なぜ、あたしはブログに起床時刻とその時の天候を書いているのか。そのきっかけは、意外と単純なものでしかない。


だから、《きょうの天気》(過去の天気)の記述ぐらい、瑣末で、無意味な記述を想像することはできないが、しかし、先日アミエルを呼んでいた時、というより、読もうとした時、生真面目な(またしても快楽を締め出すもの)刊行者があの『日記』から日常的な細部、ジュネーブの湖畔の天候を削除して、無味乾燥な倫理的考察だけを残した方がいいと考えているのを見て、いらいらした。古びないのはあの天候であって、アミエルの哲学ではないはずなのに。(ロラン・バルト:『テクストの快楽』:p101)

簡単に云ってしまえば、バルトのこのフレーズにやられてしまったからなのだが、この一節に出会ってしまってから、あたしは、ブログに起床時刻と天候を書くようになった。

つまり、古びないのは浅草の天候(の記録)なのであって、あたしの日々のごちゃごちゃではないはずなのに。なのである。

しかし、そのごちゃごちゃさえ、毎日書かずにいられないのは、性分ではなく、なぜなら、10年前は何も書かない人だったのだから。もちろん天候さえもである。

テクストの快楽

テクストの快楽

ロラン・バルト(著)
沢崎 浩平(訳)
1977年4月10日
みすず書房
2100円+税