マンガは、読まないからおかない。エロ本は読まぬこともないが、売る側にはまわりたくないので置かない。実用書は、本読んで直裁な利益を得ようという根性が気に入らないから(読書とは、なんの役にも立たないからこそ読書なのだ!)、置かない。結局、この場末の六坪足らずの店で、三分の一は映画演劇書、三分の一は純文学に美術趣味、かろうじて残り三分の一が、死に棚となることをまぬがれた文庫の棚だ。
おかげで万引きもない。まだマンガを置いていた十年前の夏、ゆわいて飾っておいた「ルパン三世」の揃いが忽然と姿を消して以来、一件もない。今では安心して長便所も楽しめるし、郵便局ぐらい、無人のまま平気でいってしまう。
(中略)
たまに、店にやってくる仲間があきれ顔で忠告してくれることもあるが、それでもイヤなものはイヤ、メシのおかずを落とせばすむかぎり、やらない。なにが《地域住民に密着した》だ。オレはどんどん《遊離》してやるぞ。なにが《客のニーズに応える》だ。オレが応えるのは、わが《内なるニーズ》にのみだ。
from 『古本屋おやじ―観た、読んだ、書いた』p181-182
(絵:川崎ゆきお:『大阪日常物語 エロ本』より)
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中山真如(著) |