兎を追う戦略を歓迎する。(多くの国民からは、焦点がぼけた、とか、なにがやりたいのかわからない、とか、改革をあきらめた等と批判されるされるだろうが)

追記:2007年8月30日:案の定、浅川 博忠先生には、 「安倍中途半端内閣、予算を成立させ越年することができるか」といわれてしまった。w

新保守主義

今回の二兎を追う戦略は、(本来の意味での)新保守主義的立場だと(私は)理解している。つまり新保守主義とは、経済政策においては、小さな政府の立場を取り、社会的には伝統を重視する、ということである。(つまり、伝統は重視する。けれども、その伝統を破壊するものとしてのネオリベ的経財政策をあえてとる――という矛盾を抱える)。

二項対立の時代これは米国のように、伝統と断絶することで誕生した国ならともかくも(そもそも米国には守るべき伝統などないのだからね)、日本のような、伝統の上書きでできたような国では、必ず二項対立(バイナリー)を生み出す。

そこに国民の痛みは生じる。痛みを我慢しろといえば、我慢強い日本国民は我慢もするが 、まあそれもにも限界がある、という当たり前の結果を、参議院選は示しただけだろう。

ここで、なにがなんでも改革だ、というのはマーケティング的にも思慮のないことだろう。(国民は改革に飽きたのである)。

そして国によって新保守主義のあり方は違う。日本は先の敗戦で断絶しているところもあるが、伝統の地層というものは、簡単には消えない。

それが種・中景としての地方(土地・テリトリー)である。(さらに「血」を持ち出すと危ないナショナリズムと間違われそうなので、それは控える)。

そうすると、バイナリーの発生は当然だ、と思われるかもしれないが、そう、当然なのである。

だから今は、その二項対立に白黒つけて、どちらか一項を選択し続けるのか、矛盾としての二項を、二項のまま、あるものとして受け入れるのか(それを「灰色」という)、という、人間の思考の深さを試される、ということだろう。

しかしそんなことは、日本人の智恵(伝統)は、とうに解決済みなのである。

要は、狡兎三窟であり、三位一体であり、灰色の思考(矛盾を矛盾として、そのまま受け入れてしまう)、ということを、日本人は経験的におこなってきた。これが「美しい国」の教養だろう、と私なんぞは思う。

しかし小泉さんが、ネオリベ(新自由主義)という原理主義(教義)を、己のパフォーマンスで、ナイーブに強調したとき、(バブル的に)日本の伝統は、ただ壊されるものとなった。(伝統は維持されるから伝統なのである)。

私はその伝統をパトリと呼び、パトリが消えていくことに、この国の危機を感じた。(それは「資本主義の精神」を擁護する者としては当然のことだ、と考えているが、この部分はかなり面倒な説明を要するので、今回は端折る)。

今やなつかし小泉チルドレン

今回の安倍改造内閣は、小泉さんの一項選択への反発のように存在している。(改革か逆行か、と安倍さんはいったけれども、三歩進んで二歩下がる、とみんな知っているのでございますよ。

それには麻生さんの力が大きく働いたのだろうが(つまり今回の内閣は「安倍政権」というよりも「麻生・安倍政権」だろうな)、しかしこうなると、問題は小泉チュルドレンである。

小泉チルドレンは、パトリなきエコノミストでしかないわけで、麻生・安倍政権においては、ただの「烏合の衆」、もしくは「数」でしかなくなる。

彼(女)らの多くは、バイナリーの一項選択の結果であることで「数」でしかないのだが(政治哲学は持ち合わせていないだろう)、そのことで、次の衆議院選挙で、彼(女)らの再選は難しいだろう。そのことで、自民党はまた危うい。

バブル的に膨らみすぎることは、将来の破滅を意味する。それは経済と同じことであって、こうなると小泉さんは、じつに罪深い人だな、と思う。(「参院選、政治バブルの終焉」とは、宋文洲はうまいことをいうものだ。若しくは、「ぶれない軸としての大衆」について。)。ということで、午前6時45分起床。浅草は晴れ。

投稿者 momo : 2007年08月28日 10:24 : Newer : Older

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